五つに咲いた桜花、五つに咲いた梅の花、どちら採る気じゃ。
今までの教えではこの道わからんぞ、
ますます食う物なく曇りて来るぞ、その国その所々で当分暮らし向きできるぞ、
野見よ、森見よと申してあろう、青山も泣き枯れる時来ると申してあろう、
海川も泣き枯れる時来るぞ、
まだ聞かず我さえよければ良いと、我よししてござる人民神々様 気の毒来るぞ、
今までは神も仏も同じぞと申していたが神と仏とは違うのだぞ、
十(キリストの神)の動くが卍(仏)ぞ、卍の動くが(神)ぞ、
の澄みきりが(大神)ぞ、神と仏と臣民とは違うのじゃぞ。
昭和21年8月8日(1946年 皇紀2606年 丙戌)
「五つに咲いた桜花、五つに咲いた梅の花、どちら採る気じゃ」っていってる所に、「水神の森の松」の画像ぶち込んでる108で御座います。大本神諭の明治二十五年旧正月の御筆先の「梅で開いて松で治める」というのを見てから画像を入れたからなんですけど。そういえば水神の森(甚兵衛公園)に「梅の木」が植えられてました。ここ松の森ですが。それで今回の神示、というわけでもないですが、「松の巻」「梅の巻」「五葉の巻」(おそらく五葉松)はあれど「桜の巻」が無いというのが気になるところです。実際、日月神示には未だ公開されていない神示が存在するとされておりますが、それらについては詳細不明ですので…。
大本神諭 明治二十五年旧正月
三ぜん世界一同に開く梅の花、艮の金神の世に成りたぞよ。梅で開いて松で治める、神国の世になりたぞよ。
日本は神道、神が構わな行けぬ国であるぞよ。外国は獣類の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの国であるぞよ。
日本も獣の世になりて居るぞよ。
外国人にばかされて、尻の毛まで抜かれて居りても、未だ眼が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ。
是では、国は立ちては行かんから、神が表に現はれて、三千世界の立替へ立直しを致すぞよ。用意を成されよ。
この世は全然、新つの世に替へて了ふぞよ。
三千世界の大洗濯、大掃除を致して、天下太平に世を治めて、万古末代続く神国の世に致すぞよ。
神の申した事は、一分一厘違はんぞよ。毛筋の横巾ほども間違いは無いぞよ。
これが違ふたら、神は此の世に居らんぞよ。
『東京で仕組を駿河美濃尾張大和玉芝国々に、神の柱を配り岡山』 天理、金光、黒住、妙霊、先走り、
とどめに艮の金神が現はれて、世の立替を致すぞよ。
世の立替のあるといふ事は、何の神柱にも判りて居れど、何うしたら立替が出来るといふ事は、判りて居らんぞよ。
九分九厘までは知らしてあるが、モウ一厘の肝心の事は、判りて居らんぞよ。
三千世界の事は、何一とつ判らん事の無い神であるから、淋しく成りたら、綾部の大本へ出て参りて、
お話を聞かして頂けば、何も彼も世界一目に見える、神徳を授けるぞよ。
加美となれば、スミズミまでも気を付けるが加美の役。上ばかり好くても行けぬ、上下揃はねば世は治まらんぞよ。
洋服では治まらん、上下揃へて人民を安心させて、末代潰れぬ神国の世に致すぞよ。用意を為されよ。
脚下から鳥がたつぞよ。それが日本をねらふて居る国鳥であるぞよ。
○○○[※]までも自由に致して、神は残念なぞよ。日本の人民、盲目聾ばかり、神が見て居れば、井戸の端に、
茶碗を置いた如く、危ふて見て居れんぞよ。外国人よ、今に艮の金神が、返報返しを致すぞよ。
根に葉の出るは虎耳草、上も下も花咲かねば、此世は治まらぬ。上ばかり好くても行けぬ世。
下ばかり宜くても此世は治まらぬぞよ。
てん○○[※]綾部に仕組が致してあるぞよ。○○○[※]、○○○[※]を拵へて、元の昔に返すぞよ。
洋服を着てウロツク様な事では、日本の国は治まらんぞよ。国会開きは、人民が何時までかかりても開けんぞよ。
神が開かな、ひらけんぞよ。開いて見せう。東京は元の薄野に成るぞよ。永久は続かんぞよ。
東の国は一晴れの後は暗がり。これに気の付く人民はないぞよ。神は急けるぞよ。
此世の鬼を往生さして、地震雷火の雨降らして、○○○[※]ねば、世界は神国にならんから、
昔の大本からの神の仕組が、成就致す時節が廻りて来たから、苦労はあれど、バタバタと埒を付けるぞよ。
判りた守護神は、一人なりと早く大本へ出て参りて、神国の御用を致して下されよ。
さる代わりに勤め上りたら、万古末代、名の残る事であるから、神から結構に御礼申すぞよ。
世界中の事で在るから、何程智恵や学がありても、人民では判らん事であるぞよ。
此の仕組判りては成らず、判らねば成らず判らぬので、改心が出来ず、
世の立替の、末代に一度の仕組であるから、全然学や智恵を捨て了ふて、
生れ赤児の心に立返らんと、見当が取れん、六ケ敷仕組であるぞよ。
今迄の腹の中の、ごもくをさっぱり、投り出して了はんと、今度の実地まことは分りかけが致さん、大望な仕組であるぞよ。
氏神様の庭の白藤、梅と桜は、出口直の御礼の庭木に、植さしたので在るぞよ。
白藤が栄えば、綾部宜くなりて末で都と致すぞよ。福知山、舞鶴は外囲ひ。十里四方は宮の内。
綾部はまん中になりて、金輪王で世を治めるぞよ。
綾部は結構な処、昔から神が隠して置いた、世の立替の、真誠の仕組の地場であるぞよ。
世界国々所々に、世の立替へを知らす神柱は、沢山現はれるぞよ。
皆艮金神国常立尊の仕組で、世界へ知らして在るぞよ。
大方行き渡りた時分に、綾部へ諸国の神、守護神を集めて、それぞれの御用を申付ける、
尊い世の根の世の本の、竜門館の高天原であるから、何を致しても綾部の大本の許しの無き事は、
九分九厘で転覆るぞよ。皆神の仕組であるから、我が我がと思ふて致して居るが、
皆艮の金神が、化かして使ふて居るのであるぞよ。此の神は独り手柄をして喜ぶやうな神で無いぞよ。
大本の仕組の判る守護神でありたら、互に手を曳き合ふて、世の本の立替立直しを致すから、
是までの心を入替へて、大本へ来て肝心の事を聞いて、御用を勤めて下されよ。
三千世界の神々様、守護神殿に気を付けますぞよ。谷々の小川の水も、大河へ末で一とつに為る仕組み。
綾部世の本、誠の神の住いどころ。
からと日本の戦いがあるぞよ。此いくさは勝ち軍、神が蔭から仕組が致してあるぞよ。
神が表に現はれて、日本へ手柄致さすぞよ。露国から始まりて、モウ一と戦があるぞよ。
あとは世界の大たたかいで、是から段々判りて来るぞよ。日本は神国、世界を一つに丸めて、一つの王で治めるぞよ。
そこへ成る迄には中々骨が折れるなれど、三千年余りての仕組であるから、
日本の上に立ちて居れる守護人に、チット判りかけたら、神が力を付けるから、大丈夫であるぞよ。
世界の大峠を越すのは、神の申す様に、素直に致して、何んな苦労も致す人民でないと、
世界の物事は成就いたさんぞよ。神はくどう気を付けるぞよ。此事判ける御魂は、東から出て来るぞよ。
此御方が御出になりたら、全然日の出の守護と成るから、世界中に神徳が光り輝く神世になるぞよ。
大将を綾部の高天原の竜門館に、○○[※]さんならん事が出て来るぞよ。
中々大事業であれども、昔からの生神の仕組であるから、別条は無いぞよ。
一旦たたかい治まりても、後の悶着は中々治まらんぞよ。神が表に現はれて、神と学との力競べを致すぞよ。
学の世はモウ済みたぞよ。神には勝てんぞよ。
(1892年1月30日)
基本宣伝歌
朝日は照るとも曇るとも
月は盈つとも虧くるとも
たとへ大地は沈むとも
曲津の神は荒ぶとも
誠の力は世を救ふ
三千世界の梅の花
一度に開く神の教
開いて散りて実を結ぶ
月日と地の恩を知れ
この世を救ふ生神は
高天原に神集ふ
神が表に現はれて
善と悪とを立別ける
この世を造りし神直日
心も広き大直日
ただ何事も人の世は
直日に見直せ聞直せ
身の過は宣り直せ。
大本の聖典『霊界物語』の冒頭の、七五調の歌が『基本宣伝歌』です。「開いて散りて実を結ぶ」のが「梅」としているのですが、この表現が日月神示に無いのが気になります。
松の巻 第一帖
富士は晴れたり世界晴れ。三千世界一度に晴れるのだぞ。
世の元の一粒種の世となったぞ。松の御代となったぞ。
世界中に揺すって眼覚まさすぞ。三千年の昔に返すぞ。
煎り豆 花咲くぞ。上下ひっくり返るぞ。水も洩らさん仕組みぞ。
昭和20年6月17日(1945年 皇紀2605年 乙酉)
失礼とは思いますが、色々とツッコみたいところが…。
これ以上に鬼が笑いそうな未来…。
ところで6月6日は梅の日なそうですが、天文14年4月17日(旧暦1545年6月6日)、賀茂神社の例祭に梅が献上されたという故事に由来?え、旧暦にしても何か違和感が…?
宣明暦
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/宣明暦
貞観4年1月1日(862年2月3日)に大衍暦・五紀暦から改暦され、貞享元年12月30日(1685年2月3日)まで、823年間使用された。貞享2年1月1日(1685年2月4日)、貞享暦に改暦された。
また、西暦の日付は1582年10月4日まではユリウス暦表示、1582年10月15日以降はグレゴリオ暦表示となっている。
現行の旧暦は寛政暦なので(言い方がおかしいですが)、1545年6月6日は4月27日になってしまいます。従って、宣明暦計算された日付が梅の日のようです。梅の季節?…収穫の季節か。それで梅雨なのね。
ウメ
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/ウメ
梅の季節到来!さっぱり梅酒や梅ジュースで暑い夏を乗り切ろう!
ttps://www.maff.go.jp/j/seisan/tokusan/kansho/kakudai/ume.html
梅雨
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/梅雨
本日のお題「祭りの巻 第一帖」は昭和21年8月8日の神示です。桜花と書いているので「見る桜」の話だと思うのですが、実は「実」が大きくなりません。サクランボを成す果樹はミザクラ(実桜)類の品種です。だから学校の桜では実が成っていないでしょう?とはいえ梅も自家結実しない品種があるそうですが。
海の巻 第一帖
海の巻 書きしらすぞ、五つに咲いた桜花、五つに咲いた梅の花、
皆始めは結構であったが段々と時経るに従って役員がワヤに致したのじゃ、
気の毒ぞ、神の名汚しておるぞ。
大日月と現れたら、何かのことキビシクなって来て、
建て替えの守護と建て直しの守護に廻るから、その覚悟よいか。
間違った心で信心すれば、
信心せんより、もう一つ厳しくえらいことが満ちはじめ満つようになるぞ。
今にここの悪口申してふれ歩く人出て来るぞ、
悪口言われ出したら結構近づいたのだと申してあろう、悪口は悪の白旗だぞ。
飛んで来て上に止まっている小鳥、風吹くたびにびくびくじゃ、
大嵐来ん前にねぐらに帰って下されよ、大嵐 目の前。
ここはまず苦労、その苦労に勝ったら、己に克ったら魂磨けるぞ、
段々と楽になって嬉し嬉しとなるぞ、
結構な仕組み、知らせたら邪魔入るなり、知らさんのでわからんなり、
心で取りてくれよ、世界の民の会なせばなる、なさねば後悔ぞ。
昭和22年8月13日(1947年 皇紀2607年 丁亥)
黄金の巻 第五十四帖
目的よくても実行の時に悪い念入ると悪魔に魅入られるぞ。心せよ。
雨、風、岩、いよいよ荒れの時節じゃ。
世界に何とも言われんことが、病もわからん病がはげしくなるぞ。
食うべきものでない悪食うて生きねばならん時来るぞ。
悪を消化する胃袋、早うせねば間に合わん。梅干し大切心の。
五十二才 二の世の始。五十六才七ヶ月 みろくの世。
昭和24年12月7日(1949年 皇紀2609年 己丑)
春の巻 第三十二帖
信仰の始めは感情に支配されがちじゃ。理智を強く働かせねばならんぞ。
人間は絶えず穢れてくる。穢れは清めることによって、あらたまる。
厄祓いせよ。福祓いせよ。
想念は永遠にはたらくから、悪想念は早く清算しなければならんぞ。
中の霊は天国へ行っても、外の霊はこの世に残るぞ。
残ってこの世の事物にうつって同じこと、所業を繰り返すことあるぞ。
早く洗濯せよと申してあろうがな。梅の木から梅が生えるのじゃ。
その梅に実できて また梅が生えるのじゃ。
人間も生まれかわっても死にかわっても、中々に悪い癖は直らんもんじゃぞ。
それを少しずつ直してかからねばならん。努力次第で漸次直るのじゃぞ。
宗教は霊、芸術は体ぞ。
昭和27年2月1日(1952年 皇紀2612年 壬辰)
一年後の海の巻 第一帖「五つに咲いた桜花、五つに咲いた梅の花」は「花は咲いたけど(実に成らずに)そのまま散った」→「サクラチル」(受験に落ちた)というイメージを感じさせますが、二日後の8月15日に「一の岩戸」が無事ひらいているので(海の巻 第五帖)、その事では無さそう。黄金の巻 第五十四帖の梅干しとは「悪を消化する胃袋」に係る言葉のように見えます。春の巻 第三十二帖は「悪い実を残さないように、つけないように直す」事を説いております。日月神示で「梅」の記述があるのは以上の4つですが、「桜」の記述があるのは12にも上ります。
キの巻 第九帖
悪いこと待つは悪魔ぞ、
いつ建て替え、大峠が来るかと待つ心は悪魔に使われているのだぞ。
この神示 世界中に知らすのだ、
今までは大目に見ていたが、もう待たれんから見直し聞き直しないぞ、
神の規則通りにビシビシと出て来るぞ、世界一平に泥の海であったのを、
つくり固めたのは国常立尊であるぞ、
親様を泥の海にお住まい申さすはもったいないぞ、それで天にお昇りなされたのぞ。
岩の神、荒れの神、雨の神、風の神、地震の神殿、
この神々様、御手伝いで この世固め致したのであるぞ、
元からの竜体持たれた荒神様でないと今度の御用はできんのだぞ、
世界つくり固めてから臣民つくったのであるぞ、
何も知らずに上に登って、神を見下ろしているようで、何でこの世が治まるものぞ。
天と地の御恩ということが神の国の守護神にわかっておらんから難儀なことが、
いよいよどうにもならんことになるのぞ、バタバタとなるのぞ。
臣民 生まれ落ちたらウブの御水を火で暖めて
ウブ湯を浴びせてもらうであろうが、その御水はお土から頂くのだぞ、
たき火ともしは皆 日の大神様から頂くのだぞ、
御水と御火と御土で この世の生きあるもの生きているのだぞ、
そんなことぐらい誰でも知っていると申すであろうが、その御恩ということ知るまいがな、
一厘のところ わかるまいがな。
守護神も曇っているから神々様にも早うこの神示読んで聞かせてやれよ。
世間話に花咲かすようでは誠の役員とはいわれんぞ、桜に花咲かせよ。
忙しくさせているのだぞ、忙しいのは神の恵みだぞ、
今の世に忙しくなかったら臣民腐ってしまうぞ、忙しく働けよ。
昭和20年3月11日(1945年 皇紀2605年 乙酉)
地つ巻 第七帖
神にまつらう者には生も死もないのぞ、死のこと「まかる」と申してあろうがな、生き通しぞ、
亡骸は臣民残さなければならないのだが、臣民でも昔は残さないで死ったのであるぞ、
それがまことの神国の臣民ぞ、みことぞ。
世の元と申すものは天も地も泥の海であったのだぞ。
その時からこの世始まってから生き通しの神々様の御働きで五六七の世が来るのだぞ。
腹ができておると、腹に神づまりますのだぞ、高天原ぞ、神漏岐、神漏美の命忘れるでないぞ。
そこからわかってくるぞ。
海をみな船で埋めねばならんぞ、海断たれて苦しまんようにしてくれよ、
海めぐらせてある神の国、清めに清めておいた神の国に、幽国(外国)の悪渡って来て神は残念ぞ。
見ておざれ、神の力現す時来たぞ。
昭和19年9月18日(1944年 皇紀2604年 甲申)
「五つに咲いた桜花、五つに咲いた梅の花」は、同時に成立しており、「桜花」とは人の生き方、「梅の花」とはその結果のように思えます。桜の散るさまは武士道にも例えられています。死して屍拾う者無し。
磐戸の巻 第十六帖
世の元からの生き神がそろって現れたら、皆腰抜かして、目パチクリさせて、
もの言えんようになるのだぞ。
神徳もらった臣民でないと中々越せん峠だぞ、神徳はいくらでも背負いきれんまでにやるぞ、
大きい器持ってござれよ、掃除した大きい入れものいくらでも持ってござれよ、
神界にはビクともせぬ仕組みできているのだから安心して御用つとめてくれよ。
今度はマコトの神の力でないと何もできはせんぞと申してあろうが、
日本の国は小さいが天と地との神力強い、神のマコトの元の国であるぞ。
洗濯と申すのは何事にもよらん、人間心捨てて仕舞って、
智恵や学に頼らずに、神の申すこと一つも疑わず生まれ赤子の心のうぶ心になって、神の教え守ることぞ。
ミタマ磨きと申すのは、神から授かっているミタマの命令に従って、
肉体心捨ててしまって、神の申す通り背かんようにすることぞ。
学や智を力と頼むうちはミタマ磨けんのだ。
学越えた学、智越えた智は、神の学、神の智だということわからんか、
今度の岩戸開きはミタマから、根本から変えていくのだから、中々であるぞ、
天災や戦ばかりでは中々埒あかんぞ、根本の改めだぞ。
小さいこと思っていると わからんことになると申してあろうがな、
この道理よく肚に入れて下されよ、
今度は上中下三段にわけてあるミタマの因縁によって、
それぞれに目鼻つけて、悪も改心させて、
善も改心させての岩戸開きだから、
根本から作り変えるよりはどれだけ難しいか、大層な骨折りだぞよ。
叱るばかりでは改心できんから喜ばせて改心させることも守護神にあってはあるのだぞ、
聞き分けよい守護神殿 少ないぞ、聞き分け良い悪の神、早く改心するぞ、聞き分け悪き善の守護神あるぞ。
この道の役員は昔からの因縁によってミタマ調べて引き寄せて御用させてあるのだ。めったに見当狂わんぞ、
神は綱かけたら中々放さんぞ、逃げられるならば逃げてみよれ、
くるくる廻って また始めからお出直しで御用せねばならんようになって来るぞ。
ミタマ磨け出したら病神などドンドン逃げ出すぞ、
出雲の神様 大切申せと知らせてあること忘れるなよ。
子の歳真ん中にして前後十年が正念場、世の建て替えは水と火とだぞ。
ひつじの三月三日、五月五日は結構な日ぞ。
昭和20年1月14日(1945年 皇紀2605年 乙酉)
「大正維新」「大正十年立て替え説」を唱えた当時の有力信者・浅野和三郎や谷口雅春を中心とする一派が王仁三郎と対立、終末論を展開していた事は「梅の実」を期待していたように見えます。これは「キの巻 第九帖」でいう「悪いこと待つは悪魔ぞ、いつ建て替え、大峠が来るかと待つ心は悪魔に使われているのだぞ」にあたるような気がします。
第十一話でも言及しましたが、「子の年真ん中」を「神諭の成就」だと捉えていたのが問題で、「祭りの巻 第一帖」の「五つに咲いた桜花、五つに咲いた梅の花、どちら採る気じゃ。」という表題の問いかけは、大本神諭の「三ぜん世界一同に開く梅の花~」で始まる明治二十五年旧正月、「初発の神諭」に対比させる事で、原理主義に陥っていた天明氏周辺に警告したのかもしれません。実は晩年の天明氏が、ひかり教会を「キチガイ製造教を造ってしまった」、と嘆いていた事が「岡本天明伝[日月神示]夜明けの御用/黒川柚月氏・著」にて著されております。
水の巻 第五帖
外国のコトは無くなるぞ。江戸の仕組み旧五月五日までに終わらせてくれよ。
後はいよいよとなるぞ。神が申した時にすぐ何事も致してくれよ、時過ぎると成就せんことあるのだぞ。
桜花一時に散ることあるぞ、いよいよ松の世と成るぞ、万劫変わらぬ松の世と成るぞ。
松の国 松の世 結構であるぞ。この神示 声出して読みあげてくれよ。くどう申してあろうがな。
言霊 高く読みてさえおれば結構が来るのだぞ。人間心出してはならんぞ。
昭和20年5月1日(1945年 皇紀2605年 乙酉)
これは私にも言えるのですが、「日月神示に限らず、神諭に係わる者、スピリチュアリズムに係わる者など、それら全てに少なからず見られる傾向」であり、謙虚に受け止めなければなりません。
日本最大・260MWのメガソーラー、美作市に稼働
ttps://project.nikkeibp.co.jp/ms/atcl/19/feature/00001/00053/?ST=msb
2040年、太陽光パネルのゴミが大量に出てくる?再エネの廃棄物問題
ttps://www.enecho.meti.go.jp/about/special/johoteikyo/taiyoukouhaiki.html
日本の火力発電所一覧
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/日本の火力発電所一覧
上の写真は日本最大とかいうメガソーラーの地図ですが、下はこの地域におけるメガソーラーの分布です。白く塗りつぶしております。たかが260MWなんてしょぼい発電能力でしかないにも拘らず、こんな上空から見て、これほどの森林破壊です。
先日、〇〇の子孫を自称する、元民主党の某の秘書をやっていたとかいう人の動画を見たのですが、その民主党がやったのが、2012年7月の再生可能エネルギーの固定買い取り制度が導入でした。新規事業者の参入が相次いだものの、その後の買い取り価格は段階的な引き下げられ、倒産業者数も2015年度で54件、2016年には1月ー9月だけで42件(負債総額185億200万円)にもなりました。本気で現代の技術を以ってすれば、火力発電所の大気浄化能力は90年代と比較しても大幅にマシになるハズ。こんな大規模森林破壊テロ+大量の廃棄物の山と比べてどっちが良いですか?また埋める気?
散るまでは言う。死して屍拾う者無し。