2026年2月6日「上つ巻 第十三帖」

元の人三人、その下に七人、その下に七七、四十九人、合わせて五十九の身魂あれば、
この仕組みは成就するのだ。
この五十九の身魂は神が守っているから、世の元の神かかって大手柄をさせるから、
神の申すよう何事も、身魂磨いてくれよ、これが世の元の神の数ぞ、
これだけの身魂が力合わせて善き世の礎となるのだ。
この身魂はいずれも落ちぶれているから、訪ねて来てもわからんから、
よく気をつけて、どんなに落ちぶれている臣民でも、訪ねて来た人は、親切にして帰せよ。
何事も時節が来たぞ。

昭和19年6月21日(1944年 皇紀2604年 甲申)

上つ巻 第二十七帖

何もかも世の元から仕組みてあるから神の申すところへ行けよ。
元の仕組みは富士(二二)ぞ、次の仕組みはウシトラ三十里四里、次の仕組みの山に行って開いてくれよ、
今はわかるまいが、やがて結構なことになるのだから、行きて神祀りて開いてくれよ、
細かく知らせてやりたいなれど、それでは臣民の手柄なくなるから、
臣民は子だから、子に手柄させて親から御礼申すぞ。
行けば何もかも善くなるように、昔からの仕組みしてあるから、何事も物差しで測ったように行くぞ。
天地が唸るぞ、上下引っ繰り返るぞ。
悪の仕組みに皆の臣民騙されているが、もう直ぐ目覚めるぞ、目覚めたら訪ねてござれ、
この神のもとへ来て聞けば、何でもわかるように神示で知らせておくぞ。秋立ったら淋しくなるぞ、
淋しくなったら訪ねてござれ、我を張っていると、いつまでも分からずに苦しむばかりぞ。
この神示も身魂によりどんなにでも、取れるように書いておくから、取り違いせんようにしてくれ、
三柱と七柱そろったら山に行けよ。

昭和19年7月1日(1944年 皇紀2604年 甲申)

ここで「次の仕組み」と述べているのですが、岡本天明伝[日月神示]夜明けの御用(黒川柚月氏・著)には、「ハルナ」の御用として下つ巻 第一帖の「(じゃ)が岳」に祀られるまでの経緯が記述されています。

下つ巻 第三帖

この神のまことの姿見せてやるつもりであったが、
人に見せると、びっくりして気を失うかも知れんから、
石に彫らせて見せておいたのにまだ気づかんから木の型をやったであろうがな、
それが神の或る活動の時の姿であるぞ、神を見せ物にしてはならんぞ、
お山の骨もその通りぞよ、これまで見せてもまだわからんか、
何もかも神がさせてあるのぞ。
心配いらんから慾出さずに、素直に御用聞いて下されよ、
今度のお山開き まことに結構であるぞ、
神が烈しくなると、神の話よりできんことになるぞ、神の話 結構ぞ。

昭和19年7月13日(1944年 皇紀2604年 甲申)

どうもそれは↑の話のようです。天明氏一行は榛名神社に参拝した後、山道を歩いて蛇が岳に向かっているようで、その道中にこの「九折岩」が見えるらしいです。

下つ巻 第一帖

富士は晴れたり日本晴れ。
青垣山めぐれる下つ岩根に祀りてくれた、御苦労ぞ、いよいよ神も嬉しいぞ。
鳥居は要らぬぞ、鳥居とは水のことぞ、海の水ある それ鳥居ぞ。皆の者 御苦労ぞ。
邪が岳は昔から神が隠しておった大切の山だから、
人の登らぬようにして、竜神となって護ってくれた神々様にも御礼申すぞ。
富士は晴れたり日本晴れ。
いよいよ次の仕組みにかかるから、早う次の御用聞いてくれよ、神急けるぞ、
山晴れ、地晴れ、海晴れて、始めて天晴れるぞ。
天晴れて神の働き いよいよ烈しくなったら、臣民いよいよわからなくなるから、
早う神心になっておりて下されよ。
次々に書かせておくから、よく心に留めておいて下されよ。
この道は宗教ではないぞ、教会ではないぞ、道だから、今までの様な教会作らせんぞ。
道とは臣民に神が満ちることぞ、神の国の中に神が満ち満つることぞ。
金儲けさせんぞ、欲すてて下されよ。

昭和19年7月12日(1944年 皇紀2604年 甲申)

ところで、この仕組みは「元の人三人、その下に七人、その下に七七、四十九人、合わせて五十九」とされています。これ、「七七、四十九」九九で四十九のように読めますが、これが違う。

祭りの巻 第十七帖

集団のアは神示じゃ、ヤとワとは左と右じゃ、教左と教右じゃ、
㋳と㋻はその補じゃ、教左補、教右補じゃ、ヤの補は㋻じゃ、ワの補は㋳じゃ、
ア、ヤ、ワ、㋳、㋻、が元じゃ、その下に七人と七人じゃ、正と副じゃ、
その下に四十九人じゃ、わかりたか、
集団 弥栄弥栄。皆御苦労ながら二の御用手引き合って、天晴れやりて下されよ、
集団作ってよいぞ。強くふみ出せよ、
くどいようなれど百十はそのままじゃぞ。今度の御用は一つの分かれの御用じゃぞ、
神示よく読むのじゃぞ、身魂の性来段々わかりて来るぞ、
万民ミタマまつりの御用からかかりてくれよ、うつし世のそれの御用、結構ひらけ輝くぞ。

昭和21年8月28日(1946年 皇紀2606年 丙戌)

5+14+49=68じゃん。

上つ巻 第二十六帖

「あ」の身魂とは天地のまことの一つの掛け替えない身魂ぞ、
「や」とはその左の身魂、「わ」とは右の身魂ぞ、
「や」には替え身魂㋳あるぞ、「わ」には替え身魂㋻あるぞ、
「あ」も「や」も「わ」も㋳も㋻も一つのものぞ。
身魂引いた神かかる臣民を集めるから急いでくれるなよ。今にわかるから、それまで見ていてくれよ。
「い」と「う」はその介添えの身魂、その魂と組みて「え」と「を」、「ゑ」と「お」が生まれるぞ、
いずれはわかることだから、それまで待ってくれよ。言ってやりたいなれど、
今言っては仕組み成就せんから、邪魔入るから、身魂掃除すればわかるから、早う身魂洗濯してくれよ。
神祀るとはお祭りばかりでないぞ、神にまつらうことぞ、
神にまつらうとは神にまつわりつくことぞ、神に従うことぞ、
神にまつわりつくとは、子が親にまつわることぞ、親に従うことぞ、
神にまつらうには洗濯しなければならんぞ、洗濯すれば神かかるぞ、神かかれば何もかも見通しぞ、
それで洗濯洗濯と、臣民耳にタコできるほど申しているのだ。

昭和19年7月1日(1944年 皇紀2604年 甲申)

(㋳と㋻は原文はひらがな)

夜明けの巻 第十三帖

あら楽し、すがすがし、世は朝晴れたり、昼晴れたり、夜も晴れたり。
あら楽し、すがすがし、世は岩戸明けたり、待ちに待ちし岩戸開けたり。

この神示の臣民と言うても、人間界ばかりでないぞ。
神界幽界のことも言って知らせてあると、申してあろうが。
取り違い慢心一等恐いと申してあろうが。
祭典、国民服もんぺでも良いぞ。
天明(岡本天明)まつりの真似するでないぞ。役員まつりせい。何も言うでないぞ。
言って良い時は知らせるぞよ。わかったか。
仕える者無き宮、産土様の真下にいくら祀ってもよいぞ。
天明は祈れ。祈れ。天に祈れ、地に祈れ、
引き潮の時引けよ。満ち潮の時進めよ。大難小難にと役員も祈れよ。
口先ばかりでなく、誠祈れよ。祈らねばならんぞ。口先ばかりでは悪となるぞ。わかったか。
今度は借銭済しになるまでやめんから、誰によらず借銭無くなるまで苦しい行せなならんぞ、
借銭なしでないと、お土の上には住めんことに今度はなるぞ。
イシの人と、キの人と、ヒの人と、ミヅの人と、できるぞ。
今にチリチリバラバラに一時はなるのであるから、その覚悟よいか。
毎度知らせてあること忘れるなよ。神示 腹の腹底まで浸むまで読んで下されよ。神頼むぞ。
悟った方 神示説けよ。解いて聞かせよ。役員 皆 説けよ。信じる者 皆 人に知らせてやれよ。
神示読んで嬉しかったら、知らせてやれよ申してあろうが。
天明は神示書かす役ぞ。アホになれと申してあろうが、まだまだぞ、役員 気つけてくれよ。
神示の代わりにミ身に知らせると申してある時来たぞ。いよいよの時ぞ。
神示で知らせることの始めは済みたぞ。実身掃除せよ。ミ身に知らすぞ。実身に聞かすぞ、
聞かな聞くようにして知らすぞ。つらいなれど、我慢せよ。ゆめゆめ利巧出すでないぞ。
わかったか、百姓にもなれ、大工にもなれ、絵描きにもなれ。
何にでもなれるようにしてあるでないか。役員も同様ぞ。
集団作るでないぞ、金取るでないぞ、神に供えられたものはみな分けて、
喜ばせてやれと申してあろうが。この方 喜ぶこと好きぞ、好きのこと栄えるぞ。弥栄えるぞ。
信者作るでないぞ。道伝えなならんぞ。取り違いせんように慢心せんように、
生まれ赤児の心で神示読めよ。神示いただけよ。
日本の臣民 皆勇むよう、祈りてくれよ。世界の人民 皆喜ぶ世が来るよう 祈りてくれよ。
てんし様まつれよ。みことに服ろえよ。このことできれば他に何もわからんでも、峠越せるぞ。
御民いのち捨てて生命に生きよ。

「鳥鳴く声す夢覚ませ、見よ あけ渡るひむかしを、空色晴れて沖つ辺に、千船行きかう靄の裡」

「いろは、にほへとち、りぬるをわかよ、たれそ、つねならむ、うゐのおくやま、
 けふこ、えてあさき、ゆめみしゑひもせすん」

「アオウエイ、カコクケキ、サソスセシ、タトツテチ、ナノヌネニ、ハホフヘヒ、
 マモムメミ、ヤヨユエイ、ラロルレリ、ワヲウヱヰ」

「アイウエオ、ヤイユエヨ、ワヰエヲ、カキクケコ、サシスセソ、タチツテト、
 ナニヌネノ、ハヒフヘホ、マミムメモ、ヤイユエヨ、ラリルレロ、ワヰウヱヲ」

五十九柱ぞ。この巻夜明けの巻とせよ。この十二の巻 よく腹に入れておけば何でもわかるぞ。
無事に峠越せるぞ。わからんことは自分で伺えよ。それぞれに取れるぞ。

天津日嗣皇尊 弥栄弥栄。あら楽し、あら楽し、あなさやけ、あなさやけ、おけ。
一二三四五六七八九十百千卍。

昭和20年8月10日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

「ヤイユエヨ」と「ウ」を除く「ワヰエヲ」の重複が目につきますが、確かに五十九です。

下つ巻 第十五帖

この方祀りて神示書かすのは一所なれど、いくらでも分け霊するから、
一人一人祀りて審神者作ってもよいぞ。
祀る時は先ず鎮守様によくお願いしてから祀れよ、
鎮守様は御苦労な神様ぞ、忘れてはならんぞ、
この神には鳥居と注連は要らんぞ。追い追いわかって来るぞ、
一二七七七七七忘れてはならんぞ、次の世の仕組みであるぞ。
身魂磨けば何事もわかって来ると申してあろうがな、
黙っていてもわかるように早うなって下されよ、神の国近づいたぞ。

昭和19年7月21日(1944年 皇紀2604年 甲申)

月光の巻 第十六帖

五十九柱と申してあるが、その中の九柱は隠れた柱じゃ。
㋳㋑㋴㋓㋵㋻㋼㋽㋾ぞ。㊀㊁㊂㊃㊄㊅㊆㊇㊈ぞ。この九柱は◯ぞ。
心得なされよ。現れの五十柱のかげの、隠れた九柱、心して大切申せよ。
まっすぐに真上に神をいただくと申すことは、上ばかりではないぞ。
真下にも横にも前後にも立体三六◯度に まっすぐに神を頂かねばならんということぞ。
神人交流の第一歩。

昭和34年1月3日(1959年 皇紀2619年 己亥)

日の出の巻 第十六帖

悪の衣着せられて節分に押し込められし神々様御出ましぞ。
この節分からはいよいよ神の規則通りになるのだから気つけておくぞ、容赦は無いのだぞ、
それまでに型さしておくぞ、御苦労なれど型してくれよ。
「ヤの身魂」御苦労、
石なぜもの言わぬのぞ、いよいよとなっているではないか、
春になったらどんなことあるかわからんから今年中に心の洗濯せよ、身の回り洗濯せよ、
神の規則 臣民には堪れんことあるかも知れんぞ、気つけておくぞ。

昭和19年12月19日(1944年 皇紀2604年 甲申)

次は開始時期です。

元号西暦干支※5※1※2※3※4関係する神示出来事
大正10年1921年辛酉8/19マコトのことはトリの年日本・米国・英国・フランス、四か国条約、バーデン=バーデンの密約
大正11年1922年壬戌9/20〇/十ソビエト連邦成立。コミンテルン日本支部・日本共産党創立。国際連盟がイギリスのパレスチナ支配を正式に承認。
大正12年1923年癸亥10/ー一/九関東大震災、排日移民法(ジョンソン=リード法)
大正13年1924年甲子二/八皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)と良子女王(後の香淳皇后)が結婚
大正14年1925年乙丑ー/11三/七日ソ基本条約締結
大正15年
昭和元年
1926年丙寅1/12四/六大正天皇崩御、摂政皇太子裕仁親王が践祚
昭和2年1927年丁卯2/13五/五大正天皇大喪、南京事件
昭和3年1928年戊辰3/14六/四昭和天皇の即位の礼挙行、コミンテルン1928年テーゼ
昭和4年1929年己巳4/15七/三スターリンの独裁体制が確立、四・一六事件
昭和5年1930年庚午5/16八/二共産党員全国一斉検挙開始
昭和6年1931年辛未6/17九/一三月事件、柳条湖事件→満洲事変、十月事件(錦旗革命事件)、コミンテルン指令1931年
昭和7年1932年壬申7/18十/〇第一次上海事変、五・一五事件、司法官赤化事件
昭和8年1933年癸酉8/19マコトのことはトリの年、十二年遅れているのを取り戻すのであるから皇太子明仁親王誕生、フランクリン・ルーズベルトが米大統領に就任
昭和9年1934年甲戌9/20〇/十陸軍省が国防の本義と其強化の提唱を配布、陸軍士官学校事件
昭和10年1935年乙亥10/ー一/九永田鉄山暗殺事件(相沢事件)
昭和11年1936年丙子当歳二/八ニ・ニ六事件、西安事件
昭和12年1937年丁丑ー/11二歳三/七日中戦争、コミンテルン指令1937年、隔離演説
昭和13年1938年戊寅1/12三歳四/六国際連盟加盟国の対日経済制裁
昭和14年1939年己卯2/13四歳五/五日米通商航海条約破棄通告
昭和15年1940年庚辰3/14五歳六/四仏印進駐、日独伊三国同盟、世界最終戦論
昭和16年1941年辛巳4/15六歳七/三ゾルゲ事件、大東亜戦争開戦
昭和17年1942年壬午5/16七歳八/二ミッドウェー海戦
昭和18年1943年癸未6/17八歳九/一イタリア降伏、連合国へ寝返り
昭和19年1944年甲申7/18九歳十/〇九歳は神界の紀の年昭和東南海地震
昭和20年1945年乙酉8/19十歳元津御神の御光の、輝く御代ぞ近づけり。旧九月八日とどめぞ大東亜戦争終戦
昭和21年1946年丙戌9/20ひ/け〇/十01 ア/ヲこれで一の御用は済みたぞ新日本建設に関する詔書
昭和22年1947年丁亥10/ーふ/れ一/九02 イ/ヱ神の仕組一切り、言答明けたる今日ぞ日本国憲法施行
昭和23年1948年戊子み/ほ二/八03 ウ/ウ子の歳真ん中にして前後十年が正念場極東国際軍事裁判判決
昭和24年1949年己丑ー/11よ/ゑ三/七04 エ/ヰ昭和24年台風第9号、湯川秀樹、ノーベル物理学賞受賞
昭和25年1950年庚寅1/12い/せ四/六05 オ/ワ昭和25年台風第28号、朝鮮戦争
昭和26年1951年辛卯2/13む/あ五/五06 ㋳/ロ旧日米安保条約
昭和27年1952年壬辰3/14な/す一帖/三十帖六/四07 ㋑/レサンフランシスコ平和条約発効
昭和28年1953年癸巳4/15や/ま二帖/二十九帖七/三08 ㋴/ル昭和28年西日本水害、アイゼンハワー「平和のための原子力」演説
昭和29年1954年甲午5/16こ/の三帖/二十八帖八/二09 ㋓/リ第五福竜丸がビキニ環礁においてアメリカの水爆実験によって被爆、第一回ビルダーバーグ会議
昭和30年1955年乙未6/17と/て四帖/二十七帖九/一10 ㋵/ラ55年体制確立
昭和31年1956年丙申7/18も/へ五帖/二十六帖十/〇11 ㋻/ヨ日ソ共同宣言
昭和32年1957年丁酉8/19ち/り六帖/二十五帖12 ㋼/エマコトのことはトリの年東海村原子炉JRR-1臨界
昭和33年1958年戊戌9/20ろ/さ七帖/二十四帖〇/十13 ㋽/ユ欧州経済共同体設立
昭和34年1959年己亥10/ーら/に八帖/二十三帖一/九14 ㋾/イ伊勢湾台風、ハワイがアメリカ50番目の州となる
昭和35年1960年庚子ね/え九帖/二十二帖二/八15 カ/ヤ60年安保条約、所得倍増計画
昭和36年1961年辛丑ー/11し/お十帖/二十一帖三/七16 キ/モ十年遅れると申してあるがアイゼンハワー退任演説
昭和37年1962年壬寅1/12き/う十一帖/二十帖四/六17 ク/メ東京都が世界初の常住人口1000万人突破
昭和38年1963年癸卯2/13る/か十二帖/十九帖五/五18 ケ/ムケネディー大統領暗殺事件
昭和39年1964年甲辰3/14ゆ/め十三帖/十八帖六/四19 コ/ミベトナム戦争、1964年東京オリンピック
昭和40年1965年乙巳4/15ゐ/く十四帖/十七帖七/三20 サ/マ国際連合安全保障理事会非常任理事国に当選
昭和41年1966年丙午5/16つ/は十五帖/十六帖八/二21 シ/ホ総人口一億人突破
昭和42年1967年丁未6/17わ/た十六帖/十五帖九/一22 ス/ヘブリュッセル条約
昭和43年1968年戊申7/18ぬ/を十七帖/十四帖十/〇23 セ/フイタイイタイ病公害病認定、カネミ油脂事件
昭和44年1969年己酉8/19そ/そ十八帖/十三帖24 ソ/ヒマコトのことはトリの年日本のGNPが西ドイツを抜き世界第2位に
昭和45年1970年庚戌9/20を/ぬ十九帖/十二帖〇/十25 タ/ハ核拡散防止条約、よど号ハイジャック事件
昭和46年1971年辛亥10/ーた/わ二十帖/十一帖一/九26 チ/ノ世界経済フォーラム設立、ダボス会議
昭和47年1972年壬子は/つ二十一帖/十帖二/八27 ツ/ネ沖縄返還、台湾日本との国交断絶
昭和48年1973年癸丑ー/11く/ゐ二十二帖/九帖三/七28 テ/ヌ第1次オイルショック
昭和49年1974年甲寅1/12め/ゆ二十三帖/八帖四/六29 ト/ニウォーターゲート事件
昭和50年1975年乙卯2/13か/る二十四帖/七帖五/五30 ナ/ナベトナム戦争終結
昭和51年1976年丙辰3/14う/き二十五帖/六帖六/四31 ニ/トロッキード事件、ベレンコ中尉亡命事件
昭和52年1977年丁巳4/15お/し二十六帖/五帖七/三32 ヌ/テ横田めぐみさん拉致事件
昭和53年1978年戊午5/16え/ね二十七帖/四帖八/二33 ネ/ツ第2次オイルショック、日中平和友好条約
昭和54年1979年己未6/17に/ら二十八帖/三帖九/一34 ノ/チスリーマイル島原発事故
昭和55年1980年庚申7/18さ/ろ二十九帖/二帖十/〇35 ハ/タ1980年モスクワオリンピックボイコット
昭和56年1981年辛酉8/19り/ち三十帖/一帖36 ヒ/ソマコトのことはトリの年敦賀発電所放射能漏れ事故、レーガノミクス
昭和57年1982年壬戌9/20へ/も〇/十37 フ/セ第8回先進国首脳会議
昭和58年1983年癸亥10/ーて/と一/九38 ヘ/ス戸塚ヨットスクール事件
昭和59年1984年甲子の/こ二/八39 ホ/シグリコ森永事件
昭和60年1985年乙丑ー/11ま/や三/七40 マ/サプラザ合意・日本航空123便墜落事故
昭和61年1986年丙寅1/12す/な四/六41 ミ/コ三井物産マニラ支店長誘拐事件
昭和62年1987年丁卯2/13あ/む五/五42 ム/ケルーブル合意、国鉄分割民営化
昭和63年1988年戊辰3/14せ/い六/四43 メ/ク五十二才 二の世の始ソ連がペレストロイカ開始
昭和64年
平成元年
1989年己巳4/15ゑ/よ七/三44 モ/キ昭和天皇崩御、平成天皇即位、消費税導入
平成2年1990年庚午5/16ほ/み八/二45 ヤ/カ湾岸戦争
平成3年1991年辛未6/17れ/ふ九/一46 イ/㋾バブル崩壊、ソ連崩壊
平成4年1992年壬申7/18け/ひ十/〇47 ユ/㋽バブル景気「公式」終結、就職氷河期元年、アジェンダ21
平成5年1993年癸酉8/19い/ん48 エ/㋼マコトのことはトリの年、五十六才七ヶ月 みろくの世55年体制崩壊
平成6年1994年甲戌9/20ろ/す〇/十49 ヨ/㋻天明九十六才七ヶ月、ひらく、四十九、天明 神示書かす御役ぞ松本サリン事件
平成7年1995年乙亥10/ーは/せ一/九50 ラ/㋵阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件
平成8年1996年丙子に/も二/八51 リ/㋓薬害エイズ事件民事和解成立
平成9年1997年丁丑ー/11ほ/ひ三/七52 ル/㋴消費税増税、日本銀行法全面改正案可決成立
平成10年1998年戊寅1/12へ/ゑ四/六53 レ/㋑完全失業率4.1%、Google設立
平成11年1999年己卯2/13と/し五/五54 ロ/㋳東海村JCO臨界事故、労働者派遣法規制緩和
平成12年2000年庚辰3/14ち/み六/四55 ワ/オミレニアム開発目標(MDGs)
平成13年2001年辛巳4/15り/め七/三56 ヰ/エ第1次小泉内閣、アメリカ同時多発テロ事件
平成14年2002年壬午5/16ぬ/ゆ八/二57 ウ/ウ持続可能な開発に関する世界首脳会議
平成15年2003年癸未6/17る/き九/一58 ヱ/イ第二次湾岸戦争、SARS-CoV-1発生
平成16年2004年甲申7/18を/さ十/〇59 ヲ/ア製造業務への労働者派遣解禁
平成17年2005年乙酉8/19わ/あマコトのことはトリの年地球温暖化防止条約京都議定書発効、郵政解散
平成18年2006年丙戌9/20か/て〇/十第1次安倍内閣、ライブドア事件
平成19年2007年丁亥10/ーよ/え一/九安倍晋三首相辞任、郵政民営化
平成20年2008年戊子た/こ二/八リーマン・ショック、世界同時株安
平成21年2009年己丑ー/11れ/ふ三/七鳩山内閣、欧州連合リスボン条約発効
平成22年2010年庚寅1/12そ/け四/六尖閣諸島中国漁船衝突事件
平成23年2011年辛卯2/13つ/ま五/五東日本大震災、福島第一原子力発電所事故
平成24年2012年壬辰3/14ね/や六/四持続可能な開発に関する国連会議(リオ+20)、第2次安倍内閣
平成25年2013年癸巳4/15な/く七/三日本の竹島領有権を主張する動画を公開
平成26年2014年甲午5/16ら/お八/二日ロ首脳会談、クリミア危機
平成27年2015年乙未6/17む/の九/一持続可能な開発のための2030アジェンダ、持続可能な開発目標(SDGs)
平成28年2016年丙申7/18う/ゐ十/〇COP21パリ協定
平成29年2017年丁酉8/19ゐ/うマコトのことはトリの年ドナルド・トランプ米大統領就任
平成30年2018年戊戌9/20の/む〇/十築地市場営業終了
平成31年
令和元年
2019年己亥10/ーお/ら一/九令和天皇即位、イベント201、SARS-CoV-2発生
令和2年2020年庚子く/な二/八世界経済フォーラム第50回年次総会(グレートリセット)、改正新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく初の緊急事態宣言を発令
令和3年2021年辛丑ー/11や/ね三/七延期されていた2020年東京オリンピック・パラリンピックを開催、ジョー・バイデン米大統領就任
令和4年2022年壬寅1/12ま/つ四/六ロシアがウクライナ侵攻、安倍晋三銃撃事件
令和5年2023年癸卯2/13け/そ五/五イスラエルがハマスを言い訳にしてガザ地区のパレスチナ人を大量虐殺開始、自由民主党5派閥における政治資金パーティー収入裏金問題
令和6年2024年甲辰3/14ふ/れ六/四令和6年能登半島地震、羽田空港地上衝突事故、ドナルド・トランプ米大統領再選
令和7年2025年乙巳4/15こ/た七/三イラン・イスラエル戦争でイスラエルと支援したアメリカが敗北、トカラ列島群発地震、高市早苗が総理大臣就任
令和8年2026年丙午5/16え/よ八/二
2027年丁未6/17て/か九/一
2028年戊申7/18あ/わ十/〇
2029年己酉8/19さ/をマコトのことはトリの年
2030年庚戌9/20き/る〇/十
2031年辛亥10/ーゆ/ぬ一/九
2032年壬子め/り二/八
2033年癸丑ー/11み/ち三/七
2034年甲寅1/12し/と四/六
2035年乙卯2/13ゑ/へ五/五宵の明星が東へ廻っていたら、いよいよだぞ2035年9月2日皆既月食、太陽の左下に金星
2036年丙辰3/14ひ/ほ六/四
2037年丁巳4/15も/に七/三
2038年戊午5/16せ/は八/二
2039年己未6/17す/ろ九/一
2040年庚申7/18ん/い十/〇
2041年辛酉8/19マコトのことはトリの年、↓大いなるタメシ?
2042年壬戌9/20
2043年癸亥10/ー
2044年甲子
※1 :元は十と四十七と四十八
※2 :三十年一切ぞ 
※3 :富士(二二)の仕組み:(一二三/春マケ):(三四五/夏マケ)
:(五六七/秋マケ):(六六六):(七八九/冬マケ)
:(九十/ハルマゲドン)
※4 :元の人三人、その下に七人、その下に七七、四十九人、合して五十九
※注 一柱一年と思いますが、実際は翌年に被ると思います。
※5  : 子の歳真ん中にして前後十年

祭りの巻 第八帖

旧九月八日で一切りじゃ、これで一の御用は済みたぞ、八分通りは落第じゃぞ、
次の御用 改めて致さすから、今度は落第せんよう心得なされよ。何もかも神は見通しだぞ、
神の仕組み 人民で遅れんよう 気つけて結構致し下されよ、
二の仕組み、御用は集団作りてよいぞ。大奥山はそのままにしておかなならんぞ、
天明(岡本天明)まだまだ神示の御用結構ぞ、アホ結構ぞ、リコウ出ると壊れるぞ。
天明ばかりでないぞ、皆同様ぞ。皆リコウになったものじゃナア、クドウ神にもの申さすでないぞ。

昭和21年8月15日(1946年 皇紀2606年 丙戌)

黄金の巻 第十五帖

人から見て「あれならば」というようになれば、この方の光出るのじゃ。
行できねばお出直し、お出直し多いなあ。独断 役には立たんぞ。
岩戸開きの九分九厘でひっくり返り、また九分九厘でひっくり返る。
天明九十六才七ヶ月、ひらく。

昭和24年11月27日(1949年 皇紀2609年 己丑)

海の巻 第五帖

今日までの御教えは、悪を殺せば善ばかり、輝く御代が来るという、これが悪魔の御教えぞ、
この御教えに人民は、すっかりだまされ悪殺す、ことが正しきことなりと、信ぜしことの愚かさよ、
三千年の昔から、幾千万の人々が、悪を殺して人類の平和を求め願いしも、それははかなき水の泡、
悪殺しても殺しても、焼いても煮てもしゃぶっても、悪は益々増えるのみ、
悪殺すというそのことが、悪そのものと知らざるや、
神の心は弥栄えぞ、本来 悪も善もなし、ただ御光の栄ゆのみ、
八股オロチも金毛も、ジャキも皆それ生ける神、神の光の生みしもの、
悪抱きませ善も抱き、あななうところに御力の、輝く時ぞ来るなり、
善活かさねば悪なるぞ、善悪不二といいながら、悪と善とを区別して、導く教えぞ悪なるぞ、
ただ御光のその中に、喜び迎え善もなく、悪もあらざる天国ぞ、皆一筋の大神の、働きなるぞ悪はなし、
世界一家の大業は、地の上ばかりでなどかなる、三千世界大和して、ただ御光に生きよかし、
生まれ赤児となりなりて、光の神の説き給う、誠の道を進めかし、マコトの道に弥栄えませ。
言答(岩戸)明けたる今日(8月15日終戦記念日)ぞめでたし、二の言答(岩戸)早う明けてよ。

昭和22年8月15日(1947年 皇紀2607年 丁亥)

だって

既に「3つ目はひらいている」ハズだから。

以下おまけ

上つ巻 第二十一帖

世の元の大神の仕組みというものは、神々にもわからん仕組みであるぞ、
この仕組み わかってはならず わからねばならず、なかなかに難しい仕組みであるぞ、
知らせてやりたいなれど、知らせてならん仕組みぞ。
外国がいくら攻めて来るとも、世界の神々がいくら寄せて来るとも、
ぎりぎりになったら神の元の神の神力出して
岩戸開いて一つの王で治める神のまことの世に致すのであるから、
神は心配ないなれど、付いて来れる臣民少ないから、早う掃除してくれと申すのぞ、
掃除すれば何事も、ハッキリと映って楽なことになるから、早う神の申すようにしてくれよ。
今度は永遠に変わらぬ世に致すのだから、世の元の大神でないとわからん仕組みぞ。
洗濯できた臣民から手柄立てさせて うれしうれしの世に致すから、
神が臣民にお礼申すから、一切ごもく捨てて、早う神の申すこと聞いてくれよ。
因縁の身魂は どうしても改心しなければならんのだから、早う改心せよ、遅い改心なかなか難しいぞ。
神は帳面につけるように何事も見通しだから、神の帳面間違いないから、
神の申す通りに、わからんことも神の申す通りに従ってくれよ。
初めつらいなれど段々わかって来るから、よく言うこと聞いてくれよ、
外国から攻めて来て日本の国丸潰れというところで、元の神の神力出して世を建てるから、
臣民の心も同じぞ、江戸も昔のようになるぞ、
神の身体から息できぬようにしているが、今に元のままにしなければならんことになるぞ。
富士から三十里四里離れたところへ祀りてくれよ、富士にも祀りてくれよ、富士はいよいよ動くから、
それが済むまでは三十里離れたところへ、仮に祀りて置いてくれよ。
富士は神の山ぞ、いつ火を噴くかわからんぞ、
神は噴かんつもりでも、いよいよとなれば噴かねばならんことがあるから、
それまでは離れたところへ祀りてくれよ。
神は構わねど、臣民の肉体大切だから、肉体もなくてはならんから、そうして祀りてくれ。
まつりまつり結構。

昭和19年6月28日(1944年 皇紀2604年 甲申)

今を遡る事、十余年前「秒速5センチメートルトラウマをアイスピックでえぐるアニメ」に感化闇堕ちされた私は、事もあろうにわざわざ「夜の岩舟駅」に聖地巡礼しました。とは言いつつも

まぁ世の中には、わざわざ雪の日を選んで「夜の岩舟駅」に行ったお方もいらっしゃるらしいのですが、そんな私の二度目の「岩舟入り聖地巡礼」は、まだ「ハルナの御用」には考えが及ばず(反省)、あちこち三十四里を探しまくっていた2024年春頃の聖地巡礼のお話。(どっちの?)

実は最初の訪問地は、茨城県の石岡市にある「常陸國總社宮」だったのです。各国の国府近くに国内の神を合祀、まとめて祭祀を行うようになったのが総社です。だからって手抜きしたわけじゃないですよ。

現在の祭神は伊弉諾尊、大國主尊、素戔嗚尊、瓊々杵尊、大宮比賣尊、布留大神です。そして国内の神々様です。

日本武尊腰掛石です。江戸時代末期にこの地にあった府中松平藩の藩医が手塚良庵という方で、その子孫が手塚治虫先生だそうです。それ故のこの超豪華なコラボレーション。

まて。「倭武天皇」って、第12代景行天皇の皇子である日本武尊の話をしてたんじゃないのか?第21代雄略天皇とゴッチャにしていないか?

参拝を終えて、おみくじ引いて境内に結び付けようとしたところ、社務所の受付の窓が開いて巫女さんが顔を出しました。折角なので御札を、と思ってたまたま手を出したら「伊勢神宮の御札ですね?」と言われたのです。「このタイミングで?」と思いながらも頂くことにしました。これもご縁だったら良いなと。

それでは岩舟へと向かいます。「ご当地富士」は全国にたくさんあるのですが、これから向かう先もその一つです。

ニニギ

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/ニニギ

コノハナノサクヤビメ

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/コノハナノサクヤビメ

岩舟体育館と文化会館を背中に見て、住宅二軒の間に空き地があって、奥には鳥居が見えます。まだ茨城県にいる頃には曇っていたのですが、栃木県に近づくにつれて晴れてきました。ありがとうございます。

「標高93.7m富士山」、入り口前の道路が海抜34.8mです。アバウトで良いのでこの数値、覚えておいてください。この辺はまだ良いですが、階段上っていくと激しくガレています(オフ用語)、ご注意を。

着きました。ここはとても落ち着けるところです。明るいし。

下に見える岩舟文化会館(コスモスホール)の方向に富士山が見えると思うのですが、さっきまで天気悪かったので…。

画面真ん中から左側の間に見える背の高い建物は多分、コモディイイダ古河だと思います。14.16㎞、そう考えるとあんまり遠くまでは見えないもんですね。

これ見ると古東京湾は、古賀から利根川挟んだ栗橋まで及んでいた事が分っております。もっともそれ以前はこの先まで、それこそ岩舟のすぐ背後から本州北端にまで至る山々にまで及んでいたかも知れませんが。

これはお隣、佐野市の佐野サービスエリアのすぐ側にある田んぼの海抜です。わずか16.1mって…。はるか南にある渡良瀬遊水地(谷中湖)が15mくらいあるのに…。

なお杉戸…。

こんなこともあろうかと(by真田さん)、同じ埼玉県の春日部市には「彩龍の川」首都圏外郭放水路(通称地下神殿)があったりします。

首都圏外郭放水路

ttps://gaikaku.jp

書いておきながらまだ見に行ってないんですよね、近くで仕事していた事もあったのに。コタツ記事イヤとか言ってたくせに。

以前から岩舟から見える山々の形が気になってはいたんですよ…。最終氷河期終わって、山から溶け出した水の流れがこのようなディテールを形作ったのではないのかな、って。この話についてはまたの機会に。

2026年1月11日「水の巻 第十帖」

五大洲 引っ繰り返っておること まだわからぬか。肝心要のことだぞ。
七大洲となるぞ。八大洲となるぞ。
今の臣民にわかるように申すならば御三体の大神様とは、
天之御中主神様、高皇産霊神様、神皇産霊神様、
伊邪那岐神様、伊邪那美神様、撞賢木向津媛の神様でござるぞ。
雨の神とは あめのみくまりの神、くにのみくまりの神、
風の神とは しなどひこの神、しなどひめの神、
岩の神とは いわなかひめの神、いわとわけの神、
荒れの神とは 大雷のをの神、わきいかづちおの神、
地震の神とは 武甕槌の神、経津主の神、
神様の御事でござるぞ。
木の神とは 木花開耶姫の神、
金の神とは 金かつかねの神、火の神とはわかひめきみの神、
ひのでの神とは 彦火々出見の神、
竜宮の乙姫殿とは 玉依姫の神様の御事でござるぞ。
この方のこと、いずれわかって来るぞ。今はまだ知らせてならんことぞ。
知らせる時節近づいたぞ。

昭和20年6月11日(1945年 皇紀2605年 乙酉)

岡本天明伝[日月神示]夜明けの御用(黒川柚月氏・著)65ページに「聖師は「古事記を研究して神武以前の歴史を検討していかないと、二度目の天の岩戸開きという意味は解らない」といわれた」という記述があります。この聖師というのは、天明氏がかつて所属していた「大本」の二大教祖の一人、出口王仁三郎氏の事です。ところが、今回の主役、経津主神ふつぬしのかみは、日本書紀では登場しているのですが、古事記には登場していないのです。

大本

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/大本

出口なお

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/出口なお

出口王仁三郎

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/出口王仁三郎

古事記

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/古事記

日本書紀

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/日本書紀

事大主義

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/事大主義

小中華思想

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/小中華思想

誰に都合が良かったっていうのは、「藤原不比等・・・・・にとって・・・・」なのです。「中臣氏」では無く。

…。

…まさかね。

しかしさっぱり人気ひとけが無かったのですが。

そんなはずもなく。アイキャッチの写真なんて奇跡的に人がいなかっただけで。

参道が広いです。これが神宮か。高校の時、明治神宮に行った事があるとはいえ、人大杉でそれを実感するどころではなく。

今井健彦

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/今井健彦

今井信郎

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/今井信郎

今井信郎は、近江屋事件の件で嫌疑をかけられ、坂本龍馬暗殺の際には見張り役だったとして、禁固刑二ヶ年の判決を受けた後、釈放されております。氏の三男が今井健彦であり、衆議院議員(立憲政友会)、文部政務次官、商工政務次官、農林参与官、ジャーナリスト、東京毎日新聞社社長を務めたそうです。

奥に進みます。

ここだけでも普通の神社の広さあるわ。

護国神社

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/護国神社

こちらは香取神宮内にあるから良いとしても、戦没者を直接知る遺族や戦友たちの高齢化、引き継ぐ管理者がいなくなると存続が厳しいか…。あ、この左側奥にある「要石」行くの忘れた。道戻っちゃったのです。

やっと…と思ったらまだ先なのです。

正面は手水舎、拝殿は右へ。

あの…。

…。

ちょ…こんなシーン何時かも見た気がするぞ…デジャヴ?

香取神宮

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/香取神宮

主祭神は経津主大神

経津主神

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/経津主神

神宮の祭祀氏族は、古くは香取連(かとりのむらじ、香取氏)の一族とされますが、系図によれば、大中臣氏から大中臣清暢が香取連五百島の養子に入る事で香取大宮司を、清暢の子の秋雄が香取大禰宜を担う事となります。その後の平安時代末期までは中央の藤原氏に管掌されていたところ、鹿島神宮大宮司の中臣氏一族から、香取神宮大宮司への任命があって以降は、香取大中臣氏と鹿島中臣氏とが香取の大宮司職を巡って対立を見せ、大中臣氏一族の内部で大宮司・大禰宜職や社領を巡っての抗争が展開、近世の江戸幕府の統制下に入っても、抗争は繰り返されていたことが散見されています。…えっと、藤原氏についてはいずれ書くことになりますけど…。

最初は分かりづらかったのですが、左側が市神社で、祭神は事代主神、天降神社が合祀されているようで、祭神は伊伎志爾保神、鑰守神です。右側が馬場殿神社で、祭神は建速須佐之男命です。

飯篠家直

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/飯篠家直

お墓のたたずまいが素晴らしいです。風情があるというか。飯篠家直は18代当主千葉胤宣に仕えていたそうです。

ただ、ここだけは全く空気感が違ったような気がしました。

経津主神の荒御魂を祀る奥宮です。社殿は昭和48年(1973年)の伊勢神宮遷宮の際の古材を使用しているそうです。この竹林と杉が織りなす風景と古材を使った社殿の雰囲気と言ったら…。

よく考えたら、この二本、やけに近いような…。

Wiki見ると境内社、境外社、随分ありますね、だいぶ見落としてる…。

側高神社までは4㎞前後ありますし…。

しかし痣だけは残った…(執筆時点では消えました)。

…ところで

2026年1月2日「龍音之巻 第十四帖」

幽界霊も時により正しく善なることを申すなれど、それはただ申すだけであるぞ。
悪人が口先だけで善を語るようなものであるぞ、
よいことを語ったとて ただちに善神と思ってはならん。
よい言葉ならば、たとえ悪神が語っても よいではないかと申す者もあるなれど、それは理屈じゃ、
甘ければ砂糖でなくサッカリンでもよいではないかと申すことぞ。
真の善言真語は心、言、行、一致であるから ただちに力する、
言葉の上のみ同一であっても、心、言、行、が一致しておらぬと力せぬ。
偽りの言葉は、落ち着いて聞けばすぐわかるぞ、
同じ「ハイ」と言う返事でも、不満を持つ時と喜びの時では違うであろうがな。
我は天照太神なり、などと名乗る霊にロクなものないぞ、大言壮語する人民は眉唾もの。

昭和36年8月3日(1961年 辛丑 皇紀2621年)

こう書いても、何が「八番目の年」分からない方が殆どでしょうけど、このサイト現在リニューアル中なのです。よってその詳細については、メニューの日月神示「タイムライン」の今後の更新をお待ちください。正直ご迷惑をかけて申し訳ありません。

なんて言いながら有休とって(会社でそんな事言ったわけないけど)、三脚担いで皆既月食撮りに行こうとしたら、何故かカメラのバッテリーが充電されていないわ、薄い雲が懸かってて丸く見えないし、映らないレベルで暗すぎて玉砕したのも最早、2025年の9月8日の話なのですが、日月神示を知っているなら、9月8日に皆既月食なんて聞いた日には胸熱でしょ?だけど「誰もが・・・見る事が出来なかった現象」なんて正直無意味だと思っていて、結局「七番目の年」2025年の意味するところは

事を全世界が認識した(それを理解できない、認めたくない連中がいるにしても)時点で完結したも同然で、だからその後に格別大きな出来事なんて起こらなかったでしょ?自民党がいくら支持落としても、高市が首相になれたのだから、大勢に変化があったわけでも無いですし、実際無事に終わったといえます。2025年の総括は「ターニングポイント」でまとめるつもりでいます。

折角の正月なので、茨城県常総市の一言主神社に参拝した時の話でも。

一言主

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/一言主

一言主神社 (常総市)

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/一言主神社_(常総市)


一言主神社がここにある事は知らなかったのですが、かの東日本大震災以降、「茨城県南部」は地震の震源地としてたびたび聞こえてくる地域だと思います。執筆時点で東日本大震災以降、茨城県南部における震度4以上の地震は54回、それ以前は2010年11月05日、その前は2008年08月20日と間隔が離れています。(この執筆時点って昨年10月だけど)

茨城県南部を震源とする地震情報震度4以上

ttps://earthquake.tenki.jp/bousai/earthquake/center/301/level-4/

不思議に筑波山が震源になってはおらず、その大部分が筑波山の西側、中でも目立つのが北緯36.1度・東経139.9度地下を震源とする地震です。当初は311の余震かと普通に思っていたのですけど、日本列島が形作られるプロセスを考えると、意味深な地域でもあるのです。ちなみに、北緯36.1度・東経139.9度に最も近い神社は、沓掛香取神社です。坂東IC側なのでそのうち行ってみようかと思います。

総国

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8F%E5%9B%BD

のっけから上古の坂東の国と書かれておりますが、奈良時代の律令制において足柄坂より東の東海道を坂東としたのです。ちなみに今回行った一言主神社は常総市ですが、そばを走る関東鉄道常総線が、旧常陸国と下総国を結ぶ路線という意味だそうです。後の平成の大合併で常総市が成立した際、市名が一般公募で決定しているのですが、常総線の名前のイメージが強くあった可能性はあります。

ここに行くまでに道の雰囲気を見ていて思ったのは、千葉県でいうなら白井市に似ているかなというのが一つ、地形はどちらかというと成田市に近い高低差感があるようにも。ただし国道16号を除いた交通量は、常総市の方が多いような気がします。これはこの地における企業規模、数の両方において大きいから、とも言えます。私は出先では道の様子を見ています。交通量や車の種類もそうですが、何より地形、道路の線形を見ます。その意味ではやっぱり常総市も下総と同じ文化圏にあるんだなと思いました。そして県道252号(坂東菅生線)から一言主神社の方に入って行くと高低差のある地形が顔を出すのです。鬼怒川と利根川の間にあるこの地域が台地になっており、香取海の時代においても島となっていた可能性は高いです。アイキャッチ画像で出した一言主神社の大鳥居は正に坂の上にあります(頂上ではないけど)。

坂の上の地形は意外にもフラット、一言主神社はこのような立地に創建されました。ちょっと不思議な感じ。ちなみに敷地のすぐ外には駐車場あります(写真の左方向)…。

入って気になったのがこの木。こんなになっても健気に生きてます。

手水舎の写真は撮り忘れたのですけど…メダカ?グッピーでしょうか?ここは夏場にはミツバチ専用水飲み場があるそうですが、もうシーズンオフのようです、残念。

雅な雰囲気ですよね。奥の建物の方から雅楽?と思われる音楽が流れていました。録音のように聴こえましたが。

拝殿です。言行一致の神様であり、商売・災禍・農作・縁結び・平和の神・福の神ともされており、たった一言の願い事であっても聞き入れてもらえるとされておりますが、私は今回ご挨拶に伺ったので、お願いはしておりません。前夜にもほぼ何もしなかった(したくなかった)ほどフラットなままで参拝したかったのです。この事は麻賀多神社(並びに天日津久神社)の時もブログ開設の挨拶に、奥宮は麻賀多神社を知ったきっかけが奥宮だったので、御礼とご挨拶の為、玉前神社は玉依毘売…竜宮の乙姫様へご挨拶に、常陸國總社宮の時には、岩舟の富士山にある浅間神社に祀られている木花之佐久夜毘売の所へ参拝するので、事前に邇邇芸命にご挨拶しておこうと思って参拝したのです。じゃあ、いつも神社に参拝に行ってお願いしないのかというと…

一言主は大国主命の子の事代主神と同一視される事もあるようですが、

本殿左側には境内社として大黒社があります。祭神は大国主命です。

三岐(みつまた)の竹、かつて当地に突如出現して、葛城一言主神社の神を名乗り、村人に神社を建てさせたという話があります。思いっきり逆光になったのでここから撮りました。

これは寄進された竹ですね。写真右側の方から裏手の方に行きます。

合社は13社、三峯神社(日本武尊)、愛宕神社(軻遇突智命)、八幡神社(誉田別尊)、三王神社(大山祇命)、妙見神社(月読命)、天神社(菅原道真)、道祖神社(猿田彦命)、別雷神社(別雷命)、八坂神社(速須佐之男命)、大日孁貴神社(大日孁貴命)、白髪神社(猿田彦命)、浅間神社(木花咲耶姫命)、厳島神社(市杵島姫命)。

稲荷社・香取社です。祭神は宇迦之御魂大神、経津主大神。

お水取りできます。

樹齢不明の御神木です。あ、縁結び社の写真撮るの忘れてた。

先ほどの鳥居の写真の右側も駐車場なのですが、敷地の外側に権現社がありました。

帰って寝て、夜勤だったので慌ただしい参拝になってしまいましたが、それまで曇り空で肌寒い印象だったのが、鳥居をくぐって拝殿の前に立った頃には、すっかり晴れていたのが印象的でした。そして帰る時、敷地の外の駐車場に「333」の乗用車が来ました…。

磐戸の巻 第七帖

人民のイクサや天災ばかりで、
今度の岩戸ひらくと思っていたら大きな間違いだぞ、
戦や天災で埒あくようなチョロコイことでないぞ、
あいた口ふさがらんことになって来るのだから、
早うミタマ磨いて恐いもの無いようになっておってくれよ、
肉体の恐さではないぞ、タマの恐さだぞ、タマの戦や禍は見当取れまいがな、
真通理(祀り) 第一と申すのだ、神のミコトに聞けよ、
それにはどうしてもミタマ磨いて神かかれるようにならねばならんのだ。
神かかりと申しても そこらにござる天狗やキツネやタヌキつきではないぞ。
まことの神かかりであるぞ。
右行く人、左行く人、咎めるでないぞ。
世界のことは皆、己の心に映って心だけのことよりできんのだぞ、
この道理わかったか、
この道はマナカ(真中)行く道とくどく申してあること忘れるなよ、
今までのような宗教や教えの集団は潰れてしまうぞ、
神が潰すのではないぞ、自分で潰れるのだぞ、
早うこの神示、魂にしてマコトの道に生きてくれよ、
俳句は俳句と申してあるが、天理は天理、金光は金光だけの教えであるぞ。
この神の申すこと、天のミチぞ、地のミチぞ、人のミチだぞ。
今度の岩戸ひらきの大望済んだとて、すぐに良いことばかりはないのだぞ、
二度とないことであるから臣民では見当取れんから、
肚の底から改心して、素直に、神の申す通りにするのが何より結構なことだぞ。

昭和20年1月7日(1945年 乙酉 皇紀2605年)

「右行く人、左行く人」というのは、単に保守派、リベラルという意味だけでは足りません。人間の思想とは、生まれ持った性格のみならず、それまでに生きていた生活環境や、受けてきた教育、社会経験によって培われていくものだからです。

その事はかつて、オウム真理教の幹部が高学歴な人達で占められていたという事実でもお判りでしょう?彼らはオウムに入信するべくして入信したと言っても過言ではありません。何故って彼らの生き方が、考え方そのものが「オウム」に行き着くものだったからだと言えます。

それは始めは真っ当な考え方だったかもしれない。少なくとも「運動に参加する人たちの個人レベルの動機においては・・・・・・・・・・・・・」。

だけどこの状況を利用しようとした連中が、この運動を組織化して利用し始めた時に、多くの者はその事に疑問さえも抱かずに活動に邁進して行った挙句、それは宗教と化した。この状況を利用して成功した者は、ピラミッドの頂点に立って王様のフリをしながらものうのうとお布施で新聞売って暮らしているが、テロリストという烙印を押されたトカゲのしっぽは、北朝鮮やベイルートに逃れざるを得なくなったわけです。

私達は「原子力発電は国の発展を支える為に無くてはならない」って、散々言い聞かされて育ってきました。そしてその事に疑問を口にすると「反社会主義者」だの「パヨク」だのとレッテルを貼り付けて排除してきたのです。使用済み核廃棄物の後始末すらできない連中に。

「クソみたいな驕りと油断だ」

だから「世界のことは皆、己の心に映って心だけのことよりできん」というわけです。では、どうすれば良かったのか?

黄金の巻 第二十一帖

言われる間はよいぞ。読まれる間はよいぞ。
綱切れたら沖の舟、神信じつつ迷信に落ちてござるぞ。
日本の国のミタマ曇っていることひどいぞ。
外国、同様ながら筋通っているぞ。
型にはめると動きないことになるぞ。型外せと申してあろうが。
自分で自分を監視せよ。
顕斎のみでも迷信、幽斎のみでも迷信、二つ行っても迷信ぞ。
二つ融け合って生まれた一つの正斎を中として
顕斎、幽斎を外としてまつるのが大祭りであるぞ。
荒、和、幸、奇、ミタマ統べるのが直日のみたま。みすまるのたまぞ。
今度は直日のみでなくてはならん。
直日弥栄えて直日月
の働きとなるのぞ。
食物 気つけよ。信仰は感情ぞ。
飢えた人には食物。
神よ勝て。人間 勝ってはならんぞ。

昭和24年11月27日(1949年 皇紀2609年 己丑)かのととりの日

実は、「顕斎のみでも迷信、幽斎のみでも迷信、二つ行っても迷信ぞ。二つ融け合って生まれた一つの正斎を中として顕斎、幽斎を外としてまつるのが大祭りであるぞ。」というのが、私の信念に一致していた為、日月神示に興味を持ったのです。その由来は、真言宗の「不二」という教えと、天台宗の「円融三諦」という教えの二つにあるようです。私は双方の信者というわけでは無いのですが、その事を自ら「経験する事になった事によって信念と化した」という経緯があります。つまり先ほど申し上げた通り、生き方が、考え方そのものがそこに至らしめた結果を証明する経験だったからだと言えます。

【物理学】アインシュタインの誤りを、10万人のゲームプレイヤーたちが証明「量子のもつれ」[05/21]

ttps://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1526915930/

19: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/05/22(火) 01:12:05.13 ID:BiZdywt2
宇宙のイメージ

物質が存在する空間がある。
この空間は、いろんなあらゆるものが混在する世界とイメージしてくれ。
そして、あらゆるものが存在するものの、お互いに干渉し合うものだけがその干渉の範囲で世界を築く。
干渉し合わなもの同士では認識すらできないが、たしかに同空間に存在しているんだよ。
そして、高速とは、干渉によって生成された世界における最高速度であって、空間中には干渉がなければ速度は無限大で存在していると捉えれば、
全て説明がつくんだよ。

ビックバンだって、なぜ、急に巨大な爆発が、無から有を生むように発生したのかも説明できる。

でも、空間と存在の最小単位一次元をどう考えて統合すればいいのかが問題になっちゃう。
これを説明しようとして超ひも理論とか出てきてるが違う。

無限の速度が成り立つ世界があるとする。
それは、突き詰めれば、距離がないということで、換言すれば、同じという事。
それぞれが別々に見えるがそうでは無いということ。
元は、全く同質のもので、差異は現象として生じてる。
突き詰めれば、光もクオーツも現象として存在してる。
つまり、実体じゃないってこと。
元の存在は同じ。

24: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/05/22(火) 01:55:52.16 ID:BiZdywt2
超ひも理論は不完全で、宇宙の最小単位は一次元の広がりを持つ紐ではない。
それだと、無限大の速度の存在が説明できない。
もちろん、ヒモのような性質は有しているとはおもう。

宇宙の最小単位が存在すると考えるのが間違い。
一切は繋がっているので、最小単位は即最大単位。
物質は存在ではなく、現象。
物質の速さとは現象の移り変わりを動きとして解釈したもので、客観的には速さとは実体として存在しない。

30: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/05/22(火) 02:31:28.39 ID:BiZdywt2
どのように最小単位はつながって、即最大単位となっているのか。
分離、結合を繰り返しながら、紐どうしは絶えずつながっている。

量子のもつれがなぜ高速を超えて、無限大の速度を実現しているのか。
それは、対になった紐の振る舞いが同時に入れ替われば、量子のもつれの現象は説明できる。
いきなり時空を超えて、物質が入れ替わることも説明可能。
物質は、元になる存在の振る舞いがによって観測される現象に過ぎない。

34: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/05/22(火) 02:43:51.01 ID:BiZdywt2
観測とは、干渉を意味する。
元の存在の振る舞いが互いにに干渉することで物質という現象を引き起こす。
故に、観測されるまでは、元の存在の振る舞いはかなりの自由度をもって、すなわちあらゆる現象物質となりうる。

61: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/05/22(火) 18:32:41.48 ID:BiZdywt2
干渉

量子もつれは、よりマクロの方向にも展開され、また、ミクロの方向にも展開されている。
この連結の範囲を干渉、観測といい。世界、宇宙という。

元の存在の振舞はおそらく無限。
それぞれ振舞いの種類に応じて、互いに干渉を生む組み合わせ、生まない組み合わせが無量に存在している。
故に、異世界は存在する。無量に。
物質は存在せず、現象として存在しているに過ぎないので、空間上で異世界と重なっても干渉し合うことはない。

空間上に置いて、物質で満たしているのは極めて少ない。
物質内部を見てもらうとわかるけども、スカスカ。
超圧力で地球は一平方メートル以内の体積以下に圧縮可能。
本来、空は、元の存在で全て満たされているから、明らかに、現宇宙だけでは容量が少なすぎる。

故に、不干渉な異世界は無量に存在している。
無量という根拠は、現象として存在しているので、その現象はいかようにも解釈して捉え新たな干渉を連鎖して生み続けるので、有限でなく、無限に存在できる。
現象として。

63: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/05/22(火) 18:45:17.32 ID:BiZdywt2
元の存在の性質

1=0=∞を満たす。

この最原則に基づいて、成り立つ構造を構築することが大切。
これに外れると、存在し得ない。
これを満たすと存在しうる。

69: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/05/22(火) 20:50:30.91ID:xZ9PR/hL
0/1や1/0で量子もつれが
ミカン0/1りんご1/0
分数のかけ算をするなら1/1になる

70: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/05/22(火) 20:57:27.53ID:xZ9PR/hL

>>69
0をかけ算したら0になる

74: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/05/22(火) 21:51:11.90 ID:xZ9PR/hL

>>70
1÷0=1なのでミカンは1個
0÷1=0なのにりんごは消えてない同じく1個

76: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/05/22(火) 21:55:10.27 ID:xZ9PR/hL

>>74
どちらも同時に0と1を持っている

77: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/05/22(火) 21:56:45.84 ID:xZ9PR/hL

>>75
どちらも同時に1と0を持っているから

79: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/05/22(火) 22:10:27.69 ID:xZ9PR/hL

量子は有と無二つが同時に存在してる

80: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/05/22(火) 22:13:01.84 ID:xZ9PR/hL

猫が亡くなっていたら0
同時に1が存在するので猫が生きてる
猫は亡くなっているのと同時に生存してる

81: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/05/22(火) 22:15:24.04 ID:xZ9PR/hL

>>80
パラドックスは存在することなく同時に存在している
パラレルワールドが存在しうる

82: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/05/22(火) 22:17:38.17 ID:xZ9PR/hL

この場合、猫は1/1になりえるので生存を確認できたら
両方で猫は生存している

89: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/05/22(火) 22:49:41.88 ID:xZ9PR/hL

404 404 0/0 404 404
8 8 0 8 8
32/0 0/32 0/0 0/32 32/0
128
32032 32032 0/0 32032 32032
64 64 0 64 64
256
たった二つのミカンとりんごが256個に、量子の世界は不思議だ

90: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/05/22(火) 22:55:40.60 ID:1uogBLOj

ここまで読んだ方、お疲れ様です。私はこれを読んだ当時、半信半疑ながらも心に残ったので、ブックマークしておいたのです。

ブッダ「弟子よ、”実体”なるものは存在しない」弟子「・・・???」

ttps://kako.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1586624620/

ところが2020年の緊急事態宣言当時、某まとめサイトで紹介されていたこのスレのコメント欄を見て、私の出した結論は

でした。コメント欄の荒れ様がそれを証明しておりましたし、先述したオウム信者もそう。何事も疑わず状態を受け入れ、都合が良い理屈だけ受け入れた結果の有様なのです。因果応報を信じるかどうかはともかくとして、福島第一原発があんな所に立っていなかったら、地上に棺桶をさらすようなバカはやらずに済んだでしょうに。全く後世の恥さらしとしか言いようがない。

その事を正に実感する羽目になったのが、この緊急事態宣言下でした。私は食料品業界の夜勤で働いておりましたが、取引先からマスク着用を要求されました。先方は企業間の取引がある関係上、従業員にマスクを支給できるのかもしれません。ですが、ウチの会社にはそんな「つて」など無く、仕事が終わってマスクを買いに行くと、ドラッグストアやスーパーにはマスクを買い占めようとする連中が既に列をなしているのです、仕事もしていない不要不急の連中が。

そこで私が救われたのは「それでも仮に現象している」事に気が付いたからでした。

そしてこれらは「縁」によって繋がっているのです。その事はブッタが弟子に言った木くずの話、木くずは「縁」により、木が形作られているけど実体が無いとは言うものの、私たちはこれを当たり前のように認識している。それは三者が円融しているからって思えませんか?

円融三諦

ttps://dictionary.goo.ne.jp/word/円融三諦_(四字熟語)/

一心三観

ttp://www.chohoji.or.jp/houwa/issinsankan.htm

天台宗による公式な三諦の説明です
「諦とは苦集滅道の四諦や真俗二諦の諦と同義で真理を意味し
常識的に真実とされるものは実態のない空諦
実態はないが縁起によって存在する面を仮諦
両者を超えた真理を中諦と称し
相互に具し合うのが円融三諦という
これを観法によって体得するのを空仮中三観とし
漸次に観するのが次第三観
三観各々に他の二観を含め、三にして一、一にして三とするのが一心三観である

天台宗布教手帳」

最澄

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/最澄

空海

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/空海

最澄は天台宗の宗祖であり、空海は真言宗の宗祖です。空海のWikiに

20年の留学期間を2年で切り上げ帰国したため、空海に対して朝廷は大同4年(809年)まで入京を許可せず

私が言うのもなんですが、最澄は空海から学ぼうとしていたのであり、口伝による実践修行を軽んじていたわけでは無いと思うのです。その時には最澄は一宗の責任者となっていた事があり叶わなかったと。当然、一方の空海から見れば例外を認めるわけにはいかないでしょうし…。

ところで三諦が互いに融け合って一つであると説いているのは天台宗であり、真言宗では三諦が分かれているのではなく一体、これを「不二」としていると思われますが、このニュアンスの違いの理解は私にとってちょっと難しいですね…。(コメントお待ちしております)

異なる点を指摘するなら、「顕斎、幽斎を外としてまつる」というのは「顕斎(空)、幽斎(仮)は通常、自分の外に置いておく」事を説いているように見えるところであり、言い換えるならいつまでもこの両者に囚われ続けてはいけない、と言っているようにも思えます。

実はこれと同様と思われる話を私に忠告してくれた方がいたのです。

この話にどれだけ励まされた事か…私のような者には中々難しいんですけどね。だから分かってくれる人だけでいい。もし共感してくれる人がいてくれればそれだけでいい。私もそれだけでこのブログやってます。

最後に先ほど、言って「1/3」、思って「1/3」、行って「1/3」、全てが「+」なら「1」になりますが、どこかに「ー」があったならば「1」になり得ないって言いましたけど、「1/3」とはあくまでも概念にすぎず、丸いケーキを三つに分けるならば、分数を考えないと果てしなく割り切れなくなってしまうでしょう?それは円周率だって同様で、現実というのは理屈だけでは済まないからです。

(※注「1⁄∞」の表記はジョン・ウォリスに倣って)

2026年1月1日 「月光の巻 第十七帖」

そなたの仕事、思いつき結構であるが、神の御意志を頂かねば成就せん。
神と申しても、そなたが勝手に決めた神や宗教で固めた制限された神ではないぞ。
わかっただけでは駄目ぞ。行じねばならん。生活しなければならん。
芸術しなければならん。

昭和34年1月3日(1959年 皇紀2619年 己亥)

「それでも煩悩が巡っている」の「108」です。

長らくの更新停止で大変ご迷惑をおかけしました。申し訳ありません。

昨年の夏あたりから、特に海外からのアクセスが急増しておりまして、これがどっかのデータセンターのbot程度ならばまだ我慢できるものの、明らかに不審なアクセスが見られるようになった為、対処する事にしたのです。右クリック禁止の処置は対応策を練るまでの暫定的な処置で、今回の更新により解除しました。一抹の不安が残りますが。

これらの不審なアクセスの全て100%がVPN経由のアクセスでした。そもそもVPNという技術はこんな目的のために開発された技術ではない事は承知しております。しかしながら、「compromise」と判断されたアクセス全てがVPN経由であるなら遮断せざるを得ない。以外にもプロキシや、torの使用が見受けられなかったのは意外でしたが、今や、不正アクセスのトレンドはVPNに移ったとみて良いのかもしれません。VPN各社のIPをシャットアウトする方法を書いておられたブログもあったのですが、今回はその手段は見送りました。いたちごっこになるのが明白なので。ここまでしてもVPNプラグインをインストールしたブラウザ等には対応出来ておりませんが、桁が違うレベルで楽になりました。

先述した海外からのアクセスの大半は「Boardman」、「Columbus」、「council bluffs」、「Ashburn」などで、多くのWordPressユーザーも困っているみたいで、企業のデータセンターのbotでは?というコメントでした。こんな連中の怪しいビッグデータの構築やらAIの教育なんかに付き合ってやる義務などは無いので、ついでにシャットアウトする事にしました。

そもそもサーバー側とプラグインの両方で、海外からのアクセスを拒否設定にしているにも関わらず、あんな連中だけでなく、南アフリカやらベトナムなどからアクセスされるなんて、誰が考えてもおかしいと思うでしょ?

もう一つはブログの性質上、同一のテーマを扱った記事の場合、まとめたくなったという事にあります。今から書く記事もこれにあたります。初詣で麻賀多神社に参拝に伺った話については、本ブログ初投稿である2024年1月2日当時がオリジナルで、同年中に1回目のブログ更新で記事を書き換えた旧「第零話」、天日津久神社の由来について考察している旧「第二十五話」を今回のブログ更新にあたって記事をまとめました。タイムライン更新はもう少々お待ちください。重ね重ねご迷惑をおかけして申し訳ありません。

元々は、「日月神示の考察と日夜起こる出来事をこじつける罰当たりなブログ」として始めたわけですが、訳あって麻賀多神社に御札を返してきましたので、更新にあたりキャッチフレーズも「0=1=i=∞=1⁄∞」となっております。これではこのブログが何なのかサッパリですが、もう集客はあきらめました。こんな世の中でもありますし、縁があるのなら見てくれるだろう位に思ってます。

とはいえ、タイトルにあるように「神の御意志を頂かねば成就せん」とありますし、「ひつくの神にひと時拝せよ」(地つ巻 第九帖)という事もあり、2023年12月9日にブログ開設のお伺いに麻賀多神社(台方)を参拝したのですが、この話は旧旧「第零話」には書いておきながら、旧「第零話」で書き忘れていました(ダメじゃん…)。

ここまでの道すがら、12月だというのにまだ虫が鳴く音が聞こえてる!この話を執筆している2025年の12月現在とはえらい違いで、現在の方が普通の冬っぽいといえばそうなのでしょう。一方でここに着いたのは、午後2:00過ぎくらいなんですけど、日中なのにどことなく夕方っぽさを感じるのが12月らしいところ。だから暮れって言うのでしょうか?

ところで、境内では写真一枚も撮っていないんです。緊張感というか、圧迫感というか、気後れしたのか…。神社でこんなに緊張するのはここ台方だけです。参拝に来るたびに叱られに来ているような気分なのは、恐らく私が至らぬ故なのでしょう。

参拝を終えて、奥宮へお伺いする事にしました。実は麻賀多神社の名前を知ったのは奥宮の方が先だったのです。以前していた仕事で、成田駅西口大通りから国道464号線に至る道を通っていました。通りには看板もあって「変わった名前の神社だな」と。その当時は寧ろ日月神示の方を知らなかった位で。

台方の裏手に岡本天明氏の住居の跡地があります。実は最初の訪問でも後述する2024年元旦の再訪時でも人がいたからか写真撮っていなかったのです。これは2024年5月に参拝した時。

天つ巻 第八帖

嵐の中の捨て小舟と申してあるが、今その通りとなっておろうがな、
どうすることもできまいがな、船頭どの、苦しい時の神頼みでもよいぞ、
神まつりてくれよ、神にまつわりてくれよ、神はそれを待っているのだぞ、
それでもせぬよりはましぞ、そこに光あらわれるぞ。
光あらわれると道はハッキリとわかって来るのぞ、
この方に騙されたと思って、言う通りにして見なされ、
自分でもビックリするように結構ができてるのにビックリするぞ。
富士の御山に腰かけて、この方 世界中守るぞ。
辛酉、結構な日と申してあるが、結構な日は恐い日であるぞ。
天から人が降る、人が天に昇ること、昇り降りで忙しくなるぞ。
てんし様 御遷り願う時近づいて来たぞよ。
奥山に紅葉あるうちにと思えども、いつまでも紅葉ないぞ。

昭和19年9月2日(1944年 皇紀2604年 甲)

日月神示の奥山=天明氏が住んでいる所なのですが(ちなみに富士山が一の宮です、これは後述します)、紅葉が残ってて間に合ったな、と。

船形の奥宮はホントに落ち着く所だと思います。社伝によれば日本建尊が杉の幹に鏡を懸け、伊都許利命が船形に社殿を造営し、その鏡を神体として稚日霊命を祀り、杉の木の下から7つの玉を掘り出して神体とし、和久産巣日神を併せ祀ったとされております。その伊都許利命の墳墓は写真奥の高台になっている所です。

時に2024年1月1日午前3時前位、「京成って終夜運転してたっけ」とか思い付きで宗吾参道駅へ。コンビニで腹ごしらえした後、一路印旛沼を目指します。初日の出の撮影の為。散歩している人に挨拶。「正月って不思議に晴れますね」と言うと「そう言えばそうかも」と。正直、私の記憶にある中では天気が悪かった記憶が無いのです。まぁ、忘れているだけかもですが。家を出た時は、東の方角が雲が多かったので冷や冷やしていましたが。

西側には雲が残っています。そして日と月の対比。

それでは麻賀多神社に向かうことにします。「一の鳥居」のそばには、かつての渡船の史跡がありました。昭和43年まで橋が無かったというのが驚き。下のリンク見ると印旛沼開発の完成は昭和44年と、思っていたよりは近年ではあります。

印旛沼開発の歴史 1. 近代までの開発経緯 【事業に至る経緯】

ttps://www.maff.go.jp/kanto/nouson/sekkei/kokuei/inba/keii/01.html

私は生まれも育ちも千葉県で、学生時代には香取海かとりのうみ、利根川、江戸川、手賀沼、印旛沼の干拓の歴史を教えてくれた先生がいた世代であって、この地もまたかつて「香取海」の一部だった事は知ってはおりました。「海マアカタとは印旛」(日の出の巻 第十八帖)とは、「香取海」だった話からと思います。2011年の東日本大震災の後、対岸の印西市や柏市でも「液状化」が見られました。関東平野の低地は埋立地と同義語だと思って良い位。以前どこかの掲示板で、千葉に住みたいという人に香取海を例に出して「可能な限り高台に住んだ方がいい」と言ったことがあります。その高台ですら、少し低くなっている所が、数十年前まで「沼」(湿地帯)だったなんて話があるほど。これ、私のすぐ近所だけでも複数ある話。昭和の終わり頃でさえも、雨が降ると氾濫する河川があって、学校へ行く道が水没し、校庭ではカエルが鳴いていたのは私の実体験。大分改善されたとはいえ、今でも大雨が降った後には、道路の消毒をしている所すらあります。理由はお察しください。

大伴家持が寄進したという「一の鳥居」です。「鳥居は要らぬぞ、鳥居とは水のことぞ、海の水ある それ鳥居ぞ」(下つ巻 第一帖)とされていますが、どうなんでしょうか?

大伴家持

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/大伴家持

大伴馬来田

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/大伴馬来田

大伴吹負

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/大伴吹負

実は、大伴家持こそが麻賀多神社(台方)に天之日月神を祀ったのではないかと思っているのです。

神典研究家で神名には明るかった天明氏でさえ、天之日月神がいかなる神なのか、また、どこに鎮座され祀られている神なのか分からなかったそうですが、私が調べた限り、享保7年(1722年)の『佐倉風土記』の記述が最も古かったです。安政4年(1857年)10月に完成した『利根川図誌』(赤松宗旦氏/著)での麻賀多神社の記述は、その佐倉風土記を参照しているようです。かつて三十八座あったものの、享保7年時点での摂社・末社は五座で、印波國造社、幸靈さきたま神社、馬來田まくた朗女いらつめ神社、猿田彦神社、天日津久神社となっていたようです。まず伊都許利命を祀るのは分かる、猿田彦神社も分かるのですが、ここからが問題です。幸靈神社(幸霊神社)?愛知県に幸霊社という神社があるそうですが、あちらも由来が不明だそうです。島根県松江市には、三穂津姫命を祀るとされる幸魂神社があるそうですが、断定まではちょっと…。馬來田朗女神社(馬来太郎女神社)という名前から察するに木更津市馬来田辺りに由来する神社だと思うんですが、弟の吹負が天武天皇の代に常道頭(常陸国の守)を務めた事から大伴馬来田も馬来田村・望陀郡を治めた可能性を指摘している方もいるようです。この事から大伴家は上総国から常陸国にかけては一定の影響力があったと考えられ、伴氏神社の創祀が平安京遷都時(延暦13年/794年)と後々の時代であって、家持が一の鳥居を寄進した際、馬来田を祀った可能性はあります。吹負の名前さえあれば確実性が増したのですが…

そしてもう一つの手がかりが万葉集にあります。

皇位

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/皇位

「あまのひつく」、「日嗣」(ひつぎ)という神名は、古代では皇位と同義語であり、かつて大本事件に巻き込まれた天明氏にとっては、その名を出すだけでも命がけだったと言えます。官憲への対策だったのか、戦後の「雨の巻 第一帖」までは「日津久」表記でした。(例外は終戦十日前の「夜明けの巻 第九帖」で「天津日嗣皇尊大神」を称した。)実は「あまのひつぎ」で検索すると、以下のようなサイトもヒットするようになるのです。

あまのひつぎ

ttp://jmapps.ne.jp/kokugakuin/det.html?data_id=31655

記紀・宣命・祝詞等に「天津日継」(記)、「宝祚」「天業」(紀)、「天日嗣」(宣命)、「天津日嗣」(祝詞)等多くの用例を見るが、いずれも「あまつひつぎ」と読み、「皇位につく」の意で用いられている。万葉集では、この句は「あまのひつぎ」という形で5首の歌に詠まれている。作者はすべて大伴家持である。

郷社麻賀多神社。

●台方にあり祭神を稚産霊神となす。応神帝の朝印波国造伊都許利命の齋祀せる所なりという延喜式内神社の1つ。(中略)印旛沼畔に一大華表あり延歴2年9月勅使大伴家持卿始めて建立せる所なりと云う。爾来61年毎に建替を定例とする又郡内の一勝地なり。

以下、特に要太字注目。()内は対訳。

以下、万葉百科 奈良県立万葉文化館 様

巻18-4089 獨居幄裏、遥聞霍公鳥喧作歌一首〔并短歌〕

ttps://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/detail?cls=db_manyo&pkey=4089

高御座天の日継と天皇の神の命の聞し食す国のまほらに山をしもさはに多みと百鳥の来居て鳴く声春されば聞きのかなしもいづれをか別きてしのはむ卯の花の咲く月立てばめづらしく鳴くほととぎすあやめぐさ玉貫くまでに昼暮らし夜渡し聞けど聞くごとに心つごきてうち嘆きあはれの鳥と言はぬ時なし

(高御座にあって、天日をうけ嗣ぐものとして、天皇たる神の命がお治めになる国、この秀れた国土には山があちこちに多いので、いろいろな鳥がやって来て鳴く。その声は春になると聞いていてかわいいことよ。どの声がいいというのでもないが、中でも卯の花の咲く月になると、愛らしく鳴くほととぎすは、菖蒲草を薬玉に通す五月まで、昼は一日中、夜は一晩中聞いても聞くたびに心が動いて感嘆し、興尽きない鳥だといわない時はない。)

巻18-4094 賀陸奥國出金詔書歌一首〔并短歌〕

ttps://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/detailLink?cls=db_manyo&pkey=4094

葦原の瑞穂の国を天降り領らしめしける皇御祖の神の命の御代重ね天の日嗣と領らし来る君の御代御代敷きませる四方の国には山川を広み厚みと奉る御調宝は数へ得ず尽しもかねつ然れどもわが大君の諸人を誘ひ給ひ善き事を始め給ひて黄金かもたしけくあらむと思ほして下悩ますに鶏が鳴く東の国の陸奥の小田なる山に黄金ありと申し給へれ御心を明らめ給ひ天地の神相誘なひ皇御祖の御霊助けて遠き代にかかりし事を朕が御代に顕はしてあれば食国は栄えむものと神ながら思ほしめして物部の八十伴の緒を服従の向けのまにまに老人も女童児も其が願ふ心足ひに撫で給ひ治め給へば此をしもあやに貴み嬉しけくいよよ思ひて大伴の遠つ神祖のその名をば大来目主と負ひ持ちて仕へし官海行かば水浸く屍山行かば草生す屍大君の辺にこそ死なめ顧みはせじと言立てますらをの清きその名を古よ今の現に流さへる祖の子等そ大伴と佐伯の氏は人の祖の立つる言立て人の子は祖の名絶たず大君に奉仕ふものと言ひ継げる言の官そ梓弓手に取り持ちて剣大刀腰に取り佩き朝守り夕の守りに大君の御門の守りわれをおきてまた人はあらじといや立て思ひし増る大君の御言の幸の/ [一は云はく、を]聞けば貴み[一は云はく、貴くしあれば]

(葦がしげるみのり豊かなこの国土を、天から降ってお治めになった皇祖の神の御代を重ねて、天日を継承するものとして支配なさる天皇の御代御代に、統治なさる四方の国には、山や川が広く豊かなので、貢上する宝物は数えきれず尽くすこともできない。しかしながらわが大君は、多くの人々をさそってりっぱな事業をお始めになってから、黄金がたしかにあるだろうかとお考えになり、心を悩ませておいでだった。ところが鶏の鳴く東の方、陸奥の小田という山に黄金があると申しあげると、御心のふさぎをお晴らしになった。「天地の神々も尊いこととお思いなさり、皇祖の御魂も恩恵を施され、遠い昔にあった、こうした事を、またわが御代にもお見せくださったので、わが統治の国は繁栄するにちがいない」と、大君は神の御心にお考えになり、多くの廷臣たちを従え政治に向かわせる一方、老人も、女も子供も、その願いが心のままに満足するように安らかにさせ、治めなさる。そのことを私は、ふしぎに尊く嬉しいことと、ますます考える。大伴という、遠い祖先の名を大来目主として掲げもち、朝廷奉仕を役目として来た氏は「海に征けば水につかる屍、山に戦えば草のはえる屍。大君のかたわらに死のう。わが身をふりむくまい」と言立てをして、勇敢な男の清らかな名を昔から今の現実に伝えて来た末の一族であるよ。大伴・佐伯の両氏は、祖先の立てた言立てによって、子孫が祖先の名を絶やさず大君に奉仕するものと言い伝えて来た、そのことばどおりの役目の氏であるよ。梓の弓を手に握り持ち、剣太刀を腰に帯び「朝の守護・夜の守護に大君の御門の守護をするのには、自分以外に人がいまい」と、ますます心をふるい立たせ、気持は高ぶる。大君のおことばの幸いが〔一ハ云ワク、を〕、聞けば尊いので〔一ハ云ワク、尊く思われるので〕。)

巻18-4098 為幸行芳野離宮之時、儲作歌一首〔并短歌〕

ttps://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/detail?cls=db_manyo&pkey=4098&dicCls=d_kanno&dicDataId=18&detaillnkIdx=0

高御座天の日継と天の下知らしめしける皇祖の神の命の恐くも始めたまひて貴くも定めたまへるみ吉野のこの大宮にあり通ひ見したまふらしもののふの八十伴の緒も己が負へる己が名負ふ負ふ大君の任けのまくまくこの川の絶ゆることなくこの山のいや継ぎ継ぎにかくしこそ仕へ奉らめいや遠長に

(高御座にあって、天日を承けつぐものとして天下をお治めになった遠い天子が、畏れ多くも始めなさり貴くもお定めになったみ吉野のこの大宮に、わが大君は通いつづけて風景を御覧になるらしい。多くの廷臣たちも、それぞれがもつ氏の名にたえず背かず、大君の任命に応じつづけ、この川が絶えることのないように、この山が次々と重なるように、このようにお仕え申し上げよう。一層永遠に。)

巻19-4254 向京路上、依興預作侍宴應詔歌一首〔并短歌〕

あきづ島大和の国を天雲に磐船浮かべ艫に舳にま櫂しじ貫きい漕ぎつつ国見しせして天降りまし払ひ言向け千代重ねいや継ぎ継ぎに知らしける天の日継と神ながら我ご大君の天の下治めたまへばもののふの八十伴の緒を撫でたまひ整へたまひ食す国の四方の人をもあぶさはず恵みたまへば古ゆなかりし瑞度まねく申したまひぬ手抱きて事なき御代と天地日月と共に万代に記し継がむそやすみしし我ご大君秋の花しが色々に見したまひ明らめたまひ酒みづき栄ゆる今日のあやに貴さ

(秋津島の大和の国を、天雲に磐船を浮かべ、船尾にも船首にも左右の櫂を一面に通して漕ぎながら国見をなさって地上にお降りになり、邪魔者を掃い従え、千代を重ねて一層次々と平定なさってきた天皇の御位にあって、神のままにわが大君が天下をお治めになると、廷臣の多くの者どもをいつくしみなさり、整備なさり、支配する国土のあらゆる人々をも残さずお恵みになるので、昔からなかった瑞祥が度々奏上されることだ。何もせず手を組んでいても太平な御代として、天地・日月と共に万代の後までも記録しつがれるだろう。八方を支配されるわが大君が、秋の花のさまさまな色どりを、それぞれに御覧になって御心を晴らす、酒宴が賑やかな今日の、ふしぎな貴さよ。)

巻20-4465 喩族歌一首〔并短歌〕

ひさかたの天の門開き高千穂の岳に天降りし皇祖の神の御代よりはじ弓を手握り持たし真鹿児矢を手挟み添へて大久米のますら健男を先に立て靫取り負ほせ山川を岩根さくみて踏み通り国求ぎしつつちはやぶる神を言向けまつろはぬ人をも和し掃き清め仕へ奉りてあきづ島大和の国の橿原の畝傍の宮に宮柱太知り立てて天の下知らしめしける天皇の天の日継と継ぎて来る君の御代御代隠さはぬ明き心を皇辺に極め尽くして仕へ来る祖の官と言立てて授けたまへる子孫のいや継ぎ継ぎに見る人の語り次てて聞く人の鑑にせむをあたらしき清きその名そおぼろかに心思ひて空言も祖の名絶つな大伴の氏と名に負へるますらをの伴

(ひさかたの天の戸を開き、高千穂の嶺に天降った、天皇の祖先神の昔から、わが一族は櫨弓を手に握り持ち、真鹿児矢を脇にかかえて、大久米部の勇敢な男たちを先頭に立て、靱を背に山川の岩を踏み分け踏みくだいて国土を求めつつ、ちはやぶる神を平定し、反抗する人々も従え、邪悪なものを一掃して、お仕え申して来た。また、秋津島の大和の国の橿原の畝傍の宮に、宮殿の柱をりっぱに立てて天下を支配なさった皇祖の、それ以来の御位として引き継いで来た君の御代御代に、隠しへだてなく赤心を、天皇に向けて極め尽してお仕えして来た。そうした祖先代々の役目としてことばにあげて天皇が官をお授けになるわれら子孫は、一層次々と、見る人が語りつぎ聞く人が手本にするはずのものを。惜しむべき清らかなその名であるよ。あさはかに思慮して、かりそめにも祖先の名を絶やすな。大伴を氏の名にもつ大夫たちよ。)

の5首ですが、以下に意味深なのを貼っておきます。

大伴宿禰家持

巻20-4509 波布久受能多要受之努波牟於保吉美乃賣之思野邊尒波之米由布倍之母

ttps://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/detail?cls=db_manyo&pkey=4509&dicCls=d_utabito&dicDataId=174&detaillnkIdx=0&lnkDic=true

延ふ葛の絶えず偲はむ大君の見しし野辺には標結ふべしも

(蔓(つる)を伸ばす葛のように絶えずお慕いしよう。大君が御覧になった高円の野辺には標縄(しめなわ)を張っておくべきであるよ)

だから「一の鳥居」を立てたのではないかと…。

いや、正直疑問もありまして、鹿島神宮では無く、香取神宮でも無く、常陸国総社宮でも無く、何故(台方の)麻賀多神社だったのでしょう?家持は宝亀5年(774年)9月4日、左京大夫兼上総守(例の馬来田村を含む)に任ぜられましたが、印旛沼は管轄外のハズです(上記三社にも言える事ですが)。そして「大君」とは、先述の日本建尊であるのか、それともかつてこの地に訪れた歴代の天皇を指しているのか、もしくは関東こそが本来の都だったからでしょうか?(私はそう思っておりますけど)もし仮に日本建尊だとするならば、この地を訪れていた事が社伝として伝えられているので、整合性はあります。

ただ、天日津久神社を祀ったのが家持だったとしたら、何故「摂社」になったのでしょう?ちなみに菊の御紋があるのは、麻賀多十八社で台方だけという事も…。

考察が長くなってしまいましたが、2024年1月1日の麻賀多神社(台方)です。鳥居に菊の御紋が見えるでしょう。参拝者の方々は緊張する様子なんて見られないのに、私一人ビクビクしているとか不審者みたい…。私には霊感は無いって思ってはいるのですが、とにかくプレッシャーがキツイ。神示に囚われているだけかも知れませんが、そのくせブログにしようというのだから全く以ってどうかしてます。

下つ巻 第二十七帖

この方は祓い戸の神とも現れるぞ。
この方祀るのは富士に三と所、海に三と所、江戸にも三と所ぞ、奥山、中山、一の宮ぞ。
富士は、榛名に祀りてくれて御苦労であったが、これは中山ぞ、
一の宮と奥の山にまた祀らねばならんぞ、
海の仕組みも急ぐなれどカイの仕組み早うさせるぞ。
江戸にも三と所、天明(岡本天明)の住んでいるところ奥山ぞ。
あめのひつく(天の日津久)の家、中山ぞ、富士(二二)が一の宮だから気つけておくぞ。
この方祀るのは、真ん中に神の石鎮め、そのあとにひもろぎ、前の右左にひもろぎ、
それが「あ」と「や」と「わ」ぞ、
そのあとに三つ七五三とひもろ木立てさすぞ。
少し離れて四隅にイウエオの言霊石置いてくれよ。
鳥居も注連も要らぬと申してあろうがな、このことぞ。
この方祀るのも、役員の仕事も、この世の仕組みも、
みな七七七七と申して聞かせてあるのに気がまだ付かんのか、
臣民の家に祀るのは神の石だけでよいぞ、
天のひつくの家には、どこでも前に言うようにして祀りてくれよ。
江戸の奥山には八日、秋立つ日に祀りてくれよ、
中山九日、一の宮には十日に祀りてくれよ。
気つけてあるのに神の神示読まぬからわからんのぞ、このこと、よく読めばわかるぞ。
今の様なことでは神の御用つとまらんぞ、正直だけでは神の御用つとまらんぞ。
裏と表とあると申して気つけてあろうがな、
シッカリ神示読んで、スッキリと腹に入れてくれよ、
読む度たびに神が気つけるように声出して読めば、読むだけお蔭あるのぞ。

昭和19年7月31日(1944年 皇紀2604年 甲申)

ところで、[日月神示]夜明けの御用 岡本天明伝(黒川柚月氏/著)の177ページ[注3]に、「天明第一仮約」では「富士(二二)が一の宮だから」になっているという記述があるのです(本文太字)。こちらが正解と思うので、本ブログでもそのように記述しております。

ところが、第二仮訳を底本にしている「日月神示 謄写版第一訳文」(ビオ・マガジン)や、「新版 ひふみ神示」(コスモビジョン)などの書籍を始め、現在オンラインで公開されている神示の多くは「ここが一の宮だから」という記述になっているようです。

しかしこの下つ巻 第二十七帖、「この方祀るのは富士に三と所、海に三と所、江戸にも三と所ぞ、奥山、中山、一の宮ぞ。」と冒頭にあり、天明氏の住んでいる所は台方であれ、至恩郷であれど、奥山なのです。そして「あめのひつく(天の日津久)の家、中山ぞ」(台方と思われる)という事は、「ここが一の宮だから」では意味が通じないという事を指摘されているのです。実際読んでみるとおかしいのですけどね…。だから「富士(二二)が一の宮だから」が正解であるハズ。

ただ「天明第一仮約」の入手は困難なので、外にも違っている点があるかもです。「この神示八通りに読めるのじゃ」(海の巻 第十五帖)という事ですし…。

この後は当然、奥宮も参拝しました。夕方っぽく見えますが、もちろん朝です。もうちょっと明るかったけど、こんな感じに見えていました。ここ、JR成田駅西口から真っすぐというアクセス良さげなのに、なんでこんなに人少ないんだろう?って思っているのですけど。

一万字超えちゃっているので、本日はここまで。ホントは麻賀多神社に伝わる神代文字の話(旧第二十話)とかもあったのですけど、これは別の話に繋げた方が良さそうだったので。大伴家持の話は、大半コピペで済んだけど、参拝部分は多くが書き直し。原稿丸めてポイっていうのもアナログっぽくて良いかなって(前回の更新でも言ってた)。

では、今後もよろしくお願いいたします。