第八話「日の出の巻 第七帖」

オロシヤに上がって降りた極悪の悪神、いよいよ神の国に攻め寄せて来るぞ。
北に気をつけと、北がいよいよギリギリだと申して執念気つけてあったこと近くなったぞ。
神に縁深い者には、深いだけに見せしめあるのだぞ。
国々もその通りだぞ、神には依帖無いのだぞ。
ロシアの悪神の御活動と申すものは神々様にも
これは到底かなわないと思うように激しき御力ぞ。
臣民というものは神の言葉はわからんから
悪神のことに御とつけるのはわからんと申すであろうが、
御とは力一杯のこと、精一杯のことを申すのであるぞ。
どこから攻めて来ても神の国には悪神にはわからん仕組み致してあるから、心配ないのだぞ、
いよいよと成った時には神が誠の神力出して、
天地揺すぶってトコトン降参だと申すところまでギュウギュウと締めつけて、
万劫末代 言うこと聞きますと改心するところまで揺すぶるから、
神の国、神の臣民心配するでないぞ、心大きく御用してくれよ、
どこにいても御用している臣民助けてやるぞ。

昭和19年12月6日(1944年 皇紀2604年 甲申)

「おそロシア」って言ってもプーチン大統領の話ではないのです。

スターリンを教えてくれたク〇タくん元気してる?

いや、そっちでも無くて…。ヨセフ・スターリンの話、否、スターリンでさえ利用されていた節があるしな…、ってあれこれ考え続けた結果、以下の年表と化しました。

元号西暦干支日本史世界史
寛政13年
享和元年
1801年辛酉国後航路の発見。択捉島開拓。アレクサンドル1世、父パーヴェル1世を暗殺後、ロシア皇帝に即位。リュネヴィル講和条約。トーマス・ジェファーソンが第3代アメリカ合衆国大統領に就任。
享和2年1802年壬戌徳川幕府が蝦夷奉行を置く。グレートブリテン及びアイルランド連合王国(イギリス)とフランス第一共和政との間で講和条約締結。アメリカ合衆国陸軍士官学校開校。ナポレオン一世が終身大統領となる。
享和3年1803年癸亥アメリカ船、長崎に来航し通商を要求。イギリス帝国がタスマニアに植民を開始、インド・デリーを占領。
享和4年
文化元年
1804年甲子ロシア帝国外交官ニコライ・レザノフが長崎の出島に来航。オーストリア大公国等ハプスブルク家の領土を以てオーストリア帝国が成立、神聖ローマ皇帝フランツ2世が初代オーストリア皇帝として即位。ナポレオン一世がフランス皇帝に就任。
文化2年1805年乙丑ナポレオン戦争。トリポリ戦争。
文化3年1806年丙寅ニコライ・レザノフの部下フヴォストフが樺太に上陸、松前藩の番所などを襲撃。神聖ローマ帝国、終焉。プロイセンがフランスに宣戦布告。ナポレオン軍がベルリンに入城。
文化4年1807年丁卯徳川幕府が全蝦夷地を直轄化、箱館奉行を廃止、松前奉行を置く。イギリス議会で奴隷貿易廃止法が可決。イギリス軍がデンマークのコペンハーゲン市街地を無差別砲撃、民間人を虐殺する。
文化5年1808年戊辰間宮林蔵、樺太を探検。イベリア半島戦争。アメリカ、奴隷貿易を禁止。
文化6年1809年己巳エクアドルがスペインからの独立を宣言。
文化7年1810年庚午コロンビアがスペインからの独立を宣言。
文化8年1811年辛未ゴローニンが国後島に上陸し、松前に監禁される。パラグアイがスペインから独立。
文化9年1812年壬申露土戦争 : ブカレスト条約 (1812年)調印により終結。米国が英国に宣戦布告。
文化10年1813年癸酉ナポレオン戦争: ライプツィヒの戦い。
文化11年1814年甲戌ナポレオンが捕えられる。ルイ18世、即位。
文化12年1815年乙亥杉田玄白が蘭学事始を完成。伊能忠敬の第9次測量実施。ウィーン議定書。
文化13年1816年丙子アルゼンチンが スペインから独立を宣言。英使節アマーストが清に来航。
文化14年1817年丁丑ニューヨーク証券取引所が発足する。
文化15年
文政元年
1818年戊寅チリがスペインから独立。アーヘン会議開催。
文政2年1819年己卯「文政近江地震」が発生。スペイン領フロリダの米国への譲渡が決定。
文政3年1820年庚辰米国でミズーリ協定成立。スペイン立憲革命。ナポリ革命。露国探検隊が南極大陸を発見。
文政4年1821年辛巳伊能忠敬らによる『大日本沿海輿地全図』が完成。ペルー、メキシコ、パナマ、グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、コスタリカがスペインから独立。ギリシャ独立戦争。
文政5年1822年壬午ギリシャ第一共和政が発足。ブラジルがポルトガルから独立。
文政6年1823年癸未
文政7年1824年甲申大津浜事件。宝島においてイギリス船が上陸、住民と武士との間に銃撃戦。第一次イギリス・ビルマ戦争勃発。
文政8年1825年乙酉文政の異国船打払令。ボリビアがスペインから独立。ジャワ戦争。
文政9年1826年丙戌
文政10年1827年丁亥イギリス、小笠原諸島の領有宣言。ナヴァリノの海戦。
文政11年1828年戊子シーボルト台風。越後三条大地震。
文政12年1829年己丑文政の大火。
文政13年1830年庚寅徳島藩沖合にイギリスの黒船が出没。インディアン強制移住法成立。フランス7月革命。ベルギー独立革命。ポーランド・ワルシャワで11月蜂起。
文政14年
天保元年
天保2年
1831年辛卯(注・文政13年11月18日~12月9日、天保元年12月10日~2年11月29日)
天保3年1832年壬辰ロシア帝国がポーランド立憲王国を併合。アメリカ合衆国で、ブラック・ホーク戦争始まる。パリで六月暴動が起きる。
天保3年閏
天保4年
1833年癸巳庄内沖地震発生。イギリス軍、フォークランド諸島を再占領。
天保5年1834年甲午フランス、アルジェリア併合。イギリス、東インド会社中国貿易独占権廃止。
天保6年1835年乙未ハレー彗星の近日点通過日。
天保7年1836年丙申テキサス独立戦争: アラモの戦い。
天保8年1837年丁酉大塩平八郎の乱。モリソン号事件。徳川家慶が征夷大将軍に就任。
天保9年1838年戊戌イギリス軍がアフガニスタンに宣戦布告(第一次アフガン戦争)。イギリス全土で選挙法改正運動(チャーチスト運動)。フランス、メキシコに宣戦。
天保10年1839年己亥蛮社の獄。第2次エジプト・トルコ戦争。
天保11年1840年庚子アヘン戦争。
天保12年1841年辛丑
天保13年1842年壬寅江戸幕府が異国船打払令を廃止、薪水給与令復活。清国とイギリスの間で南京条約が締結されアヘン戦争終結。
天保14年1843年癸卯
天保15年1844年甲辰(注・旧1月1日より寛政暦から天保暦に改暦)オランダ国王、幕府に書簡で開国を勧告。フランス軍艦、那覇に来航。アメリカ合衆国・清の間で望厦条約締結。フランス・清の間で黄埔条約締結。
弘化元年
弘化2年
1845年乙巳
弘化3年1846年丙午米国軍艦2隻が浦賀水道に来航し通商を打診、浦賀奉行が通商拒否・退去通告。米墨戦争。
弘化4年1847年丁未善光寺地震。フランスがベトナム侵略開始。国際秘密結社「共産主義者同盟 」結成。
弘化5年
嘉永元年
1848年戊申(注・~嘉永元年2月28日)マルクスとエンゲルス「共産党宣言」発表。ヨーロッパ各地で1848年革命。第二次シク戦争。ハンガリー独立宣言。
嘉永2年1849年己酉米国軍艦プレブル号長崎来航。英国軍艦マリナー号、江戸湾測量。イギリスによるインドの植民地化が完了。
嘉永3年1850年庚戌別段風説書で幕府がアメリカ艦隊の来日を知る。リーマン・ブラザーズ創立。イギリス海峡で初の海底ケーブル敷設。
嘉永3年
嘉永4年
1851年辛亥(注・嘉永3年11月29日~嘉永4年12月9日)後の皇帝ナポレオン3世のクーデター。
嘉永4年
嘉永5年
1852年壬子(注・嘉永4年12月10日~嘉永5年11月21日)露船メンチコフ号、下田来航。大英博物館完成。
嘉永5年
嘉永6年
1853年癸丑(注・嘉永5年11月22日~嘉永6年12月2日)ペリーら浦賀へ来航(黒船来航)。オスマン帝国がロシアに宣戦布告(クリミア戦争)。
嘉永6年
嘉永7年
1854年甲寅(注・嘉永6年12月3日~嘉永7年11月12日)日米和親条約。日英和親条約締結。イギリス、フランスがロシアに宣戦布告(クリミア戦争)
嘉永7年
安政元年
安政2年
1855年乙卯(注・嘉永7年11月13日~嘉永7年11月26日、安政元年11月27日~安政2年11月23日)日露和親条約調印。
安政2年
安政3年
1856年丙辰(注・安政2年11月24日~安政3年12月5日)下田に米国領事館設置。日蘭和親条約。パリ条約締結により、クリミア戦争終結。清でアロー号事件が起こる。
安政3年
安政4年
1857年丁巳(注・安政3年12月6日~安政4年11月16日)モルモン教徒とアメリカ陸軍によるユタ戦争。
安政4年
安政5年
1858年戊午(注・安政4年11月17日~安政5年11月27日)日米修好通商条約調印。安政の大獄。アロー戦争: 天津条約締結。
安政5年
安政6年
1859年己未(注・安政5年11月28日~安政6年12月8日)安政の大獄: 吉田松陰が斬首刑。第二次イタリア独立戦争。
安政6年
安政7年
万延元年
1860年庚申(注・安政6年12月9日~安政7年3月17日、万延元年3月18日~万延元年11月20日)桜田門外の変。咸臨丸、太平洋横断航行。エイブラハム・リンカーンがアメリカ合衆国大統領に当選。
万延元年
万延2年
文久元年
1861年辛酉(注・万延元年11月21日~万延2年2月18日、文久元年2月19日~文久元年12月1日)。日普修好通商条約調印。米南北戦争。
文久元年
文久2年
1862年壬戌(注・文久元年12月2日~文久2年11月11日)。幕府が派遣する第1回留学生が長崎を出帆。寺田屋事件。生麦事件。ロンドンのフリーメーソン会館で労働者国際集会開催。ダコタ戦争。
文久2年
文久3年
1863年癸亥(注・文久2年11月12日~文久3年11月21日)。薩英戦争。
文久3年
文久4年
元治元年
1864年甲子(注・文久3年11月22日~文久4年2月19日、元治元年2月20日~元治元年12月3日)。禁門の変。第一次長州征討。池田屋事件。下関戦争。「国際労働者協会」第一インターナショナル結成。
元治元年
元治2年
慶応元年
1865年乙丑(注・元治元年12月4日~元治2年4月6日、慶応元年4月7日~慶応元年11月14日)
慶応元年
慶応2年
1866年丙寅(注・慶応元年11月15日~慶応2年11月25日)。第二次長州征討。薩長同盟。『資本論』第1巻刊行。普墺戦争。
慶応2年
慶応3年
1867年丁卯(注・慶応2年11月26日~慶応3年12月6日)。大政奉還。近江屋事件。
慶応3年
慶応4年
明治元年
1868年戊辰(注・慶応3年12月7日~慶応4年1月1日、明治元年1月1日~11月18日)。王政復古の大号令。戊辰戦争。
明治元年
明治2年
1869年己巳(注・明治元年11月19日~明治2年11月29日)。箱館戦争。
明治2年
明治3年
1870年庚午(注・明治2年11月30日~明治3年11月10日)普仏戦争。
明治3年
明治4年
1871年辛未(注・明治3年11月11日~明治4年11月20日)。廃藩置県。プロレタリア独裁政府パリ・コミューン樹立。
明治4年
明治5年
1872年壬申(注・明治4年11月21日~明治5年12月2日)。富岡製糸場操業開始。
明治6年1873年癸酉日本の改暦ノ布告(明治5年旧12月3日を明治6年1月1日とする)。明治六年政変。日清修好条規発効。米国で恐慌(1873年恐慌)。
明治7年1874年甲戌台湾出兵。
明治8年1875年乙亥江華島事件。
明治9年1876年丙子廃刀令。日朝修好条規調印。セルビアとモンテネグロはオスマン帝国に対し、宣戦を布告、ブルガリア人の四月蜂起。
明治10年1877年丁丑西南戦争。露土戦争。
明治11年1878年戊寅竹橋事件。露土戦争がサン・ステファノ条約締結により講和。第二次アフガン戦争。
明治12年1879年己卯大阪で朝日新聞社創立。英国がズールー王国に侵攻。
明治13年1880年庚辰第一次ボーア戦争( – 1881年)。
明治14年1881年辛巳秋田事件。ロシア帝国・清間でイリ条約締結。ロシア帝国でエリザヴェトグラードからポグロムが始まる。マフディーの反乱。
明治15年1882年壬午軍人勅諭発布。岐阜事件。福島事件。「ホバベイ・ジオン」や「ビールー」組織的なユダヤ移民の第一波がパレスチナに到着。
明治16年1883年癸未日本鉄道開業(上野・熊谷間)。
明治17年1884年甲申秩父事件。群馬事件。加波山事件。飯田事件。安房事件。夷隅事件。清仏戦争。
明治18年1885年乙酉脱亜論。伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任。ルイ・パスツール開発の狂犬病ワクチンが初めて人体に接種。
明治19年1886年丙戌メートル条約加入。ビルマが英領インドに併合。インディアン戦争: ジェロニモが降伏。アフリカ分割: 英領東アフリカと独領東アフリカの境界を協定。
明治20年1887年丁亥米上院が海軍の真珠湾使用を承認(ハワイ王国からの獲得は11月)。
明治21年1888年戊子東京朝日新聞創刊。
明治22年1889年己丑第二インターナショナル結成。ウラジーミル・レーニン、『共産党宣言』をロシア語に翻訳。
明治23年1890年庚寅エルトゥールル号遭難事件。米国でウンデット・ニーの虐殺。
明治24年1891年辛卯卒業式で君が代が歌われる。ユダヤ人がモスクワから追放される。シベリア鉄道起工。
明治25年1892年壬辰伝染病研究所設立。東京湾北部でM6.2クラスの地震発生。出口なおに艮の金神帰神。フリードリヒ・エンゲルスが第二インターナショナルの名誉会長に選出される。「シオンを愛する人々」ピンスケル、パレスチナに最初のユダヤ人コロニー成立。
明治26年1893年癸巳アメリカ海兵隊がイオラニ宮殿を包囲、ハワイ革命、ハワイ王国滅亡。米国で金融恐慌(1893年恐慌)。パークナム事件。
明治27年1894年甲午明治東京地震。日英通商航海条約調印(領事裁判権撤廃)。日本海軍初の聯合艦隊。
日本軍が朝鮮王宮を占領。日清戦争。
ハワイが共和国を宣言。第一次エチオピア戦争。「ドレフュス事件」発生。
明治28年1895年乙未日清講和条約(下関条約)調印。フランス、ドイツ帝国、ロシア帝国、三国干渉。レーニン、労働者階級解放闘争同盟結成。
明治29年1896年丙申明治三陸地震。陸羽地震。テオドール・ヘルツルが『ユダヤ人国家』を出版。政治的シオニズム運動の始まり。
明治30年1897年丁酉足尾鉱毒被害者800名が上京して請願運動。労働組合期成会結成。「第1回シオニスト会議」開催、「バーゼル綱領」採択(1903年に「シオン賢者の議定書」として発覚)。
明治31年1898年戊戌西・ローゼン協定。片山潜、横山源之助らが貧民研究会を結成。ハワイ共和国、米国に併合。米西戦争。米軍がグアム島、プエルトリコに侵攻(翌日占領)。露清条約。フランスが広州湾を清より租借。英国が九龍半島、威海衛を清から租借。ロシア社会民主労働党結成。
明治32年1899年己亥布引丸事件。米比戦争。コロンビアで千日戦争勃発。
明治33年1900年庚子川俣事件。社会主義協会発足。馬蹄銀事件。義和団の乱。
明治34年1901年辛丑社会民主党設立(即日禁止)。国家主義団体・黒龍会創立。日英同盟交渉開始。「ユダヤ国民基金」パレスチナの土地を買い求め、ユダヤ人移民に貸与、その土地をパレスチナ人には貸与禁止。米セオドア・ルーズベルト大統領就任、棍棒外交を示唆。ロシアでエスエル(社会革命党)結成。
明治35年1902年壬寅第1次日英同盟調印・発効。
明治36年1903年癸卯龍岩浦事件。七博士建白事件。
明治37年1904年甲辰日露戦争。ジェイコブ・シフ、日本に2億ドルの融資
明治38年1905年乙巳ポーツマス条約。ロシア第一革命・血の日曜日事件。ユダヤ移民の第二波、主にロシアより到着。
明治39年1906年丙午日本社会党結成。
明治40年1907年丁未日仏協約調印。ボリシェヴィキがチフリスで現金輸送車を襲撃。英露協商。
明治41年1908年戊申シベリアでツングースカ大爆発.
明治42年1909年己酉ユダヤ人最初の町「テルアビブ」が創設。
明治43年1910年庚戌幸徳事件、南北朝正閏問題。
明治44年1911年辛亥明治天皇が最終的に南朝を正統に決定したため、政府は皇統譜令(旧皇統譜令)第41条を定めて、北朝の天皇は皇統譜から除外された。辛亥革命。イタリア・トルコ戦争。
明治45年
大正元年
1912年壬子(注・明治45年1月1日~7月30日、大正元年7月30日~12月31日)、明治天皇崩御、皇太子嘉仁親王践祚(第123代天皇、大正天皇)。上杉慎吉が天皇主権説を発表。美濃部達吉が天皇機関説を発表。清の滅亡、孫文が南京で中華民国の成立を宣言。第一次バルカン戦争勃発。
大正2年1913年癸丑
大正3年1914年甲寅大日本帝国がドイツに宣戦布告する(第一次世界大戦)。サラエボ事件、第一次世界大戦。
大正4年1915年乙卯大英帝国がトルコ支配下のアラブ人に「アラブ国家樹立」を約束、一方で戦後の中東をフランスとロシアで山分けするための秘密条約(サイクス・ピコ条約)に調印。イギリス情報部員ローレンスの指導下に「アラブの反乱」が起きる。
大正5年1916年丙辰
大正6年1917年丁巳日本艦隊の欧州派遣を閣議決定。ロシア二月革命。十月革命。ジェイコブ・シフがレーニン、トロツキーに対してそれぞれ2,000万ドルの資金を提供、「ソビエト政権」が樹立、大英帝国がユダヤ人大富豪家のライオネル・ロスチャイルド卿に「ユダヤ国家樹立」を約束する書簡(バルフォア宣言)。イギリス軍、エルサレムに入城、パレスチナ支配終結。
大正7年1918年戊午日本が英米仏軍と共にシベリア出兵をすることを宣言。アラブ人の反英・反ユダヤ闘争開始。ソビエト政権が戦時共産主義を採用。ドイツ革命、ドイツが共和国を宣言。
大正8年1919年己未関東軍司令部条例公布(関東軍設置)。ウラジーミル・レーニン、国際共産主義組織「コミンテルン」設立。ドイツ労働者党結成。
大正9年1920年庚申大日本帝国、国際連盟へ正式加入。日本社会主義同盟結成。国際連盟設立。
元号西暦干支※1※2※3※4関係する神示出来事
大正10年1921年辛酉三十帖/一帖マコトのことはトリの年日本・米国・英国・フランス、四か国条約、バーデン=バーデンの密約
大正11年1922年壬戌一帖/三十帖〇/十ソビエト連邦成立。コミンテルン日本支部・日本共産党創立。国際連盟がイギリスのパレスチナ支配を正式に承認。
大正12年1923年癸亥二帖/二十九帖一/九関東大震災、排日移民法(ジョンソン=リード法)
大正13年1924年甲子三帖/二十八帖二/八皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)と良子女王(後の香淳皇后)が結婚
大正14年1925年乙丑四帖/二十七帖三/七日ソ基本条約締結
大正15年
昭和元年
1926年丙寅五帖/二十六帖四/六大正天皇崩御、摂政皇太子裕仁親王が践祚
昭和2年1927年丁卯六帖/二十五帖五/五大正天皇大喪、南京事件
昭和3年1928年戊辰七帖/二十四帖六/四昭和天皇の即位の礼挙行、コミンテルン1928年テーゼ
昭和4年1929年己巳八帖/二十三帖七/三スターリンの独裁体制が確立、四・一六事件
昭和5年1930年庚午九帖/二十二帖八/二共産党員全国一斉検挙開始
昭和6年1931年辛未十帖/二十一帖九/一三月事件、柳条湖事件→満洲事変、十月事件(錦旗革命事件)、コミンテルン指令1931年
昭和7年1932年壬申十一帖/二十帖十/〇第一次上海事変、五・一五事件、司法官赤化事件
昭和8年1933年癸酉十二帖/十九帖マコトのことはトリの年、十二年遅れているのを取り戻すのであるから皇太子明仁親王誕生、フランクリン・ルーズベルトが米大統領に就任
昭和9年1934年甲戌十三帖/十八帖〇/十陸軍省が国防の本義と其強化の提唱を配布、陸軍士官学校事件
昭和10年1935年乙亥十四帖/十七帖一/九永田鉄山暗殺事件(相沢事件)
昭和11年1936年丙子当歳十五帖/十六帖二/八ニ・ニ六事件、西安事件
昭和12年1937年丁丑二歳十六帖/十五帖三/七日中戦争、コミンテルン指令1937年、隔離演説
昭和13年1938年戊寅三歳十七帖/十四帖四/六国際連盟加盟国の対日経済制裁
昭和14年1939年己卯四歳十八帖/十三帖五/五日米通商航海条約破棄通告
昭和15年1940年庚辰五歳十九帖/十二帖六/四仏印進駐、日独伊三国同盟、世界最終戦論
昭和16年1941年辛巳六歳二十帖/十一帖七/三ゾルゲ事件、大東亜戦争開戦
昭和17年1942年壬午七歳二十一帖/十帖八/二ミッドウェー海戦
昭和18年1943年癸未八歳二十二帖/九帖九/一イタリア降伏、連合国へ寝返り
昭和19年1944年甲申九歳二十三帖/八帖十/〇九歳は神界の紀の年昭和東南海地震
昭和20年1945年乙酉十歳二十四帖/七帖旧九月八日とどめぞ大東亜戦争終戦
昭和21年1946年丙戌ひ/け二十五帖/六帖〇/十01 ア/ヲこれで一の御用は済みたぞ新日本建設に関する詔書
昭和22年1947年丁亥ふ/れ二十六帖/五帖一/九02 イ/ヱ神の仕組一切り、言答明けたる今日ぞ日本国憲法施行
昭和23年1948年戊子み/ほ二十七帖/四帖二/八03 ウ/ウ極東国際軍事裁判判決
昭和24年1949年己丑よ/ゑ二十八帖/三帖三/七04 エ/ヰ湯川秀樹、ノーベル物理学賞受賞
昭和25年1950年庚寅い/せ二十九帖/二帖四/六05 オ/ワ朝鮮戦争
昭和26年1951年辛卯む/あ三十帖/一帖五/五06 ㋳/ロ旧日米安保条約
昭和27年1952年壬辰な/す+一帖六/四07 ㋑/レサンフランシスコ平和条約発効
昭和28年1953年癸巳や/ま+二帖七/三08 ㋴/ルアイゼンハワー「平和のための原子力」演説
昭和29年1954年甲午こ/の+三帖八/二09 ㋓/リ第一回ビルダーバーグ会議
昭和30年1955年乙未と/て+四帖九/一10 ㋵/ラ55年体制確立
昭和31年1956年丙申も/へ+五帖十/〇11 ㋻/ヨ日ソ共同宣言
昭和32年1957年丁酉ち/り+六帖12 ㋼/エマコトのことはトリの年東海村原子炉JRR-1臨界
昭和33年1958年戊戌る/さ+七帖〇/十13 ㋽/ユ欧州経済共同体設立
昭和34年1959年己亥ら/に+八帖一/九14 ㋾/イハワイがアメリカ50番目の州となる
昭和35年1960年庚子ね/え+九帖二/八15 カ/ヤ60年安保条約、所得倍増計画
昭和36年1961年辛丑し/お+十帖三/七16 キ/モ十年遅れると申してあるがアイゼンハワー退任演説
昭和37年1962年壬寅き/う四/六17 ク/メ東京都が世界初の常住人口1000万人突破
昭和38年1963年癸卯る/か五/五18 ケ/ムケネディー大統領暗殺事件
昭和39年1964年甲辰ゆ/め六/四19 コ/ミベトナム戦争、1964年東京オリンピック
昭和40年1965年乙巳ゐ/く七/三20 サ/マ国際連合安全保障理事会非常任理事国に当選
昭和41年1966年丙午つ/は八/二21 シ/ホ総人口一億人突破
昭和42年1967年丁未わ/た九/一22 ス/ヘブリュッセル条約
昭和43年1968年戊申ぬ/を十/〇23 セ/フイタイイタイ病公害病認定、カネミ油脂事件
昭和44年1969年己酉そ/そ24 ソ/ヒマコトのことはトリの年日本のGNPが西ドイツを抜き世界第2位に
昭和45年1970年庚戌を/ぬ〇/十25 タ/ハ核拡散防止条約、よど号ハイジャック事件
昭和46年1971年辛亥た/わ一/九26 チ/ノ世界経済フォーラム設立、ダボス会議
昭和47年1972年壬子は/つ二/八27 ツ/ネ沖縄返還、台湾日本との国交断絶
昭和48年1973年癸丑く/ゐ三/七28 テ/ヌ第1次オイルショック
昭和49年1974年甲寅め/ゆ四/六29 ト/ニウォーターゲート事件
昭和50年1975年乙卯か/る五/五30 ナ/ナベトナム戦争終結
昭和51年1976年丙辰う/き六/四31 ニ/トロッキード事件、ベレンコ中尉亡命事件
昭和52年1977年丁巳お/し七/三32 ヌ/テ横田めぐみさん拉致事件
昭和53年1978年戊午え/ね八/二33 ネ/ツ第2次オイルショック、日中平和友好条約
昭和54年1979年己未に/ら九/一34 ノ/チスリーマイル島原発事故
昭和55年1980年庚申さ/る十/〇35 ハ/タ1980年モスクワオリンピックボイコット
昭和56年1981年辛酉り/ち三十帖/一帖36 ヒ/ソマコトのことはトリの年敦賀発電所放射能漏れ事故、レーガノミクス
昭和57年1982年壬戌へ/も一帖/三十帖〇/十37 フ/セ第8回先進国首脳会議
昭和58年1983年癸亥て/と二帖/二十九帖一/九38 ヘ/ス戸塚ヨットスクール事件
昭和59年1984年甲子の/こ三帖/二十八帖二/八39 ホ/シグリコ森永事件
昭和60年1985年乙丑ま/や四帖/二十七帖三/七40 マ/サプラザ合意・日本航空123便墜落事故
昭和61年1986年丙寅す/な五帖/二十六帖四/六41 ミ/コ三井物産マニラ支店長誘拐事件
昭和62年1987年丁卯あ/む六帖/二十五帖五/五42 ム/ケルーブル合意、国鉄分割民営化
昭和63年1988年戊辰せ/い七帖/二十四帖六/四43 メ/クソ連がペレストロイカ開始
昭和64年
平成元年
1989年己巳ゑ/よ八帖/二十三帖七/三44 モ/キ昭和天皇崩御、平成天皇即位、消費税導入
平成2年1990年庚午ほ/み九帖/二十二帖八/二45 ヤ/カ湾岸戦争
平成3年1991年辛未れ/ふ十帖/二十一帖九/一46 イ/㋾バブル崩壊、ソ連崩壊
平成4年1992年壬申け/ひ十一帖/二十帖十/〇47 ユ/㋽バブル景気「公式」終結、就職氷河期元年、アジェンダ21
平成5年1993年癸酉い/ん十二帖/十九帖48 エ/㋼マコトのことはトリの年55年体制崩壊
平成6年1994年甲戌ろ/す十三帖/十八帖〇/十49 ヨ/㋻天明九十六才七ヶ月、ひらく、四十九、天明 神示書かす御役ぞ松本サリン事件
平成7年1995年乙亥は/せ十四帖/十七帖一/九50 ラ/㋵阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件
平成8年1996年丙子に/も十五帖/十六帖二/八51 リ/㋓薬害エイズ事件民事和解成立
平成9年1997年丁丑ほ/ひ十六帖/十五帖三/七52 ル/㋴消費税増税、日本銀行法全面改正案可決成立
平成10年1998年戊寅へ/ゑ十七帖/十四帖四/六53 レ/㋑完全失業率4.1%、Google設立
平成11年1999年己卯と/し十八帖/十三帖五/五54 ロ/㋳東海村JCO臨界事故、労働者派遣法規制緩和
平成12年2000年庚辰ち/み十九帖/十二帖六/四55 ワ/オミレニアム開発目標(MDGs)
平成13年2001年辛巳り/め二十帖/十一帖七/三56 ヰ/エ第1次小泉内閣、アメリカ同時多発テロ事件
平成14年2002年壬午ぬ/ゆ二十一帖/十帖八/二57 ウ/ウ持続可能な開発に関する世界首脳会議
平成15年2003年癸未る/き二十二帖/九帖九/一58 ヱ/イ第二次湾岸戦争、SARS-CoV-1発生
平成16年2004年甲申を/さ二十三帖/八帖十/〇59 ヲ/ア製造業務への労働者派遣解禁
平成17年2005年乙酉わ/あ二十四帖/七帖マコトのことはトリの年地球温暖化防止条約京都議定書発効、郵政解散
平成18年2006年丙戌か/て二十五帖/六帖〇/十第1次安倍内閣、ライブドア事件
平成19年2007年丁亥よ/え二十六帖/五帖一/九安倍晋三首相辞任、郵政民営化
平成20年2008年戊子た/こ二十七帖/四帖二/八リーマン・ショック、世界同時株安
平成21年2009年己丑れ/ふ二十八帖/三帖三/七鳩山内閣、欧州連合リスボン条約発効
平成22年2010年庚寅そ/け二十九帖/二帖四/六尖閣諸島中国漁船衝突事件
平成23年2011年辛卯つ/ま三十帖/一帖五/五東日本大震災、福島第一原子力発電所事故
平成24年2012年壬辰ね/や一帖/三十帖六/四持続可能な開発に関する国連会議(リオ+20)、第2次安倍内閣
平成25年2013年癸巳な/く二帖/二十九帖七/三日本の竹島領有権を主張する動画を公開
平成26年2014年甲午ら/お三帖/二十八帖八/二日ロ首脳会談、クリミア危機
平成27年2015年乙未む/の四帖/二十七帖九/一持続可能な開発のための2030アジェンダ、持続可能な開発目標(SDGs)
平成28年2016年丙申う/ゐ五帖/二十六帖十/〇COP21パリ協定
平成29年2017年丁酉ゐ/う六帖/二十五帖マコトのことはトリの年ドナルド・トランプ米大統領就任
平成30年2018年戊戌の/む七帖/二十四帖〇/十築地市場営業終了
平成31年
令和元年
2019年己亥お/ら八帖/二十三帖一/九令和天皇即位、イベント201、SARS-CoV-2発生
令和2年2020年庚子く/な九帖/二十二帖二/八世界経済フォーラム第50回年次総会(グレートリセット)、改正新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく初の緊急事態宣言を発令
令和3年2021年辛丑や/ね十帖/二十一帖三/七延期されていた2020年東京オリンピック・パラリンピックを開催、ジョー・バイデン米大統領就任
令和4年2022年壬寅ま/つ十一帖/二十帖四/六ロシアがウクライナ侵攻、安倍晋三銃撃事件
令和5年2023年癸卯け/そ十二帖/十九帖五/五イスラエルがハマスを言い訳にしてガザ地区のパレスチナ人を大量虐殺開始、自由民主党5派閥における政治資金パーティー収入裏金問題
令和6年2024年甲辰ふ/れ十三帖/十八帖六/四令和6年能登半島地震、羽田空港地上衝突事故
2025年乙巳こ/た十四帖/十七帖七/三
2026年丙午え/よ十五帖/十六帖八/二
2027年丁未て/か十六帖/十五帖九/一
2028年戊申あ/わ十七帖/十四帖十/〇
2029年己酉さ/を十八帖/十三帖マコトのことはトリの年
2030年庚戌き/る十九帖/十二帖〇/十
2031年辛亥ゆ/ぬ二十帖/十一帖一/九
2032年壬子め/り二十一帖/十帖二/八
2033年癸丑み/ち二十二帖/九帖三/七
2034年甲寅し/と二十三帖/八帖四/六
2035年乙卯ゑ/へ二十四帖/七帖五/五宵の明星が東へ廻っていたら、いよいよだぞ2035年9月2日皆既月食、太陽の左下に金星
2036年丙辰ひ/ほ二十五帖/六帖六/四
2037年丁巳も/に二十六帖/五帖七/三
2038年戊午せ/は二十七帖/四帖八/二
2039年己未す/ろ二十八帖/三帖九/一
2040年庚申ん/い二十九帖/二帖十/〇
2041年辛酉三十帖/一帖マコトのことはトリの年、↓大いなるタメシ?
2042年壬戌
2043年癸亥
2044年甲子
※1 :元は十と四十七と四十八
※2 :三十年一切ぞ :建て替えが十年延びた
※3 :宮/富士(〇九十):(一二三/春マケ):(三四五/夏マケ)
:(五六七/秋マケ):(七八九/冬マケ):(八九十/ハルマゲドン)
※4 :元の人三人、その下に七人、その下に七七、四十九人、合して五十九
※注 一柱一年と思いますが、実際は翌年に被ると思います。

磐戸の巻 第二十帖

戦いつも勝ちとばかりとは限らんぞ、春負けとなるぞ、
いざとなれば昔からの生き神様 総出で御働きなさるから、
神の国の神の道は大丈夫であるなれど、日本臣民 大丈夫とは申されんぞ、
その心の通りになること忘れるなよ、早うミタマ磨いてくれよ、
もう少し戦進むと、これはどうしたことか、
こんなはずではなかったなぁと、どちらの臣民も見当取れん、
どうすることもできんことになると知らせてあろうが、
そうなってからでは遅いからそれまでに、この神示読んで、
その時にはどうするかということわかっておらんと仕組み成就せんぞ。
役員の大切な役目だぞ、
我の思い捨ててしまって
早うこの神示、穴のあくほど裏の裏まで肚に入れておいてくれよ、
この神示の終わりに、神強く頼むぞよ。

昭和20年1月13日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

キの巻 第二帖

神示読めば何もかもわかるようになっていることわからぬか、
尾張の御用 御苦労であったぞ、
奥の奥のこと仕組み通りになっている、臣民心配するでないぞ、
一の宮は桜咲くところへ作れよ、わかったか、天之日津久神奉賛会でよいぞ、
大神津見の神と申しても祀りくれよ、
祭典、国民服の左の胸に八(や)たれの垂二本つけて 絹の垂つけて当分奉仕してよいぞ。
道場は一の宮と一つ所でよいぞ。
イイヨリ(飯依~四国、讃岐の国)の御用 タニハ(丹波~京都)の御用御苦労であったぞ。
皆の者いよいよだぞ、今から弱音では何もできんぞ、
春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケ、ハルマゲドンと申してあろうが、
いよいよだぞ、褌しめよ、グレンだぞ。

昭和20年2月26日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

キの巻 第六帖

道場開き結構であったぞ、皆の者 御苦労ぞ、
知らせてあるように道開いて下されよ、天と地と合わせ鏡ぞ、
一人でしてはならんぞ。

桜咲くところ、桜と共に花咲くぞ、
夏マケ、秋マケとなったら冬マケで泣きあげてはならんぞ、
戦済んでからがいよいよの戦ぞ、
褌締めよ、役員も一度は青なるのだぞ、土潜るのだぞ、
九、十、気つけてくれよ。神示よく読めよ、
肝腎のことわかってはおらんぞ、一のことぞ。一ゝゝゝ三(ひふみだぞ)。

昭和20年3月11日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

何故240年間分も作ったのかと言えば、日月神示が降りる以前の明治25年(1892年)には大本の開祖であった出口なお女史に「お筆先」が降りていましたし、その時点で既にお叱りされるような状況に成り果てていたのだといえます。だったらその原因までは辿り着かないとダメかな、と思いまして。私自身そんな偉そうな事を言えるタマでは無いのですが、書いておかなきゃダメだろうと思って書いときました。後、上の年表の補足をしておきます。昭和20年1月の「戦いつも勝ちとばかりとは限らんぞ、春負けとなるぞ」とは「大東亜戦争」敗戦で間違いないでしょう。その後の昭和22年(1947年)8月15日に言答(岩戸)が明けておりますし(海の巻 第五帖)。

夏マケが「天明九十六才七ヶ月、ひらく」(黄金の巻 第十五帖)だと考えてます。これはきっと皆さんも予想されている事でしょう、バブル崩壊だと思います。年表の注釈に「七八九」とか「〇九十」書いてあるのは、仕組みごとの時代区分です。「五六七」は有名なんですけどね。「七八九」に言及しているのは↓だけかと。

天つ巻 第十帖

一二三の裏に◯一二、三四五の裏に二三四、五六七の裏に四五六の御用あるぞ。
五六七済んだら七八九ぞ、七八九の裏には六七八あるぞ、八九十の御用もあるぞ。
段々に知らせるから、これまでの神示よく心に入れて、ジッとして置いてくれよ

昭和19年9月3日(1944年 皇紀2604年 甲申)

秋の巻 第一帖

同じ神の子でも本家と分家あるぞ。本家は人間じゃ。分家は動植物じゃ。
本家と分家は神の前では同じであるが、位置を代えると同じでないぞ。
三十年で世の建て替え致すぞ。
これからは一日増しに世界から出て来るから、いかに強情な人民でも往生致すぞ。
神は喜びであるから、人の心から悪を取り除かねば神に通じないぞと教えているが、
それは段階の低い教えであるぞ。大道でないぞ。理屈の作り出した神であるぞ。
大神は大歓喜であるから悪をも抱き参らせているのであるぞ。
抱き参らす人の心に、マコトの不動の天国くるぞ。
抱き参らせば悪は悪ならずと申してあろうが。今までの教えは今までの教え。

昭和27年4月11日(1952年 皇紀2612年 壬辰)

海の巻 第二帖

権小道師から上は神の帖面につくのであるぞ、参道は仮ぞ。
合わせて四十九かへミタマ六参道仮だからそのつもり結構ぞ。
一帖、三十帖、二帖、二十九帖というふうに読み直して下されよ、
三十帖一切として上下まぜまぜにして上下ひっくり返して読み直してくれよ。
火の守護から水の守護に変わっておるのであるから、
水の蔭には火、火の蔭には水ぞ、このこと忘れるなよ、この中には化け物いるのだぞ、
化け物に化かされんように おかげ落とさんように致して下されよ、
神くどう気つけおくぞ。

昭和22年8月14日(1947年 皇紀2607年 丁亥)

わかりづらかったのが「三十年で世の建て替え致すぞ」です。昭和56年(1981年)以降の60年間、御用が四つも入ってしまっているので、30年づつ並べたのですが、「建て替えが遅れている」という記述がある事、「十年」と「十二年」という二通りあるのをどう解釈するか?

祭りの巻 第二十一帖

建て替えが十年延びたと知らしてあろうが、
建て替え遅くなりて、それから建て直しに掛かりたのでは人民丸潰れとなるから、
建て直し早うかかるからと聞かせてあろうが、人民には中々わからんなれど、
世界の動き良く見て御用結構ぞ。
世の建て替えは水の守護、火の守護と知らせてあること忘れずに神示読めよ、
所々の氏神様は日本の内で御用なさるのじゃ。
どんな集団も神示が元じゃ、神示で開かなならんぞ、
智や学も要るなれど、智や学では開けんぞ、誠で開いて下されよ

昭和21年8月30日(1946年 皇紀2606年 丙戌)

春の巻 第五十五帖

十二年遅れているのを取り戻すのであるから、これからは目の回るほど急しくなって来るぞ。
神示読む暇もなくなると申してある時来たぞ。
いずれは人民減るなれど、何も約束ごと真理とはかえられん。
まこと求めるならば、これと見届けたならば、その場で御用与える仕組み。

昭和27年2月15日(1952年 皇紀2612年 壬辰)

よく読むとこの両者は意味合いが違うと思ってまして、元々この一連の仕組みはマコト、辛酉である大正10年(1921年)の辛酉から始めたかったと思うのです。確かにその年は第一次大本事件という重大案件が起きたのは事実ですが、遅れた結果が辛酉の年というのはやっぱり違うなと。私は、かの時代における「大本」の存在とその影響自体が御用であり、仕組みだったと考えております。それは天明氏周辺に軍部の人物が存在する事からも明らかです。即ち、「はじめ言答いわど(岩戸)」を明ける御用を可能にするための御用こそが「大本」。そして天明氏が大本に出会ったのも決して偶然ではない、と思います。と考えると「十二年」の方は、仕組みの開始が「辛酉」に間に合わず、昭和8年(1933年)の「癸酉」にずれ込んだ事を示していると思います。そこははじめの御用」の始まりに一致します。対して「十年」の方は、建て替え全三十年から十年プラスされて計四十年になったのか、十年遅れて開始されただけなのかは判断つきません。従ってこのような暫定的な年表となっております、ご了承くださいませ。その30年の数え方が「~帖」です。これが裏表ある故の記述でしょう。今のところ年表についてはこの辺で。

大本神諭 年月日不明

至仁至愛の神の御出ましに御成なさる時節が参りて大国常立尊が出口の手で書き知らして置いた世が迫りて来たから、世界中の人民が改心を致さねば、この世では最う一寸も先へは行けず、後へ戻ることも出来んぞよ。
この世の来ることを明治二十五年から今につづいて知してをるのにチットモ聞入れが無いが、国同士の人の殺し合いといふやうな斯んな約らん事はないぞよ。
一人の人民でも神からは大切であるのに屈強ざかりの人民が皆無くなりて老人や小児ばかり残して前後を構はずのやりかたであるぞよ。こんな大きな天地の罪を犯してまだ人の国まで取らうと致してをるのは向先きの見えぬ悪魔の所作であるから、何の国が仲裁に出ても天地の大神の御許しのなき事にはいつまでも埒は明かぬぞよ。出かけた船であるから、どちらの船も後へ引く事もならず、進む事も出来ず、まことの仲裁もはいらず、つまらんことが出来るから、外国の守護神に長らくの間気が付けてありたぞよ。
あまり我が強いとしくじるぞよと何時も筆先で気が往けてあるぞよ。
何国にも負けん強い国で在ると思ふて我よしのやりかたで頑張ると為損ひが出来るからと申してくどう知らしてありたが今の有様は其通りではないか。これからは神代の世になるから今までの様に余り頑張ると我れの思ふやうには此の先は一寸も行かんぞよ。我の強い守護神ほど思はくは立ちはせんぞよ。
これまでの心を全然入れ替て了ふて天と地との元を創造た太元の神へお詫を致さねば、我の一力で行りて居ると思ふのが大間違であるぞよ。何事も皆神からの事であるから取り違いをいたすなよと先に気を往けてあろうがな。
我一力で仕て居ると思ふて居ることを霊魂の性来因縁だけの事を天地の神からさせられて居るのであると云ふ事が判然とわかる時代が回りて来たので在るから、これ迄の悪の守護神のやりかたも九分九厘まではトントン拍子に思ふやうに来たなれどモウ九分九厘で悪のみたまのやりかたは輪止りとなるのが今の事であるぞよ。今までは悪のみたまの覇の利く時節でありたぞよ。是が暗りの世でありたぞよ。
この先は学や智恵や仏では国は建たんぞよ。一日も早く往生いたさんと世界の物事が遅ておるから筆先でいつも同じ事を気を付けるぞよ。向ふの国の有様は筆先どうりになりて来てをるから日本の国の守護神に早く判らんと立替が十二年遅くなりてをるから、何かの事の実地が始まると、まだまだ世界には烈しき事が来るぞよと申して在るが一度申したことは違ゐはせんぞよ。世の元から神は能く判りておるので在るから向ふの国に彼れだけの事があるのに日本の人民は我さへ善けら国はどうなりても構はぬとは全然獣ものであるぞよ。神の直々の善き御魂を貰ふてをるからは末には神にも祭られる結構なものであり乍ら人は倒ようが仆れようが我さえ善けりゃ好いでは万物の長とは白されんぞよ。
世界は今が罪の借銭済であるから罪悪のひどい処ほどきびしき戒があるぞよと申して知してあるがこの世界は後にも前にも無いみせしめが出て来るぞよ。
用意をなされよ世の立替は新つの洗い替であるから、みろくの神の世に立返りて万古末代善一筋の世になる尊ひ事の初りであるから皆の人民の思ひが違ふてあるぞよ。あやべの大本は今では粗末なとこで在るなれど此の広い世界に外に亦とない大神の世の元の尊とひとこであるから全部判けて見せたならば余り大きな仕組であるから思ひが大違いで驚愕いたすぞよ。天地のビックリ箱が明くぞよと申してあるが此のビックリ箱が明いて手の掌をかやしたら何んな人でも驚愕いたして改心せずには居れん事になるが其処まで行かん中にチット判らんと約らん事があるぞよ。
この大本に日々かぶり付て居るものにチト早く判らんと何処からも是からは判る守護神が出て来るから、耻かしうなるぞよ。何事も、ちっと判りて居んと面目ない事が出来るぞよ。慢神と誤解が一番こわいぞよ。
たれに由らず慢神すると我の心が大変ゑらい様に思へて、人から見て居ると鼻が高うて見にくいぞよ。
腹の中に誠さえありたなれば何んな事でも出来るなれど上から見てよくても心の中に誠が無いと実地の誠が成就いたさんぞよ。

年月日不明とされていますが、明治25年と考えられています。大本神論としてまとめられた際、組み換えされていると思いますが。ちなみに、この時点で「立替が十二年遅くなりてをるから」と予告されています。注目すべきは「何の国が仲裁に出ても天地の大神の御許しのなき事にはいつまでも埒は明かぬぞよ」というくだり、実は日月神示にもあるのです。これはそのようなお叱りを受ける理由が同じですから仕方ありません。

地つ巻 第二十八帖

神の国には神のやり方、外国には外国のやり方あると申してあろうがな、
戦もその通りぞ、神の国は神の国のやり方しなければならんのだぞ、
外国のやり方真似ては外国強いのだぞ、戦するにも身魂磨き第一ぞ。
一度に始末することは易いなれど、
それでは神の国を一度は丸潰しにしなければならんから、待てるだけ待っているのだぞ、
仲裁する国はなく、出かけた船はどちらも後へ引けん苦しいことになって来るぞ、
神気つけるぞ。

昭和19年10月6日(1944年 皇紀2604年 甲申)

風の巻 第九帖

土地分け盗りばかりか、天まで分け盗って自分のものと、威張っているが、
人民の物一つもないのじゃ。大引き上げにならんうちに捧げた臣民 結構ぞ。
宮の跡はSとなるぞ。ナルトとなるぞ。
天の言答(一八十、岩戸)は開いてあるぞ。
地の言答(一八十、岩戸)、人民 開かなならんぞ、
人民の心次第でいつでも開けるのだぞ。
泥の海になると、人民思うところまで一時は落ち込むのじゃぞ、覚悟よいか。
神国には神国の宝、神国の臣民の手で、元の所へ納めなならんのだ。
タマなくなっていると申してあろうがな。
何事も時節到来しているのだぞ、真理(ふじ)晴れるばかりの御代となっているのじゃぞ。
人民 神に仕えて下さらんと神のまことの力出ないぞ、
持ちつ持たれつと申してあろうがな、
神まつらずに何事もできんぞ、まつらいでするのが我よしぞ、天狗の鼻だぞ。
まつらいでは真っ暗ぞ、真っ暗の道で、道開けんぞ。神は光ぞと申してあろうが、
てん詞様よくなれば、皆よくなるのだぞ。てん詞様よくならぬうちは、
誰によらん、よくなりはせんぞ、この位のことなぜにわからんのじゃ。
よくなったと見えたら、それは悪の守護となったのじゃ。
神かかりよくないぞ、やめて下されよ、迷う臣民できるぞ。
ほどほどにせよと申してあろうが。
皆々心の鏡掃除すれば、それぞれに神かかるのじゃ。
肉体心で知ることは皆粕ばかり、迷いの種ばかりじゃぞ、
この道理わかりたであろうがな、くどう申さすでないぞ。

昭和21年2月16日(1946年 皇紀2606年 丙戌)

昭和天皇曰く「満洲事件の張本人」石原莞爾は、東京裁判の出張法廷で「それなら、ペルリ(ペリー)をあの世から連れてきて、この法廷で裁けばよい。もともと日本は鎖国していて、朝鮮も満洲も不要であった。日本に略奪的な帝国主義を教えたのはアメリカ等の国だ」と開き直っています。石原だけじゃないでしょう。「日本の戦争目的は対共産主義」だったいう論調とか。ゾルゲ事件で国の意思決定にまで影響を及ぼし、日本の国家機密がコミンテルンに漏れていた事は明らかです。当時からコミンテルンは日本の軍の構造を明確に理解していた節があります。

日支闘争計画

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/日支闘争計画#レーニンの敗戦革命論

この辺読んでくと、日月神示も「反省革命論」と言ってよいかも、って思います。心理学的に。近衛文麿は「なにもかも自分の考えていたことと逆な結果になってしまった。ことここに到って静かに考えてみると、何者か眼に見えない力にあやつられていたような気がする」と述懐しております。だから神様は、天明氏を訪れた青年将兵一行が、近衛文麿を暗殺しようとしたのを止めさせたのか、と思います。それは敗戦させる事こそが目的だったから。尚、日支闘争計画のwikiのページに、当事者の一人である岸信介の言葉が載せられておりますが、それすらこの程度の認識でしかないのには唖然としました。

戦線から遠のくと、楽観主義が現実に取って代わる。
そして最高意思決定の段階では、現実なるものはしばしば存在しない。
戦争に負けているときは特にそうだ

昭和77年冬(2002年 皇紀2662年 壬午)特車二課第二小隊隊長・後藤喜一・談

日露戦争

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/日露戦争

戦争理由として、満州での勢力拡大により大韓帝国の保全が脅かされる事が日本の安全保障上・極東平和への脅威となったとされていますが、既に日清戦争の時点で「出かけた(仕掛けた)船(戦争)であるから、どちらの船(軍)も後へ引く事もならず、進む事も出来ず、まことの仲裁も」入るわけがないのは道理です。ちなみに、この状況を生みだした日清戦争に絡んでフランス、ドイツ帝国、ロシア帝国には「三国干渉」された挙句、下関条約で割譲を受けた遼東半島を清に返還する羽目になっています。

さて、日清戦争で戦費の3分の1が海外に流失、1億5,000万円の外貨調達が必要となり、帝政ロシアを敵視するアメリカのドイツ系ユダヤ人銀行家ジェイコブ・シフからは、500万ポンドの外債引き受けおよび追加融資を獲得しています。最終的に日露戦争の戦費総額は18億2,629万円とされております。日露戦争は日本海海戦においてバルチック艦隊を壊滅させ、樺太攻略作戦で全島占領するなど勝ちムードに見えますが、動員兵力が109万人、死傷者は27万人に及び、とても戦争の継続が出来るような状況に無く、実際日本はアメリカに講和を取り持ってくれるように依頼していました。即ち「K・OでもTKOでもなく、かろうじて判定勝ち」として逃げ切り。だから日本はその後もソ連に怯え続ける羽目になりました。だから後藤隊長のコメントを引用したのです。

日露講和会議は「ポーツマス条約」として知られています。ロシアは、満洲および朝鮮からは撤兵し日本に樺太の南部を割譲するものの、戦争賠償金には一切応じない、というロシア側の最低条件で締結しました。この結果に、戦時中の増税による耐乏生活を強いられてきた国民は日比谷焼打事件等の暴動を起こしました。ところで日本の国債を買い支えていた資本家に、鉄道王のエドワード・ヘンリー・ハリマンがいました。彼は見返りに、奉天以南の東清鉄道の日米共同経営を望んでいました。当時の総理大臣である桂太郎は、ポーツマス条約中にこのアイディアを承認し、「桂・ハリマン協定」として調印されましたが、モルガン商会から「より有利な条件を提示されていた」小村外相の反対によって破棄されました。

桂・ハリマン協定の破棄を知ったエドワード・ヘンリー・ハリマンは、「いまから十年のうちに日本は、米国との共同経営をしなかったことを悔いる時が来るであろう」と述べました。

「カリフォルニア州の政治家は、対日戦争を引き起こす不安材料になっている。ただちにそうした事態になるとは思わないが、将来については不安である。日本人は誇り高く、感受性も強い。戦争を恐れない性格で、日露戦争の勝利の栄光に酔っている。彼らは太平洋のパワーゲームに参加しようとしている。日本の危険性はわれわれが感じている以上に高いのかもしれない。だからこそ私はずっと海軍増強を訴えてきたのだ。……仮に戦争となり、我々の艦隊が旅順港のロシア艦隊のような運命をたどることになれば、日本は簡単に25万人規模の兵力を太平洋岸に上陸させることができる。そうなれば、それを駆逐するのに数年の歳月がかかり、それに加えて、とんでもないコストがかかるだろう。ジャップはロシアに勝ってから実に生意気だ。しかし、こちらが大艦隊を持ってさえいれば、奴らだってそう簡単には手出しはできない」

米第26代大統領セオドア ・ルーズベルト・ジュニア(ユージン・ホール上院議員に宛てた1906年10月27日付の私信)

尚、第32代大統領フランクリン・ルーズベルトは五従弟(12親等)、またフランクリンの妻エレノアは姪にあたるそうです。当時の第26代大統領セオドア ・ルーズベルトの意志が確実に受け継がれたのは、まず間違いありません。「戦争をしない」という選挙公約を翻すために(以下フランクリン)ルーズベルトは1937年(昭和12年)10月5日、有名な隔離演説を行い、名指しこそ避けたものの、これは1938年(昭和13年)9月30日、加盟国の個別の判断による規約第16条適用による国際連盟加盟国による対日経済制裁(後のABCD包囲網にも繋がる)、1939年日米通商航海条約破棄通告、1941年8月近衛首相との会談拒絶、11月「ハル・ノート」と、日本から戦争を仕掛けさせるような政策を次々と執りました。あと、対中国支援、「フライングタイガース」は有名ですね。

黄金の巻 第五十六帖

逆怨みでも怨みは怨み。理屈に合わんでも飛んだ目に会うぞ。
今までの教えでは立ちて行かん。生まれ替わらねば人も生きては行かれん。
平等愛とは、差別愛のことぞ。公平という声に騙されるなよ。
数で決めるなと申してあろうがな。群衆心理とは一時的の邪霊の憑きものぞ。
上から乱れるから下のしめしつかん。我よしのやり方では世は治まらん。

昭和24年12月7日(1949年 皇紀2609年 己丑)

この愚行は戦後復興という形で繰り返されます。「国民所得倍増計画」で知られる第58-60代内閣総理大臣の池田勇人は、国を発展させる手順を明確にしました。全国総合開発計画(全総)は、戦後日本の国土計画の原点とされ、その実績は、現在の日本の基礎を為したといっても過言ではありません。良くも悪くも。今日にまで至る地方からの人口流出や、大都市一極集中、第一次産業の衰退、食料自給率の著しい悪化、急激な開発、工業化に伴う公害、自然破壊等々、とりわけ日本の輸出大国化は、後の「日米貿易摩擦」に結びついたのは確実です。日本は敗戦国である立場を逆に利用して、所謂アメリカの「核の傘」の下でのうのうとアメリカを食い物にしてきた以上、「怨まれてもジャパン・バッシング」仕方がありません。

旧幕は野蛮で今日は文明だそうだ。(中略)山を掘ることは旧幕時代からやっていた事だが、旧幕時代は当時は手の先でチョイチョイやっていたんだ。海へ小便したって、海の水は小便にはなるまい。手の先でチョイチョイ掘っていれば毒は流れやしまい。今日は文明だそうだ。文明の大仕掛けで山を掘りながら、そのほかの仕掛けはこれに伴わぬ、それでは海に小便したとは違うがね。(1897年3月27日/毎日新聞記事)
旧幕は、野蛮だと言うなら、それで宜しい。伊藤(博文)さんや、陸奥(宗光)さんは、文明の骨頂だと言うじゃないか。文明というのは、よく理を考えて、民の害とならぬ事をするのではないか。それだから、文明流になさいと言うのだ。(巌本善治編『新訂海舟座談』(岩波文庫 1983 年)、176 頁)

鉱毒問題は、直ちに停止のほかない。今になってその処置法を講究するのは姑息だ。先ず正論によって撃ち破り、前政府の非を改め、その大綱を正し、しかして後にこそ、その処分法を講ずべきである。しからざれば、いかに善き処分法を立つるとも、人心快然たることなし。いつまでも鬱積して破裂せざれば、民心遂に離散すべし。既に今日のごとくならば、たとえ鉱毒のためならずとも、少しその水が這入っても、その毒のために不作となる
ように感ずるならん。そうしていかにして民心を安んぜんや。(同上)

勝海舟(文政6年/1823年1月30日~明治32年/1899年1月19日)

これは生前の勝海舟の「足尾銅山鉱毒問題」についてのコメントです。氏は「文明というのは、よく理を考えて、民の害とならぬ事をするのではないか。それだから、文明流になさい」と述べています。文明を否定していたわけではないのです。氏は日本海軍の基礎を作った人物の一人とされているにも拘らず、日清戦争には断固反対していました。しかしこれらの声は、利便や利益のみを求める人たちには届きませんでした。

風の巻 第五帖

我が名呼びておすがりすれば、万里先にいても言うこと聞いてやるぞ、
雨の神、風の神、岩の神、荒れの神、地震の神、と申してお願いすれば、
万里先にいても、この世の荒れ、地震逃れさせてやるぞ、
神々様に届く行で申せよ。
こんなよき世は今までになかりたのじゃ、膝元にいても言葉ばかりの願い聞こえんぞ、
口と心と行と三つそろった行い、マコトと申して知らせてあろうが。
時節来ているなれど、わからん人民多いゆえ物事遅くなりて気の毒なるぞ、
今しばらくの辛抱なるぞ、神は人民に手柄立てさせたいのじゃ、
許せるだけ許してよき世に致すのじゃ、ここまで開けたのも神が致したのじゃ、
今の文明無くせんと申してあろうが、文明残してカスだけ無に致すのじゃ、
取り違い慢心致すなよ。
日本の国いくら大切と申しても、世界中の臣民とは替えられんから、
国 引っ繰り返ること、まだまだあるかも知れんぞ、
国の軸 動くと知らせてあろうがな。
この神示 キのままであるから心なき人民には見せるでないぞ、
あまりきつくて毒になるから、役員 薄めて見せてやれよ、
一日も早く一人でも多く助けてやりたいのじゃ、
神まつり結構ぞ、神まつらいで いくら道説いても肚に入らんぞ、
肚に入らん道は悪の道となるのじゃ、頭ばかりで道歩めん道理わからんか、改心足らんぞ。

昭和21年2月16日(1946年 皇紀2606年 丙戌)

書けば書くほど「おロシア」から離れてしまい大変申し訳ありません。そんなロシア…ソ連も1991年12月25日当時のミハイル・ゴルバチョフはソ連大統領を辞任、翌日に最高会議も連邦解体を宣言、ソビエト連邦は崩壊しました。まるで「御用が終わったから」のように。だとすると「七八九」、「八九十」にあるのは…。

第七話「日の出の巻 第十二帖」

日に日に厳しくなって来ると申してあったこと 始まっているのであるぞ、
まだまだ激しくなって どうしたらよいかわからなくなり、あちらへうろうろ、こちらへうろうろ、
頼るところも着るものも住む家も食う物も無くなる世に迫って来るのだぞ。
それぞれにめぐりだけのことは せなならんのであるぞ、
早い改心はその日から持ちきれないほどの神徳与えて喜悦し喜悦しにしてやるぞ、
寂しくなったら訪ねてござれと申してあろうがな、洗濯次第でどんな神徳でもやるぞ、
神は御蔭やりたくてうずうずしているのだぞ。
今の世の様見ても まだわからんか。神と獣とに分けると申してあろうが、
早うこの神示読み聞かせて一人でも多く助けてくれよ。

昭和19年12月12日(1944年 皇紀2604年 甲申)

やっとGoogle様に検索インデックスされるようになりました。ブログさえ作ったらほっぽっといてもインデックスしてくれるなんて甘っちょろ杉ですか?(←このド素人、無知無能が( °Д°) 、ペッ)。記事も増えてきた事だし、そろそろ良いかと思ってこの度、「Googleサーチコンソール」にお願いしました。ただ、特にこのような話って初心者の中の人とかよくわからないと思うので(←お前108もだ)、詳細は「Googleサーチコンソール」でググっていただいた上、プロバイダーや先達の方々のページを御覧頂くのが最善かと思います。Googleのアカウントさえ持っていれば「速攻」です。

何の説明にもなっていないのですが(苦笑)、初心者はそのノウハウを知ってるハズもなく、書いておく注意喚起に越した事はないかな、と。それこそ正に「どうしたらよいかわからなくなり、あちらへうろうろ、こちらへうろうろ」と。私もその一人ですからね。

以前はあちこちの掲示板をうろうろしていました。生活時間帯の違いもあって、あるスレ見つけてコメントしても、すぐに埋もれてしまったりします。そしてテーマが決められていたりもします。やっぱり書きたい話を書きたいように書くならば、自分のブログを作るのが最適解です。あと、このブログはアフェリエイトはしてませんし、広告も載せてませんし、参考にした本の販売先に誘導もしていないので、その話はできません。批判しているわけではないです。単に私は日月神示で金儲けするつもりがないからというだけです。「このブログについて」としている「No Affiliate, SNS, Subscription.」の内、SNSを入れてるのは、単に私には向いてないと思っているからで、それほど深い意味じゃありません。実際、有意義に使われている方も大勢いらっしゃいますし。

下つ巻 第一帖

富士は晴れたり日本晴れ。
青垣山めぐれる下つ岩根に祀りてくれた、御苦労ぞ、いよいよ神も嬉しいぞ。
鳥居は要らぬぞ、鳥居とは水のことぞ、海の水ある それ鳥居ぞ。皆の者 御苦労ぞ。
邪が岳は昔から神が隠しておった大切の山だから、
人の登らぬようにして、竜神となって護ってくれた神々様にも御礼申すぞ。
富士は晴れたり日本晴れ。
いよいよ次の仕組みにかかるから、早う次の御用聞いてくれよ、神急けるぞ、
山晴れ、地晴れ、海晴れて、始めて天晴れるぞ。
天晴れて神の働き いよいよ烈しくなったら、臣民いよいよわからなくなるから、
早う神心になっておりて下されよ。
次々に書かせておくから、よく心に留めておいて下されよ。
この道は宗教ではないぞ、教会ではないぞ、道だから、今までの様な教会作らせんぞ。
道とは臣民に神が満ちることぞ、神の国の中に神が満ち満つることぞ。
金儲けさせんぞ、欲すてて下されよ。

昭和19年7月12日(1944年 皇紀2604年 甲申)

ただ、名前は挙げないけど、その内容にそぐわない広告が出てるサイトとかどうなの?って思います。アレ、文面見てると「キャッチ」考えている連中って同じように見える、余談ですが。金目当てというならいざ知らず、好きなこと書いて、同じように好きな人たちとつながった方が精神的に健全なのは明らかで、その方が幸せになれると思います。

では、本題。時に西暦1944年、って書くといかにもヤマトっぽいですが(そう書きたかっただけだろ?)、この神示は昭和19年12月12日の話ですが、今の話ではないよね、っていうとそうでもなさそうな気がします。最近のニュースの傾向として、あれが不足だ、不作だなんて話ばかり、たった十年前でもいいです、そんな話してましたか?(災害時は例外)近年の半導体の原料不足、レアアース、肥料や小麦粉の供給不安は知られていますが、私が認識している限り、ロシアのウクライナ侵攻よりも以前に「天然ガス不足」の話が出た時には極めて違和感を持ちました。ああ、また意図的な話なんだな、と。ガスが枯渇したとかなら分かる。でもそんなわけないのですから。

富士の巻 第七帖

何もかもてんし様のものでないか、それなのにこれは自分の家ぞ、
これは自分の土地ぞと申して自分勝手にしているのが神の気に入らんぞ、
一度は天地に引き上げと知らせてあったこと忘れてはならんぞ、
一本の草でも神のものぞ、野から生まれたもの、山から取れたもの、海の幸もみな神に供えてから
臣民いただけと申してあるわけも、それでわかるであろうがな。
この神示よく読みてさえおれば病気もなくなるぞ、
そう言えば今の臣民、そんな馬鹿あるかと申すが よく察して見よ、
必ず病も治るぞ、それは病人の心が綺麗になるからぞ、
洗濯せよ掃除せよと申せば、臣民何もわからんから慌てているが、
この神示読むことが洗濯や掃除の初めで終わりであるぞ、
神は無理は言わんぞ、神の道は無理してないぞ、よくこの神示読んでくれよ、
読めば読むほど身魂磨かれるぞ、と申しても仕事をよそにしてはならんぞ。
臣民と申す者は馬鹿正直だから、神示読めと申せば、神示ばかり読んだならよい様に思っているが、
裏も表もあるのぞ。役員よく知らせてやれよ。

昭和19年8月22日(1944年 皇紀2604年 甲申)

何もかも人類以前からあったものです。資源の私物化なんて何の資格もない話です。余談ですが、国家事業の民営化だって筋違いだ。旧国鉄、電電公社、郵便事業…そもそも誰の税金で作られたのか?水道の民営化だと?ふざけるのもいい加減にしろ。何のための基本的人権だ?手出ししちゃいけないところに算盤だ、効率だ、利便だ、で物考えるから今のザマなのです。かつて私たちの先祖は、何故日本の各地に分散して各々の地で栄えてきたのか?私たちは大切なことわりドブに捨てた結果、明確に日々何かを失いつつあります。これは明らかに弥栄に逆行しています。

だから私は日月神事を「理」「道標」として考えています。お参りにも行きますけどね。だけど日々の暮らしがあり、趣味があり、家族もいて(ネコだけど)…そこに生かせれば。何か上手い事言えるセンス無いな、私には。

ウチのネコたちのカリカリ、今高いんですよ。二、三年前から比べると、末端価格でプラス200円位(何の売人だよ)。普段私の食事代と「タメ」張るレベルに近づきつつあります。(メンタルしょぼ杉だろ)

第六話「空の巻 第一帖」

なる世、極まりて扶桑都ぞ、みち足り足りて、万世のはじめ、
息吹き、動き和し、弥栄え、展き、睦び、結ぶ、
扶桑の道 鳴りはじむ道、代々の道ひらき、
次に睦び、マコトの道にひかり極む、
新しき世、出で、みちつづき、極みに極まりなる大道、
ひらく世、弥栄神、かく、千木高く栄ゆ世に、世かわるぞ、
太神、大神、神出でまして、道弥栄極む、大道に神みち、極み、栄え、更に極む、
元津日の大神、元津月の大神、元津地の大神弥栄。

昭和22年1月1日(1947年 皇紀2607年 丁亥)

今を遡る事、十余年前「秒速5センチメートルトラウマをアイスピックでえぐるアニメ」に感化闇堕ちされた私は、事もあろうにわざわざ「夜の岩舟駅」に聖地巡礼しました。とは言いつつも

まぁ世の中には、わざわざ雪の日を選んで「夜の岩舟駅」に行ったお方お方もいらっしゃるらしいのですが、そんな私の二度目の「岩舟入り聖地巡礼」は、まだ「ハルナの御用」には考えが及ばず(反省)、あちこち三十四里を探しまくっていた頃の話です。「ハルナの御用」だと知っているのにも拘わらず記事にする?というのは、色々と面白い体験が出来たと思ったからなのです。それに「コタツ記事」ばっかりというのもイヤですし、「聖地巡礼」であるのは確かなので(どっちの?)。

この日、家を出て最初に見た車のナンバープレートが「2-23」で、次に見たのが「2-32」という…。以前も第四話と同様の内容で記事を書いて、今回ゼロから書き直しているのですが、当時その直後、かつ、その日に出かける目的を考えたら「扶桑之巻 第一帖」の「東は扶桑(二三)なり」と被る…。

実は最初の訪問地は、茨城県の石岡市にある「常陸國總社宮」だったのです。各国の国府近くに国内の神を合祀、まとめて祭祀を行うようになったのが総社です。だからって手抜きしたわけじゃないですよ。

現在の祭神は伊弉諾尊、大國主尊、素戔嗚尊、瓊々杵尊、大宮比賣尊、布留大神です。そして国内の神々様です。

日本武尊腰掛石です。第四話で日本武尊の東征の話にチラッと触れましたが、この地を訪れたようです。とはいえ木々が育ってしまって、今や霞ヶ浦や筑波山も見えませんが。そして石岡市は、江戸時代末期にこの地にあった府中松平藩の藩医に手塚良庵という方がおられ、その子孫が手塚治虫先生だそうです。それ故のこの超豪華なコラボレーション。

まて。「倭武天皇」って、第12代景行天皇の皇子である日本武尊の話をしてたんじゃないのか?第21代雄略天皇とゴッチャにしていないか?

参拝を終えて、おみくじ引いて境内に結び付けようとしたところ、社務所の受付の窓が開いて巫女さんが顔を出しました。折角なので御札を、と思ってたまたま手を出したら「伊勢神宮の御札ですね?」と言われたのです。「このタイミングで?」と思いながらも頂くことにしました。これもご縁だったら良いなと。

さて、それでは岩舟へ向かいます。今から行くところは自分で見つけたのではなく、あるサイト様なんですけど、コメントするのに登録したのですが(二度も)登録完了のメールが送られてこなかったので、ご了解得られなかったのです。御覧になりましたらご一報くださいませ。

日月神示で富士山と言われて思い出す話の一つに、天明氏がかつて留守神主をしていた千駄ヶ谷駅近くの鳩森八幡神社があります。都内最古の富士塚が有名ですが、江戸の一の宮はこの地に祀られておりました。(※水の巻 第七帖などもあって、東京大空襲直前・・に遷宮された)

富士(山本宮淺間大社 奥宮)からウシトラ三十四里に(郷土)富士山、しかも山頂に浅間神社、祀られているのは木ノ花咲耶姫このはなさくやひめとされてます。従って本日、常陸國總社宮からお参りに行ったというのは、先にお伺いしておこうと。(何を?)

岩舟体育館と文化会館を背中に見て、住宅二軒の間に空き地があり、その奥に鳥居が見えます。まだ茨城県にいる頃には曇っていたのですが、栃木県に近づくにつれて晴れてきました。ありがとうございます。

標高93.7mの富士山、入り口前の道路が海抜34.8mです。アバウトで良いのでこの数値、覚えておいてください。あ、この辺はまだ良いですが、階段上っていくと激しくガㇾています(オフ用語)、ご注意を。

着きました。ここはとても落ち着けるところです。明るいし。

下に見える岩舟文化会館(コスモスホール)の方向に富士山が見えると思うのですが、さっきまで天気悪かったので…。

画面真ん中から左側の間に見える背の高い建物は多分、コモディイイダ古河だと思います。14.16㎞、そう考えるとあんまり遠くまでは見えないもんですね。

この時ふと、昔はここから古東京湾の最奥部が見えていたんだろうな…と思ったのです。

これ見ると古東京湾は、古賀から利根川挟んだ栗橋まで及んでいた事が分っております。もっともそれ以前はこの先まで、それこそ岩舟のすぐ背後から本州北端にまで至る山々にまで及んでいたかも知れませんが。

これはお隣、佐野市の佐野サービスエリアのすぐ側にある田んぼの海抜です。わずか16.1mしかありません。はるか南にある渡良瀬遊水地(谷中湖)が15mくらいでしたっけ?

なお杉戸…。

こんなこともあろうかと(by真田さん)、同じ埼玉県の春日部市には「彩龍の川」首都圏外郭放水路(通称地下神殿)というのがあったりします。

首都圏外郭放水路

ttps://gaikaku.jp

書いておきながらまだ見に行ってないんですよね、近くで仕事していた事もあったのに。コタツ記事イヤとか言ってたくせに。

以前から岩舟から見える山々の形が気になってはいたんですよ…。最終氷河期終わって、山から溶け出した水の流れがこのようなディテールを形作ったのではないのかな、と。

ま、今日は木ノ花咲耶姫このはなさくやひめと一緒に桜見れたんですから、イイでしょ。

第五話「梅の巻 第十九帖」

四十九、天明 神示書かす御役ぞ。
一二三となる日近づいたぞ、節分までに皆の守護神同じ宮に祀りくれよ、
まつりまつりてまつり合わせ、和合して物事成就するのぞ。
まつる心なき者 誠ないぞ、マコトわからんぞ。
靖国のミタマもそれまでに奥山に祀りくれよ、まつり替えてやってくれよ。
世界の神々様、守護神様、人民のみたま、祀りくれよ、まつり結構ぞ。
節分からの誓言変えさすぞ、
大神様には御三体の大神様 御三体の大神様と七回繰り返せよ、それでよいぞ、
神々様には弥栄ましませと五回繰り返せよ、
霊の宮には弥栄ましませと三回繰り返せよ、それでよいぞ、弥栄だぞ。

昭和21年12月4日(1946年 皇紀2606年 丙戌)

天明氏「49歳」の誕生日にこの神示噛ませてくるとは神様も中々洒落が分かるお方かと(笑)。「一二三となる日近づいた」だってそうです。岩の巻 第四帖でいう「元は十と四十七と四十八と合わせて百と五ぞ、九十五柱だぞ。」(第一話参照)で、昭和21年のところで「ひふみ」の「ひ」が来ているのですが、「え?昭和21年終わっちゃうのでは?」と思われるかもですが、天明氏が「この時代の型」とされていますので、日の出の巻 第二帖の「九歳は神界の紀の年」とは天明氏の誕生日から始まったと思います。されど人間の尺度で測っちゃいけないのが神様。本来年表にできるような話ではないのでしょう。こんなブログを作ったくせに今更感吹き荒ふきすさ言い方ですが、その意味合いはご理解いただけるのではないかと思います。

雨の巻 第十五帖

四十八音(ヨハネ)世に出るぞ、五十音(イソネ)の六十音(ムソネ)と現れるぞ、
用意なされよ。それまでにさっぱり変えてしまうぞ、天も変わるぞ地も変わるぞ。
この方らが世建て直すと申して この方らが世に出て威張るのでないぞ、
世建て直して世は臣民に任せてこの方らは隠居じゃ、隠れ身じゃぞ。
地から世持ちて嬉し嬉しと申すこと楽しみぞ、子供よ、親の心よく汲み取ってくれよ。
この神示読まないでやれるならやってみよれ、あちらでこつん こちらで崩れじゃ、
大事な仕組み 早う申せば邪魔入るし、申さないではわからんし、
何にしても素直に致すが一番の近道だぞ、素直になれんのは小才があるからだぞ。
鼻高じゃからだぞ。神の国は神の国のやり方あると申してあろうがな、
良きは取り入れ悪しきは捨てて皆気つけ合って神の国は神の国じゃぞ、
金は金じゃ、銀は銀じゃと申してあろうがな、盲ならんぞ、
カイの御用もオワリの仕組みも何もかも裏表あるのだぞ、裏と表の外に裏表あるぞ、
ウオヱであるぞ、アとヤとワだぞ、三つあるから道だぞ、
神前に向かって大きくキを吸い肚に入れて下座に向かって吐き出せよ、
八度繰り返せよ、神のキ頂くのだぞ、キとミとのあいの霊気頂くのだぞ。
ひふみがヨハネとなり、五十連となりなって十二の流れとなるのだぞ、
ムがウになるぞ、ンになるぞ、ヤとワと掘り出して十二の流れ結構だぞ。
知らせてあろうがな、
これまでの考え方やり方致すなら建て替えではないぞ、
何もかも上中下すっかりと建て替えるのだぞ、
外国は竜宮の音秘様ぐれんと引っ繰り返しなさるのだぞ、
竜宮の音秘様、雨の神様の御活動 激しきぞ。
今度 次の大層が出て来たらいよいよだぞ。最後の十十👁(透答命)だぞ、
今度こそ猶予ならんのだぞ、キリキリであるから用意なされよ、
三四月気つけよ、
キ切れるぞ。信心なき者ドシドシ取り替えるぞ、この中、誠一つに清めて下されよ、
天明(岡本天明)まだまだだぞ、世の元の型まだまだだぞ、神の仕組み成就せんぞ、
神人共にと申してあろうがな、神厳しきぞ、
ぬらりくらりとぬるくって厳しきぞと、申してあろうがな。
役員多くなくても心そろえて胴すえておりて下されよ、
神がするのであるから この世に足場作りておって下されよ、
神 無理申さんぞと申してあろうがな、けれどもちっとも気許しならんのだぞ。
身魂相当に皆させてあろうがな、掃除早うせよ、
己の戦まだ済んでいないであろうが、洗濯掃除 早う結構ぞ、
この方の神示元とわかりながら他の教えでこの道開こうとて開けはせんのだぞ、
鏡曇っているから曲がって写るのだぞ、
一人の改心ではまだまだぞ、一家そろって皆改心して手引き合ってやれよ、
外国人も日本人もないのだぞ、外国外国と隔て心 悪じゃぞ。

昭和20年12月19日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

元号西暦干支※1※2
大正10年1921年辛酉
大正11年1922年壬戌〇/十
大正12年1923年癸亥一/九
大正13年1924年甲子二/八
大正14年1925年乙丑三/七
大正15年
昭和元年
1926年丙寅四/六
昭和2年1927年丁卯五/五
昭和3年1928年戊辰六/四
昭和4年1929年己巳七/三
昭和5年1930年庚午八/二
昭和6年1931年辛未九/一
昭和7年1932年壬申十/〇
昭和8年1933年癸酉
昭和9年1934年甲戌〇/十
昭和10年1935年乙亥一/九
昭和11年1936年丙子当歳二/八
昭和12年1937年丁丑二歳三/七
昭和13年1938年戊寅三歳四/六
昭和14年1939年己卯四歳五/五
昭和15年1940年庚辰五歳六/四
昭和16年1941年辛巳六歳七/三
昭和17年1942年壬午七歳八/二
昭和18年1943年癸未八歳九/一
昭和19年1944年甲申九歳十/〇
昭和20年1945年乙酉十歳
昭和21年1946年丙戌ひ/け〇/十
昭和22年1947年丁亥ふ/れ一/九
昭和23年1948年戊子み/ほ二/八
昭和24年1949年己丑よ/ゑ三/七
昭和25年1950年庚寅い/せ四/六

上つ巻 第十三帖

元の人三人、その下に七人、その下に七七、四十九人、
合わせて五十九の身魂あれば、この仕組みは成就するのだ。
この五十九の身魂は神が守っているから、世の元の神かかって大手柄をさせるから、
神の申すよう何事も、身魂磨いてくれよ、これが世の元の神の数ぞ、
これだけの身魂が力合わせて善き世の礎となるのだ。
この身魂はいずれも落ちぶれているから、訪ねて来てもわからんから、
よく気をつけて、どんなに落ちぶれている臣民でも、訪ねて来た人は、親切にして帰せよ。
何事も時節が来たぞ。

昭和19年6月21日(1944年 皇紀2604年 甲申)

日月神示を読まれた方なら「上つ巻 第十三帖」はご存じの方も多いと思います。結論を言えば、これが「二の御用」(仕組み)だったのですけど、岡本天明伝[日月神示]夜明けの御用(黒川柚月氏・著)には、「ハルナ」の御用として下つ巻 第一帖の「(じゃ)が岳」に祀られるまでの経緯が記述されております。

上つ巻 第二十一帖

世の元の大神の仕組みというものは、神々にもわからん仕組みであるぞ、
この仕組み わかってはならず わからねばならず、なかなかに難しい仕組みであるぞ、
知らせてやりたいなれど、知らせてならん仕組みぞ。
外国がいくら攻めて来るとも、世界の神々がいくら寄せて来るとも、
ぎりぎりになったら神の元の神の神力出して
岩戸開いて一つの王で治める神のまことの世に致すのであるから、
神は心配ないなれど、付いて来れる臣民少ないから、早う掃除してくれと申すのぞ、
掃除すれば何事も、ハッキリと映って楽なことになるから、早う神の申すようにしてくれよ。
今度は永遠に変わらぬ世に致すのだから、世の元の大神でないとわからん仕組みぞ。
洗濯できた臣民から手柄立てさせて うれしうれしの世に致すから、神が臣民にお礼申すから、
一切ごもく捨てて、早う神の申すこと聞いてくれよ。
因縁の身魂は どうしても改心しなければならんのだから、早う改心せよ、遅い改心なかなか難しいぞ。
神は帳面につけるように何事も見通しだから、神の帳面間違いないから、
神の申す通りに、わからんことも神の申す通りに従ってくれよ。
初めつらいなれど段々わかって来るから、よく言うこと聞いてくれよ、
外国から攻めて来て日本の国丸潰れというところで、
元の神の神力出して世を建てるから、臣民の心も同じぞ、江戸も昔のようになるぞ、
神の身体から息できぬようにしているが、今に元のままにしなければならんことになるぞ。
富士から三十里四里離れたところへ祀りてくれよ、富士にも祀りてくれよ、
富士はいよいよ動くから、それが済むまでは三十里離れたところへ、仮に祀りて置いてくれよ。
富士は神の山ぞ、いつ火を噴くかわからんぞ、
神は噴かんつもりでも、いよいよとなれば噴かねばならんことがあるから、
それまでは離れたところへ祀りてくれよ。
神は構わねど、臣民の肉体大切だから、肉体もなくてはならんから、そうして祀りてくれ。
まつりまつり結構。

昭和19年6月28日(1944年 皇紀2604年 甲申)

上つ巻 第二十七帖

何もかも世の元から仕組みてあるから神の申すところへ行けよ。
元の仕組みは富士(二二)ぞ、次の仕組みはウシトラ三十里四里、次の仕組みの山に行って開いてくれよ、
今はわかるまいが、やがて結構なことになるのだから、行きて神祀りて開いてくれよ、
細かく知らせてやりたいなれど、それでは臣民の手柄なくなるから、
臣民は子だから、子に手柄させて親から御礼申すぞ。
行けば何もかも善くなるように、昔からの仕組みしてあるから、何事も物差しで測ったように行くぞ。
天地が唸るぞ、上下引っ繰り返るぞ。
悪の仕組みに皆の臣民騙されているが、もう直ぐ目覚めるぞ、目覚めたら訪ねてござれ、
この神のもとへ来て聞けば、何でもわかるように神示で知らせておくぞ。秋立ったら淋しくなるぞ、
淋しくなったら訪ねてござれ、我を張っていると、いつまでも分からずに苦しむばかりぞ。
この神示も身魂によりどんなにでも、取れるように書いておくから、取り違いせんようにしてくれ、
三柱と七柱そろったら山に行けよ。

昭和19年7月1日(1944年 皇紀2604年 甲申)

「富士から三十里四里離れたところへ祀りてくれよ」も有名ですけど、この四里って「余里」なんでしょうか?未だに第四話の話が抜けてないようです(どこの二日酔いだよ)。実は私、この本を読む前に栃木県の某所に聖地巡礼した事があります。その話は後日にでも。

下つ巻 第三帖

この神のまことの姿見せてやるつもりであったが、
人に見せると、びっくりして気を失うかも知れんから、
石に彫らせて見せておいたのにまだ気づかんから木の型をやったであろうがな、
それが神の或る活動の時の姿であるぞ、神を見せ物にしてはならんぞ、
お山の骨もその通りぞよ、これまで見せてもまだわからんか、
何もかも神がさせてあるのぞ。
心配いらんから慾出さずに、素直に御用聞いて下されよ、
今度のお山開き まことに結構であるぞ、
神が烈しくなると、神の話よりできんことになるぞ、神の話 結構ぞ。

昭和19年7月13日(1944年 皇紀2604年 甲申)

どうもそれは↑の話のようです。天明氏一行は榛名神社に参拝した後、山道を歩いて蛇が岳に向かっているようで、その道中にこの「九折岩」が見えるらしいです。

下つ巻 第一帖

富士は晴れたり日本晴れ。
青垣山めぐれる下つ岩根に祀りてくれた、御苦労ぞ、いよいよ神も嬉しいぞ。
鳥居は要らぬぞ、鳥居とは水のことぞ、海の水ある それ鳥居ぞ。皆の者 御苦労ぞ。
邪が岳は昔から神が隠しておった大切の山だから、
人の登らぬようにして、竜神となって護ってくれた神々様にも御礼申すぞ。
富士は晴れたり日本晴れ。
いよいよ次の仕組みにかかるから、早う次の御用聞いてくれよ、神急けるぞ、
山晴れ、地晴れ、海晴れて、始めて天晴れるぞ。
天晴れて神の働き いよいよ烈しくなったら、臣民いよいよわからなくなるから、
早う神心になっておりて下されよ。
次々に書かせておくから、よく心に留めておいて下されよ。
この道は宗教ではないぞ、教会ではないぞ、道だから、今までの様な教会作らせんぞ。
道とは臣民に神が満ちることぞ、神の国の中に神が満ち満つることぞ。
金儲けさせんぞ、欲すてて下されよ。

昭和19年7月12日(1944年 皇紀2604年 甲申)

海の水ある?榛名湖も元「海」だったんでしょうか?印旛沼=香取海のように…。

6月28日に「富士から三十里四里」が出て、7月10日から11日と推定される「ハルナ」の御用は、かなり早いスケジュールに見えます。この時点で日月神示は、既に降りて即解読可能な体制が整っていた事の裏付けでもあります。ミミに(御身)に聞かされていたからでしょうか?また当時昭和19年とはいえ、日本各地での御用を可能にしたのは、天明氏周辺のネットワークあってこそだと思います。

ところで、この仕組みは「元の人三人、その下に七人、その下に七七、四十九人、合わせて五十九」とされています。これ、「七七、四十九」九九で四十九のように読めますが、これが違う。

祭りの巻 第十七帖

集団のアは神示じゃ、ヤとワとは左と右じゃ、教左と教右じゃ、
㋳と㋻はその補じゃ、教左補、教右補じゃ、ヤの補は㋻じゃ、ワの補は㋳じゃ、
ア、ヤ、ワ、㋳、㋻、が元じゃ、その下に七人と七人じゃ、正と副じゃ、
その下に四十九人じゃ、わかりたか、
集団 弥栄弥栄。皆御苦労ながら二の御用手引き合って、天晴れやりて下されよ、
集団作ってよいぞ。強くふみ出せよ、
くどいようなれど百十はそのままじゃぞ。今度の御用は一つの分かれの御用じゃぞ、
神示よく読むのじゃぞ、身魂の性来段々わかりて来るぞ、
万民ミタマまつりの御用からかかりてくれよ、うつし世のそれの御用、結構ひらけ輝くぞ。

昭和21年8月28日(1946年 皇紀2606年 丙戌)

5+14+49=68じゃん。

夜明けの巻 第十三帖

あら楽し、すがすがし、世は朝晴れたり、昼晴れたり、夜も晴れたり。
あら楽し、すがすがし、世は岩戸明けたり、待ちに待ちし岩戸開けたり。

この神示の臣民と言うても、人間界ばかりでないぞ。
神界幽界のことも言って知らせてあると、申してあろうが。
取り違い慢心一等恐いと申してあろうが。
祭典、国民服もんぺでも良いぞ。
天明(岡本天明)まつりの真似するでないぞ。役員まつりせい。何も言うでないぞ。
言って良い時は知らせるぞよ。わかったか。
仕える者無き宮、産土様の真下にいくら祀ってもよいぞ。
天明は祈れ。祈れ。天に祈れ、地に祈れ、
引き潮の時引けよ。満ち潮の時進めよ。大難小難にと役員も祈れよ。
口先ばかりでなく、誠祈れよ。祈らねばならんぞ。口先ばかりでは悪となるぞ。わかったか。
今度は借銭済しになるまでやめんから、誰によらず借銭無くなるまで苦しい行せなならんぞ、
借銭なしでないと、お土の上には住めんことに今度はなるぞ。
イシの人と、キの人と、ヒの人と、ミヅの人と、できるぞ。
今にチリチリバラバラに一時はなるのであるから、その覚悟よいか。
毎度知らせてあること忘れるなよ。神示 腹の腹底まで浸むまで読んで下されよ。神頼むぞ。
悟った方 神示説けよ。解いて聞かせよ。役員 皆 説けよ。信じる者 皆 人に知らせてやれよ。
神示読んで嬉しかったら、知らせてやれよ申してあろうが。
天明は神示書かす役ぞ。アホになれと申してあろうが、まだまだぞ、役員 気つけてくれよ。
神示の代わりにミ身に知らせると申してある時来たぞ。いよいよの時ぞ。
神示で知らせることの始めは済みたぞ。実身掃除せよ。ミ身に知らすぞ。実身に聞かすぞ、
聞かな聞くようにして知らすぞ。つらいなれど、我慢せよ。ゆめゆめ利巧出すでないぞ。
わかったか、百姓にもなれ、大工にもなれ、絵描きにもなれ。
何にでもなれるようにしてあるでないか。役員も同様ぞ。
集団作るでないぞ、金取るでないぞ、神に供えられたものはみな分けて、
喜ばせてやれと申してあろうが。この方 喜ぶこと好きぞ、好きのこと栄えるぞ。弥栄えるぞ。
信者作るでないぞ。道伝えなならんぞ。取り違いせんように慢心せんように、
生まれ赤児の心で神示読めよ。神示いただけよ。
日本の臣民 皆勇むよう、祈りてくれよ。世界の人民 皆喜ぶ世が来るよう 祈りてくれよ。
てんし様まつれよ。みことに服ろえよ。このことできれば他に何もわからんでも、峠越せるぞ。
御民いのち捨てて生命に生きよ。

「鳥鳴く声す夢覚ませ、見よ あけ渡るひむかしを、空色晴れて沖つ辺に、千船行きかう靄の裡」

「いろは、にほへとち、りぬるをわかよ、たれそ、つねならむ、うゐのおくやま、
 けふこ、えてあさき、ゆめみしゑひもせすん」

「アオウエイ、カコクケキ、サソスセシ、タトツテチ、ナノヌネニ、ハホフヘヒ、
 マモムメミ、ヤヨユエイ、ラロルレリ、ワヲウヱヰ」

「アイウエオ、ヤイユエヨ、ワヰエヲ、カキクケコ、サシスセソ、タチツテト、
 ナニヌネノ、ハヒフヘホ、マミムメモ、ヤイユエヨ、ラリルレロ、ワヰウヱヲ」

五十九柱ぞ。この巻夜明けの巻とせよ。この十二の巻 よく腹に入れておけば何でもわかるぞ。
無事に峠越せるぞ。わからんことは自分で伺えよ。それぞれに取れるぞ。

天津日嗣皇尊 弥栄弥栄。あら楽し、あら楽し、あなさやけ、あなさやけ、おけ。
一二三四五六七八九十百千卍。

昭和20年8月10日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

月光の巻 第十六帖

五十九柱と申してあるが、その中の九柱は隠れた柱じゃ。
㋳㋑㋴㋓㋵㋻㋼㋽㋾ぞ。㊀㊁㊂㊃㊄㊅㊆㊇㊈ぞ。この九柱は◯ぞ。
心得なされよ。現れの五十柱のかげの、隠れた九柱、心して大切申せよ。
まっすぐに真上に神をいただくと申すことは、上ばかりではないぞ。
真下にも横にも前後にも立体三六◯度に まっすぐに神を頂かねばならんということぞ。
神人交流の第一歩。

昭和34年1月3日(1959年 皇紀2619年 己亥)

「ヤイユエヨ」と「ウ」を除く「ワヰエヲ」の重複が目につきますが、確かに五十九あります。そして月光の巻 第十六帖から。アイウエオの後、「ヤイユエヨ、ワヰエヲ」部分の連続が㋳㋑㋴㋓㋵㋻㋼㋽㋾というのは気が付かれるかと思います。ですが、祭りの巻 第十七帖の解釈を解決しなければなりません。思いつくのは「68から隠れた九柱9つを計算から引く」しか考えようないです。だからこそ隠れているのであって、「心して大切」にしなければならない、という事でしょうか?考え方としてはかなりのこじつけです、今更私が言うのも何ですが(苦笑)。

次に気になったのが、上の「アオウエイ」の50音です。「アオウエイ」の神示はもう一つあるのです。

春の巻 第十七帖

希望は愛の現れの一つ。どんな時、どんな人にも与えられているのじゃ。
希望に燃えつつ、現在を足場として生きよ。呼吸せよ。
同じことしていても、希望持つ人は栄え、希望なき人は亡びる。希望は神ぞ。
アイウエオからアオウエイの世に移って来るぞ。アオウエイの世が天国じゃ。
用意はよいか。今の世は道具ばかりじゃ。使う人民、早うつくれよ。

昭和27年2月3日(1952年 皇紀2612年 壬辰)

祭りの巻 第十七帖の解釈の問題と、春の巻 第十七帖の「アイウエオからアオウエイの世に移って来るぞ」をどう考えるか?「アオウエイの世が天国じゃ」という記述は、アイウエオからアオウエイに置き換えた五十九こそ、2041年の辛酉以降の世の中を意味するのかもしれません。「辛酉」を「」として「五十九」…(2044年の「甲子」も捨てがたいのですが)。

次は開始時期です。

祭りの巻 第八帖

旧九月八日で一切りじゃ、これで一の御用は済みたぞ、八分通りは落第じゃぞ、
次の御用 改めて致さすから、今度は落第せんよう心得なされよ。何もかも神は見通しだぞ、
神の仕組み 人民で遅れんよう 気つけて結構致し下されよ、
二の仕組み、御用は集団作りてよいぞ。大奥山はそのままにしておかなならんぞ、
天明(岡本天明)まだまだ神示の御用結構ぞ、アホ結構ぞ、リコウ出ると壊れるぞ。
天明ばかりでないぞ、皆同様ぞ。皆リコウになったものじゃナア、クドウ神にもの申さすでないぞ。

昭和21年8月15日(1946年 皇紀2606年 丙戌)

一の御用が昭和21年「旧九月八日」10月2日で一切りとなっております。先述の祭りの巻 第十七帖で「アは神示」とされている事、「天明(岡本天明)まだまだ神示の御用結構ぞ、アホ結構ぞ」を見る限り、この時点が「二の御用」開始点、ただし「ア」から次以降への切り替わりの特定は無理ぽ、かと。「四十九、天明」なのにこの言われようって…。

元号西暦干支※1※2※3
大正10年1921年辛酉
大正11年1922年壬戌〇/十
大正12年1923年癸亥一/九
大正13年1924年甲子二/八
大正14年1925年乙丑三/七
大正15年
昭和元年
1926年丙寅四/六
昭和2年1927年丁卯五/五
昭和3年1928年戊辰六/四
昭和4年1929年己巳七/三
昭和5年1930年庚午八/二
昭和6年1931年辛未九/一
昭和7年1932年壬申十/〇
昭和8年1933年癸酉
昭和9年1934年甲戌〇/十
昭和10年1935年乙亥一/九
昭和11年1936年丙子当歳二/八
昭和12年1937年丁丑二歳三/七
昭和13年1938年戊寅三歳四/六
昭和14年1939年己卯四歳五/五
昭和15年1940年庚辰五歳六/四
昭和16年1941年辛巳六歳七/三
昭和17年1942年壬午七歳八/二
昭和18年1943年癸未八歳九/一
昭和19年1944年甲申九歳十/〇
昭和20年1945年乙酉十歳
昭和21年1946年丙戌ひ/け〇/十01 ア/ヲ
昭和22年1947年丁亥ふ/れ一/九02 イ/ヱ言答(岩戸)明けたる今日(8月15日終戦記念日)ぞめでたし
昭和23年1948年戊子み/ほ二/八03 ウ/ウ
昭和24年1949年己丑よ/ゑ三/七04 エ/ヰ
昭和25年1950年庚寅い/せ四/六05 オ/ワ
昭和26年1951年辛卯む/あ五/五06 ㋳/ロ
昭和27年1952年壬辰な/す六/四07 ㋑/レ
昭和28年1953年癸巳や/ま七/三08 ㋴/ル
昭和29年1954年甲午こ/の八/二09 ㋓/リ
昭和30年1955年乙未と/て九/一10 ㋵/ラ
昭和31年1956年丙申も/へ十/〇11 ㋻/ヨ
昭和32年1957年丁酉ち/り12 ㋼/エ
昭和33年1958年戊戌る/さ〇/十13 ㋽/ユ
昭和34年1959年己亥ら/に一/九14 ㋾/イ
昭和35年1960年庚子ね/え二/八15 カ/ヤ
昭和36年1961年辛丑し/お三/七16 キ/モ
昭和37年1962年壬寅き/う四/六17 ク/メ
昭和38年1963年癸卯る/か五/五18 ケ/ム
昭和39年1964年甲辰ゆ/め六/四19 コ/ミ
昭和40年1965年乙巳ゐ/く七/三20 サ/マ
昭和41年1966年丙午つ/は八/二21 シ/ホ
昭和42年1967年丁未わ/た九/一22 ス/ヘ
昭和43年1968年戊申ぬ/を十/〇23 セ/フ
昭和44年1969年己酉そ/そ24 ソ/ヒ
昭和45年1970年庚戌を/む〇/十25 タ/ハ
昭和46年1971年辛亥た/わ一/九26 チ/ノ
昭和47年1972年壬子は/つ二/八27 ツ/ネ
昭和48年1973年癸丑く/ゐ三/七28 テ/ヌ
昭和49年1974年甲寅め/ゆ四/六29 ト/ニ
昭和50年1975年乙卯か/る五/五30 ナ/ナ
昭和51年1976年丙辰う/き六/四31 ニ/ト
昭和52年1977年丁巳お/し七/三32 ヌ/テ
昭和53年1978年戊午え/ね八/二33 ネ/ツ
昭和54年1979年己未に/ら九/一34 ノ/チ
昭和55年1980年庚申さ/る十/〇35 ハ/タ
昭和56年1981年辛酉り/ち36 ヒ/ソ
昭和57年1982年壬戌へ/も〇/十37 フ/セ
昭和58年1983年癸亥て/と一/九38 ヘ/ス
昭和59年1984年甲子の/こ二/八39 ホ/シ
昭和60年1985年乙丑ま/や三/七40 マ/サ
昭和61年1986年丙寅す/な四/六41 ミ/コ
昭和62年1987年丁卯あ/む五/五42 ム/ケ
昭和63年1988年戊辰せ/い六/四43 メ/ク
昭和64年
平成元年
1989年己巳ゑ/よ七/三44 モ/キ
平成2年1990年庚午ほ/み八/二45 ヤ/カ
平成3年1991年辛未れ/ふ九/一46 イ/㋾
平成4年1992年壬申け/ひ十/〇47 ユ/㋽
平成5年1993年癸酉い/ん48 エ/㋼
平成6年1994年甲戌ろ/す〇/十49 ヨ/㋻天明九十六才七ヶ月、ひらく
平成7年1995年乙亥は/せ一/九50 ラ/㋵
平成8年1996年丙子に/も二/八51 リ/㋓
平成9年1997年丁丑ほ/ひ三/七52 ル/㋴
平成10年1998年戊寅へ/ゑ四/六53 レ/㋑
平成11年1999年己卯と/し五/五54 ロ/㋳
平成12年2000年庚辰ち/み六/四55 ワ/オ
平成13年2001年辛巳り/め七/三56 ヰ/エ
平成14年2002年壬午ぬ/ゆ八/二57 ウ/ウ
平成15年2003年癸未る/き九/一58 ヱ/イ
平成16年2004年甲申を/さ十/〇59 ヲ/ア
平成17年2005年乙酉わ/あ
平成18年2006年丙戌か/て〇/十
平成19年2007年丁亥よ/え一/九
平成20年2008年戊子た/こ二/八
平成21年2009年己丑れ/ふ三/七
平成22年2010年庚寅そ/け四/六
平成23年2011年辛卯つ/ま五/五
平成24年2012年壬辰ね/や六/四
平成25年2013年癸巳な/く七/三
平成26年2014年甲午ら/お八/二
平成27年2015年乙未む/の九/一
平成28年2016年丙申う/ゐ十/〇
平成29年2017年丁酉ゐ/う
平成30年2018年戊戌の/む〇/十
平成31年
令和元年
2019年己亥お/ら一/九
令和2年2020年庚子く/な二/八
令和3年2021年辛丑や/ね三/七
令和4年2022年壬寅ま/つ四/六
令和5年2023年癸卯け/そ五/五
令和6年2024年甲辰ふ/れ六/四
2025年乙巳こ/た七/三
2026年丙午え/よ八/二
2027年丁未て/か九/一
2028年戊申あ/わ十/〇
2029年己酉さ/を
2030年庚戌き/る〇/十
2031年辛亥ゆ/ぬ一/九
2032年壬子め/り二/八
2033年癸丑み/ち三/七
2034年甲寅し/と四/六
2035年乙卯ゑ/へ五/五
2036年丙辰ひ/ほ六/四
2037年丁巳も/に七/三
2038年戊午せ/は八/二
2039年己未す/ろ九/一
2040年庚申ん/い十/〇
2041年辛酉
2042年壬戌
2043年癸亥
2044年甲子
※1 :元は十と四十七と四十八
※2 :宮=マコト(〇九十)
※3 :元の人三人、その下に七人、その下に七七、四十九人、合して五十九
※注 一柱一年と思いますが、実際は翌年に被ると思います。

黄金の巻 第十五帖

人から見て「あれならば」というようになれば、この方の光出るのじゃ。
行できねばお出直し、お出直し多いなあ。独断 役には立たんぞ。
岩戸開きの九分九厘でひっくり返り、また九分九厘でひっくり返る。
天明九十六才七ヶ月、ひらく。

昭和24年11月27日(1949年 皇紀2609年 己丑)

(つぎ)の言答?最初の岩戸は?

海の巻 第五帖

今日までの御教えは、悪を殺せば善ばかり、輝く御代が来るという、これが悪魔の御教えぞ、
この御教えに人民は、すっかりだまされ悪殺す、ことが正しきことなりと、信ぜしことの愚かさよ、
三千年の昔から、幾千万の人々が、悪を殺して人類の平和を求め願いしも、それははかなき水の泡、
悪殺しても殺しても、焼いても煮てもしゃぶっても、悪は益々増えるのみ、
悪殺すというそのことが、悪そのものと知らざるや、
神の心は弥栄えぞ、本来 悪も善もなし、ただ御光の栄ゆのみ、
八股オロチも金毛も、ジャキも皆それ生ける神、神の光の生みしもの、
悪抱きませ善も抱き、あななうところに御力の、輝く時ぞ来るなり、
善活かさねば悪なるぞ、善悪不二といいながら、悪と善とを区別して、導く教えぞ悪なるぞ、
ただ御光のその中に、喜び迎え善もなく、悪もあらざる天国ぞ、皆一筋の大神の、働きなるぞ悪はなし、
世界一家の大業は、地の上ばかりでなどかなる、三千世界大和して、ただ御光に生きよかし、
生まれ赤児となりなりて、光の神の説き給う、誠の道を進めかし、マコトの道に弥栄えませ。
言答(岩戸)明けたる今日(8月15日終戦記念日)ぞめでたし、二の言答(岩戸)早う明けてよ。

昭和22年8月15日(1947年 皇紀2607年 丁亥)

だけど

|゚Д゚)))コソーリ(一つ?)ひらいている可能性あり〼。

第四話「扶桑之巻 第一帖」

東は扶桑(二三)なり、ゝ◯(日)出づる秋は来にけり。

この巻扶桑(二三)の巻、
続く六の巻を合わせて七の巻一百四十四帖の黙示を五十黙示と申せよ。

イシもの言うぞと申してあったが、イセにはモノ言うイシ(石)があると昔から知らせてあろうがな、
五の一四(石)がもの言うのであるぞ、開けば五十となり、五百となり、五千となる。
握れば元の五となる、五本の指の様に一と四であるぞ、
この方を五千の山にまつれと申してあろうが、これが五千連ぞ、五十連ぞ、
わかったか、五十連 世に出るぞ。
天に神の座があるように、地には人民の座があるぞ、天にも人民の座があるぞ、地に神の座があるぞ。
七の印と申してあるぞ、七とはモノのなることぞ、
天は三であり、地は四であると今までは説かせてあったなれど
いよいよ時節到来して、天の数二百十六、地の数一百四十四となりなり、
伊邪那岐三となり伊邪那美二となりなりて、ミトノマグワイして五となるのであるぞ、
五は三百六十であるぞ、天の中の元のあり方であるぞ、
七の燈台は十の燈台となり出づる時となったぞ、
天は数ぞと申してあろう、地は意露波であるぞ。
わからん者が上に立つこととなるぞ、大グレン目の前、
日本のみのことではないぞ、世界中のことであるぞ、
今度は三千世界が変わるのであるから今までのようなタテカエではないのであるぞ。
何もかも鏡に映るのであるぞ。鏡が御神体であるぞ。何も映らん御神体のカガミは何もならんぞ。

昭和36年5月5日(1961年 皇紀2621年 辛丑)

日本の事を扶桑国という場合があるとは言いますが、さてその扶桑国?という話になると、中国の古文書頼みになってしまうのは大変情けない話です。まず扶桑という言葉が最初に出てくるのは「山海経」ですが、詳細といえる話が出てくるのは、舒明天皇元年(629年 皇紀1289年)の時代の「梁書」まで待たなければなりません。

扶桑國、在昔未聞也。普通中、有道人稱自彼而至、其言元本尤悉、故扞録焉。(中略)扶桑國者、齊永元元年、其國有沙門慧深來至荊州、説云「扶桑在大漢國東二萬餘里、地在中国之東、其土多扶桑木、故以爲名。扶桑葉似桐、而初生如笋、國人食之、實如梨而赤、績其皮爲布以爲衣、亦以爲綿。作板屋。無城郭。有文字、以扶桑皮爲紙。無兵甲、不攻戦。其國法、有南北獄。若犯徑者入南獄、重罪者入北獄。有赦則赦南獄、不赦北獄。在北獄者、男女相配、生男八歳爲奴、生女九歳爲婢。犯罪之身、至死不出。貴人有罪、國乃大曾、坐罪人於坑、對之宴飮、分訣若死別焉。以灰繞之、其一重則一身屏退、二重則及子孫、三重則及七世。名國王爲乙祁、貴人第一者爲大對盧、第二者爲小對盧、第三者爲納咄沙。國王行有鼓角導從。其衣色随年改易、甲乙年青、丙丁年赤、戊己年黄、庚辛年白、壬癸年黒。有牛角甚長、以角載物、至勝二十斛。車有馬車、牛車。鹿車。國人養鹿、如中國畜牛。以乳爲酪。有桑梨、徑年不壊。多蒲桃。其地無鐡有銅、不貴金銀。市無租估。其婚姻、壻往女家門外作屋、農夕灑掃、徑年而女不悦、即驅之、相悦乃成婚。婚禮大低與中國同。親喪、七日不食、祖父母喪、五日不食、兄弟伯叔姑姉妹、三日不食。設靈爲神像、朝夕拜奠、不制縗絰。嗣王立、三年不視國事。其俗舊無佛法、宋大明二年、罽賓國嘗有比丘五人游行至其國、流通佛法、經像、教令出家、風俗遂改。」慧深又云「扶桑東千餘里有女國(以下略)

扶桑国の話は以前はなかったが、普通年間 (520年–527年)、扶桑国から来たと言う者の話を記す。(中略)
永元元年(499年)、扶桑国の僧慧深が荊州に来て言った。
「扶桑国は大漢国の東二万余里(8700km余)、中国の東方にある。「扶桑の木」が多いことからその名がある。扶桑の葉は桐に似て、生え始めはタケノコのようで、扶桑国人は食用にする。実は梨のようで赤く、その皮を績いで布にして衣類や綿にしたり屋根を葺いたりする。文字はあり、扶桑の皮でできた紙に書く。城郭はなく、兵士や武装はなく、戦争をしかけない。
南北2つの監獄があり、軽罪の者は南獄、重罪の者は北獄に入る。南獄には恩赦があるが北獄にはない。北獄では男女を番わせ、生まれた男児は8歳・女児は9歳で奴婢とし、罪人自身は一生出られない。貴人が有罪となれば、穴の中に座らせ、酒宴を開いて処刑し、その上に灰を撒く。初犯なら当人が責を受けるだけだが、再犯なら子と孫、三犯なら7世に及ぶ。
国王の名は乙祁。貴人(「祁貴人」が王の名の可能性あり)の第1位は大対盧、第2位は小対盧、第3位は納咄沙と呼ぶ。国王が行くときには鼓笛を従える。その衣の色は年により変わり、甲乙年は青、丙丁年は赤、戊己年は黄、庚辛年は白、壬癸年は黒である。
牛の角は非常に長く、20斛(540kg、1斛≒57kg)以上を運ぶ。馬車、牛車にくわえ、鹿車がある。中国人が牛を飼うように、扶桑国人は鹿を飼い、乳から乳製品を作る。桑、梨、フトモモがある。鉄はないが銅(青銅か)はあり、金銀はふんだんにある。市場では税金がかからない。
結婚するときは、婿が女の家へ行き、門外に建物を作り朝夕掃除する。女が喜ばなかったら取り壊し、喜べば成婚となる。結婚式は中国とほぼ同じである。
親の喪には7日間絶食する。祖父母は5日間、兄弟姉妹おじおばは3日間である。死者の霊を神像とし、朝夕拝む。(先王が死んで?)王の跡継ぎが立ったときには、3年間国事に関わらなかった。
かつては仏教はなかったが、大明2年(458年)、罽賓国(ガンダーラ・カシミール近辺)から5人の僧が来て仏典と仏像をもたらし出家を勧めたので、風俗は変化した」
また慧深はこうも言った。「扶桑の東1000余里(430km)に女国があり、(以下略、一部意訳)

『梁書』巻54 列伝第48 諸夷 海南 東夷 西北諸戎 扶桑國

扶桑国は大漢国の東二万余里(8700km余)、中国の東方にあるだって?一体どこのコロンブスだよ。ところで二万余里を8700km余と訳しているのは、古代中国のある時期の1里の長さを、この訳者が当てはめた事に依ります。どういうことかというと、秦の始皇帝は1間(1歩)= 6尺としたのは良いものの、この1歩が時代によって長くなっていったのです。この話は1里約435mで語られていますが、清朝の滅亡の頃には約576mと100m以上も伸びてしまいました。又、中国といっても秦の時代は「周」という国もありました。周は秦と敵対関係にあったので、従来の距離の単位を使っていたとされます。それは「魏」と「西晋」も採用したものの、「東晋」や後の「隋」「唐」は秦の単位を使っていくという複雑な経緯があります。

古代への扉

ttp://nagai.sub.jp/

科学の目で見た 『魏志倭人伝』 の「短里」(永井正範氏)

ttp://nagai.sub.jp/ronbun_pdf/yamataikoku/tanli.pdf

ここで「短里」(1里75m~90m)という考え方が出てきます。これは古代史家の古田武彦氏が提唱しました。この説の裏付けについては以上のリンク先が詳しいです。以前もこの短里という考え方に基づいて邪馬台国は何処だ、というのをやってみたことがあります。ちょっと脱線してみます。

倭人在帶方東南大海之中、依山㠀爲國邑。舊百餘國、漢時有朝見者。今使譯所通三十國。從郡至倭、循海岸水行、歷韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國、七千餘里。

(倭人は帯方の東南大海の中に住み、山島に依って国邑をつくる。もとは百余国。漢のときに朝見する者があり、いま使者と通訳を接触させているのは三十国。郡から倭に至るには、海岸に従って水行し、馬韓を経て、あるいは南へ、あるいは東へ進み、その北岸の狗邪韓国に到着する。七千余里。)

始度一海千餘里、至對馬國、其大官曰卑狗、副曰卑奴母離、所居絶㠀、方可四百餘里。土地山險、多深林、道路如禽鹿徑。有千餘戸。無良田、食海物自活、乗船南北市糴。

始めて一海を渡ること千余里で、対馬国に至る。その大官を卑狗と言い、副官を卑奴母離と言う。居るところは絶遠の島で、四方は四百余里ばかりか。土地は山が険しく、深林が多く、道路は鳥や鹿の径のようだ。千余戸ある。良い田はなく、海産物を食べて自活し、船に乗って南北に行き、米を買うなどする。

海を渡って対馬国というので、ここからにします。確かに絶遠の島ではあります。当時で千余戸あったと。

又南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國。官亦曰卑狗、副曰卑奴母離。方可三百里。多竹木叢林。有三千許家。差有田地、耕田猶不足食、亦南北市糴。

(また南に一海を渡ること千余里、瀚海(かんかい。大海・対馬海峡)という名である。一大国(一支・壱岐)に至る。官をまた卑狗と言い、副官を卑奴母離と言う。四方は三百里ばかりか。竹林・叢林が多く、三千あまりの家がある。やや田地があり、田を耕してもなお食べるには足らず、また南北に行き、米を買うなどする。)

一大国(一支・壱岐)ですが、対馬国での船出の位置と到着港が分からないのですが、ぐるっと廻ったのならこんなもんでしょうか。

又渡一海千餘里、至末廬國。有四千餘戸、濱山海居。草木茂盛、行不見前人。好捕魚鰒、水無深淺、皆沈没取之。

(また一海をわたること千余里で末廬国(まつろこく。松浦付近)に至る。四千余戸ある。山と海の間の海岸に居住する。草木が盛んに茂り、歩いてゆくと前の人が見えない。好んで魚やアワビを捕え、水は深くても浅くても、皆が潜って取る。)

距離なら唐津の方が適切だと思いますが、末廬国というには…。

伊万里にした場合です。「山と海の間の海岸に居住する。草木が盛んに茂り、歩いてゆくと前の人が見えない。好んで魚やアワビを捕え、水は深くても浅くても、皆が潜って取る」ようなトコだとこちらの方が適切でしょうか?

東南陸行五百里、到伊都國。官曰爾支、副曰泄謨觚・柄渠觚。有千餘戸。丗有王、皆統屬女王國。郡使往來常所駐。

(東南に陸行五百里で、伊都国(いとこく・いつこく。糸島付近)に到着する。官を爾支(にき。稲置・県主か)といい、副官を泄謨觚(せもこ。島子・妹子か)・柄渠觚(へくこ。彦子・日桙か)と言う。千余戸ある。世に王がいた、みなは女王国に統属していた。(帯方)郡の使者が往来し、常駐する場所である。)

使者にしてみれば「コッチに上陸しとけや( ゚Д゚)ゴルァ!!」だと思う…。糸島市は伊都国歴史博物館があるなど、オフィシャルで伊都国を自認しているようです。

東南至奴國百里。官曰兕馬觚、副曰卑奴母離。有二萬餘戸。

(東南の奴国(なこく・ぬこく。博多付近)まで百里で至る。官を兕馬觚(しまこ。島子か)と言い、副官を卑奴母離と言う。二万余戸ある。)

使者にしてみれば「コッチに上陸しとけや凸(゚Д゚#)ヤンノカゴルァ!!」レベルだと思う…。伊都国の外れ(に見える)、今宿からにしてあります。

東行至不彌國百里。官曰多模、副曰卑奴母離。有千餘家。

(東行して不弥国に(ふみこく・ふやこく)まで百里で至る。官を多模(たま。玉・魂・玉造か)と言い、副官を卑奴母離と言う。千余家ある。)

大宰府政庁跡の地点にしてみました。そしておそらくその先が邪馬台国だと思います。が、下の記述を見ると様子がおかしい。

南至投馬國、水行二十曰。官曰彌彌、副曰彌彌那利。可五萬餘戸。

(南へ投馬国に至る、水行二十日。官を彌彌(みみ。耳・美々か)と言い、副官を彌彌那利(みみなり。耳成・耳垂か)と言う。五万余戸ばかりか。)

南至邪馬壹國。女王之所都、水行十日、陸行一月。 官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳鞮。可七萬餘戸。

(南へ邪馬台国(邪馬壹国)に至る。女王によって都べられる(この都は動詞なので統べるの意味)所である。水行十日・陸行一月。官に伊支馬(いきま)があり、次を弥馬升(みましょう)と言い、次を弥馬獲支(みまかくき)と言い、次を奴佳鞮(なかてい)と言う。七万余戸ばかりか。)

今更水行だと?内海なぞあるまいし。それに「~余戸ばかりか。」って何でしょう?

ただ新訂 魏志倭人伝とされる中に帯方郡から女王国(邪馬台国)までの里数が一万二千里と記述されてはおります。ただこの数値を鵜呑みにしてしまうと、南は種子島、東は近畿地方まで至ります。しかしここまで来ておきながら、再び「水行」するなんて理解し難い。

自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳。 次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、 次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、 次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、次有鬼奴國、 次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴利國、次有支惟國、次有烏奴國、次有奴國。 此女王境界所盡。

(女王国から北は、その戸数や道里はほぼ記載できるが、それ以外の辺傍の国は遠く隔たり、詳しく知ることができない。次に斯馬国があり、次に己百支国があり、次に伊邪国があり、次に都支国があり、次に弥奴国があり、次に好古都国があり、次に不呼国があり、次に姐奴国があり、次に対蘇国があり、次に蘇奴国があり、次に呼邑国があり、次に華奴蘇奴国があり、次に鬼国があり、次に為吾国があり、次に鬼奴国があり、次に邪馬国があり、次に躬臣国があり、次に巴利国があり、次に支惟国があり、次に烏奴国があり、次に奴国(重出、また□奴国の誤脱か)がある。これが女王の境界の尽きるところである。)

其南有狗奴國。男子爲王、其官有狗古智卑狗。不屬女王。

(その南に狗奴国があり、男を王とする。その官に狗古智卑狗がある。女王に属さない。)

不弥国の役割と経由したその意味、南側にこれだけの国が有るという事を考えると、邪馬台国は「吉野ケ里遺跡」周辺かな、と思っています。「七万余戸」を抱える肥沃で開けた土地こそが国力を支える源であったのでしょう。船でグルっと回って道中をたどると、一万二千里=900㎞~1080㎞の範囲にあると思います。

狗奴国は王の名前も書かれてないのに「その官に狗古智卑狗」となっているのは何でしょうか?その名前より「菊池彦」に通じるとし熊本県菊池郡との関連を指摘する説があるそうです。

女王國東渡海千餘里復有國皆倭種 又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千餘里 又有裸國黒齒國復在其東南船行一年可至

(女王・卑弥呼国から4000余里に侏儒国がある。また裸国と黒歯国があり、東南に船で一年で着く)

ついでに侏儒国も。種子島か屋久島かのどちらかだと思うんですけど。裸国?黒歯国?南に沖縄とか石垣島とかあるけど船で1年も必要かな?

「黒歯国」が出てきたところで、やっと「山海経」の時代に戻せます。正直、扶桑の話は邪馬台国の話を先にしておいた方がわかりやすかったからです。

下有湯谷 湯谷上有扶桑 十日所浴 在黑齒北 居水中 有大木 九日居下枝 一日居上枝

(下に湯谷があり、湯谷の上に扶桑があり、10の太陽が水浴びをする。黒歯国の北であり、大木は水中にあり、9の太陽は下の枝に、1の太陽が上の枝にある)

大荒之中 有山名曰孽搖頵羝 上有扶木 柱三百里 其葉如芥 有谷曰温源谷 湯谷上有扶木 一日方至 一日方出 皆載於烏

(大荒(辺境)の中に孽搖頵羝(げつよういんてい)という山があり、山の上に扶木がある。高さは300里(130m)、その葉はカラシナに似る。温源谷(= 湯谷 ?)という谷があり、湯谷の上に扶木がある。1つの太陽が来ると1つの太陽が出て行き、太陽はみな烏を載せている)

十個の太陽とは「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」の十干を意味するらしいのです。で、九個を射落としたから太陽は一個だけになったと。で、ここに「黒歯国の北」とあります。それ以前の時代から黒歯国は認識されていたようで、「扶桑」はそれより北とされています。では次に「宋書」の時代です。

東造扶桑游紫庭 西至崑崙戯増城

(東、扶桑に造りて紫庭に游び、西、崑崙に至りて増城に戯る)

宋・斉・梁に仕えた沈約(441年 – 513年)が南朝斉の武帝に命ぜられて編纂、梁の時代で完成したとされています。卑弥呼亡き後に国を治めたとされる「壹與」(臺與)の3世紀半ばの朝貢の記録を最後に、最早邪馬台国の記述は見当たりません。↑の記述は宋の時代、倭の五王と呼ばれる日本の支配者から朝貢が行われたことを指していると思います。この倭国の5代の王を「讃・珍・済・興・武」、内三人は「呉」との往来があった応神天皇・仁徳天皇・雄略天皇だとされているようです。

そしてようやく「梁書」に戻します。扶桑の記述は、冒頭で紹介した慧深という僧侶の証言の他にもあるのです。

文身國,在倭國東北七千餘里。人體有文如獸,其額上有三文,文直者貴,文小者賤。土俗歡樂,物豊而賤,行客不齎糧。有屋宇,無城郭。其王所居,飾以金銀珍麗。繞屋爲緌,廣一丈,實以水銀,雨則流于水銀之上。市用珍寶。犯輕罪者則鞭杖;犯死罪則置猛獸食之,有枉則猛獸避而不食,經宿則赦之。

文身って入れ墨の事で、人は獣のように入れ墨をしていると書かれています。その位置は倭国の東北7000余里だと。

大漢國,在文身國東五千餘里。無兵戈,不攻戰。風俗並與文身國同而言語異。

ここで大漢国が出てくるのは変だと思うでしょう。大漢国って中国の東の話をしているはずがまた中国に戻るのか?しかも文身国から東へ5000余里離れてて、言語まで違うだと?以上の2項目は、梁書の地の文です。慧深が梁の地にたどり着くまでの扶桑に対する認識です。だからこそ冒頭で「扶桑国の話は以前はなかった」と言っている。それまで中国大陸の歴代国家が接触した日本関係者は、「邪馬台国」の使者と「倭国の5代の王である讃・珍・済・興・武」の使者しかいなかったハズ(黒歯国は不明)。そのように考えているうちにこんな記述を見つけました。

魏志倭人伝の「倭」の記述/梁書の「倭」の記述

太伯とは中国周王朝の人物。荊蛮の地へと自ら出奔し、髪を切り全身に刺青を彫って、中華へ帰るに相応しくないと言ったそう。その人物の後だと?跡継ぎだとでも言うか?そんな記述はその後の後漢書、それ以降にも無いというのに。

最後に宋に朝貢したのは477年(又は478年)「武」と見なされる雄略天皇です。先ほどの「文身国」が倭国から東北7000余里(700X0.075=525㎞)に一致するのは確か。

上の地点を宋(だけ)が認識している文身国と仮定して、大漢国とは関東…。言語が違う?

これは仮定なのですが。日本には下、一ヶ原、そして所など「」の概念があります。さえぎりとどめるもの、そして日本には蝦夷とされた人々が住んでいました。その人たちとの境界線を「関」と呼んで「国」を分けていたのなら「誤約」、即ちそれを「漢」と取り違えしたのかもしれません。(実際、梁書は魏志倭人伝の黒歯国の記述とか間違ったまま載せちゃっている)

今度は慧深の話を検証します。荊州から東二万余里(20000X0.09=1800㎞)…、

これはこれで凄い話なんですが。

ジャスト「下関」。この時代、私個人は少なくとも「下関」までは大和朝廷の支配下にあったと考えております。それ故の(地政学的にも)「下関」というネーミング。それでは国王とされる「乙祁」とは誰か?

顕宗天皇(袁祁王、弘計王)だと考えております。父、市辺押磐皇子を雄略天皇に殺され、兄(後の仁賢天皇、意祁王、億計王)と共に逃亡、その後の跡継ぎのいなかった清寧天皇が崩御すると、兄弟同士で皇位を譲り合い、兄の説得に負けて弟である顕宗天皇が先に即位したとされています。ところでお二人の名前には「祁」という字があります。そして甲乙から乙は弟だと解釈して「乙祁」。これは割と支持されている説だと思います。

慧深又云「扶桑東千餘里有女國、容貌端正、色甚潔白、身體有毛、髮長委地。至二、三月、競入水則任娠、六七月產子。女人胸前無乳、項後生毛、根白、毛中有汁、以乳子、一百日能行、三四年則成人矣。見人驚避、偏畏丈夫。食鹹草如禽獸。鹹草葉似邪蒿、而氣香味鹹。」天監六年、有晉安人渡海、爲風所飄至一島、登岸、有人居止。女則如中國、而言語不可曉。男則人身而狗頭、其聲如吠。其食有小豆。其衣如布。築土爲墻、其形圓、其戶如竇云。

(慧深また云う、「扶桑の東千餘里に女國有り。容貌は端正、色甚だ潔く白し。身體に毛有り。髮長く地に委(ゆだ) ぬ。二・三月に至り、競いて水に入り則ち任娠し、六・七月に子を産む。女人は胸の前に乳無く、項の後に毛生え、根は白く、毛の中に汁有り、以って子に乳す。一百日に能く行き、三・四年に則ち成人す。人を見て驚き避け、偏(すこぶ)る丈夫(じょうふ=成人した男性)を畏(おそ)る。鹹草(かんそう=「あしたば」)を食い禽獸の如し。鹹草の葉は邪蒿(じゃこう)に似て氣は香しく味は鹹(から)し」と。天監六年、晉の安人有りて海を渡り風に飄う所と為し一島に至る。岸を登り、人有り、居して止まる。女は則ち中國の如くして言語は曉(さと)るべからず。男は則ち人身にして狗頭、其の聲は吠えるが如し。其の食に小豆有り。 其の衣は布の如し。土を築き墻(しょう=かき。かこい)と為し、其の形は圓、其の戸は竇(とう=あな。あなぐら)の如しと云う。)

最後、扶桑の東1000余里にある「女国」とは何処か?

可怜国うましくに」です(美し国とも)。アイキャッチの画像が「皇大神宮別宮 倭姫宮」の入り口です。倭姫命は、第10代崇神天皇の皇女豊鍬入姫命の跡を継ぎ、神託により皇大神宮(伊勢神宮内宮)を創建、東夷の討伐に向かう日本武尊(尊は倭姫命の甥王にあたる)に草薙剣を与えているそうです。

是神風伊勢國 則常世之浪重浪歸國也 傍國可怜國也 欲居是國

(この神風の伊勢の国は常世の浪の重浪帰する国なり。傍国の可怜国なり。この国に居らむと欲ふ)

— 垂仁天皇25年3月丙申(10日)条

伊勢神宮を創祀したときの天照大神から倭姫命への神託です。近くには「天の岩戸」もあるんですね。

東征中の日本建尊が杉の幹に鏡を懸けて伊勢の大神を遥拝し、応神天皇20年、神八井耳命の8世の子孫である印旛国造、伊都許利命が船形に社殿を造営したというのが麻賀多神社の由来だったはず。しかもそれ以前の神武天皇の時代に鹿島神宮と香取神宮が創建されています。政情が安定していない限り、あれほどの神社は創建することができないでしょう。そう考えると、やはり関東より「関」は北だと判断せざるを得ません。