2026年1月11日「白銀の巻 第五帖」

人間に自由はないのであるぞ。真の自由は、大神にのみあるものぞ。
大神の自由の一部が御喜びと共に流れ入り、神に流れ入った自由は、
また神の喜びとなって人間に流れ入るから、
人間自身は自由を持っていると信じるのであるぞ。
本質的には自由はないのであるぞ。人間には自由の影があり、反影あるのだ。
それを人間は自由と心得ているのであるぞ。
自由の反影あるから、悪にも善にも、陽にも陰にも為し得るのであるぞ。
また進歩、弥栄するのであるぞ。
悪自由を、人間は自由と心得ているが、
それは自由ではなく、自分自身を首くくるものぞ。
善自由こそ真の自由であるぞ。自由は神から流れ出ると申してあろう。
他の世界と交流するは、他の世界に住む人間を通じてするのであるぞ。
世界とは人間のことでもあるぞ。人間が世界であるぞ。よく心得なされよ。
+(陽)と-(陰)と◯とゝであるぞ。+の陰には-があり、-の陰には+がある。
その和の状態が◯でありゝ(いのち)するのであるぞ。
+は+のみでは力ないぞ。-は-だけでは力ないぞ。+と-とだけでも動きないぞ。
生命の喜びないのであるぞ。よく心得よ。
◯があって+-があり、+-がありゝがあって和があるのであるぞ。
ここの道理よく得心、合点せよ。
+は人間にとって直接の喜びでない。
が直々の喜びぞ。
-も直接ではなく、ΘФが直接の喜びであり、
その二つが和しゝして嬉し嬉しと弥栄えるのであるぞ。
天地の中間を中界と申すぞ。天の息吹きと地の息吹きの中間ぞ。
天国へ行くも、行かんのも まず落ちつく、死後の始めての世界であるぞ。

昭和25年1月2日(1950年 庚寅 皇紀2610年)

メディア掲載  グローバルエコノミー  2025.10.21 リベラル後の「自由主義」

ttps://cigs.canon/article/20251021_9331.html

この記事の冒頭にあるポイント、特に「市場の倫理と統治の倫理を問い直す時期」という点は同意なのですが、書かれている話と私の解釈では相違点があります。例えば

トランプ大統領の介入政策は、リベラリズムによって拡大した「市場の倫理」の領域に、伝統的な「統治の倫理」を復活させて押し返そうとする行動だといえる。

というのは全くの逆で、

でもそんな事は昔からあって、プラザ合意成立のためのスーパー301条のちらつかせだの、日本に戦争を起こさせるためのハルノートだのって。トランプのポピュリズムというのは、あくまで選挙詐欺口だけであって、ただのネオコン政権です。

もう一か所

20世紀前半の全体主義や共産主義の運動も、「市場の倫理」の領域を押し戻して「統治の倫理」の領域を再拡大しようとする運動だったとも解釈できる。ポピュリズムと全体主義の親和性は、こうした共通性からも理解できる。

ではなく、

自由

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/自由

この留学生が英語の「Freedom 」と「Liberty 」のどちらを使ったのか分かりません。ま、Wikiによれば、

一方でリバティはラテン語「liber」の「社会的・政治的に制約されていない」「負債を負っていない」という意味から、英語の「liberal(形:自由な)」や「liberty(名:自由)」の語源となった。自由主義の「liberalism」はこれによる。また「liberate(動:解放する)」、「liberator(名:解放者)」、「liberation(名:解放)」も同じ語源による

下にある「東洋における自由」の項で

中国では本来、「自由」は、好き勝手や自由気ままという意味で用いられた。日本も当初は、二条河原の落書の「自由出家」や「自由狼藉」のように、中国と同じ用法で用いられていた。 福沢諭吉がリバティを訳するに際して、仏教用語より「自由」を選んだ。

福澤諭吉福澤諭吉

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/福澤諭吉

吉田松陰

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/吉田松陰

大本神諭 年月日不明

至仁至愛の神の御出ましに御成なさる時節が参りて大国常立尊が出口の手で書き知らして置いた世が迫りて来たから、世界中の人民が改心を致さねば、この世では最う一寸も先へは行けず、後へ戻ることも出来んぞよ。
この世の来ることを明治二十五年から今につづいて知してをるのにチットモ聞入れが無いが、国同士の人の殺し合いといふやうな斯んな約らん事はないぞよ。
一人の人民でも神からは大切であるのに屈強ざかりの人民が皆無くなりて老人や小児ばかり残して前後を構はずのやりかたであるぞよ。こんな大きな天地の罪を犯してまだ人の国まで取らうと致してをるのは向先きの見えぬ悪魔の所作であるから、何の国が仲裁に出ても天地の大神の御許しのなき事にはいつまでも埒は明かぬぞよ。出かけた船であるから、どちらの船も後へ引く事もならず、進む事も出来ず、まことの仲裁もはいらず、つまらんことが出来るから、外国の守護神に長らくの間気が付けてありたぞよ。
あまり我が強いとしくじるぞよと何時も筆先で気が往けてあるぞよ。
何国にも負けん強い国で在ると思ふて我よしのやりかたで頑張ると為損ひが出来るからと申してくどう知らしてありたが今の有様は其通りではないか。これからは神代の世になるから今までの様に余り頑張ると我れの思ふやうには此の先は一寸も行かんぞよ。我の強い守護神ほど思はくは立ちはせんぞよ。
これまでの心を全然入れ替て了ふて天と地との元を創造た太元の神へお詫を致さねば、我の一力で行りて居ると思ふのが大間違であるぞよ。何事も皆神からの事であるから取り違いをいたすなよと先に気を往けてあろうがな。
我一力で仕て居ると思ふて居ることを霊魂の性来因縁だけの事を天地の神からさせられて居るのであると云ふ事が判然とわかる時代が回りて来たので在るから、これ迄の悪の守護神のやりかたも九分九厘まではトントン拍子に思ふやうに来たなれどモウ九分九厘で悪のみたまのやりかたは輪止りとなるのが今の事であるぞよ。今までは悪のみたまの覇の利く時節でありたぞよ。是が暗りの世でありたぞよ。
この先は学や智恵や仏では国は建たんぞよ。一日も早く往生いたさんと世界の物事が遅ておるから筆先でいつも同じ事を気を付けるぞよ。向ふの国の有様は筆先どうりになりて来てをるから日本の国の守護神に早く判らんと立替が十二年遅くなりてをるから、何かの事の実地が始まると、まだまだ世界には烈しき事が来るぞよと申して在るが一度申したことは違ゐはせんぞよ。世の元から神は能く判りておるので在るから向ふの国に彼れだけの事があるのに日本の人民は我さへ善けら国はどうなりても構はぬとは全然獣ものであるぞよ。神の直々の善き御魂を貰ふてをるからは末には神にも祭られる結構なものであり乍ら人は倒ようが仆れようが我さえ善けりゃ好いでは万物の長とは白されんぞよ。
世界は今が罪の借銭済であるから罪悪のひどい処ほどきびしき戒があるぞよと申して知してあるがこの世界は後にも前にも無いみせしめが出て来るぞよ。
用意をなされよ世の立替は新つの洗い替であるから、みろくの神の世に立返りて万古末代善一筋の世になる尊ひ事の初りであるから皆の人民の思ひが違ふてあるぞよ。あやべの大本は今では粗末なとこで在るなれど此の広い世界に外に亦とない大神の世の元の尊とひとこであるから全部判けて見せたならば余り大きな仕組であるから思ひが大違いで驚愕いたすぞよ。天地のビックリ箱が明くぞよと申してあるが此のビックリ箱が明いて手の掌をかやしたら何んな人でも驚愕いたして改心せずには居れん事になるが其処まで行かん中にチット判らんと約らん事があるぞよ。
この大本に日々かぶり付て居るものにチト早く判らんと何処からも是からは判る守護神が出て来るから、耻かしうなるぞよ。何事も、ちっと判りて居んと面目ない事が出来るぞよ。慢神と誤解が一番こわいぞよ。
たれに由らず慢神すると我の心が大変ゑらい様に思へて、人から見て居ると鼻が高うて見にくいぞよ。
腹の中に誠さえありたなれば何んな事でも出来るなれど上から見てよくても心の中に誠が無いと実地の誠が成就いたさんぞよ。

という認識だった事になります。実際、明治に入って以降は、(えせ)社会主義者、共産主義者共(という名のただのテロリスト)が跋扈するようになり戦後の団塊世代が成人する頃には暴力革命に走る連中がピークになります。

「外国人の重要犯罪増」はミスリード 「不起訴率が右肩上がり」は誤り 参政党・吉川里奈衆院議員の街頭演説【ファクトチェック】

ttps://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1624023

今日「外国人犯罪」でググると、

週刊女性PRIME ドンキホーテで相次ぐ外国人観光客のトラブル「未払い逃走」「会計前に食べる」運営が現状把握も打つ手なしか

ttps://www.jprime.jp/articles/-/38183?display=b

河川敷のバーベキューで迷惑行為…不法投棄が頻発 東京・奥多摩町

ttps://s.mxtv.jp/tokyomxplus/mx/article/202408221000/detail/

サバクトビバッタ

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/サバクトビバッタ

サバクトビバッタは、毎日自分の体重と同じ量の緑の植物を食べる(中略)さらにはバッタからの排泄物が食べ残した食物を腐らせる

買い手である経済界にとっては、コスパの良い奴隷なので増やしたいのです。その反面、この連中の生活圏と被る人たちは、こいつらの素性を嫌というほど思い知る事となるのです。

後、数年は、ね。

2026年1月11日「星座之巻 第三帖」

時、時、と申してあるが、時間では無いぞ。神、幽身にも聞かせているのぞ。
地上人には時間が考えられるなれど、神界には時間が無く、神も霊人も時間は知らないのであるぞ。
ただ喜びがあるのみぞ。
神界で時間と申すのは、ものの連続と変化、状態の弥栄のことであるぞ。
トキ待てよ。トキ違えるで無いぞ。
地上人の時間と区別して考えねばこの神示は解らんぞ。

昭和36年5月10日(1961年 辛丑 皇紀2621年)

11、12日と連休になりました。早々に記事更新しろ、ってせっつかれて煽られているのでしょうか?(←被害妄想)

本記事はブログ更新停止中に書いてた「葬送のフリーレン」のレビューです。2026年1月16日から待望のアニメ第二期がオンエアされますが、第一期のレビューが間に合って良かったです。されど私は夜勤なので、第二期を見るのはブルーレイ発売までお預けなのです(ノд・。) グスン

ドラゴンクエストが発売された頃、友人は(当時の日本にとっては)、この新しいジャンルのゲームに夢中になりましたが、当時の私はそれに飛びつこうとさえ思いませんでした。それはひねくれていたからというわけでは決してなく、単に優先順位が音楽をやったからであり、一方で富士通のFM-7を持っていた事もあって、ファミコンも持ってはおらず、あのコントローラーでゲームする位ならアーケードでやればいいや、という程度の話です。

その後、ほぼ同時期に発売されたRPGの大作とされる作品をプレイしたのですが、

最近Youtube見ていると、右側のおすすめ?に「葬送のフリーレン」が出て来るようになりました。今や漫画、アニメ、ゲーム等、至る所に「異世界」もの、「RPG世界」ものが扱われている世の中で、最初は「またか」位に思っていたのですが、たまたま見ていたショート動画をスクロールして、目の当たりにした本作品の動画から見た印象だけでも「違った」。

因みにブルーレイ第1巻収録の第1話から第4話までは、コミックスの第1巻に一致しているので(正確には第2巻第8話)、未読未視聴の方はセットで買うと良いかもです。

本編に行く前に音楽の方から…

夜には国を挙げての祝賀会が行われているのですが、この楽器は恐らく「リュート(Lute)」。作中の音楽の第一印象としては、ヨーロッパの大西洋側と東欧っぽい雰囲気があるように思いましたが、作曲者の音楽ルーツがケルティック音楽にあって、今回ハンガリーのオーケストラを使ったそうで。(想像していたより北側でした…)古楽器が多用されている事で、「音色の地域性」からくる先入観だったのかも知れません。いずれにせよ、雰囲気がとても大切にされている作品だと思います。

ー ー ー

「フリーレン」は1000年以上生きたエルフの魔法使いです。10年に渡って一緒に冒険をしてきた「勇者ヒンメル」と「僧侶ハイター」は人間です。「戦士アイゼン」はドワーフであり人間よりもはるかに長寿ですが、エルフに比べれば短く、フリーレンに比べれば人間と言うものを理解しているように思えます。それは後に「もう斧を振れるような歳じゃないんだ」という齢に至ってより実感する事になったのだろうな、とも。

さて、星座之巻 第三帖

地上人には時間が考えられるなれど、神界には時間が無く、神も霊人も時間は知らないのであるぞ。

磐戸の巻 第七帖

人民のイクサや天災ばかりで、今度の岩戸ひらくと思っていたら大きな間違いだぞ、
戦や天災で埒あくようなチョロコイことでないぞ、
あいた口ふさがらんことになって来るのだから、
早うミタマ磨いて恐いもの無いようになっておってくれよ、
肉体の恐さではないぞ、タマの恐さだぞ、タマの戦や禍は見当取れまいがな、
真通理(祀り) 第一と申すのだ、神のミコトに聞けよ、
それにはどうしてもミタマ磨いて神かかれるようにならねばならんのだ。
神かかりと申しても そこらにござる天狗やキツネやタヌキつきではないぞ。
まことの神かかりであるぞ。
右行く人、左行く人、咎めるでないぞ。
世界のことは皆、己の心に映って心だけのことよりできんのだぞ、この道理わかったか、
この道はマナカ(真中)行く道とくどく申してあること忘れるなよ、
今までのような宗教や教えの集団は潰れてしまうぞ、神が潰すのではないぞ、
自分で潰れるのだぞ、
早うこの神示、魂にしてマコトの道に生きてくれよ、
俳句は俳句と申してあるが、天理は天理、金光は金光だけの教えであるぞ。
この神の申すこと、天のミチぞ、地のミチぞ、人のミチだぞ。
今度の岩戸ひらきの大望済んだとて、すぐに良いことばかりはないのだぞ、
二度とないことであるから臣民では見当取れんから、肚の底から改心して、
素直に、神の申す通りにするのが何より結構なことだぞ。

昭和20年1月7日(1945年 乙酉 皇紀2605年)

返す返すもヒンメルとハイターは人間であり、アイゼンはドワーフ族、そしてフリーレンはエルフです。この異種族ごちゃ混ぜのパーティーが10年間もやって来れたのは、「クソみたいな思い出しかない」けど「楽しかった」事がまず一つ。その中にはお互いの価値観を知る機会があったから。その一つが原作第7話、アニメ第4話、タイトルは共通で「魂の眠る地」です。

アイゼン曰く「人は死んだら無に還る」、フリーレン曰く「死後の魂の観測ができないから、(天国の)実在を証明できないんだよね。」まぁおっしゃる通り…で、ヒンメルは「どっちでもいいと思うけどな。」と何となく言っているようにも。

道中でお互いを理解するようなエピソード、いっぱいあったでしょう。でなければお互いに背中は預けられないでしょうから。

「嘘をついてもいいのは、魔術師マジシャンと芸術家、善意でやむを得ない場合と悪人に対してだけ。」

ところでこういう話って、パッと出て来るようなものじゃないと思うんです。作者の方の人生哲学を見ているような気もするし、自分たちとは異なる存在がどのように考え、行動するのか?と言う考察の積み重ねがあったように見えるのです。同じ日本人であっても考え方が違うように異なる民族であれば殊更違う、では種族が異なれば?というように。

たまには私もこんな事を考えていたりするのです。

2026年1月11日「水の巻 第十帖」

五大洲 引っ繰り返っておること まだわからぬか。肝心要のことだぞ。
七大洲となるぞ。八大洲となるぞ。
今の臣民にわかるように申すならば御三体の大神様とは、
天之御中主神様、高皇産霊神様、神皇産霊神様、
伊邪那岐神様、伊邪那美神様、撞賢木向津媛の神様でござるぞ。
雨の神とは あめのみくまりの神、くにのみくまりの神、
風の神とは しなどひこの神、しなどひめの神、
岩の神とは いわなかひめの神、いわとわけの神、
荒れの神とは 大雷のをの神、わきいかづちおの神、
地震の神とは 武甕槌の神、経津主の神、
神様の御事でござるぞ。
木の神とは 木花開耶姫の神、
金の神とは 金かつかねの神、火の神とはわかひめきみの神、
ひのでの神とは 彦火々出見の神、
竜宮の乙姫殿とは 玉依姫の神様の御事でござるぞ。
この方のこと、いずれわかって来るぞ。今はまだ知らせてならんことぞ。
知らせる時節近づいたぞ。

昭和20年6月11日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

岡本天明伝[日月神示]夜明けの御用(黒川柚月氏・著)65ページに「聖師は「古事記を研究して神武以前の歴史を検討していかないと、二度目の天の岩戸開きという意味は解らない」といわれた」という記述があります。この聖師というのは、天明氏がかつて所属していた「大本」の二大教祖の一人、出口王仁三郎氏の事です。ところが、今回の主役、経津主神ふつぬしのかみは、日本書紀では登場しているのですが、古事記には登場していないのです。

大本

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/大本

出口なお

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/出口なお

出口王仁三郎

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/出口王仁三郎

古事記

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/古事記

日本書紀

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/日本書紀

事大主義

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/事大主義

小中華思想

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/小中華思想

誰に都合が良かったっていうのは、「藤原不比等・・・・・にとって・・・・」なのです。「中臣氏」では無く。

…。

…まさかね。

しかしさっぱり人気ひとけが無かったのですが。

そんなはずもなく。アイキャッチの写真なんて奇跡的に人がいなかっただけで。

参道が広いです。これが神宮か。高校の時、明治神宮に行った事があるとはいえ、人大杉でそれを実感するどころではなく。

今井健彦

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/今井健彦

今井信郎

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/今井信郎

今井信郎は、近江屋事件の件で嫌疑をかけられ、坂本龍馬暗殺の際には見張り役だったとして、禁固刑二ヶ年の判決を受けた後、釈放されております。氏の三男が今井健彦であり、衆議院議員(立憲政友会)、文部政務次官、商工政務次官、農林参与官、ジャーナリスト、東京毎日新聞社社長を務めたそうです。

奥に進みます。

ここだけでも普通の神社の広さあるわ。

護国神社

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/護国神社

こちらは香取神宮内にあるから良いとしても、戦没者を直接知る遺族や戦友たちの高齢化、引き継ぐ管理者がいなくなると存続が厳しいか…。あ、この左側奥にある「要石」行くの忘れた。道戻っちゃったのです。

やっと…と思ったらまだ先なのです。

正面は手水舎、拝殿は右へ。

あの…。

…。

ちょ…こんなシーン何時かも見た気がするぞ…デジャヴ?

香取神宮

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/香取神宮

主祭神は経津主大神

経津主神

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/経津主神

神宮の祭祀氏族は、古くは香取連(かとりのむらじ、香取氏)の一族とされますが、系図によれば、大中臣氏から大中臣清暢が香取連五百島の養子に入る事で香取大宮司を、清暢の子の秋雄が香取大禰宜を担う事となります。その後の平安時代末期までは中央の藤原氏に管掌されていたところ、鹿島神宮大宮司の中臣氏一族から、香取神宮大宮司への任命があって以降は、香取大中臣氏と鹿島中臣氏とが香取の大宮司職を巡って対立を見せ、大中臣氏一族の内部で大宮司・大禰宜職や社領を巡っての抗争が展開、近世の江戸幕府の統制下に入っても、抗争は繰り返されていたことが散見されています。…えっと、藤原氏についてはいずれ書くことになりますけど…。

最初は分かりづらかったのですが、左側が市神社で、祭神は事代主神、天降神社が合祀されているようで、祭神は伊伎志爾保神、鑰守神です。右側が馬場殿神社で、祭神は建速須佐之男命です。

飯篠家直

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/飯篠家直

お墓のたたずまいが素晴らしいです。風情があるというか。飯篠家直は18代当主千葉胤宣に仕えていたそうです。

ただ、ここだけは全く空気感が違ったような気がしました。

経津主神の荒御魂を祀る奥宮です。社殿は昭和48年(1973年)の伊勢神宮遷宮の際の古材を使用しているそうです。この竹林と杉が織りなす風景と古材を使った社殿の雰囲気と言ったら…。

よく考えたら、この二本、やけに近いような…。

Wiki見ると境内社、境外社、随分ありますね、だいぶ見落としてる…。

側高神社までは4㎞前後ありますし…。

しかし痣だけは残った…(執筆時点では消えました)。

…ところで

2026年1月11日「日の出の巻 第二帖」

九歳は神界の紀の年ぞ、神始めの年と申せよ。
一二三、三四五、五六七ぞ、五の歳は子の歳だぞよ。
取り違いしないようにせよ。
月日の巻 十人と十人の役員に見せてやってくれよ。
時節到来したのであるぞ。桜咲き神の御国は明けそめにけり。

昭和19年12月2日(1944年 皇紀2604年 甲申)

祭りの巻 第八帖

旧九月八日で一切りじゃ、これで一の御用は済みたぞ、八分通りは落第じゃぞ、
次の御用 改めて致さすから、今度は落第せんよう心得なされよ。
何もかも神は見通しだぞ、神の仕組み 人民で遅れんよう 気つけて結構致し下されよ、
二の仕組み、御用は集団作りてよいぞ。大奥山はそのままにしておかなならんぞ、
天明(岡本天明)まだまだ神示の御用結構ぞ、アホ結構ぞ、リコウ出ると壊れるぞ。
天明ばかりでないぞ、皆同様ぞ。皆リコウになったものじゃナア、クドウ神にもの申さすでないぞ。

昭和21年8月15日(1946年 皇紀2606年 丙戌)

昭和19年に日月神示が降りて、昭和21年で一の御用は済んだというのは明らかに時間が足りないように思います。太平洋戦争は1941年(昭和16年)から1945年(昭和20年)まで行われた戦争であり、一の御用とは、それまでの驕った日本を敗戦させる仕組みと見るならば、それは「富士(二二)の仕組み」に従って、開始時期は昭和19年より前から出ないとおかしいというわけです。

岩の巻 第四帖

元は十と四十七と四十八と合わせて百と五ぞ、九十五柱だぞ。

昭和21年2月16日(1946年 皇紀2606年 丙戌)

私は、「岩の巻 第四帖」を日月神示の仕組みの全期間を指していると考えているのですが、「元は十」とは「三柱」と「七柱」、つまり神様の事だと思っているのです。

上つ巻 第二十七帖

何もかも世の元から仕組みてあるから神の申すところへ行けよ。
元の仕組みは富士(二二)ぞ、次の仕組みはウシトラ三十里四里、
次の仕組みの山に行って開いてくれよ、
今はわかるまいが、やがて結構なことになるのだから、行きて神祀りて開いてくれよ、
細かく知らせてやりたいなれど、それでは臣民の手柄なくなるから、
臣民は子だから、子に手柄させて親から御礼申すぞ。
行けば何もかも善くなるように、昔からの仕組みしてあるから、
何事も物差しで測ったように行くぞ。天地が唸るぞ、上下引っ繰り返るぞ。
悪の仕組みに皆の臣民騙されているが、もう直ぐ目覚めるぞ、目覚めたら訪ねてござれ、
この神のもとへ来て聞けば、何でもわかるように神示で知らせておくぞ。
秋立ったら淋しくなるぞ、淋しくなったら訪ねてござれ、
我を張っていると、いつまでも分からずに苦しむばかりぞ。
この神示も身魂によりどんなにでも、
取れるように書いておくから、取り違いせんようにしてくれ、
三柱と七柱そろったら山に行けよ。

昭和19年7月1日(1944年 皇紀2604年 甲申)

では、「四十七と四十八」とは何を示しているのでしょう?

荒れの巻 第一帖

言答開き成り成るぞ。誠言答は永遠ぞ。瞳ぞ。御位継ぐ理の始めぞ。

字絶対の世 始め出づぞ。二一開き、結ぶ玉に祝うぞ。
読む開き、字出づ理に成り、結ぶ玉に弥栄開く大和心の道ぞ。
道開く理の極みぞ。本能秀(生命)月日の極み成る読む言の極み。
弥栄に真問い極む世。那美(名美)那岐(名基)の理の玉継ぐ意味開くなり。
字の絶対継ぐ意味 弥勒弥勒となるぞ。根っこ理ぞ。誠だぞ。弥栄弥栄。
玉秘出づ理ぞ。玉基理ぞ。通基秘理、極み成る識道、本能秀(生命)だぞ。不見の実主だぞ。

慈の理、字の絶対出づ(大スサナルの能ぞ)。
南無(名務)荷い開く弥勒。日継ぎの意味荷う数と字の絶対光の道。
字の絶対開き、那美(名美)開くぞ。字の極意の極みは読字(黄泉路)ぞ。
富士(普字)に花咲く時だぞ。開く結びの命、字開きに字、開き、実るぞ。
山にも地にも万劫光の花開くの理ぞ。光の経綸 四八音となるぞ。意露波理ぞ。

人、仏の極みは、命の光普き、智普く基の天の言玉の理、
理の極みの光の答の山路(大空間)百霊継ぐ文字の道。生(基)の極みたり。

面白に秘解く成答、文道とどめたり。数の始めの絶対の理だぞ。
字、絶対の理。誠母の秘文。霊気世に満ち漲り、国々晴れ渡るぞ。
日継ぎ(日通基)開く文字、綱母成る極みなり。言の絶対の答え、人の意の極みなる意味ぞ。
読みこれぞ。

答えの名基荷負う始め、伊勢世の始め、普字成答の経綸動ぞ。
字に成り成りませる光の玉には、何事も弥栄弥栄だぞ。

この神示軸(時空)読み、御しるしの四八音だぞ。諏訪 麻賀多 榛名 甲斐 玉和す理だぞ。

字の言座、名(言波)の極みぞ。意志の極み成るぞ。道は道理であるぞ。
字開き、務に結び、咲く花の結び秘文ぞ。普字軸の理ぞ。宮柱太しき立つぞ。
祝詞の心、始め開き字に現れるぞ。真心響く誠ぞ。言だぞ。細工隆々 読みの極み立つ世ぞ。

数の極み命ぞ。数の極み大素佐成(大数叉名立) 五十の極み継ぐ印し給いて、
幹(実基)字、完し、完し、山(屋間)の文読み、皆喜び、
荷なう理の宮継ぐ普字軸の世。喜び言、全土に響く理ぞ。
八雲出雲は聞理じゃ、これは、基の大素佐成(大数叉名立)大神、
世に光り輝く理ぞ。理は世の元に立つ道ぞ。理、遠きには無し、心せよ。

誠の道は、神の理だぞ。読み始めの世ぞ。皆神の子ぞと申してあるぞ。

名基の世、しかと開き、生の基の誘基の命現れき。太始めの御玉組み組みて神継ぐ極みと成り、
始まる道ぞ理の極み。字句字句、真問い成り成り鳴り、読み(黄泉)の岩戸(言戸)開くなり。

はじめの光、今 輝きて、答神(真理)覚め覚め捧ぐもの、
百取りしろ(綱母十理詞露)に充ち満ちて、弥栄御座湧きに湧き、天晴れ継ぐ神の答えは字に有り。

見よ、御子たち、大き道座し座す言座。
吾疑問い秘文字奥義、敬い、喜び、申すらくを、天の普智独楽の実実普理聞こし食すらん千萬の御代。
光神、太秘加理ぞ。理(真理)の御山(大空間)の良きを寿ぐ。
五十鈴の川の良きを寿ぐ、動くことなく、止まることなく永遠世に弥栄弥栄喜びの、今開く字の理成りて、
光の花の、一時にどっと咲くところ、玉の御代とて神代より生きし生き神引き合うぞ。

誠の能、物言う時来し答の道、みそぐの太神覚りて、サン太神様知る誠、尊き御代と成りますのぞ。
仕事は、めんめの働きに現れるぞよ、実空字 大き理智在せることの印しなり。

終わりに、言言神国の、誠の完神(鏡)のとどろきも、皆御文字世の始めかし、今、始まる世(詞)の基。
雨の神、風の神、岩の神、荒れの神、地震の神、
世の基にして、理実りの常盤の普字の実り良くも、命出度命出度(めでためでた)だぞ。

弥栄鳴戸(成答)は、光の御座の問いに開くぞ。
八百の道(理)の寄る 把立名(榛名) 吾基(安芸)、時節来て、誠ものいう神の世の、
夜明けの神々覚れよと、神漏務(可務露務)、神漏岐(可務露基)、神漏美(可務露実)の命もち、
八百萬の神々 神集いに集い給い、神計りに計り給い、言問いし草のかきはも言止め、
天の岩戸(言答)開け放ち、天の弥栄弥栄に智分きに智別き、
大実光の尊き御代ぞ、神在す天下 四方の国々治ろし食す、
寿命大神(大実親)の智の理
綱母(現実親)の空字(国)ことごとく定まりし、弥勒の世と成りうるなり。

成るは、誠の開きの秘の山の神基開く真の神にかかり給いしぞ。

空字御霊 大皇命神の秘の、仰ぐさまの良き時ぞ。理実る世、数の極み、真理ぞ。

普字の山(不二の大空間) 晴れたり。
光(秘加理)輝きて 御空に太まに百草のかき葉も競いかも、
寄り集う誠一つの神の世ぞ、読み(黄泉)字ぞ。くくりし読みは惟完読。
軸字 軸字と木霊と木霊、字開き、数開き成る言、綱母(現実親)に有り。
鳴戸(成答)理開きに開き、貴人の御代成り成るぞ。
弥栄つぎに通基つきて、御代印しの基継ぐ成るぞ。
艮めに普字の神産み給いき、普字素佐成(数叉名立)の神現れ 生き生き給いき。

ここに誘名基の神 神々達に理給いて、喜び光賜いき。
陽の神は秘の国、通基の神は実通の国、素佐成(数叉名立)神は名波裸治らせと給いき。
それは、その時より理決まれることにぞあれば、何も彼も真問い理に来いとぞ。
あなないの道だぞ。弥栄の理だぞ、あなさやけ、あな清々し世ぞ。

生まれし道だぞ。都も鄙も皆 大実光に寄り集う 誠一つの理なるぞ。
秘文の国ぞ、言玉の弥栄光る国なるぞ。理の言、普字に印しあり。理(真理)の普字、早う開くぞ。
誠の空字の御光の世界の読み(黄泉)喜びに泣く時来た印し文肚に読み(黄泉)理艮め成る。
問い問い文も解くなる始め、天の始めの御光なり。

読み(黄泉)路の玉糸(意答) 秘名の光立つ。

草もの言う世となりぬなり。御玉救う道、神の理開き基ぞ。
月日出ず開きに秘文開き、字の命開く極み、名美秘文三ぞ。秘文ぞ。神々様 御喜びだぞ。

今は、神解り 解りし字に言玉息吹き鳴り、息吹きのまま理満ち、
元の大神ニコニコと捧ぐるもの食し給い、喜び五十(意図)の弥栄弥栄成れる、良き嘉き御代来るぞ。

目で開く大神、世のあなないの友、天晴れ詞数食う能き、誠の御代ぞ。
宇宙波(場)知る場加、月日御稜威の花ぞ。覚れ覚れと言、言、軸。百霊の世、玉秘尊き。

神の実言(命) 開く身々、早う掃除一番ぞ。掃除智座、秘継ぐ数字大神(加実)。

絶対開く元神は、独楽の理、四十七音(ひふみ)、四十八音(意露波)、目にもの見せて神国の、
誠の善(智)は悪魔まで、皆新め生くの始終光ぞ。惟完だぞ。

字注ぐ光り裏(心)山(大空間)荷負う、母(親)の誠に覚め、字開く命ぞ。

普字に花咲く御代、嬉し嬉し、早う光の文路知らせたり。急ぐ心ぞ。
読み字(黄泉路)弥栄に光り文成るぞ。

文命の言の御代の、月の光なり。玉五十(意図)始めの光り知りて、尊き御代とぞなりうる、
誠の神の神示なるぞ。心締めて読む時ぞ。真言の神と飛来の神と 皆和す時成るぞ。
あら楽し、あなさやけ、普字(富士)は晴れたり 言答(岩戸)開けたり。

あなさやけ、おけ、後の世に書きしるすぞ。ひつぎの神書き印すぞ。

昭和21年1月19日(1946年 皇紀2606年 丙戌)

黄金の巻 第二十帖

動かんふじの仕組みのなるとの仕組み。ことたま、かずたま、ひふみ、いろたま、いろは。

昭和24年11月27日(1949年 皇紀2609年 己丑)

水の巻 第二帖

ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか、
うおえ、にさりへて、のますあせゑほれけ。
一二三祝詞であるぞ。
たかあまはらに、かむつまります、かむろぎ、かむろみのみこともちて、
すめみおや かむいざなぎのみこと、つくしのひむかのたちばなのおどのあはぎはらに、
みそぎはらひたまふときに、なりませる、
はらえとのおほかみたち、もろもろのまがことつみけがれを、
はらえたまへ きよめたまへと まおすことのよしを、
あまつかみ、くにつかみ、やほよろづのかみたちともに、
あめのふちこまの、みみふりたてて きこしめせと、かしこみかしこみもまおす。
あめのひつくのかみ、まもりたまへ さちはへたまへ、
あめのひつくのかみ、やさかましませ、いやさかましませ、
一二三四五六七八九十。

昭和20年4月21日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

いろは順

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/いろは順

元号西暦干支※1※2
大正10年1921年辛酉
大正11年1922年壬戌〇/十
大正12年1923年癸亥一/九
大正13年1924年甲子二/八
大正14年1925年乙丑三/七
大正15年
昭和元年
1926年丙寅四/六
昭和2年1927年丁卯五/五
昭和3年1928年戊辰六/四
昭和4年1929年己巳七/三
昭和5年1930年庚午八/二
昭和6年1931年辛未九/一
昭和7年1932年壬申十/〇
昭和8年1933年癸酉
昭和9年1934年甲戌〇/十
昭和10年1935年乙亥一/九
昭和11年1936年丙子当歳二/八
昭和12年1937年丁丑二歳三/七
昭和13年1938年戊寅三歳四/六
昭和14年1939年己卯四歳五/五
昭和15年1940年庚辰五歳六/四
昭和16年1941年辛巳六歳七/三
昭和17年1942年壬午七歳八/二
昭和18年1943年癸未八歳九/一
昭和19年1944年甲申九歳十/〇
昭和20年1945年乙酉十歳
昭和21年1946年丙戌ひ/け〇/十
昭和22年1947年丁亥ふ/れ一/九
昭和23年1948年戊子み/ほ二/八
昭和24年1949年己丑よ/ゑ三/七
昭和25年1950年庚寅い/せ四/六
昭和26年1951年辛卯む/あ五/五
昭和27年1952年壬辰な/す六/四
昭和28年1953年癸巳や/ま七/三
昭和29年1954年甲午こ/の八/二
昭和30年1955年乙未と/て九/一
昭和31年1956年丙申も/へ十/〇
昭和32年1957年丁酉ち/り
昭和33年1958年戊戌ろ/さ〇/十
昭和34年1959年己亥ら/に一/九
昭和35年1960年庚子ね/え二/八
昭和36年1961年辛丑し/お三/七
昭和37年1962年壬寅き/う四/六
昭和38年1963年癸卯る/か五/五
昭和39年1964年甲辰ゆ/め六/四
昭和40年1965年乙巳ゐ/く七/三
昭和41年1966年丙午つ/は八/二
昭和42年1967年丁未わ/た九/一
昭和43年1968年戊申ぬ/を十/〇
昭和44年1969年己酉そ/そ
昭和45年1970年庚戌を/ぬ〇/十
昭和46年1971年辛亥た/わ一/九
昭和47年1972年壬子は/つ二/八
昭和48年1973年癸丑く/ゐ三/七
昭和49年1974年甲寅め/ゆ四/六
昭和50年1975年乙卯か/る五/五
昭和51年1976年丙辰う/き六/四
昭和52年1977年丁巳お/し七/三
昭和53年1978年戊午え/ね八/二
昭和54年1979年己未に/ら九/一
昭和55年1980年庚申さ/ろ十/〇
昭和56年1981年辛酉り/ち
昭和57年1982年壬戌へ/も〇/十
昭和58年1983年癸亥て/と一/九
昭和59年1984年甲子の/こ二/八
昭和60年1985年乙丑ま/や三/七
昭和61年1986年丙寅す/な四/六
昭和62年1987年丁卯あ/む五/五
昭和63年1988年戊辰せ/い六/四
昭和64年
平成元年
1989年己巳ゑ/よ七/三
平成2年1990年庚午ほ/み八/二
平成3年1991年辛未れ/ふ九/一
平成4年1992年壬申け/ひ十/〇
平成5年1993年癸酉い/ん
平成6年1994年甲戌ろ/す〇/十
平成7年1995年乙亥は/せ一/九
平成8年1996年丙子に/も二/八
平成9年1997年丁丑ほ/ひ三/七
平成10年1998年戊寅へ/ゑ四/六
平成11年1999年己卯と/し五/五
平成12年2000年庚辰ち/み六/四
平成13年2001年辛巳り/め七/三
平成14年2002年壬午ぬ/ゆ八/二
平成15年2003年癸未る/き九/一
平成16年2004年甲申を/さ十/〇
平成17年2005年乙酉わ/あ
平成18年2006年丙戌か/て〇/十
平成19年2007年丁亥よ/え一/九
平成20年2008年戊子た/こ二/八
平成21年2009年己丑れ/ふ三/七
平成22年2010年庚寅そ/け四/六
平成23年2011年辛卯つ/ま五/五
平成24年2012年壬辰ね/や六/四
平成25年2013年癸巳な/く七/三
平成26年2014年甲午ら/お八/二
平成27年2015年乙未む/の九/一
平成28年2016年丙申う/ゐ十/〇
平成29年2017年丁酉ゐ/う
平成30年2018年戊戌の/む〇/十
平成31年
令和元年
2019年己亥お/ら一/九
令和2年2020年庚子く/な二/八
令和3年2021年辛丑や/ね三/七
令和4年2022年壬寅ま/つ四/六
令和5年2023年癸卯け/そ五/五
令和6年2024年甲辰ふ/れ六/四
2025年乙巳こ/た七/三
2026年丙午え/よ八/二
2027年丁未て/か九/一
2028年戊申あ/わ十/〇
2029年己酉さ/を
2030年庚戌き/る〇/十
2031年辛亥ゆ/ぬ一/九
2032年壬子め/り二/八
2033年癸丑み/ち三/七
2034年甲寅し/と四/六
2035年乙卯ゑ/へ五/五
2036年丙辰ひ/ほ六/四
2037年丁巳も/に七/三
2038年戊午せ/は八/二
2039年己未す/ろ九/一
2040年庚申ん/い十/〇
2041年辛酉
2042年壬戌
2043年癸亥
2044年甲子
※1 :元は十と四十七と四十八
※2 :富士(二二)の仕組み

余談ですが

論理回路

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/論理回路

論理回路は「AND、OR、NOT、XOR、NOR、NAND」という組み合わせ回路が存在しますが、基本的にはAND(論理積)、OR(論理和)、NOT(論理否定)の3つだけですべての論理回路を構成する事が出来ます。従って、素粒子の16種類というのは余りにも多過ぎるのです。そこから導き出される結論として、私たちの見ている世界にはそれ以前があるのだと思っております。

もし仮にビッグバンがあったとしたって…どうやって起こったのか?

2026年1月11日「日月の巻 第十七帖」

ここに天津神、もろもろの命用て、伊邪那岐の命、伊邪那美の命に、
これの漂える国、創り堅め成せと、詔りごちて、天の沼矛を給いて、言依さし給いき。

神の国にも善と悪とあると申してあろうがな。
この神示見せてよい人と悪い人あるのだぞ。神示見せてくれるなよ。
まことの神の臣民とわかったら この神示写してやってくれよ。神示は出ませんと申せよ。
時節見るのだぞ。
型してくれたのだから もう一の仕組みよいぞ。
この神示 表に出すでないぞ。天明(岡本天明)は蔭の御用と申してあろうが。
神示仕舞っておいてくれよ、一二三として聞かせてやってくれよ。
この方の仕組み 日に日に変わるのだから、臣民わからなくなると申してあろうが。
日に日に烈しく変わって来るのだぞ。神の子には神示伝えてくれよ。神急けるぞ。
渦海の御用結構。

昭和19年11月4日(1944年 皇紀2604年 甲申)

YouTubeも相手先にリンクさせてもらう以上、こちらもフォローせざるを得なくなってしまうので、アップしないようにしました。

私から見たら、2025年の大勢は6月30日(旧暦6月6日)迄に「決着してしまった」かのように見えます。だってその後の選挙で、自民党が負けようが高市が総理に選ばれている時点で体制自体に変化が無い事です。まぁ、公明党の政権離脱という点はあるにせよ、どのみち今の経済界に支配されている政府に未来などありません。私たちは経済界の財布では無い。財布にされるような法律を作る政府が支持されるわけが無い。

自民党が敗北した理由で最も説得力があるのは「米」の価格です。3年前の倍以上の価格で誰が政府を支持するのか?ところで、田植えの頃からマスコミは散々、ひび割れた水田を見せて米不足を煽っていたものの、実際はどうだったのか?

『令和のコメ騒動』(8)令和7年産748万トンによりコメ価格は低下するのか

ttps://www.mri.co.jp/knowledge/column/20251107.html

水資源機構の管理するダムの状況(利水容量に対する貯水率)(令和7年8月1日掲載)

ttps://www.water.go.jp/honsya/honsya/suigen/junpo/past/2025/junpo20250801.html

確かに空梅雨だったかもしれないけど、少なくとも関東圏では断水するような状況では無かったし、前回の断水なんて何時だったっけ?

イラン・イスラエル戦争

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/イラン・イスラエル戦争

イラン ハメネイ師が演説 イスラエルとアメリカに勝利と主張

ttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20250626/k10014845451000.html

確かに「イランは、イスラエルとアメリカによる侵略に対し勝利した」と言えます。アメリカはカタールにある米軍基地に対する攻撃に対して報復を行っていないのは、最早それが「出来なかったから」だと考えております。その詳細について以前投稿した時には、他所のブログの翻訳記事をリンクしていたのですが、今回は自分の言葉で書く事にします。

①イスラエルは、自国が空爆される事態に耐えられなかった

イスラエル、イランのミサイルで約4250億円の経済被害-政府が試算

ttps://www.bloomberg.com/jp/news/articles/2025-06-26/SYGKT1T0AFB400

②イランによるホルムズ海峡封鎖予告

加藤財務相、カードとしてあると思う-関税交渉で日本保有の米国債

ttps://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2025-05-01/SVLRM7T1UM0W00

③アメリカは在カタールのアル・ウデイド基地爆撃の報復攻撃をしなかった

6月のイランのカタールミサイル攻撃、米軍基地の通信施設に命中…米も認める

ttps://www.yomiuri.co.jp/world/20250712-OYT1T50110/

④6月23日、プーチン大統領とイランのアラグチ外相がクレムリンで会談

⑤西側社会の壊し方

現在、米アマゾンで何か買い物しようとすると、ブックマークしていたアイテムが「Currently unavailable」だらけ。この状態は今の日本から突如「100均」が無くなる事を想像していただけたらと思います。これは長い目で見るならば、製造業の国内回帰に繋がるのかもしれませんが、それは「世界で唯一、日本ならばそれで良い」が、特にアメリカやEUは競争力を急激に落として没落するでしょう、否、もうそこまで持たないか。

デマの煽動だのプロパガンダだのって、昨日今日始まったわけではないですけど、

って思った事が多かったのも去年。先ほども書いたのですが、2025年の大勢は6月30日(旧暦6月6日)迄に「決着してしまった」と思っております。まして国家レベルの大災害なんて、「七八九」の時代の役割では無いって本気で思っています。もちろん、日本の地に住んでいる限り、何時かは大災害に見舞われる事もあるかもしれません。ただしそれは「九十」の時代になった後での話。地域レベルで能登の地震のような事はあっても、噂されている南海トラフのような規模の災害は、十年近く後の話だと思っています、タイムラインとして。