オロシヤに上がって降りた極悪の悪神、いよいよ神の国に攻め寄せて来るぞ。 北に気をつけと、北がいよいよギリギリだと申して執念気つけてあったこと近くなったぞ。 神に縁深い者には、深いだけに見せしめあるのだぞ。 国々もその通りだぞ、神には依帖無いのだぞ。 ロシアの悪神の御活動と申すものは神々様にも これは到底かなわないと思うように激しき御力ぞ。 臣民というものは神の言葉はわからんから 悪神のことに御とつけるのはわからんと申すであろうが、 御とは力一杯のこと、精一杯のことを申すのであるぞ。 どこから攻めて来ても神の国には悪神にはわからん仕組み致してあるから、心配ないのだぞ、 いよいよと成った時には神が誠の神力出して、 天地揺すぶってトコトン降参だと申すところまでギュウギュウと締めつけて、 万劫末代 言うこと聞きますと改心するところまで揺すぶるから、 神の国、神の臣民心配するでないぞ、心大きく御用してくれよ、 どこにいても御用している臣民助けてやるぞ。
昭和19年12月6日(1944年 皇紀2604年 甲申)
「おそロシア」って言ってもプーチン大統領の話ではないのです。
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スターリンを教えてくれたク〇タくん元気してる?
いや、そっちでも無くて…。ヨセフ・スターリンの話、否、スターリンでさえ利用されていた節があるしな…、ってあれこれ考え続けた結果、以下の年表と化しました。
元号 西暦 干支 日本史 世界史 寛政13年 享和元年 1801年 辛酉 国後航路の発見。択捉島開拓。 アレクサンドル1世、父パーヴェル1世を暗殺後、ロシア皇帝に即位。リュネヴィル講和条約。トーマス・ジェファーソンが第3代アメリカ合衆国大統領に就任。 享和2年 1802年 壬戌 徳川幕府が蝦夷奉行を置く。 グレートブリテン及びアイルランド連合王国(イギリス)とフランス第一共和政との間で講和条約締結。アメリカ合衆国陸軍士官学校開校。ナポレオン一世が終身大統領となる。 享和3年 1803年 癸亥 アメリカ船、長崎に来航し通商を要求。 イギリス帝国がタスマニアに植民を開始、インド・デリーを占領。 享和4年 文化元年 1804年 甲子 ロシア帝国外交官ニコライ・レザノフが長崎の出島に来航。 オーストリア大公国等ハプスブルク家の領土を以てオーストリア帝国が成立、神聖ローマ皇帝フランツ2世が初代オーストリア皇帝として即位。ナポレオン一世がフランス皇帝に就任。 文化2年 1805年 乙丑 ナポレオン戦争。トリポリ戦争。 文化3年 1806年 丙寅 ニコライ・レザノフの部下フヴォストフが樺太に上陸、松前藩の番所などを襲撃。 神聖ローマ帝国、終焉。プロイセンがフランスに宣戦布告。ナポレオン軍がベルリンに入城。 文化4年 1807年 丁卯 徳川幕府が全蝦夷地を直轄化、箱館奉行を廃止、松前奉行を置く。 イギリス議会で奴隷貿易廃止法が可決。イギリス軍がデンマークのコペンハーゲン市街地を無差別砲撃、民間人を虐殺する。 文化5年 1808年 戊辰 間宮林蔵、樺太を探検。 イベリア半島戦争。アメリカ、奴隷貿易を禁止。 文化6年 1809年 己巳 エクアドルがスペインからの独立を宣言。 文化7年 1810年 庚午 コロンビアがスペインからの独立を宣言。 文化8年 1811年 辛未 ゴローニンが国後島に上陸し、松前に監禁される。 パラグアイがスペインから独立。 文化9年 1812年 壬申 露土戦争 : ブカレスト条約 (1812年)調印により終結。米国が英国に宣戦布告。 文化10年 1813年 癸酉 ナポレオン戦争: ライプツィヒの戦い。 文化11年 1814年 甲戌 ナポレオンが捕えられる。ルイ18世、即位。 文化12年 1815年 乙亥 杉田玄白が蘭学事始を完成。伊能忠敬の第9次測量実施。 ウィーン議定書。 文化13年 1816年 丙子 アルゼンチンが スペインから独立を宣言。英使節アマーストが清に来航。 文化14年 1817年 丁丑 ニューヨーク証券取引所が発足する。 文化15年 文政元年 1818年 戊寅 チリがスペインから独立。アーヘン会議開催。 文政2年 1819年 己卯 「文政近江地震」が発生。 スペイン領フロリダの米国への譲渡が決定。 文政3年 1820年 庚辰 米国でミズーリ協定成立。スペイン立憲革命。ナポリ革命。露国探検隊が南極大陸を発見。 文政4年 1821年 辛巳 伊能忠敬らによる『大日本沿海輿地全図』が完成。 ペルー、メキシコ、パナマ、グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、コスタリカがスペインから独立。ギリシャ独立戦争。 文政5年 1822年 壬午 ギリシャ第一共和政が発足。ブラジルがポルトガルから独立。 文政6年 1823年 癸未 文政7年 1824年 甲申 大津浜事件。宝島においてイギリス船が上陸、住民と武士との間に銃撃戦。 第一次イギリス・ビルマ戦争勃発。 文政8年 1825年 乙酉 文政の異国船打払令。 ボリビアがスペインから独立。ジャワ戦争。 文政9年 1826年 丙戌 文政10年 1827年 丁亥 イギリス、小笠原諸島の領有宣言。ナヴァリノの海戦。 文政11年 1828年 戊子 シーボルト台風。越後三条大地震。 文政12年 1829年 己丑 文政の大火。 文政13年 1830年 庚寅 徳島藩沖合にイギリスの黒船が出没。 インディアン強制移住法成立。フランス7月革命。ベルギー独立革命。ポーランド・ワルシャワで11月蜂起。
文政14年 天保元年 天保2年 1831年 辛卯 (注・文政13年11月18日~12月9日、天保元年12月10日~2年11月29日) 天保3年 1832年 壬辰 ロシア帝国がポーランド立憲王国を併合。アメリカ合衆国で、ブラック・ホーク戦争始まる。パリで六月暴動が起きる。 天保3年閏 天保4年 1833年 癸巳 庄内沖地震発生。 イギリス軍、フォークランド諸島を再占領。 天保5年 1834年 甲午 フランス、アルジェリア併合。イギリス、東インド会社中国貿易独占権廃止。 天保6年 1835年 乙未 ハレー彗星の近日点通過日。 天保7年 1836年 丙申 テキサス独立戦争: アラモの戦い。 天保8年 1837年 丁酉 大塩平八郎の乱。モリソン号事件。徳川家慶が征夷大将軍に就任。 天保9年 1838年 戊戌 イギリス軍がアフガニスタンに宣戦布告(第一次アフガン戦争)。イギリス全土で選挙法改正運動(チャーチスト運動)。フランス、メキシコに宣戦。 天保10年 1839年 己亥 蛮社の獄。 第2次エジプト・トルコ戦争。 天保11年 1840年 庚子 アヘン戦争。 天保12年 1841年 辛丑 天保13年 1842年 壬寅 江戸幕府が異国船打払令を廃止、薪水給与令復活。 清国とイギリスの間で南京条約が締結されアヘン戦争終結。 天保14年 1843年 癸卯 天保15年 1844年 甲辰 (注・旧1月1日より寛政暦から天保暦に改暦)オランダ国王、幕府に書簡で開国を勧告。フランス軍艦、那覇に来航。 アメリカ合衆国・清の間で望厦条約締結。フランス・清の間で黄埔条約締結。 弘化元年 弘化2年 1845年 乙巳 弘化3年 1846年 丙午 米国軍艦2隻が浦賀水道に来航し通商を打診、浦賀奉行が通商拒否・退去通告。 米墨戦争。 弘化4年 1847年 丁未 善光寺地震。 フランスがベトナム侵略開始。国際秘密結社「共産主義者同盟 」結成。 弘化5年 嘉永元年 1848年 戊申 (注・~嘉永元年2月28日) マルクスとエンゲルス「共産党宣言」発表。ヨーロッパ各地で1848年革命。第二次シク戦争。ハンガリー独立宣言。 嘉永2年 1849年 己酉 米国軍艦プレブル号長崎来航。英国軍艦マリナー号、江戸湾測量。 イギリスによるインドの植民地化が完了。 嘉永3年 1850年 庚戌 別段風説書で幕府がアメリカ艦隊の来日を知る。 リーマン・ブラザーズ創立。イギリス海峡で初の海底ケーブル敷設。 嘉永3年 嘉永4年 1851年 辛亥 (注・嘉永3年11月29日~嘉永4年12月9日) 後の皇帝ナポレオン3世のクーデター。 嘉永4年 嘉永5年 1852年 壬子 (注・嘉永4年12月10日~嘉永5年11月21日)露船メンチコフ号、下田来航。 大英博物館完成。 嘉永5年 嘉永6年 1853年 癸丑 (注・嘉永5年11月22日~嘉永6年12月2日)ペリーら浦賀へ来航(黒船来航)。 オスマン帝国がロシアに宣戦布告(クリミア戦争)。 嘉永6年 嘉永7年 1854年 甲寅 (注・嘉永6年12月3日~嘉永7年11月12日)日米和親条約。日英和親条約締結。 イギリス、フランスがロシアに宣戦布告(クリミア戦争) 嘉永7年 安政元年 安政2年 1855年 乙卯 (注・嘉永7年11月13日~嘉永7年11月26日、安政元年11月27日~安政2年11月23日)日露和親条約調印。 安政2年 安政3年 1856年 丙辰 (注・安政2年11月24日~安政3年12月5日)下田に米国領事館設置。日蘭和親条約。 パリ条約締結により、クリミア戦争終結。清でアロー号事件が起こる。 安政3年 安政4年 1857年 丁巳 (注・安政3年12月6日~安政4年11月16日) モルモン教徒とアメリカ陸軍によるユタ戦争。 安政4年 安政5年 1858年 戊午 (注・安政4年11月17日~安政5年11月27日)日米修好通商条約調印。安政の大獄。 アロー戦争: 天津条約締結。 安政5年 安政6年 1859年 己未 (注・安政5年11月28日~安政6年12月8日)安政の大獄: 吉田松陰が斬首刑。 第二次イタリア独立戦争。 安政6年 安政7年 万延元年 1860年 庚申 (注・安政6年12月9日~安政7年3月17日、万延元年3月18日~万延元年11月20日)桜田門外の変。咸臨丸、太平洋横断航行。 エイブラハム・リンカーンがアメリカ合衆国大統領に当選。
万延元年 万延2年 文久元年 1861年 辛酉 (注・万延元年11月21日~万延2年2月18日、文久元年2月19日~文久元年12月1日)。日普修好通商条約調印。 米南北戦争。 文久元年 文久2年 1862年 壬戌 (注・文久元年12月2日~文久2年11月11日)。幕府が派遣する第1回留学生が長崎を出帆。寺田屋事件。生麦事件。 ロンドンのフリーメーソン会館で労働者国際集会開催。ダコタ戦争。 文久2年 文久3年 1863年 癸亥 (注・文久2年11月12日~文久3年11月21日)。薩英戦争。 文久3年 文久4年 元治元年 1864年 甲子 (注・文久3年11月22日~文久4年2月19日、元治元年2月20日~元治元年12月3日)。禁門の変。第一次長州征討。池田屋事件。下関戦争。 「国際労働者協会」第一インターナショナル結成。 元治元年 元治2年 慶応元年 1865年 乙丑 (注・元治元年12月4日~元治2年4月6日、慶応元年4月7日~慶応元年11月14日) 慶応元年 慶応2年 1866年 丙寅 (注・慶応元年11月15日~慶応2年11月25日)。第二次長州征討。薩長同盟。 『資本論』第1巻刊行。普墺戦争。 慶応2年 慶応3年 1867年 丁卯 (注・慶応2年11月26日~慶応3年12月6日)。大政奉還。近江屋事件。 慶応3年 慶応4年 明治元年 1868年 戊辰 (注・慶応3年12月7日~慶応4年1月1日、明治元年1月1日~11月18日)。王政復古の大号令。戊辰戦争。 明治元年 明治2年 1869年 己巳 (注・明治元年11月19日~明治2年11月29日)。箱館戦争。 明治2年 明治3年 1870年 庚午 (注・明治2年11月30日~明治3年11月10日) 普仏戦争。 明治3年 明治4年 1871年 辛未 (注・明治3年11月11日~明治4年11月20日)。廃藩置県。 プロレタリア独裁政府パリ・コミューン樹立。 明治4年 明治5年 1872年 壬申 (注・明治4年11月21日~明治5年12月2日)。富岡製糸場操業開始。 明治6年 1873年 癸酉 日本の改暦ノ布告(明治5年旧12月3日を明治6年1月1日とする)。明治六年政変。日清修好条規発効。 米国で恐慌(1873年恐慌)。 明治7年 1874年 甲戌 台湾出兵。 明治8年 1875年 乙亥 江華島事件。 明治9年 1876年 丙子 廃刀令。日朝修好条規調印。 セルビアとモンテネグロはオスマン帝国に対し、宣戦を布告、ブルガリア人の四月蜂起。 明治10年 1877年 丁丑 西南戦争。 露土戦争。 明治11年 1878年 戊寅 竹橋事件。 露土戦争がサン・ステファノ条約締結により講和。第二次アフガン戦争。 明治12年 1879年 己卯 大阪で朝日新聞社創立。 英国がズールー王国に侵攻。 明治13年 1880年 庚辰 第一次ボーア戦争( – 1881年)。 明治14年 1881年 辛巳 秋田事件。 ロシア帝国・清間でイリ条約締結。ロシア帝国でエリザヴェトグラードからポグロムが始まる。マフディーの反乱。 明治15年 1882年 壬午 軍人勅諭発布。岐阜事件。福島事件。 「ホバベイ・ジオン」や「ビールー」組織的なユダヤ移民の第一波がパレスチナに到着。 明治16年 1883年 癸未 日本鉄道開業(上野・熊谷間)。 明治17年 1884年 甲申 秩父事件。群馬事件。加波山事件。飯田事件。安房事件。夷隅事件。 清仏戦争。 明治18年 1885年 乙酉 脱亜論。伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任。 ルイ・パスツール開発の狂犬病ワクチンが初めて人体に接種。 明治19年 1886年 丙戌 メートル条約加入。 ビルマが英領インドに併合。インディアン戦争: ジェロニモが降伏。アフリカ分割: 英領東アフリカと独領東アフリカの境界を協定。 明治20年 1887年 丁亥 米上院が海軍の真珠湾使用を承認(ハワイ王国からの獲得は11月)。 明治21年 1888年 戊子 東京朝日新聞創刊。 明治22年 1889年 己丑 第二インターナショナル結成。ウラジーミル・レーニン、『共産党宣言』をロシア語に翻訳。 明治23年 1890年 庚寅 エルトゥールル号遭難事件。 米国でウンデット・ニーの虐殺。
明治24年 1891年 辛卯 卒業式で君が代が歌われる。 ユダヤ人がモスクワから追放される。シベリア鉄道起工。 明治25年 1892年 壬辰 伝染病研究所設立。東京湾北部でM6.2クラスの地震発生。出口なおに艮の金神帰神。 フリードリヒ・エンゲルスが第二インターナショナルの名誉会長に選出される。「シオンを愛する人々」ピンスケル、パレスチナに最初のユダヤ人コロニー成立。 明治26年 1893年 癸巳 アメリカ海兵隊がイオラニ宮殿を包囲、ハワイ革命、ハワイ王国滅亡。米国で金融恐慌(1893年恐慌)。パークナム事件。 明治27年 1894年 甲午 明治東京地震。日英通商航海条約調印(領事裁判権撤廃)。日本海軍初の聯合艦隊。 日本軍が朝鮮王宮を占領。日清戦争。 ハワイが共和国を宣言。第一次エチオピア戦争。「ドレフュス事件」発生。 明治28年 1895年 乙未 日清講和条約(下関条約)調印。フランス、ドイツ帝国、ロシア帝国、三国干渉。 レーニン、労働者階級解放闘争同盟結成。 明治29年 1896年 丙申 明治三陸地震。陸羽地震。 テオドール・ヘルツルが『ユダヤ人国家』を出版。政治的シオニズム運動の始まり。 明治30年 1897年 丁酉 足尾鉱毒被害者800名が上京して請願運動。労働組合期成会結成。 「第1回シオニスト会議」開催、「バーゼル綱領」採択(1903年に「シオン賢者の議定書」として発覚)。 明治31年 1898年 戊戌 西・ローゼン協定。片山潜、横山源之助らが貧民研究会を結成。 ハワイ共和国、米国に併合。米西戦争。米軍がグアム島、プエルトリコに侵攻(翌日占領)。露清条約。フランスが広州湾を清より租借。英国が九龍半島、威海衛を清から租借。ロシア社会民主労働党結成。 明治32年 1899年 己亥 布引丸事件。 米比戦争。コロンビアで千日戦争勃発。 明治33年 1900年 庚子 川俣事件。社会主義協会発足。馬蹄銀事件。 義和団の乱。 明治34年 1901年 辛丑 社会民主党設立(即日禁止)。国家主義団体・黒龍会創立。日英同盟交渉開始。 「ユダヤ国民基金」パレスチナの土地を買い求め、ユダヤ人移民に貸与、その土地をパレスチナ人には貸与禁止。米セオドア・ルーズベルト大統領就任、棍棒外交を示唆。ロシアでエスエル(社会革命党)結成。 明治35年 1902年 壬寅 第1次日英同盟調印・発効。 明治36年 1903年 癸卯 龍岩浦事件。七博士建白事件。 明治37年 1904年 甲辰 日露戦争。 ジェイコブ・シフ、日本に2億ドルの融資 明治38年 1905年 乙巳 ポーツマス条約。 ロシア第一革命・血の日曜日事件。ユダヤ移民の第二波、主にロシアより到着。 明治39年 1906年 丙午 日本社会党結成。 明治40年 1907年 丁未 日仏協約調印。 ボリシェヴィキがチフリスで現金輸送車を襲撃。英露協商。 明治41年 1908年 戊申 シベリアでツングースカ大爆発. 明治42年 1909年 己酉 ユダヤ人最初の町「テルアビブ」が創設。 明治43年 1910年 庚戌 幸徳事件、南北朝正閏問題。 明治44年 1911年 辛亥 明治天皇が最終的に南朝を正統に決定したため、政府は皇統譜令(旧皇統譜令)第41条を定めて、北朝の天皇は皇統譜から除外された。 辛亥革命。イタリア・トルコ戦争。 明治45年 大正元年 1912年 壬子 (注・明治45年1月1日~7月30日、大正元年7月30日~12月31日)、明治天皇崩御、皇太子嘉仁親王践祚(第123代天皇、大正天皇)。上杉慎吉が天皇主権説を発表。美濃部達吉が天皇機関説を発表。 清の滅亡、孫文が南京で中華民国の成立を宣言。第一次バルカン戦争勃発。 大正2年 1913年 癸丑 大正3年 1914年 甲寅 大日本帝国がドイツに宣戦布告する(第一次世界大戦)。 サラエボ事件、第一次世界大戦。 大正4年 1915年 乙卯 大英帝国がトルコ支配下のアラブ人に「アラブ国家樹立」を約束、一方で戦後の中東をフランスとロシアで山分けするための秘密条約(サイクス・ピコ条約)に調印。イギリス情報部員ローレンスの指導下に「アラブの反乱」が起きる。 大正5年 1916年 丙辰 大正6年 1917年 丁巳 日本艦隊の欧州派遣を閣議決定。 ロシア二月革命。十月革命。ジェイコブ・シフがレーニン、トロツキーに対してそれぞれ2,000万ドルの資金を提供、「ソビエト政権」が樹立、大英帝国がユダヤ人大富豪家のライオネル・ロスチャイルド卿に「ユダヤ国家樹立」を約束する書簡(バルフォア宣言)。イギリス軍、エルサレムに入城、パレスチナ支配終結。 大正7年 1918年 戊午 日本が英米仏軍と共にシベリア出兵をすることを宣言。 アラブ人の反英・反ユダヤ闘争開始。ソビエト政権が戦時共産主義を採用。ドイツ革命、ドイツが共和国を宣言。 大正8年 1919年 己未 関東軍司令部条例公布(関東軍設置)。 ウラジーミル・レーニン、国際共産主義組織「コミンテルン」設立。ドイツ労働者党結成。 大正9年 1920年 庚申 大日本帝国、国際連盟へ正式加入。日本社会主義同盟結成。 国際連盟設立。
元号 西暦 干支 ※1 ※2 ※3 ※4 関係する神示 出来事 大正10年 1921年 辛酉 三十帖/一帖 マコトのことはトリの年 日本・米国・英国・フランス、四か国条約、バーデン=バーデンの密約 大正11年 1922年 壬戌 一帖/三十帖 〇/十 ソビエト連邦成立。コミンテルン日本支部・日本共産党創立。国際連盟がイギリスのパレスチナ支配を正式に承認。 大正12年 1923年 癸亥 二帖/二十九帖 一/九 関東大震災、排日移民法(ジョンソン=リード法) 大正13年 1924年 甲子 三帖/二十八帖 二/八 皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)と良子女王(後の香淳皇后)が結婚 大正14年 1925年 乙丑 四帖/二十七帖 三/七 日ソ基本条約締結 大正15年 昭和元年 1926年 丙寅 五帖/二十六帖 四/六 大正天皇崩御、摂政皇太子裕仁親王が践祚 昭和2年 1927年 丁卯 六帖/二十五帖 五/五 大正天皇大喪、南京事件 昭和3年 1928年 戊辰 七帖/二十四帖 六/四 昭和天皇の即位の礼挙行、コミンテルン1928年テーゼ 昭和4年 1929年 己巳 八帖/二十三帖 七/三 スターリンの独裁体制が確立、四・一六事件 昭和5年 1930年 庚午 九帖/二十二帖 八/二 共産党員全国一斉検挙開始 昭和6年 1931年 辛未 十帖/二十一帖 九/一 三月事件、柳条湖事件→満洲事変、十月事件(錦旗革命事件)、コミンテルン指令1931年 昭和7年 1932年 壬申 十一帖/二十帖 十/〇 第一次上海事変、五・一五事件、司法官赤化事件 昭和8年 1933年 癸酉 十二帖/十九帖 マコトのことはトリの年、十二年遅れているのを取り戻すのであるから 皇太子明仁親王誕生、フランクリン・ルーズベルトが米大統領に就任 昭和9年 1934年 甲戌 十三帖/十八帖 〇/十 陸軍省が国防の本義と其強化の提唱を配布、陸軍士官学校事件 昭和10年 1935年 乙亥 十四帖/十七帖 一/九 永田鉄山暗殺事件(相沢事件) 昭和11年 1936年 丙子 当歳 十五帖/十六帖 二/八 ニ・ニ六事件、西安事件 昭和12年 1937年 丁丑 二歳 十六帖/十五帖 三/七 日中戦争、コミンテルン指令1937年、隔離演説 昭和13年 1938年 戊寅 三歳 十七帖/十四帖 四/六 国際連盟加盟国の対日経済制裁 昭和14年 1939年 己卯 四歳 十八帖/十三帖 五/五 日米通商航海条約破棄通告 昭和15年 1940年 庚辰 五歳 十九帖/十二帖 六/四 仏印進駐、日独伊三国同盟、世界最終戦論 昭和16年 1941年 辛巳 六歳 二十帖/十一帖 七/三 ゾルゲ事件、大東亜戦争開戦 昭和17年 1942年 壬午 七歳 二十一帖/十帖 八/二 ミッドウェー海戦 昭和18年 1943年 癸未 八歳 二十二帖/九帖 九/一 イタリア降伏、連合国へ寝返り 昭和19年 1944年 甲申 九歳 二十三帖/八帖 十/〇 九歳は神界の紀の年 昭和東南海地震 昭和20年 1945年 乙酉 十歳 二十四帖/七帖 旧九月八日とどめぞ 大東亜戦争終戦 昭和21年 1946年 丙戌 ひ/け 二十五帖/六帖 〇/十 01 ア/ヲ これで一の御用は済みたぞ 新日本建設に関する詔書 昭和22年 1947年 丁亥 ふ/れ 二十六帖/五帖 一/九 02 イ/ヱ 神の仕組一切り、言答明けたる今日ぞ 日本国憲法施行 昭和23年 1948年 戊子 み/ほ 二十七帖/四帖 二/八 03 ウ/ウ 極東国際軍事裁判判決 昭和24年 1949年 己丑 よ/ゑ 二十八帖/三帖 三/七 04 エ/ヰ 湯川秀樹、ノーベル物理学賞受賞 昭和25年 1950年 庚寅 い/せ 二十九帖/二帖 四/六 05 オ/ワ 朝鮮戦争
昭和26年 1951年 辛卯 む/あ 三十帖/一帖 五/五 06 ㋳/ロ 旧日米安保条約 昭和27年 1952年 壬辰 な/す +一帖 六/四 07 ㋑/レ サンフランシスコ平和条約発効 昭和28年 1953年 癸巳 や/ま +二帖 七/三 08 ㋴/ル アイゼンハワー「平和のための原子力」演説 昭和29年 1954年 甲午 こ/の +三帖 八/二 09 ㋓/リ 第一回ビルダーバーグ会議 昭和30年 1955年 乙未 と/て +四帖 九/一 10 ㋵/ラ 55年体制確立 昭和31年 1956年 丙申 も/へ +五帖 十/〇 11 ㋻/ヨ 日ソ共同宣言 昭和32年 1957年 丁酉 ち/り +六帖 12 ㋼/エ マコトのことはトリの年 東海村原子炉JRR-1臨界 昭和33年 1958年 戊戌 る/さ +七帖 〇/十 13 ㋽/ユ 欧州経済共同体設立 昭和34年 1959年 己亥 ら/に +八帖 一/九 14 ㋾/イ ハワイがアメリカ50番目の州となる 昭和35年 1960年 庚子 ね/え +九帖 二/八 15 カ/ヤ 60年安保条約、所得倍増計画 昭和36年 1961年 辛丑 し/お +十帖 三/七 16 キ/モ 十年遅れると申してあるが アイゼンハワー退任演説 昭和37年 1962年 壬寅 き/う 四/六 17 ク/メ 東京都が世界初の常住人口1000万人突破 昭和38年 1963年 癸卯 る/か 五/五 18 ケ/ム ケネディー大統領暗殺事件 昭和39年 1964年 甲辰 ゆ/め 六/四 19 コ/ミ ベトナム戦争、1964年東京オリンピック 昭和40年 1965年 乙巳 ゐ/く 七/三 20 サ/マ 国際連合安全保障理事会非常任理事国に当選 昭和41年 1966年 丙午 つ/は 八/二 21 シ/ホ 総人口一億人突破 昭和42年 1967年 丁未 わ/た 九/一 22 ス/ヘ ブリュッセル条約 昭和43年 1968年 戊申 ぬ/を 十/〇 23 セ/フ イタイイタイ病公害病認定、カネミ油脂事件 昭和44年 1969年 己酉 そ/そ 24 ソ/ヒ マコトのことはトリの年 日本のGNPが西ドイツを抜き世界第2位に 昭和45年 1970年 庚戌 を/ぬ 〇/十 25 タ/ハ 核拡散防止条約、よど号ハイジャック事件 昭和46年 1971年 辛亥 た/わ 一/九 26 チ/ノ 世界経済フォーラム設立、ダボス会議 昭和47年 1972年 壬子 は/つ 二/八 27 ツ/ネ 沖縄返還、台湾日本との国交断絶 昭和48年 1973年 癸丑 く/ゐ 三/七 28 テ/ヌ 第1次オイルショック 昭和49年 1974年 甲寅 め/ゆ 四/六 29 ト/ニ ウォーターゲート事件 昭和50年 1975年 乙卯 か/る 五/五 30 ナ/ナ ベトナム戦争終結 昭和51年 1976年 丙辰 う/き 六/四 31 ニ/ト ロッキード事件、ベレンコ中尉亡命事件 昭和52年 1977年 丁巳 お/し 七/三 32 ヌ/テ 横田めぐみさん拉致事件 昭和53年 1978年 戊午 え/ね 八/二 33 ネ/ツ 第2次オイルショック、日中平和友好条約 昭和54年 1979年 己未 に/ら 九/一 34 ノ/チ スリーマイル島原発事故 昭和55年 1980年 庚申 さ/る 十/〇 35 ハ/タ 1980年モスクワオリンピックボイコット
昭和56年 1981年 辛酉 り/ち 三十帖/一帖 36 ヒ/ソ マコトのことはトリの年 敦賀発電所放射能漏れ事故、レーガノミクス 昭和57年 1982年 壬戌 へ/も 一帖/三十帖 〇/十 37 フ/セ 第8回先進国首脳会議 昭和58年 1983年 癸亥 て/と 二帖/二十九帖 一/九 38 ヘ/ス 戸塚ヨットスクール事件 昭和59年 1984年 甲子 の/こ 三帖/二十八帖 二/八 39 ホ/シ グリコ森永事件 昭和60年 1985年 乙丑 ま/や 四帖/二十七帖 三/七 40 マ/サ プラザ合意・日本航空123便墜落事故 昭和61年 1986年 丙寅 す/な 五帖/二十六帖 四/六 41 ミ/コ 三井物産マニラ支店長誘拐事件 昭和62年 1987年 丁卯 あ/む 六帖/二十五帖 五/五 42 ム/ケ ルーブル合意、国鉄分割民営化 昭和63年 1988年 戊辰 せ/い 七帖/二十四帖 六/四 43 メ/ク ソ連がペレストロイカ開始 昭和64年 平成元年 1989年 己巳 ゑ/よ 八帖/二十三帖 七/三 44 モ/キ 昭和天皇崩御、平成天皇即位、消費税導入 平成2年 1990年 庚午 ほ/み 九帖/二十二帖 八/二 45 ヤ/カ 湾岸戦争 平成3年 1991年 辛未 れ/ふ 十帖/二十一帖 九/一 46 イ/㋾ バブル崩壊、ソ連崩壊 平成4年 1992年 壬申 け/ひ 十一帖/二十帖 十/〇 47 ユ/㋽ バブル景気「公式」終結、就職氷河期元年、アジェンダ21 平成5年 1993年 癸酉 い/ん 十二帖/十九帖 48 エ/㋼ マコトのことはトリの年 55年体制崩壊 平成6年 1994年 甲戌 ろ/す 十三帖/十八帖 〇/十 49 ヨ/㋻ 天明九十六才七ヶ月、ひらく、四十九、天明 神示書かす御役ぞ 松本サリン事件 平成7年 1995年 乙亥 は/せ 十四帖/十七帖 一/九 50 ラ/㋵ 阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件 平成8年 1996年 丙子 に/も 十五帖/十六帖 二/八 51 リ/㋓ 薬害エイズ事件民事和解成立 平成9年 1997年 丁丑 ほ/ひ 十六帖/十五帖 三/七 52 ル/㋴ 消費税増税、日本銀行法全面改正案可決成立 平成10年 1998年 戊寅 へ/ゑ 十七帖/十四帖 四/六 53 レ/㋑ 完全失業率4.1%、Google設立 平成11年 1999年 己卯 と/し 十八帖/十三帖 五/五 54 ロ/㋳ 東海村JCO臨界事故、労働者派遣法規制緩和 平成12年 2000年 庚辰 ち/み 十九帖/十二帖 六/四 55 ワ/オ ミレニアム開発目標(MDGs) 平成13年 2001年 辛巳 り/め 二十帖/十一帖 七/三 56 ヰ/エ 第1次小泉内閣、アメリカ同時多発テロ事件 平成14年 2002年 壬午 ぬ/ゆ 二十一帖/十帖 八/二 57 ウ/ウ 持続可能な開発に関する世界首脳会議 平成15年 2003年 癸未 る/き 二十二帖/九帖 九/一 58 ヱ/イ 第二次湾岸戦争、SARS-CoV-1発生 平成16年 2004年 甲申 を/さ 二十三帖/八帖 十/〇 59 ヲ/ア 製造業務への労働者派遣解禁 平成17年 2005年 乙酉 わ/あ 二十四帖/七帖 マコトのことはトリの年 地球温暖化防止条約京都議定書発効、郵政解散 平成18年 2006年 丙戌 か/て 二十五帖/六帖 〇/十 第1次安倍内閣、ライブドア事件 平成19年 2007年 丁亥 よ/え 二十六帖/五帖 一/九 安倍晋三首相辞任、郵政民営化 平成20年 2008年 戊子 た/こ 二十七帖/四帖 二/八 リーマン・ショック、世界同時株安 平成21年 2009年 己丑 れ/ふ 二十八帖/三帖 三/七 鳩山内閣、欧州連合リスボン条約発効 平成22年 2010年 庚寅 そ/け 二十九帖/二帖 四/六 尖閣諸島中国漁船衝突事件
平成23年 2011年 辛卯 つ/ま 三十帖/一帖 五/五 東日本大震災、福島第一原子力発電所事故 平成24年 2012年 壬辰 ね/や 一帖/三十帖 六/四 持続可能な開発に関する国連会議(リオ+20)、第2次安倍内閣 平成25年 2013年 癸巳 な/く 二帖/二十九帖 七/三 日本の竹島領有権を主張する動画を公開 平成26年 2014年 甲午 ら/お 三帖/二十八帖 八/二 日ロ首脳会談、クリミア危機 平成27年 2015年 乙未 む/の 四帖/二十七帖 九/一 持続可能な開発のための2030アジェンダ、持続可能な開発目標(SDGs) 平成28年 2016年 丙申 う/ゐ 五帖/二十六帖 十/〇 COP21パリ協定 平成29年 2017年 丁酉 ゐ/う 六帖/二十五帖 マコトのことはトリの年 ドナルド・トランプ米大統領就任 平成30年 2018年 戊戌 の/む 七帖/二十四帖 〇/十 築地市場営業終了 平成31年 令和元年 2019年 己亥 お/ら 八帖/二十三帖 一/九 令和天皇即位、イベント201、SARS-CoV-2発生 令和2年 2020年 庚子 く/な 九帖/二十二帖 二/八 世界経済フォーラム第50回年次総会(グレートリセット)、改正新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく初の緊急事態宣言を発令 令和3年 2021年 辛丑 や/ね 十帖/二十一帖 三/七 延期されていた2020年東京オリンピック・パラリンピックを開催、ジョー・バイデン米大統領就任 令和4年 2022年 壬寅 ま/つ 十一帖/二十帖 四/六 ロシアがウクライナ侵攻、安倍晋三銃撃事件 令和5年 2023年 癸卯 け/そ 十二帖/十九帖 五/五 イスラエルがハマスを言い訳にしてガザ地区のパレスチナ人を大量虐殺開始、自由民主党5派閥における政治資金パーティー収入裏金問題 令和6年 2024年 甲辰 ふ/れ 十三帖/十八帖 六/四 令和6年能登半島地震、羽田空港地上衝突事故 2025年 乙巳 こ/た 十四帖/十七帖 七/三 2026年 丙午 え/よ 十五帖/十六帖 八/二 2027年 丁未 て/か 十六帖/十五帖 九/一 2028年 戊申 あ/わ 十七帖/十四帖 十/〇 2029年 己酉 さ/を 十八帖/十三帖 マコトのことはトリの年 2030年 庚戌 き/る 十九帖/十二帖 〇/十 2031年 辛亥 ゆ/ぬ 二十帖/十一帖 一/九 2032年 壬子 め/り 二十一帖/十帖 二/八 2033年 癸丑 み/ち 二十二帖/九帖 三/七 2034年 甲寅 し/と 二十三帖/八帖 四/六 2035年 乙卯 ゑ/へ 二十四帖/七帖 五/五 宵の明星が東へ廻っていたら、いよいよだぞ 2035年9月2日皆既月食、太陽の左下に金星 2036年 丙辰 ひ/ほ 二十五帖/六帖 六/四 2037年 丁巳 も/に 二十六帖/五帖 七/三 2038年 戊午 せ/は 二十七帖/四帖 八/二 2039年 己未 す/ろ 二十八帖/三帖 九/一 2040年 庚申 ん/い 二十九帖/二帖 十/〇 2041年 辛酉 三十帖/一帖 マコトのことはトリの年、↓大いなるタメシ? 2042年 壬戌 2043年 癸亥 2044年 甲子
※1 :元は十と四十七と四十八 ※2 :三十年一切ぞ :建て替えが十年延びた ※3 :宮/富士(〇九十) :(一二三/春マケ) :(三四五/夏マケ) :(五六七/秋マケ) :(七八九/冬マケ) :(八九十/ハルマゲドン) ※4 :元の人三人、その下に七人、その下に七七、四十九人、合して五十九 ※注 一柱一年と思いますが、実際は翌年に被ると思います。
この年表は横スクロールします。
磐戸の巻 第二十帖
戦いつも勝ちとばかりとは限らんぞ、春負けとなるぞ、 いざとなれば昔からの生き神様 総出で御働きなさるから、 神の国の神の道は大丈夫であるなれど、日本臣民 大丈夫とは申されんぞ、 その心の通りになること忘れるなよ、早うミタマ磨いてくれよ、 もう少し戦進むと、これはどうしたことか、 こんなはずではなかったなぁと、どちらの臣民も見当取れん、 どうすることもできんことになると知らせてあろうが、 そうなってからでは遅いからそれまでに、この神示読んで、 その時にはどうするかということわかっておらんと仕組み成就せんぞ。 役員の大切な役目だぞ、 我の思い捨ててしまって 早うこの神示、穴のあくほど裏の裏まで肚に入れておいてくれよ、 この神示の終わりに、神強く頼むぞよ。
昭和20年1月13日(1945年 皇紀2605年 乙酉)
キの巻 第二帖
神示読めば何もかもわかるようになっていることわからぬか、 尾張の御用 御苦労であったぞ、 奥の奥のこと仕組み通りになっている、臣民心配するでないぞ、 一の宮は桜咲くところへ作れよ、わかったか、天之日津久神奉賛会でよいぞ、 大神津見の神と申しても祀りくれよ、 祭典、国民服の左の胸に八(や)たれの垂二本つけて 絹の垂つけて当分奉仕してよいぞ。 道場は一の宮と一つ所でよいぞ。 イイヨリ(飯依~四国、讃岐の国)の御用 タニハ(丹波~京都)の御用御苦労であったぞ。 皆の者いよいよだぞ、今から弱音では何もできんぞ、 春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケ、ハルマゲドンと申してあろうが、 いよいよだぞ、褌しめよ、グレンだぞ。
昭和20年2月26日(1945年 皇紀2605年 乙酉)
キの巻 第六帖
道場開き結構であったぞ、皆の者 御苦労ぞ、 知らせてあるように道開いて下されよ、天と地と合わせ鏡ぞ、 一人でしてはならんぞ。
桜咲くところ、桜と共に花咲くぞ、 夏マケ、秋マケとなったら冬マケで泣きあげてはならんぞ、 戦済んでからがいよいよの戦ぞ、 褌締めよ、役員も一度は青なるのだぞ、土潜るのだぞ、 九、十、気つけてくれよ。神示よく読めよ、 肝腎のことわかってはおらんぞ、一のことぞ。一ゝゝゝ三(ひふみだぞ)。
昭和20年3月11日(1945年 皇紀2605年 乙酉)
何故240年間分も作ったのかと言えば、日月神示が降りる以前の明治25年(1892年)には大本の開祖であった出口なお女史に「お筆先」が降りていましたし、その時点で既にお叱りされるような状況に成り果てていたのだといえます。だったらその原因までは辿り着かないとダメかな、と思いまして。私自身そんな偉そうな事を言えるタマでは無いのですが、書いておかなきゃダメだろうと思って書いときました。後、上の年表の補足をしておきます。昭和20年1月の「戦いつも勝ちとばかりとは限らんぞ、春負けとなるぞ 」とは「大東亜戦争」敗戦 で間違いないでしょう。その後の昭和22年(1947年)8月15日に言答(岩戸)が明けておりますし (海の巻 第五帖)。
夏マケ が「天明九十六才七ヶ月、ひらく 」(黄金の巻 第十五帖)だと考えてます。これはきっと皆さんも予想されている事でしょう、バブル崩壊 だと思います。年表の注釈に「七八九」とか「〇九十」書いてあるのは、仕組みごとの時代区分です。「五六七」は有名なんですけどね。「七八九」に言及しているのは↓だけかと。
天つ巻 第十帖
一二三の裏に◯一二、三四五の裏に二三四、五六七の裏に四五六の御用あるぞ。 五六七済んだら七八九ぞ、七八九の裏には六七八あるぞ、八九十の御用もあるぞ。 段々に知らせるから、これまでの神示よく心に入れて、ジッとして置いてくれよ
昭和19年9月3日(1944年 皇紀2604年 甲申)
これら5つの御用こそ、5つの岩戸開きに直結していると考えられます。私個人は「五六七」の時代を平成16年(2004年)甲申(あるいは翌年の乙酉)までと考えております (その理由だけで一話書けちゃうので後日にしますが)。2024年この原稿執筆時点が「七八九」の6合目という事となります。中々キツイでしょ?コレ。それなのに「冬マケで泣きあげてはならんぞ」という余りにも無慈悲なお答え…(。´Д⊂)うぅ・・・。
秋の巻 第一帖
同じ神の子でも本家と分家あるぞ。本家は人間じゃ。分家は動植物じゃ。 本家と分家は神の前では同じであるが、位置を代えると同じでないぞ。 三十年で世の建て替え致すぞ。 これからは一日増しに世界から出て来るから、いかに強情な人民でも往生致すぞ。 神は喜びであるから、人の心から悪を取り除かねば神に通じないぞと教えているが、 それは段階の低い教えであるぞ。大道でないぞ。理屈の作り出した神であるぞ。 大神は大歓喜であるから悪をも抱き参らせているのであるぞ。 抱き参らす人の心に、マコトの不動の天国くるぞ。 抱き参らせば悪は悪ならずと申してあろうが。今までの教えは今までの教え。
昭和27年4月11日(1952年 皇紀2612年 壬辰)
海の巻 第二帖
権小道師から上は神の帖面につくのであるぞ、参道は仮ぞ。 合わせて四十九かへミタマ六参道仮だからそのつもり結構ぞ。 一帖、三十帖、二帖、二十九帖というふうに読み直して下されよ、 三十帖一切として上下まぜまぜにして上下ひっくり返して読み直してくれよ。 火の守護から水の守護に変わっておるのであるから、 水の蔭には火、火の蔭には水ぞ、このこと忘れるなよ、この中には化け物いるのだぞ、 化け物に化かされんように おかげ落とさんように致して下されよ、 神くどう気つけおくぞ。
昭和22年8月14日(1947年 皇紀2607年 丁亥)
わかりづらかったのが「三十年で世の建て替え致すぞ」です。昭和56年(1981年)以降の60年間、御用が四つも入ってしまっているので、30年づつ並べたのですが、「建て替えが遅れている」という記述がある事、「十年」と「十二年」という二通りあるのをどう解釈するか?
祭りの巻 第二十一帖
建て替えが十年延びたと知らしてあろうが、 建て替え遅くなりて、それから建て直しに掛かりたのでは人民丸潰れとなるから、 建て直し早うかかるからと聞かせてあろうが、人民には中々わからんなれど、 世界の動き良く見て御用結構ぞ。 世の建て替えは水の守護、火の守護と知らせてあること忘れずに神示読めよ、 所々の氏神様は日本の内で御用なさるのじゃ。 どんな集団も神示が元じゃ、神示で開かなならんぞ、 智や学も要るなれど、智や学では開けんぞ、誠で開いて下されよ
昭和21年8月30日(1946年 皇紀2606年 丙戌)
春の巻 第五十五帖
十二年遅れているのを取り戻すのであるから、これからは目の回るほど急しくなって来るぞ。 神示読む暇もなくなると申してある時来たぞ。 いずれは人民減るなれど、何も約束ごと真理とはかえられん。 まこと求めるならば、これと見届けたならば、その場で御用与える仕組み。
昭和27年2月15日(1952年 皇紀2612年 壬辰)
よく読むとこの両者は意味合いが違うと思ってまして、元々この一連の仕組みはマコト、辛酉である大正10年(1921年)の辛酉から始めたかったと思うのです。確かにその年は第一次大本事件という重大案件が起きたのは事実ですが、遅れた結果が辛酉の年というのはやっぱり違うなと。私は、かの時代における「大本」の存在とその影響自体が御用であり、仕組みだったと考えております。それは天明氏周辺に軍部の人物が存在する事からも明らかです。即ち、「一はじめ の言答いわど (岩戸)」を明ける御用を可能にするための御用こそが「大本」。そして天明氏が大本に出会ったのも決して偶然ではない、と思います。 と考えると「十二年」の方は、仕組みの開始が「辛酉」に間に合わず、昭和8年(1933年)の「癸酉」にずれ込んだ事を示していると思います。そこは「一はじめ の御用」 の始まりに一致します。対して「十年」の方は、建て替え全三十年から十年プラスされて計四十年になったのか、十年遅れて開始されただけなのかは判断つきません。従ってこのような暫定的な年表となっております、ご了承くださいませ。その30年の数え方が「~帖」です。これが裏表ある故の記述でしょう。今のところ年表についてはこの辺で。
ここから本日の本題です。
大本神諭 年月日不明
至仁至愛の神の御出ましに御成なさる時節が参りて大国常立尊が出口の手で書き知らして置いた世が迫りて来たから、世界中の人民が改心を致さねば、この世では最う一寸も先へは行けず、後へ戻ることも出来んぞよ。 この世の来ることを明治二十五年から今につづいて知してをるのにチットモ聞入れが無いが、国同士の人の殺し合いといふやうな斯んな約らん事はないぞよ。 一人の人民でも神からは大切であるのに屈強ざかりの人民が皆無くなりて老人や小児ばかり残して前後を構はずのやりかたであるぞよ。こんな大きな天地の罪を犯してまだ人の国まで取らうと致してをるのは向先きの見えぬ悪魔の所作であるから、何の国が仲裁に出ても天地の大神の御許しのなき事にはいつまでも埒は明かぬぞよ。出かけた船であるから、どちらの船も後へ引く事もならず、進む事も出来ず、まことの仲裁もはいらず、つまらんことが出来るから、外国の守護神に長らくの間気が付けてありたぞよ。 あまり我が強いとしくじるぞよと何時も筆先で気が往けてあるぞよ。 何国にも負けん強い国で在ると思ふて我よしのやりかたで頑張ると為損ひが出来るからと申してくどう知らしてありたが今の有様は其通りではないか。これからは神代の世になるから今までの様に余り頑張ると我れの思ふやうには此の先は一寸も行かんぞよ。我の強い守護神ほど思はくは立ちはせんぞよ。 これまでの心を全然入れ替て了ふて天と地との元を創造た太元の神へお詫を致さねば、我の一力で行りて居ると思ふのが大間違であるぞよ。何事も皆神からの事であるから取り違いをいたすなよと先に気を往けてあろうがな。 我一力で仕て居ると思ふて居ることを霊魂の性来因縁だけの事を天地の神からさせられて居るのであると云ふ事が判然とわかる時代が回りて来たので在るから、これ迄の悪の守護神のやりかたも九分九厘まではトントン拍子に思ふやうに来たなれどモウ九分九厘で悪のみたまのやりかたは輪止りとなるのが今の事であるぞよ。今までは悪のみたまの覇の利く時節でありたぞよ。是が暗りの世でありたぞよ。 この先は学や智恵や仏では国は建たんぞよ。一日も早く往生いたさんと世界の物事が遅ておるから筆先でいつも同じ事を気を付けるぞよ。向ふの国の有様は筆先どうりになりて来てをるから日本の国の守護神に早く判らんと立替が十二年遅くなりてをるから、何かの事の実地が始まると、まだまだ世界には烈しき事が来るぞよと申して在るが一度申したことは違ゐはせんぞよ。世の元から神は能く判りておるので在るから向ふの国に彼れだけの事があるのに日本の人民は我さへ善けら国はどうなりても構はぬとは全然獣ものであるぞよ。神の直々の善き御魂を貰ふてをるからは末には神にも祭られる結構なものであり乍ら人は倒ようが仆れようが我さえ善けりゃ好いでは万物の長とは白されんぞよ。 世界は今が罪の借銭済であるから罪悪のひどい処ほどきびしき戒があるぞよと申して知してあるがこの世界は後にも前にも無いみせしめが出て来るぞよ。 用意をなされよ世の立替は新つの洗い替であるから、みろくの神の世に立返りて万古末代善一筋の世になる尊ひ事の初りであるから皆の人民の思ひが違ふてあるぞよ。あやべの大本は今では粗末なとこで在るなれど此の広い世界に外に亦とない大神の世の元の尊とひとこであるから全部判けて見せたならば余り大きな仕組であるから思ひが大違いで驚愕いたすぞよ。天地のビックリ箱が明くぞよと申してあるが此のビックリ箱が明いて手の掌をかやしたら何んな人でも驚愕いたして改心せずには居れん事になるが其処まで行かん中にチット判らんと約らん事があるぞよ。 この大本に日々かぶり付て居るものにチト早く判らんと何処からも是からは判る守護神が出て来るから、耻かしうなるぞよ。何事も、ちっと判りて居んと面目ない事が出来るぞよ。慢神と誤解が一番こわいぞよ。 たれに由らず慢神すると我の心が大変ゑらい様に思へて、人から見て居ると鼻が高うて見にくいぞよ。 腹の中に誠さえありたなれば何んな事でも出来るなれど上から見てよくても心の中に誠が無いと実地の誠が成就いたさんぞよ。
年月日不明とされていますが、明治25年と考えられています。大本神論としてまとめられた際、組み換えされていると思いますが。ちなみに、この時点で「立替が十二年遅くなりてをるから」と予告されています。 注目すべきは「何の国が仲裁に出ても天地の大神の御許しのなき事にはいつまでも埒は明かぬぞよ」という件くだり 、実は日月神示にもあるのです。これはそのようなお叱りを受ける理由が同じですから仕方ありません。
地つ巻 第二十八帖
神の国には神のやり方、外国には外国のやり方あると申してあろうがな、 戦もその通りぞ、神の国は神の国のやり方しなければならんのだぞ、 外国のやり方真似ては外国強いのだぞ、戦するにも身魂磨き第一ぞ。 一度に始末することは易いなれど、 それでは神の国を一度は丸潰しにしなければならんから、待てるだけ待っているのだぞ、 仲裁する国はなく、出かけた船はどちらも後へ引けん苦しいことになって来るぞ、 神気つけるぞ。
昭和19年10月6日(1944年 皇紀2604年 甲申)
風の巻 第九帖
土地分け盗りばかりか、天まで分け盗って自分のものと、威張っているが、 人民の物一つもないのじゃ。大引き上げにならんうちに捧げた臣民 結構ぞ。 宮の跡はSとなるぞ。ナルトとなるぞ。 天の言答(一八十、岩戸)は開いてあるぞ。 地の言答(一八十、岩戸)、人民 開かなならんぞ、 人民の心次第でいつでも開けるのだぞ。 泥の海になると、人民思うところまで一時は落ち込むのじゃぞ、覚悟よいか。 神国には神国の宝、神国の臣民の手で、元の所へ納めなならんのだ。 タマなくなっていると申してあろうがな。 何事も時節到来しているのだぞ、真理(ふじ)晴れるばかりの御代となっているのじゃぞ。 人民 神に仕えて下さらんと神のまことの力出ないぞ、 持ちつ持たれつと申してあろうがな、 神まつらずに何事もできんぞ、まつらいでするのが我よしぞ、天狗の鼻だぞ。 まつらいでは真っ暗ぞ、真っ暗の道で、道開けんぞ。神は光ぞと申してあろうが、 てん詞様よくなれば、皆よくなるのだぞ。てん詞様よくならぬうちは、 誰によらん、よくなりはせんぞ、この位のことなぜにわからんのじゃ。 よくなったと見えたら、それは悪の守護となったのじゃ。 神かかりよくないぞ、やめて下されよ、迷う臣民できるぞ。 ほどほどにせよと申してあろうが。 皆々心の鏡掃除すれば、それぞれに神かかるのじゃ。 肉体心で知ることは皆粕ばかり、迷いの種ばかりじゃぞ、 この道理わかりたであろうがな、くどう申さすでないぞ。
昭和21年2月16日(1946年 皇紀2606年 丙戌)
「出かけた(仕掛けた)船(戦争)であるから、どちらの船(軍)も後へ引く事もならず、進む事も出来ず、まことの仲裁も」入るわけないのです。 そして「土地分け盗りばかりか、天まで分け盗って」いるのは「向先きの見えぬ悪魔の所作」 だと言えます。その結果はご存じの通りです。
昭和天皇曰く「満洲事件の張本人」石原莞爾は、東京裁判の出張法廷で「それなら、ペルリ(ペリー)をあの世から連れてきて、この法廷で裁けばよい。もともと日本は鎖国していて、朝鮮も満洲も不要であった。日本に略奪的な帝国主義を教えたのはアメリカ等の国だ」と開き直っています。石原だけじゃないでしょう。「日本の戦争目的は対共産主義」だったいう論調とか。ゾルゲ事件で国の意思決定にまで影響を及ぼし、日本の国家機密がコミンテルンに漏れていた事は明らかです。当時からコミンテルンは日本の軍の構造を明確に理解していた節があります。
日支闘争計画
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/日支闘争計画#レーニンの敗戦革命論
この辺読んでくと、日月神示も「反省革命論」と言ってよいかも、って思います。心理学的に。近衛文麿は「なにもかも自分の考えていたことと逆な結果になってしまった。ことここに到って静かに考えてみると、何者か眼に見えない力にあやつられていたような気がする」と述懐しております。だから神様は、天明氏を訪れた青年将兵一行が、近衛文麿を暗殺しようとしたのを止めさせたのか、と思います。それは敗戦させる事こそが目的だったから。尚、日支闘争計画のwikiのページに、当事者の一人である岸信介の言葉が載せられておりますが、それすらこの程度の認識でしかないのには唖然としました。
これは、自分たちは何を間違えていたのかを一切考えることなく、戦争責任を他者に押し付けようとしているザマです。これでは同じような事を何度でも繰り返すのでしょう。実際、「軍による力の行使」の次は、「金による力の行使」でした。そして同じように怨みを買っています。 この件は後述します。
戦線から遠のくと、楽観主義が現実に取って代わる。 そして最高意思決定の段階では、現実なるものはしばしば存在しない。 戦争に負けているときは特にそうだ
昭和77年冬(2002年 皇紀2662年 壬午)特車二課第二小隊隊長・後藤喜一・談
日露戦争
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/日露戦争
戦争理由として、満州での勢力拡大により大韓帝国の保全が脅かされる事が日本の安全保障上・極東平和への脅威となったとされていますが、既に日清戦争の時点で「出かけた(仕掛けた)船(戦争)であるから、どちらの船(軍)も後へ引く事もならず、進む事も出来ず、まことの仲裁も」 入るわけがないのは道理です。ちなみに、この状況を生みだした日清戦争に絡んでフランス、ドイツ帝国、ロシア帝国には「三国干渉」された挙句、下関条約で割譲を受けた遼東半島を清に返還する羽目になっています。
さて、日清戦争で戦費の3分の1が海外に流失、1億5,000万円の外貨調達が必要となり、帝政ロシアを敵視するアメリカのドイツ系ユダヤ人銀行家ジェイコブ・シフからは、500万ポンドの外債引き受けおよび追加融資を獲得しています。最終的に日露戦争の戦費総額は18億2,629万円とされております。日露戦争は日本海海戦においてバルチック艦隊を壊滅させ、樺太攻略作戦で全島占領するなど勝ちムードに見えますが、動員兵力が109万人、死傷者は27万人に及び、とても戦争の継続が出来るような状況に無く、実際日本はアメリカに講和を取り持ってくれるように依頼していました。即ち「K・OでもTKOでもなく、かろうじて判定勝ち」として逃げ切り。だから日本はその後もソ連に怯え続ける羽目になりました。だから後藤隊長のコメントを引用したのです。
日露講和会議は「ポーツマス条約」として知られています。ロシアは、満洲および朝鮮からは撤兵し日本に樺太の南部を割譲するものの、戦争賠償金には一切応じない、というロシア側の最低条件で締結しました。この結果に、戦時中の増税による耐乏生活を強いられてきた国民は日比谷焼打事件等の暴動を起こしました。ところで日本の国債を買い支えていた資本家に、鉄道王のエドワード・ヘンリー・ハリマンがいました。彼は見返りに、奉天以南の東清鉄道の日米共同経営を望んでいました。当時の総理大臣である桂太郎は、ポーツマス条約中にこのアイディアを承認し、「桂・ハリマン協定」として調印されましたが、モルガン商会から「より有利な条件を提示されていた」小村外相の反対によって破棄されました。
そもそも誰のおかげで助かったのか?
桂・ハリマン協定の破棄を知ったエドワード・ヘンリー・ハリマンは、「いまから十年のうちに日本は、米国との共同経営をしなかったことを悔いる時が来るであろう」と述べました。
「カリフォルニア州の政治家は、対日戦争を引き起こす不安材料になっている。ただちにそうした事態になるとは思わないが、将来については不安である。日本人は誇り高く、感受性も強い。戦争を恐れない性格で、日露戦争の勝利の栄光に酔っている。彼らは太平洋のパワーゲームに参加しようとしている。日本の危険性はわれわれが感じている以上に高いのかもしれない。だからこそ私はずっと海軍増強を訴えてきたのだ。……仮に戦争となり、我々の艦隊が旅順港のロシア艦隊のような運命をたどることになれば、日本は簡単に25万人規模の兵力を太平洋岸に上陸させることができる。そうなれば、それを駆逐するのに数年の歳月がかかり、それに加えて、とんでもないコストがかかるだろう。ジャップはロシアに勝ってから実に生意気だ。しかし、こちらが大艦隊を持ってさえいれば、奴らだってそう簡単には手出しはできない」
米第26代大統領セオドア ・ルーズベルト・ジュニア(ユージン・ホール上院議員に宛てた1906年10月27日付の私信)
尚、第32代大統領フランクリン・ルーズベルトは五従弟(12親等)、またフランクリンの妻エレノアは姪にあたるそうです。当時の第26代大統領セオドア ・ルーズベルトの意志が確実に受け継がれたのは、まず間違いありません。「戦争をしない」という選挙公約を翻すために(以下フランクリン)ルーズベルトは1937年(昭和12年)10月5日、有名な隔離演説を行い、名指しこそ避けたものの、これは1938年(昭和13年)9月30日、加盟国の個別の判断による規約第16条適用による国際連盟加盟国による対日経済制裁(後のABCD包囲網にも繋がる)、1939年日米通商航海条約破棄通告、1941年8月近衛首相との会談拒絶、11月「ハル・ノート」と、日本から戦争を仕掛けさせるような政策を次々と執りました。あと、対中国支援、「フライングタイガース」は有名ですね。
一方、ジェイコブ・シフは帝政ロシア打倒のため、ウラジーミル・レーニンやレフ・トロツキーのグループに対して資金を提供し、ロシア革命を支援していました。そのレーニンが1919年、第二インターナショナルに代わる共産主義政党の国際組織として創設したのが「コミンテルン」です。皮肉な話でしょ?
黄金の巻 第五十六帖
逆怨みでも怨みは怨み。理屈に合わんでも飛んだ目に会うぞ。 今までの教えでは立ちて行かん。生まれ替わらねば人も生きては行かれん。 平等愛とは、差別愛のことぞ。公平という声に騙されるなよ。 数で決めるなと申してあろうがな。群衆心理とは一時的の邪霊の憑きものぞ。 上から乱れるから下のしめしつかん。我よしのやり方では世は治まらん。
昭和24年12月7日(1949年 皇紀2609年 己丑)
この愚行は戦後復興という形で繰り返されます。「国民所得倍増計画」で知られる第58-60代内閣総理大臣の池田勇人は、国を発展させる手順を明確にしました。全国総合開発計画(全総)は、戦後日本の国土計画の原点とされ、その実績は、現在の日本の基礎を為したといっても過言ではありません。良くも悪くも。今日にまで至る地方からの人口流出や、大都市一極集中、第一次産業の衰退、食料自給率の著しい悪化、急激な開発、工業化に伴う公害、自然破壊等々、とりわけ日本の輸出大国化は、後の「日米貿易摩擦」に結びついたのは確実です。日本は敗戦国である立場を逆に利用して、所謂アメリカの「核の傘」の下でのうのうとアメリカを食い物にしてきた以上、「怨まれてもジャパン・バッシング 」仕方がありません。
1985年9月22日、ニューヨーク市のプラザホテルにおいて、先進5か国(G5/アメリカ、イギリス、フランス、西ドイツ、日本)財務大臣・中央銀行総裁会議において「日本の対米貿易黒字の削減と円高ドル安への誘導」を目的とする合意、通称「プラザ合意」が為されました。
そしてバブル崩壊後、産業界は自国民を切り捨てリストラ 、海外への技術流出、消費税を導入させる等の「我良し」 に邁進していったというのはご存じの通りです。もう何から何まで全て間違っていた。「左アカ 」は言うまでもなく、「右」側もその根本からして。
旧幕は野蛮で今日は文明だそうだ。(中略)山を掘ることは旧幕時代からやっていた事だが、旧幕時代は当時は手の先でチョイチョイやっていたんだ。海へ小便したって、海の水は小便にはなるまい。手の先でチョイチョイ掘っていれば毒は流れやしまい。今日は文明だそうだ。文明の大仕掛けで山を掘りながら、そのほかの仕掛けはこれに伴わぬ、それでは海に小便したとは違うがね。(1897年3月27日/毎日新聞記事) 旧幕は、野蛮だと言うなら、それで宜しい。伊藤(博文)さんや、陸奥(宗光)さんは、文明の骨頂だと言うじゃないか。文明というのは、よく理を考えて、民の害とならぬ事をするのではないか。それだから、文明流になさいと言うのだ。(巌本善治編『新訂海舟座談』(岩波文庫 1983 年)、176 頁)
鉱毒問題は、直ちに停止のほかない。今になってその処置法を講究するのは姑息だ。先ず正論によって撃ち破り、前政府の非を改め、その大綱を正し、しかして後にこそ、その処分法を講ずべきである。しからざれば、いかに善き処分法を立つるとも、人心快然たることなし。いつまでも鬱積して破裂せざれば、民心遂に離散すべし。既に今日のごとくならば、たとえ鉱毒のためならずとも、少しその水が這入っても、その毒のために不作となる ように感ずるならん。そうしていかにして民心を安んぜんや。(同上)
勝海舟(文政6年/1823年1月30日~明治32年/1899年1月19日)
これは生前の勝海舟の「足尾銅山鉱毒問題」についてのコメントです。氏は「文明というのは、よく理を考えて、民の害とならぬ事をするのではないか。それだから、文明流になさい」と述べています。文明を否定していたわけではないのです。氏は日本海軍の基礎を作った人物の一人とされているにも拘らず、日清戦争には断固反対していました。しかしこれらの声は、利便や利益のみを求める人たちには届きませんでした。
風の巻 第五帖
我が名呼びておすがりすれば、万里先にいても言うこと聞いてやるぞ、 雨の神、風の神、岩の神、荒れの神、地震の神、と申してお願いすれば、 万里先にいても、この世の荒れ、地震逃れさせてやるぞ、 神々様に届く行で申せよ。 こんなよき世は今までになかりたのじゃ、膝元にいても言葉ばかりの願い聞こえんぞ、 口と心と行と三つそろった行い、マコトと申して知らせてあろうが。 時節来ているなれど、わからん人民多いゆえ物事遅くなりて気の毒なるぞ、 今しばらくの辛抱なるぞ、神は人民に手柄立てさせたいのじゃ、 許せるだけ許してよき世に致すのじゃ、ここまで開けたのも神が致したのじゃ、 今の文明無くせんと申してあろうが、文明残してカスだけ無に致すのじゃ、 取り違い慢心致すなよ。 日本の国いくら大切と申しても、世界中の臣民とは替えられんから、 国 引っ繰り返ること、まだまだあるかも知れんぞ、 国の軸 動くと知らせてあろうがな。 この神示 キのままであるから心なき人民には見せるでないぞ、 あまりきつくて毒になるから、役員 薄めて見せてやれよ、 一日も早く一人でも多く助けてやりたいのじゃ、 神まつり結構ぞ、神まつらいで いくら道説いても肚に入らんぞ、 肚に入らん道は悪の道となるのじゃ、頭ばかりで道歩めん道理わからんか、改心足らんぞ。
昭和21年2月16日(1946年 皇紀2606年 丙戌)
書けば書くほど「おロシア」から離れてしまい大変申し訳ありません。そんなロシア…ソ連も1991年12月25日 、当時のミハイル・ゴルバチョフはソ連大統領を辞任、翌日に最高会議も連邦解体を宣言、ソビエト連邦は崩壊しました 。まるで「御用が終わったから」のように。だとすると「七八九」、「八九十」にあるのは…。