2026年2月3日「五葉之巻 第二帖」

霊界に方位はない、人民は東西南北と申しているなれど、今に東の東が現れるぞ。
霊界では光の射す方が北じゃ、その他の東西南北は皆南じゃ、北が元じゃ、
北(基田)良くなるぞと申してあろうがな。
鳴門の渦巻きを渡る時は舵を放して、手放しで流れに任せると渡れるのであるぞ、
舵を取ると同じ処をグルグルじゃ。舵を放せる人民少ないのう。
何でもかんでも舵を取って自分の思う通りに舟を進めようとするから大変が起こるのじゃ、
渦に任せる時は任せなければならんぞ、ナルトの仕組みの一面であるぞ、大切ごとぞ。

昭和36年9月1日(1961年 辛丑 皇紀2621年)

そう大した話では無いのですが、SARS-2についての投稿は急いでトップページから隠したかったというだけです。あの話が公に出来るには時節が早すぎます。一方で、あの投稿を必要とする人がいると思うのです。確かに個々の記述はネットからの引用です。だけどあの話を一覧で網羅しているサイトを私は知らないので、やっとこうかと。

上つ巻 第二十五帖(北から来るぞ)、同 第四十帖(北も南も東も西もみな敵ぞ)、富士の巻 第十六帖(北から攻めて来る時が)、同 第二十三帖(北に気つけよ)、天つ巻 第二十七帖(北拝めよ、北光るぞ、北良くなるぞ)、日月の巻 第十九帖(北に気つけよ)、日の出の巻 第七帖(北に気をつけと、北がいよいよギリギリだと申して執念気つけてあったこと近くなったぞ)、日の出の巻 第二十帖(北に気つけてくれよ)、磐戸の巻 第六帖(←今ココ)、夜明けの巻 第二帖(北良くなるぞ)

岩の巻 第一帖(無理やりに北に押し込めなされたのだぞ)、地震の巻 第六帖(霊界人は、その向いている方向が北である。しかし、地上人のいう北ではなく、中心という意味である)、祭りの巻 第十四帖(北、東、南、西の順に柏手四つずつ打ちて祓い下されよ)、秋の巻 第十六帖(磁石が北に向くよう)、扶桑之巻 第八帖(その東とは、東西南北の東ではないぞ、このことよくわかって下されよ。今の方向では東北(艮)から救いの手が差し伸べられるのじゃ、艮とは東北であるぞ)、極め之巻 第九帖(東木、南火、中土、西金、北水、これを五行と申す)、至恩之巻 第五帖(人民の頭に、東西南北の四方があり八方と拡がるであろうが)、五葉之巻 第二帖(霊界に方位はない、人民は東西南北と申しているなれど、今に東の東が現れるぞ。霊界では光の射す方が北じゃ、その他の東西南北は皆南じゃ、北が元じゃ、北(基田)良くなるぞと申してあろうがな)

岩の巻 第一帖での「無理やりに北に押し込めなされたのだぞ」とは、扶桑之巻 第八帖の「その東とは、東西南北の東ではないぞ、このことよくわかって下されよ。今の方向では東北(艮)から救いの手が差し伸べられるのじゃ、艮とは東北であるぞ」と同じ意味かと思います。極め之巻 第九帖の「北水」は「五行」についての話であり、別問題と言えます。祭りの巻 第十四帖の「北、東、南、西の順に柏手四つずつ打ちて祓い下されよ」とは、地上人から見た方位と見做して間違いないでしょう。では、残る磐戸の巻 第六帖でいう北、南、東、西とは、ざっくり見た地上人から見た方位だと思います。

磐戸の巻 第六帖

北、南、宝出す時近づいたぞ、
世の元からの仕組みであるから めったに間違いないぞ、
これからいよいよ臣民にはわからなくなれど仕上げ見て下されよ、
何事も神の申すこと聞いて 素直になるのが一等だぞ、
神示出ぬ時近くなったぞ、神示出なくなったら口で知らすぞ、
神示早う腹に入れぬと間に合わんことになって来るぞ、
西も東もみな宝あるぞ、
北の宝はシオミツ(潮満つ)だぞ、
南の宝はシオヒル(潮干る)だぞ、
東西の宝も今にわかって来るぞ、
この宝あっぱれ、この世の大洗濯の宝であるぞ。

昭和20年1月4日(1945年 乙酉 皇紀2605年)

この投稿のオリジナルは、トカラ列島で今までの常識を超えるレベルの群発地震が起こっていた頃に書いたものです。「お住まいの方は不安でしょうけど、逆にエネルギーが小出しで逃げていってるからである事を願ってやみません。」とも書いたのですが、それは鬼界カルデラや姶良カルデラの近くだった事があります。一方で北と南だけならともかく、東と西に言及するなら、ここを「南」とするにはあまりにも西過ぎるとも思います。

姶良カルデラ

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/姶良カルデラ

鬼界カルデラ

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/鬼界カルデラ

鬼界アカホヤ火山灰

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/鬼界アカホヤ火山灰

破局噴火

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/破局噴火

例えば1990年から1995年にかけて噴火した雲仙普賢岳では、火砕流1回あたりのマグマ噴出量としては10 – 1000m3(VEI=0)、5年余りに渡る活動期間中の噴出物の総量では0.2 km3(VEI=4)程度、また20世紀最大の火山噴火とされる1991年のピナトゥボ山噴火はVEI=6であった(略)日本ではVEI-7以上の噴火は7000年 – 1万年に1回程度の頻度で発生している。最後のイベントは約7,300年前の鬼界カルデラ。太字はVEI-8

7,300年前 – 鬼界:幸屋(船倉)降下軽石・及びintra-plinian flowとして船倉火砕流 → 大地震 → 竹島(幸屋)火砕流・及びco-ignimbrite ashとして鬼界アカホヤ火山灰。総噴出量 133–183 km3 DRE以上。
3万年前 – 姶良:大隅降下軽石・及びintra-plinian flowとして垂水火砕流 → 妻屋火砕流 → 入戸火砕流・及びco-ignimbrite ashとして姶良丹沢テフラ。総噴出量 380 – 430 km3 DRE。
3.9万年前 – 屈斜路:屈斜路Ⅰ火砕流。総噴出量 45〜87 km3 DRE。
4.6万年前 – 支笏:マグマ水蒸気爆発 → 降下軽石 → 火砕流噴火。総噴出量 100〜130 km3 DRE。
8.8万年前 – 阿蘇:Aso-4火砕流。総噴出量 380 – 790 km3 DRE。

それと磐戸の巻 第六帖には

北の宝はシオミツ(潮満つ)だぞ、
南の宝はシオヒル(潮干る)だぞ、
東西の宝も今にわかって来るぞ、
この宝あっぱれ、この世の大洗濯の宝であるぞ。

という記述があります。

山幸彦と海幸彦

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/山幸彦と海幸彦

西之島

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/西之島

日の出の巻 第十八帖

富士の御用は奥山に祀りくれよ、カイの御用も続けてくれよ、
江戸一の宮作ってくれよ、道場も同じぞ、
海の御用とは 海の鳴門と 海の諏訪と 海のマアカタと三所へ祀りくれよ。
その前の御用、言葉で知らせたこと済んだぞ、
海マアカタとは印旛ぞ。
十柱とは火の神、木の神、金の神、日の出の神、竜宮の乙姫、
雨の神、風の神、地震の神、荒れの神、岩の神であるぞ。
辛酉の日に祀りてくれよ。しばらく御神示出ないぞ。
皆の者 早う今までの神示 肚に入れてくれよ、神急けるぞ。
神示読めば神示出て来るぞ。神祀り早く済ませてくれよ

昭和19年12月21日(1944年 皇紀2604年 甲申)

宗吾霊堂から甚兵衛渡しまで行った時の写真です。

キの巻 第二帖

神示読めば何もかもわかるようになっていることわからぬか、
尾張の御用 御苦労であったぞ、奥の奥のこと仕組み通りになっている、
臣民心配するでないぞ、一の宮は桜咲くところへ作れよ、わかったか、
天之日津久神奉賛会でよいぞ、大神津見の神と申しても祀りくれよ、
祭典、国民服の左の胸に八(や)たれの垂二本つけて 絹の垂つけて当分奉仕してよいぞ。
道場は一の宮と一つ所でよいぞ。
イイヨリ(飯依~四国、讃岐の国)の御用 タニハ(丹波~京都)の御用御苦労であったぞ。
皆の者いよいよだぞ、今から弱音では何もできんぞ、
春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケ、ハルマゲドンと申してあろうが、
いよいよだぞ、褌しめよ、グレンだぞ。

昭和20年2月26日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

地球空洞説

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/地球空洞説

「霊界では光の射す方が北」と言われると、太陽を中心にして内向きの地表が囲んでいるようなイメージ…まぁ、物質界と比べるのもどうかと思いますが。

あと、ナルト。

離岸流

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/離岸流

世界一難しい迷路がこちら

ttps://tohyotalk.com/question/231956

目がやられそうになる迷路ですが、上から見てれば解ける人結構多いと思います。

では、アイキャッチ画像のような所で上のリンク先のような迷路だったら?

2026年2月1日「黒鉄の巻 第二十二帖」

顔まで変わっているのにまだ気づかんのか。病気に皆がなっているのにまだ気づかんのか。
何事も早い改心結構。
自分で自分の心の中は中々につかめんものであろうがな。その中にまた心あり、また中に心があるのじゃ。
心は神界ぞ。霊界や神界のものを肉体の自分で掴もうとしても中々じゃ。
うなぎつかみと申してあろうが。ヌラリクラリと掴んだはずが掴んでないぞえ。
掴むには身と魂と一つに和せねばならん。
ゝから愛と智とが生まれると申してあろうが。智と愛との和合によってゝがまた生まれるのじゃ。
ゝは喜びであるぞ。ゝの別のゝであるぞ。そのゝからまた別の愛と智が生まれ、また別のゝが喜びとなり、
その喜びの愛と智の喜びと結んで、また喜びのゝ生まれるのぢゃ。
神は額から入って顔全体に至り、全身に及ぶものであるぞ。

昭和25年1月22日(1950年 皇紀2610年 庚寅)

昭和56年1981年辛酉8/19り/ち三十帖/一帖36 ヒ/ソマコトのことはトリの年敦賀発電所放射能漏れ事故、レーガノミクス
昭和57年1982年壬戌9/20へ/も〇/十37 フ/セ第8回先進国首脳会議
昭和58年1983年癸亥10/ーて/と一/九38 ヘ/ス戸塚ヨットスクール事件
昭和59年1984年甲子の/こ二/八39 ホ/シグリコ森永事件
昭和60年1985年乙丑ー/11ま/や三/七40 マ/サプラザ合意・日本航空123便墜落事故
昭和61年1986年丙寅1/12す/な四/六41 ミ/コ三井物産マニラ支店長誘拐事件
昭和62年1987年丁卯2/13あ/む五/五42 ム/ケルーブル合意、国鉄分割民営化
昭和63年1988年戊辰3/14せ/い六/四43 メ/ク五十二才 二の世の始ソ連がペレストロイカ開始
昭和64年
平成元年
1989年己巳4/15ゑ/よ七/三44 モ/キ昭和天皇崩御、平成天皇即位、消費税導入
平成2年1990年庚午5/16ほ/み八/二45 ヤ/カ湾岸戦争
平成3年1991年辛未6/17れ/ふ九/一46 イ/㋾バブル崩壊、ソ連崩壊
平成4年1992年壬申7/18け/ひ十/〇47 ユ/㋽バブル景気「公式」終結、就職氷河期元年、アジェンダ21
平成5年1993年癸酉8/19い/ん48 エ/㋼マコトのことはトリの年、五十六才七ヶ月 みろくの世55年体制崩壊
平成6年1994年甲戌9/20ろ/す〇/十49 ヨ/㋻天明九十六才七ヶ月、ひらく、四十九、天明 神示書かす御役ぞ松本サリン事件
平成7年1995年乙亥10/ーは/せ一/九50 ラ/㋵阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件
平成8年1996年丙子に/も二/八51 リ/㋓薬害エイズ事件民事和解成立
平成9年1997年丁丑ー/11ほ/ひ三/七52 ル/㋴消費税増税、日本銀行法全面改正案可決成立
平成10年1998年戊寅1/12へ/ゑ四/六53 レ/㋑完全失業率4.1%、Google設立
平成11年1999年己卯2/13と/し五/五54 ロ/㋳東海村JCO臨界事故、労働者派遣法規制緩和
平成12年2000年庚辰3/14ち/み六/四55 ワ/オミレニアム開発目標(MDGs)
平成13年2001年辛巳4/15り/め七/三56 ヰ/エ第1次小泉内閣、アメリカ同時多発テロ事件
平成14年2002年壬午5/16ぬ/ゆ八/二57 ウ/ウ持続可能な開発に関する世界首脳会議
平成15年2003年癸未6/17る/き九/一58 ヱ/イ第二次湾岸戦争、SARS-CoV-1発生
平成16年2004年甲申7/18を/さ十/〇59 ヲ/ア製造業務への労働者派遣解禁
平成17年2005年乙酉8/19わ/あマコトのことはトリの年地球温暖化防止条約京都議定書発効、郵政解散
平成18年2006年丙戌9/20か/て〇/十第1次安倍内閣、ライブドア事件
平成19年2007年丁亥10/ーよ/え一/九安倍晋三首相辞任、郵政民営化
平成20年2008年戊子た/こ二/八リーマン・ショック、世界同時株安
平成21年2009年己丑ー/11れ/ふ三/七鳩山内閣、欧州連合リスボン条約発効
平成22年2010年庚寅1/12そ/け四/六尖閣諸島中国漁船衝突事件
平成23年2011年辛卯2/13つ/ま五/五東日本大震災、福島第一原子力発電所事故
平成24年2012年壬辰3/14ね/や六/四持続可能な開発に関する国連会議(リオ+20)、第2次安倍内閣
平成25年2013年癸巳4/15な/く七/三日本の竹島領有権を主張する動画を公開
平成26年2014年甲午5/16ら/お八/二日ロ首脳会談、クリミア危機
平成27年2015年乙未6/17む/の九/一持続可能な開発のための2030アジェンダ、持続可能な開発目標(SDGs)
平成28年2016年丙申7/18う/ゐ十/〇COP21パリ協定
平成29年2017年丁酉8/19ゐ/うマコトのことはトリの年ドナルド・トランプ米大統領就任
平成30年2018年戊戌9/20の/む〇/十築地市場営業終了
平成31年
令和元年
2019年己亥10/ーお/ら一/九令和天皇即位、イベント201、SARS-CoV-2発生
令和2年2020年庚子く/な二/八世界経済フォーラム第50回年次総会(グレートリセット)、改正新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく初の緊急事態宣言を発令
令和3年2021年辛丑ー/11や/ね三/七延期されていた2020年東京オリンピック・パラリンピックを開催、ジョー・バイデン米大統領就任
令和4年2022年壬寅1/12ま/つ四/六ロシアがウクライナ侵攻、安倍晋三銃撃事件
令和5年2023年癸卯2/13け/そ五/五イスラエルがハマスを言い訳にしてガザ地区のパレスチナ人を大量虐殺開始、自由民主党5派閥における政治資金パーティー収入裏金問題
令和6年2024年甲辰3/14ふ/れ六/四令和6年能登半島地震、羽田空港地上衝突事故、ドナルド・トランプ米大統領再選
令和7年2025年乙巳4/15こ/た七/三イラン・イスラエル戦争でイスラエルと支援したアメリカが敗北、トカラ列島群発地震、高市早苗が総理大臣就任
令和8年2026年丙午5/16え/よ八/二
2027年丁未6/17て/か九/一
2028年戊申7/18あ/わ十/〇
2029年己酉8/19さ/をマコトのことはトリの年
2030年庚戌9/20き/る〇/十
2031年辛亥10/ーゆ/ぬ一/九
2032年壬子め/り二/八
2033年癸丑ー/11み/ち三/七
2034年甲寅1/12し/と四/六
2035年乙卯2/13ゑ/へ五/五宵の明星が東へ廻っていたら、いよいよだぞ2035年9月2日皆既月食、太陽の左下に金星
2036年丙辰3/14ひ/ほ六/四
2037年丁巳4/15も/に七/三
2038年戊午5/16せ/は八/二
2039年己未6/17す/ろ九/一
2040年庚申7/18ん/い十/〇
2041年辛酉8/19マコトのことはトリの年、↓大いなるタメシ?
2042年壬戌9/20
2043年癸亥10/ー
2044年甲子
※1 :元は十と四十七と四十八
※2 :三十年一切ぞ 
※3 :富士(二二)の仕組み:(一二三/春マケ):(三四五/夏マケ)
:(五六七/秋マケ):(六六六):(七八九/冬マケ)
:(九十/ハルマゲドン)
※4 :元の人三人、その下に七人、その下に七七、四十九人、合して五十九
※注 一柱一年と思いますが、実際は翌年に被ると思います。
※5  : 子の歳真ん中にして前後十年

mRNAワクチン完成までの長く曲がりくねった道

ttps://www.natureasia.com/ja-jp/ndigest/v18/n11/mRNAワクチン完成までの長く曲がりくねった道/109823

リボソーム

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/リボソーム

伝令RNA

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/伝令RNA

ジョージ・エミール・パラーデは、電子顕微鏡にて細胞質中に高密度の粒子または顆粒を発見しました。それが今日、リボソームと呼ばれるmRNAの翻訳を行う分子複合体です。対して私たちが今日「mRNA」と呼んでいる伝令RNAについては、複数のグループの科学者によって報告されており、最終的に1961年、ジェームズ・ワトソンの研究チームと、ジャコブ、モノー、マシュー・メセルソンのチームによって、mRNAが単離され、独立して記述される運びとなりました。

1984年、Paul Krieg、Douglas Melton、Tom Maniatis、Michael Greenの研究チームは「ウイルス由来のRNA合成酵素などのツールを用いて、生物学的に活性のあるmRNA」を作成しました。そのmRNAをカエルの卵に注入し、天然のmRNAと同様に機能する事を確認しているのです。概ねmRNAを作成する技術はこの時代までに確立され、2026年の現在においてもそう大きく変わっておりません。より危険なものが入れられるようになった事以外は。

キの巻 第二帖

神示読めば何もかもわかるようになっていることわからぬか、尾張の御用 御苦労であったぞ、
奥の奥のこと仕組み通りになっている、臣民心配するでないぞ、
一の宮は桜咲くところへ作れよ、わかったか、
天之日津久神奉賛会でよいぞ、大神津見の神と申しても祀りくれよ、
祭典、国民服の左の胸に八(や)たれの垂二本つけて 絹の垂つけて当分奉仕してよいぞ。
道場は一の宮と一つ所でよいぞ。

イイヨリ(飯依~四国、讃岐の国)の御用 タニハ(丹波~京都)の御用御苦労であったぞ。
皆の者いよいよだぞ、今から弱音では何もできんぞ、
春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケ、ハルマゲドンと申してあろうが、
いよいよだぞ、褌しめよ、グレンだぞ。

昭和20年2月26日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

本ページは随時更新の予定です。最終更新/2026年2月1日

2026年2月1日「扶桑之巻 第一帖」

東は扶桑(二三)なり、ゝ◯(日)出づる秋は来にけり。

この巻扶桑(二三)の巻、
続く六の巻を合わせて七の巻一百四十四帖の黙示を五十黙示と申せよ。

イシもの言うぞと申してあったが、イセにはモノ言うイシ(石)があると昔から知らせてあろうがな、
五の一四(石)がもの言うのであるぞ、開けば五十となり、五百となり、五千となる。
握れば元の五となる、五本の指の様に一と四であるぞ、
この方を五千の山にまつれと申してあろうが、これが五千連ぞ、五十連ぞ、
わかったか、五十連 世に出るぞ。
天に神の座があるように、地には人民の座があるぞ、天にも人民の座があるぞ、地に神の座があるぞ。
七の印と申してあるぞ、七とはモノのなることぞ、
天は三であり、地は四であると今までは説かせてあったなれど
いよいよ時節到来して、天の数二百十六、地の数一百四十四となりなり、
伊邪那岐三となり伊邪那美二となりなりて、ミトノマグワイして五となるのであるぞ、
五は三百六十であるぞ、天の中の元のあり方であるぞ、
七の燈台は十の燈台となり出づる時となったぞ、
天は数ぞと申してあろう、地は意露波であるぞ。
わからん者が上に立つこととなるぞ、大グレン目の前、
日本のみのことではないぞ、世界中のことであるぞ、
今度は三千世界が変わるのであるから今までのようなタテカエではないのであるぞ。
何もかも鏡に映るのであるぞ。鏡が御神体であるぞ。何も映らん御神体のカガミは何もならんぞ。

昭和36年5月5日(1961年 皇紀2621年 辛丑)

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/紙

「神代文字」という触れ込みの古文書(多分写本のはず)を見ていた時、「紙の伝来っていつだったっけ?」って思ったのがきっかけです。世界最古の紙は中国甘粛省の放馬灘で発掘された推定紀元前150年頃のものだとされております。西暦105年、蔡倫は文字の記録媒体としての紙の製造法を確立し、後漢の第4代皇帝、和帝に献上したそうです。日本への伝播は7世紀までに伝えられたとありますが、

遣隋使

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/遣隋使

さてこの国書、紙でしょうか?木版だったのでしょうか?木版だったら遣隋使の功績は無かったでしょう。未開な蛮国に対しては膨大な朝貢を要求されて交渉もままならず。紙は当時の隋でも貴重な工業製品だったはず。それが未開な蛮国だと思っていた当時の日本にあったからこそ、遣隋使は成功したのだと思うのです。

魏晋南北朝時代

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/魏晋南北朝時代

三国志 (歴史書)

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/三国志_(歴史書)

先述の後漢が滅んでから隋が中国を再統一するまでの時代を(三国志で有名な)三国時代、西晋の再統一時代が31年間、西晋が滅び、439年の北魏による華北の再統一までを五胡十六国時代、その439年から589年の隋による南北統一までを南北朝時代とするそうです。

一方で、これらの戦乱から逃れてきた人々が弥生人や渡来人として日本に渡ってきたと考えられる

という記述です。私はこの時代に「紙の製造技術が伝来した」と思っております。

この時代は西晋の一時的な統一時代があったものの相次ぐ戦乱により人口の減少、民族の大移動が起こった。特に五胡十六国時代以降、多くの異民族の介入の起こった中原を初めとする北方は中国語にも劇的な変化をもたらした。西晋以前の上古中国語は八王の乱以降、介入した異民族に支配交代の度、支配した異民族に都合の良い発音に変化し、上古音にみられた sl-, pl-, kl-, gn-等の複雑な重子音が消滅し単純化した。一方、古代漢民族が避難した南方のエリアは音節末子音が残り現代でも客家語や粤語、閩語、呉語などの南方方言に受け継がれている。隋による南北朝統一より初唐までに中国全土が中古音の中古中国語に変化した。

上代日本語

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/上代日本語

中古日本語

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/中古日本語

中世日本語

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/中世日本語

万葉仮名

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/万葉仮名

上代特殊仮名遣

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/上代特殊仮名遣

藤原不比等

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/藤原不比等

漢字の読みには呉音と漢音(当時の中国語の音)がある。当時の日本で一般的に使われていた音読みは呉音であり、古事記・万葉集も呉音である(他の万葉仮名も)。だが、『日本書紀』では(呉音も用いられるが)主として漢音が用いられており、異例である。このことは既に本居宣長が指摘している。日本書紀中国人述作説の根拠の一つである。

(万葉仮名 呉音と漢音)

学術的観点からも、本居宣長の時代には「日本書紀中国人述作説」があったようで。

神代文字

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/神代文字#cite_ref-19

神代巻口訣

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/神代巻口訣

私は神代文字の存在に対しては、可能な限り中立の立場であろうとしておりますが、正直偽書とされているのが多いのも事実。そしてこれらの存在の否定説の根拠にあげられているのが「上代日本語」と五十音順の成立時期です。

漢字

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/漢字

仮名 (文字)

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/仮名_(文字)

五十音

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/五十音

「漢文」は当然ながら中国語に基づいた書記法であり、音韻や構文の異なる日本語を書き記すものではなかった。この「漢文」を日本語として理解するために生まれたのが「漢文訓読」である。しかし地名や人名などの日本語の固有名詞は、漢字をそのまま使ってもその音を書き記すことはできない。そこで使われたのが漢字本来の意味を無視してその発音だけを利用し、日本語の音に当てる「借字」(しゃくじ)であった。これはたとえば漢字の「阿」が持つ本来の意味を無視して「ア」という音だけを抽出し、「阿」を日本語の「ア」として読ませるという方法である。この借字によって日本語が漢字で表記されるようになった。この表記法を俗に「万葉仮名」とも呼ぶ。

(仮名 (文字) 仮名の生まれる以前)

先述の太安万侶が「已に訓に因りて述ぶれば、詞は心に逮らず。全く音を以ちて連ぬれば、事の趣更に長し」嘆くのも当然だと言えます。

神代文字

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/神代文字#cite_ref-19

神代巻口訣

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/神代巻口訣

さて日本の事を扶桑国という場合があるとは言いますが、その扶桑国?という話になると、中国の古文書頼みになってしまうのは大変情けない話です。まず扶桑という言葉が最初に出てくるのは「山海経」ですが、詳細といえる話が出てくるのは、舒明天皇元年(629年 皇紀1289年)の時代の「梁書」まで待たなければなりません。

山海経

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/山海経

梁書

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/梁書

扶桑國、在昔未聞也。普通中、有道人稱自彼而至、其言元本尤悉、故扞録焉。(中略)扶桑國者、齊永元元年、其國有沙門慧深來至荊州、説云「扶桑在大漢國東二萬餘里、地在中国之東、其土多扶桑木、故以爲名。扶桑葉似桐、而初生如笋、國人食之、實如梨而赤、績其皮爲布以爲衣、亦以爲綿。作板屋。無城郭。有文字、以扶桑皮爲紙。無兵甲、不攻戦。其國法、有南北獄。若犯徑者入南獄、重罪者入北獄。有赦則赦南獄、不赦北獄。在北獄者、男女相配、生男八歳爲奴、生女九歳爲婢。犯罪之身、至死不出。貴人有罪、國乃大曾、坐罪人於坑、對之宴飮、分訣若死別焉。以灰繞之、其一重則一身屏退、二重則及子孫、三重則及七世。名國王爲乙祁、貴人第一者爲大對盧、第二者爲小對盧、第三者爲納咄沙。國王行有鼓角導從。其衣色随年改易、甲乙年青、丙丁年赤、戊己年黄、庚辛年白、壬癸年黒。有牛角甚長、以角載物、至勝二十斛。車有馬車、牛車。鹿車。國人養鹿、如中國畜牛。以乳爲酪。有桑梨、徑年不壊。多蒲桃。其地無鐡有銅、不貴金銀。市無租估。其婚姻、壻往女家門外作屋、農夕灑掃、徑年而女不悦、即驅之、相悦乃成婚。婚禮大低與中國同。親喪、七日不食、祖父母喪、五日不食、兄弟伯叔姑姉妹、三日不食。設靈爲神像、朝夕拜奠、不制縗絰。嗣王立、三年不視國事。其俗舊無佛法、宋大明二年、罽賓國嘗有比丘五人游行至其國、流通佛法、經像、教令出家、風俗遂改。」慧深又云「扶桑東千餘里有女國(以下略)

扶桑国の話は以前はなかったが、普通年間 (520年–527年)、扶桑国から来たと言う者の話を記す。(中略)
永元元年(499年)、扶桑国の僧慧深が荊州に来て言った。
「扶桑国は大漢国の東二万余里(8700km余)、中国の東方にある。「扶桑の木」が多いことからその名がある。扶桑の葉は桐に似て、生え始めはタケノコのようで、扶桑国人は食用にする。実は梨のようで赤く、その皮を績いで布にして衣類や綿にしたり屋根を葺いたりする。文字はあり、扶桑の皮でできた紙に書く。城郭はなく、兵士や武装はなく、戦争をしかけない。
南北2つの監獄があり、軽罪の者は南獄、重罪の者は北獄に入る。南獄には恩赦があるが北獄にはない。北獄では男女を番わせ、生まれた男児は8歳・女児は9歳で奴婢とし、罪人自身は一生出られない。貴人が有罪となれば、穴の中に座らせ、酒宴を開いて処刑し、その上に灰を撒く。初犯なら当人が責を受けるだけだが、再犯なら子と孫、三犯なら7世に及ぶ。
国王の名は乙祁。貴人(「祁貴人」が王の名の可能性あり)の第1位は大対盧、第2位は小対盧、第3位は納咄沙と呼ぶ。国王が行くときには鼓笛を従える。その衣の色は年により変わり、甲乙年は青、丙丁年は赤、戊己年は黄、庚辛年は白、壬癸年は黒である。
牛の角は非常に長く、20斛(540kg、1斛≒57kg)以上を運ぶ。馬車、牛車にくわえ、鹿車がある。中国人が牛を飼うように、扶桑国人は鹿を飼い、乳から乳製品を作る。桑、梨、フトモモがある。鉄はないが銅(青銅か)はあり、金銀はふんだんにある。市場では税金がかからない。
結婚するときは、婿が女の家へ行き、門外に建物を作り朝夕掃除する。女が喜ばなかったら取り壊し、喜べば成婚となる。結婚式は中国とほぼ同じである。
親の喪には7日間絶食する。祖父母は5日間、兄弟姉妹おじおばは3日間である。死者の霊を神像とし、朝夕拝む。(先王が死んで?)王の跡継ぎが立ったときには、3年間国事に関わらなかった。
かつては仏教はなかったが、大明2年(458年)、罽賓国(ガンダーラ・カシミール近辺)から5人の僧が来て仏典と仏像をもたらし出家を勧めたので、風俗は変化した」
また慧深はこうも言った。「扶桑の東1000余里(430km)に女国があり、(以下略、一部意訳)

『梁書』巻54 列伝第48 諸夷 海南 東夷 西北諸戎 扶桑國

古代への扉

ttp://nagai.sub.jp/

科学の目で見た 『魏志倭人伝』 の「短里」(永井正範氏)

ttp://nagai.sub.jp/ronbun_pdf/yamataikoku/tanli.pdf

ここで「短里」(1里75m~90m)という説が出てきます。これは古代史を研究している古田武彦氏が提唱しました。この説の裏付けについては以上のリンク先が詳しいです。そこでこの「短里」の計算法に基づいて「邪馬台国は何処だ?」というのを検証する事にしたのです。

魏志倭人伝

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/魏志倭人伝

倭人在帶方東南大海之中、依山㠀爲國邑。舊百餘國、漢時有朝見者。今使譯所通三十國。從郡至倭、循海岸水行、歷韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國、七千餘里。

(倭人は帯方の東南大海の中に住み、山島に依って国邑をつくる。もとは百余国。漢のときに朝見する者があり、いま使者と通訳を接触させているのは三十国。郡から倭に至るには、海岸に従って水行し、馬韓を経て、あるいは南へ、あるいは東へ進み、その北岸の狗邪韓国に到着する。七千余里。)

始度一海千餘里、至對馬國、其大官曰卑狗、副曰卑奴母離、所居絶㠀、方可四百餘里。土地山險、多深林、道路如禽鹿徑。有千餘戸。無良田、食海物自活、乗船南北市糴。

始めて一海を渡ること千余里で、対馬国に至る。その大官を卑狗と言い、副官を卑奴母離と言う。居るところは絶遠の島で、四方は四百余里ばかりか。土地は山が険しく、深林が多く、道路は鳥や鹿の径のようだ。千余戸ある。良い田はなく、海産物を食べて自活し、船に乗って南北に行き、米を買うなどする。

海を渡って対馬国というので、ここからにします。確かに絶遠の島ではあります。当時で千余戸あったと。意外と人いますね。

又南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國。官亦曰卑狗、副曰卑奴母離。方可三百里。多竹木叢林。有三千許家。差有田地、耕田猶不足食、亦南北市糴。

(また南に一海を渡ること千余里、瀚海(かんかい。大海・対馬海峡)という名である。一大国(一支・壱岐)に至る。官をまた卑狗と言い、副官を卑奴母離と言う。四方は三百里ばかりか。竹林・叢林が多く、三千あまりの家がある。やや田地があり、田を耕してもなお食べるには足らず、また南北に行き、米を買うなどする。)

一大国(一支・壱岐)ですが、対馬国での船出の位置と到着港が分からないのですが、ぐるっと廻ったのならこんなもんでしょうか。

又渡一海千餘里、至末廬國。有四千餘戸、濱山海居。草木茂盛、行不見前人。好捕魚鰒、水無深淺、皆沈没取之。

(また一海をわたること千余里で末廬国(まつろこく。松浦付近)に至る。四千余戸ある。山と海の間の海岸に居住する。草木が盛んに茂り、歩いてゆくと前の人が見えない。好んで魚やアワビを捕え、水は深くても浅くても、皆が潜って取る。)

距離なら唐津の方が適切だと思いますが、末廬国というには…。

伊万里にした場合です。「山と海の間の海岸に居住する。草木が盛んに茂り、歩いてゆくと前の人が見えない。好んで魚やアワビを捕え、水は深くても浅くても、皆が潜って取る」ようなトコだとこちらの方が適切でしょうか?

東南陸行五百里、到伊都國。官曰爾支、副曰泄謨觚・柄渠觚。有千餘戸。丗有王、皆統屬女王國。郡使往來常所駐。

(東南に陸行五百里で、伊都国(いとこく・いつこく。糸島付近)に到着する。官を爾支(にき。稲置・県主か)といい、副官を泄謨觚(せもこ。島子・妹子か)・柄渠觚(へくこ。彦子・日桙か)と言う。千余戸ある。世に王がいた、みなは女王国に統属していた。(帯方)郡の使者が往来し、常駐する場所である。)

使者にしてみれば「コッチに上陸しとけや( ゚Д゚)ゴルァ!!」だと思う…。糸島市は伊都国歴史博物館があるなど、オフィシャルで伊都国を自認しているようです。

東南至奴國百里。官曰兕馬觚、副曰卑奴母離。有二萬餘戸。

(東南の奴国(なこく・ぬこく。博多付近)まで百里で至る。官を兕馬觚(しまこ。島子か)と言い、副官を卑奴母離と言う。二万余戸ある。)

使者にしてみれば「コッチに上陸しとけや凸(゚Д゚#)ヤンノカゴルァ!!」レベルだと思う…。伊都国の外れ(に見える)、今宿からにしてあります。

東行至不彌國百里。官曰多模、副曰卑奴母離。有千餘家。

(東行して不弥国に(ふみこく・ふやこく)まで百里で至る。官を多模(たま。玉・魂・玉造か)と言い、副官を卑奴母離と言う。千余家ある。)

大宰府政庁跡の地点にしてみました。そしておそらくその先が邪馬台国だと思います。が、下の記述を見ると様子がおかしい。

南至投馬國、水行二十曰。官曰彌彌、副曰彌彌那利。可五萬餘戸。

(南へ投馬国に至る、水行二十日。官を彌彌(みみ。耳・美々か)と言い、副官を彌彌那利(みみなり。耳成・耳垂か)と言う。五万余戸ばかりか。)

南至邪馬壹國。女王之所都、水行十日、陸行一月。 官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳鞮。可七萬餘戸。

(南へ邪馬台国(邪馬壹国)に至る。女王によって都べられる(この都は動詞なので統べるの意味)所である。水行十日・陸行一月。官に伊支馬(いきま)があり、次を弥馬升(みましょう)と言い、次を弥馬獲支(みまかくき)と言い、次を奴佳鞮(なかてい)と言う。七万余戸ばかりか。)

ただ新訂 魏志倭人伝とされる中に帯方郡から女王国(邪馬台国)までの里数が一万二千里と記述されてはおります。ただこの数値を鵜呑みにしてしまうと、南は種子島、東は近畿地方まで至ります。しかしここまで来ておきながら、再び「水行」するなんて理解し難い。

自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳。 次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、 次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、 次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、次有鬼奴國、 次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴利國、次有支惟國、次有烏奴國、次有奴國。 此女王境界所盡。

(女王国から北は、その戸数や道里はほぼ記載できるが、それ以外の辺傍の国は遠く隔たり、詳しく知ることができない。次に斯馬国があり、次に己百支国があり、次に伊邪国があり、次に都支国があり、次に弥奴国があり、次に好古都国があり、次に不呼国があり、次に姐奴国があり、次に対蘇国があり、次に蘇奴国があり、次に呼邑国があり、次に華奴蘇奴国があり、次に鬼国があり、次に為吾国があり、次に鬼奴国があり、次に邪馬国があり、次に躬臣国があり、次に巴利国があり、次に支惟国があり、次に烏奴国があり、次に奴国(重出、また□奴国の誤脱か)がある。これが女王の境界の尽きるところである。)

其南有狗奴國。男子爲王、其官有狗古智卑狗。不屬女王。

(その南に狗奴国があり、男を王とする。その官に狗古智卑狗がある。女王に属さない。)

狗奴国は王の名前も書かれてないのに「その官に狗古智卑狗」となっているのは何でしょうか?その名前より「菊池彦」に通じるとして熊本県菊池郡との関連を指摘する説があるそうです。

女王國東渡海千餘里復有國皆倭種 又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千餘里 又有裸國黒齒國復在其東南船行一年可至

(女王・卑弥呼国から4000余里に侏儒国がある。また裸国と黒歯国があり、東南に船で一年で着く)

ついでに侏儒国も。種子島か屋久島かのどちらかだと思うんですけど。裸国?黒歯国?南に沖縄とか石垣島とかあるけど船で1年も必要かな?

下有湯谷 湯谷上有扶桑 十日所浴 在黑齒北 居水中 有大木 九日居下枝 一日居上枝

(下に湯谷があり、湯谷の上に扶桑があり、10の太陽が水浴びをする。黒歯国の北であり、大木は水中にあり、9の太陽は下の枝に、1の太陽が上の枝にある)

大荒之中 有山名曰孽搖頵羝 上有扶木 柱三百里 其葉如芥 有谷曰温源谷 湯谷上有扶木 一日方至 一日方出 皆載於烏

(大荒(辺境)の中に孽搖頵羝(げつよういんてい)という山があり、山の上に扶木がある。高さは300里(130m)、その葉はカラシナに似る。温源谷(= 湯谷 ?)という谷があり、湯谷の上に扶木がある。1つの太陽が来ると1つの太陽が出て行き、太陽はみな烏を載せている)

(山海経)

東造扶桑游紫庭 西至崑崙戯増城

(東、扶桑に造りて紫庭に游び、西、崑崙に至りて増城に戯る)

そしてようやく「梁書」に戻します。扶桑の記述は、冒頭で紹介した慧深という僧侶の証言の他にもあるのです。

文身國,在倭國東北七千餘里。人體有文如獸,其額上有三文,文直者貴,文小者賤。土俗歡樂,物豊而賤,行客不齎糧。有屋宇,無城郭。其王所居,飾以金銀珍麗。繞屋爲緌,廣一丈,實以水銀,雨則流于水銀之上。市用珍寶。犯輕罪者則鞭杖;犯死罪則置猛獸食之,有枉則猛獸避而不食,經宿則赦之。

文身って入れ墨の事で、人は獣のように入れ墨をしていると書かれています。その位置は倭国の東北7000余里だと。

大漢國,在文身國東五千餘里。無兵戈,不攻戰。風俗並與文身國同而言語異。

倭人在帶方東南大海之中 依山㠀為國邑 舊百餘國 漢時有朝見者 今使譯所通三十國

(倭人は帯方の東南大海の中に住み、山島に依って国邑をつくる。もとは百余国。漢のときに朝見する者があり、いま使者と通訳を接触させているのは三十国。郡から倭に至るには、海岸に従って水行し、馬韓を経て、あるいは南へ、あるいは東へ進み、その北岸の狗邪韓国に到着する。七千余里。)

倭者自云太伯之後 俗皆文身 去帶方萬二千餘里 大抵在會稽之東相去絶遠

(倭は自ら太伯の後と云ふ。俗はみな文身。帯方を去ること万二千余里なり。たいてい、会稽の東に在り。相去ること絶遠なり。)

最後に宋に朝貢したのは477年(又は478年)「武」と思われる雄略天皇です。先述の「文身国」が倭国から東北7000余里(700X0.075=525㎞)に一致するのは確か。

上の地点を「宋」が認識している文身国と仮定すると、大漢国は関東?東北?。言語が違う?アイヌ語だとすると違うのは分かりますけど…。

今度は慧深の話を検証します。荊州から東二万余里(20000X0.09=1800㎞)…、

これはこれで興味深い話なんですが…。

慧深又云「扶桑東千餘里有女國、容貌端正、色甚潔白、身體有毛、髮長委地。至二、三月、競入水則任娠、六七月產子。女人胸前無乳、項後生毛、根白、毛中有汁、以乳子、一百日能行、三四年則成人矣。見人驚避、偏畏丈夫。食鹹草如禽獸。鹹草葉似邪蒿、而氣香味鹹。」天監六年、有晉安人渡海、爲風所飄至一島、登岸、有人居止。女則如中國、而言語不可曉。男則人身而狗頭、其聲如吠。其食有小豆。其衣如布。築土爲墻、其形圓、其戶如竇云。

(慧深また云う、「扶桑の東千餘里に女國有り。容貌は端正、色甚だ潔く白し。身體に毛有り。髮長く地に委(ゆだ) ぬ。二・三月に至り、競いて水に入り則ち任娠し、六・七月に子を産む。女人は胸の前に乳無く、項の後に毛生え、根は白く、毛の中に汁有り、以って子に乳す。一百日に能く行き、三・四年に則ち成人す。人を見て驚き避け、偏(すこぶ)る丈夫(じょうふ=成人した男性)を畏(おそ)る。鹹草(かんそう=「あしたば」)を食い禽獸の如し。鹹草の葉は邪蒿(じゃこう)に似て氣は香しく味は鹹(から)し」と。天監六年、晉の安人有りて海を渡り風に飄う所と為し一島に至る。岸を登り、人有り、居して止まる。女は則ち中國の如くして言語は曉(さと)るべからず。男は則ち人身にして狗頭、其の聲は吠えるが如し。其の食に小豆有り。 其の衣は布の如し。土を築き墻(しょう=かき。かこい)と為し、其の形は圓、其の戸は竇(とう=あな。あなぐら)の如しと云う。)

是神風伊勢國 則常世之浪重浪歸國也 傍國可怜國也 欲居是國

(この神風の伊勢の国は常世の浪の重浪帰する国なり。傍国の可怜国なり。この国に居らむと欲ふ)

— 垂仁天皇25年3月丙申(10日)条

以上の事から、神武天皇は関東へ「東征」したのではなく、関西圏へ「西征」したのでしょう。大陸から入ってくる人や文明を無視出来なくなった事、海を隔てた九州は特に。だから後の日本建尊も九州へ西征に向かったのだと。これでは渡来人は「朝敵」と見做されてしまいます。だから古事記や日本書紀には書くわけにはいかない、と考えれば辻褄が合うのです。

上つ巻 第四帖

急ぐなれど、臣民中々に言うこと聞かぬから、言うこと聞かねば、聞く様にして聞かす。
神には何もかもできているが、臣民まだ目覚めぬか、金の要らぬ楽の世になるぞ。
早く神祀りてくれよ、神祀らねば何もできぬぞ。
表の裏は裏、裏の裏がある世ぞ。
神を「ダシ」にして、今の上の人がいるから、神の力が出ないのぞ。
お上に大神を祀りて政事をせねば治まらん。
この神を祀るのは、見晴らし台ぞ、富士見晴らし台ぞ、早く祀りて御告げを世に広めてくれよ。
早く知らせねば日本が潰れるようなことになるから、早う祀りて神の申すようにしてくれ。
神急けるよ。
上ばかり良くてもならぬ下ばかり良くてもならぬ、上下そろった善き世が神の世ぞ。
卍(ドイツ)も一十(イタリ)もアテにならぬ、世界中一つになって
(神)の国に寄せて来るぞ。
それなのに今のやり方でよいと思っているのか、
わからねば神に尋ねて政治せねばならぬと言うこと まだわからぬか。
神と人とが交流合わせて この世のことが、させてあるのぞ。
人が聞かねば神ばかりで始めるぞ。神ばかりで洗濯するのは早いなれど、それでは臣民が可哀想だから、
臣民みなやり直さねばならぬから、
気をつけているのに何しているのぞ、いつどんなことあっても知らんぞ、神祭第一、神祭結構。
二三の木ノ花咲耶姫の神様を祀りてくれよ。コハナサクヤ姫様も祀りてくれよ。

昭和19年6月13日(1944年 皇紀2604年 甲申)

2026年1月28日「海の巻 第二帖」

権小道師から上は神の帖面につくのであるぞ、参道は仮ぞ。
合わせて四十九かへミタマ六参道仮だからそのつもり結構ぞ。
一帖、三十帖、二帖、二十九帖というふうに読み直して下されよ、
三十帖一切として上下まぜまぜにして上下ひっくり返して読み直してくれよ。
火の守護から水の守護に変わっておるのであるから、
水の蔭には火、火の蔭には水ぞ、このこと忘れるなよ、この中には化け物いるのだぞ、
化け物に化かされんように おかげ落とさんように致して下されよ、
神くどう気つけおくぞ。

昭和22年8月14日(1947年 皇紀2607年 丁亥

秋の巻 第一帖

同じ神の子でも本家と分家あるぞ。本家は人間じゃ。分家は動植物じゃ。
本家と分家は神の前では同じであるが、位置を代えると同じでないぞ。
三十年で世の建て替え致すぞ。
これからは一日増しに世界から出て来るから、いかに強情な人民でも往生致すぞ。
神は喜びであるから、人の心から悪を取り除かねば神に通じないぞと教えているが、
それは段階の低い教えであるぞ。大道でないぞ。理屈の作り出した神であるぞ。
大神は大歓喜であるから悪をも抱き参らせているのであるぞ。
抱き参らす人の心に、マコトの不動の天国くるぞ。
抱き参らせば悪は悪ならずと申してあろうが。今までの教えは今までの教え。

昭和27年4月11日(1952年 皇紀2612年 壬辰)

祭りの巻 第二十一帖

建て替えが十年延びたと知らしてあろうが、
建て替え遅くなりて、それから建て直しに掛かりたのでは人民丸潰れとなるから、
建て直し早うかかるからと聞かせてあろうが、人民には中々わからんなれど、
世界の動き良く見て御用結構ぞ。
世の建て替えは水の守護、火の守護と知らせてあること忘れずに神示読めよ、
所々の氏神様は日本の内で御用なさるのじゃ。
どんな集団も神示が元じゃ、神示で開かなならんぞ、
智や学も要るなれど、智や学では開けんぞ、誠で開いて下されよ

昭和21年8月30日(1946年 皇紀2606年 丙戌)

春の巻 第五十五帖

十二年遅れているのを取り戻すのであるから、これからは目の回るほど急しくなって来るぞ。
神示読む暇もなくなると申してある時来たぞ。
いずれは人民減るなれど、何も約束ごと真理とはかえられん。
まこと求めるならば、これと見届けたならば、その場で御用与える仕組み。

昭和27年2月15日(1952年 皇紀2612年 壬辰)

キの巻 第二帖

神示読めば何もかもわかるようになっていることわからぬか、
尾張の御用 御苦労であったぞ、
奥の奥のこと仕組み通りになっている、臣民心配するでないぞ、
一の宮は桜咲くところへ作れよ、わかったか、天之日津久神奉賛会でよいぞ、
大神津見の神と申しても祀りくれよ、
祭典、国民服の左の胸に八(や)たれの垂二本つけて 絹の垂つけて当分奉仕してよいぞ。
道場は一の宮と一つ所でよいぞ。
イイヨリ(飯依~四国、讃岐の国)の御用 タニハ(丹波~京都)の御用御苦労であったぞ。
皆の者いよいよだぞ、今から弱音では何もできんぞ、
春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケ、ハルマゲドンと申してあろうが、
いよいよだぞ、褌しめよ、グレンだぞ。

昭和20年2月26日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

このように考えると、祭りの巻 第二十一帖(昭和21年)で「建て替えが十年延びた」というのは、秋の巻 第一帖(昭和27年)であくまでも「三十年で世の建て替え致すぞ」とされているので結果論的に「延びたわけでは無い」と解釈できます。

大本神諭 年月日不明

至仁至愛の神の御出ましに御成なさる時節が参りて大国常立尊が出口の手で書き知らして置いた世が迫りて来たから、世界中の人民が改心を致さねば、この世では最う一寸も先へは行けず、後へ戻ることも出来んぞよ。
この世の来ることを明治二十五年から今につづいて知してをるのにチットモ聞入れが無いが、国同士の人の殺し合いといふやうな斯んな約らん事はないぞよ。
一人の人民でも神からは大切であるのに屈強ざかりの人民が皆無くなりて老人や小児ばかり残して前後を構はずのやりかたであるぞよ。こんな大きな天地の罪を犯してまだ人の国まで取らうと致してをるのは向先きの見えぬ悪魔の所作であるから、何の国が仲裁に出ても天地の大神の御許しのなき事にはいつまでも埒は明かぬぞよ。出かけた船であるから、どちらの船も後へ引く事もならず、進む事も出来ず、まことの仲裁もはいらず、つまらんことが出来るから、外国の守護神に長らくの間気が付けてありたぞよ。
あまり我が強いとしくじるぞよと何時も筆先で気が往けてあるぞよ。
何国にも負けん強い国で在ると思ふて我よしのやりかたで頑張ると為損ひが出来るからと申してくどう知らしてありたが今の有様は其通りではないか。これからは神代の世になるから今までの様に余り頑張ると我れの思ふやうには此の先は一寸も行かんぞよ。我の強い守護神ほど思はくは立ちはせんぞよ。
これまでの心を全然入れ替て了ふて天と地との元を創造た太元の神へお詫を致さねば、我の一力で行りて居ると思ふのが大間違であるぞよ。何事も皆神からの事であるから取り違いをいたすなよと先に気を往けてあろうがな。
我一力で仕て居ると思ふて居ることを霊魂の性来因縁だけの事を天地の神からさせられて居るのであると云ふ事が判然とわかる時代が回りて来たので在るから、これ迄の悪の守護神のやりかたも九分九厘まではトントン拍子に思ふやうに来たなれどモウ九分九厘で悪のみたまのやりかたは輪止りとなるのが今の事であるぞよ。今までは悪のみたまの覇の利く時節でありたぞよ。是が暗りの世でありたぞよ。
この先は学や智恵や仏では国は建たんぞよ。一日も早く往生いたさんと世界の物事が遅ておるから筆先でいつも同じ事を気を付けるぞよ。向ふの国の有様は筆先どうりになりて来てをるから日本の国の守護神に早く判らんと立替が十二年遅くなりてをるから、何かの事の実地が始まると、まだまだ世界には烈しき事が来るぞよと申して在るが一度申したことは違ゐはせんぞよ。世の元から神は能く判りておるので在るから向ふの国に彼れだけの事があるのに日本の人民は我さへ善けら国はどうなりても構はぬとは全然獣ものであるぞよ。神の直々の善き御魂を貰ふてをるからは末には神にも祭られる結構なものであり乍ら人は倒ようが仆れようが我さえ善けりゃ好いでは万物の長とは白されんぞよ。
世界は今が罪の借銭済であるから罪悪のひどい処ほどきびしき戒があるぞよと申して知してあるがこの世界は後にも前にも無いみせしめが出て来るぞよ。
用意をなされよ世の立替は新つの洗い替であるから、みろくの神の世に立返りて万古末代善一筋の世になる尊ひ事の初りであるから皆の人民の思ひが違ふてあるぞよ。あやべの大本は今では粗末なとこで在るなれど此の広い世界に外に亦とない大神の世の元の尊とひとこであるから全部判けて見せたならば余り大きな仕組であるから思ひが大違いで驚愕いたすぞよ。天地のビックリ箱が明くぞよと申してあるが此のビックリ箱が明いて手の掌をかやしたら何んな人でも驚愕いたして改心せずには居れん事になるが其処まで行かん中にチット判らんと約らん事があるぞよ。
この大本に日々かぶり付て居るものにチト早く判らんと何処からも是からは判る守護神が出て来るから、耻かしうなるぞよ。何事も、ちっと判りて居んと面目ない事が出来るぞよ。慢神と誤解が一番こわいぞよ。
たれに由らず慢神すると我の心が大変ゑらい様に思へて、人から見て居ると鼻が高うて見にくいぞよ。
腹の中に誠さえありたなれば何んな事でも出来るなれど上から見てよくても心の中に誠が無いと実地の誠が成就いたさんぞよ。

立替が予定通り行われていたとしたら、どういうスケジュールになっていたんでしょう?

「二十二柱」?

2026年1月25日「富士の巻 第二十帖」

今のうちに草木の根や葉を日に干して貯えておけよ、保食の神様お怒りだから、
九十四(今年)は五分位しか食べ物採れんから、そのつもりで用意しておいてくれよ。

神は気もない時から知らせておくから、この神示よく読んでくれよ。
一握りの米に泣くことあると知らせてあろうがな、米ばかりでないぞ、
何もかも臣民もなくなるところまで行かねばならんのぞ、臣民ばかりでないぞ、
神々様さえ今度は無くなる方あるぞ。臣民というものは目の先ばかりより見えんから、
呑気なものであるが、いざとなっての改心は間に合わんから、くどく気つけてあるのだぞ。
日本ばかりでないぞ、世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあろうがな、
神にすがって神の申す通りにするより他には道ないぞ、
それで神々様を祀りて上の御方からも下々からも朝に夕に言霊が
この国に満つ世になったら神の力現すのぞ。
江戸に先ず神まつれと、くどく申してあることよくわかるであろうがな。

昭和19年8月27日(1944年 皇紀2604年 甲申)

与野党公約に「食料品の消費税率ゼロ」、年収600万円台世帯で6・1万円の減税…税収は5兆円減に

ttps://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/20260121-GYT1T00085/

食料品「消費税ゼロ」本当に実現?──首相周辺「やるとは言い切っていない」 “給付付き税額控除ができるなら不要”の声も

ttps://shikiho.toyokeizai.net/news/0/931208

かつて岸田が総理大臣になる前の自民党総裁選で、ネット上の下馬評は圧倒的に高市でした。それでも結果はご存じの通り。ここでも書いたのですが、所詮「民主主義」というのは建前上の多数決であって、実際は「経団連スポンサー」の意向であり、組織票という暴力によって「裁決」される事なのです(わざと採決→裁決って書いた)。こちらで挙げたトランプの政策手法になぞらえれるなら

従って「食料品の消費税率ゼロ」を公約に掲げたというのは、経団連や各省庁、とりわけ「罪務省」麻生の同意無しではありえないと思うのです。だけど、「やるとは言い切っていない」なんて不協和音が聞こえてくるのは反対勢力の恨み節だけなのか、それとも?

「食料品消費税ゼロ」案で、株価が息を吹き返した中食大手

ttps://news.ntv.co.jp/category/politics/ec2e29db9ca642e9a99810aa320c4885

「食品消費税ゼロ」外食に逆風 中食と競争激化、控除消え資金繰り難も

ttps://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA216FG0R20C26A1000000/

軽減税率

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/軽減税率

ね?、「経団連スポンサー」の意向でしょ?

【なぜ】田んぼの底に亀裂「水が減るスピードが異様に速い…」 梅雨入りも遅れ“水不足”が「コシヒカリ」にも影響

ttps://www.fnn.jp/articles/-/712499?display=full

雪どけ水少なく農業用水不足 コメの生育に影響 南魚沼市など

ttps://www3.nhk.or.jp/lnews/niigata/20240621/1030029633.html

当時の状況は、令和6年産の米の流通以前の段階であり、現在の米不足は令和5年産の作況に係る問題のハズなのです。令和5年のお米の生産量を評価する「作況指数」は101となっており、平年並みの作柄と公表されています。従って現状の米不足の原因を令和5年のせいにするのは間違いだという事です。ならば前年の時点で問題にしておいてね、と思います。

新型コロナの教訓は生きたか?南海トラフ地震臨時情報で混乱した夏休み、政府が検討すべき“狼少年”にならぬ伝え方【西田亮介の週刊時評】政府への不信感がいざという時の行動を鈍らせる

ttps://jbpress.ismedia.jp/articles/-/82947

「令和の米騒動」値上げ、品薄で確保困難、なのになぜ精米して1ヶ月の米をスーパーは棚から撤去するのか

ttps://news.yahoo.co.jp/expert/articles/a74172d48c665e088c162e469cf21707964a538f

精米して1ヶ月から40日、50日程度で、どのスーパーも商品棚から撤去しており、撤去した後どうするかは企業や店舗によって異なりますが、コメの納入業者に返品する、捨てる、従業員に安く売る、フードバンクに寄付する等に分かれるようです。当時スーパーの商品棚に並べられていたのは、温めて食べるというパックのご飯です。もちろん、これらは昨日今日から店頭に並んでいたのでは無く、赤飯やら五目御飯といったバリエーション共々、以前からあったものです。その反面、このような米不足の状況にも拘らず、各社のパックのご飯が棚に並べられているのをみると「やけに多いな」と疑問に思ったりします。真っ先に気が付くのは、参入しているメーカーの数。赤飯だとか五目御飯といったラインナップを揃えられるのは、普段から店頭に並んでいるような業界トップメーカーだけだと思うのですけど、いつもは目にしないようなメーカーまで並んでいるのは、コロナ当時のマスクのメーカーのようでした。

JAが新米を囲い込み、コメの値段は下がらない…「小泉備蓄米 セール」が新米価格にもたらす深刻すぎる代償

56万トン増産なのに、概算金を3万円に吊り上げたJAの意図

ttps://cigs.canon/article/20250912_9235.html

なぜ新米ができても「コメの値段」は下がらないのか…JAバンクが抱える「預貯金100兆円」と米価の知られざる関係

「巨大マネーをアメリカが狙っている」説を徹底検証

ttps://cigs.canon/article/20251028_9344.html

こんな妄想がもし正しかったとするなら、米の高値操作は少なくとも後三年は続くでしょう。つまり今の「七八九」の時代ならば続けられる。だけど2030年代になると、「米の高値は操作では無く、物理的な不足によるもの」に変わるでしょう。それは農家の倒産によって。その理由は言わずもがな。