2026年1月28日「海の巻 第二帖」

権小道師から上は神の帖面につくのであるぞ、参道は仮ぞ。
合わせて四十九かへミタマ六参道仮だからそのつもり結構ぞ。
一帖、三十帖、二帖、二十九帖というふうに読み直して下されよ、
三十帖一切として上下まぜまぜにして上下ひっくり返して読み直してくれよ。
火の守護から水の守護に変わっておるのであるから、
水の蔭には火、火の蔭には水ぞ、このこと忘れるなよ、この中には化け物いるのだぞ、
化け物に化かされんように おかげ落とさんように致して下されよ、
神くどう気つけおくぞ。

昭和22年8月14日(1947年 皇紀2607年 丁亥

秋の巻 第一帖

同じ神の子でも本家と分家あるぞ。本家は人間じゃ。分家は動植物じゃ。
本家と分家は神の前では同じであるが、位置を代えると同じでないぞ。
三十年で世の建て替え致すぞ。
これからは一日増しに世界から出て来るから、いかに強情な人民でも往生致すぞ。
神は喜びであるから、人の心から悪を取り除かねば神に通じないぞと教えているが、
それは段階の低い教えであるぞ。大道でないぞ。理屈の作り出した神であるぞ。
大神は大歓喜であるから悪をも抱き参らせているのであるぞ。
抱き参らす人の心に、マコトの不動の天国くるぞ。
抱き参らせば悪は悪ならずと申してあろうが。今までの教えは今までの教え。

昭和27年4月11日(1952年 皇紀2612年 壬辰)

祭りの巻 第二十一帖

建て替えが十年延びたと知らしてあろうが、
建て替え遅くなりて、それから建て直しに掛かりたのでは人民丸潰れとなるから、
建て直し早うかかるからと聞かせてあろうが、人民には中々わからんなれど、
世界の動き良く見て御用結構ぞ。
世の建て替えは水の守護、火の守護と知らせてあること忘れずに神示読めよ、
所々の氏神様は日本の内で御用なさるのじゃ。
どんな集団も神示が元じゃ、神示で開かなならんぞ、
智や学も要るなれど、智や学では開けんぞ、誠で開いて下されよ

昭和21年8月30日(1946年 皇紀2606年 丙戌)

春の巻 第五十五帖

十二年遅れているのを取り戻すのであるから、これからは目の回るほど急しくなって来るぞ。
神示読む暇もなくなると申してある時来たぞ。
いずれは人民減るなれど、何も約束ごと真理とはかえられん。
まこと求めるならば、これと見届けたならば、その場で御用与える仕組み。

昭和27年2月15日(1952年 皇紀2612年 壬辰)

キの巻 第二帖

神示読めば何もかもわかるようになっていることわからぬか、
尾張の御用 御苦労であったぞ、
奥の奥のこと仕組み通りになっている、臣民心配するでないぞ、
一の宮は桜咲くところへ作れよ、わかったか、天之日津久神奉賛会でよいぞ、
大神津見の神と申しても祀りくれよ、
祭典、国民服の左の胸に八(や)たれの垂二本つけて 絹の垂つけて当分奉仕してよいぞ。
道場は一の宮と一つ所でよいぞ。
イイヨリ(飯依~四国、讃岐の国)の御用 タニハ(丹波~京都)の御用御苦労であったぞ。
皆の者いよいよだぞ、今から弱音では何もできんぞ、
春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケ、ハルマゲドンと申してあろうが、
いよいよだぞ、褌しめよ、グレンだぞ。

昭和20年2月26日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

このように考えると、祭りの巻 第二十一帖(昭和21年)で「建て替えが十年延びた」というのは、秋の巻 第一帖(昭和27年)であくまでも「三十年で世の建て替え致すぞ」とされているので結果論的に「延びたわけでは無い」と解釈できます。

大本神諭 年月日不明

至仁至愛の神の御出ましに御成なさる時節が参りて大国常立尊が出口の手で書き知らして置いた世が迫りて来たから、世界中の人民が改心を致さねば、この世では最う一寸も先へは行けず、後へ戻ることも出来んぞよ。
この世の来ることを明治二十五年から今につづいて知してをるのにチットモ聞入れが無いが、国同士の人の殺し合いといふやうな斯んな約らん事はないぞよ。
一人の人民でも神からは大切であるのに屈強ざかりの人民が皆無くなりて老人や小児ばかり残して前後を構はずのやりかたであるぞよ。こんな大きな天地の罪を犯してまだ人の国まで取らうと致してをるのは向先きの見えぬ悪魔の所作であるから、何の国が仲裁に出ても天地の大神の御許しのなき事にはいつまでも埒は明かぬぞよ。出かけた船であるから、どちらの船も後へ引く事もならず、進む事も出来ず、まことの仲裁もはいらず、つまらんことが出来るから、外国の守護神に長らくの間気が付けてありたぞよ。
あまり我が強いとしくじるぞよと何時も筆先で気が往けてあるぞよ。
何国にも負けん強い国で在ると思ふて我よしのやりかたで頑張ると為損ひが出来るからと申してくどう知らしてありたが今の有様は其通りではないか。これからは神代の世になるから今までの様に余り頑張ると我れの思ふやうには此の先は一寸も行かんぞよ。我の強い守護神ほど思はくは立ちはせんぞよ。
これまでの心を全然入れ替て了ふて天と地との元を創造た太元の神へお詫を致さねば、我の一力で行りて居ると思ふのが大間違であるぞよ。何事も皆神からの事であるから取り違いをいたすなよと先に気を往けてあろうがな。
我一力で仕て居ると思ふて居ることを霊魂の性来因縁だけの事を天地の神からさせられて居るのであると云ふ事が判然とわかる時代が回りて来たので在るから、これ迄の悪の守護神のやりかたも九分九厘まではトントン拍子に思ふやうに来たなれどモウ九分九厘で悪のみたまのやりかたは輪止りとなるのが今の事であるぞよ。今までは悪のみたまの覇の利く時節でありたぞよ。是が暗りの世でありたぞよ。
この先は学や智恵や仏では国は建たんぞよ。一日も早く往生いたさんと世界の物事が遅ておるから筆先でいつも同じ事を気を付けるぞよ。向ふの国の有様は筆先どうりになりて来てをるから日本の国の守護神に早く判らんと立替が十二年遅くなりてをるから、何かの事の実地が始まると、まだまだ世界には烈しき事が来るぞよと申して在るが一度申したことは違ゐはせんぞよ。世の元から神は能く判りておるので在るから向ふの国に彼れだけの事があるのに日本の人民は我さへ善けら国はどうなりても構はぬとは全然獣ものであるぞよ。神の直々の善き御魂を貰ふてをるからは末には神にも祭られる結構なものであり乍ら人は倒ようが仆れようが我さえ善けりゃ好いでは万物の長とは白されんぞよ。
世界は今が罪の借銭済であるから罪悪のひどい処ほどきびしき戒があるぞよと申して知してあるがこの世界は後にも前にも無いみせしめが出て来るぞよ。
用意をなされよ世の立替は新つの洗い替であるから、みろくの神の世に立返りて万古末代善一筋の世になる尊ひ事の初りであるから皆の人民の思ひが違ふてあるぞよ。あやべの大本は今では粗末なとこで在るなれど此の広い世界に外に亦とない大神の世の元の尊とひとこであるから全部判けて見せたならば余り大きな仕組であるから思ひが大違いで驚愕いたすぞよ。天地のビックリ箱が明くぞよと申してあるが此のビックリ箱が明いて手の掌をかやしたら何んな人でも驚愕いたして改心せずには居れん事になるが其処まで行かん中にチット判らんと約らん事があるぞよ。
この大本に日々かぶり付て居るものにチト早く判らんと何処からも是からは判る守護神が出て来るから、耻かしうなるぞよ。何事も、ちっと判りて居んと面目ない事が出来るぞよ。慢神と誤解が一番こわいぞよ。
たれに由らず慢神すると我の心が大変ゑらい様に思へて、人から見て居ると鼻が高うて見にくいぞよ。
腹の中に誠さえありたなれば何んな事でも出来るなれど上から見てよくても心の中に誠が無いと実地の誠が成就いたさんぞよ。

立替が予定通り行われていたとしたら、どういうスケジュールになっていたんでしょう?

「二十二柱」?

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