2026年3月15日「雨の巻 第二帖」

天の大神様は慈悲深くて何んな偉い臣民にも底知れぬし、
地の大神様は力ありすぎて、人民には手におへん見当取れん、
そこで神々様を此の世から追い出して悪神の云ふこと聞く人民許りとなりてゐたのであるぞ。
七五三(しめ)は神々様をしめ込んで出さぬ為のものと申してある事これで判るであろがな、
鳥居は釘付けの形であるぞ、基督(キリスト)の十字架も同様ぞ、
基督信者よ改心致されよ、基督を十字架に釘付けしたのは、そなた達であるぞ、懺悔せよ、
〇とは外国の事ぞ、
が神国の旗印ぞ、神国と外国との分けへだて誤ってゐるぞ。
大き心持てよ、かがみ掃除せよ、上中下三段に分けてある違ふ血統(ちすじ)を段々に現すぞよ、
びっくり箱あくぞ、八九の次はであるぞよ。何事もウラハラと申してあろが、
ひとがひとがと思ってゐた事 我の事でありたであろがな、
よく神示読んでおらんと、キリキリ舞ひせんならんぞ、
日本が日本がと思って居た事 外国でありた事もあるであろがな、
上下ひっくり返るのざぞ、判りたか。
餓鬼までも救はなならんのであるが、餓鬼は食物やれば救はれるが、
悪と善と取違へてゐる人民、守護神、神々様 救ふのはなかなかであるぞ、
悪を善と取違へ、天を地と信じてゐる臣民人民なかなかに改心六ヶ敷いぞ。
我と改心出来ねば今度は止むを得ん事出来るぞ、
我程偉い者ないと天狗になりてゐるから気を付ける程 悪ふとりてゐるから、
こんな身魂は今度は灰ざぞ、もう待たれん事になったぞ。

昭和20年10月13日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

サウジ皇太子、事前にトランプ氏に数回電話し攻撃支持…「今攻撃しなければ更に危険になる」

ttps://www.yomiuri.co.jp/world/20260302-GYT1T00078/?dicbo=v2-8VlRg0I

米と湾岸諸国がイラン非難、「危険なエスカレーション」と共同声明

ttps://jp.reuters.com/world/security/KXSJFZPWIRKLREP3I36ZU4QWJY-2026-03-02/

2025年のイスラエルは、自国だけでイランを潰せると過信していたように思います。所謂「クソみたいな驕りと油断」です。そこで導き出した結論は、潜入工作による世論の攪乱と同時に、アリ・ハメネイ師を始めとする政府要人、攻撃拠点の位置の特定、エーブラハム・リンカーン、ジェラルド・R・フォードの二個空母打撃群、B2爆撃機X7機投入…等の圧倒的な火力による先制攻撃で、反撃能力を徹底的に削減するしかないでしょう。

軍艦に自爆ドローン、ステルス爆撃機も 米国がイラン攻撃で使用するハイテク兵器と装備

ttps://www.cnn.co.jp/world/35244504.html

米軍、作戦開始以降イランで1250超の標的攻撃 艦船11隻破壊

ttps://jp.reuters.com/world/security/UKRRY7LPTRMALEEYKDOGB3JJGM-2026-03-02/

イスラエル、ユダヤ系国民の93%がイラン攻撃を支持…「反戦の訴え」かき消され・「総選挙を前倒し」観測も

ttps://www.yomiuri.co.jp/world/20260307-GYT1T00508/

№47 イスラエル:「大イスラエル」主義表明の思惑

ttps://www.meij.or.jp/kawara/2025_047.html

ユダヤ人のアメリカ移住史

ttps://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc100.html

世界中の反ユダヤ活動を監視する「ADL」

ttps://inri.client.jp/hexagon/floorA1F/a1f1406.html

シオニズムの変遷~イスラエル建国の舞台裏~

ttps://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hd/a6fhd200.html

ナチスを支援した国際的なパワーエリートの黒い人脈と金脈 ~シュローダー男爵とダレス兄弟の暗躍~

ttps://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc300.html

ヘブライの館2 THE HEXAGON 総合案内所

ttps://inri.client.jp/hexagon/floorA0F/_floorA0F.html

ゆっくり解説 西洋人が鬼畜だった理由 地理の雑学ゆっくり解説

ttps://www.youtube.com/watch?v=q27DD6oaiD4

それもあってか、本書の冒頭からヨーロッパの家庭料理では、「こうしの面皮」とか「兎の丸煮」とか「羊の心臓」とか、「原子雲のような脳髄」(…)とかという、元の形がわかるものが当たり前に食卓にのぼる事を指摘しています。西洋の肉屋では当たり前に売っておりますし、中国でもそうですね。各国の市場では普通に見られる風景ですが、ここ日本では違う。

食肉市場(と場を含む)のご紹介

ttps://www.shijou.metro.tokyo.lg.jp/info/2

ところで本書は、「食生活のくいちがいからくる思想的根底をさぐることにした」はずですが、後半は(本書でも引用している)竹山道雄氏の比較宗教思想史に踏み込んでいってしまうのです(作者は否定しているところですけど)。

日本人は自分等が飼ふ家畜を屠殺することもせず、叉、喰べもしない。彼等は時々魚を食膳に供し、米や麦を食べるがそれも少量である。但し彼等が食べる草(野菜)は豊富にあり。叉僅かではあるが、いろいろな果物もある。

アルーペ神父・井上郁二共訳「聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄」

神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。
神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。

旧約聖書(創世記1章27、28、29節)

これに関連して、仏教の「輪廻転生思想」が、キリスト教社会には無い事も指摘されています。上の動画で「そこの家畜の豚、親友のフランク説」と言って例えていますが(14:39)、自分たちが食べるものがそうであっては不味いわけで、設定に矛盾が生じないように「世界観を作り込んでいる」と表現していますが、これは的を得た表現だと思います。

農業の歴史

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/農業の歴史

およそ紀元前9500年頃の新石器時代にはレバントにおいて、デュラムコムギの始祖とされるエンマーコムギ、ヒトツブコムギをはじめ、オオムギ類、エンドウマメ類、レンズマメ、ヒヨコマメ、アマなど8種類の初期作物が収穫されていたことが知られている。コメ類は、紀元前6200年頃までには中国で栽培が開始され、最古の収穫の記録は、紀元前5700年頃とされる。

ʿApiru

ttps://en.wikipedia.org/wiki/ʿApiru

In the time of Rim-Sin I (1822 BCE to 1763 BCE), the Sumerians knew a group of Aramaean nomads living in southern Mesopotamia as sa.gaz, which meant “trespassers”.The later Akkadians inherited the term, which was rendered as the calque Ḫabiru, properly ʿApiru. The term occurs in hundreds of 2nd millennium BCE documents covering a 600-year period from the 18th to the 12th centuries BCE and found at sites ranging from Egypt, Canaan and Syria, to Nuzi (Upper Mesopotamia near Kirkuk, northern Iraq) and Anatolia (now Turkey)

リム・シン1世(紀元前1822年から紀元前1763年)SumeriansAramaeanMesopotamiaの時代に、シュメール人はメソポタミア南部に住むアラムアノマ人の集団を知っていた。sa.gazは「反逆者」という意味だった。 Akkadians後のアッカ派は、カルク・トリ・アピル(適切にアピル)として表現されたこの用語を継承した。Canaanこの用語は、紀元前18世紀から12世紀までの600年にわたる紀元前2000年の文書で数百件にわたり、エジプト、カナン、シリア、ヌジ(イラク北部のキルクク近郊のアッパー・メソポタミアKirkuk)やアナトリア(現在のトルコ)に至るまでの遺跡で見られる。

アマルナ文書

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/アマルナ文書

カナン発信のアマルナ書簡の位置情報について 池田 潤

ttps://www.lingua.tsukuba.ac.jp/ippan/JGL/2007/2007-ikeda.pdf

Amarna letter EA 287

ttps://en.wikipedia.org/wiki/Amarna_letter_EA_287

Abdi-Heba

ttps://en.wikipedia.org/wiki/Abdi-Heba

Labaya

ttps://en.wikipedia.org/wiki/Labaya

アブディ・アシルタ

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/アブディ・アシルタ

アムル人

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/アムル人

アブディ・アシルタもまたエジプトの属臣でありながら、アムル王国を建国して、ヒッタイトと結ぶ裏切り者と非難されています。アムル人はウル第3王朝の後継者という意識を強く持っており、旧約聖書においては「ハムの子であるカナンの子でありカナンの諸部族」とまでされているのです。

カナン

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/カナン

イスラエル王国

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/イスラエル王国

前1200年のカタストロフ

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/前1200年のカタストロフ

ソドムとゴモラ

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/ソドムとゴモラ

大洪水

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/大洪水

縄文海進

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/縄文海進

聖絶

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/聖絶

モーセは、戦いを終えて帰還した軍の指揮官たち、千人隊長、百人隊長に向かって怒り、彼らにこう言った。「(ミデヤン人の)女たちを皆、生かしておいたのか。(中略)直ちに、子供たちのうち、男の子は皆、殺せ。男と寝て男を知っている女も皆、殺せ。女のうち、まだ男と寝ず、男を知らない娘は、あなたたちのために生かしておくがよい。」— 『民数記』31:14-18

イスラエルに敵対する異民族に対して聖絶が用いられる時は、「神への奉納物として、異教の神を拝むものとそれに関連する事物をことごとく滅ぼし尽くす」こと、全ての戦利品を滅却することを意味した。すなわち、聖絶の対象とされた敵対異民族は全員が剣で殺され、また家畜も含め生けるものは全て殺戮された。また、通常の戦闘では許される女子どもの捕虜も、また家畜などの戦利品も、聖絶においては自分たちの所有物とすることは許されず、全てが神への捧げ物とされなければならなかった。さらに、それ以外の剣でもって滅ぼせないものは火をもって焼き尽くされ、また、燃やすことの出来ない金銀財宝などは神殿の奉納倉へ納めて、「呪われた汚らわしきもの」として民衆の手からは隔離されなければならなかった。そして、聖絶のものを私物した者は、神の怒りに触れるものとして、罰として処刑された。聖書はその理由として、イスラエルに聖なる生き方をさせて、彼らが先住民の宗教からの誘惑に負けて神に対して罪を犯さないためであるとする(申命記7:1-6、20:16-18)

「すべて聖絶のものは最も聖なるものであり、主のものである。」— レビ記27:28、新改訳聖書

ユダヤ教

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/ユダヤ教

タルムード

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/タルムード

恐るべきユダヤ悪魔教の教典タルムード!!

ttps://tunobue.chips.jp/talmu.html

ミシュナーに記述されたイェフーダー・ハン=ナーシーの言葉によると、女性は3歳と1日になったら結婚をすることができる。ニッダーとサンヘドリンの記述によると、3歳と1日の少女は父親の許可の下、性行為によって婚約する。ラビ・メイルは、2歳と1日の少女も性交によって婚約することができると述べている。ラヴ・ヒスダは3歳以下の少女は性交で処女膜が破れたとしても再生すると述べており、例えそれが改宗者や捕虜や元奴隷だったとしても、その少女が3歳と1日よりも年少の場合は処女とみなされ、結婚契約額が支払われるとケトゥボットに記されている。アヴォダー・ザラー37aには、異教徒の少女は3歳と1日で性行為に適するという章句がある。異邦人の娘であるユスティニアは、6歳で結婚し、7歳で出産したというが、一般的には女性は12歳と1日になれば妊娠に適齢であると考えられていた

ユダヤ人の自己正当化は、聖書の記述だけでは飽き足らず、タルムードが出来たように見えます。そのタルムードを異教徒に見せてはならない理由は、これを知った異教徒に殺されてしまうから。現代の偽ユダヤ人たち、偽物のキリスト教徒たちは、いかにも聖書やタルムードを建前にするように自己正当化を続けているのです。だからこの神示を選んだのですけど。

おまけ

「肉食の思想」での、竹山道雄氏の「ヨーロッパの旅」からの引用部分(3~4ページの記述)は、正しくは「續ヨーロッパの旅」155ページに記述されていました…。アイキャッチで一番下になっている本です。

2026年1月11日「星座之巻 第三帖」

時、時、と申してあるが、時間では無いぞ。神、幽身にも聞かせているのぞ。
地上人には時間が考えられるなれど、神界には時間が無く、神も霊人も時間は知らないのであるぞ。
ただ喜びがあるのみぞ。
神界で時間と申すのは、ものの連続と変化、状態の弥栄のことであるぞ。
トキ待てよ。トキ違えるで無いぞ。
地上人の時間と区別して考えねばこの神示は解らんぞ。

昭和36年5月10日(1961年 辛丑 皇紀2621年)

11、12日と連休になりました。早々に記事更新しろ、ってせっつかれて煽られているのでしょうか?(←被害妄想)

本記事はブログ更新停止中に書いてた「葬送のフリーレン」のレビューです。2026年1月16日から待望のアニメ第二期がオンエアされますが、第一期のレビューが間に合って良かったです。されど私は夜勤なので、第二期を見るのはブルーレイ発売までお預けなのです(ノд・。) グスン

ドラゴンクエストが発売された頃、友人は(当時の日本にとっては)、この新しいジャンルのゲームに夢中になりましたが、当時の私はそれに飛びつこうとさえ思いませんでした。それはひねくれていたからというわけでは決してなく、単に優先順位が音楽をやったからであり、一方で富士通のFM-7を持っていた事もあって、ファミコンも持ってはおらず、あのコントローラーでゲームする位ならアーケードでやればいいや、という程度の話です。

その後、ほぼ同時期に発売されたRPGの大作とされる作品をプレイしたのですが、

最近Youtube見ていると、右側のおすすめ?に「葬送のフリーレン」が出て来るようになりました。今や漫画、アニメ、ゲーム等、至る所に「異世界」もの、「RPG世界」ものが扱われている世の中で、最初は「またか」位に思っていたのですが、たまたま見ていたショート動画をスクロールして、目の当たりにした本作品の動画から見た印象だけでも「違った」。

因みにブルーレイ第1巻収録の第1話から第4話までは、コミックスの第1巻に一致しているので(正確には第2巻第8話)、未読未視聴の方はセットで買うと良いかもです。

本編に行く前に音楽の方から…

夜には国を挙げての祝賀会が行われているのですが、この楽器は恐らく「リュート(Lute)」。作中の音楽の第一印象としては、ヨーロッパの大西洋側と東欧っぽい雰囲気があるように思いましたが、作曲者の音楽ルーツがケルティック音楽にあって、今回ハンガリーのオーケストラを使ったそうで。(想像していたより北側でした…)古楽器が多用されている事で、「音色の地域性」からくる先入観だったのかも知れません。いずれにせよ、雰囲気がとても大切にされている作品だと思います。

ー ー ー

「フリーレン」は1000年以上生きたエルフの魔法使いです。10年に渡って一緒に冒険をしてきた「勇者ヒンメル」と「僧侶ハイター」は人間です。「戦士アイゼン」はドワーフであり人間よりもはるかに長寿ですが、エルフに比べれば短く、フリーレンに比べれば人間と言うものを理解しているように思えます。それは後に「もう斧を振れるような歳じゃないんだ」という齢に至ってより実感する事になったのだろうな、とも。

さて、星座之巻 第三帖

地上人には時間が考えられるなれど、神界には時間が無く、神も霊人も時間は知らないのであるぞ。

磐戸の巻 第七帖

人民のイクサや天災ばかりで、今度の岩戸ひらくと思っていたら大きな間違いだぞ、
戦や天災で埒あくようなチョロコイことでないぞ、
あいた口ふさがらんことになって来るのだから、
早うミタマ磨いて恐いもの無いようになっておってくれよ、
肉体の恐さではないぞ、タマの恐さだぞ、タマの戦や禍は見当取れまいがな、
真通理(祀り) 第一と申すのだ、神のミコトに聞けよ、
それにはどうしてもミタマ磨いて神かかれるようにならねばならんのだ。
神かかりと申しても そこらにござる天狗やキツネやタヌキつきではないぞ。
まことの神かかりであるぞ。
右行く人、左行く人、咎めるでないぞ。
世界のことは皆、己の心に映って心だけのことよりできんのだぞ、この道理わかったか、
この道はマナカ(真中)行く道とくどく申してあること忘れるなよ、
今までのような宗教や教えの集団は潰れてしまうぞ、神が潰すのではないぞ、
自分で潰れるのだぞ、
早うこの神示、魂にしてマコトの道に生きてくれよ、
俳句は俳句と申してあるが、天理は天理、金光は金光だけの教えであるぞ。
この神の申すこと、天のミチぞ、地のミチぞ、人のミチだぞ。
今度の岩戸ひらきの大望済んだとて、すぐに良いことばかりはないのだぞ、
二度とないことであるから臣民では見当取れんから、肚の底から改心して、
素直に、神の申す通りにするのが何より結構なことだぞ。

昭和20年1月7日(1945年 乙酉 皇紀2605年)

返す返すもヒンメルとハイターは人間であり、アイゼンはドワーフ族、そしてフリーレンはエルフです。この異種族ごちゃ混ぜのパーティーが10年間もやって来れたのは、「クソみたいな思い出しかない」けど「楽しかった」事がまず一つ。その中にはお互いの価値観を知る機会があったから。その一つが原作第7話、アニメ第4話、タイトルは共通で「魂の眠る地」です。

アイゼン曰く「人は死んだら無に還る」、フリーレン曰く「死後の魂の観測ができないから、(天国の)実在を証明できないんだよね。」まぁおっしゃる通り…で、ヒンメルは「どっちでもいいと思うけどな。」と何となく言っているようにも。

道中でお互いを理解するようなエピソード、いっぱいあったでしょう。でなければお互いに背中は預けられないでしょうから。

「嘘をついてもいいのは、魔術師マジシャンと芸術家、善意でやむを得ない場合と悪人に対してだけ。」

ところでこういう話って、パッと出て来るようなものじゃないと思うんです。作者の方の人生哲学を見ているような気もするし、自分たちとは異なる存在がどのように考え、行動するのか?と言う考察の積み重ねがあったように見えるのです。同じ日本人であっても考え方が違うように異なる民族であれば殊更違う、では種族が異なれば?というように。

たまには私もこんな事を考えていたりするのです。

2026年1月5日「秋の巻 第八帖」

何事も喜びからぞ。
結果からまた喜び生まれるぞ。
この道理わかれば何事もありやか。

昭和27年4月11日(1952年 皇紀2612年 壬辰)

今月から第二期も始まる「葬送のフリーレン」。更新停止中に書いてたレビュー、アップするか…なんて思っていたのですが、このブログのネーミングの由来となっている「それでも町は廻っている」を紹介していなかった事実に気が付く…。旧旧「第零話」、旧「第零話」でも書いた事なのに…。という事で急遽、記事にしようと思います。が、やけに寒い…てか、窓の外、白い…雪降ってたのかよ…。(現在1月3日深夜)

日常系って言って間違いないのだろうけど、本作品は他と大きく異なるのが、作中の舞台が醸し出す雰囲気です。「それでも町は廻っている」(以下、それ町)の舞台になっている丸子商店街のモデルは、大田区の下丸子です。ちょっと離れているけど勝海舟のお墓参りもしたいので、そのうち聖地巡礼に行く予定です。作品中には八百屋さんや魚屋さんがスーパーでは無く、独立した店舗として描かれております。

小学校の頃、近くにチェーン店型のスーパー(今日のサイズ感で言うと小規模なのですが)が出来ました。すると当然、客は一気にそちら側に流れました。うちの一家だって例外では無かった。安いし、新鮮だし。それはチェーン店の強みでもある大量入荷による単価引き下げ、そして売れれば売れた分、また新鮮な食品が入荷出来ますし。すると、近所の商店街では店を閉める所が出てきました。今でいう所のシャッター街の始まりでした。そうして結構早い段階で、私はあの叉焼を食べられなくなった。

酒屋の衰退については、二つの段階で訪れました。私の父は「ビール=キリン」っていう人で、瓶をケースで配達してもらっていました。私がコーヒーを飲むようになる前は、ファンタのオレンジとグレープ(母の分も)で、これも配達してもらっておりました。ところが小学校の時、母から「今後は(ファンタは)瓶からペットボトルになるから配達してもらうのは止める」と言われたのです。それは晴れた昼下がりの台所で言われた一言。カラーで覚えてる。私が何を言い返したのかも。

ビールも缶に切り替えた人が多かったのか、瓶置き場だった敷地はほどなくして駐車場に変わったが、酒は生鮮食料品ではないので、持ち家の酒屋は規模を縮小しながらも経営を続けられたのですが、法律の改正でそれは変わってしまいました。コンビニやスーパーでもたばこ、酒類の販売が認められるようになったからです。

本作主人公の女子高生「嵐山歩鳥」の弟である猛は、「ゴルゴンの迷宮」というお菓子(のオマケ)の売っている所を探しに出かけたのですが、10分ほど後に、彼の別のクラスの友達である山本君が訪ねてきました。その目的はやはり「ゴルゴンの迷宮」。何だかんだあって歩鳥は、山本君と「ゴルゴンの迷宮」を探しに出かけました。ただ小学生の間で流行したものなので、ちょっとやちょっとじゃ見つからないわけです。そこで出てきたキーワードが「酒屋」

おっと、随分本題にうまく戻せた気がするぞ。

第44話「ざっくばらん」なのに…↓

第45話「逢えない二人」では?!

尚、本作は基本的に読み切りがデフォルトで、その回でオチが付かない場合は次回もその話になっているものの、例えばその話の後日談が2年後に明かされていたりというのは、他の作品でも見られますが、(タイムライン的に)以前の話に戻ったり、かと思えば次の話は後の話だったりするのは、あまり見かけません。これは「時系列シャッフル」となっており、この点は日月神示にそっくりです。

紫金之巻 第三帖

伊豆幣帛を 都幣帛に結び 岩戸ひらきてし。

ウヨウヨしている霊かかりに まだ、だまされてござる人民多いのう、
何と申したらわかるのであるか、奇跡を求めたり、我よしのおかげを求めたり、
下級な動物のイレモノとなっているから、囚われているから、だまされるのじゃ、
霊媒の行いをよく見れば すぐわかるでないか。早う目覚めよ。
因縁とは申しながら、可哀想だからくどう申して聞かせているのであるぞ、
マコトの道にかえれよ、マコトとは 〇一二三四五六七八九十と申してあろう、
その裏は十九八七六五四三二一〇で、合わせて二十二であるぞ、
二二が真理と知らせてあろう、二二が富士(不二・普字)と申してあろうが、
まだわからんか。

昭和36年記述日不明(1961年 皇紀2621年 辛丑)

第13話「それでも町は廻っている(前編)」では「天使」も出てくるのです。こういう所も…ダメ?

歩鳥が交通事故で死んでしまうこのエピソード、この先16巻まで続くというのに…。ちなみにアニメでは最終話「十二番地 それ町」で映像化されました。

第14話「それでも町は廻っている(後編)」。

歩鳥の後ろにいる人は案内係、本人に死という現実を実感させる、最も残酷で損な役回りなのですが、ここで歩鳥は実感する事になるのです。

私には前世の記憶がありません。…否、多分ほとんどの人もそう言う。輪廻転生があったとしても自分の前世での愛する人、家族、友人たちが現世で存命だったとしても、その大切な記憶が無いであろう事は想像に難くありません。お互い記憶がないままに再会して縁を結んでいるかも知れない、でもそんなことがあるのかどうかも分からない。だからこそそれは「かけがえが無い」であり「事実上のたった一度の人生」であり「これからなんてもうないんだ」と思うのです。このテーマについては「銀河鉄道999」のレビューの時にもう一度書きます。

何かレビュー言うよりは、単なる紹介記事だけのような気もしますが、これにて。