神が主であり人民が従であると申してあろう。これを逆にしたから世が乱れているのぞ。
結果あって原因あるのでないぞ。
今の人民、結構すぎて天地の御恩と申すこと忘れているぞ。
いよいよとなって泣き面せねばならんことわかっているから、くどう気つけているのじゃ。
マコトのことはトリの年。
昭和27年4月11日(1952年 皇紀2612年 壬辰)
現在2026年1月4日の朝なんですけど、家の前の通り、私の家のトコだけ雪溶けてる。ノータッチなのに。あ~あ、今晩から仕事かぁ…。ずっと記事書き直してたから近所の神社にお参りに行っただけですけど、休み終わったらさすがに毎日書き直せなくなるから書いとかないと。
タイムラインの分析第一回は、「富士(二二)の仕組み」です。
私はこの文章を書いている今、「マコトのことはトリの年」という言葉の意味を知っておりますが、唐突に神示を受けた岡本天明氏(と周囲の人たち)の立場だったらどうでしょう?この神示の主なメッセージは、本来「マコトのことはトリの年」よりも前の部分であるはずです。私が「マコトのことはトリの年」について書いているのは、日月神示全文を読んだうえで、「マコト」とそれに関連する神示を拾い上げられたからというだけであり、天明氏は後々降りてくる神示の内容を知らない…。決定的なのは
紫金之巻 第三帖
伊豆幣帛を 都幣帛に結び 岩戸ひらきてし。
ウヨウヨしている霊かかりに まだ、だまされてござる人民多いのう、
何と申したらわかるのであるか、奇跡を求めたり、我よしのおかげを求めたり、
下級な動物のイレモノとなっているから、囚われているから、だまされるのじゃ、
霊媒の行いをよく見れば すぐわかるでないか。早う目覚めよ。
因縁とは申しながら、可哀想だからくどう申して聞かせているのであるぞ、
マコトの道にかえれよ、マコトとは 〇一二三四五六七八九十と申してあろう、
その裏は十九八七六五四三二一〇で、合わせて二十二であるぞ、
二二が真理と知らせてあろう、二二が富士(不二・普字)と申してあろうが、
まだわからんか。
昭和36年記述日不明(1961年 皇紀2621年 辛丑)
天明氏は昭和38年に亡くなったので、これは殆ど晩年近くに降りて来た神示なのです。「〇一二三四五六七八九十」の記述は以前にもあった。が、その裏「十九八七六五四三二一〇」は無かったはず。「三十帖」の裏表については記述があったけど。これを見て思うのは、後世に残したメッセージに見えるという事。
「〇一二三四五六七八九十」は、日月神示の仕組みに留まらない不変の仕組みである可能性があるのです。
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実は『酉年』の酉という漢字は『鳥』という意味ではありません。【鈴木杏樹のいってらっしゃい】
ttps://news.1242.com/article/109993
まずは表題の「マコトのことはトリの年」の意味する所から入ります。ここでいう「トリ」とは干支の「酉」であり、作物が完全に熟した状態を意味し、さんずいを付け加えれば酒になります。その酒造りの季節を指しているそうです。酉年の中でも「辛酉」は天命が改まる年とされ、「辛酉革命」として革命すら懸念されるような年であり、古来の日本においては政治的変革の防止を目的として、辛酉年に改元していた事もあったそうです。
日の出の巻 第二帖
九歳は神界の紀の年ぞ、神始めの年と申せよ。
一二三、三四五、五六七ぞ、五の歳は子の歳だぞよ。
取り違いしないようにせよ。
月日の巻 十人と十人の役員に見せてやってくれよ。時節到来したのであるぞ。
桜咲き神の御国は明けそめにけり。
昭和19年12月2日(1944年 皇紀2604年 甲申)
神初めの年って昭和19年で甲申ですが、昭和20年が乙酉、8月15日が大東亜戦争の終戦の日であるのは皆様もご存じでしょう。ところが
祭りの巻 第八帖
旧九月八日で一切りじゃ、これで一の御用は済みたぞ、八分通りは落第じゃぞ、
次の御用 改めて致さすから、今度は落第せんよう心得なされよ。
何もかも神は見通しだぞ、神の仕組み 人民で遅れんよう 気つけて結構致し下されよ、
二の仕組み、御用は集団作りてよいぞ。大奥山はそのままにしておかなならんぞ、
天明(岡本天明)まだまだ神示の御用結構ぞ、アホ結構ぞ、リコウ出ると壊れるぞ。
天明ばかりでないぞ、皆同様ぞ。皆リコウになったものじゃナア、クドウ神にもの申さすでないぞ。
昭和21年8月15日(1946年 皇紀2606年 丙戌)
え?「一の御用」なんて何時やってた?という疑問が生じます。即ち、「日月神示が降りた」昭和19年6月10日より以前から始まっていた事になります。
碧玉之巻 第七帖
始めの日は始めの日に過ぎん、
始めの前にあるものが分からねば、それはただの理屈に過ぎんぞ、
マコトでないぞ、根から出たものではない、枝葉に過ぎん、
男から女は生まれんぞ、奇数から偶数は生まれんと申してあろうが、
一つのものの表が男であるぞ、裏が女であるぞ、
男から女をつくったと申すのは ある時期における教えじゃ、
岩戸がひらけたのであるから教えではならん、
道でなくてはならんと申してあるぞ、
道は永遠じゃ、◯から出て◯に至るのじゃ。
昭和36年5月6日(1961年 皇紀2621年 辛丑)
冒頭から「始めの日は始めの日に過ぎん」と言われております。そして文末が「道は永遠じゃ、◯から出て◯に至るのじゃ」なのです。これが「〇一二三四五六七八九十」が不変の仕組みである所以です。裏である「十九八七六五四三二一〇」共々、「◯から出て◯に至る」→「酉から出て酉に至る」とすると、干支は12年、その間は11年になるのです。
| 元号 | 西暦 | 干支 | 富士 | 元号 | 西暦 | 干支 | 富士 | 元号 | 西暦 | 干支 | 富士 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 大正10年 | 1921年 | 辛酉 | 昭和20年 | 1945年 | 乙酉 | 昭和44年 | 1969年 | 己酉 | |||
| 大正11年 | 1922年 | 壬戌 | 〇/十 | 昭和21年 | 1946年 | 丙戌 | 〇/十 | 昭和45年 | 1970年 | 庚戌 | 〇/十 |
| 大正12年 | 1923年 | 癸亥 | 一/九 | 昭和22年 | 1947年 | 丁亥 | 一/九 | 昭和46年 | 1971年 | 辛亥 | 一/九 |
| 大正13年 | 1924年 | 甲子 | 二/八 | 昭和23年 | 1948年 | 戊子 | 二/八 | 昭和47年 | 1972年 | 壬子 | 二/八 |
| 大正14年 | 1925年 | 乙丑 | 三/七 | 昭和24年 | 1949年 | 己丑 | 三/七 | 昭和48年 | 1973年 | 癸丑 | 三/七 |
| 大正15年 昭和元年 | 1926年 | 丙寅 | 四/六 | 昭和25年 | 1950年 | 庚寅 | 四/六 | 昭和49年 | 1974年 | 甲寅 | 四/六 |
| 昭和2年 | 1927年 | 丁卯 | 五/五 | 昭和26年 | 1951年 | 辛卯 | 五/五 | 昭和50年 | 1975年 | 乙卯 | 五/五 |
| 昭和3年 | 1928年 | 戊辰 | 六/四 | 昭和27年 | 1952年 | 壬辰 | 六/四 | 昭和51年 | 1976年 | 丙辰 | 六/四 |
| 昭和4年 | 1929年 | 己巳 | 七/三 | 昭和28年 | 1953年 | 癸巳 | 七/三 | 昭和52年 | 1977年 | 丁巳 | 七/三 |
| 昭和5年 | 1930年 | 庚午 | 八/二 | 昭和29年 | 1954年 | 甲午 | 八/二 | 昭和53年 | 1978年 | 戊午 | 八/二 |
| 昭和6年 | 1931年 | 辛未 | 九/一 | 昭和30年 | 1955年 | 乙未 | 九/一 | 昭和54年 | 1979年 | 己未 | 九/一 |
| 昭和7年 | 1932年 | 壬申 | 十/〇 | 昭和31年 | 1956年 | 丙申 | 十/〇 | 昭和55年 | 1980年 | 庚申 | 十/〇 |
| 昭和8年 | 1933年 | 癸酉 | 昭和32年 | 1957年 | 丁酉 | … | … | … | |||
| 昭和9年 | 1934年 | 甲戌 | 〇/十 | 昭和33年 | 1958年 | 戊戌 | 〇/十 | ||||
| 昭和10年 | 1935年 | 乙亥 | 一/九 | 昭和34年 | 1959年 | 己亥 | 一/九 | ||||
| 昭和11年 | 1936年 | 丙子 | 二/八 | 昭和35年 | 1960年 | 庚子 | 二/八 | ||||
| 昭和12年 | 1937年 | 丁丑 | 三/七 | 昭和36年 | 1961年 | 辛丑 | 三/七 | ||||
| 昭和13年 | 1938年 | 戊寅 | 四/六 | 昭和37年 | 1962年 | 壬寅 | 四/六 | ||||
| 昭和14年 | 1939年 | 己卯 | 五/五 | 昭和38年 | 1963年 | 癸卯 | 五/五 | ||||
| 昭和15年 | 1940年 | 庚辰 | 六/四 | 昭和39年 | 1964年 | 甲辰 | 六/四 | ||||
| 昭和16年 | 1941年 | 辛巳 | 七/三 | 昭和40年 | 1965年 | 乙巳 | 七/三 | ||||
| 昭和17年 | 1942年 | 壬午 | 八/二 | 昭和41年 | 1966年 | 丙午 | 八/二 | ||||
| 昭和18年 | 1943年 | 癸未 | 九/一 | 昭和42年 | 1967年 | 丁未 | 九/一 | ||||
| 昭和19年 | 1944年 | 甲申 | 十/〇 | 昭和43年 | 1968年 | 戊申 | 十/〇 |
これが「マコトとは 〇一二三四五六七八九十と申してあろう、その裏は十九八七六五四三二一〇で、合わせて二十二であるぞ、二二が真理と知らせてあろう、二二が富士(不二・普字)と申してあろう」の意味する所だと思います。
星座之巻 第十五帖
十二人が一人欠けて十一人となるぞ、その守護神を加えて二十二柱、二十二が富士じゃ、
真理じゃ、また三であるぞ、
今までは四本指八本指で物事を計って誤りなかったのであるが、
岩戸が明けたから親指が現れて五本十本となったのじゃ、このことよくわきまえよ。
昭和36年5月10日(1961年 皇紀2621年 辛丑)
星座之巻 第十五帖に補足があります。裏が守護神側で、表が現象世界の変化です。霊的世界と対になっているという意味だと思います。
干支
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/干支
殷
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/殷
干支へのリンクは意図的に60周期を説明している干支のページにしています。この60周期を六十干支、十干十二支と言います。干支の起源は、古代中国において実在が証明されている最も古い王国とされる「殷」(紀元前16世紀頃 – 紀元前1046年)です。
以上の話は、後々分析する「五十九」の時に再掲する予定なのですが、何故日月神示において「殷」に由来する、あるいは共通する暦がタイムテーブルになっているのか?は明らかにされておりません。

