2026年1月16日「日月の巻 第二十七帖」

神の国は生きているのだぞ、国土拝めよ、神の肉体ぞ。神のたまぞ。
道は真っ直ぐばかりと思うなよ、曲がって真っ直ぐであるぞ、
人の道は無理に真っ直ぐにつけたがるなれど曲がっているのが神の道ぞ。
曲がって真っ直ぐなのだぞ。人の道も同じであるぞ。
足許から鳥立つぞ。いよいよが近づいたぞ。
世の元と申すものは泥の海であったぞ。
その泥から神が色々のもの一二三で、息吹きで生みたのぞ。
人の智ではわからんことだぞ。眼は丸いから丸く見えるのだぞ。この道理わかったか。
一度はドロドロにこね廻さねばならんのだぞ。
臣民はどんなに申しても近慾だから先見えんから慾ばかり申しているが、
神は持ち切れないほどの物与えているでないか。
いくら貧乏だとて犬猫とは桁違うがな。それで何不足申しているのか。
まだまだ天地へ引き上げるぞ。日々取り上げていることわからんか。
神が大難を小難にして神々様御活動になっていること眼に見せてもわからんか。
天地でんぐり返るぞ。やがては富士晴れるぞ。富士は晴れたり日本晴れ。
元の神の世に返るぞ。日の巻終わって月の巻に移るぞ。
いよいよ一二三が多くなるから、今までに出していた神示よく腹に入れておいてくれよ、
知らせねばならず、知らせては仕組み成就せず、臣民 早く洗濯して鏡に映るようにしてくれよ。
今の世 地獄とわかっているであろうがな。今のやり方 悪いとわかっているであろうがな。
神まつれと申すのぞ。外国には外国の神あると申してあろうが。
御戦進めて外国に行った時は、まずその国の神まつらねばならんぞ、
まつるとはまつろうことと申してあろうが。鉄砲や智では悪くするばかりぞ。
神、まずまつれとくどく気つてけあるのは日本ばかりではないぞ。
この方の申すこと小さく取っては見当取れんと申してあろうがな。
三千世界のことぞ。日本ばかりが可愛いのではないぞ、
世界の臣民 皆我が子ぞ。分け隔てないのだぞ。
この神示読みて聞かせてくれよ。読めば読むほど明るくなるぞ。
富士晴れるのだぞ。神の心晴れるのだぞ。あら楽し世ぞ。

昭和19年11月23日(1944年 皇紀2604年 甲申)

先日の「葬送のフリーレン」のレビュー

ところでこういう話って、パッと出て来るようなものじゃないと思うんです。作者の方の人生哲学を見ているような気もするし、自分たちとは異なる存在がどのように考え、行動するのか?と言う考察の積み重ねがあったように見えるのです。同じ日本人であっても考え方が違うように異なる民族であれば殊更違う、では種族が異なれば?というように。

されど基本的には「ニャぁ」なので、鳴き声のイントネーションとか、「時節」、否、時間を含めた状況から判断しなくてはならないのです。仕事から帰るとまず、ごはんを出しているから普段は「おなかすいた」(?だと思う)みたいな事は言わない。私の顔を見ながら水の方に行くと「水換えて」なんだなって(もう習慣で)思いつつ換えているので、特に言われる事も無いのです。

そのくせ休みの日に目覚ましを切っておくと、私が起きた後もそのまま寝てる…寝ていた私を布団の端まで足蹴にして一番イイところで。

全く自分たちに似ても似つかず、無駄に大きいわ、動きは鈍くわ、何を言っているのかさえわからない「ネコ人間と生きていくための」…。

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