今に世界の臣民人民 誰にもわからんようになりて上げも下しもならんことになりて来て、
これは人民の頭や力でやっているのではないのだということハッキリして来るのだぞ。
どこの国、どんな人民も「なるほどナァ」と得心の行くまで揺すぶるのであるぞ。
今度は根本の天の御先祖様の御霊統と根元のお地の御先祖様の御霊統とが一つになりなされて、
スメラ神国とユツタ(ユダヤ)神国と一つになりなされて末代動かん光の世と、
影のない光の世と致すのじゃ、
今の臣民には見当取れん光の世とするのじゃ、光りて輝く御代ぞ楽しけれ。
悪い者殺してしまって 良い者ばかりにすれば、善き世が来るとでも思うているのか、
肉体いくら殺しても魂までは、人民の力ではどうにもならんであろうがな。
元の霊まで改心させねば、今度の岩戸開けんのじゃぞ、
元の霊に改心させずに肉体ばかりで、目に見える世界ばかりで、
理屈で良くしようとてできはせんぞ、それくらいわかっておろうが、
わかっておりながら他に道ないと、仕方ないと手つけずにいるが、
悪に魅入られているのじゃぞ、悪は改心早いぞ、
悪神も助けなければならんぞ、霊から改心させなければならんぞ、
善も悪も一つじゃ 霊も身も一つじゃ、天地じゃとくどう知らせてあろうが。
どんな良いこと喜ばせて知らせても、聞かせても、今の臣民人民 中々言うこと聞かんものじゃぞ。
この道に縁ある者だけで型出せよ、カタで良いのじゃぞ。
昭和21年6月30日(1946年 皇紀2606年 丙戌)
日ユ同祖論には踏み込むつもりはありません、と前置きしておきます。一方、日本人とユダヤ人の両者に共通の言語圏に属する祖先が存在する可能性は否定いたしません。
実は私、当初はこの訳文を疑っていました。「ユツタ(ユダヤ)神国と…」という件だけなのですけどね。「ユツタ 語源」でググると、日月神示が書かれたサイトが殆どなのですが、「比丘尼品詣経」という記述が一点、そして…。
アインとその郊地ユツタとその郊地ベテシメシとその郊地此九の邑は此ふたつの支派の中より分ちしものなり
旧約聖書「ヨシュア記」21:16
ユツタ(Juttah)ユダの山地にありしレビ人の市邑なり
WEBヘボン聖書辞典
ttp://www.babelbible.net/hepburn/hepburn.cgi?mode=right&page=539
Juttah
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Juttah
Yatta, Hebron
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Yatta,_Hebron

この事さえ気が付かなければ、この神示を話題にすることは無かったと思います。(英語表記で)「Yata」?日ユ同祖論に首突っ込みたくないというのに。
八咫烏
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/八咫烏
ワタリガラス
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/ワタリガラス
リンクだらけですみません。八咫烏は神武東征の際、熊野国から大和国への道案内をしたとされる導きの神様として知られておりますが、同じような話が海外にもあるのです。
星野道夫「ワタリガラスの神話」より
ワタリガラスがこの世界に森をつくった時
生き物たちはまだたましいをもっていなかった。
人々は森の中に座りどうしていいのかわからなかった。
木は成長せず動物たちも魚たちもじっと動くことはなかった
ワタリガラスが浜辺を歩いていると
海の中から大きな火の玉が上がってきた。
ワタリガラスはじっと見つめていた。
すると一人の若者が浜辺の向こうからやって来た。
彼の嘴は素晴らしく長くそれは一羽のタカだった。
「力を貸してくれ」
通り過ぎてゆくタカにワタリガラスは聞いた。
あの火の玉が消えぬうちに
その炎を手に入れなければならなかった。
若者は地上を離れワタリガラスに
言われた通りに炎を手に入れると
ものすごい速さで飛び続けた。
炎が嘴を焼きすでに顔まで迫っていた
若者はその熱さに泣き叫んでいたのだ。
ワタリガラスは言った。
「人々のために苦しむのだ。
この世を救うために炎を持ち帰るのだ」
やがて若者の顔は炎に包まれ始めた
ついに戻ってくるとその炎を
地上へ崖へ川の中に投げ入れた。
その時すべての動物たち
鳥たち魚たちはたましいを得て動きだし、
森の木々も伸びていった・・・・・・・。
日本神話にも登場するヤタガラス(八咫烏)も
ワタリガラスではないかと言われています。
ワタリガラスの神話 – 空想地球旅行
ttps://walkthrough-the-earth.com/2010/11/07/ワタリガラスの神話/
下のリンク先の話もすごいです。
ワタリガラスがこの世界にどのようにして光をもたらしたのか HiroAOKI
ttps://note.com/aoki_hirofumi/n/n8fa24b518b1f
レビ族は祭司の一族であり、ヤコブの12人の子供の1人ではあるが、所謂イスラエルの十二支族には数えられていないのです。は?と思われるかもしれませんが、ヤコブは4人も妻がおり(…)、ラバンの娘レアの子 – ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ゼブルン、一人娘であるディナ、ラケルの下女ビルハの子 – ダン、ナフタリ、レアの下女ジルパの子 – ガド、アシェル、レアの妹ラケルの子 – ヨセフ、ベニヤミンの12人兄弟と1人娘なのですが、更にヨセフの息子エフライムとマナセを加えて、ヨセフ当人とレビ、ディナを除いた子の子孫を「イスラエルの十二支族」、新アッシリア王国にイスラエル王国(北王国/基本的にユダ族とベンヤミン族以外)が占領され、ユダ王国(南王国/基本的にユダ族とベンヤミン族)までもが捕虜として連れ去られた事件を「アッシリア捕囚」と言い、「イスラエルの失われた10支族」とは北王国滅亡に伴って行方が知られていない10部族(ルベン族、シメオン族、ダン族、ナフタリ族、ガド族、アシェル族、イッサカル族、ゼブルン族、マナセ族、エフライム族)の事を指します。その後、新バビロニアにユダ王国国民をバビロンに強制移住させた事件を「バビロン捕囚」と言い事態は更に悪化します。。その新バビロニアを征服したのがアケメネス朝ペルシア帝国のキュロス2世です。紀元前538年または紀元前537年の「キュロスの勅令」により、バビロン捕囚にあったユダヤ人をはじめ、バビロニアにより強制移住させられた諸民族が解放されました。旧約聖書においてもユダヤ人を解放する唯一の非ユダヤ人メシア(救世主)であると(イザヤ書45章1節)評されています。西暦前537年初めごろにキュロス2世は、イスラエル人がエルサレムに帰還して神殿を再建する許可を出し、総督ゼルバベルと大祭司エシュアに導かれた4万2,360人の「流刑囚の子ら」に加えて、7,537人の奴隷や歌うたいたちが約4か月の旅を経てエルサレムに帰還したそうです。随分と少ない数ですが、おそらくこの段階までに部族の同化がかなり進んでいたとは想像できます。またアッシリア捕囚の際にサマリア等の他地域に移住、現地で同化を果たしたユダヤ人もいるので、当時の捕囚中の身にありながら、「イスラエルの失われた10支族」どころかイスラエルの十二「支族のアイデンティティー」を自覚し続けたユダヤ人がどれだけ残っていたのかは少々疑問です。もちろん、「バビロン捕囚」時代においては「後のユダヤ人としてのアイデンティティー」の確立を果たした事に何の疑いも持ちませんが、一方で支族のアイデンティティーまで維持できる環境、状態であったかどうか。実際「バビロン捕囚から帰還後は、多数派であるユダ族と、祭司の役目を任されたレビ族以外は各部族としてのアイデンティティーを失って、概ねユダ族に同化されたと考えられており、「ユダヤ人」「レビ人」という言い方は残っているが他の部族の呼称が出てこなくなる。」という話も聞きます。後の世において「ユダヤ人のディアスポラ」と言うものの、「イスラエルの失われた10支族」と言うのは、事実上「バビロン捕囚」時代までに名実ともに失われているのだと思います。

カナン
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/カナン
紀元前4400年頃には、ヨルダン渓谷東部にガスリアン文化が起こり、青銅器時代前期のレバント南部にはエン・エスルやメギドといった都市が繁栄し、この地域に住んでいた人々が「原カナン人」とされております。シュメール人の都市マリの紀元前18世紀の残骸で発見された文書では、既に政治的な共同体として確認されているそうです。一方でヨルダン川東岸の山岳地帯からカナン地方に進出してきたとされるイスラエル人達の出自は今のところよくわかっていません。シュメールの古代都市「ウル」だとするのが定説のようですが、紀元前14世紀頃のエジプトの文書からは、「アピル」と呼ばれる集団がパレスチナ(カナン)で略奪行動を行っていた事が確認されており、紀元前1207年の出来事を記したエジプトのイスラエル石碑には「イスラエル」という言葉が記述されているので紀元前1207年までにはイスラエルを名乗る集団、政治的な共同体の存在が伺えます。


前1200年のカタストロフ
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/前1200年のカタストロフ
ヒッタイトは紀元前1680年頃に起こったヒッタイト古王国、紀元前1500年頃に成立したヒッタイト中王国(雑な名前ですね)、紀元前1430年頃に成立したヒッタイト新王国がありますが、紀元前1190年頃には民族分類が不明の地中海諸地域の諸種族混成集団と見られる「海の民」によって滅ぼされたとされているものの。その実態は王国の末期に起こった3代におよぶ内紛が深刻な食糧難などを招き、国を維持するだけの力自体が既に失われていたことが明らかになっています。当時、鉄器の生産技術はヒッタイトの専売特許でした。まぁ特許なんてないですが。この技術がヒッタイトの崩壊に伴って周辺諸国に流出、青銅器時代は終焉を迎え、鉄器時代が始まる事となりました。
ところで上のヒッタイトの地図の下に「Byblos」という地名が見えますが、これは現在ベイルートの北にある「ビブロス」だと思います。横にキプロス島が見えるので。タイミング的には「ヒッタイトからの難民がカナンの地を襲った」という図も想像出来なくはないです。少なくともエジプトやシュメールのウルから歩いてくるよりもずっとイスラエルに近いですから。そして内陸、現在のシリアやイラク、イランには(先述のアッシリア捕囚の)アッシリアがありました。その南にダマスカスがあるのですが、イスラエルが建国される地域を抑える事が出来たのは「ソドムとゴモラ」にまつわる話のおかげかも知れません。
ソドムとゴモラ
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/ソドムとゴモラ
2005年から行われているヨルダンの死海周辺にある古代都市遺跡タル・エル・ハマムの発掘調査により、紀元前1650年ごろに隕石の空中爆発によって広範囲が破壊されたという研究結果が発表された。この隕石爆発は、史上最大級とされるツングースカ大爆発を遥かに上回る、広島型原爆の1000倍以上のエネルギーであったと推定され、通常の自然では考えられないほどのその高熱や衝撃の証拠となる遺物が多数発見されており、その分布も爆風に起因する一貫した方向性が見られる。また、この「破壊層」は、その高熱と衝撃により死海から撒き散らされ、その後600年にも渡って周辺地域一帯が無人の放棄状態とされた原因と考えられる高濃度の塩分が特徴的であり、この際の塩害と「ロトの妻が塩の柱になった」というエピソードには関連性が窺われる。研究チームは、この史実が天からの硫黄と火による都市滅亡の伝承につながった可能性があるとしている。この研究については疑問点を指摘する論者や否定的な見解を示す論者もいる
タル・エル・ハマムは、下の地図、死海北部の町エリコ(現在のイェリコ)から見てヨルダン川東側、現在のヨルダン領Ar-Rawdaにあります。ソドムとゴモラが何処にあったかは諸説あるようですが、概ね死海周辺だと見られております。だとすると当然ながら、カナンの人たちはこの出来事を目撃しているのだと思われます。

古代イスラエル
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/古代イスラエル
旧約聖書の中でも大事件として扱われるのが、モーセのエジプト脱走である。それによれば、ヤコブの子のヨセフの時代にイスラエル人はエジプトに移住し、エジプト王の厚遇を得て栄えたが、王朝が代わって迫害が始まり、イスラエル人たちはモーセに率いられてエジプトを脱走し、40年間荒野を放浪して約束の地であるカナンに辿りついたというものである。
出エジプトの話が問題なのは、文書資料が豊富なエジプト側には一切の記録が無い事です。「60万人という大規模な脱走事件が起きた(出エジプト12:37、民数記1:46)ことは想定し難く、ごく少数者の脱走事件であったのだろうと推定されている」なんて書かれておりますが、配慮にしか見えません。上で「アピル」と呼ばれる集団がパレスチナ(カナン)で略奪行動を行っていたというのはエジプト側の文章で確認されており、これを旧約聖書のヨシュア記と士師記に当てはめるとタイミング的にはドンピシャリです。
即ち、アピルなどという野盗行為では体裁が悪いので、「旧約聖書の中では、カナン人とはイスラエル人により”聖絶”される7つの民の1つである(申命記)」などと黒歴史の隠蔽を行っているように見えます。
聖絶
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/聖絶
畑や家畜などを聖絶として神に捧げた場合は、それを売ることも買いもどすこともできないものとして完全に神に捧げ尽くさなければならず(レビ記27:28)、そのようにして捧げられたものは祭司のものとなった(レビ記27:21、民数記18:14)。ただ、その捧げ物が人間であった場合は必ず殺されなければならなかった(レビ記27:29)。
イスラエルに敵対する異民族に対して聖絶が用いられる時は、「神への奉納物として、異教の神を拝むものとそれに関連する事物をことごとく滅ぼし尽くす」こと、全ての戦利品を滅却することを意味した[5]。すなわち、聖絶の対象とされた敵対異民族は全員が剣で殺され、また家畜も含め生けるものは全て殺戮された。また、通常の戦闘では許される女子どもの捕虜も、また家畜などの戦利品も、聖絶においては自分たちの所有物とすることは許されず、全てが神への捧げ物とされなければならなかった。さらに、それ以外の剣でもって滅ぼせないものは火をもって焼き尽くされ、また、燃やすことの出来ない金銀財宝などは神殿の奉納倉へ納めて、「呪われた汚らわしきもの」として民衆の手からは隔離されなければならなかった。そして、聖絶のものを私物した者は、神の怒りに触れるものとして、罰として処刑された。聖書はその理由として、イスラエルに聖なる生き方をさせて、彼らが先住民の宗教からの誘惑に負けて神に対して罪を犯さないためであるとする(申命記7:1-6、20:16-18)
だから今日のガザ地区侵攻も「聖絶」ってか?ふざけるな!
なお、今日の「聖絶」は大きく分けて少なくとも三度目であり、二度目は第二次世界大戦でナチスを利用した「シオニスト共によるパレスチナ乗っ取りによる今日のイスラエル建国」に伴う戦争である事は最早疑いようもありません。

世界史のタブーである東洋系(オリエンタル)ユダヤ人と白人系ユダヤ人のルーツ
ttp://inri.client.jp/hexagon/floorA1F/a1f1000.html#02
7世紀頃、コーカサスからカスピ海北岸に、総人口が100万の「ハザール王国」という巨大王国が存在していた。住民はトルコ系白人(コーカソイド)で、商人・職人・武人として優れていたが、周囲の国とは違ってこれといった宗教を持っていなかった。不運なことに、キリスト教を国教とする東ローマ帝国(ビザンチン帝国)と、イスラム教を国教とするイスラム帝国は、ハザール王国をはさむ形で政治的にも宗教的にも対立していた。そのためハザール王国は次第に両国の「宗教的な干渉」を受けるようになり、どちらの宗教に改宗しても国全体が戦火に巻き込まれるのは必至という状況に陥った。ふつう国が瀕死の状態になった時には、どちらか強い方の勢力を選んでしかるべきだが、ハザール王国のオバデア王はこともあろうに国民まとめてユダヤ教に改宗させてしまったのである。~現在、世界中に散らばっている“ユダヤ人”と呼ばれている人間の90%以上が、本来のヘブライ人とは全く関係のない異民族ということになってしまうが、これは恐るべき事実である。」
結局のところハザール王国は、現在のロシアのルーツ、キエフ大公国(キエフ・ルーシ)や東ローマ帝国、新たに台頭してきたモンゴル帝国の攻撃を受け、12世紀前後に滅亡してしまったのですが、結果ロシアは「この毒を飲んだせいで」のちに共産革命を起こされてソビエト連邦と化し、今日のウクライナ問題にまで至る禍根を引き起こされる羽目になりました。(第八話「日の出の巻 第七帖」のジェイコブ・シフ(ユダヤ人)は、帝政ロシア打倒のためにウラジーミル・レーニン(少なくとも母方がユダヤ系)やレフ・トロツキー(ユダヤ人)のグループに対して資金を提供し、ロシア革命を支援しており、その経緯はユダヤ人のシンジケート無しにはとても考えられない)今日主にアメリカやヨーロッパが抱えている「病巣」を見ても(ハザール/アシュケナージ)、古代イスラエルの成り立ちから見ても(セファルディ)、大差ない事が分かります。
古代カナン人のDNAを現代アラブ人とユダヤ人が継承
ttps://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/060100328/
カナン人の遺伝子は、現代に生きる多くのユダヤ人とアラブ人に受け継がれているという研究です。以上の結論として、真に祝福されるべきは「聖絶命令を拒否して、カナンの人たちと和し、平和的に共存する事を選んだ市井のユダヤとアラブの人たち」だと思います。その人達こそ、「市井のパレスチナの人たち」です。
元ソ連外交官が語る「ロシア-ユダヤ闘争史」の全貌
ttp://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhb500.html
旧ソ連時代、駐日ソ連大使館に勤務する外交官だったアレキサンドル・イワノフ氏が1993年夏に日本を訪問した際の講演内容です。必見です。
…
梅の巻 第二十一帖
身欲信心スコタンばかり、天津日嗣の御位は幾千代かけて変わらんぞ、
日の大神様、月の大神様、地の大神様、御血統弥栄弥栄ぞ。
日本の人民アフンとするぞ、皆それぞれのゆかりの集団にゝ入れよ、
神示ひふみ(一二三)となるぞ、
天明(岡本天明)は画家となれ、絵描いて皆にやれよ、弥栄となるぞ、やさかいやさか。
今度はキリスト教も仏教も何もかも生かさならんのぞ。
早くからこの方の元へ来ていても因縁あっても肝腎がわからんと後戻りばかりじゃ、
肝腎肝腎じゃ、学もよいが、それはそれのようなものじゃぞ、
途中からの神は途中からの神、途中からの教えは途中からの教え、
今度の御用は元のキの道だぞ、世の元からの神でないとわからんぞ、できはせんぞ、
生まれ赤児の心とは途中からの心、教え、すっかり捨ててしまえということだぞ。
昭和21年12月14日(1946年 皇紀2606年 丙戌)
岡本天明伝[日月神示]夜明けの御用(黒川柚月氏/著)に昭和21年、高田集蔵氏が「雨の巻」の解釈を聖書のノアの洪水になぞらえた解釈を発表した事から研究会が紛糾した話が記述されています。笠井鎮夫氏が「神の姿は長物」即ち龍体であると述べたところ、小川源之助氏は龍の存在を信じず、先の高田氏が「独一真神を信じる者は龍神なんかに媚びる必要はない」と反論したそうですが、私の推測ですけど、これらの発言を受けての神示がこの「梅の巻 第二十一帖」だと思うのです。正直戦後の神示に微妙な傾向の違いを感じておられる方もいらっしゃると思いますが、戦争が終わった故に個人の主観、宗教観がより大きく出てしまっているように感じます。高田氏は昭和25年頃ひかり教会から離れることになるのですが、天明氏の周りがだんだん宗教的になるのに嫌気がさしたそうです。「ニニは晴れたり日本晴れ」を読み解いた功労者でもある故、批判したくはないのですが、宗教色を持ち込んだのは誰だったのでしょうか?とも思う。
どうしてこんな事を書いたのかと言うと、神示の解釈自体は大筋では間違っていないと思うのですけど、冒頭の光の巻 第六帖の「ユツタ(ユダヤ)神国~」という解読自体ホントに正しいのか?疑問が生じたからです。お「釈迦」様やイエス「キリスト」の名前はたびたび上がる、マハメット、孔子もあった、じゃあモーセは?ヤハウェは?「石屋」という表記はあるけどダイレクトに「ユダヤ」と言った事もないはず。戦時中ならいざ知らず、戦後の神示で「ユツタ」というわかりにくい言い方をする必要があったのか疑問が残ります。もちろん実際にレビ族や八咫烏を指している可能性が無いわけではありませんが、ここだけ「ユツタ」と言われても正直釈然としないところがあります。もっとも原文見られないんで何とも言えないのですけど。そしてもっとも原文を見ても理解できないというところまでがデフォ(・ω・`*)ショボン …
光の巻 第七帖
アは元のキの神の子ぞ。ヤとワは渡って来た神の子ぞ。㋳㋻は渡って来る神の子だぞ。
十の流れ、十二の流れと今にわかる時来るぞ、
三ッ巴現れるぞ、メリカ、キリスも、オロシヤも、世界一つに丸めて一つの王で治めるのじゃぞ、
外国人も神の目からはないのだぞ。今一戦あるぞ。早う目覚めて、毛嫌い致さず、仲良く御用結構ぞ。
竜宮の音秘殿、岩の神殿、荒れの神殿、
世界のカタハシからいよいよに取り掛かりなされているのだから、
世界のできごと気つけて、早う改心結構ぞ。(す)と二(ふ)と四(よ)との大き戦あると知らしてありたが
一旦は二(ふ)と四(よ)の天下になる所まで落ち込むぞ、行く所まで行きて、
ナのミタマとノのミタマの和合一致できてからスのミタマが天下統一、世界一平となるのじゃぞ。
いよいよ大峠 取り上げにかかるのだぞ。
昭和21年7月19日(1946年 皇紀2606年 丙戌)
アヤワ㋳㋻が五十九柱というのは、第五話「梅の巻 第十九帖」で述べました。一方でダブルミーニングはあると思うし、あるはずです。(す)と二(ふ)と四(よ)とか「ナのミタマとノのミタマの和合一致できてからスのミタマが天下統一」というのは、現世に対象が存在するはずというのは神示にある通りです。「十の流れ」というのはおそらく「アからワに至る五十音の横」、「十二の流れ」が㋳と㋻を足した数だと思います。この神示に気が付くまで「ニニ」=「宮」=干支の「十干」「十二支」とばっかり思っていましたが、あるいはその両方、現世の事があるから更にもう一つ、トリプルミーニングか。
月光の巻 第十六帖
五十九柱と申してあるが、その中の九柱は隠れた柱じゃ。
㋳㋑㋴㋓㋵㋻㋼㋽㋾ぞ。㊀㊁㊂㊃㊄㊅㊆㊇㊈ぞ。この九柱は◯ぞ。
心得なされよ。現れの五十柱のかげの、隠れた九柱、心して大切申せよ。
まっすぐに真上に神をいただくと申すことは、上ばかりではないぞ。
真下にも横にも前後にも立体三六◯度に まっすぐに神を頂かねばならんということぞ。
神人交流の第一歩。
昭和34年1月3日(1959年 皇紀2619年 己亥)
ただ「㋳㋻は渡って来る神の子」であって、「現れの五十柱のかげの、隠れた九柱」である以上、イスラエルの十二支族に見立てるのって(雨の巻 第一帖とか)、やっぱり違うような気がするのです。文脈からして「イスラ」ではなく、「五十連」ではないかと思うのですが。
殆ど解決になってませんが、今日はこの辺で。
前1200年のカタストロフがもたらした民族離散…。その中で日本に至ったグループが存在しても不思議ではありませんが。