第二十八話「富士の巻 第二十帖」

今のうちに草木の根や葉を日に干して貯えておけよ、保食の神様お怒りだから、
九十四(今年)は五分位しか食べ物採れんから、そのつもりで用意しておいてくれよ。

神は気もない時から知らせておくから、この神示よく読んでくれよ。
一握りの米に泣くことあると知らせてあろうがな、米ばかりでないぞ、
何もかも臣民もなくなるところまで行かねばならんのぞ、臣民ばかりでないぞ、
神々様さえ今度は無くなる方あるぞ。臣民というものは目の先ばかりより見えんから、
呑気なものであるが、いざとなっての改心は間に合わんから、くどく気つけてあるのだぞ。
日本ばかりでないぞ、世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあろうがな、
神にすがって神の申す通りにするより他には道ないぞ、
それで神々様を祀りて上の御方からも下々からも朝に夕に言霊が
この国に満つ世になったら神の力現すのぞ。
江戸に先ず神まつれと、くどく申してあることよくわかるであろうがな。

昭和19年8月27日(1944年 皇紀2604年 甲申)

現在に至る米不足というムードは、以下の報道に遠因があると思います。

【なぜ】田んぼの底に亀裂「水が減るスピードが異様に速い…」 梅雨入りも遅れ“水不足”が「コシヒカリ」にも影響

ttps://www.fnn.jp/articles/-/712499?display=full

雪どけ水少なく農業用水不足 コメの生育に影響 南魚沼市など

ttps://www3.nhk.or.jp/lnews/niigata/20240621/1030029633.html

新型コロナの教訓は生きたか?南海トラフ地震臨時情報で混乱した夏休み、政府が検討すべき“狼少年”にならぬ伝え方【西田亮介の週刊時評】政府への不信感がいざという時の行動を鈍らせる

ttps://jbpress.ismedia.jp/articles/-/82947

世間が米の買い占めに走ったであろう直接のトリガーと思われるのは、南海トラフ地震臨時情報の発表なのは確実でしょう。8月8日に日向灘で発生した地震の後でも店頭の米の在庫はありました。そんな状況を一変させたのは、南海トラフ地震臨時情報の発表の後なのです。

「令和の米騒動」値上げ、品薄で確保困難、なのになぜ精米して1ヶ月の米をスーパーは棚から撤去するのか

ttps://news.yahoo.co.jp/expert/articles/a74172d48c665e088c162e469cf21707964a538f

この方の指摘されている問題点については、令和6年に限った話では無いのですが、これを機会として考えるべき問題として紹介しておきます。50年以上前からそうしているからその先どうなっているかわからないというのは、即ちマニュアルに無いから対応できない、上や周りに従っているだけで私の責任ではない、この件についてのこれ以上のコメントは差し控えたい、等…。何のためにお客様コールセンターがあるんだよ?ハッキリ言って、責任から逃れようとする者に給与を貰う資格は無い。こんな状況にも関わらず、岸田の後継者争いに興じているゴミ共もまた然り。

上の記事で、精米して1ヶ月から40日、50日程度で、どのスーパーも商品棚から撤去しており、撤去したあとどうするか、については企業や店舗によって異なり、コメの納入業者に返品する、捨てる、従業員に安く売る、フードバンクに寄付する等に分かれるようですが、そのスーパーの商品棚に並べられているのは、温めて食べるというパックのご飯です。もちろん、これらは昨日今日から店頭に並んでいたものでは無く、赤飯やら五目御飯といったバリエーション共々、以前からあったものです。その反面、このような米不足の状況にも拘らず、各社のパックのご飯が並べられているのをみると「やけに多いな」と疑問に思ったりします。真っ先に気が付くのは、製造メーカーの数。赤飯やら五目御飯といったラインナップを揃えられるのは、普段から店頭に並んでいるような業界トップメーカーだけなのです。

お米を買いたいのに…「政府備蓄米の放出」が実現しないのはなぜ? 坂本農相は「品薄は順次回復する」と語る

ttps://www.tokyo-np.co.jp/article/350356

パックご飯が災害時の備蓄のみならず、今回の米不足でお世話になっておりますが、普段からカップ麺のように常食している人っていうのは、流石に少ないだろうと思うのです。だからこれらパックご飯の流通量の多さを見て意外に思ったのです。ただ今回は運よく間に合っただけで、近い将来には不足するようになるのかもしれません。就農する人よりも辞める人の方が多いからです。

2021年に試すべき植物性たんぱく源15 栄養士がヴィーガンの人に推薦!

ttps://www.elle.com/jp/gourmet/gourmet-healthyfood/g36563662/plant-based-protein-21-0816/

日月神示をきっかけにベジタリアンになった方は結構おられるかと思います。実際私も第十二話では魚介類を食べて良いものかと悩み(栄養の問題から食べ続ける事にしました)、第十三話では不足しがちなビタミンB群を中心にサプリで補う事を書きました。

ところが、第十九話で報告しました通り、今年初めて肉離れを起こし、足がむくんでしまったのです。しかも筋肉が縮んでいるように感じるのです。今までこんな事なかったのに…と思い当たったのが、多分肉食を止めた事だろうと。今までなら、肉を食べない日があっても、卵サンドを食べていたかもしれないし、魚を食べていたかもしれない。食べない日があっても、問題ないほどの摂取量があったのかもしれない、ところが今の私のタンパク質の摂取量は計算値未満で、今日はネギが高いから納豆止めよう、魚もおいしそうなのがないな…とか考えていたらもう、タンパク質が取れないのです。結果的に、コラーゲンのサプリメントを飲む事にしました。三日目ですが、筋肉が縮むような感覚は大分薄れたように感じます。

今日の社会においては、ヴィーガンやベジタリアンの生活というのは、安易にお勧めできるもんじゃないな、と思います。実践にあたっては、それ相応の知識と判断力が必須です。

第二十七話「日月の巻 第六帖」

天地の時、天御中主の命、アのアに為りましき、高天原の命となり給いき。

今の経済は悪の経済と申してあろうがな、もの殺すのぞ。神の国の経済はもの生む経済ぞ。
今の政治はもの毀す政治ぞ、神の政治は与える政治と申してあろうが。配給は配給、統制は統制ぞ。
一度は何もかも天地に引き上げと申してあるが、
次の四(世)の種だけは地に埋めておかねばならんのだぞ。それで神がくどく申しているのぞ。
種は落ちぶれていなさる方で守られているぞ。上下に引っ繰り返ると申してあること近づいて来たぞ。
種は百姓に与えてあるぞ。種蒔くのは百姓ぞ。

昭和19年10月22日(1944年 皇紀2604年 甲申)

近所のスーパーの売れ残りで、子持ちシシャモのフライが半額の149円だったのでGetしました。ここのパック、一食のおかずになる位の分量があるので。ありがたい話ではあるのですが、昨今の燃料費高騰の最中、漁師や農家の方々に申し訳ないなあと思いつつ、経済とかいう仕組みに依存せざるを得ない自分がホント、イヤになる。

1、〇△県で収穫された□■を市場に集める。

4、□■の配送をスーパーのセンターに配送する。え、配送先?

まだこれならマシ。

福島第一原発の作業員を狙う「危険な下請け会社」

ttps://wpb.shueisha.co.jp/news/society/2014/01/15/24173/

福島県発注工事における元請・下請関係の適正化の取組み

ttps://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/7267.pdf

東京五輪談合、下請け業者も一覧表に 電通出向者らが意向確認

ttps://mainichi.jp/articles/20221129/k00/00m/040/327000c

トヨタ系に公取委勧告 時代錯誤の下請けいじめ

ttps://mainichi.jp/articles/20240712/ddm/005/070/140000c

トヨタなど5社が型式指定申請で不正、国交省が立ち入り検査へ

ttps://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/news/24/00908/

トヨタ式「カイゼン」とは?5S活動、3M削減など企業の成長を促す取り組み事例

ttps://hibiki.dreamarts.co.jp/smartdb/learning/le210719/

小集団活動

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/小集団活動

かつて私が在籍していた会社の社長がトヨタ出身で、「カイゼン」を掲げて小集団活動を推進、三か月に一度、班ごとにプレゼンテーションを行っておりました。当時の勤務体制が3交代制で、発表直前になると夜勤明けなのに、その日の夜までパソコンに向かっていたのなんて当たり前でした。これで残業代なんてありません。ここで問題なのは、三か月に一度の発表という高頻度にも拘らず、残業代が付かない事、準備期間もあるので結構な時間になります。次にやる奴とやらない奴が必ず出るという事。ストレスになってきてその会社辞めたんですが。

以上は個人的な問題でしたが、活動すること自体が目的になってしまうのはどうなの?最初の内は良いのです。実は私の入社当時は発表が半年ごとだったのです。それがいつのまにやら三か月ごとに発表しなければならなくなったのは、目的がすり替わったからでしょう。即ち、意識が入れ替わったのだと。まるで感染防止の為にワクチン接種して感染しているようなナンセンスさ。

日本農業が抱える3つの問題|農家ができる未来へ向けた解決策とは?

ttps://minorasu.basf.co.jp/80466

新型コロナワクチンの接種回数について (令和6年4月1日公表)

ttps://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/kenkou/kekkaku-kansenshou/yobou-sesshu/syukeihou_00002.html

都道府県別等の実績

ttps://www.mhlw.go.jp/content/kenbetsu-vaccination_data3.pdf

年齢階級別の実績

ttps://www.mhlw.go.jp/content/nenreikaikyubetsu-vaccination_data.pdf

In Deepの管理人さんは、当初からワクチンの危険性を訴えてきた方です。読みに行ってくださった方が良いのですが、

という事です。このワクチンの真の恐ろしさは、「7番目の年の終わり」2025年末から、「10番目の910コトの年」2028年に「周知」される事になると思いますが、一番かわいそうなのは「次の四(世)の種」抵抗力の弱い子供です。

第7回ワクチン非接種・未接種の方の出逢いの会

ttps://www.yokohama-ryoen.jp/7th-Nonvaccinatedevent

恋愛はロジックに非ず。「余命〇〇」という深刻な話では無いものの、かつて「理想に相反する相手を求めた」事による苦しみを味わった者の成れの果ての戯言です。

第二十六話「松の巻 第十二帖」

前にも建て替えはあったのだが、三千世界の建て替えではなかったから、
どの世界にでも少しでも曇りあったら、それが大きくなって、悪は走れば苦労に甘いから、
神々様でも、悪に知らず知らずになって来るのだぞ。
それで今度は元の生き神が天晴れ現れて、悪は影さえ残らぬよう、根本からの大洗濯するのぞ、
神々様、守護神様、今度は悪は影も残さんぞ。早う改心なされよ。
建て替えのこと 学や智ではわからんぞ。

昭和20年6月28日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

8月8日に日向灘で発生した地震で被災された方をはじめ、周辺地域の方々にお見舞い申し上げます。この暑い最中に水道の水が濁っているとされる話もあり、地震そのものは勿論ですが、体調管理の程くれぐれもお気を付けください。今回の地震は噴火によるものでは無いのですが、先日の第二十話で「姶良カルデラ」、「鬼界カルデラ」等について言及した事もあって、それらとの関連はどうなのかという懸念もあります。特に鬼界カルデラの噴火については「たったの」約7,300年前に過ぎないのですから。

令和5年度 日向市権現原浄水場水安全計画 (PDF/614.87キロバイト)

ttps://www.hyugacity.jp/tempimg/20230907151406.pdf

大型河川の存在は頼もしいのですが、いかんせん浄水場が被災地に集中しているところが…。あと、pdfを見る限り、ろ過地以降で毒物(シアン化合物、水銀、ヒ素など)が「d」、大腸菌、ウイルス、クリプトスポリジウム等(耐塩素性病原生物)が「e」というのが気になるところです。取水~ろ過地までは水源と同様、素人目には問題が少ない様に見えるのですが、ろ過地以降でリスクが跳ね上がるというのは…。こういう事があったからたまたま目についているだけで、今日、私たちの住んでいるところも実態はこんな感じなんでしょうか?更にひどいのでしょうか?何にせよ、ろ過地以降のリスク上昇の原因は看過して良いものでは無いでしょう。

宮崎県日向灘を震源とする地震による被害状況等について(第 3 報)

ttps://www.mlit.go.jp/common/001758871.pdf

断水に至っているのは8日の時点で宮崎県串間市だけのようです。点検対象ダムについては、その全てで一次点検で異常無しだそうです。9日の時点でJR九州は通常のダイヤに戻っているようです。BRTひこぼしラインについては、7月2日から日田市内 国道386号線の一部区間が災害の影響により通行止となっているため、夜明駅~光岡駅間の一部で迂回運転しているので、今回の地震とは関係ない別の理由です。

本日の規制情報

ttps://roadi.pref.miyazaki.lg.jp/roadinfo/public/index.htm

宮崎県域の道路状況です。交通規制もだいぶ解除されたみたいです。

松の巻 第二十九帖

豊受の大神様 お山の富士に祀り、箸供えて、お下げした箸、皆に分けてやれよ。
饌に難儀せんよう守り下さるぞ。
仕組み少し早うなったから、かねて見せてあったこと八月八日から始めてくれよ。
火(ひ)と水(み)に気つけよ。拝めよ。
キの御用大切ぞ。ケの御用大切ぞ。クの御用大切ぞ。
神は気引いた上にも気引くから、とことん試すから、そのつもりでお蔭落とさんようにせよ。
二十五柱 役員ぞ。慢心すれば替え身魂使うぞ。この巻、松の巻。

昭和20年7月19日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

8月8日

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/8月8日

ソ連対日参戦

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/ソ連対日参戦

郵政解散

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/郵政解散

象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば

これみよがしっぽくてタイトルにはしなかったのですが、特に20世紀に入ってからの日本において、「8月8日」は「結構な日」だと思います。郵政解散がショボいって?私から言わせれば、国の財産売り渡すなんて「売国奴の所業」ですよ?「金大中事件」、「ウォーターゲート事件」もこの日です…。

五葉之巻 第十二帖

八のつく日に気つけてあろうが、八とはひらくことぞ。
今が八から九に入る時ぞ、天も地も大岩戸ひらき、
人民の岩戸ひらきにもっとも都合のよい時ぞ。天地の波にのればよいのじゃ。
楽し楽しで大峠越せるぞ、神は無理申さん、やればやれる時ぞ、
ヘタをすると世界は泥の海、神々様も人民様も心の目ひらいて下されよ、
新しき太陽は昇っているでないか。

昭和36年9月1日(1961年 皇紀2621年 辛丑)

第二十五話「地つ巻 第十一帖」

世界丸めて一つの国にするぞと申してあるが、
国はそれぞれの色の違う臣民によって一つ一つの国作らすぞ。
その心々によって、それぞれの教え作らすのぞ。旧きものまかりて、また新しくなるのぞ。
その心々の国と申すは、心々の国であるぞ、一つの王で治めるのだぞ。
天つ日嗣の実子様が世界照らすのぞ。国のひつきの御役も大切の御役ぞ。
道とは三つの道が一つになることぞ、みち満つことぞ、
元の昔に返すのだぞ、つくり固めの終わりの仕組みぞ、
終わりは始めぞ、始めは霊ぞ、富士、都となるのだぞ、幽国行きは外国行きぞ。
神の国光って目あけて見れんことになるのだぞ、臣民の身体からも光が出るのだぞ、
その光によって その御役、位、わかるのだから、
みろくの世となったら何もかもハッキリして うれしうれしの世となるのぞ、
今の文明なくなるのでないぞ、たま入れていよいよ光って来るのぞ、
手握って草木も四つ足もみな唄うこととなるのぞ、
御光に みな集まって来るのだぞ、てんし様の御光は神の光であるのだぞ。

昭和19年9月21日(1944年 皇紀2604年 甲申)

神典研究家で神名には明るかった天明氏でさえ、天之日月神がいかなる神なのか、また、どこに鎮座され祀られている神なのか分からなかったそうですが、私が調べた限りでは、享保7年(1722年)成立の『佐倉風土記』の記述が最も古かったです。上のページの次にアイキャッチという順番が本来です。第十七話の佐倉惣五郎事件当時の藩主・堀田正信から堀田氏が再び佐倉藩を治めるまでの間に幾度か藩主が交代したのですが、稲葉正往が治めていた時代、藩儒・磯辺昌言によって佐倉風土記は執筆されました。約百年の後、堀田正信の孫である堀田正亮が佐倉藩に戻ってくると、「前期堀田氏」の改易と結びつける伝承が生じていた、佐倉惣五郎父子の慰霊を行いました。それ以降、幕末に至るまで佐倉藩を治めていた堀田氏を指して「後期堀田氏」と呼ぶそうです。安政4年(1857年)10月に完成した『利根川図誌』(赤松宗旦氏/著)についての麻賀多神社の記述は、その佐倉風土記を参照しているようです。戻ってきた堀田氏は信心深くなったようで、佐倉市鏑木町にある麻賀多神社は「佐倉藩総鎮守」です。

麻賀多十八社 社殿/鳥居 比較

ttps://chiba.jinja.love/?p=12472

かつては三十八座あったものの、享保7年時点での摂社・末社は五座で、印波國造社、幸靈さきたま神社、馬來田まくた朗女いらつめ神社、猿田彦神社、天日津久神社となっていたようです。まず伊都許利命を祀るのは分かる、猿田彦神社も分かるのですが、ここからが問題です。幸靈さきたま神社(幸霊神社)?愛知県に幸霊社という神社があるそうですが、あちらも由来不明だそうです。島根県松江市に、三穂津姫命を祀るという幸魂神社があるそうですが、断定まではちょっと…。馬來田まくた朗女いらつめ神社(馬来太郎女神社)という名前から察するに木更津市馬来田辺りに由来する神社だと思うんですが…。「が」ばっかり。縁起不明神社ばっかり。

日の出の巻 第十五帖

十柱の神様 奥山に祀りてくれよ、九柱でよいぞ、
いずれの神々様も世の元からの肉体持たれた生き通しの神様であるぞ、
この方合わせて十柱となるのだぞ。御神体の石 集めさせてあろうがな、
篤く祀りて、辛酉の日にお祭りしてくれよ。病あるかないか、災難来るか来ないかは、
手届くか届かないかでわかると申してあろうがな。届くとは注ぐことぞ、
手首の息と腹の息と首の息と頭の息と足の息と胸の息と臍の息と脊首の息と手の息と
八所十所の息合っていれば病ないのだぞ、
災難見ないのだから、毎朝 神拝みてから よく合わせてみよ、
合っていたらその日には災難無いのだぞ、殊に臍の息一番大切だぞ、
もしも息合っていない時には一二三唱えよ、唱え唱えて息合うまで祷れよ、
どんな難儀も災難も無くしてやるぞ、この方 意富加牟豆美神であるぞ。
神の息と合わされると災難、病無くなるのだぞ、大難小難にしてやるぞ、生命助けてやるぞ、
このことはこの方信じる人でないと誤るから知らすではないぞ、
手二本 足二本いれて十柱ぞ、手足一本として八柱ぞ、
このこと 早う皆に知らして どしどしと安心して働くようにしてやれよ。
飛行機の災難も地震罪穢れの禍いも、大きい災難ある時には息乱れるのだぞ、
「一二三祝詞」と「祓え祝詞」と神の息吹きと息と一つになっておれば災難逃れるぞ、
信じる者ばかりに知らせてやってくれよ。

昭和19年12月18日(1944年 皇紀2604年 甲申)

オオカムヅミ

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/オオカムヅミ

賀茂神社 (阿波市)

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/賀茂神社_(阿波市)

桃太郎神社 (犬山市)

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/桃太郎神社_(犬山市)

天明氏は日月神示について、実際は色々な霊が懸かってきたと証言しておりますし、鳴門の御用(イイヨリの御用)は香川県高松市庵治町の太鼓岩と言われてますし、尾張の御用の詳細は不明ですが、立ち寄ってはいないと思われます。一方、日月神示が降りる前、天明氏は桃太郎の絵を描いて生計を立てていた時期があったそうです。その意味では天明氏を助けた神様という事になります。

麻賀多神社縁起

ttp://www14.plala.or.jp/nikorobin/magataengi.html

何か十八社以上あるのは気にしないとして、小麻賀多神社(駒形神社)って何?

駒形神社

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/駒形神社

とはいっても小麻賀多神社の祭神は稚産霊神になっているようなので、やっぱり麻賀多神社なんだなと。

皇位

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/皇位

ところで、「あまのひつく」、「日嗣」という神名は、古代では「日嗣(ひつぎ)」が皇位と同義語であり、大本事件に巻き込まれた天明氏にとっては、大変危険な名前だったと言えます。一応官憲に対する配慮はあったのか、戦後の「雨の巻 第一帖」までは「日津久」表記でした。(例外は終戦十日前の「夜明けの巻 第九帖」で「天津日嗣皇尊大神」を称した。)実は「あまのひつぎ」で検索すると、こういうサイトもヒットするようになるのです。

あまのひつぎ

ttp://jmapps.ne.jp/kokugakuin/det.html?data_id=31655

郷社麻賀多神社。
●台方にあり祭神を稚産霊神となす。応神帝の朝印波国造伊都許利命の齋祀せる所なりという延喜式内神社の1つ。(中略)印旛沼畔に一大華表あり延歴2年9月勅使大伴家持卿始めて建立せる所なりと云う。爾来61年毎に建替を定例とする又郡内の一勝地なり。

以下、万葉百科 奈良県立万葉文化館 様

ttps://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/detail?cls=db_manyo&pkey=4089

巻18-4089 獨居幄裏、遥聞霍公鳥喧作歌一首〔并短歌〕

高御座天の日継と天皇の神の命の聞し食す国のまほらに山をしもさはに多みと百鳥の来居て鳴く声春されば聞きのかなしもいづれをか別きてしのはむ卯の花の咲く月立てばめづらしく鳴くほととぎすあやめぐさ玉貫くまでに昼暮らし夜渡し聞けど聞くごとに心つごきてうち嘆きあはれの鳥と言はぬ時なし

高御座にあって、天日をうけ嗣ぐものとして、天皇たる神の命がお治めになる国、この秀れた国土には山があちこちに多いので、いろいろな鳥がやって来て鳴く。その声は春になると聞いていてかわいいことよ。どの声がいいというのでもないが、中でも卯の花の咲く月になると、愛らしく鳴くほととぎすは、菖蒲草を薬玉に通す五月まで、昼は一日中、夜は一晩中聞いても聞くたびに心が動いて感嘆し、興尽きない鳥だといわない時はない。

ttps://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/detailLink?cls=db_manyo&pkey=4094

巻18-4094 賀陸奥國出金詔書歌一首〔并短歌〕

葦原の瑞穂の国を天降り領らしめしける皇御祖の神の命の御代重ね天の日嗣と領らし来る君の御代御代敷きませる四方の国には山川を広み厚みと奉る御調宝は数へ得ず尽しもかねつ然れどもわが大君の諸人を誘ひ給ひ善き事を始め給ひて黄金かもたしけくあらむと思ほして下悩ますに鶏が鳴く東の国の陸奥の小田なる山に黄金ありと申し給へれ御心を明らめ給ひ天地の神相誘なひ皇御祖の御霊助けて遠き代にかかりし事を朕が御代に顕はしてあれば食国は栄えむものと神ながら思ほしめして物部の八十伴の緒を服従の向けのまにまに老人も女童児も其が願ふ心足ひに撫で給ひ治め給へば此をしもあやに貴み嬉しけくいよよ思ひて大伴の遠つ神祖のその名をば大来目主と負ひ持ちて仕へし官海行かば水浸く屍山行かば草生す屍大君の辺にこそ死なめ顧みはせじと言立てますらをの清きその名を古よ今の現に流さへる祖の子等そ大伴と佐伯の氏は人の祖の立つる言立て人の子は祖の名絶たず大君に奉仕ふものと言ひ継げる言の官そ梓弓手に取り持ちて剣大刀腰に取り佩き朝守り夕の守りに大君の御門の守りわれをおきてまた人はあらじといや立て思ひし増る大君の御言の幸の/ [一は云はく、を]聞けば貴み[一は云はく、貴くしあれば]

葦がしげるみのり豊かなこの国土を、天から降ってお治めになった皇祖の神の御代を重ねて、天日を継承するものとして支配なさる天皇の御代御代に、統治なさる四方の国には、山や川が広く豊かなので、貢上する宝物は数えきれず尽くすこともできない。しかしながらわが大君は、多くの人々をさそってりっぱな事業をお始めになってから、黄金がたしかにあるだろうかとお考えになり、心を悩ませておいでだった。ところが鶏の鳴く東の方、陸奥の小田という山に黄金があると申しあげると、御心のふさぎをお晴らしになった。「天地の神々も尊いこととお思いなさり、皇祖の御魂も恩恵を施され、遠い昔にあった、こうした事を、またわが御代にもお見せくださったので、わが統治の国は繁栄するにちがいない」と、大君は神の御心にお考えになり、多くの廷臣たちを従え政治に向かわせる一方、老人も、女も子供も、その願いが心のままに満足するように安らかにさせ、治めなさる。そのことを私は、ふしぎに尊く嬉しいことと、ますます考える。大伴という、遠い祖先の名を大来目主として掲げもち、朝廷奉仕を役目として来た氏は「海に征けば水につかる屍、山に戦えば草のはえる屍。大君のかたわらに死のう。わが身をふりむくまい」と言立てをして、勇敢な男の清らかな名を昔から今の現実に伝えて来た末の一族であるよ。大伴・佐伯の両氏は、祖先の立てた言立てによって、子孫が祖先の名を絶やさず大君に奉仕するものと言い伝えて来た、そのことばどおりの役目の氏であるよ。梓の弓を手に握り持ち、剣太刀を腰に帯び「朝の守護・夜の守護に大君の御門の守護をするのには、自分以外に人がいまい」と、ますます心をふるい立たせ、気持は高ぶる。大君のおことばの幸いが〔一ハ云ワク、を〕、聞けば尊いので〔一ハ云ワク、尊く思われるので〕。

ttps://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/detail?cls=db_manyo&pkey=4098&dicCls=d_kanno&dicDataId=18&detaillnkIdx=0

巻18-4098 為幸行芳野離宮之時、儲作歌一首〔并短歌〕

高御座天の日継と天の下知らしめしける皇祖の神の命の恐くも始めたまひて貴くも定めたまへるみ吉野のこの大宮にあり通ひ見したまふらしもののふの八十伴の緒も己が負へる己が名負ふ負ふ大君の任けのまくまくこの川の絶ゆることなくこの山のいや継ぎ継ぎにかくしこそ仕へ奉らめいや遠長に

高御座にあって、天日を承けつぐものとして天下をお治めになった遠い天子が、畏れ多くも始めなさり貴くもお定めになったみ吉野のこの大宮に、わが大君は通いつづけて風景を御覧になるらしい。多くの廷臣たちも、それぞれがもつ氏の名にたえず背かず、大君の任命に応じつづけ、この川が絶えることのないように、この山が次々と重なるように、このようにお仕え申し上げよう。一層永遠に。

ttps://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/detail?cls=db_manyo&pkey=4254

巻19-4254 向京路上、依興預作侍宴應詔歌一首〔并短歌〕

あきづ島大和の国を天雲に磐船浮かべ艫に舳にま櫂しじ貫きい漕ぎつつ国見しせして天降りまし払ひ言向け千代重ねいや継ぎ継ぎに知らしける天の日継と神ながら我ご大君の天の下治めたまへばもののふの八十伴の緒を撫でたまひ整へたまひ食す国の四方の人をもあぶさはず恵みたまへば古ゆなかりし瑞度まねく申したまひぬ手抱きて事なき御代と天地日月と共に万代に記し継がむそやすみしし我ご大君秋の花しが色々に見したまひ明らめたまひ酒みづき栄ゆる今日のあやに貴

秋津島の大和の国を、天雲に磐船を浮かべ、船尾にも船首にも左右の櫂を一面に通して漕ぎながら国見をなさって地上にお降りになり、邪魔者を掃い従え、千代を重ねて一層次々と平定なさってきた天皇の御位にあって、神のままにわが大君が天下をお治めになると、廷臣の多くの者どもをいつくしみなさり、整備なさり、支配する国土のあらゆる人々をも残さずお恵みになるので、昔からなかった瑞祥が度々奏上されることだ。何もせず手を組んでいても太平な御代として、天地・日月と共に万代の後までも記録しつがれるだろう。八方を支配されるわが大君が、秋の花のさまさまな色どりを、それぞれに御覧になって御心を晴らす、酒宴が賑やかな今日の、ふしぎな貴さよ。

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巻20-4465 喩族歌一首〔并短歌〕

ひさかたの天の門開き高千穂の岳に天降りし皇祖の神の御代よりはじ弓を手握り持たし真鹿児矢を手挟み添へて大久米のますら健男を先に立て靫取り負ほせ山川を岩根さくみて踏み通り国求ぎしつつちはやぶる神を言向けまつろはぬ人をも和し掃き清め仕へ奉りてあきづ島大和の国の橿原の畝傍の宮に宮柱太知り立てて天の下知らしめしける天皇の天の日継と継ぎて来る君の御代御代隠さはぬ明き心を皇辺に極め尽くして仕へ来る祖の官と言立てて授けたまへる子孫のいや継ぎ継ぎに見る人の語り次てて聞く人の鑑にせむをあたらしき清きその名そおぼろかに心思ひて空言も祖の名絶つな大伴の氏と名に負へるますらをの伴

ひさかたの天の戸を開き、高千穂の嶺に天降った、天皇の祖先神の昔から、わが一族は櫨弓を手に握り持ち、真鹿児矢を脇にかかえて、大久米部の勇敢な男たちを先頭に立て、靱を背に山川の岩を踏み分け踏みくだいて国土を求めつつ、ちはやぶる神を平定し、反抗する人々も従え、邪悪なものを一掃して、お仕え申して来た。また、秋津島の大和の国の橿原の畝傍の宮に、宮殿の柱をりっぱに立てて天下を支配なさった皇祖の、それ以来の御位として引き継いで来た君の御代御代に、隠しへだてなく赤心を、天皇に向けて極め尽してお仕えして来た。そうした祖先代々の役目としてことばにあげて天皇が官をお授けになるわれら子孫は、一層次々と、見る人が語りつぎ聞く人が手本にするはずのものを。惜しむべき清らかなその名であるよ。あさはかに思慮して、かりそめにも祖先の名を絶やすな。大伴を氏の名にもつ大夫たちよ。

大伴宿禰家持

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巻20-4509 波布久受能多要受之努波牟於保吉美乃賣之思野邊尒波之米由布倍之母

延ふ葛の絶えず偲はむ大君の見しし野辺には標結ふべしも

蔓(つる)を伸ばす葛のように絶えずお慕いしよう。大君が御覧になった高円の野辺には標縄(しめなわ)を張っておくべきであるよ。

「一の鳥居」第0話のカット違いです。

大伴家持

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大伴馬来田

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/大伴馬来田

大伴吹負

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/大伴吹負

天武天皇の代には、弟の吹負が常道頭(常陸国の守)を務めたとあるので、兄の馬来田も馬来田を治めた可能性は高いです。従って家持の頃、大伴家は上総国から常陸国にかけて一定の影響力があった。伴氏神社の創祀が平安京遷都時(延暦13年/794年)とされているので、一の鳥居を寄進した当時は、大伴氏は祭祀する神社を持っていなかったと考えられます。

ただ一点、疑問が残ります。

第二十四話「夜明けの巻 第十二帖」

あら楽し、あなさやけ、元津御神の御光の、輝く御代ぞ近づけり。
岩戸開けたり野も山も、草の片葉も言止めて、大御光に寄り集う、誠の御代ぞ楽しけれ。
今一苦労二苦労、とことん苦労あるなれど、楽しき苦労ぞめでたけれ。
申、酉過ぎて戌の年、子の年 めでたけれ。
一二三の裏の御用する身魂も今に引き寄せるから、
その覚悟せよ。覚悟よいか。待ちに待ちにし秋来たぞ。

昭和20年8月7日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そおたはくめか、
うをえ、にさりへて、のます、あせえほれけ。

昭和20年8月8日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

夜中、散歩していたら「カサッ」と音がしたので見てみたら、どうやらカブトムシを蹴ってしまったらしく、ひっくり返って手足をジタバタさせていた。とりあえず踏まないで良かった。すまなかったなと思いつつ起こしてあげたが、8月と言うヤツは、余りにも「生と死」のギャップが激しい。私はセミの鳴き声を聞くのが好きなのですけど、そんな彼らは人生の大半を暗い土の中で過ごし、晴れて表に出てもその先、生きられるのは僅か数日間。そんな事を考えるのは日本に生まれた者というだけではなく、母親を19で、父親を37で亡くした事の方が大きいと思います。とりわけ母親の齢を過ぎた時の心境といったら…。

夜明けの巻 第十一帖

岩戸開きのはじめの幕 開いたばかりぞ。
今度はみづ逆さに戻るのだから、人民の力ばかりでは成就せんぞ。
奥の神界では済みているが、中の神界では今最中だぞ。
時待てと申してあろうが。人民 大変な取り違いしているぞ。
次の世の型 急ぐ急ぐ。

昭和20年8月6日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

神示読まないで、智や学でやろうとて、何もかも九分九厘で終局(厘止まり)ぞ。
我が我がが取れたらわかって来るぞ。慢心恐ろしいぞ。

昭和20年8月7日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

広島原爆投下翌日の神示です。上に挙げた第十一帖もそうですが、一帖が二日に渡って記述されているという珍しい神示でもあります。「待ちに待ちにし秋来たぞ」の「秋」は、「安芸国」を指しているというのが定説かと思います。この秋を「とき」と読ませておりますが、第十一帖の「時待て」や、第七帖の「時、来たぞ」がどのように記述されていたのか?という点はには大変興味があります。また、第十二帖で目を引くところは「申、酉過ぎて戌の年、子の年 めでたけれ」という記述。これは第十一話第二十三話で挙げた磐戸の巻 第十六帖の「子の歳真ん中にして前後十年が正念場、世の建て替えは水と火とだぞ」という記述の「建て替え」という部分を終末予言と結び付けている事に対する戒めが第十一帖の「大変な取り違いしているぞ」と思います。そうとはいえ、終戦までに解読されていた神示の少なさと、当時の切羽詰まった状況を考えるなら、そう思っても仕方がないように思えます。

五葉之巻 第十五帖

今に大き呼吸もできんことになると知らせてあろうが、その時来たぞ、
岩戸がひらけると言うことは
【半分のところは天界となることじゃ、天界の半分は地となることじゃ】、
今の肉体、今の理念、今の宗教、今の科学のままでは岩戸は開けんぞ、
今の肉体のままでは、人民は生きて行けんぞ、
一度は仮死の状態にして魂も肉体も、半分のところは入れ変えて、
ミロクの世の人民として よみがえらす仕組み、心得なされよ、
神様でさえ、このことわからん御方あるぞ、大地も転位、天も転位するぞ。

昭和36年9月1日(1961年 皇紀2621年 辛丑)

五葉之巻 第十六帖

マコトでもって洗濯すれば霊化される、半霊半物質の世界に移行するのであるから、
半霊半物の肉体とならねばならん、今のやり方ではどうにもならなくなるぞ、
今の世は灰にするより他に方法のないところがたくさんあるぞ、
灰になる肉体であってはならん、原爆も水爆もビクともしない肉体となれるのであるぞ、
今の物質で作った何物にも影響されない新しき生命が生まれつつあるのぞ。
岩戸ひらきとはこのことであるぞ、
少しくらいは人民つらいであろうなれど勇んでやりて下されよ、大弥栄の仕組み。

昭和36年9月1日(1961年 皇紀2621年 辛丑)

夜明けの巻 第十一帖で「今度はみづ逆さに戻るのだから」としている以上、これが、黄泉比良坂の岩戸明けに関連しているのは間違いないでしょう。しかも原爆投下のタイミングで言及した意味は、その事が原理を同じくするのではないかという「憶測」が成り立ちます(あえて憶測という言葉にしておきます)。ただし、ビキニ環礁どころかツァーリ・ボンバでさえも岩戸明けに至らしめられなかったのであるから、単純にそんなレベルでは無いです。現状、岩戸明けに至るプロセスは二点ほど考えられますが、それを口に出しても形を変えて現れてしまいますし、これらは既に顕在化してしまったので、仮に核兵器の全廃を為し得たとしても、異なるプロセスで起こる可能性があります。それは岡本天明伝[日月神示]夜明けの御用(黒川柚月氏/著)の273ページの[注2]の記述にもありますが、この事を説明するのは正直難しいのです。

だから第二話のような日食・月食予想など、予め確定している話を出す程度で、未来の話はもちろん、今日現在進行形の話ですらしないようにしているのです。経綸の邪魔はしたくないからです。だからと言って、私はこの経綸に納得しているわけではありません。第十六帖においては更に踏み込んで「半霊半物質の世界」とまで記述されているのですが、正直、私はそのような世界を望んではいないのです。私の経綸の解釈が間違いであって欲しいとさえ思っているのですが。これには子供の頃に「さよなら銀河鉄道999・アンドロメダ終着駅」という作品に触れた事が大きく影響しています。

銀河鉄道999 (アニメ)

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/銀河鉄道999_(アニメ)

漫画版か、TV版か、劇場版か、というのはあるんですけど、私はTV版の第一話から見ていた事から、最初の劇場版の鉄郎のデザイン変更に違和感を感じたものの、見終わってみると大好きな作品になりました。まだ少年キングを手軽に買えるほどの年齢では無かったので、漫画版を見たのは、単行本が発売されて友人が買ったのを見せてもらってからです。さよなら銀河鉄道999・アンドロメダ終着駅は、1981年夏に公開されたのですが、私が見たのは公開時ではなく、アンコール公開された時です。何故かというと、この頃は既に「鉄」への興味も薄れていた事に加え、ガンダムに毒されていたからです、どうでもいい事ですが。

作者である松本零士氏は、1981年9月の原作終了と同年夏公開『さよなら銀河鉄道999・アンドロメダ終着駅』を以って本作は完結、それを無理につなげて創作するのは「デッチあげ」であってもう2度と作らないとしていたのですが、後の1996年、「エターナル編」がスタートしています。令和5年(2023年)2月13日、松本零士氏は85歳で亡くなりました。進駐軍兵士がばら撒くキャンディーなどを「食べたくて仕方なかったが全部下駄で踏みつけて潰した」というエピソードが残る筋の通った方でもあったようです。先生の言うように、『さよなら銀河鉄道999・アンドロメダ終着駅』は、物語の流れからしても完結編のように思えます。Wikiにも書かれているように、本作は「生きるとは何か」「永遠に生きることは果たして本当に幸せなのか」といった人生観の模索こそが大きなテーマである事は明白にされています。

白銀の巻 第一帖

「天地のことわり書き知らすぞ」この巻しろかねの巻。
天国じゃ、地獄じゃ、浄土じゃ、穢土じゃと申しているが、そんな分けへだてはないのであるぞ。
時、所、位に応じて色々に説き聞かせてあるのじゃが、
時節到来したので、まことの天地のことわりを書き知らすぞ。
三千の世界の中の一つがそなたたちの世界であるぞ。
この世もまた三千に分かれ、更に五千に分かれているぞ。このほう五千の山にまつれと申してあろう。
今の人民の知り得る世界はその中の八つであるぞ。人民のタネによっては七つしかわからんのであるぞ。
日の光を七つと思うているが、八であり、九であり、十であるぞ。
人民では六つか七つにしか分けられまいが、岩戸がひらけると更に九、十となるぞ。
「隠してある一厘の仕組み、九十の経綸、成就した暁には何も彼もわかる」と申してあろうが。
八つの世界とは、
、△、▽、ア、オ、ウ、エ、イであるぞ。
八は固、七は液、六は気、五はキ、四は霊の固、三は霊の液、二は霊の気、一は霊のキ、と考えてよいのじゃ。
キとは気の気であるぞ。その他に逆の力があるぞ。九と十であるぞ。
その上にまた霊の霊の個から始まっているのであるが、それはムの世界、無限の世界と心得よ。
霊界に入って行けば、その一部は知れるなれど、皆ただちにはわからないのであるぞ。
わからんことはわからんと、わからねばならんと申してあろうがな。
天、息吹けば、地、息吹くと申してあろう。このことよくわきまえよ。
地の規則、天の規則となることあると申して知らせてあろう。この大切こと忘れるでないぞ。
おもいの世界が天ぞ。にくの世界が地ぞ。おもいは肉体と一つぞ。二つぞ。三つぞ。
おもい起こって肉体動くぞ。肉体動いておもい動くこともあるぞ。
生まれ赤児の心になって聞いて下されよ。何も彼も、ハッキリうつるぞ。
陰と陽、右と左、上と下、前と後、男と女と考えているなれど、
タカミムスビとカミムスビと考えているなれど、別のミナカヌシ、現れるぞ。
、⊕、、卍、卐、+、+、よく見て下されよ。
一であり、二であり、三であろうがな。三が道と申してあろう。陰陽二元でないぞ。三元ぞ。三つであるぞ。
ゝなくてはならん。ゝにもかくれたゝと現れたゝとがあるぞ。このことまず心得て下されよ。
そなたたちは父と母と二人から生まれ出たのか。そうではあるまいがな。
三人から生まれ出ていることわかるであろうがな。どの世界にも人が住んでいるのであるぞ。
の中にがあり、その中にまたがあり、限りないのだと知らせてあろうが。
そなたたちの中にまた人がいて限りないのじゃ。このほう人民の中にいると知らせてあろうがな。
そなたたちも八人、十人の人によって生きているのぞ。また十二人でもあるぞ。
守護神と申すのは心のそなたたちのことであるが、段々変わるのであるぞ。
自分と自分と和合せよと申すのは、八人十人のそなたたちが和合することぞ。
それを改心と申すのだぞ。和合した姿を善と申すのじゃ。
今までの宗教は肉体を悪と申し、心を善と申して、肉体をおろそかにしていたが、
それが間違いであること合点か。一切がよいのじゃということ合点か。地獄ないこと合点か。
悪抱き参らせよと申してあること、これで合点か。合点じゃなぁ。
各々の世界の人がその世界の神であるぞ。この世ではそなたたちが神であるぞ。
あの世では、そなたたちの心を肉体としての人がいるのであるぞ。それがカミと申しているものぞ。
あの世の人をこの世から見ると神であるが、その上から見ると人であるぞ。
あの世の上の世では神の心を肉体として神がいますのであって限りないのであるぞ。
裏から申せば、神様の神様は人間様じゃ。心の守護神は肉体じゃと申してあろうがな。
肉体が心を守っているのであるが、じゃと申して肉体が主人顔してはならんぞ。
どこまでも下に従うのじゃ。順乱すと悪となるぞ。生まれ赤児踏み越え、生まれ赤児になって聞いて下されよ。
そなたたちの本尊は八枚十枚の衣着ているのじゃ。死ということは、その衣、上から脱ぐことじゃ。
ぬぐと中から出て来て また八枚十枚の衣つけるようになっているのじゃ。
わかるように申しているのじゃぞ。取り違いせんようにせよ。
天から気が地に降って、ものが生命し、その地の生命の気がまた天に反影するのであるが、
まだまだ地には凸凹があるから気が天にかえらずに横にそれることあるぞ。
その横の気の世界を幽界と申すのじゃ。幽界は地で曲げられた気の作り出したところじゃ。
地獄でないぞ。

昭和24年12月14日(1949年 皇紀2609年 己丑)

黄金の巻 第二十九帖

二二の盗み合い、世の乱れ。
心して怪しいと思うことは、たとえ神の言葉と申しても一応は考えよ。
神の言葉でも裏表の見境なく唯に信じてはならん。審神者せよ。
薬、毒となることもあると申してあろうが。馬鹿正直、まことの道 見失うことあると申してあろうが。
道は易し、楽し。楽しくないのは道ではないぞ。奉仕ではないぞ。
世界に呼びかける前に日本に呼びかけよ。目醒まさねばならんのじゃ。それが順序と申すもの。
神示で知らせてあろうが。ここは種作るところ、種は人民で作れんぞ。
神の申すよう、神の息、いただいて下されよ。
天の道、地の道、天地の道あるぞ。人の道あるぞ。何も彼も道あるぞ。道に外れたもの外道じゃぞ。
道は一筋ぞ。二筋ぞ。三筋ぞ。曲がっているぞ。真っ直ぐであるぞ。
心得なされ。節分から
オーヒツキオーカミ)と現れるぞ。讃えまつれ。
三年の大ぐれ。

昭和24年11月27日(1949年 皇紀2609年 己丑)

私が日月神示のブログを始めたのは「たとえ神の言葉と申しても一応は考えよ」という一文あってなのです。だから本ブログ冒頭に載せているのです。従ってその言葉故に思うところを書きました。

原子爆弾投下の日に。