第十五話「光の巻 第六帖」

今に世界の臣民人民 誰にもわからんようになりて上げも下しもならんことになりて来て、
これは人民の頭や力でやっているのではないのだということハッキリして来るのだぞ。
どこの国、どんな人民も「なるほどナァ」と得心の行くまで揺すぶるのであるぞ。
今度は根本の天の御先祖様の御霊統と根元のお地の御先祖様の御霊統とが一つになりなされて、
スメラ神国とユツタ(ユダヤ)神国と一つになりなされて末代動かん光の世と、
影のない光の世と致すのじゃ、
今の臣民には見当取れん光の世とするのじゃ、光りて輝く御代ぞ楽しけれ。
悪い者殺してしまって 良い者ばかりにすれば、善き世が来るとでも思うているのか、
肉体いくら殺しても魂までは、人民の力ではどうにもならんであろうがな。
元の霊まで改心させねば、今度の岩戸開けんのじゃぞ、
元の霊に改心させずに肉体ばかりで、目に見える世界ばかりで、
理屈で良くしようとてできはせんぞ、それくらいわかっておろうが、
わかっておりながら他に道ないと、仕方ないと手つけずにいるが、
悪に魅入られているのじゃぞ、悪は改心早いぞ、
悪神も助けなければならんぞ、霊から改心させなければならんぞ、
善も悪も一つじゃ 霊も身も一つじゃ、天地じゃとくどう知らせてあろうが。
どんな良いこと喜ばせて知らせても、聞かせても、今の臣民人民 中々言うこと聞かんものじゃぞ。
この道に縁ある者だけで型出せよ、カタで良いのじゃぞ。

昭和21年6月30日(1946年 皇紀2606年 丙戌)

実は私、当初はこの訳文を疑っていました。「ユツタ(ユダヤ)神国と…」というくだりだけなのですけどね。「ユツタ 語源」でググると、日月神示が書かれたサイトが殆どなのですが、「比丘尼品詣経ビックウニーサム(?)ユツタ」という記述が一点、そして…。

アインとその郊地ユツタとその郊地ベテシメシとその郊地此九の邑は此ふたつの支派の中より分ちしものなり

旧約聖書「ヨシュア記」21:16

ユツタ(Juttah)ユダの山地にありしレビ人の市邑なり

WEBヘボン聖書辞典

ttp://www.babelbible.net/hepburn/hepburn.cgi?mode=right&page=539

Juttah

ttps://en.wikipedia.org/wiki/Juttah

Yatta, Hebron

ttps://en.wikipedia.org/wiki/Yatta,_Hebron

この事さえ気が付かなければ、この神示を話題にすることは無かったと思います。(英語表記で)「Yata」?日ユ同祖論に首突っ込みたくないというのに。

八咫烏

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/八咫烏

ワタリガラス

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/ワタリガラス

リンクだらけですみません。八咫烏は神武東征の際、熊野国から大和国への道案内をしたとされる導きの神様として知られておりますが、同じような話が海外にもあるのです。

星野道夫「ワタリガラスの神話」より
ワタリガラスがこの世界に森をつくった時
生き物たちはまだたましいをもっていなかった。
人々は森の中に座りどうしていいのかわからなかった。
木は成長せず動物たちも魚たちもじっと動くことはなかった
ワタリガラスが浜辺を歩いていると
海の中から大きな火の玉が上がってきた。
ワタリガラスはじっと見つめていた。
すると一人の若者が浜辺の向こうからやって来た。
彼の嘴は素晴らしく長くそれは一羽のタカだった。
「力を貸してくれ」
通り過ぎてゆくタカにワタリガラスは聞いた。
あの火の玉が消えぬうちに
その炎を手に入れなければならなかった。
若者は地上を離れワタリガラスに
言われた通りに炎を手に入れると
ものすごい速さで飛び続けた。
炎が嘴を焼きすでに顔まで迫っていた
若者はその熱さに泣き叫んでいたのだ。
ワタリガラスは言った。
「人々のために苦しむのだ。
この世を救うために炎を持ち帰るのだ」
やがて若者の顔は炎に包まれ始めた
ついに戻ってくるとその炎を
地上へ崖へ川の中に投げ入れた。
その時すべての動物たち
鳥たち魚たちはたましいを得て動きだし、
森の木々も伸びていった・・・・・・・。
日本神話にも登場するヤタガラス(八咫烏)も
ワタリガラスではないかと言われています。

ワタリガラスの神話 – 空想地球旅行

ttps://walkthrough-the-earth.com/2010/11/07/ワタリガラスの神話/

下のリンク先の話もすごいです。

ワタリガラスがこの世界にどのようにして光をもたらしたのか HiroAOKI

ttps://note.com/aoki_hirofumi/n/n8fa24b518b1f

レビ族は祭司の一族であり、ヤコブの12人の子供の1人ではあるが、所謂イスラエルの十二支族には数えられていないのです。は?と思われるかもしれませんが、ヤコブは4人も妻がおり(…)、ラバンの娘レアの子 – ルベンシメオン、レビ、ユダイッサカルゼブルン、一人娘であるディナ、ラケルの下女ビルハの子 – ダンナフタリ、レアの下女ジルパの子 – ガドアシェル、レアの妹ラケルの子 – ヨセフ、ベニヤミンの12人兄弟と1人娘なのですが、更にヨセフの息子エフライムマナセを加えて、ヨセフ当人とレビ、ディナを除いた子の子孫を「イスラエルの十二支族」、新アッシリア王国にイスラエル王国(北王国/基本的にユダ族とベンヤミン族以外)が占領され、ユダ王国(南王国/基本的にユダ族とベンヤミン族)までもが捕虜として連れ去られた事件を「アッシリア捕囚」と言い、「イスラエルの失われた10支族」とは北王国滅亡に伴って行方が知られていない10部族(ルベン族、シメオン族、ダン族、ナフタリ族、ガド族、アシェル族、イッサカル族、ゼブルン族、マナセ族、エフライム族)の事を指します。その後、新バビロニアにユダ王国国民をバビロンに強制移住させた事件を「バビロン捕囚」と言い事態は更に悪化します。。その新バビロニアを征服したのがアケメネス朝ペルシア帝国のキュロス2世です。紀元前538年または紀元前537年の「キュロスの勅令」により、バビロン捕囚にあったユダヤ人をはじめ、バビロニアにより強制移住させられた諸民族が解放されました。旧約聖書においてもユダヤ人を解放する唯一の非ユダヤ人メシア(救世主)であると(イザヤ書45章1節)評されています。西暦前537年初めごろにキュロス2世は、イスラエル人がエルサレムに帰還して神殿を再建する許可を出し、総督ゼルバベルと大祭司エシュアに導かれた4万2,360人の「流刑囚の子ら」に加えて、7,537人の奴隷や歌うたいたちが約4か月の旅を経てエルサレムに帰還したそうです。随分と少ない数ですが、おそらくこの段階までに部族の同化がかなり進んでいたとは想像できます。またアッシリア捕囚の際にサマリア等の他地域に移住、現地で同化を果たしたユダヤ人もいるので、当時の捕囚中の身にありながら、「イスラエルの失われた10支族」どころかイスラエルの十二「支族のアイデンティティー」を自覚し続けたユダヤ人がどれだけ残っていたのかは少々疑問です。もちろん、「バビロン捕囚」時代においては「後のユダヤ人としてのアイデンティティー」の確立を果たした事に何の疑いも持ちませんが、一方で支族のアイデンティティーまで維持できる環境、状態であったかどうか。実際「バビロン捕囚から帰還後は、多数派であるユダ族と、祭司の役目を任されたレビ族以外は各部族としてのアイデンティティーを失って、概ねユダ族に同化されたと考えられており、「ユダヤ人」「レビ人」という言い方は残っているが他の部族の呼称が出てこなくなる。」という話も聞きます。後の世において「ユダヤ人のディアスポラ」と言うものの、「イスラエルの失われた10支族」と言うのは、事実上「バビロン捕囚」時代までに名実ともに失われているのだと思います。

カナン

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/カナン

紀元前4400年頃には、ヨルダン渓谷東部にガスリアン文化が起こり、青銅器時代前期のレバント南部にはエン・エスルやメギドといった都市が繁栄し、この地域に住んでいた人々が「原カナン人」とされております。シュメール人の都市マリの紀元前18世紀の残骸で発見された文書では、既に政治的な共同体として確認されているそうです。一方でヨルダン川東岸の山岳地帯からカナン地方に進出してきたとされるイスラエル人達の出自は今のところよくわかっていません。シュメールの古代都市「ウル」だとするのが定説のようですが、紀元前14世紀頃のエジプトの文書からは、「アピル」と呼ばれる集団がパレスチナ(カナン)で略奪行動を行っていた事が確認されており、紀元前1207年の出来事を記したエジプトのイスラエル石碑には「イスラエル」という言葉が記述されているので紀元前1207年までにはイスラエルを名乗る集団、政治的な共同体の存在が伺えます。

前1200年のカタストロフ

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/前1200年のカタストロフ

ヒッタイトは紀元前1680年頃に起こったヒッタイト古王国、紀元前1500年頃に成立したヒッタイト中王国(雑な名前ですね)、紀元前1430年頃に成立したヒッタイト新王国がありますが、紀元前1190年頃には民族分類が不明の地中海諸地域の諸種族混成集団と見られる「海の民」によって滅ぼされたとされているものの。その実態は王国の末期に起こった3代におよぶ内紛が深刻な食糧難などを招き、国を維持するだけの力自体が既に失われていたことが明らかになっています。当時、鉄器の生産技術はヒッタイトの専売特許でした。まぁ特許なんてないですが。この技術がヒッタイトの崩壊に伴って周辺諸国に流出、青銅器時代は終焉を迎え、鉄器時代が始まる事となりました。

ところで上のヒッタイトの地図の下に「Byblos」という地名が見えますが、これは現在ベイルートの北にある「ビブロス」だと思います。横にキプロス島が見えるので。タイミング的には「ヒッタイトからの難民がカナンの地を襲った」という図も想像出来なくはないです。少なくともエジプトやシュメールのウルから歩いてくるよりもずっとイスラエルに近いですから。そして内陸、現在のシリアやイラク、イランには(先述のアッシリア捕囚の)アッシリアがありました。その南にダマスカスがあるのですが、イスラエルが建国される地域を抑える事が出来たのは「ソドムとゴモラ」にまつわる話のおかげかも知れません。

ソドムとゴモラ

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/ソドムとゴモラ

2005年から行われているヨルダンの死海周辺にある古代都市遺跡タル・エル・ハマムの発掘調査により、紀元前1650年ごろに隕石の空中爆発によって広範囲が破壊されたという研究結果が発表された。この隕石爆発は、史上最大級とされるツングースカ大爆発を遥かに上回る、広島型原爆の1000倍以上のエネルギーであったと推定され、通常の自然では考えられないほどのその高熱や衝撃の証拠となる遺物が多数発見されており、その分布も爆風に起因する一貫した方向性が見られる。また、この「破壊層」は、その高熱と衝撃により死海から撒き散らされ、その後600年にも渡って周辺地域一帯が無人の放棄状態とされた原因と考えられる高濃度の塩分が特徴的であり、この際の塩害と「ロトの妻が塩の柱になった」というエピソードには関連性が窺われる。研究チームは、この史実が天からの硫黄と火による都市滅亡の伝承につながった可能性があるとしている。この研究については疑問点を指摘する論者や否定的な見解を示す論者もいる

タル・エル・ハマムは、下の地図、死海北部の町エリコ(現在のイェリコ)から見てヨルダン川東側、現在のヨルダン領Ar-Rawdaにあります。ソドムとゴモラが何処にあったかは諸説あるようですが、概ね死海周辺だと見られております。だとすると当然ながら、カナンの人たちはこの出来事を目撃しているのだと思われます。

古代イスラエル

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/古代イスラエル

旧約聖書の中でも大事件として扱われるのが、モーセのエジプト脱走である。それによれば、ヤコブの子のヨセフの時代にイスラエル人はエジプトに移住し、エジプト王の厚遇を得て栄えたが、王朝が代わって迫害が始まり、イスラエル人たちはモーセに率いられてエジプトを脱走し、40年間荒野を放浪して約束の地であるカナンに辿りついたというものである。

出エジプトの話が問題なのは、文書資料が豊富なエジプト側には一切の記録が無い事です。「60万人という大規模な脱走事件が起きた(出エジプト12:37、民数記1:46)ことは想定し難く、ごく少数者の脱走事件であったのだろうと推定されている」なんて書かれておりますが、配慮にしか見えません。上で「アピル」と呼ばれる集団がパレスチナ(カナン)で略奪行動を行っていたというのはエジプト側の文章で確認されており、これを旧約聖書のヨシュア記と士師記に当てはめるとタイミング的にはドンピシャリです。

聖絶

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/聖絶

畑や家畜などを聖絶として神に捧げた場合は、それを売ることも買いもどすこともできないものとして完全に神に捧げ尽くさなければならず(レビ記27:28)、そのようにして捧げられたものは祭司のものとなった(レビ記27:21、民数記18:14)。ただ、その捧げ物が人間であった場合は必ず殺されなければならなかった(レビ記27:29)。

イスラエルに敵対する異民族に対して聖絶が用いられる時は、「神への奉納物として、異教の神を拝むものとそれに関連する事物をことごとく滅ぼし尽くす」こと、全ての戦利品を滅却することを意味した[5]。すなわち、聖絶の対象とされた敵対異民族は全員が剣で殺され、また家畜も含め生けるものは全て殺戮された。また、通常の戦闘では許される女子どもの捕虜も、また家畜などの戦利品も、聖絶においては自分たちの所有物とすることは許されず、全てが神への捧げ物とされなければならなかった。さらに、それ以外の剣でもって滅ぼせないものは火をもって焼き尽くされ、また、燃やすことの出来ない金銀財宝などは神殿の奉納倉へ納めて、「呪われた汚らわしきもの」として民衆の手からは隔離されなければならなかった。そして、聖絶のものを私物した者は、神の怒りに触れるものとして、罰として処刑された。聖書はその理由として、イスラエルに聖なる生き方をさせて、彼らが先住民の宗教からの誘惑に負けて神に対して罪を犯さないためであるとする(申命記7:1-6、20:16-18)

なお、今日の「聖絶」は大きく分けて少なくとも三度目であり、二度目は第二次世界大戦でナチスを利用した「シオニスト共によるパレスチナ乗っ取りによる今日のイスラエル建国」に伴う戦争である事は最早疑いようもありません。

世界史のタブーである東洋系(オリエンタル)ユダヤ人と白人系ユダヤ人のルーツ

ttp://inri.client.jp/hexagon/floorA1F/a1f1000.html#02

7世紀頃、コーカサスからカスピ海北岸に、総人口が100万の「ハザール王国」という巨大王国が存在していた。住民はトルコ系白人(コーカソイド)で、商人・職人・武人として優れていたが、周囲の国とは違ってこれといった宗教を持っていなかった。不運なことに、キリスト教を国教とする東ローマ帝国(ビザンチン帝国)と、イスラム教を国教とするイスラム帝国は、ハザール王国をはさむ形で政治的にも宗教的にも対立していた。そのためハザール王国は次第に両国の「宗教的な干渉」を受けるようになり、どちらの宗教に改宗しても国全体が戦火に巻き込まれるのは必至という状況に陥った。ふつう国が瀕死の状態になった時には、どちらか強い方の勢力を選んでしかるべきだが、ハザール王国のオバデア王はこともあろうに国民まとめてユダヤ教に改宗させてしまったのである。~現在、世界中に散らばっている“ユダヤ人”と呼ばれている人間の90%以上が、本来のヘブライ人とは全く関係のない異民族ということになってしまうが、これは恐るべき事実である。」

結局のところハザール王国は、現在のロシアのルーツ、キエフ大公国(キエフ・ルーシ)や東ローマ帝国、新たに台頭してきたモンゴル帝国の攻撃を受け、12世紀前後に滅亡してしまったのですが、結果ロシアは「この毒を飲んだせいで」のちに共産革命を起こされてソビエト連邦と化し、今日のウクライナ問題にまで至る禍根を引き起こされる羽目になりました。(第八話「日の出の巻 第七帖」のジェイコブ・シフ(ユダヤ人)は、帝政ロシア打倒のためにウラジーミル・レーニン(少なくとも母方がユダヤ系)やレフ・トロツキー(ユダヤ人)のグループに対して資金を提供し、ロシア革命を支援しており、その経緯はユダヤ人のシンジケート無しにはとても考えられない)今日主にアメリカやヨーロッパが抱えている「病巣」を見ても(ハザール/アシュケナージ)、古代イスラエルの成り立ちから見ても(セファルディ)、大差ない事が分かります。

古代カナン人のDNAを現代アラブ人とユダヤ人が継承

ttps://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/060100328/

元ソ連外交官が語る「ロシア-ユダヤ闘争史」の全貌

ttp://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhb500.html

旧ソ連時代、駐日ソ連大使館に勤務する外交官だったアレキサンドル・イワノフ氏が1993年夏に日本を訪問した際の講演内容です。必見です。

梅の巻 第二十一帖

身欲信心スコタンばかり、天津日嗣の御位は幾千代かけて変わらんぞ、
日の大神様、月の大神様、地の大神様、御血統弥栄弥栄ぞ。
日本の人民アフンとするぞ、皆それぞれのゆかりの集団にゝ入れよ、
神示ひふみ(一二三)となるぞ、
天明(岡本天明)は画家となれ、絵描いて皆にやれよ、弥栄となるぞ、やさかいやさか。
今度はキリスト教も仏教も何もかも生かさならんのぞ。
早くからこの方の元へ来ていても因縁あっても肝腎がわからんと後戻りばかりじゃ、
肝腎肝腎じゃ、学もよいが、それはそれのようなものじゃぞ、
途中からの神は途中からの神、途中からの教えは途中からの教え、
今度の御用は元のキの道だぞ、世の元からの神でないとわからんぞ、できはせんぞ、
生まれ赤児の心とは途中からの心、教え、すっかり捨ててしまえということだぞ。

昭和21年12月14日(1946年 皇紀2606年 丙戌)

岡本天明伝[日月神示]夜明けの御用(黒川柚月氏/著)に昭和21年、高田集蔵氏が「雨の巻」の解釈を聖書のノアの洪水になぞらえた解釈を発表した事から研究会が紛糾した話が記述されています。笠井鎮夫氏が「神の姿は長物」即ち龍体であると述べたところ、小川源之助氏は龍の存在を信じず、先の高田氏が「独一真神を信じる者は龍神なんかに媚びる必要はない」と反論したそうですが、私の推測ですけど、これらの発言を受けての神示がこの「梅の巻 第二十一帖」だと思うのです。正直戦後の神示に微妙な傾向の違いを感じておられる方もいらっしゃると思いますが、戦争が終わった故に個人の主観、宗教観がより大きく出てしまっているように感じます。高田氏は昭和25年頃ひかり教会から離れることになるのですが、天明氏の周りがだんだん宗教的になるのに嫌気がさしたそうです。「ニニふじは晴れたり日本晴れ」を読み解いた功労者でもある故、批判したくはないのですが、宗教色を持ち込んだのは誰だったのでしょうか?とも思う。

どうしてこんな事を書いたのかと言うと、神示の解釈自体は大筋では間違っていないと思うのですけど、冒頭の光の巻 第六帖の「ユツタ(ユダヤ)神国~」という解読自体ホントに正しいのか?疑問が生じたからです。お「釈迦」様やイエス「キリスト」の名前はたびたび上がる、マハメット、孔子もあった、じゃあモーセは?ヤハウェは?「石屋」という表記はあるけどダイレクトに「ユダヤ」と言った事もないはず。戦時中ならいざ知らず、戦後の神示で「ユツタ」というわかりにくい言い方をする必要があったのか疑問が残ります。もちろん実際にレビ族や八咫烏を指している可能性が無いわけではありませんが、ここだけ「ユツタ」と言われても正直釈然としないところがあります。もっとも原文見られないんで何とも言えないのですけど。そしてもっとも原文を見ても理解できないというところまでがデフォ(・ω・`*)ショボン …

光の巻 第七帖

アは元のキの神の子ぞ。ヤとワは渡って来た神の子ぞ。㋳㋻は渡って来る神の子だぞ。
十の流れ、十二の流れと今にわかる時来るぞ、
三ッ巴現れるぞ、メリカ、キリスも、オロシヤも、世界一つに丸めて一つの王で治めるのじゃぞ、
外国人も神の目からはないのだぞ。今一戦あるぞ。早う目覚めて、毛嫌い致さず、仲良く御用結構ぞ。
竜宮の音秘殿、岩の神殿、荒れの神殿、
世界のカタハシからいよいよに取り掛かりなされているのだから、
世界のできごと気つけて、早う改心結構ぞ。
(す)と二(ふ)と四(よ)との大き戦あると知らしてありたが
一旦は二(ふ)と四(よ)の天下になる所まで落ち込むぞ、行く所まで行きて、
ナのミタマとノのミタマの和合一致できてからスのミタマが天下統一、世界一平となるのじゃぞ。
いよいよ大峠 取り上げにかかるのだぞ。

昭和21年7月19日(1946年 皇紀2606年 丙戌)

アヤワ㋳㋻が五十九柱というのは、第五話「梅の巻 第十九帖」で述べました。一方でダブルミーニングはあると思うし、あるはずです。(す)と二(ふ)と四(よ)とか「ナのミタマとノのミタマの和合一致できてからスのミタマが天下統一」というのは、現世に対象が存在するはずというのは神示にある通りです。「十の流れ」というのはおそらく「アからワに至る五十音の横」、「十二の流れ」が㋳と㋻を足した数だと思います。この神示に気が付くまで「ニニふじ」=「宮」=干支の「十干」「十二支」とばっかり思っていましたが、あるいはその両方、現世の事があるから更にもう一つ、トリプルミーニングか。

月光の巻 第十六帖

五十九柱と申してあるが、その中の九柱は隠れた柱じゃ。
㋳㋑㋴㋓㋵㋻㋼㋽㋾ぞ。㊀㊁㊂㊃㊄㊅㊆㊇㊈ぞ。この九柱は◯ぞ。
心得なされよ。現れの五十柱のかげの、隠れた九柱、心して大切申せよ。
まっすぐに真上に神をいただくと申すことは、上ばかりではないぞ。
真下にも横にも前後にも立体三六◯度に まっすぐに神を頂かねばならんということぞ。
神人交流の第一歩。

昭和34年1月3日(1959年 皇紀2619年 己亥)

ただ「㋳㋻は渡って来る神の子」であって、「現れの五十柱のかげの、隠れた九柱」である以上、イスラエルの十二支族に見立てるのって(雨の巻 第一帖とか)、やっぱり違うような気がするのです。文脈からして「イスラ」ではなく、「五十連いつら」ではないかと思うのですが。

殆ど解決になってませんが、今日はこの辺で。

第十四話「春の巻 第五帖」

人民 栄えて行くことは、神、弥栄のことぞ。
神も人民も、世界も、宇宙も、すべていつまでも未完成ぞ。
神様でも大神様はわからんのであるぞ。
ただ、喜びに向かってひたすらに進んで行けばよいのであるぞ。
正しき喜びを先ず見極めよ。見極めてひたすらに進めばよいのじゃ。
食物を食べるのも喜びであるぞ。
正しき食物 正しく食べよ。更に喜び増えて弥栄えるのじゃ。
自分の喜びを進め進めて天国へ入ることできるのじゃ。
悪い食物 悪く食べるから悪くなるのじゃ。
目に見える食物ばかりでないぞ。何もかも同様ぞ。
人民は喜びの子と申してあろう。罪の子でないぞ。
嬉し嬉しの道あるのに、なぜ歩まんのじゃ。

昭和27年2月3日(1952年 皇紀2612年 壬辰)

第十二話、第十三話の中で食べ物についてあれこれお話してきたのですけど、「やっぱり、あれ食べたい、これ食べたい」というのあると思うのです。「日月神示+食べ物」で検索するのは、食べちゃダメな物探し+鳥は良いのか、魚はどうだって思うのですが。魚については第十二話「空の巻 第八帖①」の「竜宮の乙姫殿とは 玉依姫」…?のエピソードでも触れましたが、海神(大綿津見神)が魚を集めた、という話から、やっぱり良い話では無さそうに見えます。その一方で、天明氏や出口王仁三郎氏も魚食べてますし…という微妙な話でもあります。あ、国譲りの話に出て来る事代主神も美保ヶ崎にて漁をしておられたようです。(抜け道探す探す)あ、その事代主神、鶏がNGです。(Wikiの鶏伝説参照)そしてニワトリはお伊勢様、つまり天照大御神の神使(しんし、みさき)という事で、代わりに鳩を食べていた時代もあったらしいですが、それもどうかと。鳥肉には違いないですし。

しかしながら、この料理を食べたい、というのであれば、代替え材料で何とか再現してみたいというもの。神様も「食物を食べるのも喜びであるぞ。」って言っておられますでしょう?本来なら家で実際に作ったのを写真のっけて、というのが筋なんでしょうけど、料理得意ってわけではないですし、それ以前にうちの台所、極めて汚いからNG。(先に掃除してから言えよ!)

水炊きを食べて、〆や翌日の「おじや」や「うどん」をおいしく頂いている方は大勢いらっしゃるでしょう?それは、この出汁を使った料理がおいしいからこそです。白菜とネギと厚揚げを基本の大根おろしと醤油とか、タレに凝っても良し、残った汁は翌日以降のだしにもなります。(こんな暑くなってからそれ言うか?)いくら暑いからって体を冷やす一方ではどうかと。汗もかきませんとね。後、話題に出したかったのは「ゴールデンカレーには動物性原材料不使用」を見つけた事。(あえてリンクはしませんが)うちの近くのスーパーじゃ売ってないのが残念なところ。で、肉の代わりにマイタケ入れてます。代替え肉はイヤだし。調味料は醤油(もしくはめんつゆ)、にんにく、いりごま、しょうが、インスタントコーヒー、乾燥シイタケ、砕いたフライドアーモンド(入れない場合も)とか。ご飯炊いてる間ずっとカレー煮込んでます。炊飯器のスイッチ入れて、即人参とジャガイモとルー鍋に入れて、マイタケはソテー。私的には、この三つが完全に火が通っているか、否かが勝負だと思っております。あ、フライドアーモンドは炒めずに煮込んだだけだと、妙な甘さが出ます。逆に炒めておくと香ばしさが出ます。これはアーモンドバターみたいなロジックでしょうか。

こういう話すると、スーパーのお惣菜の是非、ってなるのですけど、私は未だにスーパーのナムルや高菜とか食べてます。これでも肉食べてた時より、髪の毛黒くなったし、手のしわが無くなりましたし、便秘もしなくなりました。

令和4年3月31日で経過措置期間が終了し、全ての加工食品に原材料の産地の表示が必要です!

ttps://www.pref.niigata.lg.jp/site/syokuhin/0421673.html

問題は何故「国産100%」なんて表示をして良いのか、何故こんな法律を作ったのか?です。答えは簡単。国ぐるみで「詐欺という」犯罪行為をしているからです。遺伝子組み換えって書いたら売れなくなるし。

五葉之巻 第十三帖

悪を食って暮らさねばならん時近づいたぞ、
悪に食われんように、悪を噛んで、よく消化し、浄化して下されよ、
悪は善の仮面をかぶっていること多いぞ、
だが悪も大神の中に生まれたものであることを知らねばならん。
ダマシたいものには ひとまずダマサレてやれよ。
ダマサレまいとするからダマサレるのであるぞ。
生命の樹の実は美しくおいしいぞ、食べてはならんが食べねばならんぞ、
肉体慾が先に出るから生命を失う、
心でとって実を喜ばせて食べるとよいのであるぞ、食べないで食べる秘密。

昭和36年9月1日(1961年 皇紀2621年 辛丑)

まぁ、そんなイカサマなんていつまでも続けられるはず無いですから。それにしてもこの神示…、意味深ですね。この話の〆にぴったりだわ。

第十三話「空の巻 第八帖②」

衣類、食物に困った時は竜宮の音秘様にお願い申せよ。
五柱の生き神様にお願い申せば災難逃れさせて下さるぞ、
岩、荒れ、地震、風、雨、の神様なり、
いろはに泣く時来るぞ、いろは四十八ぞ、四十九ぞ。
神示はその時の心にとりて違わん、
磨けただけに取れて違わんのであるから、
我の心通りに取れるのであるから、
同じ神示が同じ神示でないのだぞ。
悪の世が廻りて来た時には、悪の御用する身魂を作っておかねば、
善では動き取れんのだぞ、悪も元をただせば善であるぞ、その働きの御用が悪であるぞ、
御苦労の御役であるから、悪憎むでないぞ、憎むと善でなくなるぞ、天地濁りて来るぞ、
世界一つに成った時は憎むこと まずさらりと捨てねばならんのぞ、
この道理 腹の底からわかりて、ガッテンガッテンして下されよ。

昭和22年3月3日(1947年 皇紀2607年 丁亥)

前後半で全く違う内容だなって思ったので、①と②分けたのですけど、そういえば「ビタミンB群書いてないな」と気が付いたので分けといてよかったな、と。イヤ、忘れてちゃダメだろ。

昔、医薬品業界で営業やっていたのですが、ビタミン剤やL-システインしか売ってこなかったので、勤務先からは睨まれていました。会社は(私に言わせればろくに効果が見込めない怪しげで)高額な健康食品を売りつけて来い、という姿勢ですから、毎日のように怒られるのです。たまに「マムシホルモカプセル」(〇万円)とか売ってくると、特に何も言われなかったのですが、要は昔からそういう業界だという事です。私はある日、年金暮らしで公団に住んでいる、とあるお婆さんに「ス〇△※ナ」という商品を買っていただいた瞬間に後悔して、二度と納得のいかない商品を売りつけるのはやめよう、と決意しました。そこで私が目を付けたのが、ビタミン剤とL‐システインなのです。L‐システインは、お酒を飲む前にあらかじめ飲んでおくと、二日酔いを起こしにくくなります。肝臓の解毒作用を高めます。バブル崩壊後の時世とは言え、まだまだ仕事帰りのおつきあいが盛んだったご時世、サンプルを渡してこの話題をふると結構な割合でお買い上げいただいたものです。当時の世の中はまだまだ余裕があったからです。このL‐システイン、今でも私は愛用しております。当時の物はメーカー廃番ですが。そしてもう一つ当時の私の売り上げを支えてくれた(そして今の私の健康を支えてくれている)のが本テーマであるビタミン剤なのです。

現代社会でヴィーガン、ベジタリアンの道に進むと、問題になるのが「ビタミンB群」の不足です。中でも特に問題になるのが「ビタミンB1」(チアミン)の不足です。分かりづらいので早速例を挙げましょう。

主な栄養素の一日あたりの食事摂取基準

ttps://www.otsuka.co.jp/cmt/nutrition/1day

チアミンの一日当たりの必要量は、成人男性で1.3~1.4mg、成人女性で1.1mgとされております。豚肉100グラム中のチアミンは0.901 mgなので、必要摂取量の78%にも及びます。すけとうだらのたらこの生の場合が0.71 mg(62%)、ウナギが0.15 mg(13%)とされている一方で、玄米が0.16mg、白米0.025mg、そば(ゆで)0.05mgと常食される食品がかなり少ない割合になっているのが気になります。しかもチアミンは水溶性ビタミンなので、洗えばそれだけ減ります。そば茹でれば、その分チアミンが流出します。米も研げば研ぐほどチアミンをロスするのです。ちなみに植物でチアミンが多いのは、ゴマと落花生ですけど…これを毎日100g食えって?

ビタミンB1の働きと1日の摂取量

ttps://www.tyojyu.or.jp/net/kenkou-tyoju/eiyouso/vitamin-b1.html

チアミンの不足、欠乏は脚気のリスクになります。

脚気

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/脚気

wiki見ると日本書紀の時代に脚気の記述があるのが驚きです。「日中戦争が始まると食糧用の米が不足したために、脚気死亡者数は6千人台まで減った」というのも何か考えさせられるものがあります。戦後、天明氏は、支持者の一人「桜沢如一」氏の影響で、台方の生活共同体を「世界生活集団」(略称SSS)と名乗って、玄米正食・自活農業を行っていたそうです。その後の「1970年には20人と特殊希少疾患以下となり、脚気は消滅状態となった」とは、豚肉が普通に食べられるようになった恩恵と考えられます。この事から、玄米から白米に至るチアミンの割合の違いは、極めて危険水域のボーダーラインの上にあるな、という印象を持ちました。決して玄米を否定しているわけでは無いですよ、だって、例え「うな丼」を玄米にしたって、毎日は食べたくないでしょう?ましてやヴィーガンやベジタリアンの人たちにとっては、そうするわけにさえもいかない。糖分の代謝に係わるビタミンであるので、その他飲み物などの糖分量によっては不足する事さえ考えられます。

次はビタミンB2(リボフラビン)です。実はリボフラビン、人の腸内細菌が合成してくれてはいるのですが、現実に欠乏症なるものが存在する以上、食生活で補われる必要があるのです。欠乏症状で一番身近なのが「口内炎」です。(口噛んだ、とか)外傷による口内炎を別にすれば、原因の一つがこのリボフラビン不足、もう一つが後述するビタミンB3(ニコチン酸、ニコチン酸アミド、ナイアシン)の不足が大きいです。実際、口内炎の薬っていわれて真っ先に思いつくのって「チョ〇ラBB」でしょ?(伏字にする必要ないのですけどね)あれこそリホブラビン。脂肪の代謝を行っているビタミンなので、脂っぽい食べ物が多い人ほど欠乏しがち。

リボフラビンの一日当たりの必要量は、成人男性で1.5~1.6mg、成人女性で1.2mgとされております。豚と牛のレバーで、それぞれ3.6mg、3.0mgと200%をはるかに超えますが、鶏卵0.43 mg(36%)、アーモンド(煎り)1.04mg、納豆0.56mg(47%)、モロヘイヤ0.42mg(35%)などが挙げられます。チアミンよりは接収量ハードル低いですかね。

ビタミンB3(ニコチン酸、ニコチン酸アミド、ナイアシン)は通常の食生活下で不足しない、とされておりますが、現実問題として口内炎の原因の一つであり、サプリメントすら存在するのですから、やっぱり何かしらの原因で問題が起こるのです。問題が無いというなら、このようなサプリメントが販売され続けているハズが無い。

ビタミンB5(パントテン酸)も通常の食生活下で不足しない、とされています。体内ではプロビタミンB5に変化するとされますが、この状態をパンテノールって言うそうです。あのシャンプーの。

ビタミンB6(ピリドキシン、ピリドキサール、ピリドキサミン)(紛らわしい)はアミノ酸の代謝、グリコーゲンの分解に係っており、重要なビタミンの一つですが、これまた通常の食生活下で不足しないそうです。

注目したいのがビタミンB12(コバラミン)です。wikiのシアノコバラミンの項目に興味深い記述があります。

ビタミンB12は代謝に関与しており、特にDNA合成と調整に加え脂肪酸の合成とエネルギー産生に関与している。しかしながら、体内でビタミンB12が葉酸(ビタミンB9)の再生産に利用されているため、全てではないが多くのビタミンB12の機能は十分な量の葉酸によって代替される。チミンやプリン体の合成のための十分な量の葉酸が体内に存在しない場合にはDNA合成障害を引き起こし、その葉酸欠乏症状は悪性貧血症状や巨赤芽球性貧血を引き起こすため、ほとんどのビタミンB12欠乏症状は実際には葉酸欠乏症状である。

その葉酸(ビタミンB9)のwikiの記述、

男性における葉酸サプリメントの摂取は前立腺癌のリスクが2倍になっている

大腸癌は葉酸の関連から最もよく調べられている癌のタイプであるが、葉酸サプリメント摂取は520000人の男性を含んだ14年間のヨーロッパでの調査で大腸癌の発生について67%の増加を示した

これは大元からして「逆」だと思うのです。癌に至った食事を改める事なく、サプリメントで改善できると思っているのが、そもそも間違い。「サプリメントからの葉酸の摂取のほうが生体利用効率が高いとしている研究がある」とか一体何処のプロパガンダなの?本来日々の食事の方が吸収効率が良いというのは、90年代当時の私ですら知っていた事だ。ビタミンB群は水溶性で、錠剤やカプセルで飲んでも体外に排出される時間も早い。一方、食べ物は消化吸収の時間分体内に留まる時間も長い。

日本人のがん罹患状況

ttps://p.ono-oncology.jp/support/work/01/01_incidence/01.html

1947年以降、2021年の段階で、癌患者は5倍以上に増えています。これは栄養状態の改善と食生活の西洋化に比例している事は、疑う必要も無いでしょう。従って食事からの根本的な改善無くサプリメントに頼っても今更無駄、という事です。一方、ヴィーガン、ベジタリアンの方がビタミンB群の不足について、サプリメントで補う分に関しては問題ないと思うのです。特に不足しがちなのがビタミンB1(チアミン)。私は今のところ魚介類は食べてますが、ビタミンB1の不足に備えて、ビタミンB群がセットになったサプリメントを飲んでます。

冬の巻 補帖

病、ひらくことも、運、ひらくことも、皆 己からじゃと申してあろう。
誰でも、何でも良くなるのが神の道、神の御心じゃ。親心じゃ。
悪くなるということないのじゃ。迷いが迷い生むぞ。
もともと病も不運もない弥栄のみ、喜びのみじゃ。
神がよろびじゃから、その生んだもの皆よろこびであるぞ。この道理よくわきまえよ。
毎日毎日、太陽と共に、太陽について起き上がれよ。その日の仕事、与えられるぞ。
仕事いのちと仕えまつれよ。朝寝するからチグハグとなるのじゃ。
不運となるのじゃ。仕事なくなるのじゃ。
神について行くことが祈りであるぞ。よろこびであるぞ。
食物、食べ過ぎるから病になるのじゃ。不運となるのじゃ。
口から出るもの、入るものに気つけよ。戦起こるのじゃ。人間の病や戦ばかりでない、
国は国の、世界は世界の、山も川も海も、みな病となり、不運となって来るぞ。
食べないで死ぬことないぞ。食べるから死ぬのじゃぞ。
一椀をとって先ず神に供えよ。親にささげよ。子にささげよ。腹八分の二分はささげよ。
食物こそは神から、親から与えられたものであるぞ。神にささげずに貪るからメグリ積むのじゃ。
メグリが不運となり、病となるのじゃぞ。運ひらくのも食物慎めばよい。言慎めばよい。
腹十分食べてはこぼれる。運は詰まってひらけん。このわかり切ったこと、なぜにわからんのじゃ。
ささげるからこそ頂けるのじゃ。
頂けたらささげると今の人民申しているが、それがウラハラと申すもの。
衣類も家も土地も、みな神から頂いたのでないぞ。あずけられているのであるぞ。
人民に与えられているものは食物だけじゃ。日の恵み、月の恵み、地の恵みだけじゃぞ。
その食物節してこそ、ささげてこそ、運ひらけるのじゃ。病治るのじゃ。
人民日干しにはならん。心配無用。食物、今の半分で足りると申してあろうが。
遠くて近いものヒフミの食べ方して見なされよ。運ひらけ、病治ってうれしうれしと輝くぞ。
そんなことぐらいで、病治ったり運ひらけるぐらいなら、
人民はこんなに苦しまんと申すが、それが理屈と申すもの。
理屈悪と申してあるもの。低い学に囚われたメクラ、ツンボと申すものぞ。
理屈すてよ。すててやって見なされ。
みなみな気づかん理、気づかん病になっているぞ。
ツキモノがたらふく食べていることに気づかんのか。
食物節すればツキモノ改心するぞ。
まず百日をめあてに、百日過ぎたら一年を、三年続けたら開運間違いなし。
病もなくなってうれしうれしとなるぞ。三年目、五年目、七年目ぞ、
めでたいナァ、めでたいナァ

昭和27年6月9日(1952年 皇紀2612年 壬辰)

えっと、空の巻 第八帖を①と②作ったのって、「悪の御用」についての話しようかなと思っていたのですけど、

①で話した海藻についている「バクテロイデス・プレビウス」→「ポカエイコラ・プレビウス」(かつての分類はバクテロイデス属だったが、現在は分類が変更されている)と、

本②のビタミンB12の産出に係わる「人間の体内の常在菌」プロピオニバクテリウム属が出てきたので丁度良いか。

第十二話の①で、海藻メーカーで勤務する社員の腸内には一般モニターと比べて、海藻を分解できる遺伝子を持つ腸内細菌「プレビウス属」が顕著に診られた事を書きました。「海藻を沢山食べる人ほど、より海藻を分解できる?」という事は、「海藻が自分自身を分解する細菌に寄生されている」という解釈をするより他ないです。一方、草食動物は腸内細菌にプロピオン酸生産菌(プロピオニバクテリウム属)などがいるので、これがビタミンB12を生産しているというのです。そしてこのプロピオニバクテリウム属、最も一般的なヒト皮膚常在菌らしいのです。例を挙げるとニキビの原因「アクネ菌」。この属の菌種は、主にヒトおよび他の動物に寄生する通性寄生生物および片利共生生物との事です。片利共生生物とは言っても人間は、ビタミンB12やチーズの生産などに使っておりますが。そういえば、人間自身が概ね「片利共生生物」の代表か、否、「片利寄生生物」か。

むかーし、むかし、1980年代、パソコンで地球環境をシミュレートし、進化の過程を探った研究家がおりました。それリチャード・ドーキンス氏じゃないかと思い「盲目の時計職人」読んだのですけど、あれ書いた後にやった実験かもしれない。前にどこかのホームページで見た記憶があるのですが、ブックマークを忘れてしまって。「盲目の時計職人」(1986年)読んだのですけど、その時点で行っていたのは、「猿がタイプライターの鍵盤をいつまでもランダムに叩きつづければ、ウィリアム・シェイクスピアの作品を打ち出す」(無限の猿定理)という話を、当時メモリーたったの64キロバイトしかないパソコンに、BASICという言語でプログラムを組んで実行、昼食言っている間のわずか30分程度、第四十七世代目で再現した話だったようです。(1984年にリリースされた「Macintosh128k」がその名の通り128キロバイトしかないわけで…)

ドーキンスが述べたシミュレーション実験では簡単なコンピュータプログラムを使う。このプログラムは、ランダムに打ち出される語句のうちすでに目的のテクストと一致した部分は固定していくことにより、ハムレットの台詞 “METHINKS IT IS LIKE A WEASEL”(「おれにはイタチのようにも見えるがな」〔小田島雄志訳〕)を生成する。この実験の要点は、ランダムな文字列の生成は生の材料を提供するだけであり、自然淘汰こそが情報を与える役割を担っている、という点である。

余談が過ぎました。問題はその次にやったと思われる「生命のスープのシミュレートしたら、捕食者と寄生虫のようなものが発生した」という実験結果だったのです。実際「盲目の時計職人」にその話を匂わす記述があります。後、この本、長杉。読むのつらい。

弥栄には「被捕食者・捕食者・寄生者」の3種が必要だという事でしょうか。より正確に言うなら、それを発生させるプログラム(仕組み)側に実装されていると考えざるを得ませんね。

極め之巻 第八帖

元は5で固めたのじゃ、天のあり方、天なる父は5であるぞ。
それを中心として、ものが栄えゆく仕組み、
それを人民は自分の頭で引き下げて4と見たから行き詰まって世界の『難渋』であるぞ。
手や足はなぜに5本であるか、誰にもわかるまいがな。

昭和36年8月5日(1961年 皇紀2621年 辛丑)

第九話で「ハプログループD」の話をチラッとしましたが、「D2」と「E」がアフリカや中東に集中しているのに対して、日本人やアンダマン諸島、チベットの人たちに見られる「D1」ってアフリカから出て行った以降の変化だと思うんですよ。これって生活環境の著しい変化に対する染色体の「累積淘汰」の結果じゃないのかなって。だってアフリカに残った「D2」と「E」の人たちが、別れる前のハプログループ「A」や「B」の人たちの同じ地域に戻ったからって、元に戻るわけでは無いですし、その人の前世代で条件付けされた遺伝子情報に逆進性は見られないからです。少なくともこの話に関しては「因」と「果」は逆転しない。捕食者は突然変異、大多数に寄生する者、(よく日和見菌とか聞くでしょ?)そして当初の大多数派である被捕食者。適合しない突然変異は次の世代を残さず消える。(こういう話、よく聞くでしょう?)ところが変異した勢力が「ある一定数」(と言っておく)を超えると、日和見勢力が加担して変化しない当初の多数派を少数派に追い込む、あるいは塗りつぶす、食いつぶす。すると二度と元には戻れない…。ちなみに、リチャード・ドーキンス氏は「盲目の時計職人」で人間の繁殖に例えた話もしています。まるで現代社会の仕組みを見ているかのようです…。それはかの、、Universe 25」の原理っぽく見えます。(´・д・`)ヤダなぁ

ホント、難しい話…。話するには早すぎたのかな…私自身が。

とりあえず、頂くものには感謝を。

ヒラメを介した寄生虫(クドア・セプテンプンクタータ)による食中毒について

ttps://www.pref.fukui.lg.jp/doc/iei/shokunoanzen/kudoa.html

早くもTシャツまで登場とは…。

第十二話「空の巻 第八帖①」

衣類、食物に困った時は竜宮の音秘様にお願い申せよ。
五柱の生き神様にお願い申せば災難逃れさせて下さるぞ、
岩、荒れ、地震、風、雨、の神様なり、
いろはに泣く時来るぞ、いろは四十八ぞ、四十九ぞ。
神示はその時の心にとりて違わん、
磨けただけに取れて違わんのであるから、
我の心通りに取れるのであるから、
同じ神示が同じ神示でないのだぞ。
悪の世が廻りて来た時には、悪の御用する身魂を作っておかねば、
善では動き取れんのだぞ、悪も元をただせば善であるぞ、その働きの御用が悪であるぞ、
御苦労の御役であるから、悪憎むでないぞ、憎むと善でなくなるぞ、天地濁りて来るぞ、
世界一つに成った時は憎むこと まずさらりと捨てねばならんのぞ、
この道理 腹の底からわかりて、ガッテンガッテンして下されよ。

昭和22年3月3日(1947年 皇紀2607年 丁亥)

この日付ってホント出来すぎてるような気がするんですけど。

近所のスーパーに買い物に行ったら、品切れしていた「めかぶ」「塩蔵わかめ」が再入荷!(最近はネギが高いから、納豆はめかぶ・・・と合わせてます)そして、エビ2匹、イカ天、シソ、カボチャ、ナスの天ぷらパックが半額だったので即買い。竜宮の音秘様、ありがとうございます。

日月神示の食事事情といえば、梅の巻 第十四帖、空の巻 十二帖、十三帖などが有名ですが、この事から「肉類禁物」と見られております。私は、ある日「電話がかかってきた瞬間」食べていたスモークビーフのサンドウィッチをリバースしそうになって以来、牛肉と豚肉は食べておらず、体調を崩した年明け後に鶏肉を食べたのが最後、鶏卵が4月というところですか。ここで問題になるのは「魚介類はどうなのか?」という事です。天明氏は、鳩森八幡神社の留守神主時代に「鯛」をお供えしていますし、台方に住んでいた頃は、一匹の煮干魚の背中を天明氏、腹を黒羽保氏、頭と尻尾を「人懸かり猫」チェリーと分けて食べていたそうです。

月鏡 399 食用動物

キの()のつく四足類(よつあしるゐ)は、食用(しよくよう)とすることを(ゆる)されて()るのである。(たと)へば、(たぬき)(きつね)(うさぎ)(ごと)きもので(また)たまがへししてキになるものも(ゆる)されるのである。かも鹿(しか)(ごと)きがそれであつて、これ()神界(しんかい)(はう)()(すなは)植物(しよくぶつ)()(なほ)して()(くだ)さるのである。鳥類(てうるゐ)でも(かも)(きじ)(ごと)(みな)キにかへるので、(にはとり)をカシワと()びならはしたのも(かしわ)意味(いみ)()()(こと)になる。牛馬(ぎうば)(にく)食用(しよくよう)としてはいけない。

玉鏡 753 食物

 (こめ)陽性(やうせい)のもので、(これ)常食(じやうしよく)すれば勇気(ゆうき)()る、そして陽気(やうき)である。(むぎ)陰性(いんせい)のものである()め、陰気(いんき)になる傾向(けいこう)がある。くよくよしたり、いつも()(ごと)(なら)べたりするやうになるのは()()めである。野菜(やさい)()へば(じん)(こころ)(やしな)はれる。魚類(ぎよるゐ)()へば智慧(ちゑ)()く。(ゆゑ)魚類(ぎよるゐ)(つき)一度(いちど)二度(にど)(かなら)()はねばならない。(こめ)野菜(やさい)魚類(ぎよるゐ)とで、()(じん)(ゆう)となる。肉食(にくしよく)をする(もの)には(じん)(こころ)(すく)ない。(ゆゑ)野菜(やさい)常食(じやうしよく)とする日本人(につぽんじん)にして(はじ)めて愛善(あいぜん)(こころ)があり、外国人(ぐわいこくじん)には(まれ)である。(にく)()ふものは一度(いちど)(くさ)野菜(やさい)(とう)()つて、その栄養素(えいやうそ)(にく)となつたのであるからあまり栄養(えいやう)もない。そして(にく)()つて(やしな)はれた細胞(さいばう)(よわ)い。日本人(につぽんじん)(こめ)()ひ、野菜(やさい)()ふから(すなは)ちまだ(にく)とならない栄養(えいやう)()るから、細胞(さいばう)(つよ)い。(どく)ガスに(たい)しても外国人(ぐわいこくじん)(まこと)にモロイものであるが、日本人(につぽんじん)比較的(ひかくてき)耐久力(たいきうりよく)があり(つよ)い。(また)日本人(につぽんじん)()臼歯(きうし)()つて、(こめ)()みこなし(やす)出来(でき)()るが、肉食人(にくしよくじん)(おい)ては臼歯(きうし)がとがつて()る。

出口王仁三郎 三鏡

月鏡 399 食用動物は、特に江戸時代までの肉食への欲望を抑えきれない僧侶に見られたロジックで、聞いたこともあるでしょう?「徳川綱吉の生類憐みの令」にひっかけて。私が肉食を止めてから食べたくなったのが「ハンバーグ」(ハンバーガーではない)と「豚骨ラーメン」(麺はどうでも良くて、あのスープだけ)、「カレー」、「麻婆豆腐」です。「カレー」はオールベジで目途が立ったので、その内公開したいと思います(だから梅の巻 第十四帖を温存したという事もあります)。

水の巻 第十帖

五大洲 引っ繰り返っておること まだわからぬか。
肝心要のことだぞ。七大洲となるぞ。八大洲となるぞ。
今の臣民にわかるように申すならば御三体の大神様とは、
天之御中主神様、高皇産霊神様、神皇産霊神様、
伊邪那岐神様、伊邪那美神様、撞賢木向津媛の神様でござるぞ。
雨の神とは あめのみくまりの神、くにのみくまりの神、
風の神とは しなどひこの神、しなどひめの神、
岩の神とは いわなかひめの神、いわとわけの神、
荒れの神とは 大雷のをの神、わきいかづちおの神、
地震の神とは 武甕槌の神、経津主の神、神様の御事でござるぞ。
木の神とは 木花開耶姫の神、
金の神とは 金かつかねの神、火の神とはわかひめきみの神、
ひのでの神とは 彦火々出見の神、竜宮の乙姫殿とは 玉依姫の神様の御事でござるぞ。
この方のこと、いずれわかって来るぞ。
今はまだ知らせてならんことぞ。知らせる時節近づいたぞ。

昭和20年6月11日(1945年 皇紀2604年 乙酉)

「竜宮の乙姫殿とは 玉依姫」…?

山幸彦と海幸彦

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/山幸彦と海幸彦

山幸彦は魚釣りに出掛けたものの、兄に借りた釣針を失くしてしまい、綿津見神宮まで探しに行くのですが、海神(大綿津見神)に歓迎され、娘・豊玉姫(豊玉毘売命・とよたまひめ)と結婚し、既に3年もの月日が経っていました。山幸彦が釣針の事を尋ねると、海神が魚たちを集め、釣針を持っている者はいないかと問うと、赤鯛の喉に引っかかったそうです。

豊玉姫はめでたくご懐妊したのですが、天神の子を海の中で産むわけにはいかないとして、陸に上がってきました。「絶対に産屋の中を見ないように」と言っておいたのに、山幸彦はついつい覗いてしまいました。(男のさがか…)ところが、豊玉姫が本来の姿「八尋熊鰐やひろわに」として、蛇のごとくうねっているのを見て逃げ出しました。すると豊玉姫は山幸彦に覗かれたことを恥じて、生まれた子を置いて海に帰ってしまいました。この子の名は鸕鶿草葺不合尊うがやふきあわせずのみこと。豊玉姫命は鸕鶿草葺不合尊の養育の為、実の妹である「竜宮の乙姫殿」玉依姫命を地上に遣わしました。一方で玉依姫と山幸彦との間には、武位起命が生まれております。(ええ…)鸕鶿草葺不合尊はといえば、「育ての親である叔母の玉依姫」との間に彦五瀬命・稲飯命・三毛入野命・彦火火出見尊(神武天皇)が生まれております。(ええーーーーっ)

つうか「わに」、知ってたんだ、当時の人。何で?

というわけで千葉県長生郡一宮町にある玉前神社に参拝しました。一宮には数十回も来ているというのに初の参拝です、情けない。私の父の代から海の幸の恩恵で暮らしてきたのだから、真っ先に参拝すべきだったというのに。ところで出かけるときは晴れていたのですが、鎌取や土気に差し掛かるや、外は大雨。こんなの聞いていないんですけど?これは歓迎されてないのかな?と思いつつ大網過ぎた辺りは雨は降った様子も無くなり、一宮では全く道路濡れていなかったです。でも晴れであって欲しかったというのが本音。

6月30日には早かったのですが、「はらたまきよたまへ」と唱えながら「←・→・←」と三回くぐるのです。何かゲームのコンボ入力みたいな書き方してしまいましたが。

階段上がって右側が境内です。奥は摂末社の三峯神社です。

イメージと違って男性的な印象…個人の印象ですが。

さざれ石があります。内閣総理大臣(当事)橋本龍太郎氏揮毫の碑が添えられております。

雄株・雌株・実生の子供イチョウの順に触れて、子宝に恵まれるとされている「子宝・子授けイチョウ」です。ちなみに私♂ですが。再びNNN事案か?

御神水を頂けます。ペットボトル持ってくと良いそうです。あ、招魂殿と十二社参拝するの忘れてる。これはもう一回行かないと駄目ですね。三峯神社の写真もないし。(気、抜いてるからだろ)

海藻

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/海藻

フランスの「ロスコフ生物学研究所(Station Biologique de Roscoff)」は、日本人の腸が海草に含まれる多糖類を分解できるのは、分解酵素を作る遺伝子を腸内に住む細菌が海洋性の微生物から取り込んでいるためとする論文を発表、同論文は2010年4月8日の英科学誌『ネイチャー』に掲載されたという話から、食べた海藻を消化できるのは日本人だけだという誤解が生まれたと感じております。Covid-19以降、特に。これは検査対象内で海藻を消化できたのが殆ど日本人ばっかりだったというだけです。このプレビウス菌は海藻の食物繊維を分解する遺伝子を持っている事が知られておりますが、外国人の腸内から見つかっているプレビウス菌は、海藻の食物繊維を分解する遺伝子は持っていないのです。これは何故か?

海藻メーカーの社員の腸内には、「海藻好き」な腸内細菌がいっぱい存在していた!

ttps://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000012.000021194.html

だからって、外国の人は海藻を食べる意味無いのか?と言ったらそれは「NO」。ちゃんと食物繊維として利用されますから、腸内のお掃除にもなりますし。

これに関連した話が「フコイダン」です。

フコイダンの話についてはCovid-19の最中、ネットを中心にあっという間に広がったのは良いのですが、これを科学者から言わせると「高分子は分解されなければ吸収できない。(吸収するにはサイズが大きすぎるので分解されなければならない)分解された後、体内で再合成されるはずは無い。分解された成分が分解前のフコイダンと同じ働きをするのか。(材料は完成品と同じ働きができない)」という疑問があったようなのです。この疑問を解決するカギが「低分子フコイダン」です。

LMF臨床研究会

ttps://lmf-assoc.jp/about/

海藻にフコイダンが含まれているのを発見した時に、構造(サイズ)が大きいものからサンプルに選んだというのは、想像に難くありません。検査対象は大きければ大きいほど「楽」ですから。しかしながら低分子フコイダンというものが存在しているという事は、実際に私たちの体内で、海藻の消化吸収のプロセスにおいて確認される可能性があります。大体「消化吸収のプロセスで、分子ごとにきっちり分解される」なんて理にかなっていません。だって分解が「10」から「0」に至るなら、間に「7」とか「4」があるでしょう?問題は「5」でも良いのか「8」無いとダメなのか?という話だけで、それを証明するのは臨床結果だけです。悪い薬とは全く違う話なので。ただ、こういう低コストな話ほど潰しにかかるのが「医療利権」というね、全世界的に。かのイベルメクチンが「磔」スケープゴートにされたのは記憶に新しいところ。

天つ巻 第十二帖

遠くて近いは男女だけではないぞ、
神と人、天と地、親と子、食べる物も遠くて近いが良いのだぞ、
カミ粗末にすればカミに泣くぞ、
土尊べば土が救ってくれるのぞ、尊ぶこと今の臣民忘れているぞ、
神ばかり尊んでも何にもならんぞ、何もかも尊べば何もかも味方ぞ、
敵尊べば敵が敵でなくなるのぞ、この道理わかったか。
臣民には神と同じ分け霊授けてあるのだから、磨けば神になるのぞ。
神示は謄写良いぞ、初めは五十八、次は三百四十三ぞ、よいな。

昭和19年9月5日(1944年 皇紀2604年 甲申)

何で外国人の腸内のプレビウス菌に海藻の食物繊維を分解する遺伝子が無いのかって?だって海藻を「海の(see)雑草(weed)」って言う位だし。戦時中の捕虜に「ひじき」食べさせていた日本人を「虐待ガー」とか言って非難していたのは誰だったっけ?「私たち哺乳類から遠い存在であって、近くで捕れる海藻」の、それも日本近海で捕れるものを食べているから日本人は、という結論に帰結せざるを得ない…自らを分解する者が、自らの内に潜んでいるという、何とも哲学的な終わり方。

因みにギタリストのSteve Vai先生は、昔からベジタリアンで有名です。自宅にはピラミッドもあるとか。この御方なら海藻食べてるかも。

文章にするには時間かかりそう。

第十一話「春の巻 第一帖」

新しき御代の始めのタツの年、スメ大神の生まれ出で給いぬ。
皆々御苦労ながら、グルグル廻って始めからじゃと申してあろうが。
始めの始めと始めが違うぞ。皆始めヒからじゃ。赤児になって出直せよ。
ハラで見、ハラで聞き、ハラで話せよ。ハラには間違いないのじゃ。
祈りばかりでは祈り地獄、神から光頂けるように理つけねばならん。
水は低きに流れるぞ。喜びに叶う心、喜びの行あるところ喜び来るのじゃ。
喜びにも正しきと曲がれるとあるぞ。
無限段階あるのじゃ。心して迷わんように致してくれよ。
ここは光の理伝え、行うところ、教えでないと申してあろう。
教えは教えにすぎん。理でなくては、今度はならんのじゃ。
天の理、地の理もろもろの理、カタ早う急ぐぞ。
教えは局部的、時、所で違うのじゃ。迷信となるぞ。ハラが神であるぞ。

昭和27年1月27日(旧元旦)(1952年 皇紀2612年 壬辰)

昔、偶然見かけた風景なんですけどね、雲?が地表に垂れこめて「たつ」のように見えたので。写真1枚じゃ収まらなかったのでパノラマ写真にしていたんですよ。撮っておくもんですね。もっとも干支の「辰」とは「振」(しん:「ふるう」「ととのう」の意味)であり、草木の形が整った状態を表しているらしいです。以前、「酉」が収穫後の酒造りの季節に当てはめられたと書きましたが、辰も春に該当する季節とされております。旧暦で3月(概ね新暦4月)あたりでしょうか。それはそうと「新しき御代の始めのタツの年」って神示、もう一つあるのです。

紫金之巻 第九帖

新しき御代のはじめの【たつ】の年、あれ出でましぬ 隠れいし神。
かくり世もうつし御国の一筋の光の国と咲きそめにけり。

昭和36年記述日不明(1961年 皇紀2621年 辛丑)

この神示意識してじゃないでしょうが、今年はやたら「辰の年」って連呼されているような気がします。日月神示分析業界?でも2024年をこの「辰の年」に比定しているところを見かけます。まず、この両者の違いとして、春の巻の方は実際に壬辰の年に降りた神示ですが、紫金之巻の方は辛丑です。この記述日不明というのが意味不明なのですが、実際に辛丑の年に出た神示であるならば、この両者は異なる時期を指していると考えられます。というのも春の巻の方は二行目以降が明らかに苦情のように見えます。この苦情は、誰に対して何を指しているのでしょう?

岡本天明伝[日月神示]夜明けの御用(黒川柚月氏・著)では、当時のひかり教会の会員たちは、富士山が爆発する、第三次世界大戦が始まり「この世の大立替」が来ると信じて活動していたと述べられています。その根拠が「磐戸の巻 第十六帖」かもしれません。

磐戸の巻 第十六帖

世の元からの生き神がそろって現れたら、皆腰抜かして、目パチクリさせて、
もの言えんようになるのだぞ。
神徳もらった臣民でないと中々越せん峠だぞ、神徳はいくらでも背負いきれんまでにやるぞ、
大きい器持ってござれよ、掃除した大きい入れものいくらでも持ってござれよ、
神界にはビクともせぬ仕組みできているのだから安心して御用つとめてくれよ。
今度はマコトの神の力でないと何もできはせんぞと申してあろうが、
日本の国は小さいが天と地との神力強い、神のマコトの元の国であるぞ。
洗濯と申すのは何事にもよらん、人間心捨てて仕舞って、
智恵や学に頼らずに、神の申すこと一つも疑わず生まれ赤子の心のうぶ心になって、神の教え守ることぞ。
ミタマ磨きと申すのは、神から授かっているミタマの命令に従って、
肉体心捨ててしまって、神の申す通り背かんようにすることぞ。
学や智を力と頼むうちはミタマ磨けんのだ。
学越えた学、智越えた智は、神の学、神の智だということわからんか、
今度の岩戸開きはミタマから、根本から変えていくのだから、中々であるぞ、
天災や戦ばかりでは中々埒あかんぞ、根本の改めだぞ。
小さいこと思っていると わからんことになると申してあろうがな、
この道理よく肚に入れて下されよ、
今度は上中下三段にわけてあるミタマの因縁によって、
それぞれに目鼻つけて、悪も改心させて、
善も改心させての岩戸開きだから、
根本から作り変えるよりはどれだけ難しいか、大層な骨折りだぞよ。
叱るばかりでは改心できんから喜ばせて改心させることも守護神にあってはあるのだぞ、
聞き分けよい守護神殿 少ないぞ、聞き分け良い悪の神、早く改心するぞ、聞き分け悪き善の守護神あるぞ。
この道の役員は昔からの因縁によってミタマ調べて引き寄せて御用させてあるのだ。めったに見当狂わんぞ、
神は綱かけたら中々放さんぞ、逃げられるならば逃げてみよれ、
くるくる廻って また始めからお出直しで御用せねばならんようになって来るぞ。
ミタマ磨け出したら病神などドンドン逃げ出すぞ、
出雲の神様 大切申せと知らせてあること忘れるなよ。
子の歳真ん中にして前後十年が正念場、世の建て替えは水と火とだぞ。
ひつじの三月三日、五月五日は結構な日ぞ。

昭和20年1月14日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

どうも昭和23年(1948年)の戊子をこの神示に比定していたらしい事、建て替えを「富士山が爆発する、戦争が始まる事」と解釈していたようなのです。実際昭和23年が過ぎると、次は昭和35年庚子というように。

元号西暦干支※1※2※3※4関係する神示出来事
大正10年1921年辛酉三十帖/一帖マコトのことはトリの年日本・米国・英国・フランス、四か国条約、バーデン=バーデンの密約
大正11年1922年壬戌一帖/三十帖〇/十ソビエト連邦成立。コミンテルン日本支部・日本共産党創立。国際連盟がイギリスのパレスチナ支配を正式に承認。
大正12年1923年癸亥二帖/二十九帖一/九関東大震災、排日移民法(ジョンソン=リード法)
大正13年1924年甲子三帖/二十八帖二/八皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)と良子女王(後の香淳皇后)が結婚
大正14年1925年乙丑四帖/二十七帖三/七日ソ基本条約締結
大正15年
昭和元年
1926年丙寅五帖/二十六帖四/六大正天皇崩御、摂政皇太子裕仁親王が践祚
昭和2年1927年丁卯六帖/二十五帖五/五大正天皇大喪、南京事件
昭和3年1928年戊辰七帖/二十四帖六/四昭和天皇の即位の礼挙行、コミンテルン1928年テーゼ
昭和4年1929年己巳八帖/二十三帖七/三スターリンの独裁体制が確立、四・一六事件
昭和5年1930年庚午九帖/二十二帖八/二共産党員全国一斉検挙開始
昭和6年1931年辛未十帖/二十一帖九/一三月事件、柳条湖事件→満洲事変、十月事件(錦旗革命事件)、コミンテルン指令1931年
昭和7年1932年壬申十一帖/二十帖十/〇第一次上海事変、五・一五事件、司法官赤化事件
昭和8年1933年癸酉十二帖/十九帖マコトのことはトリの年、十二年遅れているのを取り戻すのであるから皇太子明仁親王誕生、フランクリン・ルーズベルトが米大統領に就任
昭和9年1934年甲戌十三帖/十八帖〇/十陸軍省が国防の本義と其強化の提唱を配布、陸軍士官学校事件
昭和10年1935年乙亥十四帖/十七帖一/九永田鉄山暗殺事件(相沢事件)
昭和11年1936年丙子当歳十五帖/十六帖二/八ニ・ニ六事件、西安事件
昭和12年1937年丁丑二歳十六帖/十五帖三/七日中戦争、コミンテルン指令1937年、隔離演説
昭和13年1938年戊寅三歳十七帖/十四帖四/六国際連盟加盟国の対日経済制裁
昭和14年1939年己卯四歳十八帖/十三帖五/五日米通商航海条約破棄通告
昭和15年1940年庚辰五歳十九帖/十二帖六/四仏印進駐、日独伊三国同盟、世界最終戦論
昭和16年1941年辛巳六歳二十帖/十一帖七/三ゾルゲ事件、大東亜戦争開戦
昭和17年1942年壬午七歳二十一帖/十帖八/二ミッドウェー海戦
昭和18年1943年癸未八歳二十二帖/九帖九/一イタリア降伏、連合国へ寝返り
昭和19年1944年甲申九歳二十三帖/八帖十/〇九歳は神界の紀の年昭和東南海地震
昭和20年1945年乙酉十歳二十四帖/七帖旧九月八日とどめぞ大東亜戦争終戦
昭和21年1946年丙戌ひ/け二十五帖/六帖〇/十01 ア/ヲこれで一の御用は済みたぞ新日本建設に関する詔書
昭和22年1947年丁亥ふ/れ二十六帖/五帖一/九02 イ/ヱ神の仕組一切り、言答明けたる今日ぞ日本国憲法施行
昭和23年1948年戊子み/ほ二十七帖/四帖二/八03 ウ/ウ子の歳真ん中にして前後十年が正念場極東国際軍事裁判判決
昭和24年1949年己丑よ/ゑ二十八帖/三帖三/七04 エ/ヰ昭和24年台風第9号、湯川秀樹、ノーベル物理学賞受賞
昭和25年1950年庚寅い/せ二十九帖/二帖四/六05 オ/ワ昭和25年台風第28号、朝鮮戦争
昭和26年1951年辛卯む/あ三十帖/一帖五/五06 ㋳/ロ旧日米安保条約
昭和27年1952年壬辰な/す+一帖六/四07 ㋑/レサンフランシスコ平和条約発効
昭和28年1953年癸巳や/ま+二帖七/三08 ㋴/ル昭和28年西日本水害、アイゼンハワー「平和のための原子力」演説
昭和29年1954年甲午こ/の+三帖八/二09 ㋓/リ第五福竜丸がビキニ環礁においてアメリカの水爆実験によって被爆、第一回ビルダーバーグ会議
昭和30年1955年乙未と/て+四帖九/一10 ㋵/ラ55年体制確立
昭和31年1956年丙申も/へ+五帖十/〇11 ㋻/ヨ日ソ共同宣言
昭和32年1957年丁酉ち/り+六帖12 ㋼/エマコトのことはトリの年東海村原子炉JRR-1臨界
昭和33年1958年戊戌る/さ+七帖〇/十13 ㋽/ユ欧州経済共同体設立
昭和34年1959年己亥ら/に+八帖一/九14 ㋾/イ伊勢湾台風、ハワイがアメリカ50番目の州となる
昭和35年1960年庚子ね/え+九帖二/八15 カ/ヤ60年安保条約、所得倍増計画
昭和36年1961年辛丑し/お+十帖三/七16 キ/モ十年遅れると申してあるがアイゼンハワー退任演説
昭和37年1962年壬寅き/う四/六17 ク/メ東京都が世界初の常住人口1000万人突破
昭和38年1963年癸卯る/か五/五18 ケ/ムケネディー大統領暗殺事件
昭和39年1964年甲辰ゆ/め六/四19 コ/ミベトナム戦争、1964年東京オリンピック
昭和40年1965年乙巳ゐ/く七/三20 サ/マ国際連合安全保障理事会非常任理事国に当選
昭和41年1966年丙午つ/は八/二21 シ/ホ総人口一億人突破
昭和42年1967年丁未わ/た九/一22 ス/ヘブリュッセル条約
昭和43年1968年戊申ぬ/を十/〇23 セ/フイタイイタイ病公害病認定、カネミ油脂事件
昭和44年1969年己酉そ/そ24 ソ/ヒマコトのことはトリの年日本のGNPが西ドイツを抜き世界第2位に
昭和45年1970年庚戌を/ぬ〇/十25 タ/ハ核拡散防止条約、よど号ハイジャック事件
昭和46年1971年辛亥た/わ一/九26 チ/ノ世界経済フォーラム設立、ダボス会議
昭和47年1972年壬子は/つ二/八27 ツ/ネ沖縄返還、台湾日本との国交断絶
昭和48年1973年癸丑く/ゐ三/七28 テ/ヌ第1次オイルショック
昭和49年1974年甲寅め/ゆ四/六29 ト/ニウォーターゲート事件
昭和50年1975年乙卯か/る五/五30 ナ/ナベトナム戦争終結
昭和51年1976年丙辰う/き六/四31 ニ/トロッキード事件、ベレンコ中尉亡命事件
昭和52年1977年丁巳お/し七/三32 ヌ/テ横田めぐみさん拉致事件
昭和53年1978年戊午え/ね八/二33 ネ/ツ第2次オイルショック、日中平和友好条約
昭和54年1979年己未に/ら九/一34 ノ/チスリーマイル島原発事故
昭和55年1980年庚申さ/る十/〇35 ハ/タ1980年モスクワオリンピックボイコット
昭和56年1981年辛酉り/ち三十帖/一帖36 ヒ/ソマコトのことはトリの年敦賀発電所放射能漏れ事故、レーガノミクス
昭和57年1982年壬戌へ/も一帖/三十帖〇/十37 フ/セ第8回先進国首脳会議
昭和58年1983年癸亥て/と二帖/二十九帖一/九38 ヘ/ス戸塚ヨットスクール事件
昭和59年1984年甲子の/こ三帖/二十八帖二/八39 ホ/シグリコ森永事件
昭和60年1985年乙丑ま/や四帖/二十七帖三/七40 マ/サプラザ合意・日本航空123便墜落事故
昭和61年1986年丙寅す/な五帖/二十六帖四/六41 ミ/コ三井物産マニラ支店長誘拐事件
昭和62年1987年丁卯あ/む六帖/二十五帖五/五42 ム/ケルーブル合意、国鉄分割民営化
昭和63年1988年戊辰せ/い七帖/二十四帖六/四43 メ/クソ連がペレストロイカ開始
昭和64年
平成元年
1989年己巳ゑ/よ八帖/二十三帖七/三44 モ/キ昭和天皇崩御、平成天皇即位、消費税導入
平成2年1990年庚午ほ/み九帖/二十二帖八/二45 ヤ/カ湾岸戦争
平成3年1991年辛未れ/ふ十帖/二十一帖九/一46 イ/㋾バブル崩壊、ソ連崩壊
平成4年1992年壬申け/ひ十一帖/二十帖十/〇47 ユ/㋽バブル景気「公式」終結、就職氷河期元年、アジェンダ21
平成5年1993年癸酉い/ん十二帖/十九帖48 エ/㋼マコトのことはトリの年55年体制崩壊
平成6年1994年甲戌ろ/す十三帖/十八帖〇/十49 ヨ/㋻天明九十六才七ヶ月、ひらく、四十九、天明 神示書かす御役ぞ松本サリン事件
平成7年1995年乙亥は/せ十四帖/十七帖一/九50 ラ/㋵阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件
平成8年1996年丙子に/も十五帖/十六帖二/八51 リ/㋓薬害エイズ事件民事和解成立
平成9年1997年丁丑ほ/ひ十六帖/十五帖三/七52 ル/㋴消費税増税、日本銀行法全面改正案可決成立
平成10年1998年戊寅へ/ゑ十七帖/十四帖四/六53 レ/㋑完全失業率4.1%、Google設立
平成11年1999年己卯と/し十八帖/十三帖五/五54 ロ/㋳東海村JCO臨界事故、労働者派遣法規制緩和
平成12年2000年庚辰ち/み十九帖/十二帖六/四55 ワ/オミレニアム開発目標(MDGs)
平成13年2001年辛巳り/め二十帖/十一帖七/三56 ヰ/エ第1次小泉内閣、アメリカ同時多発テロ事件
平成14年2002年壬午ぬ/ゆ二十一帖/十帖八/二57 ウ/ウ持続可能な開発に関する世界首脳会議
平成15年2003年癸未る/き二十二帖/九帖九/一58 ヱ/イ第二次湾岸戦争、SARS-CoV-1発生
平成16年2004年甲申を/さ二十三帖/八帖十/〇59 ヲ/ア製造業務への労働者派遣解禁
平成17年2005年乙酉わ/あ二十四帖/七帖マコトのことはトリの年地球温暖化防止条約京都議定書発効、郵政解散
平成18年2006年丙戌か/て二十五帖/六帖〇/十第1次安倍内閣、ライブドア事件
平成19年2007年丁亥よ/え二十六帖/五帖一/九安倍晋三首相辞任、郵政民営化
平成20年2008年戊子た/こ二十七帖/四帖二/八リーマン・ショック、世界同時株安
平成21年2009年己丑れ/ふ二十八帖/三帖三/七鳩山内閣、欧州連合リスボン条約発効
平成22年2010年庚寅そ/け二十九帖/二帖四/六尖閣諸島中国漁船衝突事件
平成23年2011年辛卯つ/ま三十帖/一帖五/五東日本大震災、福島第一原子力発電所事故
平成24年2012年壬辰ね/や一帖/三十帖六/四持続可能な開発に関する国連会議(リオ+20)、第2次安倍内閣
平成25年2013年癸巳な/く二帖/二十九帖七/三日本の竹島領有権を主張する動画を公開
平成26年2014年甲午ら/お三帖/二十八帖八/二日ロ首脳会談、クリミア危機
平成27年2015年乙未む/の四帖/二十七帖九/一持続可能な開発のための2030アジェンダ、持続可能な開発目標(SDGs)
平成28年2016年丙申う/ゐ五帖/二十六帖十/〇COP21パリ協定
平成29年2017年丁酉ゐ/う六帖/二十五帖マコトのことはトリの年ドナルド・トランプ米大統領就任
平成30年2018年戊戌の/む七帖/二十四帖〇/十築地市場営業終了
平成31年
令和元年
2019年己亥お/ら八帖/二十三帖一/九令和天皇即位、イベント201、SARS-CoV-2発生
令和2年2020年庚子く/な九帖/二十二帖二/八世界経済フォーラム第50回年次総会(グレートリセット)、改正新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく初の緊急事態宣言を発令
令和3年2021年辛丑や/ね十帖/二十一帖三/七延期されていた2020年東京オリンピック・パラリンピックを開催、ジョー・バイデン米大統領就任
令和4年2022年壬寅ま/つ十一帖/二十帖四/六ロシアがウクライナ侵攻、安倍晋三銃撃事件
令和5年2023年癸卯け/そ十二帖/十九帖五/五イスラエルがハマスを言い訳にしてガザ地区のパレスチナ人を大量虐殺開始、自由民主党5派閥における政治資金パーティー収入裏金問題
令和6年2024年甲辰ふ/れ十三帖/十八帖六/四令和6年能登半島地震、羽田空港地上衝突事故
2025年乙巳こ/た十四帖/十七帖七/三
2026年丙午え/よ十五帖/十六帖八/二
2027年丁未て/か十六帖/十五帖九/一
2028年戊申あ/わ十七帖/十四帖十/〇
2029年己酉さ/を十八帖/十三帖マコトのことはトリの年
2030年庚戌き/る十九帖/十二帖〇/十
2031年辛亥ゆ/ぬ二十帖/十一帖一/九
2032年壬子め/り二十一帖/十帖二/八
2033年癸丑み/ち二十二帖/九帖三/七
2034年甲寅し/と二十三帖/八帖四/六
2035年乙卯ゑ/へ二十四帖/七帖五/五宵の明星が東へ廻っていたら、いよいよだぞ2035年9月2日皆既月食、太陽の左下に金星
2036年丙辰ひ/ほ二十五帖/六帖六/四
2037年丁巳も/に二十六帖/五帖七/三
2038年戊午せ/は二十七帖/四帖八/二
2039年己未す/ろ二十八帖/三帖九/一
2040年庚申ん/い二十九帖/二帖十/〇
2041年辛酉三十帖/一帖マコトのことはトリの年、↓大いなるタメシ?
2042年壬戌
2043年癸亥
2044年甲子
※1 :元は十と四十七と四十八
※2 :三十年一切ぞ :建て替えが十年延びた
※3 :宮/富士(〇九十):(一二三/春マケ):(三四五/夏マケ)
:(五六七/秋マケ):(七八九/冬マケ):(八九十/ハルマゲドン)
※4 :元の人三人、その下に七人、その下に七七、四十九人、合して五十九
※注 一柱一年と思いますが、実際は翌年に被ると思います。

春の巻は昭和27年の旧元旦の神示です。一行目は新年の挨拶と「スメ大神の生まれ出で給いぬ。」のダブルミーニングと思います。問題は二行目以降で、大正10年(1921年)辛酉から「三十年一切ぞ」建て替え三十年が行われているなら、それが1ラウンド終わった直後であり、「グルグル廻って始めから」の可能性があります。もっとも、ここで「建て替えが十年延びた」(祭りの巻 第二十一帖)が無視されていますが、60年で建て替え30年づつが常時行われていると仮定するなら、次に繰り越されても大した問題は無いのかもしれません。「始めの始めと始めが違うぞ。皆始めヒからじゃ。」というのは「神初め」と建て替えは違うからでしょう。「建て替え三十年」は大正10年(1921年)辛酉から始まって、「はじめの御用」は昭和8年(1933年)癸酉からなので「十二年遅れているのを取り戻すのであるから」(春の巻 第五十五帖)になると。唯一の例外「元は十と四十七と四十八と合わせて百と五ぞ、九十五柱だぞ。」(岩の巻 第四帖)は、「十柱」と、ひふみ四十七音の「かずたま」と、いろは四十八音の「いろたま」の数の合計を、最終年である2041年辛酉に合わせるためだと推測しております。恐らくひかり教会の人たちは、この神示が105年(120年とも)にも及ぶとは思っていなかったのかもしれません。そして「三四五みよいづ」の御用と建て替えの意味を誤認している可能性があります。

青葉の巻 第十五帖

世の建て替えと申すのは、身魂の建て替えだから取り違いせんよう致されよ、
ミタマとは身と霊であるぞ、
今の学ある人民 ミばかりで建て替えするつもりでいるから、
タマがわからんから、いくらあせっても汗流しても建て替えできんのだぞ。
天地の秋来ていることは大方の人民にはわかっておりて、
さあ建て替えじゃと申しても、肝腎のタマがわからんから成就せんのだぞ。
神示読んでタマ早う掃除せよ、
世界から見るから日本が日本ぞ、もう一つ上の世界から見れば世界は日本ぞ、神国だぞ、
今までは大地の先祖の大神様の血統を落としてしまって途中からの代わりの神でありたから、
まぜこぜしたから世が乱れに乱れてしもうたのじゃぞ、
知らせてあろうがな、よく納得してくれよ、人民 皆その通りになっているのじゃ。

昭和22年8月4日(1947年 皇紀2607年 丁亥)

とすると、磐戸の巻 第十六帖の方を先に検証しなければなりません。まずは「世の建て替えは水と火とだぞ。」と言っている点からです。「火」とは、1954年3月1日にビキニ環礁で行ったアメリカの水素爆弾実験で、第五福竜丸が多量の放射性降下物(死の灰)を浴びた事でしょう。無線長だった久保山愛吉さん(当時40歳)が「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」と遺言して亡くなった事(1954年9月23日)も、反核運動へのトリガーになって署名数は同年12月14日時点で20,081,232筆にも及びました。それなのに原子力発電に邁進するとは…未だに後始末すら出来ないのに。使用済み核燃料片せるようになってからっていうのが筋ではないのか?だから勝海舟先生に「文明流になさい」って言われちゃうんだと思うのです。第8話でも上げた風の巻 第五帖で「今の文明無くせんと申してあろうが、文明残してカスだけ(のう)に致すのじゃ」って述べておられますが、これ日月の巻 第十九帖に係っているのだと思います。

日月の巻 第十九帖

今のやり方、考え方が間違っているからぞ。
洗濯せよ掃除せよと申すのは これまでのやり方考え方をスクリと改めることぞ。
一度罷りたと思え。
掃除して何もかも綺麗にすれば神の光りスクリと光り輝くぞ。
ゴモク捨てよと申してあろうがな。人の心ほど怖いものないのだぞ。
奥山に紅葉あるうちにと申すこと忘れるなよ。
北に気つけよ。神の詞の仕組み よく腹に入れておいて下されよ。
今度の更つの世の元となるのだぞ。

昭和19年11月7日(1944年 皇紀2604年 甲申)

早うカスを無害に出来るようにしなくてはなりません。放射線を電気へ変換する直接発電、ベータボルタ電池とか現時点では最高のアイディアではないかと。

水は、昭和24年(1949年)のジュディス台風(昭和24年台風第9号)や、昭和25年(1950年)のジェーン台風(昭和25年台風第28号)、昭和28年西日本水害(1953年)等が挙げられます。10年から外れますが、昭和34年(1959年)伊勢湾台風は、第二次世界大戦後の自然災害中、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)、1995年1月17日の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)に次ぐ被害であり、台風災害としては最悪になってしまいました。これだけ揃えば「子の歳真ん中にして前後十年が正念場」とは、天明氏の予想通り「昭和23年(1948年)戊子」だと解釈しても良さそうです。全くイヤな検証だ。

それ故に磐戸の巻 第十六帖の「くるくる廻って また始めからお出直しで御用せねばならんようになって来るぞ。」とは、春の巻 第一帖の「皆々御苦労ながら、グルグル廻って始めからじゃと申してあろうが」に係ってくるわけです。これは仕方ないのです、リアルタイムで現象と照らし合わせていく事の難しさ、考え方が異なる会員たちの渦中に身を置きながらも、一方で神様の御用を続けていく事を考えるならば。それに昭和23年当時、天明氏と佳代子夫人は共に病床の身だったそうです。

一方の紫金之巻 第九帖は、春の巻の「スメ大神の生まれ出で給いぬ」に対して、「あれ出でましぬ 隠れいし神」になっております。この両者が異なる神様かどうかは分かりませんが、以下の神示が関係しているかもしれません。

空の巻 第二帖

ひふみゆらゆらと一回二回三回唱えまつれよ、蘇えるぞ。
次に人は道真ん中にしてワとなり、皆の者 集まりてお互いに拝み、
中心にまつりまつり結構ぞ、節分からでよいぞ。
このお道の導きの親 尊べよ、
どんなことあっても上に立てねばならんぞ、順乱しては神の働きないと申してあろうがな。
直会には神の座 上に作らなならんのだぞ、神人共にと申してあろうがな、
まだわからんのか、順正しく礼儀正しく神にも人にも仕えまつれよ。
束ねの神は、束ねの人はあとからじゃ、あとから出るぞ。

昭和22年1月1日(1947年 皇紀2607年 丁亥)

月光の巻 第五十帖

何も難しいこと申すのではない。
自分の、内の自分を洗濯して明らかに磨けば良いのじゃ。
内にあるものを浄化すれば、外から近づくものが変わって来る道理。
内の自分を洗濯せずにいて、汚いものが近づくとか、世の中が暗いとか、
不平申してござるなれど、そこにそなたの間違いがあるぞ。
木でも草でも中から大きくなって行くのじゃ。
三千年に一度の時がめぐり来ているのであるぞ。
為せば成る時が来ているのじゃ。為さねば後悔ぞ。
時過ぎて種蒔いても、くたびれもうけ。
そなたは世の中が悪いとか人が良くないとか申しているが、すべては大神の肚の中にいて、
一応大神が許しなされておればこそ存在し、生命しているのであるぞ。
悪く映るのは心の鏡が曇っているからぞ。悪い世の中、悪い人と申すことは、
神を悪く申し、神界が悪いのじゃと申すのと同じであるぞ。
新しき世界には【新しき天詞】をこしらえねばならん。このこと間違えるでないぞ。
珍しき御型(方)が出て来てびっくりじゃ。びっくりしなければヒックリとはならんぞ。
神は今まで化けに化けていたが、もう化けてはおられん。人民ももう化けてはおられんぞ。
九分九厘までは化けて、我慢していたなれど、化けの世、方便の世、方便の教えは済んだのじゃ。
教えでは世は正されん。教えの集いは潰れてしまうのじゃ。
無理してはならん。そなたの無理押しは良いことを悪く曲げるぞ。

昭和34年3月3日(1959年 皇紀2619年 己亥)

月光の巻 第五十帖の「珍しき御型(方)」は、この業界では有名で、「次の世の型」に比定されているそうです。それよりも私が気になっているのが、空の巻 第二帖の「束ねの神は、束ねの人はあとからじゃ、あとから出るぞ」というフレーズの方です。…もし、この三つの神示が同じ方を指しているのだとしたら、それは最後の「八九十」の時代の、私たちの想像が及ばないような話なのかもしれません。

雨の巻 第四帖

世界の臣民 皆手引き合っていく時来たくらい申さないでもわかっているであろうが、
それでもまだ一苦労二苦労あるぞ、
頭でわかっても肚でわからねば、発根の改心できねば、まだまだ辛い目に会うのだぞ、
人民 自分で首くくるようなことになるのだぞ、わかったであろう。
天の御三体の大神様と 地のお土の先祖様でないと今度の根本のお建て替えできんのだぞ、
わかっても中々わからんであろうがな。洗濯足らんのであるぞ。
今度はめんめにめんめの心改めて下されよ、
神は改めてあるが、神から改めさすのでは人民可哀想だから めんめめんめで改めて下されよ、
改まっただけ おかげあるのだぞ。
今度の岩戸開いたら末代のことだぞ、天地の違いに何事も違うのだぞ。
信者引っ張りに行ってくれるなよ、神が引き寄せるから、役員のところへも引き寄せるから、
訪ねて来た人民に親切尽くして喜ばせてやれと申してあろうが、
人民喜べば神嬉しきぞと申してあろうが、草木喜ばせてやれよ、
神示よく読めば どうしたら草木動物喜ぶかということも知らせてあるのだぞ、
今までの心 大河に流してしまえば何もかもよくわかって嬉し嬉しとなるのだぞ、
まだまだ世界は日に日にせわしくなって言うに言われんことになって来るのだから、
表面ばかり見ているとわからんから、心大きく世界の民として世界に目とどけてくれよ、
元のキの神の子と、渡って来た神の子と、渡って来る神の子と三つそろってしまわねばならんのぞ、
アとヤとワと申してあるが段々にわかって来るのだぞ。
実地のことは実地の誠の生き神でないとできはせんぞ、臣民はお手伝いぞ、
雨風さえどうにもならんであろうが、
生き物なんで息しているか、それさえわからないでいて何でもわかっていると思っているが鼻高ぞと申すのだ、
今のうちに改心すれば名は現さずに許して良き方にまわしてやるぞ、早う心改めよ。

昭和20年10月16日(1945年 皇紀2605年 乙酉)