第二十三話「祭りの巻 第一帖」

五つに咲いた桜花、五つに咲いた梅の花、どちら採る気じゃ。
今までの教えではこの道わからんぞ、
ますます食う物なく曇りて来るぞ、その国その所々で当分暮らし向きできるぞ、
野見よ、森見よと申してあろう、青山も泣き枯れる時来ると申してあろう、
海川も泣き枯れる時来るぞ、
まだ聞かず我さえよければ良いと、我よししてござる人民神々様 気の毒来るぞ、
今までは神も仏も同じぞと申していたが神と仏とは違うのだぞ、
十(キリストの神)の動くが卍(仏)ぞ、卍の動くが(神)ぞ、
の澄みきりが(大神)ぞ、神と仏と臣民とは違うのじゃぞ。

昭和21年8月8日(1946年 皇紀2606年 丙戌)

「五つに咲いた桜花、五つに咲いた梅の花、どちら採る気じゃ」っていってる所に、「水神の森の」の画像ぶち込んでる108で御座います。大本神諭の明治二十五年旧正月の御筆先の「梅で開いて松で治める」というのを見てから画像を入れたからなんですけど。そういえば水神の森(甚兵衛公園)に「の木」が植えられてました。ここ松の森ですが。それで今回の神示、というわけでもないですが、「の巻」「の巻」「五葉の巻」(おそらく五葉松)はあれど「桜の巻」が無いというのが気になるところです。実際、日月神示には未だ公開されていない神示が存在するとされておりますが、それらについては詳細不明ですので…。

大本神諭 明治二十五年旧正月

三ぜん世界一同に開く梅の花、艮の金神の世に成りたぞよ。梅で開いて松で治める、神国の世になりたぞよ。
日本は神道、神が構わな行けぬ国であるぞよ。外国は獣類の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの国であるぞよ。
日本も獣の世になりて居るぞよ。
外国人にばかされて、尻の毛まで抜かれて居りても、未だ眼が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ。
是では、国は立ちては行かんから、神が表に現はれて、三千世界の立替へ立直しを致すぞよ。用意を成されよ。
この世は全然、新つの世に替へて了ふぞよ。
三千世界の大洗濯、大掃除を致して、天下太平に世を治めて、万古末代続く神国の世に致すぞよ。
神の申した事は、一分一厘違はんぞよ。毛筋の横巾ほども間違いは無いぞよ。
これが違ふたら、神は此の世に居らんぞよ。
『東京で仕組を駿河美濃尾張大和玉芝国々に、神の柱を配り岡山』 天理、金光、黒住、妙霊、先走り、
とどめに艮の金神が現はれて、世の立替を致すぞよ。
世の立替のあるといふ事は、何の神柱にも判りて居れど、何うしたら立替が出来るといふ事は、判りて居らんぞよ。
九分九厘までは知らしてあるが、モウ一厘の肝心の事は、判りて居らんぞよ。
三千世界の事は、何一とつ判らん事の無い神であるから、淋しく成りたら、綾部の大本へ出て参りて、
お話を聞かして頂けば、何も彼も世界一目に見える、神徳を授けるぞよ。
加美となれば、スミズミまでも気を付けるが加美の役。上ばかり好くても行けぬ、上下揃はねば世は治まらんぞよ。
洋服では治まらん、上下揃へて人民を安心させて、末代潰れぬ神国の世に致すぞよ。用意を為されよ。
脚下から鳥がたつぞよ。それが日本をねらふて居る国鳥であるぞよ。
○○○[※]までも自由に致して、神は残念なぞよ。日本の人民、盲目聾ばかり、神が見て居れば、井戸の端に、
茶碗を置いた如く、危ふて見て居れんぞよ。外国人よ、今に艮の金神が、返報返しを致すぞよ。
根に葉の出るは虎耳草、上も下も花咲かねば、此世は治まらぬ。上ばかり好くても行けぬ世。
下ばかり宜くても此世は治まらぬぞよ。
てん○○[※]綾部に仕組が致してあるぞよ。○○○[※]、○○○[※]を拵へて、元の昔に返すぞよ。
洋服を着てウロツク様な事では、日本の国は治まらんぞよ。国会開きは、人民が何時までかかりても開けんぞよ。
神が開かな、ひらけんぞよ。開いて見せう。東京は元の薄野に成るぞよ。永久は続かんぞよ。
東の国は一晴れの後は暗がり。これに気の付く人民はないぞよ。神は急けるぞよ。
此世の鬼を往生さして、地震雷火の雨降らして、○○○[※]ねば、世界は神国にならんから、
昔の大本からの神の仕組が、成就致す時節が廻りて来たから、苦労はあれど、バタバタと埒を付けるぞよ。
判りた守護神は、一人なりと早く大本へ出て参りて、神国の御用を致して下されよ。
さる代わりに勤め上りたら、万古末代、名の残る事であるから、神から結構に御礼申すぞよ。
世界中の事で在るから、何程智恵や学がありても、人民では判らん事であるぞよ。
此の仕組判りては成らず、判らねば成らず判らぬので、改心が出来ず、
世の立替の、末代に一度の仕組であるから、全然学や智恵を捨て了ふて、
生れ赤児の心に立返らんと、見当が取れん、六ケ敷仕組であるぞよ。
今迄の腹の中の、ごもくをさっぱり、投り出して了はんと、今度の実地まことは分りかけが致さん、大望な仕組であるぞよ。
氏神様の庭の白藤、梅と桜は、出口直の御礼の庭木に、植さしたので在るぞよ。
白藤が栄えば、綾部宜くなりて末で都と致すぞよ。福知山、舞鶴は外囲ひ。十里四方は宮の内。
綾部はまん中になりて、金輪王で世を治めるぞよ。
綾部は結構な処、昔から神が隠して置いた、世の立替の、真誠の仕組の地場であるぞよ。
世界国々所々に、世の立替へを知らす神柱は、沢山現はれるぞよ。
皆艮金神国常立尊の仕組で、世界へ知らして在るぞよ。 
大方行き渡りた時分に、綾部へ諸国の神、守護神を集めて、それぞれの御用を申付ける、
尊い世の根の世の本の、竜門館の高天原であるから、何を致しても綾部の大本の許しの無き事は、
九分九厘で転覆るぞよ。皆神の仕組であるから、我が我がと思ふて致して居るが、
皆艮の金神が、化かして使ふて居るのであるぞよ。此の神は独り手柄をして喜ぶやうな神で無いぞよ。
大本の仕組の判る守護神でありたら、互に手を曳き合ふて、世の本の立替立直しを致すから、
是までの心を入替へて、大本へ来て肝心の事を聞いて、御用を勤めて下されよ。
三千世界の神々様、守護神殿に気を付けますぞよ。谷々の小川の水も、大河へ末で一とつに為る仕組み。
綾部世の本、誠の神の住いどころ。
からと日本の戦いがあるぞよ。此いくさは勝ち軍、神が蔭から仕組が致してあるぞよ。
神が表に現はれて、日本へ手柄致さすぞよ。露国から始まりて、モウ一と戦があるぞよ。
あとは世界の大たたかいで、是から段々判りて来るぞよ。日本は神国、世界を一つに丸めて、一つの王で治めるぞよ。
そこへ成る迄には中々骨が折れるなれど、三千年余りての仕組であるから、
日本の上に立ちて居れる守護人に、チット判りかけたら、神が力を付けるから、大丈夫であるぞよ。
世界の大峠を越すのは、神の申す様に、素直に致して、何んな苦労も致す人民でないと、
世界の物事は成就いたさんぞよ。神はくどう気を付けるぞよ。此事判ける御魂は、東から出て来るぞよ。
此御方が御出になりたら、全然日の出の守護と成るから、世界中に神徳が光り輝く神世になるぞよ。
大将を綾部の高天原の竜門館に、○○[※]さんならん事が出て来るぞよ。
中々大事業であれども、昔からの生神の仕組であるから、別条は無いぞよ。
一旦たたかい治まりても、後の悶着は中々治まらんぞよ。神が表に現はれて、神と学との力競べを致すぞよ。
学の世はモウ済みたぞよ。神には勝てんぞよ。

(1892年1月30日)

基本宣伝歌

朝日は照るとも曇るとも
月はつともくるとも
たとへ大地は沈むとも
曲津まがつの神はすさぶとも
誠の力は世を救ふ

三千世界の梅の花
一度に開く神ののり
開いて散りて実を結ぶ
月日とつちの恩を知れ
この世を救ふ生神いきがみ
高天原たかあまはら神集かむつど

神が表に現はれて
善と悪とを立別たてわけける
この世を造りし神直日かむなほひ
心も広き大直日おほなほひ
ただ何事も人の世は
直日なほひに見直せ聞直せ
身のあやまちり直せ。

大本の聖典『霊界物語』の冒頭の、七五調の歌が『基本宣伝歌』です。「開いて散りて実を結ぶ」のが「梅」としているのですが、この表現が日月神示に無いのが気になります。

松の巻 第一帖

富士は晴れたり世界晴れ。三千世界一度に晴れるのだぞ。
世の元の一粒種の世となったぞ。松の御代となったぞ。
世界中に揺すって眼覚まさすぞ。三千年の昔に返すぞ。
煎り豆 花咲くぞ。上下ひっくり返るぞ。水も洩らさん仕組みぞ。

昭和20年6月17日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

失礼とは思いますが、色々とツッコみたいところが…。

これ以上に鬼が笑いそうな未来…。

ところで6月6日は梅の日なそうですが、天文14年4月17日(旧暦1545年6月6日)、賀茂神社の例祭に梅が献上されたという故事に由来?え、旧暦にしても何か違和感が…?

宣明暦

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/宣明暦

貞観4年1月1日(862年2月3日)に大衍暦・五紀暦から改暦され、貞享元年12月30日(1685年2月3日)まで、823年間使用された。貞享2年1月1日(1685年2月4日)、貞享暦に改暦された。

また、西暦の日付は1582年10月4日まではユリウス暦表示、1582年10月15日以降はグレゴリオ暦表示となっている。

現行の旧暦は寛政暦なので(言い方がおかしいですが)、1545年6月6日は4月27日になってしまいます。従って、宣明暦計算された日付が梅の日のようです。梅の季節?…収穫の季節か。それで梅雨なのね。

ウメ

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/ウメ

梅の季節到来!さっぱり梅酒や梅ジュースで暑い夏を乗り切ろう!

ttps://www.maff.go.jp/j/seisan/tokusan/kansho/kakudai/ume.html

梅雨

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/梅雨

本日のお題「祭りの巻 第一帖」は昭和21年8月8日の神示です。桜花と書いているので「見る桜」の話だと思うのですが、実は「」が大きくなりません。サクランボを成す果樹はミザクラ(実桜)類の品種です。だから学校の桜では実が成っていないでしょう?とはいえ梅も自家結実しない品種があるそうですが。

海の巻 第一帖

海の巻 書きしらすぞ、五つに咲いた桜花、五つに咲いた梅の花、
皆始めは結構であったが段々と時経るに従って役員がワヤに致したのじゃ、
気の毒ぞ、神の名汚しておるぞ。
大日月と現れたら、何かのことキビシクなって来て、
建て替えの守護と建て直しの守護に廻るから、その覚悟よいか。
間違った心で信心すれば、
信心せんより、もう一つ厳しくえらいことが満ちはじめ満つようになるぞ。
今にここの悪口申してふれ歩く人出て来るぞ、
悪口言われ出したら結構近づいたのだと申してあろう、悪口は悪の白旗だぞ。
飛んで来て上に止まっている小鳥、風吹くたびにびくびくじゃ、
大嵐来ん前にねぐらに帰って下されよ、大嵐 目の前。
ここはまず苦労、その苦労に勝ったら、己に克ったら魂磨けるぞ、
段々と楽になって嬉し嬉しとなるぞ、
結構な仕組み、知らせたら邪魔入るなり、知らさんのでわからんなり、
心で取りてくれよ、世界の民の会なせばなる、なさねば後悔ぞ。

昭和22年8月13日(1947年 皇紀2607年 丁亥)

黄金の巻 第五十四帖

目的よくても実行の時に悪い念入ると悪魔に魅入られるぞ。心せよ。
雨、風、岩、いよいよ荒れの時節じゃ。
世界に何とも言われんことが、病もわからん病がはげしくなるぞ。
食うべきものでない悪食うて生きねばならん時来るぞ。
悪を消化する胃袋、早うせねば間に合わん。梅干し大切心の。

五十二才 二の世の始。五十六才七ヶ月 みろくの世。

昭和24年12月7日(1949年 皇紀2609年 己丑)

春の巻 第三十二帖

信仰の始めは感情に支配されがちじゃ。理智を強く働かせねばならんぞ。
人間は絶えず穢れてくる。穢れは清めることによって、あらたまる。
厄祓いせよ。福祓いせよ。
想念は永遠にはたらくから、悪想念は早く清算しなければならんぞ。
中の霊は天国へ行っても、外の霊はこの世に残るぞ。
残ってこの世の事物にうつって同じこと、所業を繰り返すことあるぞ。
早く洗濯せよと申してあろうがな。梅の木から梅が生えるのじゃ。
その梅に実できて また梅が生えるのじゃ。
人間も生まれかわっても死にかわっても、中々に悪い癖は直らんもんじゃぞ。
それを少しずつ直してかからねばならん。努力次第で漸次直るのじゃぞ。
宗教は霊、芸術は体ぞ。

昭和27年2月1日(1952年 皇紀2612年 壬辰)

一年後の海の巻 第一帖「五つに咲いた桜花、五つに咲いた梅の花」は「花は咲いたけど(実に成らずに)そのまま散った→「サクラチル」(受験に落ちた)というイメージを感じさせますが、二日後の8月15日に「一の岩戸はじめのいわど」が無事ひらいているので(海の巻 第五帖)、その事では無さそう。黄金の巻 第五十四帖の梅干しとは「悪を消化する胃袋」に係る言葉のように見えます。春の巻 第三十二帖は「悪い実を残さないように、つけないように直す」事を説いております。日月神示で「梅」の記述があるのは以上の4つですが、「桜」の記述があるのは12にも上ります。

キの巻 第九帖

悪いこと待つは悪魔ぞ、
いつ建て替え、大峠が来るかと待つ心は悪魔に使われているのだぞ。
この神示 世界中に知らすのだ、
今までは大目に見ていたが、もう待たれんから見直し聞き直しないぞ、
神の規則通りにビシビシと出て来るぞ、世界一平に泥の海であったのを、
つくり固めたのは国常立尊であるぞ、
親様を泥の海にお住まい申さすはもったいないぞ、それで天にお昇りなされたのぞ。
岩の神、荒れの神、雨の神、風の神、地震の神殿、
この神々様、御手伝いで この世固め致したのであるぞ、
元からの竜体持たれた荒神様でないと今度の御用はできんのだぞ、
世界つくり固めてから臣民つくったのであるぞ、
何も知らずに上に登って、神を見下ろしているようで、何でこの世が治まるものぞ。
天と地の御恩ということが神の国の守護神にわかっておらんから難儀なことが、
いよいよどうにもならんことになるのぞ、バタバタとなるのぞ。
臣民 生まれ落ちたらウブの御水を火で暖めて
ウブ湯を浴びせてもらうであろうが、その御水はお土から頂くのだぞ、
たき火ともしは皆 日の大神様から頂くのだぞ、
御水と御火と御土で この世の生きあるもの生きているのだぞ、
そんなことぐらい誰でも知っていると申すであろうが、その御恩ということ知るまいがな、
一厘のところ わかるまいがな。
守護神も曇っているから神々様にも早うこの神示読んで聞かせてやれよ。
世間話に花咲かすようでは誠の役員とはいわれんぞ、桜に花咲かせよ。
忙しくさせているのだぞ、忙しいのは神の恵みだぞ、
今の世に忙しくなかったら臣民腐ってしまうぞ、忙しく働けよ。

昭和20年3月11日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

地つ巻 第七帖

神にまつらう者には生も死もないのぞ、死のこと「まかる」と申してあろうがな、生き通しぞ、
亡骸は臣民残さなければならないのだが、臣民でも昔は残さないで死ったのであるぞ、
それがまことの神国の臣民ぞ、みことぞ。
世の元と申すものは天も地も泥の海であったのだぞ。
その時からこの世始まってから生き通しの神々様の御働きで五六七の世が来るのだぞ。
腹ができておると、腹に神づまりますのだぞ、高天原ぞ、神漏岐、神漏美の命忘れるでないぞ。
そこからわかってくるぞ。
海をみな船で埋めねばならんぞ、海断たれて苦しまんようにしてくれよ、
海めぐらせてある神の国、清めに清めておいた神の国に、幽国(外国)の悪渡って来て神は残念ぞ。
見ておざれ、神の力現す時来たぞ。

昭和19年9月18日(1944年 皇紀2604年 甲申)

「五つに咲いた桜花、五つに咲いた梅の花」は、同時に成立しており、「桜花」とは人の生き方、「梅の花」とはその結果のように思えます。桜の散るさまは武士道にも例えられています。死して屍拾う者無し。

磐戸の巻 第十六帖

世の元からの生き神がそろって現れたら、皆腰抜かして、目パチクリさせて、
もの言えんようになるのだぞ。
神徳もらった臣民でないと中々越せん峠だぞ、神徳はいくらでも背負いきれんまでにやるぞ、
大きい器持ってござれよ、掃除した大きい入れものいくらでも持ってござれよ、
神界にはビクともせぬ仕組みできているのだから安心して御用つとめてくれよ。
今度はマコトの神の力でないと何もできはせんぞと申してあろうが、
日本の国は小さいが天と地との神力強い、神のマコトの元の国であるぞ。
洗濯と申すのは何事にもよらん、人間心捨てて仕舞って、
智恵や学に頼らずに、神の申すこと一つも疑わず生まれ赤子の心のうぶ心になって、神の教え守ることぞ。
ミタマ磨きと申すのは、神から授かっているミタマの命令に従って、
肉体心捨ててしまって、神の申す通り背かんようにすることぞ。
学や智を力と頼むうちはミタマ磨けんのだ。
学越えた学、智越えた智は、神の学、神の智だということわからんか、
今度の岩戸開きはミタマから、根本から変えていくのだから、中々であるぞ、
天災や戦ばかりでは中々埒あかんぞ、根本の改めだぞ。
小さいこと思っていると わからんことになると申してあろうがな、
この道理よく肚に入れて下されよ、
今度は上中下三段にわけてあるミタマの因縁によって、
それぞれに目鼻つけて、悪も改心させて、
善も改心させての岩戸開きだから、
根本から作り変えるよりはどれだけ難しいか、大層な骨折りだぞよ。
叱るばかりでは改心できんから喜ばせて改心させることも守護神にあってはあるのだぞ、
聞き分けよい守護神殿 少ないぞ、聞き分け良い悪の神、早く改心するぞ、聞き分け悪き善の守護神あるぞ。
この道の役員は昔からの因縁によってミタマ調べて引き寄せて御用させてあるのだ。めったに見当狂わんぞ、
神は綱かけたら中々放さんぞ、逃げられるならば逃げてみよれ、
くるくる廻って また始めからお出直しで御用せねばならんようになって来るぞ。
ミタマ磨け出したら病神などドンドン逃げ出すぞ、
出雲の神様 大切申せと知らせてあること忘れるなよ。
子の歳真ん中にして前後十年が正念場、世の建て替えは水と火とだぞ。
ひつじの三月三日、五月五日は結構な日ぞ。

昭和20年1月14日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

「大正維新」「大正十年立て替え説」を唱えた当時の有力信者・浅野和三郎や谷口雅春を中心とする一派が王仁三郎と対立、終末論を展開していた事は「梅の実」を期待していたように見えます。これは「キの巻 第九帖」でいう「悪いこと待つは悪魔ぞ、いつ建て替え、大峠が来るかと待つ心は悪魔に使われているのだぞ」にあたるような気がします。

水の巻 第五帖

外国のコトは無くなるぞ。江戸の仕組み旧五月五日までに終わらせてくれよ。
後はいよいよとなるぞ。神が申した時にすぐ何事も致してくれよ、時過ぎると成就せんことあるのだぞ。
桜花一時に散ることあるぞ、いよいよ松の世と成るぞ、万劫変わらぬ松の世と成るぞ。
松の国 松の世 結構であるぞ。この神示 声出して読みあげてくれよ。くどう申してあろうがな。
言霊 高く読みてさえおれば結構が来るのだぞ。人間心出してはならんぞ。

昭和20年5月1日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

日本最大・260MWのメガソーラー、美作市に稼働

ttps://project.nikkeibp.co.jp/ms/atcl/19/feature/00001/00053/?ST=msb

2040年、太陽光パネルのゴミが大量に出てくる?再エネの廃棄物問題

ttps://www.enecho.meti.go.jp/about/special/johoteikyo/taiyoukouhaiki.html

日本の火力発電所一覧

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/日本の火力発電所一覧

上の写真は日本最大とかいうメガソーラーの地図ですが、下はこの地域におけるメガソーラーの分布です。白く塗りつぶしております。たかが260MWなんてしょぼい発電能力でしかないにも拘らず、こんな上空から見て、これほどの森林破壊です。

先日、〇〇の子孫を自称する、元民主党の某の秘書をやっていたとかいう人の動画を見たのですが、その民主党がやったのが、2012年7月の再生可能エネルギーの固定買い取り制度が導入でした。新規事業者の参入が相次いだものの、その後の買い取り価格は段階的な引き下げられ、倒産業者数も2015年度で54件、2016年には1月ー9月だけで42件(負債総額185億200万円)にもなりました。本気で現代の技術を以ってすれば、火力発電所の大気浄化能力は90年代と比較しても大幅にマシになるハズ。こんな大規模森林破壊テロ+大量の廃棄物の山と比べてどっちが良いですか?また埋める気?

第二十二話「至恩之巻 第十六帖」

太陽は十の星を従えるぞ、原子も同様であるぞ。物質が変わるのであるぞ、
人民の学問や智ではわからんことであるから早う改心第一ぞ、
二二(ふじ)と申すのは天照大神殿の十種の神宝にゝを入れることであるぞ、
これが一厘の仕組み。二二となるであろう、これが富士の仕組み、
七から八から鳴り鳴りて十となる仕組み、なりなりあまるナルトの仕組み。
富士(不二)と鳴門(成答)の仕組みいよいよぞ、
これがわかりたならば、どんな臣民でも腰を抜かすぞ。
一方的に一神でものを生むことできるのであるが、それでは終わりはまっとうできん。
九分九厘で『リンドマリ』ぞ、神道も仏教もキリスト教もそうであろうがな、
卍(ブッダ)も十(キリスト)もすっかり助けると申してあろうがな、
助かるには助かるだけの用意が必要ぞ。用意はよいか。
このこと大切ごと、気つけておくぞ。なりなりなりて十とひらき、二十二となるぞ、
富士(普字)晴れるぞ、大真理世に出るぞ、新しき太陽が生まれるのであるぞ。

昭和36年9月1日(1961年 皇紀2621年 辛丑)

…えっと…、うち、外から葦簀よしず二重にしてまして、陽が入らないようにしているのですけど、外側の葦簀だけで遮光出来ており、内側の葦簀に光が当たっていないのがお分かりでしょうか?現在、太陽方向は写真右斜め上方にありまして、上にも下にも後ろにも反射する物や、光源など無いのです。ホント今年になって…。

先日、「ヤマトよ永遠とわREBELレベル3199」(今日びのWindowsって「とわ」じゃ「永遠」に変換出来ねーのか)を見てきました。20時30分スタートで見た甲斐もあって、公開4日目にも拘らず観客10人程度、約20メーターもの間隔を空けて鑑賞出来ました。これこそが狙いだったのですけど。しかし、この映画館のスピーカーの「音質」が極めて残念でした。耳に刺さるんですよ。多分この劇場の音響設計だと思います。劇場先行発売のブルーレイの録音には問題ありませんでしたから。今回、制作時期が「SARS2」と重なって苦労されたとは思いますが、秋に公開される次話とセットで見たかったのは否定できません。「そこで切るの次話か」と。

というわけで、無限に広がる大宇宙です。遂に我がブログのカテゴリー「タイムライン」も天文学スケールになってしまいました。実際の所、「人民の学問や智ではわからんことで」しょうけど。まず、多くの人が思いつくのは、

冥王星

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/冥王星

エリス (準惑星)

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/エリス_(準惑星)

と思うのですが、1930年にクライド・トンボーが発見し、2006年までは太陽系第9惑星とされていたものの、2005年1月5日にエリスが発見されると、惑星とは異なる新たな分類「dwarf planet(準惑星)」に分類される事となりました。(第十一番惑星…)エリスとは、ギリシア神話に登場する不和と争いの女神の名前であり、天文学にもたらした惑星の定義を巡る論争はその名にふさわしいエピソードではあります。冥王星の直径は、ニュー・ホライズンズによる測定で2,370km、エリスが2,326±12kmと計算されておりますが、このサイズは「月の3,474.3km」よりも小さく、太陽系内の衛星で7番目に大きい「トリトンの2706.8km」よりも小さいのです。ちなみにトリトンは海王星の衛星ですが、冥王星族に分類される天体と組成もほぼ同じであるため、両者が同じ起源を共有している説は説得力があります。この事から

と考えております。海王星より外側にある天体の大半は極端な楕円軌道を持ちます。それだけでなく先述のエリスは、下の図にある様に43.909°もの軌道傾斜角を成しています。

太陽

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/太陽

HD 162826

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/HD_162826

HD 186302

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/HD_186302

連星は恒星の半数以上を占めるほど頻度が高いとみられているようですが、今の所、太陽に伴星は確認されておりません。この事は同じ分子雲から生まれ、太陽の兄弟星といわれるHD162826、HD186302の存在が理由かもしれません。これらはそれぞれ1.15、0.97±0.01太陽質量であり、表面温度は6,210±13K、5,675±15Kと太陽のサイズ、表面温度(5,778 K)とも大差ないのです。その為に伴星が発生しなかった可能性はあります。

木星

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/木星

土星

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/土星

木星は太陽系の最古参

ttps://www.astroarts.co.jp/article/hl/a/9178_jupiter

グランド・タック・モデル

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/グランド・タック・モデル

ニースモデル

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/ニースモデル

太陽系で木星が一番早く出来たであろう事は、想像に難くありません。そしておそらく早い段階で土星が出来たはずです。木星と土星の2つで、太陽系の惑星質量の92%を占めておりますが、遅ければ土星が成立しなくなってしまうからです。そしてもう一つ、流体力学モデルを用いたガス円盤中の惑星の振る舞いの研究から、巨大惑星は太陽の方向へ向かって移動することが指摘されており、この事は他の太陽系ではよく見られるホット・ジュピターとなってしまう可能性があります。ところが、この太陽系はホット・ジュピターもスーパー・アースもありません。従って私は「グランド・タック・モデル」に否定的です。寧ろ「土星が木星との共鳴に捕獲されることによって、内側への惑星移動は阻害された」と考えた方が妥当かと。

Five-planet Nice model

ttps://en.wikipedia.org/wiki/Five-planet_Nice_model

5惑星ニースモデル(Google翻訳)

ttps://en-m-wikipedia-org.translate.goog/wiki/Five-planet_Nice_model?_x_tr_sl=auto&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=wapp

天王星

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/天王星

海王星

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/海王星

天王星の赤道傾斜角は約98度、つまり黄道面に対しほぼ横倒しとなっていて、天王星の自転軸がなぜこれほど傾いているのかは、地球サイズの天体が1回ではなく、2回衝突する必要がある事がシミュレーション研究により判明したとの報告があります。

天王星、傾いた自転軸の謎が明らかに

ttps://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/5012/

ティティウス・ボーデの法則

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/ティティウス・ボーデの法則

ティティウス・ボーデの法則が天王星までの惑星に精度よく合致したのは、偶然によるところが大きい。一方で、この法則は太陽系の惑星配置に見られる大まかな傾向を、簡潔な数式でうまく表したものという側面もある。ティティウス・ボーデの法則は、0.4と0.3×2nの2つの項の和として表される。仮に定数項0.4が無ければ、法則は等比数列に従った惑星の配置を予測することになる。惑星系の配置について、ランダムな配置や等差数列的配置ではなく、等比的な配置を仮定することには、一定の合理性がある。なぜなら重力の力学はスケールに依存しないからである。太陽系惑星の軌道は完全に等比的ではなく、(海王星を除くと)外側にある惑星では軌道間隔の比が大きくなる傾向にある。ティティウス・ボーデの法則では、等比数列的な惑星の配置を示す0.3×2nの項に、定数項の0.4を加えている。この定数項が存在するため、法則によって予測される惑星軌道半径の比は、外側の惑星ほど小さくなる。太陽系外の惑星系に目を向けた時、この傾向がどれほど普遍的なものなのかは明らかではない。例えば、NASAの宇宙機ケプラーは、3個以上の惑星を含む惑星系を多数発見したが、それらには太陽系とは逆に内側の惑星ほど軌道半径の比が大きくなる傾向が知られている。

ティティウス・ボーデの法則のページの「法則の背景」の記述は、冷静かつ客観的だと思います。とりわけ「仮に定数項0.4が無ければ、法則は等比数列に従った惑星の配置を予測することになる。惑星系の配置について、ランダムな配置や等差数列的配置ではなく、等比的な配置を仮定することには、一定の合理性がある」という点には、全くの同意です。歴史を振り返って、1781年に天王星が発見され、その距離が n=6 の場合に良く合っていたため、法則の信憑性が高まった、とあります。これは元の話に、根拠となる理論が一切無かったのですから仕方ないのです。しかもn=3 に当たる距離には多数の小惑星が存在していることが判明したが、惑星級に相当する天体を発見するには至らず、「ケレス」という (965.2 x 961.2 x 891.2) ± 2.0 km程度の小惑星しか見つからず、小惑星帯の小惑星の質量をすべて集めても惑星ほどの質量にはならず、寧ろ木星に集積が妨害されて、微惑星のまま残ったものだと考えられております。ですが、1846年に発見された海王星は n=7 から予想される38.8天文単位から大きくずれた平均距離30.1天文単位のほぼ円軌道である事が判明したため、法則の信憑性に疑問の声が出たのは、根拠が無かった故ですが。

a / AU = 0.4 + 0.3 × 2n
惑星計算値実測値(au)
-∞水星0.40.39
0金星0.70.72
1地球1.01.00
2火星1.61.52
3ケレス2.82.77
4木星5.25.20
5土星109.54
6天王星19.619.19
7海王星38.830.06
8冥王星77.239.44
9エリス(参考)15467.71
10セドナ(参考)307.6532.3

先ほど「惑星系の配置について、ランダムな配置や等差数列的配置ではなく、等比的な配置を仮定することには、一定の合理性がある」と述べました。天王星までは近似していたのですから、寧ろ「何故、海王星がこれほど違っていたのか?」側を考えるべきなのです。地球と月のペアや冥王星とその衛星カロンのペアは二重惑星説がありますが、太陽系外の恒星では、さそり座ニュー星やカシオペヤ座AR星という「七重連星」すらあるのです。天王星の宙域に三重惑星が発生していたとして、いち早く共鳴を確立していた木星と土星の両方によって攪乱させられ、恐らくは一番質量が少なかった「プラネットX」は天王星に衝突、天王星は更に海王星にぶつかって自転軸が横倒しになってしまった。海王星はその影響を受けて現在の軌道近くまで移動してトリトンを捕獲した。多くのエッジワース・カイパーベルト天体は、そのあおりを食って現在の楕円軌道を描く羽目になったが、冥王星が飛ばされなかったのは、ラグランジュポイントのように海王星と共鳴関係になるような位置にいたから、だと思います。

「ん?プラネットX要らないって?」海王星が二度ぶつかったのならば。

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/月

上で散々言っておいてこの結論オチ

第二十一話 「碧玉之巻 第十帖」➂

岩戸閉めの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、
ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるぞ、
十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのであるぞ、
十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ、
五つの卵を四つ生んだとも言えるのであるぞ、すべて神界のこと、
霊界のことは、現界から見れば妙なことであるなれど、それでちゃんと道にはまっているのであるぞ。
一ヒネリしてあるのじゃ、天と地との間に大きなレンズがあると思えば段々にわかって来るぞ。
夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、
岩戸が閉められたのである道理、わかるであろうがな。
その後、独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、
それが一方的であることは申すまでもないことであろう、
妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国のすべてを生み育て給うたのであるぞ、
この夫婦神が、時めぐり来て、千引きの岩戸をひらかれて相抱き給う時節来たのであるぞ、
うれしうれしの時代となって来たのであるぞ。
同じ名の神が至るところに現れて来るのだぞ、名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、
この二つがそろって、三つとなるのぞ、三が道ぞと知らせてあろうがな。
時来たりなば この千引きの岩戸を倶にひらかんと申してあろうがな。

次の岩戸閉めは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、
ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。
いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、そろってお出まし近くなって来たぞ。

次の岩戸閉めは素盞鳴命にすべての罪を着せてネの国に追いやった時であるぞ、
素盞鳴命は天下を治しめす御役の神であるぞ。
天ヶ下は重きものが積もって固まったものであるからツミと見えるのであって、
よろずの天の神々が積もる(と言う)ツミ(積)をよく理解せずして罪神と誤ってしまったので、
これが正しく岩戸閉めであったぞ、
命をアラブル神なりと申して伝えているなれど、アラブル神とは粗暴な神ではないぞ、
あばれ廻り、こわし廻る神ではないぞ、アラフル(現生る)神であるぞ、
天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ、取り違いしていて申し訳あるまいがな。
このことよく理解できねば、今度の大峠は越せんぞ。
絶対の御力を発揮し給う、ナギ・ナミ両神が、
天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ。
素盞鳴の命にも二通りあるぞ。
一神で生み給える御神と、夫婦呼吸を合わせて生み給える御神と二通りあるぞ、
間違えてはならんことぞ。

神武天皇の岩戸閉めは、御自ら人皇を名乗り給うより他に道なきまでの御働きをなされたからであるぞ。
神の世から人の世への移り変わりの事柄を、一応、岩戸に隠して神ヤマトイワレ彦命として、
人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸閉めの一つであるぞ。

仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光が差していたのであるなれど、
仏教と共に仏魔渡って来て完全に岩戸が閉められて、クラヤミの世となったのであるぞ、
その後はもう乱れ放題、やり放題の世となったのであるぞ、これが五度目の大き岩戸閉めであるぞ。

昭和36年5月6日(1961年 皇紀2621年 辛丑)

第十八話で素羽鷹神社の写真を撮り損ね(そんなはずないような気がするんだけど)、その本宮は香取市大倉にある側高神社であり、その側高神社も香取神宮の摂社とされている事から、香取神宮へ参拝に行く事にしました。「匝瑳市の龍尾寺」はどうした?いえ、龍尾寺行くと歩きが確実に「10キロオーバー」になってしまうので、肉離れの病み上がりの足には駅から近い方が良いかと思いまして。側高神社も寄れるかなって思っていたのですが…。

令和八年だと!?

…私は時間凍結されていたのでしょうか?

…まさかね。

しかしさっきからさっぱり人気ひとけが無いのですが。

そんなはずもなく。アイキャッチの写真なんて奇跡的に人がいなかっただけで。

参道が広いです。これが神宮か。高校の時、明治神宮に行った事があるとはいえ、人大杉でそれを実感するどころではなく。

今井健彦

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/今井健彦

今井信郎

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/今井信郎

今井信郎は、近江屋事件の件で嫌疑をかけられ、坂本龍馬暗殺の際には見張り役だったとして、禁固刑二ヶ年の判決を受けた後、釈放されております。氏の三男が今井健彦であり、衆議院議員(立憲政友会)、文部政務次官、商工政務次官、農林参与官、ジャーナリスト、東京毎日新聞社社長を務めたそうです。

奥に進みます。

ここだけでも普通の神社の広さあるわ。

護国神社

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/護国神社

こちらは香取神宮内にあるから良いとしても、戦没者を直接知る遺族や戦友たちの高齢化、引き継ぐ管理者がいなくなると存続が厳しいか…。あ、この左側奥にある「要石」行くの忘れた。道戻っちゃったのです。

やっと…と思ったらまだ先なのです。

( ゚д゚)ハッ!

と、思っていたら正面は手水舎、拝殿は右へ。

…。

…。

ちょ…こんなシーン何時かも見た気がするぞ…デジャヴ?

香取神宮

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/香取神宮

神宮の祭祀氏族は、古くは香取連(かとりのむらじ、香取氏)の一族とされますが、系図によれば、大中臣氏から大中臣清暢が香取連五百島の養子に入る事で香取大宮司を、清暢の子の秋雄が香取大禰宜を担う事となります。その後の平安時代末期までは中央の藤原氏に管掌されていたところ、鹿島神宮大宮司の中臣氏一族から、香取神宮大宮司への任命があって以降は、香取大中臣氏と鹿島中臣氏とが香取の大宮司職を巡って対立を見せ、大中臣氏一族の内部で大宮司・大禰宜職や社領を巡っての抗争が展開、近世の江戸幕府の統制下に入っても、抗争は繰り返されていたことが散見されています。…えっと、このさまは何の例えなのですか?

最初は分かりづらかったのですが、左側が市神社で、祭神は事代主神、天降神社が合祀されているようで、祭神は伊伎志爾保神、鑰守神です。右側が馬場殿神社で、祭神は建速須佐之男命です。

飯篠家直

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/飯篠家直

お墓のたたずまいが素晴らしいです。風情があるというか。飯篠家直は18代当主千葉胤宣に仕えていたそうです。因みに、第十八話の龍角寺は第29代当主千葉邦胤が修造したそうです。余談ですが「千葉氏の輪」。

ただ、ここだけは空気が違ったような気がしました。

経津主神の荒御魂を祀る奥宮です。社殿は昭和48年(1973年)の伊勢神宮遷宮の際の古材を使用しているそうです。この竹林と杉が織りなす風景と古材を使った社殿の雰囲気と言ったら…。

よく考えたら、この二本、やけに近いような…。

Wiki見ると境内社、境外社、随分ありますね、だいぶ見落としてる…。

側高神社までは4㎞前後あります。

しかし痣だけは残った…(執筆時点では消えました)。

第二十話 「碧玉之巻 第十帖」②

岩戸閉めの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、
ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるぞ、
十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのであるぞ、
十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ、
五つの卵を四つ生んだとも言えるのであるぞ、すべて神界のこと、
霊界のことは、現界から見れば妙なことであるなれど、それでちゃんと道にはまっているのであるぞ。
一ヒネリしてあるのじゃ、天と地との間に大きなレンズがあると思えば段々にわかって来るぞ。
夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、
岩戸が閉められたのである道理、わかるであろうがな。
その後、独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、
それが一方的であることは申すまでもないことであろう、
妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国のすべてを生み育て給うたのであるぞ、
この夫婦神が、時めぐり来て、千引きの岩戸をひらかれて相抱き給う時節来たのであるぞ、
うれしうれしの時代となって来たのであるぞ。
同じ名の神が至るところに現れて来るのだぞ、名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、
この二つがそろって、三つとなるのぞ、三が道ぞと知らせてあろうがな。
時来たりなば この千引きの岩戸を倶にひらかんと申してあろうがな。

次の岩戸閉めは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、
ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。
いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、そろってお出まし近くなって来たぞ。

次の岩戸閉めは素盞鳴命にすべての罪を着せてネの国に追いやった時であるぞ、
素盞鳴命は天下を治しめす御役の神であるぞ。
天ヶ下は重きものが積もって固まったものであるからツミと見えるのであって、
よろずの天の神々が積もる(と言う)ツミ(積)をよく理解せずして罪神と誤ってしまったので、
これが正しく岩戸閉めであったぞ、
命をアラブル神なりと申して伝えているなれど、アラブル神とは粗暴な神ではないぞ、
あばれ廻り、こわし廻る神ではないぞ、アラフル(現生る)神であるぞ、
天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ、取り違いしていて申し訳あるまいがな。
このことよく理解できねば、今度の大峠は越せんぞ。
絶対の御力を発揮し給う、ナギ・ナミ両神が、
天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ。
素盞鳴の命にも二通りあるぞ。
一神で生み給える御神と、夫婦呼吸を合わせて生み給える御神と二通りあるぞ、
間違えてはならんことぞ。

神武天皇の岩戸閉めは、御自ら人皇を名乗り給うより他に道なきまでの御働きをなされたからであるぞ。
神の世から人の世への移り変わりの事柄を、一応、岩戸に隠して神ヤマトイワレ彦命として、
人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸閉めの一つであるぞ。

仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光が差していたのであるなれど、
仏教と共に仏魔渡って来て完全に岩戸が閉められて、クラヤミの世となったのであるぞ、
その後はもう乱れ放題、やり放題の世となったのであるぞ、これが五度目の大き岩戸閉めであるぞ。

昭和36年5月6日(1961年 皇紀2621年 辛丑)

煮詰まってきたので気晴らししたいんですけど、いつのまにやら調べ物してる…やらなきゃいけない事あるんですけどね…逃げてるだけなのでしょうか。そしたらこんなの見つけてしまったのです、しかもよりにもよって「麻賀多神社」だと?!

【ムー謎の古代文字】新資料公開! 麻賀多神社に伝来した神代文字文献

ttps://www.excite.co.jp/news/article/Getnavi_366635/

麻賀多神社神代文字 出雲文字

ttp://www14.plala.or.jp/nikorobin/magata2.html

出雲文字

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/出雲文字

「伊都許利命がこの地に来た時に地味が悪いので里長に聞けば、日本武尊が東征の折に、この地に寄って祈りを捧げた。それによって五穀豊穣となり人々を助け、その方法を記したので子々孫々これを守れ。」という事らしいのですけど、逆に、もしこの文字が日本武尊に由来するものであるなら、意富比神社(船橋大神宮)を始め、日本武尊が参拝したとされる神社に同様の縁起が存在したと思います。私は神代文字の存在に対しては、可能な限り中立の立場であろうとしておりますが、これらの存在の否定説の根拠にあげられているのが「上代日本語」と五十音順の成立時期です。

上代日本語

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/上代日本語

漢字

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/漢字

仮名 (文字)

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/仮名_(文字)

五十音

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/五十音

第四話で宋書に出て来る「倭の五王」についての話で、477年~478年頃の「武」と見なされる雄略天皇の宋への朝貢忖度と邪馬台国について書いたのですが、古墳時代に相当する時期の有力者は大陸の先進文明をこぞって求め、次々と歴代の中国王朝に媚びるようになります。当然の事ながら彼らとのコンタクトは「漢字」であり、漢字を書けるのは渡来人であるため、時の有力者は渡来人を、後の世で言う「官位」のような役職に就けるようになります。ここまで言えば「文字が漢字化するのは当たり前」だと思うのです。ところが仮名 (文字)のWikiにもある様に、

「漢文」は当然ながら中国語に基づいた書記法であり、音韻や構文の異なる日本語を書き記すものではなかった。この「漢文」を日本語として理解するために生まれたのが「漢文訓読」である。しかし地名や人名などの日本語の固有名詞は、漢字をそのまま使ってもその音を書き記すことはできない。そこで使われたのが漢字本来の意味を無視してその発音だけを利用し、日本語の音に当てる「借字」(しゃくじ)であった。これはたとえば漢字の「阿」が持つ本来の意味を無視して「ア」という音だけを抽出し、「阿」を日本語の「ア」として読ませるという方法である。この借字によって日本語が漢字で表記されるようになった。この表記法を俗に「万葉仮名」とも呼ぶ。

この事は、太安万侶が和銅5年(712年)編纂の『古事記』序文において、「已に訓に因りて述ぶれば、詞は心に逮らず。全く音を以ちて連ぬれば、事の趣更に長し」と嘆いているように、日本語に用いる書記体系として、漢字は扱いやすいものではなかったはずです。その渡来人の発音形態がおそらく「上代日本語」の一子音につき合計8種の音節が使い分けられていたのであり、古墳時代頃から奈良時代頃まで日本(特に、都のあった奈良付近)でしか使用されずに廃れた理由だと思うのです。太宰春台ら儒者の「漢字文明による『聖人の道』が入ってくるまでは我が国は野蛮な国だった」だの、蝦夷という概念に見られるように、何時の世にも「東」は低く見られてきたのです。つまりロジックが全て逆。

日月の巻 第二十六帖

㋰、㋒、㋒、ウ、うにアエオイウだぞ。昔の世の元ぞ。
㋐、㋳、㋻、ヤ、ワあるぞ。世の元ぞ。サタナハマからあるぞ
一柱、二柱、三柱、五柱、七柱、八柱、九柱、十柱、と申してあろうがな。
五十九の柱の神、七十五柱これでわかったか。㋰はゝだぞ。
ゝには裏表上下あるのだぞ。
冬の先 春とばかりとは限らんと申してあること忘れるなよ。
用意せよ。冬に桜咲くぞ。

昭和19年11月22日(1944年 皇紀2604年 甲申)

今回はハルマゲドンの話をする気無いので、「七十五」について。

真素美の鏡

ttps://onipedia.info/wiki/真素美の鏡

大石凝真素美

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/大石凝真素美

オリジナルは徳川末期の言霊学者中村孝道の門人である大石凝真素美で、原本は『大日本皇国言霊の巻』です。なんでも遠祖は大伴氏とか。㋐㋔㋒㋓㋑の並びって『真訓古事記 上の巻』に記述あるのですね。

夜明けの巻 第十三帖

あら楽し、すがすがし、世は朝晴れたり、昼晴れたり、夜も晴れたり。
あら楽し、すがすがし、世は岩戸明けたり、待ちに待ちし岩戸開けたり。

この神示の臣民と言うても、人間界ばかりでないぞ。
神界幽界のことも言って知らせてあると、申してあろうが。
取り違い慢心一等恐いと申してあろうが。
祭典、国民服もんぺでも良いぞ。
天明(岡本天明)まつりの真似するでないぞ。役員まつりせい。何も言うでないぞ。
言って良い時は知らせるぞよ。わかったか。
仕える者無き宮、産土様の真下にいくら祀ってもよいぞ。
天明は祈れ。祈れ。天に祈れ、地に祈れ、
引き潮の時引けよ。満ち潮の時進めよ。大難小難にと役員も祈れよ。
口先ばかりでなく、誠祈れよ。祈らねばならんぞ。口先ばかりでは悪となるぞ。わかったか。
今度は借銭済しになるまでやめんから、誰によらず借銭無くなるまで苦しい行せなならんぞ、
借銭なしでないと、お土の上には住めんことに今度はなるぞ。
イシの人と、キの人と、ヒの人と、ミヅの人と、できるぞ。
今にチリチリバラバラに一時はなるのであるから、その覚悟よいか。
毎度知らせてあること忘れるなよ。神示 腹の腹底まで浸むまで読んで下されよ。神頼むぞ。
悟った方 神示説けよ。解いて聞かせよ。役員 皆 説けよ。信じる者 皆 人に知らせてやれよ。
神示読んで嬉しかったら、知らせてやれよ申してあろうが。
天明は神示書かす役ぞ。アホになれと申してあろうが、まだまだぞ、役員 気つけてくれよ。
神示の代わりにミ身に知らせると申してある時来たぞ。いよいよの時ぞ。
神示で知らせることの始めは済みたぞ。実身掃除せよ。ミ身に知らすぞ。実身に聞かすぞ、
聞かな聞くようにして知らすぞ。つらいなれど、我慢せよ。ゆめゆめ利巧出すでないぞ。
わかったか、百姓にもなれ、大工にもなれ、絵描きにもなれ。
何にでもなれるようにしてあるでないか。役員も同様ぞ。
集団作るでないぞ、金取るでないぞ、神に供えられたものはみな分けて、
喜ばせてやれと申してあろうが。この方 喜ぶこと好きぞ、好きのこと栄えるぞ。弥栄えるぞ。
信者作るでないぞ。道伝えなならんぞ。取り違いせんように慢心せんように、
生まれ赤児の心で神示読めよ。神示いただけよ。
日本の臣民 皆勇むよう、祈りてくれよ。世界の人民 皆喜ぶ世が来るよう 祈りてくれよ。
てんし様まつれよ。みことに服ろえよ。このことできれば他に何もわからんでも、峠越せるぞ。
御民いのち捨てて生命に生きよ。

「鳥鳴く声す夢覚ませ、見よ あけ渡るひむかしを、空色晴れて沖つ辺に、千船行きかう靄の裡」

「いろは、にほへとち、りぬるをわかよ、たれそ、つねならむ、うゐのおくやま、
 けふこ、えてあさき、ゆめみしゑひもせすん」

「アオウエイ、カコクケキ、サソスセシ、タトツテチ、ナノヌネニ、ハホフヘヒ、
 マモムメミ、ヤヨユエイ、ラロルレリ、ワヲウヱヰ」

「アイウエオ、ヤイユエヨ、ワヰエヲ、カキクケコ、サシスセソ、タチツテト、
 ナニヌネノ、ハヒフヘホ、マミムメモ、ヤイユエヨ、ラリルレロ、ワヰウヱヲ」

五十九柱ぞ。この巻夜明けの巻とせよ。この十二の巻 よく腹に入れておけば何でもわかるぞ。
無事に峠越せるぞ。わからんことは自分で伺えよ。それぞれに取れるぞ。

天津日嗣皇尊 弥栄弥栄。あら楽し、あら楽し、あなさやけ、あなさやけ、おけ。
一二三四五六七八九十百千卍。

昭和20年8月10日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

「五十」と「六十」と「七十五」の最小公倍数って「三百」ですよね?

神代文字

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/神代文字#cite_ref-19

神代巻口訣

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/神代巻口訣

近世の偽作説もある忌部正通が執筆した神代巻口訣より、「神代文字は象形なり。応神天皇の御宇、異域の典経始めて来朝す。推古天皇の朝に至って、聖徳太子漢字を以て和字に附す」とあります。邪馬台国は別にして、倭の五王の一人「応神天皇の御宇、異域の典経始めて来朝」した段階で「漢字」と共に渡来人が来日した事によって日本の文字の歴史が始まったとするのが現代の風潮ですが、出雲や飛騨だけでなく日本各地において、象形文字やヒエログリフが見つかっている事実は認めざるを得ません。にも拘らず今日、神代文字に対する研究費用が下りない、というのを耳にするのですが、これは相対性理論やビッグバンに反対する研究費用が下りないようなもので、既に学会が宗教化、利権化しているのが問題です、否、どこの業界も。

出雲、ときたらいよいよこの方の登場か。

スサノオ

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/スサノオ

我の潔白が誓約によって証明されたとしたが、勝ったに任せてと次々と粗暴を行い、天照大御神は恐れて天の岩屋に隠れてしまった。そのため、彼は高天原を追放された(神逐)。

天岩戸

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/天岩戸

何だ、日本書紀の第七段一書(一)、(二)、(三)って…。古事記とも違うし…。この点、古語拾遺ではシンプルに語られているようで。

素戔嗚神は毀畔(あはなち)・埋溝(みぞうみ)・放樋(ひはなち)・重播(しきまき)・刺串(くしさし)・生剥(いけはぎ)・逆剥(さかはぎ)・屎戸(くそと)といった天つ罪を犯した。天照大神は怒り、天岩窟に入り磐戸を閉ざして籠もってしまった。国の内は常闇となり、昼夜の別がなくなった。高皇産霊神は八十万の神を天八湍河原(あめのやせのかはら)に会し、謝る方途を議論した。(中略)

素戔嗚神は罪を問われ、科すにあたっては千座の置戸(多数の祓物)を以てし、首の髪、手足の爪を抜かれ、罪を贖わされた。これによって罪を解除(はら)い、地上に追放された。

伊邪那岐命と伊邪那美命の話や、天の岩戸、素盞鳴命の話については、神示と記紀の双方で記述されている話ですので、その経緯を知らされた誰かがいた事は確か。ただ、神界で為される事がこの世界に反映される事を考えると、この「天つ罪」とはホントに悪行なのか?という話ではないかと思うのです。例えば農家の方なら「糞をまく→堆肥」や「生剥→動物避け」をイメージできると思うのですが、その知識が無い人は、単に嫌がらせにしか見えないのかもしれません。この誤解こそが本質のねじれを産み出したのだとすれば、悲劇としか言いようがありません。確かにこれは一方的な見方ではあります。

大国主の神話

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/大国主の神話#根の国訪問

大国主

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/大国主

大国主の神話において根の国のスサノオの元にやってきた葦原色許男神(あしはらしこを、後の大国主命)は、スサノオの娘である須世理比売(すせりひめ)と互いに一目惚れするが、スサノオは葦原色許男神に様々な試練を与える。葦原色許男神は須世理比売の助けを得ながらそれらを克服したので、スサノオは葦原色許男神に、須世理比売を妻とすることを認め、生大刀、生弓矢、天詔琴を譲り、大国主という名を贈った。

はなからそのつもりだったのではないですか?アラぶ(荒ぶ)ってますけどw当の大国主は生きた心地しなかったでしょうが。

国譲り

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/国譲り

事代主

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/事代主

タケミナカタ

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/タケミナカタ

タケミカヅチ

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/タケミカヅチ

経津主神

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/経津主神

正直言って、全く納得いかないのが「国譲り」の神話です。カツアゲにしか見えない。出雲大社の祭神は大国主大神ですが、国譲りを迫られた際には、息子の事代主神が答えると述べ、タケミカヅチが美保ヶ崎へと向かい、事代主神に国譲りを迫ると、「承知した」と言って、船を踏み傾け、天ノ逆手を打って青柴垣に変え、その中に隠れてしまいました。次に建御名方タケミナカタが千引の石を手先で差し上げながら現れ、タケミカヅチに力競べを申し出たものの、タケミナカタの手を若葦のように握りつぶして放り投げてしまいました。更には科野国の州羽海(すわのうみ)まで追いつめて、殺そうとしたのですが、建御名方神はタケミカヅチに対し、その地から出ない旨、大国主神並びに事代主神に背かない旨、葦原中国を天津神の御子に奉る旨を約束した、というのが国譲りの概要なのですが、経津主神は古事記に出ておりません。

日の出の巻 第十八帖

富士の御用は奥山に祀りくれよ、カイの御用も続けてくれよ、
江戸一の宮作ってくれよ、道場も同じぞ、
海の御用とは 海の鳴門と 海の諏訪と 海のマアカタと三所へ祀りくれよ。
その前の御用、言葉で知らせたこと済んだぞ、
海マアカタとは印旛ぞ。
十柱とは火の神、木の神、金の神、日の出の神、竜宮の乙姫、
雨の神、風の神、地震の神、荒れの神、岩の神であるぞ。
辛酉の日に祀りてくれよ。しばらく御神示出ないぞ。
皆の者 早う今までの神示 肚に入れてくれよ、神急けるぞ。
神示読めば神示出て来るぞ。神祀り早く済ませてくれよ

昭和19年12月21日(1944年 皇紀2604年 甲申)

諏訪湖の鳴門神業は、昭和20年1月8日、天明氏の代理で三枝今朝春氏が修めたそうです。「原典日月神示の磐戸の巻 第八帖」には、「三枝、御苦労であったぞ。」という記述があるそうです。(岡本天明伝[日月神示]夜明けの御用・黒川柚月氏/著)この話がらみかな?

出雲大社

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物部神社 (大田市)

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素盞嗚神社 (福山市新市町戸手)

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籠神社

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真名井神社

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海部氏

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物部氏

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第四話で「可怜国うましくに」の倭姫命は、第10代崇神天皇の皇女、豊鍬入姫命の後を継いで、神託によって、皇大神宮(伊勢神宮内宮)を創建した事を書きました。伊勢神宮外宮に祀られている豊受大神は、「真名井原」の地(籠神社の現在の奥宮である真名井神社)に鎮座したとされており、天照大神が4年間営んだ元伊勢の「吉佐宮」にあたる、とされています。籠神社の宮司を世襲しているのは、海部氏=丹波国海部氏=尾張物部氏です。籠神社の奥宮となっている真名井神社の東方に「真名井の滝」があって、この滝壺で汲まれた水は、古来より出雲国造の神火相続式や、新嘗祭の際に用いられたとされるのだとか…。そういえば第十二話で、上総一ノ宮の玉前神社に参拝した時、「茅の輪」があったのですけど、茅の輪くぐりとは、夏越神事とされ、疫隈國社・素盞嗚神社の蘇民将来説話に基づいているそうです。更に出雲大社の側にわざわざ物部神社を創建するというのは、「物部氏の正体」(関裕二氏/著)で主張されるように「出雲の国譲りが、物部の出雲いじめにそっくり」に見えます。

ハプログループO1b2 (Y染色体)

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私は同氏の「藤原氏の正体」の方については、納得できるところが多かったのですが、今回の話を検証するまでは正直、ピンとこなかったのです。これは物部氏が渡来人であれば話が繋がります。彼らの瀬戸内海から関門海峡を抜ける海上物流ルート利権です。その代表とされるのが備前物部氏でしょう。物部氏には、「物部+地名」や「物部+職業」という複姓を持つ一族が存在しており、彼らが全国に文明をもたらしたと共に、各地におけるスパイ網として機能したのでしょう。これが後発であるはずのハプログループO1b2が、何故か日本全土に分布している理由でもあり、上代日本語が8種の音節であったのは、「日本語を覚え始めた外国人のようなイントネーションだったから」でしょう。

縄文人には土地所有の概念が気薄であったのに対し、渡来人はより良い水と土地を必要とする民族です。当時の大陸の情勢は危険極まりなく、それは歴代の中国王朝の移り変わりを見る限り、彼らが大陸の敗残兵とその家族だった可能性があります。そんな「渡来人の東征」を古来から日本に住んでいた人たちは、指を咥えて黙って見ていたのでしょうか?

NASA 3502421

旧石器時代の遺跡一覧

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34,000年前、墨古沢は日本の中心であった

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墨古沢遺跡

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墨古沢遺跡

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使用石材は、群馬県域のガラス質黒色安山岩が70パーセント以上を占めるが、ほかにも茨城県産の玉髄(メノウ含む)や、栃木県(高原山)・長野県・神津島産の黒曜石、東北地方産と思われる硬質頁岩などが含まれており、石材を求めて北関東地方などの集団と広範囲での交流が行われていたことが判明した。

見に行って聖地巡礼行ってから書こうかと思っていたのですが、現在は埋め戻しているようですし、私の足が肉離れを起こしてしまっているので、行くに行けないのです。旧石器時代の環状ブロック群として、現在確認されている中では日本最大級のものとして、「国の史跡」に指定されております。注目すべきは「神津島産の黒曜石、東北地方産と思われる硬質頁岩」という記述。それらをこの地に集めるだけの能力を有していたという事実です。因みに上の図は、原日本人到達以降で、最も海水面が低かったとされている約二万年前の地形図と、旧石器時代の分布図です。これより後は「縄文海進」の影響で海水面が上昇して、至る所が水没するようになるのです。これを右の図で例えるなら、古東京湾、香取海に該当するところになります。

ハプログループCT (Y染色体)

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ハプログループC (Y染色体)

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ハプログループC1a1 (Y染色体)

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ハプログループD (Y染色体)

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ハプログループD1a2a (Y染色体)

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最初のホモサピエンス・ハプログループAから分岐した、ユーラシアン・アダムことハプログループCT、最も近縁なC1a2(V20)は、ユーラシア大陸各地、クロマニヨン人にまで及ぶ、とされるハプログループC1a1(M8)のグループは、ほぼ日本人に限られ、大陸側にはごく僅かにしか見られない事で、その移動ルートは現在に至るまで謎とされているようです。ハプログループC1a1のページを見ると、国内各地の頻度の項目で「沖縄」、「徳島」、「青森」、「宮崎」が突出しているようですが、東京が多いのは、遺伝子の検査技術なるものが首都圏に人口が一極集中した世の中になってからの産物なので、この結果は当然だと言えます。

問題は、最も近縁がアンダマン諸島のオンガン系オンゲ族とジャラワ族のD1a2b-Y34537とされるハプログループD1a2aです。更に謎を深めているのは、ハプログループD (Y染色体)の方のページの記述。

日本本土(九州、本州、四国)は、中国地方および四国、北部九州など西日本の一部地域ではやや少なく、一方で関東地方や東北地方など東日本のほか南部九州に多いなど地域差もあるが、おおよそ32%- 39% のハプログループが「D1a2a」であり、これは古代の縄文人の末裔である可能性が高い。「D1a2a*」から「D1a2a2a」まで様々なグループが見られる。

中国地方および四国、北部九州など西日本の一部地域ではやや少なく、一方で関東地方や東北地方など東日本のほか南部九州に多いなど地域差もあるが、って何?…ハプログループD1a2aのグループがアンダマン諸島残留組と別れた後、わき目もふらずに日本列島に直行したのは極めて謎なのですが、沖縄は別としても、日本列島に辿り着いた際、自然に流れ着くであろう西日本に少ない傾向はとても奇妙に見えます。

縄文時代の遺跡一覧

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弥生時代の遺跡一覧

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何故、あれだけ大陸から人が渡って来れる接点であるハズの北九州や、北海道ではなく、関東地方に人間が集中していたのでしょう?この話は首都の概念が無い古代の話です。おそらく「住みやすかった」、これに尽きると思います。趣味ならいざ知らず、大半の人は平地で暮らす方が楽ですし、それは遺跡の密度で証明されています。狩猟生活中心の旧石器時代から縄文時代初期にかけての人口集中によって、関東地方は食糧供給問題に直面したと思います。

一方で、同時期の九州地方は人口が増えていないように見えます。実はそれどころではなかったからだと思われます。

姶良カルデラ

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鬼界カルデラ

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鬼界アカホヤ火山灰

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破局噴火

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特に鬼界カルデラの約7300年前の大規模カルデラ噴火は過去1万年の内では世界最大規模で、火砕流が九州南部にも到達し、九州南部の縄文文化を壊滅させたと推測されているようです。

例えば1990年から1995年にかけて噴火した雲仙普賢岳では、火砕流1回あたりのマグマ噴出量としては10 – 1000m3(VEI=0)、5年余りに渡る活動期間中の噴出物の総量では0.2 km3(VEI=4)程度、また20世紀最大の火山噴火とされる1991年のピナトゥボ山噴火はVEI=6であった(略)日本ではVEI-7以上の噴火は7000年 – 1万年に1回程度の頻度で発生している。最後のイベントは約7,300年前の鬼界カルデラ。太字はVEI-8

7,300年前 – 鬼界:幸屋(船倉)降下軽石・及びintra-plinian flowとして船倉火砕流 → 大地震 → 竹島(幸屋)火砕流・及びco-ignimbrite ashとして鬼界アカホヤ火山灰。総噴出量 133–183 km3 DRE以上。
3万年前 – 姶良:大隅降下軽石・及びintra-plinian flowとして垂水火砕流 → 妻屋火砕流 → 入戸火砕流・及びco-ignimbrite ashとして姶良丹沢テフラ。総噴出量 380 – 430 km3 DRE。
3.9万年前 – 屈斜路:屈斜路Ⅰ火砕流。総噴出量 45〜87 km3 DRE。
4.6万年前 – 支笏:マグマ水蒸気爆発 → 降下軽石 → 火砕流噴火。総噴出量 100〜130 km3 DRE。
8.8万年前 – 阿蘇:Aso-4火砕流。総噴出量 380 – 790 km3 DRE。

風は西から東に吹くにも関わらず、朝鮮半島まで火山灰が到達しているのですから、現代に生きる私たちが、その破壊の程を窺い知る事なんて出来ませんが、これらの火山灰は遠く東北地方にまで及んでおり、縄文後期の気象変動のトリガーになっていると思います。実際、縄文時代後期に見られる人口の減少はこれが原因になっていると思います。上の図の九州地方の人口の計算は、稲作到来前後の頃のデーターがごっちゃになっていると思います。

稲作

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菜畑遺跡

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/菜畑遺跡

ところが縄文時代後期、九州地方に稲作が伝来して、食糧事情を大幅に改善させる事となりました。伝来ルートはほぼ確実に朝鮮半島からで、第四話で邪馬台国の話をしておりますが、魏志倭人伝に記述された九州上陸地点を考えると、唐津市にある菜畑遺跡の存在は余りにも大きい。同時に稲作は、良質の水源と土地を要求するものであり、肥沃な平野を有する北九州地方の原住民が、わざわざ中国、四国地方に進出する理由が無いのです。東進するのは「渡来人」、おそらくハプログループO1b2の集団だと考えられます。

「大和への東征」という説には問題が多過ぎるのです。「熊襲や隼人を野放しで大和に向かう」というストーリーとか、「外国から瀬戸内海を経由して大阪湾から攻め込む」とかいう余りにも無謀なストーリーに。蝦夷が危険と言うのは、渡来人のルーツである大陸からみた倭国とは第四話で述べたように「文身国」だった事から、関東の実情を知らない渡来人のイメージなのです。その関東はといえば、北海道とまで交易をしていたのですから、蝦夷のリスクの低さは熊襲や隼人の比ではなく、香取神宮や鹿島神宮が「神武天皇の代で創建されている」というのは、関東こそが完全な安全地帯であった証明です。

だから渡来人が書いた「記紀」は曲がった。聖徳太子と蘇我馬子が編纂したとされる「天皇記」は、蘇我蝦夷と共に焼かれ、藤原氏の正統性を詐称するために書かれた日本書紀や、同時期に書かれたとされる古事記は言うまでもなく当時の権力者である藤原氏の監視の下で編纂されたのは想像に難くありません。その藤原氏に、朝廷の祭祀の役職まで横取りされた結果が斎部広成による「古語拾遺」だと思います。しかしながら最早、時代の潮流を戻す事は叶わなかったのです。

第十九話 「碧玉之巻 第十帖」①

岩戸閉めの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、
ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるぞ、
十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのであるぞ、
十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ、
五つの卵を四つ生んだとも言えるのであるぞ、すべて神界のこと、
霊界のことは、現界から見れば妙なことであるなれど、それでちゃんと道にはまっているのであるぞ。
一ヒネリしてあるのじゃ、天と地との間に大きなレンズがあると思えば段々にわかって来るぞ。
夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、
岩戸が閉められたのである道理、わかるであろうがな。
その後、独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、
それが一方的であることは申すまでもないことであろう、
妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国のすべてを生み育て給うたのであるぞ、
この夫婦神が、時めぐり来て、千引きの岩戸をひらかれて相抱き給う時節来たのであるぞ、
うれしうれしの時代となって来たのであるぞ。
同じ名の神が至るところに現れて来るのだぞ、名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、
この二つがそろって、三つとなるのぞ、三が道ぞと知らせてあろうがな。
時来たりなば この千引きの岩戸を倶にひらかんと申してあろうがな。

次の岩戸閉めは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、
ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。
いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、そろってお出まし近くなって来たぞ。

次の岩戸閉めは素盞鳴命にすべての罪を着せてネの国に追いやった時であるぞ、
素盞鳴命は天下を治しめす御役の神であるぞ。
天ヶ下は重きものが積もって固まったものであるからツミと見えるのであって、
よろずの天の神々が積もる(と言う)ツミ(積)をよく理解せずして罪神と誤ってしまったので、
これが正しく岩戸閉めであったぞ、
命をアラブル神なりと申して伝えているなれど、アラブル神とは粗暴な神ではないぞ、
あばれ廻り、こわし廻る神ではないぞ、アラフル(現生る)神であるぞ、
天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ、取り違いしていて申し訳あるまいがな。
このことよく理解できねば、今度の大峠は越せんぞ。
絶対の御力を発揮し給う、ナギ・ナミ両神が、
天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ。
素盞鳴の命にも二通りあるぞ。
一神で生み給える御神と、夫婦呼吸を合わせて生み給える御神と二通りあるぞ、
間違えてはならんことぞ。

神武天皇の岩戸閉めは、御自ら人皇を名乗り給うより他に道なきまでの御働きをなされたからであるぞ。
神の世から人の世への移り変わりの事柄を、一応、岩戸に隠して神ヤマトイワレ彦命として、
人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸閉めの一つであるぞ。

仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光が差していたのであるなれど、
仏教と共に仏魔渡って来て完全に岩戸が閉められて、クラヤミの世となったのであるぞ、
その後はもう乱れ放題、やり放題の世となったのであるぞ、これが五度目の大き岩戸閉めであるぞ。

昭和36年5月6日(1961年 皇紀2621年 辛丑)

龍尾寺どうした?なんですけど、肉離れ起こしてしまって。両足所々、痣みたいになってしまい、当分コタツ記事にしときます、夏ですけど。暑いし。そういえば下総の地をふらふらになって歩いていたら、風鈴の音が鳴っていたのを思い出しまして、涼しげなので貼っておきました。うちも鉄の風鈴ぶら下げておきたいところですが、住宅密集地故、今のご時世として正直はばかれるところであります。一部の住人の反対で、今まで行われていた花火大会までもが中止にされるような世の中そのような特定の「一部の声」だけは無駄に大きく、どこぞのアカが拡声機と化すのです。今日でも選挙対策の移住者とか良く聞くでしょ?それで住民の声とかほざく。沖縄とか(あ、伏字にするの忘れたw)。

女性専用車両以降、女性優先社会あからさまですが、元々痴漢の対策が本質だったのに、優先される事が当然だとトチ狂った挙句、「女子会」向けに「レディース・デイ」とか出て来る。「立場が弱い人達の権利を向上させろ」っていうのは、昔からシオニストと共産主義者に散々利用されてきたのですけどね、「LGBTに人権を」だの「移民を増やせ」など言うまでもない。LGBT?自分の趣味を社会人様に押し付けてんじゃねえよ、労働力確保移民?その前に詐欺みたいな「無駄な会社」潰してからほざけ。経済が停滞するって?その原因を積み重ねてきた連中が文句を言うとか全く意味不明だ。自分たちが犯してきた罪すら分からないという…。

白銀の巻 第五帖

人間に自由はないのであるぞ。真の自由は、大神にのみあるものぞ。
大神の自由の一部が御喜びと共に流れ入り、神に流れ入った自由は、
また神の喜びとなって人間に流れ入るから、
人間自身は自由を持っていると信じるのであるぞ。本質的には自由はないのであるぞ。
人間には自由の影があり、反影あるのだ。それを人間は自由と心得ているのであるぞ。
自由の反影あるから、悪にも善にも、陽にも陰にも為し得るのであるぞ。
また進歩、弥栄するのであるぞ。
悪自由を、人間は自由と心得ているが、それは自由ではなく、自分自身を首くくるものぞ。
善自由こそ真の自由であるぞ。自由は神から流れ出ると申してあろう。
他の世界と交流するは、他の世界に住む人間を通じてするのであるぞ。
世界とは人間のことでもあるぞ。人間が世界であるぞ。よく心得なされよ。
+(陽)と-(陰)と◯とゝであるぞ。+の陰には-があり、-の陰には+がある。
その和の状態が◯でありゝ(いのち)するのであるぞ。
+は+のみでは力ないぞ。-は-だけでは力ないぞ。+と-とだけでも動きないぞ。
生命の喜びないのであるぞ。よく心得よ。
◯があって+-があり、+-がありゝがあって和があるのであるぞ。
ここの道理よく得心、合点せよ。+は人間にとって直接の喜びでない。
⊕が直々の喜びぞ。-も直接ではなく、⊖Φが直接の喜びであり、
その二つが和しゝして嬉し嬉しと弥栄えるのであるぞ。
天地の中間を中界と申すぞ。天の息吹きと地の息吹きの中間ぞ。
天国へ行くも、行かんのも まず落ちつく、死後の始めての世界であるぞ。

昭和25年1月2日(1950年 皇紀2610年 庚寅)

筋が通っていれば、影は為さない。

第十六話で、干支は「殷」(紀元前17世紀頃 – 紀元前1046年)の時代には既に存在していたとの事ですが、判らないのは「12」という概念の発明についてです。「10」は指が「10」本なので、数えるのに都合が良い。一方で「12」については、如何なる根拠があって「12進数」を導き出したのか?というのが判らなかったのです、私が。

【豆知識】時計の頂点は何故『12』なの?どうして右回りなの?

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古代バビロニアの人々は太陽が地平線に出始めてから、完全に姿を現すまでの約2分間を基本単位と定めました。
その約2分間が720回で太陽が完全に沈む、つまり一昼夜が経過することに気づいたのです。
そこから当時のあらゆる学問を駆使し、年と日は12進法(1月~12月、1日から約30日)、時間は60進法で定めました。
※1年=365日=3153万6000秒(60秒×60分×24時間×365日)

つまり見た目の太陽の移動量が、我々で言う所の「2分間」で、それを720回かけ合わせてみたら、翌日太陽が昇って来た、と。「ストーン・サークル」が巨大な日時計だというなら、この人達には「地球が丸い」というのも分かっていたんだろうな、きっと。

バビロニア数学

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六十進法

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紀元前3000年から紀元前2000年の頃から、シュメールおよびその後を継いだバビロニアでは、六十進法が用いられた。シュメール人が六十進法を用いた理由は分かっていない。楔形文字には 1 から 59 に対応する数字があった。これは十進法を補助的に用い、横の楔 (𒌋) が 10 を、小さな縦の楔 (𒐕)が 1 を表す。当初は 0 を表す記号はなく空白で表したが、紀元前2世紀頃から空白を表す記号を用いるようになった(単に空白を表すものであり、0 という数を表す数字ではなかった)。

「楔形文字には 1 から 59 に対応する数字があった」?偶然の一致…?

バビロニア

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/バビロニア

シュメールとアッカドと言う二つの土地(シュメールとアッカドの地)からなると伝統的に認識されていた地域は、カッシート朝(バビロン第3王朝、前15世紀頃-前1155年)の時代にはカルドゥニアシュ(Karduniaš)と言う名称の下で政治的統一体として認識されるようになった。

ホント、前1200年というヤツは…。概ねこの時代を境に「ヒッタイト」が持っていた「製鉄」技術と共に、「シュメール・バビロニア」の学問が「東方」に流出した、と考える事も出来ますが。シルクロードの確立は紀元前114年頃の漢王朝による中央アジア平定以降との事ですが、ハプログループの東方への移動時期を考えるなら、それ以前からのハズです。だって古代中国の国家を建設した人達は「西」と「北」の両方から来たのでしょうから。東の海から上陸した人々は少数にとどまったであろう事は、古代中国の東側に対する知識の少なさから見ても明らか。そして当時の日本の実情を知っていたなら、侵略されてもおかしく無かった。

紫金之巻 第六帖

白玉や 赤玉青玉 ささげまつりし。
今までは白馬と赤馬と黒馬とであったなれど、
岩戸がひらけたら、岩戸の中から黄(基)の馬が飛び出して来るぞ、
キが元ぞと申してあろうが、トドメの馬であるぞ、
黄金の馬であるぞ、救いの馬であるぞ、
このこと神界の秘密であったなれど 時来りて人民に伝えるのであるぞ、
今までは白馬に股がって救世主が現れたのであるが、
いよいよの救世主は黄金の馬、基(キ)の馬に乗って現れますのであるぞ。

昭和36年記述日不明(1961年 皇紀2621年 辛丑)

空の巻 第二帖

ひふみゆらゆらと一回二回三回唱えまつれよ、蘇えるぞ。
次に人は道真ん中にしてワとなり、皆の者 集まりてお互いに拝み、
中心にまつりまつり結構ぞ、節分からでよいぞ。
このお道の導きの親 尊べよ、
どんなことあっても上に立てねばならんぞ、順乱しては神の働きないと申してあろうがな。
直会には神の座 上に作らなならんのだぞ、神人共にと申してあろうがな、
まだわからんのか、順正しく礼儀正しく神にも人にも仕えまつれよ。
束ねの神は、束ねの人はあとからじゃ、あとから出るぞ。

昭和22年1月1日(1947年 皇紀2607年 丁亥)

夕べ、この神示思い出したので考えていたのですけど、2038年「戊午」午年うまどしですよね…。いや、思いつきなんで、今んとこ年表に入れはしないですけど(単なる思い付きでこんなスペース割くんかい)。第十一話では空の巻 第二帖ご紹介しましたが、「黄金の馬、基(キ)の馬に乗って」現れる救世主というのは、「束ねの神は、束ねの人はあとからじゃ」の事でしょうか?

元号西暦干支※1※2※3※4関係する神示出来事
大正10年1921年辛酉三十帖/一帖マコトのことはトリの年日本・米国・英国・フランス、四か国条約、バーデン=バーデンの密約
大正11年1922年壬戌一帖/三十帖〇/十ソビエト連邦成立。コミンテルン日本支部・日本共産党創立。国際連盟がイギリスのパレスチナ支配を正式に承認。
大正12年1923年癸亥二帖/二十九帖一/九関東大震災、排日移民法(ジョンソン=リード法)
大正13年1924年甲子三帖/二十八帖二/八皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)と良子女王(後の香淳皇后)が結婚
大正14年1925年乙丑四帖/二十七帖三/七日ソ基本条約締結
大正15年
昭和元年
1926年丙寅五帖/二十六帖四/六大正天皇崩御、摂政皇太子裕仁親王が践祚
昭和2年1927年丁卯六帖/二十五帖五/五大正天皇大喪、南京事件
昭和3年1928年戊辰七帖/二十四帖六/四昭和天皇の即位の礼挙行、コミンテルン1928年テーゼ
昭和4年1929年己巳八帖/二十三帖七/三スターリンの独裁体制が確立、四・一六事件
昭和5年1930年庚午九帖/二十二帖八/二共産党員全国一斉検挙開始
昭和6年1931年辛未十帖/二十一帖九/一三月事件、柳条湖事件→満洲事変、十月事件(錦旗革命事件)、コミンテルン指令1931年
昭和7年1932年壬申十一帖/二十帖十/〇第一次上海事変、五・一五事件、司法官赤化事件
昭和8年1933年癸酉十二帖/十九帖マコトのことはトリの年、十二年遅れているのを取り戻すのであるから皇太子明仁親王誕生、フランクリン・ルーズベルトが米大統領に就任
昭和9年1934年甲戌十三帖/十八帖〇/十陸軍省が国防の本義と其強化の提唱を配布、陸軍士官学校事件
昭和10年1935年乙亥十四帖/十七帖一/九永田鉄山暗殺事件(相沢事件)
昭和11年1936年丙子当歳十五帖/十六帖二/八ニ・ニ六事件、西安事件
昭和12年1937年丁丑二歳十六帖/十五帖三/七日中戦争、コミンテルン指令1937年、隔離演説
昭和13年1938年戊寅三歳十七帖/十四帖四/六国際連盟加盟国の対日経済制裁
昭和14年1939年己卯四歳十八帖/十三帖五/五日米通商航海条約破棄通告
昭和15年1940年庚辰五歳十九帖/十二帖六/四仏印進駐、日独伊三国同盟、世界最終戦論
昭和16年1941年辛巳六歳二十帖/十一帖七/三ゾルゲ事件、大東亜戦争開戦
昭和17年1942年壬午七歳二十一帖/十帖八/二ミッドウェー海戦
昭和18年1943年癸未八歳二十二帖/九帖九/一イタリア降伏、連合国へ寝返り
昭和19年1944年甲申九歳二十三帖/八帖十/〇九歳は神界の紀の年昭和東南海地震
昭和20年1945年乙酉十歳二十四帖/七帖旧九月八日とどめぞ大東亜戦争終戦
昭和21年1946年丙戌ひ/け二十五帖/六帖〇/十01 ア/ヲこれで一の御用は済みたぞ新日本建設に関する詔書
昭和22年1947年丁亥ふ/れ二十六帖/五帖一/九02 イ/ヱ神の仕組一切り、言答明けたる今日ぞ日本国憲法施行
昭和23年1948年戊子み/ほ二十七帖/四帖二/八03 ウ/ウ子の歳真ん中にして前後十年が正念場極東国際軍事裁判判決
昭和24年1949年己丑よ/ゑ二十八帖/三帖三/七04 エ/ヰ昭和24年台風第9号、湯川秀樹、ノーベル物理学賞受賞
昭和25年1950年庚寅い/せ二十九帖/二帖四/六05 オ/ワ昭和25年台風第28号、朝鮮戦争
昭和26年1951年辛卯む/あ三十帖/一帖五/五06 ㋳/ロ旧日米安保条約
昭和27年1952年壬辰な/す+一帖六/四07 ㋑/レサンフランシスコ平和条約発効
昭和28年1953年癸巳や/ま+二帖七/三08 ㋴/ル昭和28年西日本水害、アイゼンハワー「平和のための原子力」演説
昭和29年1954年甲午こ/の+三帖八/二09 ㋓/リ第五福竜丸がビキニ環礁においてアメリカの水爆実験によって被爆、第一回ビルダーバーグ会議
昭和30年1955年乙未と/て+四帖九/一10 ㋵/ラ55年体制確立
昭和31年1956年丙申も/へ+五帖十/〇11 ㋻/ヨ日ソ共同宣言
昭和32年1957年丁酉ち/り+六帖12 ㋼/エマコトのことはトリの年東海村原子炉JRR-1臨界
昭和33年1958年戊戌る/さ+七帖〇/十13 ㋽/ユ欧州経済共同体設立
昭和34年1959年己亥ら/に+八帖一/九14 ㋾/イ伊勢湾台風、ハワイがアメリカ50番目の州となる
昭和35年1960年庚子ね/え+九帖二/八15 カ/ヤ60年安保条約、所得倍増計画
昭和36年1961年辛丑し/お+十帖三/七16 キ/モ十年遅れると申してあるがアイゼンハワー退任演説
昭和37年1962年壬寅き/う四/六17 ク/メ東京都が世界初の常住人口1000万人突破
昭和38年1963年癸卯る/か五/五18 ケ/ムケネディー大統領暗殺事件
昭和39年1964年甲辰ゆ/め六/四19 コ/ミベトナム戦争、1964年東京オリンピック
昭和40年1965年乙巳ゐ/く七/三20 サ/マ国際連合安全保障理事会非常任理事国に当選
昭和41年1966年丙午つ/は八/二21 シ/ホ総人口一億人突破
昭和42年1967年丁未わ/た九/一22 ス/ヘブリュッセル条約
昭和43年1968年戊申ぬ/を十/〇23 セ/フイタイイタイ病公害病認定、カネミ油脂事件
昭和44年1969年己酉そ/そ24 ソ/ヒマコトのことはトリの年日本のGNPが西ドイツを抜き世界第2位に
昭和45年1970年庚戌を/ぬ〇/十25 タ/ハ核拡散防止条約、よど号ハイジャック事件
昭和46年1971年辛亥た/わ一/九26 チ/ノ世界経済フォーラム設立、ダボス会議
昭和47年1972年壬子は/つ二/八27 ツ/ネ沖縄返還、台湾日本との国交断絶
昭和48年1973年癸丑く/ゐ三/七28 テ/ヌ第1次オイルショック
昭和49年1974年甲寅め/ゆ四/六29 ト/ニウォーターゲート事件
昭和50年1975年乙卯か/る五/五30 ナ/ナベトナム戦争終結
昭和51年1976年丙辰う/き六/四31 ニ/トロッキード事件、ベレンコ中尉亡命事件
昭和52年1977年丁巳お/し七/三32 ヌ/テ横田めぐみさん拉致事件
昭和53年1978年戊午え/ね八/二33 ネ/ツ第2次オイルショック、日中平和友好条約
昭和54年1979年己未に/ら九/一34 ノ/チスリーマイル島原発事故
昭和55年1980年庚申さ/る十/〇35 ハ/タ1980年モスクワオリンピックボイコット
昭和56年1981年辛酉り/ち三十帖/一帖36 ヒ/ソマコトのことはトリの年敦賀発電所放射能漏れ事故、レーガノミクス
昭和57年1982年壬戌へ/も一帖/三十帖〇/十37 フ/セ第8回先進国首脳会議
昭和58年1983年癸亥て/と二帖/二十九帖一/九38 ヘ/ス戸塚ヨットスクール事件
昭和59年1984年甲子の/こ三帖/二十八帖二/八39 ホ/シグリコ森永事件
昭和60年1985年乙丑ま/や四帖/二十七帖三/七40 マ/サプラザ合意・日本航空123便墜落事故
昭和61年1986年丙寅す/な五帖/二十六帖四/六41 ミ/コ三井物産マニラ支店長誘拐事件
昭和62年1987年丁卯あ/む六帖/二十五帖五/五42 ム/ケルーブル合意、国鉄分割民営化
昭和63年1988年戊辰せ/い七帖/二十四帖六/四43 メ/クソ連がペレストロイカ開始
昭和64年
平成元年
1989年己巳ゑ/よ八帖/二十三帖七/三44 モ/キ昭和天皇崩御、平成天皇即位、消費税導入
平成2年1990年庚午ほ/み九帖/二十二帖八/二45 ヤ/カ湾岸戦争
平成3年1991年辛未れ/ふ十帖/二十一帖九/一46 イ/㋾バブル崩壊、ソ連崩壊
平成4年1992年壬申け/ひ十一帖/二十帖十/〇47 ユ/㋽バブル景気「公式」終結、就職氷河期元年、アジェンダ21
平成5年1993年癸酉い/ん十二帖/十九帖48 エ/㋼マコトのことはトリの年55年体制崩壊
平成6年1994年甲戌ろ/す十三帖/十八帖〇/十49 ヨ/㋻天明九十六才七ヶ月、ひらく、四十九、天明 神示書かす御役ぞ松本サリン事件
平成7年1995年乙亥は/せ十四帖/十七帖一/九50 ラ/㋵阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件
平成8年1996年丙子に/も十五帖/十六帖二/八51 リ/㋓薬害エイズ事件民事和解成立
平成9年1997年丁丑ほ/ひ十六帖/十五帖三/七52 ル/㋴消費税増税、日本銀行法全面改正案可決成立
平成10年1998年戊寅へ/ゑ十七帖/十四帖四/六53 レ/㋑完全失業率4.1%、Google設立
平成11年1999年己卯と/し十八帖/十三帖五/五54 ロ/㋳東海村JCO臨界事故、労働者派遣法規制緩和
平成12年2000年庚辰ち/み十九帖/十二帖六/四55 ワ/オミレニアム開発目標(MDGs)
平成13年2001年辛巳り/め二十帖/十一帖七/三56 ヰ/エ第1次小泉内閣、アメリカ同時多発テロ事件
平成14年2002年壬午ぬ/ゆ二十一帖/十帖八/二57 ウ/ウ持続可能な開発に関する世界首脳会議
平成15年2003年癸未る/き二十二帖/九帖九/一58 ヱ/イ第二次湾岸戦争、SARS-CoV-1発生
平成16年2004年甲申を/さ二十三帖/八帖十/〇59 ヲ/ア製造業務への労働者派遣解禁
平成17年2005年乙酉わ/あ二十四帖/七帖マコトのことはトリの年地球温暖化防止条約京都議定書発効、郵政解散
平成18年2006年丙戌か/て二十五帖/六帖〇/十第1次安倍内閣、ライブドア事件
平成19年2007年丁亥よ/え二十六帖/五帖一/九安倍晋三首相辞任、郵政民営化
平成20年2008年戊子た/こ二十七帖/四帖二/八リーマン・ショック、世界同時株安
平成21年2009年己丑れ/ふ二十八帖/三帖三/七鳩山内閣、欧州連合リスボン条約発効
平成22年2010年庚寅そ/け二十九帖/二帖四/六尖閣諸島中国漁船衝突事件
平成23年2011年辛卯つ/ま三十帖/一帖五/五東日本大震災、福島第一原子力発電所事故
平成24年2012年壬辰ね/や一帖/三十帖六/四持続可能な開発に関する国連会議(リオ+20)、第2次安倍内閣
平成25年2013年癸巳な/く二帖/二十九帖七/三日本の竹島領有権を主張する動画を公開
平成26年2014年甲午ら/お三帖/二十八帖八/二日ロ首脳会談、クリミア危機
平成27年2015年乙未む/の四帖/二十七帖九/一持続可能な開発のための2030アジェンダ、持続可能な開発目標(SDGs)
平成28年2016年丙申う/ゐ五帖/二十六帖十/〇COP21パリ協定
平成29年2017年丁酉ゐ/う六帖/二十五帖マコトのことはトリの年ドナルド・トランプ米大統領就任
平成30年2018年戊戌の/む七帖/二十四帖〇/十築地市場営業終了
平成31年
令和元年
2019年己亥お/ら八帖/二十三帖一/九令和天皇即位、イベント201、SARS-CoV-2発生
令和2年2020年庚子く/な九帖/二十二帖二/八世界経済フォーラム第50回年次総会(グレートリセット)、改正新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく初の緊急事態宣言を発令
令和3年2021年辛丑や/ね十帖/二十一帖三/七延期されていた2020年東京オリンピック・パラリンピックを開催、ジョー・バイデン米大統領就任
令和4年2022年壬寅ま/つ十一帖/二十帖四/六ロシアがウクライナ侵攻、安倍晋三銃撃事件
令和5年2023年癸卯け/そ十二帖/十九帖五/五イスラエルがハマスを言い訳にしてガザ地区のパレスチナ人を大量虐殺開始、自由民主党5派閥における政治資金パーティー収入裏金問題
令和6年2024年甲辰ふ/れ十三帖/十八帖六/四令和6年能登半島地震、羽田空港地上衝突事故
2025年乙巳こ/た十四帖/十七帖七/三
2026年丙午え/よ十五帖/十六帖八/二
2027年丁未て/か十六帖/十五帖九/一
2028年戊申あ/わ十七帖/十四帖十/〇
2029年己酉さ/を十八帖/十三帖マコトのことはトリの年
2030年庚戌き/る十九帖/十二帖〇/十
2031年辛亥ゆ/ぬ二十帖/十一帖一/九
2032年壬子め/り二十一帖/十帖二/八
2033年癸丑み/ち二十二帖/九帖三/七
2034年甲寅し/と二十三帖/八帖四/六
2035年乙卯ゑ/へ二十四帖/七帖五/五宵の明星が東へ廻っていたら、いよいよだぞ2035年9月2日皆既月食、太陽の左下に金星
2036年丙辰ひ/ほ二十五帖/六帖六/四
2037年丁巳も/に二十六帖/五帖七/三
2038年戊午せ/は二十七帖/四帖八/二
2039年己未す/ろ二十八帖/三帖九/一
2040年庚申ん/い二十九帖/二帖十/〇
2041年辛酉三十帖/一帖マコトのことはトリの年、↓大いなるタメシ?
2042年壬戌
2043年癸亥
2044年甲子
※1 :元は十と四十七と四十八
※2 :三十年一切ぞ :建て替えが十年延びた
※3 :宮/富士(〇九十):(一二三/春マケ):(三四五/夏マケ)
:(五六七/秋マケ):(七八九/冬マケ):(八九十/ハルマゲドン)
※4 :元の人三人、その下に七人、その下に七七、四十九人、合して五十九
※注 一柱一年と思いますが、実際は翌年に被ると思います。

岩戸、こんなタイミングでひらくの?…「八」なら「端からひらく」とされているので、「きっかけ」になるのだと思うのですが。個人的には「千引きの岩戸」がオーラスだと考えているので、素盞鳴命にすべての罪を着せた岩戸は既にひらいており、今現在からすると、次にひらくのはおそらく天照大神の岩戸であり、ここで更に「多くの問題の根幹」が表面化するでしょう。もしかして素盞鳴命の岩戸ひらきって、ネット?

以上の三つの岩戸閉めって所謂「三千年」よりも前だと思うのですが、第十六話で、天明氏の大正日日新聞社時代に複数の神霊から「神武天皇東征の人間の認識は間違っており、「約3000年前」(大正9年/1920年/皇紀2580年当時)、西方からやって来た」と述べられたと書きました。一方神示では「御自ら人皇を名乗り給うより他に道なきまでの御働きをなされた」としています。この「西方から」という地域と、神霊の発言と神示の印象とのギャップについては宿題にさせてください。この西方とされる地域、そう遠くはないはずです。

神武東征

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/神武東征

古事記

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/古事記

日本書紀

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/日本書紀

太安万侶

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/太安万侶

太安万侶は、和銅5年(712年)1月に『古事記』を当時の元明天皇に献上した後、養老4年(720年)に完成した『日本書紀』の編纂にも加わったとされる、とあります。ほぼ同時期の歴史書でありながら何でここまで記述が異なるのか?日本書紀については、編纂のリーダーこそ舎人親王だったものの、実際の責任者は藤原不比等と見られ、藤原家の正当性を確保する為に歴史改竄されたと思えるフシがあります。

藤原不比等

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/藤原不比等

不比等の父親は、壬申の乱で有名な中臣鎌足(異説有)であり、中大兄皇子(天智天皇)の腹心として蘇我入鹿を暗殺、入鹿の父の蘇我蝦夷を自殺に追いやる事で蘇我氏を中央政権から排除する事に成功しました。後に中臣鎌足は、天智天皇から「藤原」の姓を賜ったのですが、不比等にしてみれば、藤原氏は氏として成立したばかりで、正当性を確保する事もあったのでしょう、天武7、8年頃(678年頃)に蘇我連子の娘である蘇我娼子を嫡妻として迎えております。ここまででも不比等のあざとさが窺えますが、以降は「藤原」の政敵が高い官位につけないよう「法」まで捻じ曲げていくのです。後に斎部広成が「古語拾遺」を著して苦情を述べているように、忌部氏(斎部氏)が朝廷の祭祀から排除されてしまう程でした。強硬な廃仏派とされる物部守屋を蘇我氏が滅ぼし、中臣(藤原)鎌足が蘇我氏を滅ぼし、その子、藤原不比等が残る勢力を蹂躙した、これら一連が「仏魔来りて岩戸閉める」の本質だと思うのです。

古語拾遺

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/古語拾遺

元々、斎部氏(忌部氏)は朝廷の祭祀を司る氏族だった。しかし大化の改新以降、同様に祭祀を司っていた中臣氏が政治的な力を持ち、祭祀についても役職は中臣氏だけが就いているという状況だった。本書は斎部氏の正統性を回復するために著されたものである、とする説。

「藤原氏の正体」(関裕二氏/著・新潮文庫)を読んで、本話の解釈に多大な気付きを頂きました。この神示を通して見ると納得できるところがあります。