四十九、天明 神示書かす御役ぞ。
一二三となる日近づいたぞ、節分までに皆の守護神同じ宮に祀りくれよ、
まつりまつりてまつり合わせ、和合して物事成就するのぞ。
まつる心なき者 誠ないぞ、マコトわからんぞ。
靖国のミタマもそれまでに奥山に祀りくれよ、まつり替えてやってくれよ。
世界の神々様、守護神様、人民のみたま、祀りくれよ、まつり結構ぞ。
節分からの誓言変えさすぞ、
大神様には御三体の大神様 御三体の大神様と七回繰り返せよ、それでよいぞ、
神々様には弥栄ましませと五回繰り返せよ、
霊の宮には弥栄ましませと三回繰り返せよ、それでよいぞ、弥栄だぞ。
昭和21年12月4日(1946年 皇紀2606年 丙戌)
天明氏「49歳」の誕生日にこの神示噛ませてくるとは神様も中々洒落が分かるお方かと(笑)。「一二三となる日近づいた」だってそうです。岩の巻 第四帖でいう「元は十と四十七と四十八と合わせて百と五ぞ、九十五柱だぞ。」(第一話参照)で、昭和21年のところで「ひふみ」の「ひ」が来ているのですが、「え?昭和21年終わっちゃうのでは?」と思われるかもですが、天明氏が「この時代の型」とされていますので、日の出の巻 第二帖の「九歳は神界の紀の年」とは天明氏の誕生日から始まったと思います。されど人間の尺度で測っちゃいけないのが神様。本来年表にできるような話ではないのでしょう。こんなブログを作ったくせに今更感吹き荒ぶ言い方ですが、その意味合いはご理解いただけるのではないかと思います。
雨の巻 第十五帖
四十八音(ヨハネ)世に出るぞ、五十音(イソネ)の六十音(ムソネ)と現れるぞ、
用意なされよ。それまでにさっぱり変えてしまうぞ、天も変わるぞ地も変わるぞ。
この方らが世建て直すと申して この方らが世に出て威張るのでないぞ、
世建て直して世は臣民に任せてこの方らは隠居じゃ、隠れ身じゃぞ。
地から世持ちて嬉し嬉しと申すこと楽しみぞ、子供よ、親の心よく汲み取ってくれよ。
この神示読まないでやれるならやってみよれ、あちらでこつん こちらで崩れじゃ、
大事な仕組み 早う申せば邪魔入るし、申さないではわからんし、
何にしても素直に致すが一番の近道だぞ、素直になれんのは小才があるからだぞ。
鼻高じゃからだぞ。神の国は神の国のやり方あると申してあろうがな、
良きは取り入れ悪しきは捨てて皆気つけ合って神の国は神の国じゃぞ、
金は金じゃ、銀は銀じゃと申してあろうがな、盲ならんぞ、
カイの御用もオワリの仕組みも何もかも裏表あるのだぞ、裏と表の外に裏表あるぞ、
ウオヱであるぞ、アとヤとワだぞ、三つあるから道だぞ、
神前に向かって大きくキを吸い肚に入れて下座に向かって吐き出せよ、
八度繰り返せよ、神のキ頂くのだぞ、キとミとのあいの霊気頂くのだぞ。
ひふみがヨハネとなり、五十連となりなって十二の流れとなるのだぞ、
ムがウになるぞ、ンになるぞ、ヤとワと掘り出して十二の流れ結構だぞ。
知らせてあろうがな、
これまでの考え方やり方致すなら建て替えではないぞ、
何もかも上中下すっかりと建て替えるのだぞ、
外国は竜宮の音秘様ぐれんと引っ繰り返しなさるのだぞ、
竜宮の音秘様、雨の神様の御活動 激しきぞ。
今度 次の大層が出て来たらいよいよだぞ。最後の十十👁(透答命)だぞ、
今度こそ猶予ならんのだぞ、キリキリであるから用意なされよ、
三四月気つけよ、
キ切れるぞ。信心なき者ドシドシ取り替えるぞ、この中、誠一つに清めて下されよ、
天明(岡本天明)まだまだだぞ、世の元の型まだまだだぞ、神の仕組み成就せんぞ、
神人共にと申してあろうがな、神厳しきぞ、
ぬらりくらりとぬるくって厳しきぞと、申してあろうがな。
役員多くなくても心そろえて胴すえておりて下されよ、
神がするのであるから この世に足場作りておって下されよ、
神 無理申さんぞと申してあろうがな、けれどもちっとも気許しならんのだぞ。
身魂相当に皆させてあろうがな、掃除早うせよ、
己の戦まだ済んでいないであろうが、洗濯掃除 早う結構ぞ、
この方の神示元とわかりながら他の教えでこの道開こうとて開けはせんのだぞ、
鏡曇っているから曲がって写るのだぞ、
一人の改心ではまだまだぞ、一家そろって皆改心して手引き合ってやれよ、
外国人も日本人もないのだぞ、外国外国と隔て心 悪じゃぞ。
昭和20年12月19日(1945年 皇紀2605年 乙酉)
元号 | 西暦 | 干支 | ※1 | ※2 |
---|---|---|---|---|
大正10年 | 1921年 | 辛酉 | ![]() | |
大正11年 | 1922年 | 壬戌 | 〇/十 | |
大正12年 | 1923年 | 癸亥 | 一/九 | |
大正13年 | 1924年 | 甲子 | 二/八 | |
大正14年 | 1925年 | 乙丑 | 三/七 | |
大正15年 昭和元年 | 1926年 | 丙寅 | 四/六 | |
昭和2年 | 1927年 | 丁卯 | 五/五 | |
昭和3年 | 1928年 | 戊辰 | 六/四 | |
昭和4年 | 1929年 | 己巳 | 七/三 | |
昭和5年 | 1930年 | 庚午 | 八/二 | |
昭和6年 | 1931年 | 辛未 | 九/一 | |
昭和7年 | 1932年 | 壬申 | 十/〇 | |
昭和8年 | 1933年 | 癸酉 | ![]() | |
昭和9年 | 1934年 | 甲戌 | 〇/十 | |
昭和10年 | 1935年 | 乙亥 | 一/九 | |
昭和11年 | 1936年 | 丙子 | 当歳 | 二/八 |
昭和12年 | 1937年 | 丁丑 | 二歳 | 三/七 |
昭和13年 | 1938年 | 戊寅 | 三歳 | 四/六 |
昭和14年 | 1939年 | 己卯 | 四歳 | 五/五 |
昭和15年 | 1940年 | 庚辰 | 五歳 | 六/四 |
昭和16年 | 1941年 | 辛巳 | 六歳 | 七/三 |
昭和17年 | 1942年 | 壬午 | 七歳 | 八/二 |
昭和18年 | 1943年 | 癸未 | 八歳 | 九/一 |
昭和19年 | 1944年 | 甲申 | 九歳 | 十/〇 |
昭和20年 | 1945年 | 乙酉 | 十歳 | ![]() |
昭和21年 | 1946年 | 丙戌 | ひ/け | 〇/十 |
昭和22年 | 1947年 | 丁亥 | ふ/れ | 一/九 |
昭和23年 | 1948年 | 戊子 | み/ほ | 二/八 |
昭和24年 | 1949年 | 己丑 | よ/ゑ | 三/七 |
昭和25年 | 1950年 | 庚寅 | い/せ | 四/六 |
上つ巻 第十三帖
元の人三人、その下に七人、その下に七七、四十九人、
合わせて五十九の身魂あれば、この仕組みは成就するのだ。
この五十九の身魂は神が守っているから、世の元の神かかって大手柄をさせるから、
神の申すよう何事も、身魂磨いてくれよ、これが世の元の神の数ぞ、
これだけの身魂が力合わせて善き世の礎となるのだ。
この身魂はいずれも落ちぶれているから、訪ねて来てもわからんから、
よく気をつけて、どんなに落ちぶれている臣民でも、訪ねて来た人は、親切にして帰せよ。
何事も時節が来たぞ。
昭和19年6月21日(1944年 皇紀2604年 甲申)
日月神示を読まれた方なら「上つ巻 第十三帖」はご存じの方も多いと思います。結論を言えば、これが「二の御用」(仕組み)だったのですけど、岡本天明伝[日月神示]夜明けの御用(黒川柚月氏・著)には、「ハルナ」の御用として下つ巻 第一帖の「邪が岳」に祀られるまでの経緯が記述されております。
上つ巻 第二十一帖
世の元の大神の仕組みというものは、神々にもわからん仕組みであるぞ、
この仕組み わかってはならず わからねばならず、なかなかに難しい仕組みであるぞ、
知らせてやりたいなれど、知らせてならん仕組みぞ。
外国がいくら攻めて来るとも、世界の神々がいくら寄せて来るとも、
ぎりぎりになったら神の元の神の神力出して
岩戸開いて一つの王で治める神のまことの世に致すのであるから、
神は心配ないなれど、付いて来れる臣民少ないから、早う掃除してくれと申すのぞ、
掃除すれば何事も、ハッキリと映って楽なことになるから、早う神の申すようにしてくれよ。
今度は永遠に変わらぬ世に致すのだから、世の元の大神でないとわからん仕組みぞ。
洗濯できた臣民から手柄立てさせて うれしうれしの世に致すから、神が臣民にお礼申すから、
一切ごもく捨てて、早う神の申すこと聞いてくれよ。
因縁の身魂は どうしても改心しなければならんのだから、早う改心せよ、遅い改心なかなか難しいぞ。
神は帳面につけるように何事も見通しだから、神の帳面間違いないから、
神の申す通りに、わからんことも神の申す通りに従ってくれよ。
初めつらいなれど段々わかって来るから、よく言うこと聞いてくれよ、
外国から攻めて来て日本の国丸潰れというところで、
元の神の神力出して世を建てるから、臣民の心も同じぞ、江戸も昔のようになるぞ、
神の身体から息できぬようにしているが、今に元のままにしなければならんことになるぞ。
富士から三十里四里離れたところへ祀りてくれよ、富士にも祀りてくれよ、
富士はいよいよ動くから、それが済むまでは三十里離れたところへ、仮に祀りて置いてくれよ。
富士は神の山ぞ、いつ火を噴くかわからんぞ、
神は噴かんつもりでも、いよいよとなれば噴かねばならんことがあるから、
それまでは離れたところへ祀りてくれよ。
神は構わねど、臣民の肉体大切だから、肉体もなくてはならんから、そうして祀りてくれ。
まつりまつり結構。
昭和19年6月28日(1944年 皇紀2604年 甲申)
上つ巻 第二十七帖
何もかも世の元から仕組みてあるから神の申すところへ行けよ。
元の仕組みは富士(二二)ぞ、次の仕組みはウシトラ三十里四里、次の仕組みの山に行って開いてくれよ、
今はわかるまいが、やがて結構なことになるのだから、行きて神祀りて開いてくれよ、
細かく知らせてやりたいなれど、それでは臣民の手柄なくなるから、
臣民は子だから、子に手柄させて親から御礼申すぞ。
行けば何もかも善くなるように、昔からの仕組みしてあるから、何事も物差しで測ったように行くぞ。
天地が唸るぞ、上下引っ繰り返るぞ。
悪の仕組みに皆の臣民騙されているが、もう直ぐ目覚めるぞ、目覚めたら訪ねてござれ、
この神のもとへ来て聞けば、何でもわかるように神示で知らせておくぞ。秋立ったら淋しくなるぞ、
淋しくなったら訪ねてござれ、我を張っていると、いつまでも分からずに苦しむばかりぞ。
この神示も身魂によりどんなにでも、取れるように書いておくから、取り違いせんようにしてくれ、
三柱と七柱そろったら山に行けよ。
昭和19年7月1日(1944年 皇紀2604年 甲申)
「富士から三十里四里離れたところへ祀りてくれよ」も有名ですけど、この四里って「余里」なんでしょうか?未だに第四話の話が抜けてないようです(どこの二日酔いだよ)。実は私、この本を読む前に栃木県の某所に聖地巡礼した事があります。その話は後日にでも。

九十九石(九折岩)?蛇ヶ岳じゃながったっけ?(オヤジな…)
下つ巻 第三帖
この神のまことの姿見せてやるつもりであったが、
人に見せると、びっくりして気を失うかも知れんから、
石に彫らせて見せておいたのにまだ気づかんから木の型をやったであろうがな、
それが神の或る活動の時の姿であるぞ、神を見せ物にしてはならんぞ、
お山の骨もその通りぞよ、これまで見せてもまだわからんか、
何もかも神がさせてあるのぞ。
心配いらんから慾出さずに、素直に御用聞いて下されよ、
今度のお山開き まことに結構であるぞ、
神が烈しくなると、神の話よりできんことになるぞ、神の話 結構ぞ。
昭和19年7月13日(1944年 皇紀2604年 甲申)
どうもそれは↑の話のようです。天明氏一行は榛名神社に参拝した後、山道を歩いて蛇が岳に向かっているようで、その道中にこの「九折岩」が見えるらしいです。

下つ巻 第一帖
富士は晴れたり日本晴れ。
青垣山めぐれる下つ岩根に祀りてくれた、御苦労ぞ、いよいよ神も嬉しいぞ。
鳥居は要らぬぞ、鳥居とは水のことぞ、海の水ある それ鳥居ぞ。皆の者 御苦労ぞ。
邪が岳は昔から神が隠しておった大切の山だから、
人の登らぬようにして、竜神となって護ってくれた神々様にも御礼申すぞ。
富士は晴れたり日本晴れ。
いよいよ次の仕組みにかかるから、早う次の御用聞いてくれよ、神急けるぞ、
山晴れ、地晴れ、海晴れて、始めて天晴れるぞ。
天晴れて神の働き いよいよ烈しくなったら、臣民いよいよわからなくなるから、
早う神心になっておりて下されよ。
次々に書かせておくから、よく心に留めておいて下されよ。
この道は宗教ではないぞ、教会ではないぞ、道だから、今までの様な教会作らせんぞ。
道とは臣民に神が満ちることぞ、神の国の中に神が満ち満つることぞ。
金儲けさせんぞ、欲すてて下されよ。
昭和19年7月12日(1944年 皇紀2604年 甲申)
海の水ある?榛名湖も元「海」だったんでしょうか?印旛沼=香取海のように…。
6月28日に「富士から三十里四里」が出て、7月10日から11日と推定される「ハルナ」の御用は、かなり早いスケジュールに見えます。この時点で日月神示は、既に降りて即解読可能な体制が整っていた事の裏付けでもあります。ミミに(御身)に聞かされていたからでしょうか?また当時昭和19年とはいえ、日本各地での御用を可能にしたのは、天明氏周辺のネットワークあってこそだと思います。
ところで、この仕組みは「元の人三人、その下に七人、その下に七七、四十九人、合わせて五十九」とされています。これ、「七七、四十九」九九で四十九のように読めますが、これが違う。
祭りの巻 第十七帖
集団のアは神示じゃ、ヤとワとは左と右じゃ、教左と教右じゃ、
㋳と㋻はその補じゃ、教左補、教右補じゃ、ヤの補は㋻じゃ、ワの補は㋳じゃ、
ア、ヤ、ワ、㋳、㋻、が元じゃ、その下に七人と七人じゃ、正と副じゃ、
その下に四十九人じゃ、わかりたか、
集団 弥栄弥栄。皆御苦労ながら二の御用手引き合って、天晴れやりて下されよ、
集団作ってよいぞ。強くふみ出せよ、
くどいようなれど百十はそのままじゃぞ。今度の御用は一つの分かれの御用じゃぞ、
神示よく読むのじゃぞ、身魂の性来段々わかりて来るぞ、
万民ミタマまつりの御用からかかりてくれよ、うつし世のそれの御用、結構ひらけ輝くぞ。
昭和21年8月28日(1946年 皇紀2606年 丙戌)
わかりません。
5+14+49=68じゃん。
夜明けの巻 第十三帖
あら楽し、すがすがし、世は朝晴れたり、昼晴れたり、夜も晴れたり。
あら楽し、すがすがし、世は岩戸明けたり、待ちに待ちし岩戸開けたり。
この神示の臣民と言うても、人間界ばかりでないぞ。
神界幽界のことも言って知らせてあると、申してあろうが。
取り違い慢心一等恐いと申してあろうが。
祭典、国民服もんぺでも良いぞ。
天明(岡本天明)まつりの真似するでないぞ。役員まつりせい。何も言うでないぞ。
言って良い時は知らせるぞよ。わかったか。
仕える者無き宮、産土様の真下にいくら祀ってもよいぞ。
天明は祈れ。祈れ。天に祈れ、地に祈れ、
引き潮の時引けよ。満ち潮の時進めよ。大難小難にと役員も祈れよ。
口先ばかりでなく、誠祈れよ。祈らねばならんぞ。口先ばかりでは悪となるぞ。わかったか。
今度は借銭済しになるまでやめんから、誰によらず借銭無くなるまで苦しい行せなならんぞ、
借銭なしでないと、お土の上には住めんことに今度はなるぞ。
イシの人と、キの人と、ヒの人と、ミヅの人と、できるぞ。
今にチリチリバラバラに一時はなるのであるから、その覚悟よいか。
毎度知らせてあること忘れるなよ。神示 腹の腹底まで浸むまで読んで下されよ。神頼むぞ。
悟った方 神示説けよ。解いて聞かせよ。役員 皆 説けよ。信じる者 皆 人に知らせてやれよ。
神示読んで嬉しかったら、知らせてやれよ申してあろうが。
天明は神示書かす役ぞ。アホになれと申してあろうが、まだまだぞ、役員 気つけてくれよ。
神示の代わりにミ身に知らせると申してある時来たぞ。いよいよの時ぞ。
神示で知らせることの始めは済みたぞ。実身掃除せよ。ミ身に知らすぞ。実身に聞かすぞ、
聞かな聞くようにして知らすぞ。つらいなれど、我慢せよ。ゆめゆめ利巧出すでないぞ。
わかったか、百姓にもなれ、大工にもなれ、絵描きにもなれ。
何にでもなれるようにしてあるでないか。役員も同様ぞ。
集団作るでないぞ、金取るでないぞ、神に供えられたものはみな分けて、
喜ばせてやれと申してあろうが。この方 喜ぶこと好きぞ、好きのこと栄えるぞ。弥栄えるぞ。
信者作るでないぞ。道伝えなならんぞ。取り違いせんように慢心せんように、
生まれ赤児の心で神示読めよ。神示いただけよ。
日本の臣民 皆勇むよう、祈りてくれよ。世界の人民 皆喜ぶ世が来るよう 祈りてくれよ。
てんし様まつれよ。みことに服ろえよ。このことできれば他に何もわからんでも、峠越せるぞ。
御民いのち捨てて生命に生きよ。
「鳥鳴く声す夢覚ませ、見よ あけ渡るひむかしを、空色晴れて沖つ辺に、千船行きかう靄の裡」
「いろは、にほへとち、りぬるをわかよ、たれそ、つねならむ、うゐのおくやま、
けふこ、えてあさき、ゆめみしゑひもせすん」
「アオウエイ、カコクケキ、サソスセシ、タトツテチ、ナノヌネニ、ハホフヘヒ、
マモムメミ、ヤヨユエイ、ラロルレリ、ワヲウヱヰ」
「アイウエオ、ヤイユエヨ、ワヰエヲ、カキクケコ、サシスセソ、タチツテト、
ナニヌネノ、ハヒフヘホ、マミムメモ、ヤイユエヨ、ラリルレロ、ワヰウヱヲ」
五十九柱ぞ。この巻夜明けの巻とせよ。この十二の巻 よく腹に入れておけば何でもわかるぞ。
無事に峠越せるぞ。わからんことは自分で伺えよ。それぞれに取れるぞ。
天津日嗣皇尊 弥栄弥栄。あら楽し、あら楽し、あなさやけ、あなさやけ、おけ。
一二三四五六七八九十百千卍。
昭和20年8月10日(1945年 皇紀2605年 乙酉)
月光の巻 第十六帖
五十九柱と申してあるが、その中の九柱は隠れた柱じゃ。
㋳㋑㋴㋓㋵㋻㋼㋽㋾ぞ。㊀㊁㊂㊃㊄㊅㊆㊇㊈ぞ。この九柱は◯ぞ。
心得なされよ。現れの五十柱のかげの、隠れた九柱、心して大切申せよ。
まっすぐに真上に神をいただくと申すことは、上ばかりではないぞ。
真下にも横にも前後にも立体三六◯度に まっすぐに神を頂かねばならんということぞ。
神人交流の第一歩。
昭和34年1月3日(1959年 皇紀2619年 己亥)
「ヤイユエヨ」と「ウ」を除く「ワヰエヲ」の重複が目につきますが、確かに五十九あります。そして月光の巻 第十六帖から。アイウエオの後、「ヤイユエヨ、ワヰエヲ」部分の連続が㋳㋑㋴㋓㋵㋻㋼㋽㋾というのは気が付かれるかと思います。ですが、祭りの巻 第十七帖の解釈を解決しなければなりません。思いつくのは「68から隠れた九柱9つを計算から引く」しか考えようないです。だからこそ隠れているのであって、「心して大切」にしなければならない、という事でしょうか?考え方としてはかなりのこじつけです、今更私が言うのも何ですが(苦笑)。
次に気になったのが、上の「アオウエイ」の50音です。「アオウエイ」の神示はもう一つあるのです。
春の巻 第十七帖
希望は愛の現れの一つ。どんな時、どんな人にも与えられているのじゃ。
希望に燃えつつ、現在を足場として生きよ。呼吸せよ。
同じことしていても、希望持つ人は栄え、希望なき人は亡びる。希望は神ぞ。
アイウエオからアオウエイの世に移って来るぞ。アオウエイの世が天国じゃ。
用意はよいか。今の世は道具ばかりじゃ。使う人民、早うつくれよ。
昭和27年2月3日(1952年 皇紀2612年 壬辰)
祭りの巻 第十七帖の解釈の問題と、春の巻 第十七帖の「アイウエオからアオウエイの世に移って来るぞ」をどう考えるか?「アオウエイの世が天国じゃ」という記述は、アイウエオからアオウエイに置き換えた五十九こそ、2041年の辛酉以降の世の中を意味するのかもしれません。「辛酉」を「」として「五十九」…(2044年の「甲子」も捨てがたいのですが)。
次は開始時期です。
祭りの巻 第八帖
旧九月八日で一切りじゃ、これで一の御用は済みたぞ、八分通りは落第じゃぞ、
次の御用 改めて致さすから、今度は落第せんよう心得なされよ。何もかも神は見通しだぞ、
神の仕組み 人民で遅れんよう 気つけて結構致し下されよ、
二の仕組み、御用は集団作りてよいぞ。大奥山はそのままにしておかなならんぞ、
天明(岡本天明)まだまだ神示の御用結構ぞ、アホ結構ぞ、リコウ出ると壊れるぞ。
天明ばかりでないぞ、皆同様ぞ。皆リコウになったものじゃナア、クドウ神にもの申さすでないぞ。
昭和21年8月15日(1946年 皇紀2606年 丙戌)
一の御用が昭和21年「旧九月八日」10月2日で一切りとなっております。先述の祭りの巻 第十七帖で「アは神示」とされている事、「天明(岡本天明)まだまだ神示の御用結構ぞ、アホ結構ぞ」を見る限り、この時点が「二の御用」開始点、ただし「ア」から次以降への切り替わりの特定は無理ぽ、かと。「四十九、天明」なのにこの言われようって…。
元号 | 西暦 | 干支 | ※1 | ※2 | ※3 | |
---|---|---|---|---|---|---|
大正10年 | 1921年 | 辛酉 | ![]() | |||
大正11年 | 1922年 | 壬戌 | 〇/十 | |||
大正12年 | 1923年 | 癸亥 | 一/九 | |||
大正13年 | 1924年 | 甲子 | 二/八 | |||
大正14年 | 1925年 | 乙丑 | 三/七 | |||
大正15年 昭和元年 | 1926年 | 丙寅 | 四/六 | |||
昭和2年 | 1927年 | 丁卯 | 五/五 | |||
昭和3年 | 1928年 | 戊辰 | 六/四 | |||
昭和4年 | 1929年 | 己巳 | 七/三 | |||
昭和5年 | 1930年 | 庚午 | 八/二 | |||
昭和6年 | 1931年 | 辛未 | 九/一 | |||
昭和7年 | 1932年 | 壬申 | 十/〇 | |||
昭和8年 | 1933年 | 癸酉 | ![]() | |||
昭和9年 | 1934年 | 甲戌 | 〇/十 | |||
昭和10年 | 1935年 | 乙亥 | 一/九 | |||
昭和11年 | 1936年 | 丙子 | 当歳 | 二/八 | ||
昭和12年 | 1937年 | 丁丑 | 二歳 | 三/七 | ||
昭和13年 | 1938年 | 戊寅 | 三歳 | 四/六 | ||
昭和14年 | 1939年 | 己卯 | 四歳 | 五/五 | ||
昭和15年 | 1940年 | 庚辰 | 五歳 | 六/四 | ||
昭和16年 | 1941年 | 辛巳 | 六歳 | 七/三 | ||
昭和17年 | 1942年 | 壬午 | 七歳 | 八/二 | ||
昭和18年 | 1943年 | 癸未 | 八歳 | 九/一 | ||
昭和19年 | 1944年 | 甲申 | 九歳 | 十/〇 | ||
昭和20年 | 1945年 | 乙酉 | 十歳 | ![]() | ![]() | |
昭和21年 | 1946年 | 丙戌 | ひ/け | 〇/十 | 01 ア/ヲ | |
昭和22年 | 1947年 | 丁亥 | ふ/れ | 一/九 | 02 イ/ヱ | 言答(岩戸)明けたる今日(8月15日終戦記念日)ぞめでたし |
昭和23年 | 1948年 | 戊子 | み/ほ | 二/八 | 03 ウ/ウ | |
昭和24年 | 1949年 | 己丑 | よ/ゑ | 三/七 | 04 エ/ヰ | |
昭和25年 | 1950年 | 庚寅 | い/せ | 四/六 | 05 オ/ワ |
昭和26年 | 1951年 | 辛卯 | む/あ | 五/五 | 06 ㋳/ロ | |
昭和27年 | 1952年 | 壬辰 | な/す | 六/四 | 07 ㋑/レ | |
昭和28年 | 1953年 | 癸巳 | や/ま | 七/三 | 08 ㋴/ル | |
昭和29年 | 1954年 | 甲午 | こ/の | 八/二 | 09 ㋓/リ | |
昭和30年 | 1955年 | 乙未 | と/て | 九/一 | 10 ㋵/ラ | |
昭和31年 | 1956年 | 丙申 | も/へ | 十/〇 | 11 ㋻/ヨ | |
昭和32年 | 1957年 | 丁酉 | ち/り | ![]() | 12 ㋼/エ | |
昭和33年 | 1958年 | 戊戌 | る/さ | 〇/十 | 13 ㋽/ユ | |
昭和34年 | 1959年 | 己亥 | ら/に | 一/九 | 14 ㋾/イ | |
昭和35年 | 1960年 | 庚子 | ね/え | 二/八 | 15 カ/ヤ | |
昭和36年 | 1961年 | 辛丑 | し/お | 三/七 | 16 キ/モ | |
昭和37年 | 1962年 | 壬寅 | き/う | 四/六 | 17 ク/メ | |
昭和38年 | 1963年 | 癸卯 | る/か | 五/五 | 18 ケ/ム | |
昭和39年 | 1964年 | 甲辰 | ゆ/め | 六/四 | 19 コ/ミ | |
昭和40年 | 1965年 | 乙巳 | ゐ/く | 七/三 | 20 サ/マ | |
昭和41年 | 1966年 | 丙午 | つ/は | 八/二 | 21 シ/ホ | |
昭和42年 | 1967年 | 丁未 | わ/た | 九/一 | 22 ス/ヘ | |
昭和43年 | 1968年 | 戊申 | ぬ/を | 十/〇 | 23 セ/フ | |
昭和44年 | 1969年 | 己酉 | そ/そ | ![]() | 24 ソ/ヒ | |
昭和45年 | 1970年 | 庚戌 | を/む | 〇/十 | 25 タ/ハ | |
昭和46年 | 1971年 | 辛亥 | た/わ | 一/九 | 26 チ/ノ | |
昭和47年 | 1972年 | 壬子 | は/つ | 二/八 | 27 ツ/ネ | |
昭和48年 | 1973年 | 癸丑 | く/ゐ | 三/七 | 28 テ/ヌ | |
昭和49年 | 1974年 | 甲寅 | め/ゆ | 四/六 | 29 ト/ニ | |
昭和50年 | 1975年 | 乙卯 | か/る | 五/五 | 30 ナ/ナ | |
昭和51年 | 1976年 | 丙辰 | う/き | 六/四 | 31 ニ/ト | |
昭和52年 | 1977年 | 丁巳 | お/し | 七/三 | 32 ヌ/テ | |
昭和53年 | 1978年 | 戊午 | え/ね | 八/二 | 33 ネ/ツ | |
昭和54年 | 1979年 | 己未 | に/ら | 九/一 | 34 ノ/チ | |
昭和55年 | 1980年 | 庚申 | さ/る | 十/〇 | 35 ハ/タ |
昭和56年 | 1981年 | 辛酉 | り/ち | ![]() | 36 ヒ/ソ | |
昭和57年 | 1982年 | 壬戌 | へ/も | 〇/十 | 37 フ/セ | |
昭和58年 | 1983年 | 癸亥 | て/と | 一/九 | 38 ヘ/ス | |
昭和59年 | 1984年 | 甲子 | の/こ | 二/八 | 39 ホ/シ | |
昭和60年 | 1985年 | 乙丑 | ま/や | 三/七 | 40 マ/サ | |
昭和61年 | 1986年 | 丙寅 | す/な | 四/六 | 41 ミ/コ | |
昭和62年 | 1987年 | 丁卯 | あ/む | 五/五 | 42 ム/ケ | |
昭和63年 | 1988年 | 戊辰 | せ/い | 六/四 | 43 メ/ク | |
昭和64年 平成元年 | 1989年 | 己巳 | ゑ/よ | 七/三 | 44 モ/キ | |
平成2年 | 1990年 | 庚午 | ほ/み | 八/二 | 45 ヤ/カ | |
平成3年 | 1991年 | 辛未 | れ/ふ | 九/一 | 46 イ/㋾ | |
平成4年 | 1992年 | 壬申 | け/ひ | 十/〇 | 47 ユ/㋽ | |
平成5年 | 1993年 | 癸酉 | い/ん | ![]() | 48 エ/㋼ | |
平成6年 | 1994年 | 甲戌 | ろ/す | 〇/十 | 49 ヨ/㋻ | 天明九十六才七ヶ月、ひらく |
平成7年 | 1995年 | 乙亥 | は/せ | 一/九 | 50 ラ/㋵ | |
平成8年 | 1996年 | 丙子 | に/も | 二/八 | 51 リ/㋓ | |
平成9年 | 1997年 | 丁丑 | ほ/ひ | 三/七 | 52 ル/㋴ | |
平成10年 | 1998年 | 戊寅 | へ/ゑ | 四/六 | 53 レ/㋑ | |
平成11年 | 1999年 | 己卯 | と/し | 五/五 | 54 ロ/㋳ | |
平成12年 | 2000年 | 庚辰 | ち/み | 六/四 | 55 ワ/オ | |
平成13年 | 2001年 | 辛巳 | り/め | 七/三 | 56 ヰ/エ | |
平成14年 | 2002年 | 壬午 | ぬ/ゆ | 八/二 | 57 ウ/ウ | |
平成15年 | 2003年 | 癸未 | る/き | 九/一 | 58 ヱ/イ | |
平成16年 | 2004年 | 甲申 | を/さ | 十/〇 | 59 ヲ/ア | |
平成17年 | 2005年 | 乙酉 | わ/あ | ![]() | ![]() | |
平成18年 | 2006年 | 丙戌 | か/て | 〇/十 | ||
平成19年 | 2007年 | 丁亥 | よ/え | 一/九 | ||
平成20年 | 2008年 | 戊子 | た/こ | 二/八 | ||
平成21年 | 2009年 | 己丑 | れ/ふ | 三/七 | ||
平成22年 | 2010年 | 庚寅 | そ/け | 四/六 |
平成23年 | 2011年 | 辛卯 | つ/ま | 五/五 | ||
平成24年 | 2012年 | 壬辰 | ね/や | 六/四 | ||
平成25年 | 2013年 | 癸巳 | な/く | 七/三 | ||
平成26年 | 2014年 | 甲午 | ら/お | 八/二 | ||
平成27年 | 2015年 | 乙未 | む/の | 九/一 | ||
平成28年 | 2016年 | 丙申 | う/ゐ | 十/〇 | ||
平成29年 | 2017年 | 丁酉 | ゐ/う | ![]() | ![]() | |
平成30年 | 2018年 | 戊戌 | の/む | 〇/十 | ||
平成31年 令和元年 | 2019年 | 己亥 | お/ら | 一/九 | ||
令和2年 | 2020年 | 庚子 | く/な | 二/八 | ||
令和3年 | 2021年 | 辛丑 | や/ね | 三/七 | ||
令和4年 | 2022年 | 壬寅 | ま/つ | 四/六 | ||
令和5年 | 2023年 | 癸卯 | け/そ | 五/五 | ||
令和6年 | 2024年 | 甲辰 | ふ/れ | 六/四 | ||
2025年 | 乙巳 | こ/た | 七/三 | |||
2026年 | 丙午 | え/よ | 八/二 | |||
2027年 | 丁未 | て/か | 九/一 | |||
2028年 | 戊申 | あ/わ | 十/〇 | |||
2029年 | 己酉 | さ/を | ![]() | ![]() | ||
2030年 | 庚戌 | き/る | 〇/十 | |||
2031年 | 辛亥 | ゆ/ぬ | 一/九 | |||
2032年 | 壬子 | め/り | 二/八 | |||
2033年 | 癸丑 | み/ち | 三/七 | |||
2034年 | 甲寅 | し/と | 四/六 | |||
2035年 | 乙卯 | ゑ/へ | 五/五 | |||
2036年 | 丙辰 | ひ/ほ | 六/四 | |||
2037年 | 丁巳 | も/に | 七/三 | |||
2038年 | 戊午 | せ/は | 八/二 | |||
2039年 | 己未 | す/ろ | 九/一 | |||
2040年 | 庚申 | ん/い | 十/〇 | |||
2041年 | 辛酉 | ![]() | ![]() | |||
2042年 | 壬戌 | |||||
2043年 | 癸亥 | |||||
2044年 | 甲子 |

※2

※3

※注 一柱一年と思いますが、実際は翌年に被ると思います。
※年表は横スクロールします。
黄金の巻 第十五帖
人から見て「あれならば」というようになれば、この方の光出るのじゃ。
行できねばお出直し、お出直し多いなあ。独断 役には立たんぞ。
岩戸開きの九分九厘でひっくり返り、また九分九厘でひっくり返る。
天明九十六才七ヶ月、ひらく。
昭和24年11月27日(1949年 皇紀2609年 己丑)
まず、天明とは本名ではなく「雅号」ですが、その人生において何度か改名しては天明に戻すというのを繰り返しておりますので、岡本天明という人物が生まれてから「九十六才七ヶ月」後に「岩戸」が開くことを意味する神示と思っております。その時期は「五十九柱の四十九番目」即ち「1994年6月4日」前後に「二の言答がひらいた」と解釈できます。
二の言答?最初の岩戸は?
海の巻 第五帖
今日までの御教えは、悪を殺せば善ばかり、輝く御代が来るという、これが悪魔の御教えぞ、
この御教えに人民は、すっかりだまされ悪殺す、ことが正しきことなりと、信ぜしことの愚かさよ、
三千年の昔から、幾千万の人々が、悪を殺して人類の平和を求め願いしも、それははかなき水の泡、
悪殺しても殺しても、焼いても煮てもしゃぶっても、悪は益々増えるのみ、
悪殺すというそのことが、悪そのものと知らざるや、
神の心は弥栄えぞ、本来 悪も善もなし、ただ御光の栄ゆのみ、
八股オロチも金毛も、ジャキも皆それ生ける神、神の光の生みしもの、
悪抱きませ善も抱き、あななうところに御力の、輝く時ぞ来るなり、
善活かさねば悪なるぞ、善悪不二といいながら、悪と善とを区別して、導く教えぞ悪なるぞ、
ただ御光のその中に、喜び迎え善もなく、悪もあらざる天国ぞ、皆一筋の大神の、働きなるぞ悪はなし、
世界一家の大業は、地の上ばかりでなどかなる、三千世界大和して、ただ御光に生きよかし、
生まれ赤児となりなりて、光の神の説き給う、誠の道を進めかし、マコトの道に弥栄えませ。
言答(岩戸)明けたる今日(8月15日終戦記念日)ぞめでたし、二の言答(岩戸)早う明けてよ。
昭和22年8月15日(1947年 皇紀2607年 丁亥)
「一の言答」(この方が良いかな?)とは昭和22年(1947年)8月15日に記述されている話だと思います。従って今日(2024年)ひらくべき言答(岩戸)は、残り「3つ」。
だけど
|゚Д゚)))コソーリ(一つ?)ひらいている可能性あり〼。