2026年3月15日「雨の巻 第二帖」

天の大神様は慈悲深くて何んな偉い臣民にも底知れぬし、
地の大神様は力ありすぎて、人民には手におへん見当取れん、
そこで神々様を此の世から追い出して悪神の云ふこと聞く人民許りとなりてゐたのであるぞ。
七五三(しめ)は神々様をしめ込んで出さぬ為のものと申してある事これで判るであろがな、
鳥居は釘付けの形であるぞ、基督(キリスト)の十字架も同様ぞ、
基督信者よ改心致されよ、基督を十字架に釘付けしたのは、そなた達であるぞ、懺悔せよ、
〇とは外国の事ぞ、
が神国の旗印ぞ、神国と外国との分けへだて誤ってゐるぞ。
大き心持てよ、かがみ掃除せよ、上中下三段に分けてある違ふ血統(ちすじ)を段々に現すぞよ、
びっくり箱あくぞ、八九の次はであるぞよ。何事もウラハラと申してあろが、
ひとがひとがと思ってゐた事 我の事でありたであろがな、
よく神示読んでおらんと、キリキリ舞ひせんならんぞ、
日本が日本がと思って居た事 外国でありた事もあるであろがな、
上下ひっくり返るのざぞ、判りたか。
餓鬼までも救はなならんのであるが、餓鬼は食物やれば救はれるが、
悪と善と取違へてゐる人民、守護神、神々様 救ふのはなかなかであるぞ、
悪を善と取違へ、天を地と信じてゐる臣民人民なかなかに改心六ヶ敷いぞ。
我と改心出来ねば今度は止むを得ん事出来るぞ、
我程偉い者ないと天狗になりてゐるから気を付ける程 悪ふとりてゐるから、
こんな身魂は今度は灰ざぞ、もう待たれん事になったぞ。

昭和20年10月13日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

サウジ皇太子、事前にトランプ氏に数回電話し攻撃支持…「今攻撃しなければ更に危険になる」

ttps://www.yomiuri.co.jp/world/20260302-GYT1T00078/?dicbo=v2-8VlRg0I

米と湾岸諸国がイラン非難、「危険なエスカレーション」と共同声明

ttps://jp.reuters.com/world/security/KXSJFZPWIRKLREP3I36ZU4QWJY-2026-03-02/

2025年のイスラエルは、自国だけでイランを潰せると過信していたように思います。所謂「クソみたいな驕りと油断」です。そこで導き出した結論は、潜入工作による世論の攪乱と同時に、アリ・ハメネイ師を始めとする政府要人、攻撃拠点の位置の特定、エーブラハム・リンカーン、ジェラルド・R・フォードの二個空母打撃群、B2爆撃機X7機投入…等の圧倒的な火力による先制攻撃で、反撃能力を徹底的に削減するしかないでしょう。

軍艦に自爆ドローン、ステルス爆撃機も 米国がイラン攻撃で使用するハイテク兵器と装備

ttps://www.cnn.co.jp/world/35244504.html

米軍、作戦開始以降イランで1250超の標的攻撃 艦船11隻破壊

ttps://jp.reuters.com/world/security/UKRRY7LPTRMALEEYKDOGB3JJGM-2026-03-02/

イスラエル、ユダヤ系国民の93%がイラン攻撃を支持…「反戦の訴え」かき消され・「総選挙を前倒し」観測も

ttps://www.yomiuri.co.jp/world/20260307-GYT1T00508/

№47 イスラエル:「大イスラエル」主義表明の思惑

ttps://www.meij.or.jp/kawara/2025_047.html

ユダヤ人のアメリカ移住史

ttps://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc100.html

世界中の反ユダヤ活動を監視する「ADL」

ttps://inri.client.jp/hexagon/floorA1F/a1f1406.html

シオニズムの変遷~イスラエル建国の舞台裏~

ttps://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hd/a6fhd200.html

ナチスを支援した国際的なパワーエリートの黒い人脈と金脈 ~シュローダー男爵とダレス兄弟の暗躍~

ttps://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc300.html

ヘブライの館2 THE HEXAGON 総合案内所

ttps://inri.client.jp/hexagon/floorA0F/_floorA0F.html

ゆっくり解説 西洋人が鬼畜だった理由 地理の雑学ゆっくり解説

ttps://www.youtube.com/watch?v=q27DD6oaiD4

それもあってか、本書の冒頭からヨーロッパの家庭料理では、「こうしの面皮」とか「兎の丸煮」とか「羊の心臓」とか、「原子雲のような脳髄」(…)とかという、元の形がわかるものが当たり前に食卓にのぼる事を指摘しています。西洋の肉屋では当たり前に売っておりますし、中国でもそうですね。各国の市場では普通に見られる風景ですが、ここ日本では違う。

食肉市場(と場を含む)のご紹介

ttps://www.shijou.metro.tokyo.lg.jp/info/2

ところで本書は、「食生活のくいちがいからくる思想的根底をさぐることにした」はずですが、後半は(本書でも引用している)竹山道雄氏の比較宗教思想史に踏み込んでいってしまうのです(作者は否定しているところですけど)。

日本人は自分等が飼ふ家畜を屠殺することもせず、叉、喰べもしない。彼等は時々魚を食膳に供し、米や麦を食べるがそれも少量である。但し彼等が食べる草(野菜)は豊富にあり。叉僅かではあるが、いろいろな果物もある。

アルーペ神父・井上郁二共訳「聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄」

神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。
神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。

旧約聖書(創世記1章27、28、29節)

これに関連して、仏教の「輪廻転生思想」が、キリスト教社会には無い事も指摘されています。上の動画で「そこの家畜の豚、親友のフランク説」と言って例えていますが(14:39)、自分たちが食べるものがそうであっては不味いわけで、設定に矛盾が生じないように「世界観を作り込んでいる」と表現していますが、これは的を得た表現だと思います。

農業の歴史

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/農業の歴史

およそ紀元前9500年頃の新石器時代にはレバントにおいて、デュラムコムギの始祖とされるエンマーコムギ、ヒトツブコムギをはじめ、オオムギ類、エンドウマメ類、レンズマメ、ヒヨコマメ、アマなど8種類の初期作物が収穫されていたことが知られている。コメ類は、紀元前6200年頃までには中国で栽培が開始され、最古の収穫の記録は、紀元前5700年頃とされる。

ʿApiru

ttps://en.wikipedia.org/wiki/ʿApiru

In the time of Rim-Sin I (1822 BCE to 1763 BCE), the Sumerians knew a group of Aramaean nomads living in southern Mesopotamia as sa.gaz, which meant “trespassers”.The later Akkadians inherited the term, which was rendered as the calque Ḫabiru, properly ʿApiru. The term occurs in hundreds of 2nd millennium BCE documents covering a 600-year period from the 18th to the 12th centuries BCE and found at sites ranging from Egypt, Canaan and Syria, to Nuzi (Upper Mesopotamia near Kirkuk, northern Iraq) and Anatolia (now Turkey)

リム・シン1世(紀元前1822年から紀元前1763年)SumeriansAramaeanMesopotamiaの時代に、シュメール人はメソポタミア南部に住むアラムアノマ人の集団を知っていた。sa.gazは「反逆者」という意味だった。 Akkadians後のアッカ派は、カルク・トリ・アピル(適切にアピル)として表現されたこの用語を継承した。Canaanこの用語は、紀元前18世紀から12世紀までの600年にわたる紀元前2000年の文書で数百件にわたり、エジプト、カナン、シリア、ヌジ(イラク北部のキルクク近郊のアッパー・メソポタミアKirkuk)やアナトリア(現在のトルコ)に至るまでの遺跡で見られる。

アマルナ文書

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/アマルナ文書

カナン発信のアマルナ書簡の位置情報について 池田 潤

ttps://www.lingua.tsukuba.ac.jp/ippan/JGL/2007/2007-ikeda.pdf

Amarna letter EA 287

ttps://en.wikipedia.org/wiki/Amarna_letter_EA_287

Abdi-Heba

ttps://en.wikipedia.org/wiki/Abdi-Heba

Labaya

ttps://en.wikipedia.org/wiki/Labaya

アブディ・アシルタ

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/アブディ・アシルタ

アムル人

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/アムル人

アブディ・アシルタもまたエジプトの属臣でありながら、アムル王国を建国して、ヒッタイトと結ぶ裏切り者と非難されています。アムル人はウル第3王朝の後継者という意識を強く持っており、旧約聖書においては「ハムの子であるカナンの子でありカナンの諸部族」とまでされているのです。

カナン

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/カナン

イスラエル王国

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/イスラエル王国

前1200年のカタストロフ

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/前1200年のカタストロフ

ソドムとゴモラ

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/ソドムとゴモラ

大洪水

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/大洪水

縄文海進

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/縄文海進

聖絶

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/聖絶

モーセは、戦いを終えて帰還した軍の指揮官たち、千人隊長、百人隊長に向かって怒り、彼らにこう言った。「(ミデヤン人の)女たちを皆、生かしておいたのか。(中略)直ちに、子供たちのうち、男の子は皆、殺せ。男と寝て男を知っている女も皆、殺せ。女のうち、まだ男と寝ず、男を知らない娘は、あなたたちのために生かしておくがよい。」— 『民数記』31:14-18

イスラエルに敵対する異民族に対して聖絶が用いられる時は、「神への奉納物として、異教の神を拝むものとそれに関連する事物をことごとく滅ぼし尽くす」こと、全ての戦利品を滅却することを意味した。すなわち、聖絶の対象とされた敵対異民族は全員が剣で殺され、また家畜も含め生けるものは全て殺戮された。また、通常の戦闘では許される女子どもの捕虜も、また家畜などの戦利品も、聖絶においては自分たちの所有物とすることは許されず、全てが神への捧げ物とされなければならなかった。さらに、それ以外の剣でもって滅ぼせないものは火をもって焼き尽くされ、また、燃やすことの出来ない金銀財宝などは神殿の奉納倉へ納めて、「呪われた汚らわしきもの」として民衆の手からは隔離されなければならなかった。そして、聖絶のものを私物した者は、神の怒りに触れるものとして、罰として処刑された。聖書はその理由として、イスラエルに聖なる生き方をさせて、彼らが先住民の宗教からの誘惑に負けて神に対して罪を犯さないためであるとする(申命記7:1-6、20:16-18)

「すべて聖絶のものは最も聖なるものであり、主のものである。」— レビ記27:28、新改訳聖書

ユダヤ教

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/ユダヤ教

タルムード

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/タルムード

恐るべきユダヤ悪魔教の教典タルムード!!

ttps://tunobue.chips.jp/talmu.html

ミシュナーに記述されたイェフーダー・ハン=ナーシーの言葉によると、女性は3歳と1日になったら結婚をすることができる。ニッダーとサンヘドリンの記述によると、3歳と1日の少女は父親の許可の下、性行為によって婚約する。ラビ・メイルは、2歳と1日の少女も性交によって婚約することができると述べている。ラヴ・ヒスダは3歳以下の少女は性交で処女膜が破れたとしても再生すると述べており、例えそれが改宗者や捕虜や元奴隷だったとしても、その少女が3歳と1日よりも年少の場合は処女とみなされ、結婚契約額が支払われるとケトゥボットに記されている。アヴォダー・ザラー37aには、異教徒の少女は3歳と1日で性行為に適するという章句がある。異邦人の娘であるユスティニアは、6歳で結婚し、7歳で出産したというが、一般的には女性は12歳と1日になれば妊娠に適齢であると考えられていた

ユダヤ人の自己正当化は、聖書の記述だけでは飽き足らず、タルムードが出来たように見えます。そのタルムードを異教徒に見せてはならない理由は、これを知った異教徒に殺されてしまうから。現代の偽ユダヤ人たち、偽物のキリスト教徒たちは、いかにも聖書やタルムードを建前にするように自己正当化を続けているのです。だからこの神示を選んだのですけど。

おまけ

「肉食の思想」での、竹山道雄氏の「ヨーロッパの旅」からの引用部分(3~4ページの記述)は、正しくは「續ヨーロッパの旅」155ページに記述されていました…。アイキャッチで一番下になっている本です。

2026年2月14日「黄金の巻 第二十九帖」

二二の盗み合い、世の乱れ。
心して怪しいと思うことは、たとえ神の言葉と申しても一応は考えよ。
神の言葉でも裏表の見境なく唯に信じてはならん。審神者せよ。
薬、毒となることもあると申してあろうが。馬鹿正直、まことの道 見失うことあると申してあろうが。
道は易し、楽し。楽しくないのは道ではないぞ。奉仕ではないぞ。
世界に呼びかける前に日本に呼びかけよ。目醒まさねばならんのじゃ。それが順序と申すもの。
神示で知らせてあろうが。ここは種作るところ、種は人民で作れんぞ。
神の申すよう、神の息、いただいて下されよ。
天の道、地の道、天地の道あるぞ。人の道あるぞ。何も彼も道あるぞ。道に外れたもの外道じゃぞ。
道は一筋ぞ。二筋ぞ。三筋ぞ。曲がっているぞ。真っ直ぐであるぞ。
心得なされ。節分から
オーヒツキオーカミ)と現れるぞ。讃えまつれ。
三年の大ぐれ。

昭和24年11月27日(1949年 皇紀2609年 己丑)

その理由は、2024年に「麻賀多神社に御札を返してきた」からでした。それがこの「黄金の巻 第二十九帖」の「心して怪しいと思うことは、たとえ神の言葉と申しても一応は考えよ」という一節でした。ですからその時そうした事に対しては、今でも「後悔していない」といえます。

梅の巻 第二十一帖

身欲信心スコタンばかり、天津日嗣の御位は幾千代かけて変わらんぞ、
日の大神様、月の大神様、地の大神様、御血統弥栄弥栄ぞ。
日本の人民アフンとするぞ、皆それぞれのゆかりの集団にゝ入れよ、
神示ひふみ(一二三)となるぞ、
天明(岡本天明)は画家となれ、絵描いて皆にやれよ、弥栄となるぞ、やさかいやさか。
今度はキリスト教も仏教も何もかも生かさならんのぞ。
早くからこの方の元へ来ていても因縁あっても肝腎がわからんと後戻りばかりじゃ、
肝腎肝腎じゃ、
学もよいが、それはそれのようなものじゃぞ、
途中からの神は途中からの神、途中からの教えは途中からの教え、
今度の御用は元のキの道だぞ、世の元からの神でないとわからんぞ、できはせんぞ、
生まれ赤児の心とは途中からの心、教え、すっかり捨ててしまえということだぞ。

昭和21年12月14日(1946年 皇紀2606年 丙戌)

五葉之巻 第十五帖

今に大き呼吸もできんことになると知らせてあろうが、その時来たぞ、
岩戸がひらけると言うことは
【半分のところは天界となることじゃ、天界の半分は地となることじゃ】、
今の肉体、今の理念、今の宗教、今の科学のままでは岩戸は開けんぞ、
今の肉体のままでは、人民は生きて行けんぞ、
一度は仮死の状態にして魂も肉体も、半分のところは入れ変えて、
ミロクの世の人民として よみがえらす仕組み、心得なされよ、
神様でさえ、このことわからん御方あるぞ、大地も転位、天も転位するぞ。

昭和36年9月1日(1961年 皇紀2621年 辛丑)

五葉之巻 第十六帖

マコトでもって洗濯すれば霊化される、半霊半物質の世界に移行するのであるから、
半霊半物の肉体とならねばならん、今のやり方ではどうにもならなくなるぞ、
今の世は灰にするより他に方法のないところがたくさんあるぞ、
灰になる肉体であってはならん、原爆も水爆もビクともしない肉体となれるのであるぞ、
今の物質で作った何物にも影響されない新しき生命が生まれつつあるのぞ。
岩戸ひらきとはこのことであるぞ、
少しくらいは人民つらいであろうなれど勇んでやりて下されよ、大弥栄の仕組み。

昭和36年9月1日(1961年 皇紀2621年 辛丑)

第十五帖の「半分のところは天界となることじゃ、天界の半分は地となる」は、第十六帖の「半霊半物質の世界」に係ると思います。この両者の記述、戦時中の以下の神示に関連しているのかも知れません。

夜明けの巻 第十一帖

岩戸開きのはじめの幕 開いたばかりぞ。
今度はみづ逆さに戻るのだから、人民の力ばかりでは成就せんぞ。
奥の神界では済みているが、中の神界では今最中だぞ。
時待てと申してあろうが。人民 大変な取り違いしているぞ。
次の世の型 急ぐ急ぐ。

昭和20年8月6日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

神示読まないで、智や学でやろうとて、何もかも九分九厘で終局(厘止まり)ぞ。
我が我がが取れたらわかって来るぞ。慢心恐ろしいぞ。

昭和20年8月7日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

夜明けの巻 第十二帖

あら楽し、あなさやけ、元津御神の御光の、輝く御代ぞ近づけり。
岩戸開けたり野も山も、草の片葉も言止めて、大御光に寄り集う、誠の御代ぞ楽しけれ。
今一苦労二苦労、とことん苦労あるなれど、楽しき苦労ぞめでたけれ。
申、酉過ぎて戌の年、子の年 めでたけれ。
一二三の裏の御用する身魂も今に引き寄せるから、
その覚悟せよ。覚悟よいか。待ちに待ちにし秋来たぞ。

昭和20年8月7日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そおたはくめか、
うをえ、にさりへて、のます、あせえほれけ。

昭和20年8月8日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

今日までの御教えは、悪を殺せば善ばかり、輝く御代が来るという、これが悪魔の御教えぞ、
この御教えに人民は、すっかりだまされ悪殺す、ことが正しきことなりと、信ぜしことの愚かさよ、
三千年の昔から、幾千万の人々が、悪を殺して人類の平和を求め願いしも、それははかなき水の泡、
悪殺しても殺しても、焼いても煮てもしゃぶっても、悪は益々増えるのみ、
悪殺すというそのことが、悪そのものと知らざるや、神の心は弥栄えぞ、
本来 悪も善もなし、ただ御光の栄ゆのみ、八股オロチも金毛も、ジャキも皆それ生ける神、
神の光の生みしもの、
悪抱きませ善も抱き、あななうところに御力の、輝く時ぞ来るなり、善活かさねば悪なるぞ、
善悪不二といいながら、悪と善とを区別して、導く教えぞ悪なるぞ、
ただ御光のその中に、喜び迎え善もなく、悪もあらざる天国ぞ、
皆一筋の大神の、働きなるぞ悪はなし、
世界一家の大業は、地の上ばかりでなどかなる、三千世界大和して、ただ御光に生きよかし、
生まれ赤児となりなりて、光の神の説き給う、誠の道を進めかし、マコトの道に弥栄えませ。

言答(岩戸)明けたる今日(8月15日終戦記念日)ぞめでたし、二の言答(岩戸)早う明けてよ

昭和22年8月15日(1947年 皇紀2607年 丁亥)

以上を踏まえて「半物質」という言葉だけとらえると、「プラズマ」を想像してしまうのですが、このままでは「半霊」を含んでいませんし、そもそも今の地球上では、プラズマの状態を維持出来ません。

プラズマ

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/プラズマ

扶桑之巻 第四帖

ツミケガレ 今はあらじと はらい給えそ。

空白とは九八九であるぞ、八と九、九と八の境をひらくことが岩戸を開くことじゃ、
空白とはもっとも根本を為すもっとも力あることであるぞ。

昭和36年5月5日(1961年 皇紀2621年 辛丑)

「空白とはもっとも根本を為すもっとも力あること」というと、二つの意味があります。一つは「無」=「0」。私が「0=1=i=∞=1⁄∞」という全てを生み出した「0」の事です。その話を書いているのが、先ほどの「宇宙論と数霊かずたまについて」です。

もう一つが本神示の「空白」=「九八九」ですが、これを以下のように読み替えます。

因縁の身霊が生まれ変わり、死に変わりを経ている事は日月神示で明言されており、上の五葉之巻 第十五帖でも「魂も肉体も、半分のところは入れ変えて」とあります。一般的に生まれ変わりの際、前世の記憶が無い(と思うの)ですが、それ故に「失くす」「亡くす」事に対して、「悲しみ」「喪失感」「あわれ」「いとしさ」などの感情を覚えてきたと思うのです。それは私が言うまでも無く、日本人はその傾向が高いと言えますし、残してきた文化がその事を証明しています。

現在、私にも家族がいます。ネコですけど。これが意味する所は…。

銀河鉄道999 (アニメ)

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/銀河鉄道999_(アニメ)

漫画版か、TV版か、劇場版か、というのはあるんですけど、私はTV版の第一話から見ていた事から、最初の劇場版の鉄郎のデザイン変更に違和感を感じたものの、見終わってみると大好きな作品になりました。まだ少年キングを手軽に買えるほどの年齢では無かったので、漫画版を見たのは、単行本が発売されて友人が買ったのを見せてもらってからです。公開は1979年8月4日だったのですが、冬休みに再度劇場公開された際、母親に連れられて見に行きました。面白いのは、1981年公開のさよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅もそうだったのですが、そのどちらも母親が「見に行こう」と言ってきたのです。そんな母が好きだったのは、安全地帯の「ワインレッドの心」はまだ分かるのですが、ある日の昼下がりに、Queensrÿcheの「Take Hold of the Flame」聴いてたら、洗濯物取り込んでいた母がいきなり「ダビングして」と言ってきたのは今も謎。

2026年1月11日「星座之巻 第三帖」において「葬送のフリーレン」のレビューをしましたが、フリーレンはヒンメルが死んで埋葬される瞬間まで、「人が死ぬ」という事の意味を理解していなかったのでしょう。それまでのフリーレンは、「人間はエルフより先に死ぬという、現象としての死についての理解でしか無かった」のではないかと思うのです。それは師匠であるフランメの死に立ち会っているにも関わらずでした(ただ、その事を思い出すのが辛そうな描写が後の話で出てきます)。それがたった十年という、彼女にしてみれば短い時間の付き合いでしかなかったヒンメルに対して涙を流したのは、それだけかけがえのない日々だったからこそ。

星座之巻 第三帖

時、時、と申してあるが、時間では無いぞ。神、幽身にも聞かせているのぞ。
地上人には時間が考えられるなれど、神界には時間が無く、神も霊人も時間は知らないのであるぞ。
ただ喜びがあるのみぞ。
神界で時間と申すのは、ものの連続と変化、状態の弥栄のことであるぞ。
トキ待てよ。トキ違えるで無いぞ。
地上人の時間と区別して考えねばこの神示は解らんぞ。

昭和36年5月10日(1961年 辛丑 皇紀2621年)

「君の名は。」は正にそれで、正確には生まれ変わったわけでは無いのかもしれないけど、世界線は変更され、記憶を失ったにもかかわらず、相手を求めあっているのです。

では、永遠にも等しい寿命の持ち主に、人と同じような感情、考え方は芽生えるでしょうか?フリーレンのエルフ族は、人としての感情、特に恋愛感情や生殖本能に乏しく、魔族は人を食べるために「言葉」で人を欺くようになった、スリーナインの機械化人たちは、人を燃料、部品、あるいは狩猟の戦果として「剝製にして飾る」ようになった。これらは人が考えた物語の設定上の話で極端過ぎるかも知れない。

碧玉之巻 第十帖

岩戸閉めの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、
ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるぞ、
十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのであるぞ、
十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ、
五つの卵を四つ生んだとも言えるのであるぞ、
すべて神界のこと、
霊界のことは、現界から見れば妙なことであるなれど、
それでちゃんと道にはまっているのであるぞ。
一ヒネリしてあるのじゃ、
天と地との間に大きなレンズがあると思えば段々にわかって来るぞ。
夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸が閉められたのである道理、
わかるであろうがな。
その後、独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、
それが一方的であることは申すまでもないことであろう、
妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国のすべてを生み育て給うたのであるぞ、
この夫婦神が、時めぐり来て、千引きの岩戸をひらかれて相抱き給う時節来たのであるぞ、
うれしうれしの時代となって来たのであるぞ。
同じ名の神が至るところに現れて来るのだぞ、
名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、
この二つがそろって、三つとなるのぞ、
三が道ぞと知らせてあろうがな。
時来たりなば この千引きの岩戸を倶にひらかんと申してあろうがな。

次の岩戸閉めは天照大神の時ぞ、
大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、
ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。
いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、そろってお出まし近くなって来たぞ。

次の岩戸閉めは素盞鳴命にすべての罪を着せてネの国に追いやった時であるぞ、
素盞鳴命は天下を治しめす御役の神であるぞ。
天ヶ下は重きものが積もって固まったものであるからツミと見えるのであって、
よろずの天の神々が積もる(と言う)ツミ(積)をよく理解せずして罪神と誤ってしまったので、
これが正しく岩戸閉めであったぞ、
命をアラブル神なりと申して伝えているなれど、アラブル神とは粗暴な神ではないぞ、
あばれ廻り、こわし廻る神ではないぞ、
アラフル(現生る)神であるぞ、
天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ、
取り違いしていて申し訳あるまいがな。
このことよく理解できねば、今度の大峠は越せんぞ。
絶対の御力を発揮し給う、ナギ・ナミ両神が、
天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ。
素盞鳴の命にも二通りあるぞ。
一神で生み給える御神と、夫婦呼吸を合わせて生み給える御神と二通りあるぞ、
間違えてはならんことぞ。

神武天皇の岩戸閉めは、御自ら人皇を名乗り給うより他に道なきまでの御働きをなされたからであるぞ。
神の世から人の世への移り変わりの事柄を、
一応、岩戸に隠して神ヤマトイワレ彦命として、人皇として立たれたのであるから、
大きな岩戸閉めの一つであるぞ。

仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光が差していたのであるなれど、
仏教と共に仏魔渡って来て完全に岩戸が閉められて、
クラヤミの世となったのであるぞ、
その後はもう乱れ放題、やり放題の世となったのであるぞ、
これが五度目の大き岩戸閉めであるぞ。

昭和36年5月6日(1961年 辛丑 皇紀2621年)

従って、「この夫婦神が、時めぐり来て、千引きの岩戸をひらかれて相抱き給う時節来た」というのは、やっぱり「筋が違う」と思うのです。「理」を曲げているとも言えます。「半霊半物質の世界」、「〇∞〇」は違うのでしょうか?

2026年2月3日「五葉之巻 第二帖」

霊界に方位はない、人民は東西南北と申しているなれど、今に東の東が現れるぞ。
霊界では光の射す方が北じゃ、その他の東西南北は皆南じゃ、北が元じゃ、
北(基田)良くなるぞと申してあろうがな。
鳴門の渦巻きを渡る時は舵を放して、手放しで流れに任せると渡れるのであるぞ、
舵を取ると同じ処をグルグルじゃ。舵を放せる人民少ないのう。
何でもかんでも舵を取って自分の思う通りに舟を進めようとするから大変が起こるのじゃ、
渦に任せる時は任せなければならんぞ、ナルトの仕組みの一面であるぞ、大切ごとぞ。

昭和36年9月1日(1961年 辛丑 皇紀2621年)

上つ巻 第二十五帖(北から来るぞ)、同 第四十帖(北も南も東も西もみな敵ぞ)、富士の巻 第十六帖(北から攻めて来る時が)、同 第二十三帖(北に気つけよ)、天つ巻 第二十七帖(北拝めよ、北光るぞ、北良くなるぞ)、日月の巻 第十九帖(北に気つけよ)、日の出の巻 第七帖(北に気をつけと、北がいよいよギリギリだと申して執念気つけてあったこと近くなったぞ)、日の出の巻 第二十帖(北に気つけてくれよ)、磐戸の巻 第六帖(←今ココ)、夜明けの巻 第二帖(北良くなるぞ)

岩の巻 第一帖(無理やりに北に押し込めなされたのだぞ)、地震の巻 第六帖(霊界人は、その向いている方向が北である。しかし、地上人のいう北ではなく、中心という意味である)、祭りの巻 第十四帖(北、東、南、西の順に柏手四つずつ打ちて祓い下されよ)、秋の巻 第十六帖(磁石が北に向くよう)、扶桑之巻 第八帖(その東とは、東西南北の東ではないぞ、このことよくわかって下されよ。今の方向では東北(艮)から救いの手が差し伸べられるのじゃ、艮とは東北であるぞ)、極め之巻 第九帖(東木、南火、中土、西金、北水、これを五行と申す)、至恩之巻 第五帖(人民の頭に、東西南北の四方があり八方と拡がるであろうが)、五葉之巻 第二帖(霊界に方位はない、人民は東西南北と申しているなれど、今に東の東が現れるぞ。霊界では光の射す方が北じゃ、その他の東西南北は皆南じゃ、北が元じゃ、北(基田)良くなるぞと申してあろうがな)

岩の巻 第一帖での「無理やりに北に押し込めなされたのだぞ」とは、扶桑之巻 第八帖の「その東とは、東西南北の東ではないぞ、このことよくわかって下されよ。今の方向では東北(艮)から救いの手が差し伸べられるのじゃ、艮とは東北であるぞ」と同じ意味かと思います。極め之巻 第九帖の「北水」は「五行」についての話であり、別問題と言えます。祭りの巻 第十四帖の「北、東、南、西の順に柏手四つずつ打ちて祓い下されよ」とは、地上人から見た方位と見做して間違いないでしょう。では、残る磐戸の巻 第六帖でいう北、南、東、西とは、ざっくり見た地上人から見た方位だと思います。

磐戸の巻 第六帖

北、南、宝出す時近づいたぞ、
世の元からの仕組みであるから めったに間違いないぞ、
これからいよいよ臣民にはわからなくなれど仕上げ見て下されよ、
何事も神の申すこと聞いて 素直になるのが一等だぞ、
神示出ぬ時近くなったぞ、神示出なくなったら口で知らすぞ、
神示早う腹に入れぬと間に合わんことになって来るぞ、
西も東もみな宝あるぞ、
北の宝はシオミツ(潮満つ)だぞ、
南の宝はシオヒル(潮干る)だぞ、
東西の宝も今にわかって来るぞ、
この宝あっぱれ、この世の大洗濯の宝であるぞ。

昭和20年1月4日(1945年 乙酉 皇紀2605年)

この投稿のオリジナルは、トカラ列島で今までの常識を超えるレベルの群発地震が起こっていた頃に書いたものです。「お住まいの方は不安でしょうけど、逆にエネルギーが小出しで逃げていってるからである事を願ってやみません。」とも書いたのですが、それは鬼界カルデラや姶良カルデラの近くだった事があります。一方で北と南だけならともかく、東と西に言及するなら、ここを「南」とするにはあまりにも西過ぎるとも思います。

姶良カルデラ

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/姶良カルデラ

鬼界カルデラ

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/鬼界カルデラ

鬼界アカホヤ火山灰

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/鬼界アカホヤ火山灰

破局噴火

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/破局噴火

例えば1990年から1995年にかけて噴火した雲仙普賢岳では、火砕流1回あたりのマグマ噴出量としては10 – 1000m3(VEI=0)、5年余りに渡る活動期間中の噴出物の総量では0.2 km3(VEI=4)程度、また20世紀最大の火山噴火とされる1991年のピナトゥボ山噴火はVEI=6であった(略)日本ではVEI-7以上の噴火は7000年 – 1万年に1回程度の頻度で発生している。最後のイベントは約7,300年前の鬼界カルデラ。太字はVEI-8

7,300年前 – 鬼界:幸屋(船倉)降下軽石・及びintra-plinian flowとして船倉火砕流 → 大地震 → 竹島(幸屋)火砕流・及びco-ignimbrite ashとして鬼界アカホヤ火山灰。総噴出量 133–183 km3 DRE以上。
3万年前 – 姶良:大隅降下軽石・及びintra-plinian flowとして垂水火砕流 → 妻屋火砕流 → 入戸火砕流・及びco-ignimbrite ashとして姶良丹沢テフラ。総噴出量 380 – 430 km3 DRE。
3.9万年前 – 屈斜路:屈斜路Ⅰ火砕流。総噴出量 45〜87 km3 DRE。
4.6万年前 – 支笏:マグマ水蒸気爆発 → 降下軽石 → 火砕流噴火。総噴出量 100〜130 km3 DRE。
8.8万年前 – 阿蘇:Aso-4火砕流。総噴出量 380 – 790 km3 DRE。

それと磐戸の巻 第六帖には

北の宝はシオミツ(潮満つ)だぞ、
南の宝はシオヒル(潮干る)だぞ、
東西の宝も今にわかって来るぞ、
この宝あっぱれ、この世の大洗濯の宝であるぞ。

という記述があります。

山幸彦と海幸彦

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/山幸彦と海幸彦

西之島

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/西之島

日の出の巻 第十八帖

富士の御用は奥山に祀りくれよ、カイの御用も続けてくれよ、
江戸一の宮作ってくれよ、道場も同じぞ、
海の御用とは 海の鳴門と 海の諏訪と 海のマアカタと三所へ祀りくれよ。
その前の御用、言葉で知らせたこと済んだぞ、
海マアカタとは印旛ぞ。
十柱とは火の神、木の神、金の神、日の出の神、竜宮の乙姫、
雨の神、風の神、地震の神、荒れの神、岩の神であるぞ。
辛酉の日に祀りてくれよ。しばらく御神示出ないぞ。
皆の者 早う今までの神示 肚に入れてくれよ、神急けるぞ。
神示読めば神示出て来るぞ。神祀り早く済ませてくれよ

昭和19年12月21日(1944年 皇紀2604年 甲申)

宗吾霊堂から甚兵衛渡しまで行った時の写真です。

キの巻 第二帖

神示読めば何もかもわかるようになっていることわからぬか、
尾張の御用 御苦労であったぞ、奥の奥のこと仕組み通りになっている、
臣民心配するでないぞ、一の宮は桜咲くところへ作れよ、わかったか、
天之日津久神奉賛会でよいぞ、大神津見の神と申しても祀りくれよ、
祭典、国民服の左の胸に八(や)たれの垂二本つけて 絹の垂つけて当分奉仕してよいぞ。
道場は一の宮と一つ所でよいぞ。
イイヨリ(飯依~四国、讃岐の国)の御用 タニハ(丹波~京都)の御用御苦労であったぞ。
皆の者いよいよだぞ、今から弱音では何もできんぞ、
春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケ、ハルマゲドンと申してあろうが、
いよいよだぞ、褌しめよ、グレンだぞ。

昭和20年2月26日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

地球空洞説

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/地球空洞説

「霊界では光の射す方が北」と言われると、太陽を中心にして内向きの地表が囲んでいるようなイメージ…まぁ、物質界と比べるのもどうかと思いますが。

あと、ナルト。

離岸流

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/離岸流

世界一難しい迷路がこちら

ttps://tohyotalk.com/question/231956

目がやられそうになる迷路ですが、上から見てれば解ける人結構多いと思います。

あなたが気が付いた時、来たことも無いアイキャッチ画像のような所にいた。しかしそこが上のリンク先のような迷路だという事を知らない。誰の助けも呼べず、道案内も無い…。

2026年1月25日「富士の巻 第二十帖」

今のうちに草木の根や葉を日に干して貯えておけよ、保食の神様お怒りだから、
九十四(今年)は五分位しか食べ物採れんから、そのつもりで用意しておいてくれよ。

神は気もない時から知らせておくから、この神示よく読んでくれよ。
一握りの米に泣くことあると知らせてあろうがな、米ばかりでないぞ、
何もかも臣民もなくなるところまで行かねばならんのぞ、臣民ばかりでないぞ、
神々様さえ今度は無くなる方あるぞ。臣民というものは目の先ばかりより見えんから、
呑気なものであるが、いざとなっての改心は間に合わんから、くどく気つけてあるのだぞ。
日本ばかりでないぞ、世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあろうがな、
神にすがって神の申す通りにするより他には道ないぞ、
それで神々様を祀りて上の御方からも下々からも朝に夕に言霊が
この国に満つ世になったら神の力現すのぞ。
江戸に先ず神まつれと、くどく申してあることよくわかるであろうがな。

昭和19年8月27日(1944年 皇紀2604年 甲申)

与野党公約に「食料品の消費税率ゼロ」、年収600万円台世帯で6・1万円の減税…税収は5兆円減に

ttps://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/20260121-GYT1T00085/

食料品「消費税ゼロ」本当に実現?──首相周辺「やるとは言い切っていない」 “給付付き税額控除ができるなら不要”の声も

ttps://shikiho.toyokeizai.net/news/0/931208

かつて岸田が総理大臣になる前の自民党総裁選で、ネット上の下馬評は圧倒的に高市でした。それでも結果はご存じの通り。ここでも書いたのですが、所詮「民主主義」というのは建前上の多数決であって、実際は「経団連スポンサー」の意向であり、組織票という暴力によって「裁決」される事なのです(わざと採決→裁決って書いた)。こちらで挙げたトランプの政策手法になぞらえれるなら

従って「食料品の消費税率ゼロ」を公約に掲げたというのは、経団連や各省庁、とりわけ「罪務省」麻生の同意無しではありえないと思うのです。だけど、「やるとは言い切っていない」なんて不協和音が聞こえてくるのは反対勢力の恨み節だけなのか、それとも?

「食料品消費税ゼロ」案で、株価が息を吹き返した中食大手

ttps://news.ntv.co.jp/category/politics/ec2e29db9ca642e9a99810aa320c4885

「食品消費税ゼロ」外食に逆風 中食と競争激化、控除消え資金繰り難も

ttps://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA216FG0R20C26A1000000/

軽減税率

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/軽減税率

ね?、「経団連スポンサー」の意向でしょ?

【なぜ】田んぼの底に亀裂「水が減るスピードが異様に速い…」 梅雨入りも遅れ“水不足”が「コシヒカリ」にも影響

ttps://www.fnn.jp/articles/-/712499?display=full

雪どけ水少なく農業用水不足 コメの生育に影響 南魚沼市など

ttps://www3.nhk.or.jp/lnews/niigata/20240621/1030029633.html

当時の状況は、令和6年産の米の流通以前の段階であり、現在の米不足は令和5年産の作況に係る問題のハズなのです。令和5年のお米の生産量を評価する「作況指数」は101となっており、平年並みの作柄と公表されています。従って現状の米不足の原因を令和5年のせいにするのは間違いだという事です。ならば前年の時点で問題にしておいてね、と思います。

新型コロナの教訓は生きたか?南海トラフ地震臨時情報で混乱した夏休み、政府が検討すべき“狼少年”にならぬ伝え方【西田亮介の週刊時評】政府への不信感がいざという時の行動を鈍らせる

ttps://jbpress.ismedia.jp/articles/-/82947

「令和の米騒動」値上げ、品薄で確保困難、なのになぜ精米して1ヶ月の米をスーパーは棚から撤去するのか

ttps://news.yahoo.co.jp/expert/articles/a74172d48c665e088c162e469cf21707964a538f

精米して1ヶ月から40日、50日程度で、どのスーパーも商品棚から撤去しており、撤去した後どうするかは企業や店舗によって異なりますが、コメの納入業者に返品する、捨てる、従業員に安く売る、フードバンクに寄付する等に分かれるようです。当時スーパーの商品棚に並べられていたのは、温めて食べるというパックのご飯です。もちろん、これらは昨日今日から店頭に並んでいたのでは無く、赤飯やら五目御飯といったバリエーション共々、以前からあったものです。その反面、このような米不足の状況にも拘らず、各社のパックのご飯が棚に並べられているのをみると「やけに多いな」と疑問に思ったりします。真っ先に気が付くのは、参入しているメーカーの数。赤飯だとか五目御飯といったラインナップを揃えられるのは、普段から店頭に並んでいるような業界トップメーカーだけだと思うのですけど、いつもは目にしないようなメーカーまで並んでいるのは、コロナ当時のマスクのメーカーのようでした。

JAが新米を囲い込み、コメの値段は下がらない…「小泉備蓄米 セール」が新米価格にもたらす深刻すぎる代償

56万トン増産なのに、概算金を3万円に吊り上げたJAの意図

ttps://cigs.canon/article/20250912_9235.html

なぜ新米ができても「コメの値段」は下がらないのか…JAバンクが抱える「預貯金100兆円」と米価の知られざる関係

「巨大マネーをアメリカが狙っている」説を徹底検証

ttps://cigs.canon/article/20251028_9344.html

こんな妄想がもし正しかったとするなら、米の高値操作は少なくとも後三年は続くでしょう。つまり今の「七八九」の時代ならば続けられる。だけど2030年代になると、「米の高値は操作では無く、物理的な不足によるもの」に変わるでしょう。それは農家の倒産によって。その理由は言わずもがな。

2026年1月11日「白銀の巻 第五帖」

人間に自由はないのであるぞ。真の自由は、大神にのみあるものぞ。
大神の自由の一部が御喜びと共に流れ入り、神に流れ入った自由は、
また神の喜びとなって人間に流れ入るから、
人間自身は自由を持っていると信じるのであるぞ。
本質的には自由はないのであるぞ。人間には自由の影があり、反影あるのだ。
それを人間は自由と心得ているのであるぞ。
自由の反影あるから、悪にも善にも、陽にも陰にも為し得るのであるぞ。
また進歩、弥栄するのであるぞ。
悪自由を、人間は自由と心得ているが、
それは自由ではなく、自分自身を首くくるものぞ。
善自由こそ真の自由であるぞ。自由は神から流れ出ると申してあろう。
他の世界と交流するは、他の世界に住む人間を通じてするのであるぞ。
世界とは人間のことでもあるぞ。人間が世界であるぞ。よく心得なされよ。
+(陽)と-(陰)と◯とゝであるぞ。+の陰には-があり、-の陰には+がある。
その和の状態が◯でありゝ(いのち)するのであるぞ。
+は+のみでは力ないぞ。-は-だけでは力ないぞ。+と-とだけでも動きないぞ。
生命の喜びないのであるぞ。よく心得よ。
◯があって+-があり、+-がありゝがあって和があるのであるぞ。
ここの道理よく得心、合点せよ。
+は人間にとって直接の喜びでない。
が直々の喜びぞ。
-も直接ではなく、ΘФが直接の喜びであり、
その二つが和しゝして嬉し嬉しと弥栄えるのであるぞ。
天地の中間を中界と申すぞ。天の息吹きと地の息吹きの中間ぞ。
天国へ行くも、行かんのも まず落ちつく、死後の始めての世界であるぞ。

昭和25年1月2日(1950年 庚寅 皇紀2610年)

メディア掲載  グローバルエコノミー  2025.10.21 リベラル後の「自由主義」

ttps://cigs.canon/article/20251021_9331.html

この記事の冒頭にあるポイント、特に「市場の倫理と統治の倫理を問い直す時期」という点は同意なのですが、書かれている話と私の解釈では相違点があります。例えば

トランプ大統領の介入政策は、リベラリズムによって拡大した「市場の倫理」の領域に、伝統的な「統治の倫理」を復活させて押し返そうとする行動だといえる。

というのは全くの逆で、

でもそんな事は昔からあって、プラザ合意成立のためのスーパー301条のちらつかせだの、日本に戦争を起こさせるためのハルノートだのって。トランプのポピュリズムというのは、あくまで選挙詐欺口だけであって、ただのネオコン政権です。

もう一か所

20世紀前半の全体主義や共産主義の運動も、「市場の倫理」の領域を押し戻して「統治の倫理」の領域を再拡大しようとする運動だったとも解釈できる。ポピュリズムと全体主義の親和性は、こうした共通性からも理解できる。

ではなく、

自由

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/自由

この留学生が英語の「Freedom 」と「Liberty 」のどちらを使ったのか分かりません。ま、Wikiによれば、

一方でリバティはラテン語「liber」の「社会的・政治的に制約されていない」「負債を負っていない」という意味から、英語の「liberal(形:自由な)」や「liberty(名:自由)」の語源となった。自由主義の「liberalism」はこれによる。また「liberate(動:解放する)」、「liberator(名:解放者)」、「liberation(名:解放)」も同じ語源による

下にある「東洋における自由」の項で

中国では本来、「自由」は、好き勝手や自由気ままという意味で用いられた。日本も当初は、二条河原の落書の「自由出家」や「自由狼藉」のように、中国と同じ用法で用いられていた。 福沢諭吉がリバティを訳するに際して、仏教用語より「自由」を選んだ。

福澤諭吉福澤諭吉

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/福澤諭吉

吉田松陰

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/吉田松陰

大本神諭 年月日不明

至仁至愛の神の御出ましに御成なさる時節が参りて大国常立尊が出口の手で書き知らして置いた世が迫りて来たから、世界中の人民が改心を致さねば、この世では最う一寸も先へは行けず、後へ戻ることも出来んぞよ。
この世の来ることを明治二十五年から今につづいて知してをるのにチットモ聞入れが無いが、国同士の人の殺し合いといふやうな斯んな約らん事はないぞよ。
一人の人民でも神からは大切であるのに屈強ざかりの人民が皆無くなりて老人や小児ばかり残して前後を構はずのやりかたであるぞよ。こんな大きな天地の罪を犯してまだ人の国まで取らうと致してをるのは向先きの見えぬ悪魔の所作であるから、何の国が仲裁に出ても天地の大神の御許しのなき事にはいつまでも埒は明かぬぞよ。出かけた船であるから、どちらの船も後へ引く事もならず、進む事も出来ず、まことの仲裁もはいらず、つまらんことが出来るから、外国の守護神に長らくの間気が付けてありたぞよ。
あまり我が強いとしくじるぞよと何時も筆先で気が往けてあるぞよ。
何国にも負けん強い国で在ると思ふて我よしのやりかたで頑張ると為損ひが出来るからと申してくどう知らしてありたが今の有様は其通りではないか。これからは神代の世になるから今までの様に余り頑張ると我れの思ふやうには此の先は一寸も行かんぞよ。我の強い守護神ほど思はくは立ちはせんぞよ。
これまでの心を全然入れ替て了ふて天と地との元を創造た太元の神へお詫を致さねば、我の一力で行りて居ると思ふのが大間違であるぞよ。何事も皆神からの事であるから取り違いをいたすなよと先に気を往けてあろうがな。
我一力で仕て居ると思ふて居ることを霊魂の性来因縁だけの事を天地の神からさせられて居るのであると云ふ事が判然とわかる時代が回りて来たので在るから、これ迄の悪の守護神のやりかたも九分九厘まではトントン拍子に思ふやうに来たなれどモウ九分九厘で悪のみたまのやりかたは輪止りとなるのが今の事であるぞよ。今までは悪のみたまの覇の利く時節でありたぞよ。是が暗りの世でありたぞよ。
この先は学や智恵や仏では国は建たんぞよ。一日も早く往生いたさんと世界の物事が遅ておるから筆先でいつも同じ事を気を付けるぞよ。向ふの国の有様は筆先どうりになりて来てをるから日本の国の守護神に早く判らんと立替が十二年遅くなりてをるから、何かの事の実地が始まると、まだまだ世界には烈しき事が来るぞよと申して在るが一度申したことは違ゐはせんぞよ。世の元から神は能く判りておるので在るから向ふの国に彼れだけの事があるのに日本の人民は我さへ善けら国はどうなりても構はぬとは全然獣ものであるぞよ。神の直々の善き御魂を貰ふてをるからは末には神にも祭られる結構なものであり乍ら人は倒ようが仆れようが我さえ善けりゃ好いでは万物の長とは白されんぞよ。
世界は今が罪の借銭済であるから罪悪のひどい処ほどきびしき戒があるぞよと申して知してあるがこの世界は後にも前にも無いみせしめが出て来るぞよ。
用意をなされよ世の立替は新つの洗い替であるから、みろくの神の世に立返りて万古末代善一筋の世になる尊ひ事の初りであるから皆の人民の思ひが違ふてあるぞよ。あやべの大本は今では粗末なとこで在るなれど此の広い世界に外に亦とない大神の世の元の尊とひとこであるから全部判けて見せたならば余り大きな仕組であるから思ひが大違いで驚愕いたすぞよ。天地のビックリ箱が明くぞよと申してあるが此のビックリ箱が明いて手の掌をかやしたら何んな人でも驚愕いたして改心せずには居れん事になるが其処まで行かん中にチット判らんと約らん事があるぞよ。
この大本に日々かぶり付て居るものにチト早く判らんと何処からも是からは判る守護神が出て来るから、耻かしうなるぞよ。何事も、ちっと判りて居んと面目ない事が出来るぞよ。慢神と誤解が一番こわいぞよ。
たれに由らず慢神すると我の心が大変ゑらい様に思へて、人から見て居ると鼻が高うて見にくいぞよ。
腹の中に誠さえありたなれば何んな事でも出来るなれど上から見てよくても心の中に誠が無いと実地の誠が成就いたさんぞよ。

という認識だった事になります。実際、明治に入って以降は、(えせ)社会主義者、共産主義者共(という名のただのテロリスト)が跋扈するようになり戦後の団塊世代が成人する頃には暴力革命に走る連中がピークになります。

「外国人の重要犯罪増」はミスリード 「不起訴率が右肩上がり」は誤り 参政党・吉川里奈衆院議員の街頭演説【ファクトチェック】

ttps://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1624023

今日「外国人犯罪」でググると、

週刊女性PRIME ドンキホーテで相次ぐ外国人観光客のトラブル「未払い逃走」「会計前に食べる」運営が現状把握も打つ手なしか

ttps://www.jprime.jp/articles/-/38183?display=b

河川敷のバーベキューで迷惑行為…不法投棄が頻発 東京・奥多摩町

ttps://s.mxtv.jp/tokyomxplus/mx/article/202408221000/detail/

サバクトビバッタ

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/サバクトビバッタ

サバクトビバッタは、毎日自分の体重と同じ量の緑の植物を食べる(中略)さらにはバッタからの排泄物が食べ残した食物を腐らせる

買い手である経済界にとっては、コスパの良い奴隷なので増やしたいのです。その反面、この連中の生活圏と被る人たちは、こいつらの素性を嫌というほど思い知る事となるのです。

後、数年は、ね。