第二十八話「富士の巻 第二十帖」

今のうちに草木の根や葉を日に干して貯えておけよ、保食の神様お怒りだから、
九十四(今年)は五分位しか食べ物採れんから、そのつもりで用意しておいてくれよ。

神は気もない時から知らせておくから、この神示よく読んでくれよ。
一握りの米に泣くことあると知らせてあろうがな、米ばかりでないぞ、
何もかも臣民もなくなるところまで行かねばならんのぞ、臣民ばかりでないぞ、
神々様さえ今度は無くなる方あるぞ。臣民というものは目の先ばかりより見えんから、
呑気なものであるが、いざとなっての改心は間に合わんから、くどく気つけてあるのだぞ。
日本ばかりでないぞ、世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあろうがな、
神にすがって神の申す通りにするより他には道ないぞ、
それで神々様を祀りて上の御方からも下々からも朝に夕に言霊が
この国に満つ世になったら神の力現すのぞ。
江戸に先ず神まつれと、くどく申してあることよくわかるであろうがな。

昭和19年8月27日(1944年 皇紀2604年 甲申)

現在に至る米不足というムードは、以下の報道に遠因があると思います。

【なぜ】田んぼの底に亀裂「水が減るスピードが異様に速い…」 梅雨入りも遅れ“水不足”が「コシヒカリ」にも影響

ttps://www.fnn.jp/articles/-/712499?display=full

雪どけ水少なく農業用水不足 コメの生育に影響 南魚沼市など

ttps://www3.nhk.or.jp/lnews/niigata/20240621/1030029633.html

新型コロナの教訓は生きたか?南海トラフ地震臨時情報で混乱した夏休み、政府が検討すべき“狼少年”にならぬ伝え方【西田亮介の週刊時評】政府への不信感がいざという時の行動を鈍らせる

ttps://jbpress.ismedia.jp/articles/-/82947

世間が米の買い占めに走ったであろう直接のトリガーと思われるのは、南海トラフ地震臨時情報の発表なのは確実でしょう。8月8日に日向灘で発生した地震の後でも店頭の米の在庫はありました。そんな状況を一変させたのは、南海トラフ地震臨時情報の発表の後なのです。

「令和の米騒動」値上げ、品薄で確保困難、なのになぜ精米して1ヶ月の米をスーパーは棚から撤去するのか

ttps://news.yahoo.co.jp/expert/articles/a74172d48c665e088c162e469cf21707964a538f

この方の指摘されている問題点については、令和6年に限った話では無いのですが、これを機会として考えるべき問題として紹介しておきます。50年以上前からそうしているからその先どうなっているかわからないというのは、即ちマニュアルに無いから対応できない、上や周りに従っているだけで私の責任ではない、この件についてのこれ以上のコメントは差し控えたい、等…。何のためにお客様コールセンターがあるんだよ?ハッキリ言って、責任から逃れようとする者に給与を貰う資格は無い。こんな状況にも関わらず、岸田の後継者争いに興じているゴミ共もまた然り。

上の記事で、精米して1ヶ月から40日、50日程度で、どのスーパーも商品棚から撤去しており、撤去したあとどうするか、については企業や店舗によって異なり、コメの納入業者に返品する、捨てる、従業員に安く売る、フードバンクに寄付する等に分かれるようですが、そのスーパーの商品棚に並べられているのは、温めて食べるというパックのご飯です。もちろん、これらは昨日今日から店頭に並んでいたものでは無く、赤飯やら五目御飯といったバリエーション共々、以前からあったものです。その反面、このような米不足の状況にも拘らず、各社のパックのご飯が並べられているのをみると「やけに多いな」と疑問に思ったりします。真っ先に気が付くのは、製造メーカーの数。赤飯やら五目御飯といったラインナップを揃えられるのは、普段から店頭に並んでいるような業界トップメーカーだけなのです。

お米を買いたいのに…「政府備蓄米の放出」が実現しないのはなぜ? 坂本農相は「品薄は順次回復する」と語る

ttps://www.tokyo-np.co.jp/article/350356

パックご飯が災害時の備蓄のみならず、今回の米不足でお世話になっておりますが、普段からカップ麺のように常食している人っていうのは、流石に少ないだろうと思うのです。だからこれらパックご飯の流通量の多さを見て意外に思ったのです。ただ今回は運よく間に合っただけで、近い将来には不足するようになるのかもしれません。就農する人よりも辞める人の方が多いからです。

2021年に試すべき植物性たんぱく源15 栄養士がヴィーガンの人に推薦!

ttps://www.elle.com/jp/gourmet/gourmet-healthyfood/g36563662/plant-based-protein-21-0816/

日月神示をきっかけにベジタリアンになった方は結構おられるかと思います。実際私も第十二話では魚介類を食べて良いものかと悩み(栄養の問題から食べ続ける事にしました)、第十三話では不足しがちなビタミンB群を中心にサプリで補う事を書きました。

ところが、第十九話で報告しました通り、今年初めて肉離れを起こし、足がむくんでしまったのです。しかも筋肉が縮んでいるように感じるのです。今までこんな事なかったのに…と思い当たったのが、多分肉食を止めた事だろうと。今までなら、肉を食べない日があっても、卵サンドを食べていたかもしれないし、魚を食べていたかもしれない。食べない日があっても、問題ないほどの摂取量があったのかもしれない、ところが今の私のタンパク質の摂取量は計算値未満で、今日はネギが高いから納豆止めよう、魚もおいしそうなのがないな…とか考えていたらもう、タンパク質が取れないのです。結果的に、コラーゲンのサプリメントを飲む事にしました。三日目ですが、筋肉が縮むような感覚は大分薄れたように感じます。

今日の社会においては、ヴィーガンやベジタリアンの生活というのは、安易にお勧めできるもんじゃないな、と思います。実践にあたっては、それ相応の知識と判断力が必須です。

第二十三話「祭りの巻 第一帖」

五つに咲いた桜花、五つに咲いた梅の花、どちら採る気じゃ。
今までの教えではこの道わからんぞ、
ますます食う物なく曇りて来るぞ、その国その所々で当分暮らし向きできるぞ、
野見よ、森見よと申してあろう、青山も泣き枯れる時来ると申してあろう、
海川も泣き枯れる時来るぞ、
まだ聞かず我さえよければ良いと、我よししてござる人民神々様 気の毒来るぞ、
今までは神も仏も同じぞと申していたが神と仏とは違うのだぞ、
十(キリストの神)の動くが卍(仏)ぞ、卍の動くが(神)ぞ、
の澄みきりが(大神)ぞ、神と仏と臣民とは違うのじゃぞ。

昭和21年8月8日(1946年 皇紀2606年 丙戌)

「五つに咲いた桜花、五つに咲いた梅の花、どちら採る気じゃ」っていってる所に、「水神の森の」の画像ぶち込んでる108で御座います。大本神諭の明治二十五年旧正月の御筆先の「梅で開いて松で治める」というのを見てから画像を入れたからなんですけど。そういえば水神の森(甚兵衛公園)に「の木」が植えられてました。ここ松の森ですが。それで今回の神示、というわけでもないですが、「の巻」「の巻」「五葉の巻」(おそらく五葉松)はあれど「桜の巻」が無いというのが気になるところです。実際、日月神示には未だ公開されていない神示が存在するとされておりますが、それらについては詳細不明ですので…。

大本神諭 明治二十五年旧正月

三ぜん世界一同に開く梅の花、艮の金神の世に成りたぞよ。梅で開いて松で治める、神国の世になりたぞよ。
日本は神道、神が構わな行けぬ国であるぞよ。外国は獣類の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの国であるぞよ。
日本も獣の世になりて居るぞよ。
外国人にばかされて、尻の毛まで抜かれて居りても、未だ眼が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ。
是では、国は立ちては行かんから、神が表に現はれて、三千世界の立替へ立直しを致すぞよ。用意を成されよ。
この世は全然、新つの世に替へて了ふぞよ。
三千世界の大洗濯、大掃除を致して、天下太平に世を治めて、万古末代続く神国の世に致すぞよ。
神の申した事は、一分一厘違はんぞよ。毛筋の横巾ほども間違いは無いぞよ。
これが違ふたら、神は此の世に居らんぞよ。
『東京で仕組を駿河美濃尾張大和玉芝国々に、神の柱を配り岡山』 天理、金光、黒住、妙霊、先走り、
とどめに艮の金神が現はれて、世の立替を致すぞよ。
世の立替のあるといふ事は、何の神柱にも判りて居れど、何うしたら立替が出来るといふ事は、判りて居らんぞよ。
九分九厘までは知らしてあるが、モウ一厘の肝心の事は、判りて居らんぞよ。
三千世界の事は、何一とつ判らん事の無い神であるから、淋しく成りたら、綾部の大本へ出て参りて、
お話を聞かして頂けば、何も彼も世界一目に見える、神徳を授けるぞよ。
加美となれば、スミズミまでも気を付けるが加美の役。上ばかり好くても行けぬ、上下揃はねば世は治まらんぞよ。
洋服では治まらん、上下揃へて人民を安心させて、末代潰れぬ神国の世に致すぞよ。用意を為されよ。
脚下から鳥がたつぞよ。それが日本をねらふて居る国鳥であるぞよ。
○○○[※]までも自由に致して、神は残念なぞよ。日本の人民、盲目聾ばかり、神が見て居れば、井戸の端に、
茶碗を置いた如く、危ふて見て居れんぞよ。外国人よ、今に艮の金神が、返報返しを致すぞよ。
根に葉の出るは虎耳草、上も下も花咲かねば、此世は治まらぬ。上ばかり好くても行けぬ世。
下ばかり宜くても此世は治まらぬぞよ。
てん○○[※]綾部に仕組が致してあるぞよ。○○○[※]、○○○[※]を拵へて、元の昔に返すぞよ。
洋服を着てウロツク様な事では、日本の国は治まらんぞよ。国会開きは、人民が何時までかかりても開けんぞよ。
神が開かな、ひらけんぞよ。開いて見せう。東京は元の薄野に成るぞよ。永久は続かんぞよ。
東の国は一晴れの後は暗がり。これに気の付く人民はないぞよ。神は急けるぞよ。
此世の鬼を往生さして、地震雷火の雨降らして、○○○[※]ねば、世界は神国にならんから、
昔の大本からの神の仕組が、成就致す時節が廻りて来たから、苦労はあれど、バタバタと埒を付けるぞよ。
判りた守護神は、一人なりと早く大本へ出て参りて、神国の御用を致して下されよ。
さる代わりに勤め上りたら、万古末代、名の残る事であるから、神から結構に御礼申すぞよ。
世界中の事で在るから、何程智恵や学がありても、人民では判らん事であるぞよ。
此の仕組判りては成らず、判らねば成らず判らぬので、改心が出来ず、
世の立替の、末代に一度の仕組であるから、全然学や智恵を捨て了ふて、
生れ赤児の心に立返らんと、見当が取れん、六ケ敷仕組であるぞよ。
今迄の腹の中の、ごもくをさっぱり、投り出して了はんと、今度の実地まことは分りかけが致さん、大望な仕組であるぞよ。
氏神様の庭の白藤、梅と桜は、出口直の御礼の庭木に、植さしたので在るぞよ。
白藤が栄えば、綾部宜くなりて末で都と致すぞよ。福知山、舞鶴は外囲ひ。十里四方は宮の内。
綾部はまん中になりて、金輪王で世を治めるぞよ。
綾部は結構な処、昔から神が隠して置いた、世の立替の、真誠の仕組の地場であるぞよ。
世界国々所々に、世の立替へを知らす神柱は、沢山現はれるぞよ。
皆艮金神国常立尊の仕組で、世界へ知らして在るぞよ。 
大方行き渡りた時分に、綾部へ諸国の神、守護神を集めて、それぞれの御用を申付ける、
尊い世の根の世の本の、竜門館の高天原であるから、何を致しても綾部の大本の許しの無き事は、
九分九厘で転覆るぞよ。皆神の仕組であるから、我が我がと思ふて致して居るが、
皆艮の金神が、化かして使ふて居るのであるぞよ。此の神は独り手柄をして喜ぶやうな神で無いぞよ。
大本の仕組の判る守護神でありたら、互に手を曳き合ふて、世の本の立替立直しを致すから、
是までの心を入替へて、大本へ来て肝心の事を聞いて、御用を勤めて下されよ。
三千世界の神々様、守護神殿に気を付けますぞよ。谷々の小川の水も、大河へ末で一とつに為る仕組み。
綾部世の本、誠の神の住いどころ。
からと日本の戦いがあるぞよ。此いくさは勝ち軍、神が蔭から仕組が致してあるぞよ。
神が表に現はれて、日本へ手柄致さすぞよ。露国から始まりて、モウ一と戦があるぞよ。
あとは世界の大たたかいで、是から段々判りて来るぞよ。日本は神国、世界を一つに丸めて、一つの王で治めるぞよ。
そこへ成る迄には中々骨が折れるなれど、三千年余りての仕組であるから、
日本の上に立ちて居れる守護人に、チット判りかけたら、神が力を付けるから、大丈夫であるぞよ。
世界の大峠を越すのは、神の申す様に、素直に致して、何んな苦労も致す人民でないと、
世界の物事は成就いたさんぞよ。神はくどう気を付けるぞよ。此事判ける御魂は、東から出て来るぞよ。
此御方が御出になりたら、全然日の出の守護と成るから、世界中に神徳が光り輝く神世になるぞよ。
大将を綾部の高天原の竜門館に、○○[※]さんならん事が出て来るぞよ。
中々大事業であれども、昔からの生神の仕組であるから、別条は無いぞよ。
一旦たたかい治まりても、後の悶着は中々治まらんぞよ。神が表に現はれて、神と学との力競べを致すぞよ。
学の世はモウ済みたぞよ。神には勝てんぞよ。

(1892年1月30日)

基本宣伝歌

朝日は照るとも曇るとも
月はつともくるとも
たとへ大地は沈むとも
曲津まがつの神はすさぶとも
誠の力は世を救ふ

三千世界の梅の花
一度に開く神ののり
開いて散りて実を結ぶ
月日とつちの恩を知れ
この世を救ふ生神いきがみ
高天原たかあまはら神集かむつど

神が表に現はれて
善と悪とを立別たてわけける
この世を造りし神直日かむなほひ
心も広き大直日おほなほひ
ただ何事も人の世は
直日なほひに見直せ聞直せ
身のあやまちり直せ。

大本の聖典『霊界物語』の冒頭の、七五調の歌が『基本宣伝歌』です。「開いて散りて実を結ぶ」のが「梅」としているのですが、この表現が日月神示に無いのが気になります。

松の巻 第一帖

富士は晴れたり世界晴れ。三千世界一度に晴れるのだぞ。
世の元の一粒種の世となったぞ。松の御代となったぞ。
世界中に揺すって眼覚まさすぞ。三千年の昔に返すぞ。
煎り豆 花咲くぞ。上下ひっくり返るぞ。水も洩らさん仕組みぞ。

昭和20年6月17日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

失礼とは思いますが、色々とツッコみたいところが…。

これ以上に鬼が笑いそうな未来…。

ところで6月6日は梅の日なそうですが、天文14年4月17日(旧暦1545年6月6日)、賀茂神社の例祭に梅が献上されたという故事に由来?え、旧暦にしても何か違和感が…?

宣明暦

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/宣明暦

貞観4年1月1日(862年2月3日)に大衍暦・五紀暦から改暦され、貞享元年12月30日(1685年2月3日)まで、823年間使用された。貞享2年1月1日(1685年2月4日)、貞享暦に改暦された。

また、西暦の日付は1582年10月4日まではユリウス暦表示、1582年10月15日以降はグレゴリオ暦表示となっている。

現行の旧暦は寛政暦なので(言い方がおかしいですが)、1545年6月6日は4月27日になってしまいます。従って、宣明暦計算された日付が梅の日のようです。梅の季節?…収穫の季節か。それで梅雨なのね。

ウメ

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/ウメ

梅の季節到来!さっぱり梅酒や梅ジュースで暑い夏を乗り切ろう!

ttps://www.maff.go.jp/j/seisan/tokusan/kansho/kakudai/ume.html

梅雨

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/梅雨

本日のお題「祭りの巻 第一帖」は昭和21年8月8日の神示です。桜花と書いているので「見る桜」の話だと思うのですが、実は「」が大きくなりません。サクランボを成す果樹はミザクラ(実桜)類の品種です。だから学校の桜では実が成っていないでしょう?とはいえ梅も自家結実しない品種があるそうですが。

海の巻 第一帖

海の巻 書きしらすぞ、五つに咲いた桜花、五つに咲いた梅の花、
皆始めは結構であったが段々と時経るに従って役員がワヤに致したのじゃ、
気の毒ぞ、神の名汚しておるぞ。
大日月と現れたら、何かのことキビシクなって来て、
建て替えの守護と建て直しの守護に廻るから、その覚悟よいか。
間違った心で信心すれば、
信心せんより、もう一つ厳しくえらいことが満ちはじめ満つようになるぞ。
今にここの悪口申してふれ歩く人出て来るぞ、
悪口言われ出したら結構近づいたのだと申してあろう、悪口は悪の白旗だぞ。
飛んで来て上に止まっている小鳥、風吹くたびにびくびくじゃ、
大嵐来ん前にねぐらに帰って下されよ、大嵐 目の前。
ここはまず苦労、その苦労に勝ったら、己に克ったら魂磨けるぞ、
段々と楽になって嬉し嬉しとなるぞ、
結構な仕組み、知らせたら邪魔入るなり、知らさんのでわからんなり、
心で取りてくれよ、世界の民の会なせばなる、なさねば後悔ぞ。

昭和22年8月13日(1947年 皇紀2607年 丁亥)

黄金の巻 第五十四帖

目的よくても実行の時に悪い念入ると悪魔に魅入られるぞ。心せよ。
雨、風、岩、いよいよ荒れの時節じゃ。
世界に何とも言われんことが、病もわからん病がはげしくなるぞ。
食うべきものでない悪食うて生きねばならん時来るぞ。
悪を消化する胃袋、早うせねば間に合わん。梅干し大切心の。

五十二才 二の世の始。五十六才七ヶ月 みろくの世。

昭和24年12月7日(1949年 皇紀2609年 己丑)

春の巻 第三十二帖

信仰の始めは感情に支配されがちじゃ。理智を強く働かせねばならんぞ。
人間は絶えず穢れてくる。穢れは清めることによって、あらたまる。
厄祓いせよ。福祓いせよ。
想念は永遠にはたらくから、悪想念は早く清算しなければならんぞ。
中の霊は天国へ行っても、外の霊はこの世に残るぞ。
残ってこの世の事物にうつって同じこと、所業を繰り返すことあるぞ。
早く洗濯せよと申してあろうがな。梅の木から梅が生えるのじゃ。
その梅に実できて また梅が生えるのじゃ。
人間も生まれかわっても死にかわっても、中々に悪い癖は直らんもんじゃぞ。
それを少しずつ直してかからねばならん。努力次第で漸次直るのじゃぞ。
宗教は霊、芸術は体ぞ。

昭和27年2月1日(1952年 皇紀2612年 壬辰)

一年後の海の巻 第一帖「五つに咲いた桜花、五つに咲いた梅の花」は「花は咲いたけど(実に成らずに)そのまま散った→「サクラチル」(受験に落ちた)というイメージを感じさせますが、二日後の8月15日に「一の岩戸はじめのいわど」が無事ひらいているので(海の巻 第五帖)、その事では無さそう。黄金の巻 第五十四帖の梅干しとは「悪を消化する胃袋」に係る言葉のように見えます。春の巻 第三十二帖は「悪い実を残さないように、つけないように直す」事を説いております。日月神示で「梅」の記述があるのは以上の4つですが、「桜」の記述があるのは12にも上ります。

キの巻 第九帖

悪いこと待つは悪魔ぞ、
いつ建て替え、大峠が来るかと待つ心は悪魔に使われているのだぞ。
この神示 世界中に知らすのだ、
今までは大目に見ていたが、もう待たれんから見直し聞き直しないぞ、
神の規則通りにビシビシと出て来るぞ、世界一平に泥の海であったのを、
つくり固めたのは国常立尊であるぞ、
親様を泥の海にお住まい申さすはもったいないぞ、それで天にお昇りなされたのぞ。
岩の神、荒れの神、雨の神、風の神、地震の神殿、
この神々様、御手伝いで この世固め致したのであるぞ、
元からの竜体持たれた荒神様でないと今度の御用はできんのだぞ、
世界つくり固めてから臣民つくったのであるぞ、
何も知らずに上に登って、神を見下ろしているようで、何でこの世が治まるものぞ。
天と地の御恩ということが神の国の守護神にわかっておらんから難儀なことが、
いよいよどうにもならんことになるのぞ、バタバタとなるのぞ。
臣民 生まれ落ちたらウブの御水を火で暖めて
ウブ湯を浴びせてもらうであろうが、その御水はお土から頂くのだぞ、
たき火ともしは皆 日の大神様から頂くのだぞ、
御水と御火と御土で この世の生きあるもの生きているのだぞ、
そんなことぐらい誰でも知っていると申すであろうが、その御恩ということ知るまいがな、
一厘のところ わかるまいがな。
守護神も曇っているから神々様にも早うこの神示読んで聞かせてやれよ。
世間話に花咲かすようでは誠の役員とはいわれんぞ、桜に花咲かせよ。
忙しくさせているのだぞ、忙しいのは神の恵みだぞ、
今の世に忙しくなかったら臣民腐ってしまうぞ、忙しく働けよ。

昭和20年3月11日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

地つ巻 第七帖

神にまつらう者には生も死もないのぞ、死のこと「まかる」と申してあろうがな、生き通しぞ、
亡骸は臣民残さなければならないのだが、臣民でも昔は残さないで死ったのであるぞ、
それがまことの神国の臣民ぞ、みことぞ。
世の元と申すものは天も地も泥の海であったのだぞ。
その時からこの世始まってから生き通しの神々様の御働きで五六七の世が来るのだぞ。
腹ができておると、腹に神づまりますのだぞ、高天原ぞ、神漏岐、神漏美の命忘れるでないぞ。
そこからわかってくるぞ。
海をみな船で埋めねばならんぞ、海断たれて苦しまんようにしてくれよ、
海めぐらせてある神の国、清めに清めておいた神の国に、幽国(外国)の悪渡って来て神は残念ぞ。
見ておざれ、神の力現す時来たぞ。

昭和19年9月18日(1944年 皇紀2604年 甲申)

「五つに咲いた桜花、五つに咲いた梅の花」は、同時に成立しており、「桜花」とは人の生き方、「梅の花」とはその結果のように思えます。桜の散るさまは武士道にも例えられています。死して屍拾う者無し。

磐戸の巻 第十六帖

世の元からの生き神がそろって現れたら、皆腰抜かして、目パチクリさせて、
もの言えんようになるのだぞ。
神徳もらった臣民でないと中々越せん峠だぞ、神徳はいくらでも背負いきれんまでにやるぞ、
大きい器持ってござれよ、掃除した大きい入れものいくらでも持ってござれよ、
神界にはビクともせぬ仕組みできているのだから安心して御用つとめてくれよ。
今度はマコトの神の力でないと何もできはせんぞと申してあろうが、
日本の国は小さいが天と地との神力強い、神のマコトの元の国であるぞ。
洗濯と申すのは何事にもよらん、人間心捨てて仕舞って、
智恵や学に頼らずに、神の申すこと一つも疑わず生まれ赤子の心のうぶ心になって、神の教え守ることぞ。
ミタマ磨きと申すのは、神から授かっているミタマの命令に従って、
肉体心捨ててしまって、神の申す通り背かんようにすることぞ。
学や智を力と頼むうちはミタマ磨けんのだ。
学越えた学、智越えた智は、神の学、神の智だということわからんか、
今度の岩戸開きはミタマから、根本から変えていくのだから、中々であるぞ、
天災や戦ばかりでは中々埒あかんぞ、根本の改めだぞ。
小さいこと思っていると わからんことになると申してあろうがな、
この道理よく肚に入れて下されよ、
今度は上中下三段にわけてあるミタマの因縁によって、
それぞれに目鼻つけて、悪も改心させて、
善も改心させての岩戸開きだから、
根本から作り変えるよりはどれだけ難しいか、大層な骨折りだぞよ。
叱るばかりでは改心できんから喜ばせて改心させることも守護神にあってはあるのだぞ、
聞き分けよい守護神殿 少ないぞ、聞き分け良い悪の神、早く改心するぞ、聞き分け悪き善の守護神あるぞ。
この道の役員は昔からの因縁によってミタマ調べて引き寄せて御用させてあるのだ。めったに見当狂わんぞ、
神は綱かけたら中々放さんぞ、逃げられるならば逃げてみよれ、
くるくる廻って また始めからお出直しで御用せねばならんようになって来るぞ。
ミタマ磨け出したら病神などドンドン逃げ出すぞ、
出雲の神様 大切申せと知らせてあること忘れるなよ。
子の歳真ん中にして前後十年が正念場、世の建て替えは水と火とだぞ。
ひつじの三月三日、五月五日は結構な日ぞ。

昭和20年1月14日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

「大正維新」「大正十年立て替え説」を唱えた当時の有力信者・浅野和三郎や谷口雅春を中心とする一派が王仁三郎と対立、終末論を展開していた事は「梅の実」を期待していたように見えます。これは「キの巻 第九帖」でいう「悪いこと待つは悪魔ぞ、いつ建て替え、大峠が来るかと待つ心は悪魔に使われているのだぞ」にあたるような気がします。

水の巻 第五帖

外国のコトは無くなるぞ。江戸の仕組み旧五月五日までに終わらせてくれよ。
後はいよいよとなるぞ。神が申した時にすぐ何事も致してくれよ、時過ぎると成就せんことあるのだぞ。
桜花一時に散ることあるぞ、いよいよ松の世と成るぞ、万劫変わらぬ松の世と成るぞ。
松の国 松の世 結構であるぞ。この神示 声出して読みあげてくれよ。くどう申してあろうがな。
言霊 高く読みてさえおれば結構が来るのだぞ。人間心出してはならんぞ。

昭和20年5月1日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

日本最大・260MWのメガソーラー、美作市に稼働

ttps://project.nikkeibp.co.jp/ms/atcl/19/feature/00001/00053/?ST=msb

2040年、太陽光パネルのゴミが大量に出てくる?再エネの廃棄物問題

ttps://www.enecho.meti.go.jp/about/special/johoteikyo/taiyoukouhaiki.html

日本の火力発電所一覧

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/日本の火力発電所一覧

上の写真は日本最大とかいうメガソーラーの地図ですが、下はこの地域におけるメガソーラーの分布です。白く塗りつぶしております。たかが260MWなんてしょぼい発電能力でしかないにも拘らず、こんな上空から見て、これほどの森林破壊です。

先日、〇〇の子孫を自称する、元民主党の某の秘書をやっていたとかいう人の動画を見たのですが、その民主党がやったのが、2012年7月の再生可能エネルギーの固定買い取り制度が導入でした。新規事業者の参入が相次いだものの、その後の買い取り価格は段階的な引き下げられ、倒産業者数も2015年度で54件、2016年には1月ー9月だけで42件(負債総額185億200万円)にもなりました。本気で現代の技術を以ってすれば、火力発電所の大気浄化能力は90年代と比較しても大幅にマシになるハズ。こんな大規模森林破壊テロ+大量の廃棄物の山と比べてどっちが良いですか?また埋める気?

第十四話「春の巻 第五帖」

人民 栄えて行くことは、神、弥栄のことぞ。
神も人民も、世界も、宇宙も、すべていつまでも未完成ぞ。
神様でも大神様はわからんのであるぞ。
ただ、喜びに向かってひたすらに進んで行けばよいのであるぞ。
正しき喜びを先ず見極めよ。見極めてひたすらに進めばよいのじゃ。
食物を食べるのも喜びであるぞ。
正しき食物 正しく食べよ。更に喜び増えて弥栄えるのじゃ。
自分の喜びを進め進めて天国へ入ることできるのじゃ。
悪い食物 悪く食べるから悪くなるのじゃ。
目に見える食物ばかりでないぞ。何もかも同様ぞ。
人民は喜びの子と申してあろう。罪の子でないぞ。
嬉し嬉しの道あるのに、なぜ歩まんのじゃ。

昭和27年2月3日(1952年 皇紀2612年 壬辰)

第十二話、第十三話の中で食べ物についてあれこれお話してきたのですけど、「やっぱり、あれ食べたい、これ食べたい」というのあると思うのです。「日月神示+食べ物」で検索するのは、食べちゃダメな物探し+鳥は良いのか、魚はどうだって思うのですが。魚については第十二話「空の巻 第八帖①」の「竜宮の乙姫殿とは 玉依姫」…?のエピソードでも触れましたが、海神(大綿津見神)が魚を集めた、という話から、やっぱり良い話では無さそうに見えます。その一方で、天明氏や出口王仁三郎氏も魚食べてますし…という微妙な話でもあります。あ、国譲りの話に出て来る事代主神も美保ヶ崎にて漁をしておられたようです。(抜け道探す探す)あ、その事代主神、鶏がNGです。(Wikiの鶏伝説参照)そしてニワトリはお伊勢様、つまり天照大御神の神使(しんし、みさき)という事で、代わりに鳩を食べていた時代もあったらしいですが、それもどうかと。鳥肉には違いないですし。

しかしながら、この料理を食べたい、というのであれば、代替え材料で何とか再現してみたいというもの。神様も「食物を食べるのも喜びであるぞ。」って言っておられますでしょう?本来なら家で実際に作ったのを写真のっけて、というのが筋なんでしょうけど、料理得意ってわけではないですし、それ以前にうちの台所、極めて汚いからNG。(先に掃除してから言えよ!)

水炊きを食べて、〆や翌日の「おじや」や「うどん」をおいしく頂いている方は大勢いらっしゃるでしょう?それは、この出汁を使った料理がおいしいからこそです。白菜とネギと厚揚げを基本の大根おろしと醤油とか、タレに凝っても良し、残った汁は翌日以降のだしにもなります。(こんな暑くなってからそれ言うか?)いくら暑いからって体を冷やす一方ではどうかと。汗もかきませんとね。後、話題に出したかったのは「ゴールデンカレーには動物性原材料不使用」を見つけた事。(あえてリンクはしませんが)うちの近くのスーパーじゃ売ってないのが残念なところ。で、肉の代わりにマイタケ入れてます。代替え肉はイヤだし。調味料は醤油(もしくはめんつゆ)、にんにく、いりごま、しょうが、インスタントコーヒー、乾燥シイタケ、砕いたフライドアーモンド(入れない場合も)とか。ご飯炊いてる間ずっとカレー煮込んでます。炊飯器のスイッチ入れて、即人参とジャガイモとルー鍋に入れて、マイタケはソテー。私的には、この三つが完全に火が通っているか、否かが勝負だと思っております。あ、フライドアーモンドは炒めずに煮込んだだけだと、妙な甘さが出ます。逆に炒めておくと香ばしさが出ます。これはアーモンドバターみたいなロジックでしょうか。

こういう話すると、スーパーのお惣菜の是非、ってなるのですけど、私は未だにスーパーのナムルや高菜とか食べてます。これでも肉食べてた時より、髪の毛黒くなったし、手のしわが無くなりましたし、便秘もしなくなりました。

令和4年3月31日で経過措置期間が終了し、全ての加工食品に原材料の産地の表示が必要です!

ttps://www.pref.niigata.lg.jp/site/syokuhin/0421673.html

問題は何故「国産100%」なんて表示をして良いのか、何故こんな法律を作ったのか?です。答えは簡単。国ぐるみで「詐欺という」犯罪行為をしているからです。遺伝子組み換えって書いたら売れなくなるし。

五葉之巻 第十三帖

悪を食って暮らさねばならん時近づいたぞ、
悪に食われんように、悪を噛んで、よく消化し、浄化して下されよ、
悪は善の仮面をかぶっていること多いぞ、
だが悪も大神の中に生まれたものであることを知らねばならん。
ダマシたいものには ひとまずダマサレてやれよ。
ダマサレまいとするからダマサレるのであるぞ。
生命の樹の実は美しくおいしいぞ、食べてはならんが食べねばならんぞ、
肉体慾が先に出るから生命を失う、
心でとって実を喜ばせて食べるとよいのであるぞ、食べないで食べる秘密。

昭和36年9月1日(1961年 皇紀2621年 辛丑)

まぁ、そんなイカサマなんていつまでも続けられるはず無いですから。それにしてもこの神示…、意味深ですね。この話の〆にぴったりだわ。

第十三話「空の巻 第八帖②」

衣類、食物に困った時は竜宮の音秘様にお願い申せよ。
五柱の生き神様にお願い申せば災難逃れさせて下さるぞ、
岩、荒れ、地震、風、雨、の神様なり、
いろはに泣く時来るぞ、いろは四十八ぞ、四十九ぞ。
神示はその時の心にとりて違わん、
磨けただけに取れて違わんのであるから、
我の心通りに取れるのであるから、
同じ神示が同じ神示でないのだぞ。
悪の世が廻りて来た時には、悪の御用する身魂を作っておかねば、
善では動き取れんのだぞ、悪も元をただせば善であるぞ、その働きの御用が悪であるぞ、
御苦労の御役であるから、悪憎むでないぞ、憎むと善でなくなるぞ、天地濁りて来るぞ、
世界一つに成った時は憎むこと まずさらりと捨てねばならんのぞ、
この道理 腹の底からわかりて、ガッテンガッテンして下されよ。

昭和22年3月3日(1947年 皇紀2607年 丁亥)

前後半で全く違う内容だなって思ったので、①と②分けたのですけど、そういえば「ビタミンB群書いてないな」と気が付いたので分けといてよかったな、と。イヤ、忘れてちゃダメだろ。

昔、医薬品業界で営業やっていたのですが、ビタミン剤やL-システインしか売ってこなかったので、勤務先からは睨まれていました。会社は(私に言わせればろくに効果が見込めない怪しげで)高額な健康食品を売りつけて来い、という姿勢ですから、毎日のように怒られるのです。たまに「マムシホルモカプセル」(〇万円)とか売ってくると、特に何も言われなかったのですが、要は昔からそういう業界だという事です。私はある日、年金暮らしで公団に住んでいる、とあるお婆さんに「ス〇△※ナ」という商品を買っていただいた瞬間に後悔して、二度と納得のいかない商品を売りつけるのはやめよう、と決意しました。そこで私が目を付けたのが、ビタミン剤とL‐システインなのです。L‐システインは、お酒を飲む前にあらかじめ飲んでおくと、二日酔いを起こしにくくなります。肝臓の解毒作用を高めます。バブル崩壊後の時世とは言え、まだまだ仕事帰りのおつきあいが盛んだったご時世、サンプルを渡してこの話題をふると結構な割合でお買い上げいただいたものです。当時の世の中はまだまだ余裕があったからです。このL‐システイン、今でも私は愛用しております。当時の物はメーカー廃番ですが。そしてもう一つ当時の私の売り上げを支えてくれた(そして今の私の健康を支えてくれている)のが本テーマであるビタミン剤なのです。

現代社会でヴィーガン、ベジタリアンの道に進むと、問題になるのが「ビタミンB群」の不足です。中でも特に問題になるのが「ビタミンB1」(チアミン)の不足です。分かりづらいので早速例を挙げましょう。

主な栄養素の一日あたりの食事摂取基準

ttps://www.otsuka.co.jp/cmt/nutrition/1day

チアミンの一日当たりの必要量は、成人男性で1.3~1.4mg、成人女性で1.1mgとされております。豚肉100グラム中のチアミンは0.901 mgなので、必要摂取量の78%にも及びます。すけとうだらのたらこの生の場合が0.71 mg(62%)、ウナギが0.15 mg(13%)とされている一方で、玄米が0.16mg、白米0.025mg、そば(ゆで)0.05mgと常食される食品がかなり少ない割合になっているのが気になります。しかもチアミンは水溶性ビタミンなので、洗えばそれだけ減ります。そば茹でれば、その分チアミンが流出します。米も研げば研ぐほどチアミンをロスするのです。ちなみに植物でチアミンが多いのは、ゴマと落花生ですけど…これを毎日100g食えって?

ビタミンB1の働きと1日の摂取量

ttps://www.tyojyu.or.jp/net/kenkou-tyoju/eiyouso/vitamin-b1.html

チアミンの不足、欠乏は脚気のリスクになります。

脚気

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/脚気

wiki見ると日本書紀の時代に脚気の記述があるのが驚きです。「日中戦争が始まると食糧用の米が不足したために、脚気死亡者数は6千人台まで減った」というのも何か考えさせられるものがあります。戦後、天明氏は、支持者の一人「桜沢如一」氏の影響で、台方の生活共同体を「世界生活集団」(略称SSS)と名乗って、玄米正食・自活農業を行っていたそうです。その後の「1970年には20人と特殊希少疾患以下となり、脚気は消滅状態となった」とは、豚肉が普通に食べられるようになった恩恵と考えられます。この事から、玄米から白米に至るチアミンの割合の違いは、極めて危険水域のボーダーラインの上にあるな、という印象を持ちました。決して玄米を否定しているわけでは無いですよ、だって、例え「うな丼」を玄米にしたって、毎日は食べたくないでしょう?ましてやヴィーガンやベジタリアンの人たちにとっては、そうするわけにさえもいかない。糖分の代謝に係わるビタミンであるので、その他飲み物などの糖分量によっては不足する事さえ考えられます。

次はビタミンB2(リボフラビン)です。実はリボフラビン、人の腸内細菌が合成してくれてはいるのですが、現実に欠乏症なるものが存在する以上、食生活で補われる必要があるのです。欠乏症状で一番身近なのが「口内炎」です。(口噛んだ、とか)外傷による口内炎を別にすれば、原因の一つがこのリボフラビン不足、もう一つが後述するビタミンB3(ニコチン酸、ニコチン酸アミド、ナイアシン)の不足が大きいです。実際、口内炎の薬っていわれて真っ先に思いつくのって「チョ〇ラBB」でしょ?(伏字にする必要ないのですけどね)あれこそリホブラビン。脂肪の代謝を行っているビタミンなので、脂っぽい食べ物が多い人ほど欠乏しがち。

リボフラビンの一日当たりの必要量は、成人男性で1.5~1.6mg、成人女性で1.2mgとされております。豚と牛のレバーで、それぞれ3.6mg、3.0mgと200%をはるかに超えますが、鶏卵0.43 mg(36%)、アーモンド(煎り)1.04mg、納豆0.56mg(47%)、モロヘイヤ0.42mg(35%)などが挙げられます。チアミンよりは接収量ハードル低いですかね。

ビタミンB3(ニコチン酸、ニコチン酸アミド、ナイアシン)は通常の食生活下で不足しない、とされておりますが、現実問題として口内炎の原因の一つであり、サプリメントすら存在するのですから、やっぱり何かしらの原因で問題が起こるのです。問題が無いというなら、このようなサプリメントが販売され続けているハズが無い。

ビタミンB5(パントテン酸)も通常の食生活下で不足しない、とされています。体内ではプロビタミンB5に変化するとされますが、この状態をパンテノールって言うそうです。あのシャンプーの。

ビタミンB6(ピリドキシン、ピリドキサール、ピリドキサミン)(紛らわしい)はアミノ酸の代謝、グリコーゲンの分解に係っており、重要なビタミンの一つですが、これまた通常の食生活下で不足しないそうです。

注目したいのがビタミンB12(コバラミン)です。wikiのシアノコバラミンの項目に興味深い記述があります。

ビタミンB12は代謝に関与しており、特にDNA合成と調整に加え脂肪酸の合成とエネルギー産生に関与している。しかしながら、体内でビタミンB12が葉酸(ビタミンB9)の再生産に利用されているため、全てではないが多くのビタミンB12の機能は十分な量の葉酸によって代替される。チミンやプリン体の合成のための十分な量の葉酸が体内に存在しない場合にはDNA合成障害を引き起こし、その葉酸欠乏症状は悪性貧血症状や巨赤芽球性貧血を引き起こすため、ほとんどのビタミンB12欠乏症状は実際には葉酸欠乏症状である。

その葉酸(ビタミンB9)のwikiの記述、

男性における葉酸サプリメントの摂取は前立腺癌のリスクが2倍になっている

大腸癌は葉酸の関連から最もよく調べられている癌のタイプであるが、葉酸サプリメント摂取は520000人の男性を含んだ14年間のヨーロッパでの調査で大腸癌の発生について67%の増加を示した

これは大元からして「逆」だと思うのです。癌に至った食事を改める事なく、サプリメントで改善できると思っているのが、そもそも間違い。「サプリメントからの葉酸の摂取のほうが生体利用効率が高いとしている研究がある」とか一体何処のプロパガンダなの?本来日々の食事の方が吸収効率が良いというのは、90年代当時の私ですら知っていた事だ。ビタミンB群は水溶性で、錠剤やカプセルで飲んでも体外に排出される時間も早い。一方、食べ物は消化吸収の時間分体内に留まる時間も長い。

日本人のがん罹患状況

ttps://p.ono-oncology.jp/support/work/01/01_incidence/01.html

1947年以降、2021年の段階で、癌患者は5倍以上に増えています。これは栄養状態の改善と食生活の西洋化に比例している事は、疑う必要も無いでしょう。従って食事からの根本的な改善無くサプリメントに頼っても今更無駄、という事です。一方、ヴィーガン、ベジタリアンの方がビタミンB群の不足について、サプリメントで補う分に関しては問題ないと思うのです。特に不足しがちなのがビタミンB1(チアミン)。私は今のところ魚介類は食べてますが、ビタミンB1の不足に備えて、ビタミンB群がセットになったサプリメントを飲んでます。

冬の巻 補帖

病、ひらくことも、運、ひらくことも、皆 己からじゃと申してあろう。
誰でも、何でも良くなるのが神の道、神の御心じゃ。親心じゃ。
悪くなるということないのじゃ。迷いが迷い生むぞ。
もともと病も不運もない弥栄のみ、喜びのみじゃ。
神がよろびじゃから、その生んだもの皆よろこびであるぞ。この道理よくわきまえよ。
毎日毎日、太陽と共に、太陽について起き上がれよ。その日の仕事、与えられるぞ。
仕事いのちと仕えまつれよ。朝寝するからチグハグとなるのじゃ。
不運となるのじゃ。仕事なくなるのじゃ。
神について行くことが祈りであるぞ。よろこびであるぞ。
食物、食べ過ぎるから病になるのじゃ。不運となるのじゃ。
口から出るもの、入るものに気つけよ。戦起こるのじゃ。人間の病や戦ばかりでない、
国は国の、世界は世界の、山も川も海も、みな病となり、不運となって来るぞ。
食べないで死ぬことないぞ。食べるから死ぬのじゃぞ。
一椀をとって先ず神に供えよ。親にささげよ。子にささげよ。腹八分の二分はささげよ。
食物こそは神から、親から与えられたものであるぞ。神にささげずに貪るからメグリ積むのじゃ。
メグリが不運となり、病となるのじゃぞ。運ひらくのも食物慎めばよい。言慎めばよい。
腹十分食べてはこぼれる。運は詰まってひらけん。このわかり切ったこと、なぜにわからんのじゃ。
ささげるからこそ頂けるのじゃ。
頂けたらささげると今の人民申しているが、それがウラハラと申すもの。
衣類も家も土地も、みな神から頂いたのでないぞ。あずけられているのであるぞ。
人民に与えられているものは食物だけじゃ。日の恵み、月の恵み、地の恵みだけじゃぞ。
その食物節してこそ、ささげてこそ、運ひらけるのじゃ。病治るのじゃ。
人民日干しにはならん。心配無用。食物、今の半分で足りると申してあろうが。
遠くて近いものヒフミの食べ方して見なされよ。運ひらけ、病治ってうれしうれしと輝くぞ。
そんなことぐらいで、病治ったり運ひらけるぐらいなら、
人民はこんなに苦しまんと申すが、それが理屈と申すもの。
理屈悪と申してあるもの。低い学に囚われたメクラ、ツンボと申すものぞ。
理屈すてよ。すててやって見なされ。
みなみな気づかん理、気づかん病になっているぞ。
ツキモノがたらふく食べていることに気づかんのか。
食物節すればツキモノ改心するぞ。
まず百日をめあてに、百日過ぎたら一年を、三年続けたら開運間違いなし。
病もなくなってうれしうれしとなるぞ。三年目、五年目、七年目ぞ、
めでたいナァ、めでたいナァ

昭和27年6月9日(1952年 皇紀2612年 壬辰)

えっと、空の巻 第八帖を①と②作ったのって、「悪の御用」についての話しようかなと思っていたのですけど、

①で話した海藻についている「バクテロイデス・プレビウス」→「ポカエイコラ・プレビウス」(かつての分類はバクテロイデス属だったが、現在は分類が変更されている)と、

本②のビタミンB12の産出に係わる「人間の体内の常在菌」プロピオニバクテリウム属が出てきたので丁度良いか。

第十二話の①で、海藻メーカーで勤務する社員の腸内には一般モニターと比べて、海藻を分解できる遺伝子を持つ腸内細菌「プレビウス属」が顕著に診られた事を書きました。「海藻を沢山食べる人ほど、より海藻を分解できる?」という事は、「海藻が自分自身を分解する細菌に寄生されている」という解釈をするより他ないです。一方、草食動物は腸内細菌にプロピオン酸生産菌(プロピオニバクテリウム属)などがいるので、これがビタミンB12を生産しているというのです。そしてこのプロピオニバクテリウム属、最も一般的なヒト皮膚常在菌らしいのです。例を挙げるとニキビの原因「アクネ菌」。この属の菌種は、主にヒトおよび他の動物に寄生する通性寄生生物および片利共生生物との事です。片利共生生物とは言っても人間は、ビタミンB12やチーズの生産などに使っておりますが。そういえば、人間自身が概ね「片利共生生物」の代表か、否、「片利寄生生物」か。

むかーし、むかし、1980年代、パソコンで地球環境をシミュレートし、進化の過程を探った研究家がおりました。それリチャード・ドーキンス氏じゃないかと思い「盲目の時計職人」読んだのですけど、あれ書いた後にやった実験かもしれない。前にどこかのホームページで見た記憶があるのですが、ブックマークを忘れてしまって。「盲目の時計職人」(1986年)読んだのですけど、その時点で行っていたのは、「猿がタイプライターの鍵盤をいつまでもランダムに叩きつづければ、ウィリアム・シェイクスピアの作品を打ち出す」(無限の猿定理)という話を、当時メモリーたったの64キロバイトしかないパソコンに、BASICという言語でプログラムを組んで実行、昼食言っている間のわずか30分程度、第四十七世代目で再現した話だったようです。(1984年にリリースされた「Macintosh128k」がその名の通り128キロバイトしかないわけで…)

ドーキンスが述べたシミュレーション実験では簡単なコンピュータプログラムを使う。このプログラムは、ランダムに打ち出される語句のうちすでに目的のテクストと一致した部分は固定していくことにより、ハムレットの台詞 “METHINKS IT IS LIKE A WEASEL”(「おれにはイタチのようにも見えるがな」〔小田島雄志訳〕)を生成する。この実験の要点は、ランダムな文字列の生成は生の材料を提供するだけであり、自然淘汰こそが情報を与える役割を担っている、という点である。

余談が過ぎました。問題はその次にやったと思われる「生命のスープのシミュレートしたら、捕食者と寄生虫のようなものが発生した」という実験結果だったのです。実際「盲目の時計職人」にその話を匂わす記述があります。後、この本、長杉。読むのつらい。

弥栄には「被捕食者・捕食者・寄生者」の3種が必要だという事でしょうか。より正確に言うなら、それを発生させるプログラム(仕組み)側に実装されていると考えざるを得ませんね。

極め之巻 第八帖

元は5で固めたのじゃ、天のあり方、天なる父は5であるぞ。
それを中心として、ものが栄えゆく仕組み、
それを人民は自分の頭で引き下げて4と見たから行き詰まって世界の『難渋』であるぞ。
手や足はなぜに5本であるか、誰にもわかるまいがな。

昭和36年8月5日(1961年 皇紀2621年 辛丑)

第九話で「ハプログループD」の話をチラッとしましたが、「D2」と「E」がアフリカや中東に集中しているのに対して、日本人やアンダマン諸島、チベットの人たちに見られる「D1」ってアフリカから出て行った以降の変化だと思うんですよ。これって生活環境の著しい変化に対する染色体の「累積淘汰」の結果じゃないのかなって。だってアフリカに残った「D2」と「E」の人たちが、別れる前のハプログループ「A」や「B」の人たちの同じ地域に戻ったからって、元に戻るわけでは無いですし、その人の前世代で条件付けされた遺伝子情報に逆進性は見られないからです。少なくともこの話に関しては「因」と「果」は逆転しない。捕食者は突然変異、大多数に寄生する者、(よく日和見菌とか聞くでしょ?)そして当初の大多数派である被捕食者。適合しない突然変異は次の世代を残さず消える。(こういう話、よく聞くでしょう?)ところが変異した勢力が「ある一定数」(と言っておく)を超えると、日和見勢力が加担して変化しない当初の多数派を少数派に追い込む、あるいは塗りつぶす、食いつぶす。すると二度と元には戻れない…。ちなみに、リチャード・ドーキンス氏は「盲目の時計職人」で人間の繁殖に例えた話もしています。まるで現代社会の仕組みを見ているかのようです…。それはかの、、Universe 25」の原理っぽく見えます。(´・д・`)ヤダなぁ

ホント、難しい話…。話するには早すぎたのかな…私自身が。

とりあえず、頂くものには感謝を。

ヒラメを介した寄生虫(クドア・セプテンプンクタータ)による食中毒について

ttps://www.pref.fukui.lg.jp/doc/iei/shokunoanzen/kudoa.html

早くもTシャツまで登場とは…。

第十二話「空の巻 第八帖①」

衣類、食物に困った時は竜宮の音秘様にお願い申せよ。
五柱の生き神様にお願い申せば災難逃れさせて下さるぞ、
岩、荒れ、地震、風、雨、の神様なり、
いろはに泣く時来るぞ、いろは四十八ぞ、四十九ぞ。
神示はその時の心にとりて違わん、
磨けただけに取れて違わんのであるから、
我の心通りに取れるのであるから、
同じ神示が同じ神示でないのだぞ。
悪の世が廻りて来た時には、悪の御用する身魂を作っておかねば、
善では動き取れんのだぞ、悪も元をただせば善であるぞ、その働きの御用が悪であるぞ、
御苦労の御役であるから、悪憎むでないぞ、憎むと善でなくなるぞ、天地濁りて来るぞ、
世界一つに成った時は憎むこと まずさらりと捨てねばならんのぞ、
この道理 腹の底からわかりて、ガッテンガッテンして下されよ。

昭和22年3月3日(1947年 皇紀2607年 丁亥)

この日付ってホント出来すぎてるような気がするんですけど。

近所のスーパーに買い物に行ったら、品切れしていた「めかぶ」「塩蔵わかめ」が再入荷!(最近はネギが高いから、納豆はめかぶ・・・と合わせてます)そして、エビ2匹、イカ天、シソ、カボチャ、ナスの天ぷらパックが半額だったので即買い。竜宮の音秘様、ありがとうございます。

日月神示の食事事情といえば、梅の巻 第十四帖、空の巻 十二帖、十三帖などが有名ですが、この事から「肉類禁物」と見られております。私は、ある日「電話がかかってきた瞬間」食べていたスモークビーフのサンドウィッチをリバースしそうになって以来、牛肉と豚肉は食べておらず、体調を崩した年明け後に鶏肉を食べたのが最後、鶏卵が4月というところですか。ここで問題になるのは「魚介類はどうなのか?」という事です。天明氏は、鳩森八幡神社の留守神主時代に「鯛」をお供えしていますし、台方に住んでいた頃は、一匹の煮干魚の背中を天明氏、腹を黒羽保氏、頭と尻尾を「人懸かり猫」チェリーと分けて食べていたそうです。

月鏡 399 食用動物

キの()のつく四足類(よつあしるゐ)は、食用(しよくよう)とすることを(ゆる)されて()るのである。(たと)へば、(たぬき)(きつね)(うさぎ)(ごと)きもので(また)たまがへししてキになるものも(ゆる)されるのである。かも鹿(しか)(ごと)きがそれであつて、これ()神界(しんかい)(はう)()(すなは)植物(しよくぶつ)()(なほ)して()(くだ)さるのである。鳥類(てうるゐ)でも(かも)(きじ)(ごと)(みな)キにかへるので、(にはとり)をカシワと()びならはしたのも(かしわ)意味(いみ)()()(こと)になる。牛馬(ぎうば)(にく)食用(しよくよう)としてはいけない。

玉鏡 753 食物

 (こめ)陽性(やうせい)のもので、(これ)常食(じやうしよく)すれば勇気(ゆうき)()る、そして陽気(やうき)である。(むぎ)陰性(いんせい)のものである()め、陰気(いんき)になる傾向(けいこう)がある。くよくよしたり、いつも()(ごと)(なら)べたりするやうになるのは()()めである。野菜(やさい)()へば(じん)(こころ)(やしな)はれる。魚類(ぎよるゐ)()へば智慧(ちゑ)()く。(ゆゑ)魚類(ぎよるゐ)(つき)一度(いちど)二度(にど)(かなら)()はねばならない。(こめ)野菜(やさい)魚類(ぎよるゐ)とで、()(じん)(ゆう)となる。肉食(にくしよく)をする(もの)には(じん)(こころ)(すく)ない。(ゆゑ)野菜(やさい)常食(じやうしよく)とする日本人(につぽんじん)にして(はじ)めて愛善(あいぜん)(こころ)があり、外国人(ぐわいこくじん)には(まれ)である。(にく)()ふものは一度(いちど)(くさ)野菜(やさい)(とう)()つて、その栄養素(えいやうそ)(にく)となつたのであるからあまり栄養(えいやう)もない。そして(にく)()つて(やしな)はれた細胞(さいばう)(よわ)い。日本人(につぽんじん)(こめ)()ひ、野菜(やさい)()ふから(すなは)ちまだ(にく)とならない栄養(えいやう)()るから、細胞(さいばう)(つよ)い。(どく)ガスに(たい)しても外国人(ぐわいこくじん)(まこと)にモロイものであるが、日本人(につぽんじん)比較的(ひかくてき)耐久力(たいきうりよく)があり(つよ)い。(また)日本人(につぽんじん)()臼歯(きうし)()つて、(こめ)()みこなし(やす)出来(でき)()るが、肉食人(にくしよくじん)(おい)ては臼歯(きうし)がとがつて()る。

出口王仁三郎 三鏡

月鏡 399 食用動物は、特に江戸時代までの肉食への欲望を抑えきれない僧侶に見られたロジックで、聞いたこともあるでしょう?「徳川綱吉の生類憐みの令」にひっかけて。私が肉食を止めてから食べたくなったのが「ハンバーグ」(ハンバーガーではない)と「豚骨ラーメン」(麺はどうでも良くて、あのスープだけ)、「カレー」、「麻婆豆腐」です。「カレー」はオールベジで目途が立ったので、その内公開したいと思います(だから梅の巻 第十四帖を温存したという事もあります)。

水の巻 第十帖

五大洲 引っ繰り返っておること まだわからぬか。
肝心要のことだぞ。七大洲となるぞ。八大洲となるぞ。
今の臣民にわかるように申すならば御三体の大神様とは、
天之御中主神様、高皇産霊神様、神皇産霊神様、
伊邪那岐神様、伊邪那美神様、撞賢木向津媛の神様でござるぞ。
雨の神とは あめのみくまりの神、くにのみくまりの神、
風の神とは しなどひこの神、しなどひめの神、
岩の神とは いわなかひめの神、いわとわけの神、
荒れの神とは 大雷のをの神、わきいかづちおの神、
地震の神とは 武甕槌の神、経津主の神、神様の御事でござるぞ。
木の神とは 木花開耶姫の神、
金の神とは 金かつかねの神、火の神とはわかひめきみの神、
ひのでの神とは 彦火々出見の神、竜宮の乙姫殿とは 玉依姫の神様の御事でござるぞ。
この方のこと、いずれわかって来るぞ。
今はまだ知らせてならんことぞ。知らせる時節近づいたぞ。

昭和20年6月11日(1945年 皇紀2604年 乙酉)

「竜宮の乙姫殿とは 玉依姫」…?

山幸彦と海幸彦

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/山幸彦と海幸彦

山幸彦は魚釣りに出掛けたものの、兄に借りた釣針を失くしてしまい、綿津見神宮まで探しに行くのですが、海神(大綿津見神)に歓迎され、娘・豊玉姫(豊玉毘売命・とよたまひめ)と結婚し、既に3年もの月日が経っていました。山幸彦が釣針の事を尋ねると、海神が魚たちを集め、釣針を持っている者はいないかと問うと、赤鯛の喉に引っかかったそうです。

豊玉姫はめでたくご懐妊したのですが、天神の子を海の中で産むわけにはいかないとして、陸に上がってきました。「絶対に産屋の中を見ないように」と言っておいたのに、山幸彦はついつい覗いてしまいました。(男のさがか…)ところが、豊玉姫が本来の姿「八尋熊鰐やひろわに」として、蛇のごとくうねっているのを見て逃げ出しました。すると豊玉姫は山幸彦に覗かれたことを恥じて、生まれた子を置いて海に帰ってしまいました。この子の名は鸕鶿草葺不合尊うがやふきあわせずのみこと。豊玉姫命は鸕鶿草葺不合尊の養育の為、実の妹である「竜宮の乙姫殿」玉依姫命を地上に遣わしました。一方で玉依姫と山幸彦との間には、武位起命が生まれております。(ええ…)鸕鶿草葺不合尊はといえば、「育ての親である叔母の玉依姫」との間に彦五瀬命・稲飯命・三毛入野命・彦火火出見尊(神武天皇)が生まれております。(ええーーーーっ)

つうか「わに」、知ってたんだ、当時の人。何で?

というわけで千葉県長生郡一宮町にある玉前神社に参拝しました。一宮には数十回も来ているというのに初の参拝です、情けない。私の父の代から海の幸の恩恵で暮らしてきたのだから、真っ先に参拝すべきだったというのに。ところで出かけるときは晴れていたのですが、鎌取や土気に差し掛かるや、外は大雨。こんなの聞いていないんですけど?これは歓迎されてないのかな?と思いつつ大網過ぎた辺りは雨は降った様子も無くなり、一宮では全く道路濡れていなかったです。でも晴れであって欲しかったというのが本音。

6月30日には早かったのですが、「はらたまきよたまへ」と唱えながら「←・→・←」と三回くぐるのです。何かゲームのコンボ入力みたいな書き方してしまいましたが。

階段上がって右側が境内です。奥は摂末社の三峯神社です。

イメージと違って男性的な印象…個人の印象ですが。

さざれ石があります。内閣総理大臣(当事)橋本龍太郎氏揮毫の碑が添えられております。

雄株・雌株・実生の子供イチョウの順に触れて、子宝に恵まれるとされている「子宝・子授けイチョウ」です。ちなみに私♂ですが。再びNNN事案か?

御神水を頂けます。ペットボトル持ってくと良いそうです。あ、招魂殿と十二社参拝するの忘れてる。これはもう一回行かないと駄目ですね。三峯神社の写真もないし。(気、抜いてるからだろ)

海藻

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/海藻

フランスの「ロスコフ生物学研究所(Station Biologique de Roscoff)」は、日本人の腸が海草に含まれる多糖類を分解できるのは、分解酵素を作る遺伝子を腸内に住む細菌が海洋性の微生物から取り込んでいるためとする論文を発表、同論文は2010年4月8日の英科学誌『ネイチャー』に掲載されたという話から、食べた海藻を消化できるのは日本人だけだという誤解が生まれたと感じております。Covid-19以降、特に。これは検査対象内で海藻を消化できたのが殆ど日本人ばっかりだったというだけです。このプレビウス菌は海藻の食物繊維を分解する遺伝子を持っている事が知られておりますが、外国人の腸内から見つかっているプレビウス菌は、海藻の食物繊維を分解する遺伝子は持っていないのです。これは何故か?

海藻メーカーの社員の腸内には、「海藻好き」な腸内細菌がいっぱい存在していた!

ttps://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000012.000021194.html

だからって、外国の人は海藻を食べる意味無いのか?と言ったらそれは「NO」。ちゃんと食物繊維として利用されますから、腸内のお掃除にもなりますし。

これに関連した話が「フコイダン」です。

フコイダンの話についてはCovid-19の最中、ネットを中心にあっという間に広がったのは良いのですが、これを科学者から言わせると「高分子は分解されなければ吸収できない。(吸収するにはサイズが大きすぎるので分解されなければならない)分解された後、体内で再合成されるはずは無い。分解された成分が分解前のフコイダンと同じ働きをするのか。(材料は完成品と同じ働きができない)」という疑問があったようなのです。この疑問を解決するカギが「低分子フコイダン」です。

LMF臨床研究会

ttps://lmf-assoc.jp/about/

海藻にフコイダンが含まれているのを発見した時に、構造(サイズ)が大きいものからサンプルに選んだというのは、想像に難くありません。検査対象は大きければ大きいほど「楽」ですから。しかしながら低分子フコイダンというものが存在しているという事は、実際に私たちの体内で、海藻の消化吸収のプロセスにおいて確認される可能性があります。大体「消化吸収のプロセスで、分子ごとにきっちり分解される」なんて理にかなっていません。だって分解が「10」から「0」に至るなら、間に「7」とか「4」があるでしょう?問題は「5」でも良いのか「8」無いとダメなのか?という話だけで、それを証明するのは臨床結果だけです。悪い薬とは全く違う話なので。ただ、こういう低コストな話ほど潰しにかかるのが「医療利権」というね、全世界的に。かのイベルメクチンが「磔」スケープゴートにされたのは記憶に新しいところ。

天つ巻 第十二帖

遠くて近いは男女だけではないぞ、
神と人、天と地、親と子、食べる物も遠くて近いが良いのだぞ、
カミ粗末にすればカミに泣くぞ、
土尊べば土が救ってくれるのぞ、尊ぶこと今の臣民忘れているぞ、
神ばかり尊んでも何にもならんぞ、何もかも尊べば何もかも味方ぞ、
敵尊べば敵が敵でなくなるのぞ、この道理わかったか。
臣民には神と同じ分け霊授けてあるのだから、磨けば神になるのぞ。
神示は謄写良いぞ、初めは五十八、次は三百四十三ぞ、よいな。

昭和19年9月5日(1944年 皇紀2604年 甲申)

何で外国人の腸内のプレビウス菌に海藻の食物繊維を分解する遺伝子が無いのかって?だって海藻を「海の(see)雑草(weed)」って言う位だし。戦時中の捕虜に「ひじき」食べさせていた日本人を「虐待ガー」とか言って非難していたのは誰だったっけ?「私たち哺乳類から遠い存在であって、近くで捕れる海藻」の、それも日本近海で捕れるものを食べているから日本人は、という結論に帰結せざるを得ない…自らを分解する者が、自らの内に潜んでいるという、何とも哲学的な終わり方。

因みにギタリストのSteve Vai先生は、昔からベジタリアンで有名です。自宅にはピラミッドもあるとか。この御方なら海藻食べてるかも。

文章にするには時間かかりそう。